わかりやすい担任になる

子どもたちが安心して学級で暮らせる条件の一つに、学級担任がわかりやすいということがあります。行動や反応を予測しやすいと言い換えてもいいでしょう。

例えば、子どもが花瓶を割った時、今度から気をつけるようにやさしく諭すのでしょうか、それとも厳しく叱るのでしょうか。状況によって違うかもしれません。いろいろな考え方があるでしょう。どちらであるかは問題ではありません。大切なのは、子どもから見て同じような状況では、同じ対応をすることなのです。物を壊したらやさしく諭す先生なのか、厳しく叱る先生なのか。このような時はこのように行動すると子どもに予測できることが大切なのです。
花瓶を割った時にはやさしかったのに、ガラスを割った時には厳しければ子どもは戸惑ってしまいます。担任としては、ガラスを割った時はふざけていたので厳しく接したのかもしれません。しかし、それが子どもたちにきちんと伝わっていないと、担任の行動の基準がよくわからないと不安に思ったり、ひいきしていると非難したりします。
このことは、学級経営のあらゆる場面で言えます。特にどんな時にほめるのか、どんな時に喜ぶのかがはっきりしていると、どうすれば担任に認めてもらえるのかよくわかります。認められたいと思った行動は、ちゃんと認めてもらえるので、安心して学校生活を送れます。

子どもにとって担任がわかりやすいということは、好きとか嫌いとかという以前の問題です。たとえ納得していなくても、担任の行動にぶれがなければ子どもなりに対応できます。納得はしなくても理解してくれます。好きにならなくても、担任として認めてくれるのです。
好かれる担任になろうとする前に、子どもたちにわかりやすい担任になることが大切です。

学級懇談会

学級懇談会は、担任が学級での子どもたちの日ごろの様子を伝えたり、自分の学級経営に対する考え方を理解いただき、協力を求めたりするチャンスです。一方保護者の側からすると、子どもを預けている担任の人となりを知って安心したい。子どもたちに関する情報知りたい。よそのお子さんと比べて自分の子はどうなのか。そのようなことを知りたいと思っています。担任と保護者とでは求めるものが微妙にずれているように感じます。このずれを意識して、互いにとって有意義な時間となるようにすることが大切です。

学級懇談会では、教師が伝えることは資料等を使ってできるだけ整理し、コンパクトにまとめることで、保護者からの質問や意見を聞く時間をできるだけとるようにします。もし質問等がでなければ、子どもたち様子を紹介したり、予想していた質問を自分の方から「・・・のようにお感じになっている方はいませんか」とふってみることで、口を開いていただけると思います。
保護者同士の関係をつくるためにも、質問に対してすぐに教師が答えるのではなく、同じように思っている人がいないか確認したり、「○○さんの質問のような場合、どうされていますか」と他の保護者にも聞いてみたりするようにします。互いの顔が見えるように座席をコの字型にするなど、保護者同士のかかわりをつくる工夫をするとよいでしょう。

また、自分の子どもは他の子どもと比べてどうなのだろうと気になる保護者も多いはずです。起床・就寝時刻、学習時間、読書量、おこづかいの額など、保護者が知りたいと思うデータを事前に調査し、資料として提供することで、保護者との話し合いのきっかけもつくれます。ここで、資料をただ提供するだけではデータが独り歩きしてしまいます。担任として個々の結果をどうとらえているか、きちんとコメントすることが大切です。

学級懇談会は教師と保護者が情報を交換し、信頼関係をつくる場です。教師の一方的な説明で終わらないようにすることが大切です。

子どもとの距離感

学級経営で大切になることの一つに子どもとの距離があります。必要以上に子どもに近すぎても、また離れすぎてもうまくいきません。この加減が難しいのです。

一般的に若い教師は子どもとの距離が近すぎる傾向にあります。いわゆる友だち先生です。歳が近いので子どもも自分たちを理解してくれる存在として期待します。しかし、距離が近ければ近いほど、甘えも出やすくなります。自分たちの考えが通らないと友だちと同じような感覚で反発します。子どもたちに反発されると、学級経営は成り立ちません。そこで、教師が子どもたちに迎合すると、学級の規律はなし崩しになっていきます。逆に強く出れば、今まで近い存在であったために猛烈に反発します。

教師は子どもたちを指導する立場です。子どもたちよりも立場的に上であることを崩しては、指導は成り立ちません。しかし、立場が上だからといって高圧的ではいけません。一方的に子どもたちに指示してもついてきてはくれません。子どもたちを統率する存在ではありますが、決して支配する存在ではないのです。子どもたちに問いかけ、考えさせる場面をつくることが大切です。子どもたちの目線に立ち、気持ちを理解した上で、どう方向づけるかを考える必要があります。子どもたちが「先生は自分たちの話を聞いてくれる。受け止めてくれる」と信頼してくれることが指導の大前提なのです。

子どもたちの中に入ってぐいぐいと引っぱっていく。あまり口出しせず、学級のリーダーを中心に動かしていく。年齢や集団の特性によって適切な距離は変わってきます。子どもたちとしっかりコミュニケーションをとりながら、自分の学級における適切な距離を見つけるようにしてほしいと思います。

先輩の思い出

学級経営について書いていて、思い出すのが新任教師時代の先輩のことです。

先輩の学級の副担任として過ごした1年間で学級経営の基礎基本を学ぶことができました。若さと勢いだけであった私が、少しは広い視野を持てるようになったのも、その先輩のおかげだと思っています。

先輩は私が副担任として朝と帰りの短学活はもちろん、学級活動にかかわるにすべての時間に参加することを許してくれました。自分が担任になって思いましたが、学級経営をつぶさに人に見られるのは決して居心地のよい物ではありません。それでも、私の思いを受け止めてくれたことは本当にありがたいことでした。3年間の子どもの成長を考えて、今何をすべきか、何を話すべきか、多くを語らず自分の実践を通して教えてくれました。

せめてものお礼にと印刷物があればなんでも私が印刷しますと申し出ると、快く受け入れてくれました。机の上にメモと一緒に原稿を置いていってくれます。メモには原稿のねらいなどが書いてあります。事前に資料を見ることで、どう使うのか自分なりに想像してみます。そして、実際の場面で先輩の使い方を見ることで、いつ、どんな資料で、どのようなことをすればよいのか、実によくわかりました。思えば、1学級分の印刷など大して手間ではありません。わざわざメモをして人に頼むほうがよほど面倒です。私を育てるためにお願いすると言ってくれていたのです。

生徒や保護者との面談も状況が許す限り同席させてくれました。先輩の一人ひとりの生徒に関する記録もその時みせていただきました。今この生徒はどのような状況であるか、それに対してどう方向づけていくのか、事前にきちんと方向性を持って臨んでいました。しかし、自分から一方的に伝えたいことを話すのではなく、まず相手から話を聞くという姿勢をきちんと貫かれていました。聞くということの大切さを、このとき教わったような気がします。

学期末になると、「あなたも副担任として子どもたちを見ているので所見を書きなさい」と生徒名の入った一覧表を手渡されました。苦労して書いた私の所見を見ても特に何も言ってはくれませんでした。しばらくすると、「写し間違いがあるといけないから確認して」と、通知表を私の前に置いて行きました。通知表の所見欄は先輩が2段に仕切って、上に自分の所見、下に私のものが書かれていました。若いころガリ版と鉄筆でプリントをつくりすぎて、細かい字を書くのがつらいはずなのに、狭い所見欄に2人分の所見をびっしりと書いてありました。先輩の所見と自分のものを比べて読めば、私の子どもを見る力がどれほど浅く、足りないか、言われなくても痛いほどわかります。何も言わずに私に子どもを見る視点を教えてくれました。

あと2年先輩のそばで学ばせてほしい、真剣にそう願いました。しかし、先輩は笑って、「もう私からは卒業して、自分のやり方を考えてやらなければ。これは卒業祝い」と何冊もの本をプレゼントしてくれました。その中には本屋では手に入らないので、わざわざ取り寄せてくれた物もありました。翌年から担任を持つようになりましたが、この時いただいた本は本当に役に立つものばかりでした。

跳ねっ返りの私に、やさしく、時には厳しく、多くを語らず、実践で教えてくれた先輩。先輩のそばで学んだ1年が教師としての私を作ってくれたのだと思います。私の教師時代は、永久に追いつけない先輩の背中を追いかけていたような気がします。

子どもの姿を知る

朝教室に入って挨拶をした後、担任はまず子どもたちの表情を見ます。体調の悪そうな子はいないか、いつもと様子の違う子はいないか。いれば、その場で声をかけるか、帰りまで様子を見るかと考えます。始業時に限らず、常に子どもたちを観察して、子どもの状況を把握しようとしています。こうして、担任はだれより学級の子どもたちの状況を知るようになっていきます。ここで注意してほしいのは、その子どもたちも姿は、担任の目に映る姿でしかないということです。

他の先生から見た姿
友だちから見た姿
家族から見た姿
・・・

自分の目で見ることは大切ですが、他者から見た姿は異なっているかもしれないということは忘れないでください。そして、もう一つ子どもたちの姿を見る視点があります。それは客観データです。

いつ起きているか
いつ寝ているか
朝食事をとっているか
どのくらい遊んでいるか
どのくらい勉強しているか
塾に通っているか
学校は楽しいか
授業は楽しいか
・・・

アンケート等によるこのようなデータは子どもたちの姿を浮き彫りにしてくれます。学級経営上ポイントとなる項目を絞って調査をおこない、子どもたちの生活の様子を客観的に把握しておくことは、子どもたちとの接し方や学級経営の方向性を考えるときにとても大切なことです。過年度のデータと比べることができれば、さらに学級の傾向を詳しく知ることができます。初めて出会う子どもたちのことを知るのには時間がかかります。そこで、早い時期に客観データをとることで、子どもたちを把握するスピードを上げることができます。また、その後も年に数回調査することで、学級経営によって子どもたちがどのように変化しているか評価することができます。

自分の目だけにこだわらず、いろいろな視点で子どもたちの姿を見て学級経営をしてほしいと思います。

教室環境の整備

担任としての大切な仕事の一つに教室環境の整備があります。
子どもたちが一日の大半を過ごす教室です。この環境が雑然としたものであれば、落ち着いて暮らすことができません。

掲示物はきちんとしているか。
ごみは落ちていないか。
机に落書きや傷はないか。
机や椅子はきちんと整頓されているか。
下駄箱の中にきちんと靴は入っているか。
ロッカーの中に荷物はきちんと入っているか。
共通の場所に私物は置かれていないか。
・・・

特に、下駄箱やロッカーの使い方などは、口頭で説明するのではなく具体的に靴や道具類の入れ方の手本を見せて、どのような状態が正しい状態かをきちんと教えることが大切です。

教室の様子は子どもたちの状態を表すバロメータでもあります。教師が毎日意識してチェックする必要があります。教師の環境が乱れるということは、子どもたちの生活態度も乱れているということです。放置しておくと、いくら注意をしても容易に改まらなくなってしまいます。

始業時、終業時に、子どもたちと一緒にチェックして、その場で直す。できれば、子どもたちの登校前と下校後に教室を見回るとよいでしょう。子どもたちがいない状態の方がよく見えることもあるからです。常に整った教室環境を維持することが、子どもたちの落ち着いた生活を保障することにつながります。

成長に立ち会えることの喜び

昨日、中学校の入学式に来賓として参加しました。

制服もまだ着なれない新入生のほほえましい姿と、先月卒業した生徒たちの入学時の姿がダブりました。この生徒たちも、3年の間いろいろな経験をして、大きく成長していくのでしょう。
体育館の後ろで新入生を見守っている新2、3年生も、頭が動く生徒すらいないほどしっかりと落ち着いた様子でした。彼らも立派に成長しています。

そして、もう一つうれしかったのが若い先生の成長です。縁あって、他校での講師時代からお付き合いのある先生です。初めて受け持った学年を先月無事送り出して2周り目の学年です。2列から4列への隊形の変更を指でそっと指示していました。目と指の指示だけで、子どもが戸惑うことなく行動しています。もちろん小学校での指導の成果もあると思います。しかし、担任としての関係もまだできていない状態で、声を出さずに指示できることは立派なことです。この担任であれば安心して新生活を送れると子どもたちも感じていることでしょう。
このような何気ない場面に、成長の証が見て取れます。若い先生の成長に立ち会えていることの喜びを感じました。

規律を守れなかった子どもの指導

社会生活において必要なことを学ぶことは学校の大切な目的の一つです。集団生活において規律を守ることもその一つです。しかし、子どものことです。時として規律を破ったり乱してしまうこともあります。叱りさえすれば行動があらたまるわけでもありません。叱り方によっては逆効果になったり、対処を間違えると集団の中で孤立してしまうこともあります。注意をして終わりではなく、上手に子どもたちの規範意識を育てていくことが大切です。

A君が授業に遅刻してきた。
「A君、どうしたの」
「ボールを片づけていた」
「ボールを片づけていたんだ。えらいね。それで・・・」
「遅くなった」
「遅くなったんだ。遅くなったことをどう思う」
「いけない」
「遅れると何がいけないの」
「授業が始まるのが遅くなる」
「そうだよね。始まるのが遅くなると誰が困る」
「みんなが困る」
「そうだよね。じゃあ、どうすればいい」
「あやまる」
「みんなの方を向いて、あやまろう」
「みんなも、これでいいかな」

子どもたちが行動を反省して改めるには、自分がやったことがどういうことなのか、なぜいけないのかを自覚させることが必要です。そのためには、教師が一方的に注意をして無理やり言わせるのではなく、子ども自身が、何がいけなかったのか、どうするべきだったかを言うことが大切です。集団の規律を乱したのですから、教師に対して謝るのではなく、みんなに謝るように指導します。

その上で遅れた本人だけでなく、学級全体の問題としてとらえることができるのが理想です。

「教室に戻るとき、A君がボールを片づけているのを見た人いる」
「何人かいるね。どう思った、Bさん」
「片づけしている」
「なるほど、それだけ」
「遅れそう」
「なるほど、遅れそうだと思ったんだ。同じように思った人」
「他にもいるね」
「A君は遅刻しちゃったけど、どうすればよかったのかな。みんなちょっと考えて」
・・・
「そうだね。教室に戻るときはみんなで声をかけ合うようにしようね」

叱られることは子どもたちにとって楽しい時間ではありません。これに時間をとられるのは、授業時間も圧迫しますし、あまりよいことではありません。毎回このような対応をとることは難しいと思いますが、ときにはきちんと時間をとって互いに規律を守ることについて学級全体で考えさせたいものです。

素早い行動を促す

年度初めは教室からの移動、集合など、集団での行動が多いときです。この時期に素早く行動できるようにしつけることはとても大切なことです。一度いい加減になったものをきちんとするのはとても難しいことだからです。

「早く」「急いで」行動して、と訴えてもなかなかうまくいきません。子どもの基準では素早く行動しているつもりなのに、教師から「遅い」「もっと早く」と注意されると不満に思ったりもします。そこで、子どもたちにわかりやすい目標を提示することがポイントになります。
「30秒で」「3分で」行動しようと指示すれば、どの程度素早く行動すればいいか子どもによくわかります。また、きちんと行動できたとき教師もしっかりとほめることができます。できなかったときでも、あとどのくらいだったかをきちんと示すことができるので、次はどのくらい素早くすればいいかよくわかります。

もう一つのポイントは最初のうちは行動をいくつかのステップに分けることです。
移動の前に廊下に整列する場合です。
「静かに素早く廊下に整列しよう」という指示には、たくさんの要素が入っています。そこで、

「今から廊下に整列するよ。静かに素早く行動しよう」
「まず口を閉じよう。3、2、1、はい」
「30秒で教室から出るよ」
「全員出たね。もう整列始めているね。えらいね。あと10秒で整列しよう」

一つひとつのステップが明確なので、子どもも行動しやすくなります。うまくいかなかったときも、どこがいけなかったか互いによくわかります。次第にステップを減らしていけば「廊下に整列しよう」という指示だけで素早く行動できるようになります。

年度初めは、学級は白紙の状態に戻ります。子どもの気持ちもリフレッシュされています。学級集団づくりの一番のチャンスです。素早い行動を促すことで、規律ある学級づくりのスタートを切ってほしいと思います。

子どもが教師に求めること

子どもたちが教師に求めることは何でしょうか。「どんな先生がいい」と聞くと、「やさしい」「話を聞いてくれる」「一緒に遊んでくれる」「わかるまで教えてくれる」・・・。いろいろな答えが返ってきます。しかし、このような子どもたちの言葉を頼りに学級経営をしていくと思わぬ失敗をしてしまいます。一番大切なことは子どもの口から語られることがないからです。
それは何かというと「安心して暮らせる環境」を保障してくれることなのです。学校は子どもたちが生活する唯一の外部、社会です。普段私たち大人も意識しませんが、「安心して暮らせる」ということは社会生活を送る上での大前提なのです。
そのために、社会には規律があり、それを守る組織があります。学級では、その役割を教師が担う必要があります。規律を示し、きちんと守らせることがまず求められるのです。

子どもたちが求める教師像を目指すこと間違いではありません。しかし、学級の規律を維持できなくて、子どもたちが落ち着いて学校生活を送れないようなら、そのような教師を子どもは求めません。たとえ厳しくて子どもとの距離をおいているような教師でも、「安心して暮らせる環境」を保証している教師の方を選びます。
子どもが一番望んでいることは、「安心して暮らせる環境」を保証してくれる教師であることを常に意識してほしいと思います。

目指す学級の姿を具体的にする

新しい学級を始めるときに、担任として「こんな学級にしたい」と話す教師が多いと思います。この1年、どのような学級を目指すかを子どもと共有することはとても大切なことです。このとき、「楽しい学級」「協力し合う学級」「規律ある学級」・・・というような抽象的なもので終わってはいけません。子どもが受けるイメージと教師のイメージがずれてしまうのです。

たとえば、「楽しい学級」から、子どもたちは、遊びの時間が多いと勝手に解釈してしまうかもしれません。「協力し合う学級」といっても、担当した者同士が協力し合えばいいと考えて、自分の分担区域の掃除を終えて戻ったときに教室掃除が終わってなくても、手伝わなくて当然といった態度をとるかもしれません。
このようなことを避けるために、目指す姿をできるだけ具体的にすることが大切です。このことは意外に難しいことです。
子どもたちがどんな場面でどのように感じれば「楽しい学級」といえるのでしょうか。どのような行動をとれば「協力し合う学級」といえるのでしょうか。担任として教室に立つ前にこのことをしっかりと考えておく必要があります。

また、具体的にすることできちんと評価することができます。「規律ある学級」の具体例を「始業のチャイムが始まる前に席に着く」と示していれば、子どもたちは意識して行動します。自分たちできちんできたかどうか判断できるので、達成感を味わうことができますし、教師がほめることでより自己有用感を高めることができます。
子どもたちと一緒に目指す姿を具体的にして、子どもたちと共有していくのも学級づくりには役立つことと思います。

目指す学級の姿を具体的することで、学級経営の方向性が明確になり、チェックや修正もやりやすくなります。できるだけたくさんの場面を考えてほしいと思います。

4月はリセットする

4月に新しい学級を担任するとき、どのようなことを意識するとよいのでしょうか。
私は過去を引きずらないことを大切にしています。リセットすると言い換えてもよいかもしれません。

担任する学級が決まると名簿を見ながら、どんな子がいるかまず見ると思います。以前にかかわりのあった子どもたちであれば、自分なりの情報を持っています。また、初めて出会う子どもたちでも、以前の担任や学校から多かれ少なかれ何らかの情報をもらっています。たしかに、子どもたち関する情報はしっかり持っておくことは大切なことです。しかし、この学級の子は、この子はこんな風だという先入観を持ちすぎるのも危険なことです。

新年度は、今年はこうしよう、今年こそ変わろうと思う時です。新たな気持ちで第一歩を踏み出そうとします。担任として子どもたちのそんな様子をまずしっかりと受け止めてほしいのです。一度先入観を捨てて、子どもたちの様子をしっかり見てほしいのです。

逆に子どもたちもこの先生はどんな先生なのだろうと様子をうかがいます。たとえよく知っている先生であっても、今年はどうだろうと観察します。昨年度学級経営がうまくいってなかったとしても、ここで違う姿を見せれば子どもたちの評価も様子も変わります。

また、自分なりの学級経営のスタイルができている先生もそれは一旦わきに置いておいて、子どもたちの様子を白紙の状態で見ることは大切です。学級集団をよく観察した上で、どのようなスタイルで学級経営をするのか考えてほしいと思います。
ベテランの学級経営がうまくいかない場面にたびたび遭遇しています。自分のやり方が通用しないと自信をなくしている方にも出会います。時代が変われば子どもは変わります。成長とともに大きな変化を見せます。目の前にいる子どもたちに応じた学級経営をつねに模索していかなければなりません。過去の成功体験を一旦捨てることも大切なのです。

担任として子どもたちと初めて出会うまでにいろいろな準備をすることと思います。しっかり準備はした上で、子どもたちを白紙の状態で受け止めていただけたらと思います。

新年度になりました

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
今年度も日々の仕事から学んだことを発信し続けようと思います。
今年度より、新しく「学級経営あれこれ」というカテゴリーを設けました。若い先生が増え、学級経営について相談されることが増えてきました。私なりの視点で、学級経営に関することを思いつくまま書いてみようと思います。

なお、2010年度(平成22年度)に掲載された記事に関しましてはホームページ左下の◇過去の記事「2010年度」メニューをクリックすると閲覧が可能となっています。

また、ホームページ右上のカレンダーを操作することで、過去の記事をご覧いただくこともできますので、ぜひご利用ください。
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