声にならない声を聞く

昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。

この日は、特定の学級を中心に授業を見ました。授業者、教科によって子どもたちの見せる姿がかなり違っていました。学級全体もそうですが、同じ生徒でも、集中する、積極的に参加する場面と、集中力をなくす、やる気をなくす場面の差が極端なことが特徴的でした。ある意味子どもたちが素直で、場面場面でその時の気分、状態を素直に出していると感じました。

たまたま、新任の先生が一緒に子どもたちを見たいと言ってくださったので、その先生が授業をしたときと比べながら見てもらいました。自分の授業ではは全くやる気のなかった子どもが、積極的に活動している姿や、学級全体が集中する瞬間を驚いて見ていました。子どもたちの見せる姿は一つではないことを実感してくれたようです。自分の授業を改善しようという意欲が一層強くなったようでした。とてもうれしいことです。

子どもたちは、何をやればよいかがはっきりとわかっている、見通しがあって手がつきやすい、作業の成果物が明確である。そんな活動には積極的に取り組む。また、自分たちの活動の結果については、それがどう評価されるか非常に興味を持つ。当然のことながら、この学級を見ていると、あらためてこのようなことに気づきます。

この学級の多くの子どもたちが、集中力や意欲をなくした姿をはっきりと見せることは、別の見方をすれば、先生に対して「もっとわかるようにしてよ」「ちゃんと見てて」「評価して」という声にならない叫びを発していることのように思えます。特に行動面で目立たない普通の子どもが、自分たちを見てほしい、認めてほしいと訴えているように感じます。
担任をはじめ、この学級にかかわる先生方がこのことに気づいてくだされば、この学級はよくなっていくと思います。特に、先生方が少し余裕を持って、一人ひとりの子どもをポジティブに評価することを心掛けてくだされば、大きく変化するに違いありません。当面意識してこの学級の変化を見続けようと思っています。

子どもが育っているからこそ、課題が見つかる

昨日は中学校の社会科の授業研究に参加してきました。

授業者は小学校から転勤してきたばかりの若手の先生です。まだ中学校で教え始めて3か月もたたないこの時期に研究授業をおこなうチャレンジ精神が素晴らしいと思いました。
小学校で授業力を鍛えてきたことが子どもたちの姿からもよくわかります。先生の話を聞く姿勢、作業が遅い子どもを待つ様子、課題に取り組む素早い動きから、授業者がこのこと意識して指導していることがとてもよくわかります。授業者の表情も柔らかく、当然子どもたちの表情もにこやかです。子どもたちが安心して授業に参加していることがよくわかります。先生と子どもの関係もとてもよいのです。
実は、こういう先生と子どもたちの関係がよい状態での授業は、課題もたくさん見つかること多いのです。目の前の事実の原因から教師と子どもの人間関係を除外できるからです。

子どもたちが課題に取り組む様子は、多くのグループで一人の子が仕切って、その指示で作業をしている姿が見られました。答えを見つける過程で、一人ひとりが考えたこと、個人が持っている情報を共有する場面がありませんでした。
この原因は、

・グループ編成時に学習面でリーダーの役割をする子を必ず入れるようにしている。
・一人ひとりの答えを持つのではなく、グループで一つの答えを出すようにしている。
・正解を共有することが中心で、どのように考えたか、その理由は何かといった過程や根拠を活動の途中や活動後共有することをしていない。

などが考えられました。
子ども同士の関係がよく、互いに協力しようとしているからこそ、このことがよくわかります。

また、資料を使って考える場面では、手がつく子どもと、全く手がつかない子に分かれてしまいました。手がつかない子はやる気がなかったのではないことは、何度も鉛筆を持ち資料を読んでいることからわかります。資料の中の正解となる用語の意味が子どもたちにはわからないようでした。資料を読み取る場面を設定しなかった、用語の意味を知るための手立てを与えていなかったため、子どもたちはわからないまま資料に向かっていたのでした。答えを見つけた子どもも、根拠は教師のヒントと資料の言葉からの類推で、正解となる用語を示せてもその意味はわかっていませんでした。
手がつくつかないの差は、わからないことをいったん棚上げして考えることができるか、そこに引っかかって先に進めないかの差だったようです。

このように子どもの状況をつくる原因が見えてくれば、その改善方法も明確になってきます。授業者は経験を積むことで、急速に進歩すると思います。ベースとなるものがしっかりあれば、その上に多くの物が積み上がっていきます。素直で学ぶ意欲の旺盛な先生です。次に授業を見るときには、きっと見違えるようになっていることと思います。私もこの授業からとても多くのことを学べました。次の機会がとても楽しみです。

石垣則昭先生から学ぶ

教師力アップセミナーで石垣則昭先生(登別市立緑陽中学校長 上級教育カウンセラー・ピアサポートコーディネーター) のお話を伺いました。

ソーシャルスキル、エンカウンター、カウンセリング、ピアサポートなどの幅広い知識をベースにしたワークショップと講演からなる、参加者が自分で理解することを大切にしたプログラムでした。若い先生に感想を聞くと「ロールプレイでネガティブな教師と子ども役を互いに経験することで、子どもたちがどんな気持になるかを実感し、改めて子どもとの接し方を考え直した」と答えてくれました。日ごろ気づかずにそんな態度をしているもしれないと振り返るよい機会なったようです。変化するためには、まず気づくことが大切です。このことを大切にした講演を心がけなくてはとあらためて思いました。

石垣先生の素晴らしさは、多くの知識を持っているにもかかわらず、常に学校現場での現実的な実践の面から考えられていることです。特定の理論や手法にとらわれず、現場の課題を解決するという視点での指導例は大変参考になりました。
今回は子どもたちの心にスポットを当てたコミュニケーションが中心でしたが、いろいろな場面で応用のきくお話でした。

予定している保護者向けの講演にも役立つヒントをたくさんいただくことができました。ありがとうございました。

子どもの姿は教師を映し出す鏡

先週末は小学校で授業アドバイスをおこなってきました。1年間、若手の先生方と一緒に授業について考える予定です。

この日は第1回目ということで、子どもたちの授業の様子を一緒に見ることを中心にしました。授業者はできるだけ見ないで、子どもたちに集中するようにお願いしました。日ごろ第三者の視点で子どもたちを見ることがないので、とても新鮮だったようです。
挙手したが指名されなかった子どもが、その後集中力を切らして発言を聞かずにぼんやりしていることが多いことに驚いていました。また、そのことに授業者が気づいていないこともわかったようです。

授業の場面ごとに一人ひとりの子どものどのような姿が見たいのかを意識していないと、子どもたちの様子を見過ごしてしまいます。発言していない子どもにどうあってほしいかが明確でないと、発言者ばかりを見てしまうことになります。意識しないことは見えないし、見えなければ修正されることもありません。
子どもの姿は教師を映し出す鏡なのです。ですから、教師ではなく子どもの姿を見ることをお願いしたのです。

その上で、少しスキル的なことをお話ししました。子どもたちに参加を促すための声のかけ方です。
例えば、発言している子ども以外がぼんやりして授業に参加していなければ、活動しているのは一人だけです。しっかり発言を聞いて参加していれば全員が活動していることになります。一見すると同じように見える授業でも一人ひとりの活動量には大きな違いがあります。そこで、指名したときに、「○○さん、考えを言ってくれる」ではなく、「○○さんの考えをみんなで聞こう」と主語をWeにするのです。発言は指名された子だけの活動ですが、聞くことは全員の活動です。視点を変えるだけで子どもの動きは変わってきます。グループでの話し合いなども、「話し合おう」ではなく「聞き合おう」と声をかけるのです。

子どもの様子を一緒に見たり、話し合ったりしながら感じたのは、先生方がとても熱心で素直なことです。1年間一緒に学び合うことできっと大きな進歩を見せてくれることと思います。次回の訪問が楽しみです。

教材研究における「足し算」と「引き算」

「授業は引き算の発想が大切」。これは20年ほど前にある先生から教わったことです。この引き算の発想は私にとっては授業を考えるときの基本となっています。しかし、最近はあまり言わないようにしています。「そもそも若い先生には引くほどのものがない」と指摘されたからです。教材研究における「足し算」「引き算」を考えてみましょう。

1時間の授業を組み立てるとき、ねらいを達成するための子どもたちの活動、それを引き出すための発問や指示を考えます。このとき、1つ2つの活動を考えついたところで終わるのではなく、他にもないかといろいろ考えることが大切です。

例えば社会科の雨温図と地域の関係の学習での子どもの活動を考えてみましょう。

A.子どもに雨温図を理解させるために、地域ごとの気温と雨量のデータだけを与えて雨温図を作る。
B.各地域の雨温図を比較して特徴を考える。
C.地域名を隠した雨温図を与え、資料集からどこのものか調べる。
D.できるだけたくさんの地域の雨温図を用意し、似た傾向のものをグループにわける。
E.地域名を隠した雨温図を与え、その特徴からどこの地域のものか考える。
F.雨温図とその地域の農産物の関係を考える。
・・・

ベテランの方であれば、もっといろいろな活動を考えつくと思います。
それぞれの活動を個人でおこなうかグループでおこなうか。また、活動ごとに発問や指示にはいくつものバリエーションがあります。
それぞれの活動は授業のねらいのどこかを達成することにつながるはずです。これらは互いに相反するものとは限りません。例えばAとB、DとEを組み合わせて授業をすることも可能です。工夫すれば、これらの活動のほとんどを組み合わせた授業も不可能ではないでしょう。
このように、いくつもの活動やそのバリエーションを考えることが「足し算」です。しかし、1時間の授業ということで考えれば、この中の2つを組み合わせることも現実には難しいでしょう。そこで、それぞれの活動につながるねらいの中で一番重要なものは何か、また、子どもたちの現状からどのような活動がふさわしいのかなどを考えることになります。ほとんどのものは引き算されて、1つか、せいぜい2つの活動に絞られます。これが「引き算」の発想です。

力をつければつけるほど、たくさんの「足し算」ができるようになります。それにともない、だんだん多くのことを授業に盛り込むようになっていきます。そこで、本当に必要なものは何かと考える「引き算」の発想が必要になってくるのです。まずしっかり「足し算」ができるようになる。そして、「足し算」から「引き算」の発想を身につけるようになってほしいと思います。

子どもの反応を予測する

教材研究で課題や発問を考えるとき、子どもの反応や発言を予測することが大切です。このとき、どうしても教師としてこうあってほしいという都合のよいものだけを予測しがちです。このイメージが強すぎると、子どもの反応を教師が無意識のうちに都合のよいものに解釈してしまいます。

「○○さんどう」
点を結んで・・・」
「いいこと言ったね。この2つの点を直線で結ぶと・・・」

子どもは「点を結んで」としか言っていないのに、「この2つの」「直線で」と、教師が自分に都合のいい言葉を付け加えています。

このようにならないために、まずどのような反応・発言が出てくるかできるだけたくさん考えておきます。理想的なもの、期待したいものと少し違うが近いもの、全くかけ離れたもの。子どもたちの顔を思い浮かべ、よく似た課題や発問のときの反応を思い出したりしながら予測します。次に、それぞれに対してどのように対応するかを考えます。

例えば、課題に対してすぐ動けないようであれば、一旦活動を止めて、再度課題の確認をする。途中で動きが止まるようならば、まわりと相談させる、ヒントを与えるなどの対応考えます。当然ヒントの内容も考えておく必要があります。

発言であれば、理想的なものに対しては、たとえよい発言であっても全員がすぐに理解できるとは限りませんから、「今言ったことわかる。だれかもう一度説明してくれる」「なるほどと思った人手を挙げて」と、全員にその考えを広げることを、期待に近いものに対しては、「・・・といってくれたけど、それってどういうこと」「・・・は、どこでわかるの」といった切り返しを、また、なかなか期待したところに近づかないときのためには、あらたな指示や発問をそれぞれ考えておきます。

また、こうすることで、予想と同じ反応や発言をするだろうかと、授業でより注意深く子どもを観察したり、発言を聞くようになります。実際には予想外の反応や発言に出会うこともありますが、これだけ準備をしているとかなり余裕を持って対応できるはずです。逆にいろいろ準備しても、ほとんど利用しないで終わってしまうこともあるでしょう。しかし、子どもの反応を考えることは無駄にはなりません。このような経験を積み重ねることが、子どもの実態をつかむことにつながり、子どもの実態に即した授業づくりにつながっていきます。子どもの反応や発言をできるだけたくさん予測することを心掛けてほしいと思います。

現職教育打合せ

昨日は、中学校で現職教育の打ち合わせをしてきました。

本年度より学校の努力目標として、言語活動の充実を加えた学校です。具体的にどのような話をすればよいのかを知るために、普段の授業の様子を廊下から見させていただきました。
子どもたちは、いろいろな意味で素直でした。教師の指示にはきちんと従います。しかし、教師が意識していないことはできません。また、受け身の時間が長いと集中力が切れます。楽しいとはしゃぎます。教師が子どもたちに望む姿が明確であれはあるほど、その姿に近づいていく子どもたちだと思いました。
言語活動について考えてみると、子どもたちが言語活動をしている姿をまず先生方がイメージできることが大切です。その上で、どうすればそのような姿を引き出せるかの具体的な方法論をもつことで実現できるようになります。

今回の現職教育は、「言語活動の充実」が天から降ってきたという発想ではなく、このことを意識すると普段の授業がもっと充実する、ちょっとした工夫で子どもたちは大きく変わる。そのようなことをできるだけ具体例をもとに話したいと思います。先生方に子どもたちのこんな姿が見てみたいと思っていただければ成功です。どんな反応をしてくださるかとても楽しみです。

学校訪問に参加

昨日は中学校の学校訪問に参加しました。

午後からの指定授業では教育長や管理主事と授業の感想や最近の学校の様子についてお話しをさせていただきました。お二人とも指定授業での子どもたちの様子をとてもほめてくださいました。1時間の授業に集中している子どもたちの姿、その柔らかい表情や笑顔が、この学校がよい方向に向かっていることを示してくれています。まだ、すべての授業でこのような姿が見られるというわけではありませんが、互いにこのような姿を見合うことで、目指す子どもの姿が共有されていくこと思います。

理科の指定授業は、1年生の実験観察の場面でした。
子どもたちの、話を聞く、考える、動くといった場面の切り替えがしっかりできる姿が印象的でした。どの場面でもとてもよく集中しています。授業者が、それぞれの場面で見たい子どもたちの姿をしっかりイメージして日ごろから授業に臨んでいることがよくわかります。授業後、授業者と話をしたときに、「今年は子どもたちが考察をきちんとできるようになってきた。実験を失敗したグループもその原因を考察することで、きちんと発表できるようになった」と子どもたちの成長に手ごたえを感じていました。残念ながら私はその場面を今回は見ることができませんでしたが、次の機会はぜひ意識して見せていただきたいと思いました。

国語の指定授業は、説明文の段落の構成を考える場面でした。
グループで考えた結果を発表したところからの参加でした。意見の異なるところをクローズアップして、それぞれの理由を発表させましたが、結論や正解を教師が急いで出すのではなく、じっくりと聴きあうことを大切にしていました。互いの意見が出た後、子どもたちはまわりとそのことに関してとても話したそうにいろいろとつぶやいていました。真剣に参加していることがとてもよくわかります。この時間では結論を出さずに次回に持ち越しましたが、授業後子どもたちに「正解を教えてと」迫られて大変だったそうです。
授業者は「正解」という言葉を意図して使わないようにしているのですが、「ヒントは・・・」といった言葉を使ったりしていることもあり、子どもたちは絶対的を正解は教師が持っていると考えています。そこで、自分たちで結論をだすのではなく、教師に聞こうとしているようです。

また、この後の授業検討のグループ討議も素晴らしいものでした。子どもたちのグループでの話し合いの様子から、根拠を共有して考えることより、できる子の答えをもとに正解を見つけようとしていると指摘したグループがたくさんありました。先生方が子どもたちの事実をしっかりとらえる力をつけている証拠です。このような授業検討を積み重ねたことが着実に先生方の力になってきているようです。

この学校では、特定の理論やメソッドをもとに学校全体で一斉に取り組むというアプローチをとっていません。方向性を共有して、互いの実践を通じて学び合っていくという地味なやり方に終始しています。そのためか、研究を始めた1年目はなかなか大きな変化を見ることができませんでした。しかし、2年目の今年はそれぞれの実践が次第に形になって広がり始めています。素晴らしい子どもの姿を共有していくことで大きく学校が進化するのではないかと期待しています。

青少年健全育成会議に参加

先週末に、青少年健全育成会議に参加させていただきました。この会議は地域の議員や区長、補導員、民生員、PTAの役員等からなる子どもたちの健全育成を願う方たちの会議です。この中学校区では、子どもと地域の方が触れ合うような機会を、会議の一環として積極的に作っています。

今年は子どもたちのグループに地域の方が一人ずつ入って、質問に答えるというものでした。日ごろ授業を通じて子どもを見ることは多いのですが、直接話をすることはめったにありません。子どもたちの様子を、コミュニケーションを通して別の角度から知ることができました。中学1年生の2つのグループと交流を持ちましたが、子ども同士がしっかりとコミュニケーションを取れることに感心しました。ちょっと距離を置いているのかなと感じる友だちに、声をかけて輪に引き入れたり、積極的に話をつなごうとする姿勢が見られました。とても素敵な笑顔をたくさん見ることができました。
この時期にこういった姿を見ることができるのは、小学校でしっかり鍛えられていたからでしょう。そして、それが維持できているということは、中学校でもそれを受けて、かかわり合いを大切にしているということです。この市では、市全体で子ども同士のかかわり合いを大切にしています。そのよさが子どもたちの姿に表れています。

このほかにも、「困っている人がいたらあなたは何ができる?」というテーマで、地域の方に次々話をしていただき、それを受けて子どもが答えるという、みんなでの話し合いもありました。

毎年、地域の方と子どもたちの関係をつくるプログラムを工夫しています。こういう機会を通じて、子どもたちは自分たちが多くの大人たちに見守られていることを強く実感できると思います。また、地域の方々も特別な子どもではなく、ごくごく普通の子どもたちの様子を知ることができ、今まで以上に子どもたちを温かく見守ってくれることと思います。

とても楽しい時間を過ごすことができました。来年はどのようなプログラムを工夫してくれるのか、今からとても楽しみです。

一般の方への講演

昨日は一般の方を対象にした講演をおこないました。不登校の現状と家庭での子どもの居場所づくりについての話です。

通常このような内容の講演では、子育て中かお孫さんをお持ちの女性ばかりのことが多いのですが、子育てを終えたであろう男性の方が何名か参加されていました。男性にもこういった話題に関心を持っていただけるようになってきたことはとてもよいことだと思います。どなたも大変熱心に聞いていただけ、講師としてはとても気持ちよくすすめをさせていただけました。

参加者の質問から、いろいろな方の体験を知りたいと思われていることがうかがえました。今は情報社会ですので、子育てに関する情報も手に入れやすくなっています。そういった情報を欲することもよくわかります。しかし、子育てに関してはあまり体験談を参考にしすぎないようにお願いしました。子どもは一人ひとり違います。兄弟姉妹でも個性は大きく異なります。目の前にいる子どもを自分の目でしっかりと見て、その気持ちを真剣に受け止めることが一番だと思います。

終了後、数名の方から個別に質問をいただきました。私が軽々しく答えることができない問題もありました。なかなか相談する相手もいないのかもしれません。話を聞かせていただくことで、少しでも相談者の気持ちが楽になればと思います。ともすると、子育ては親を孤独にしてしまうことがあります。そういう方の受け皿となる人や機関がもっと増えることが必要だと感じました。
楽しい講演でしたが、いろいろと考える機会をいただいた場でもありました。

教科書を読みこむ

教材研究では教科書が基本とよく言われます。教科書を読みこむという言葉もよく聞かれます。教科の特性によっても違いますが、教科書には子どもが学ぶべきことが非常にコンパクトにまとめられています。教師であれば1時間の授業範囲などあっという間に読んで理解できるはずです。では、読み込むとは具体的にどのようにすることなのでしょうか。何度も読めばよいのでしょうか。

教科書に書かれていることは、まとめや結論だけではありません。課題や途中の考え、時には誤った考えも例として書かれています。限られた中で書かれていることです。無駄なものはありません。なぜこの一文があるのか、なぜこの資料があるのか、なぜこの作品が扱われているのかを考えることが読み込むことです。この課題に取り組むことが子どもの理解に必要である。途中で整理することが混乱を避ける。多くの子どもがこのように考えるはずだ。教科書はこう教えてくれているのです。授業の組み立てを考えるときに、このことは大きなヒントになります。このことを意識することで、どこに重点を置けばよいのか、何が子どもの中で明確になっていなければいけないのかわかるのです。
算数や数学では「問」の数値や配列にも注意をします。これらにも意味があるのです。何が理解できていて、どこでつまずいているのかがわかるように意図しています。
国語のように一つの教材が何ページにもまだがっている物は、教科書をコピーしておきます。並べて全体を一度に眺められるようにするためです。糊でつなげて巻物にする方もいます。こうすることで、表現の対比や文章の構成が見やすくなります。関連するものを横に並べて比べたり、線で結んだりすることで教材の理解が深まります。

教科書づくりには驚くほどの時間がかけられています。一行一行にいろいろな意図が込められています。その意図を探り、解き明かすことが教科書を読み込むことだと思います。

ICTを活用した授業

昨日は、中学校の英語の授業研究に参加しました。

iPod touchを使って、教室のディスプレイに教材を提示したり、音声を流す試みをしていました。子どもたちの集中力も高く、真剣に授業に参加しています。
1時間の授業がテンポよく進んでいきましたが、ICTの活用がテンポアップにうまく貢献していました。場面を変えるときにICTを活用することですぐに集中させることができることがよくわかりました。

ICTを活用することで、この場面の本質は何かということを考えるきっかけがもらえます。
例えば、ディスプレイに表示するのか、板書するのか、プリントで配るのかを考えることは、結局その場面で子どもたちにどうあってほしいかを考えることになります。
同様に音声だけでよいのか、その際教科書を見させるのか、それともディスプレイに本文も一緒に表示するのかを考えることは、この場面は聞かせるのか、読ませるのか、子どもの意識をどこに向けさせたいのかを明確にすることにつながります。

参加した先生方にとっても、今回の授業がいろいろな意味で授業を見直すきっかけになったことと思います。私にとってもよい勉強の機会になりました。

中堅のチャレンジをベテランが受け止める

昨日は中学校の授業研究に参加しました。

前回訪問時に2年生の様子が少し気になっていたのですが、朝礼や授業の様子を見る限り落ち着いてきたように感じました。大型連休明けから、学年として子どもたちへの指導を意識しておこなってきたようです。学級差を、学年の先生方が互いにカバーし合っているように感じました。チームとして機能しているようです。
また、廊下ですれ違う子どもたちから挨拶されることが増えました。特に印象に残ったことが、挨拶する子どもたちの表情がとても明るくにこやかなことでした。単に先生の指導が行き届いているということではなく、先生と子どもの人間関係がよい証拠です。学校がよい方向に向かっているのを実感できました。

授業研究は特別支援の国語と理科の実験の2つでした。
特別支援の授業は、子どもたちに自信を持たせたいという授業者の思いを強く感じるものでした。子どもたちにできる実感を与える課題と挑戦する課題を意識的に組み合わせていました。通常学級の授業と共通の要素を組み込むことで、特別支援にかかわっていない先生方にも参考になるように意図されていました。
印象に残ったのは、今は「見る」ときなのか、「聞く」ときなのかといった指示を書いたプレートを黒板に張ることで明確にしていたことでした。多くの授業で、板書を写すときなのか、板書を見るときなのか、教師の話を聞くときなのか不明確なまま進んでいる場面を目にします。特別支援だからでなく、子どもに求める姿を明確にすることはとても大切であるとあらため思いました。

理科の授業は、子どもたちがグループごとに実験計画を立て、実験をし、実験終了後別の場所で考察をするという一連の流れの、実験と考察の場面でした。授業者は検討会の冒頭で、「以前の学校では教師主導の説明型授業だったが、この学校ではグループを使って子どもが主体となって考える授業に挑戦している。グループの活用についてもわからないことがたくさんあるので、授業の様子から多くの意見をもらって勉強したい」と参加者に授業への思いを伝えていました。
グループで一つの実験をすると、一部の子がしきって他の子は傍観者になったしまうことがよくあります。実際にいくつかのグループではそうなっていました。授業者は発想を変えて、そういうグループに対しては考察後、傍観者だった子どもだけで再度確認のために実験をする時間を確保する計画を立てていました。とてもおもしろいチャレンジだと思いました。
ベテランの先生が、「失敗してもいい。子どもが自分たちで考えて活動している姿に本当の学びがあるのだと思った。自分もこういった授業に挑戦したい」と全体の場で語られました。子ども引き付ける授業をする先生です。困ったりはしていないはずです。その先生がこのような発言をされたことをとてもうれしく思いました。

授業で見せた子どもの姿がベテランを動かしました。中堅のチャレンジに込めた思いをしっかり受け止めるベテラン。学校の中でこのような化学反応が起こり始めたことは、この学校の研究が大きく進む兆しだと思います。次回の授業研究では、それに先だって模擬授業を有志の参加でおこなうようです。授業について教師がかかわり合う場面が増えてきています。学校がよい方向へ変化していく場面に立ち会える喜びを感じさせていただきました。

ベテランが見せてくれたこと

先週末に、中学校の学校公開を見学しました。1時間の公開でした。日ごろは若手中心に授業を見ていますが、この日は若手だけでなくベテランも含めた、多くの先生方の授業を見ることができました。

まず、多くの若手が成長していることが実感できました。経験年数からみれば立派なものです。しかし、ここで満足してしまっては成長が止まってしまいます。さらなる高い目標を持って努力をし続けなければ、絶対的によい授業にはなっていきません。彼らの多くがその分岐点に差し掛かっているように感じました。

その意味で感心したのがベテランの授業でした。今まで若手の成長に目を奪われていたのですが、久しぶりに授業を見て、多くの方の幅が広がっていることに驚きました。もともと上手な先生が多かったのですが、今までの自分のスタイルに、この学校で取り組んできた、子どもを受容する、子ども同士のつながりを大切にするといった要素をうまく取りこんで、明らかにレベルアップしていました。新しいことに取り組まなくても問題なく授業を進めることができる方たちです。私も特に彼らにアドバイスすることもしませんでしたし、彼らも授業を変える必然性を感じていなかったと思います。それでも、このように変化しているということは、若手の成長に刺激を受けたからなのでしょうか。

若手が成長し、それに応ずるようにベテランが進化していく。若手に対してまだまだ先があるとベテランが目標を示してくれているようでした。互いによい刺激を与えあうことで、学校としての進化はまだまだ進んでいくと感じました。

学級経営について講演

昨日は中学校で学級経営についての講演をさせていただきました。この中学校の先生方全員にお話しするのは数年ぶりです。以前と比べて若い先生がずいぶん増えています。学校が若返っていることをあらためて実感しました。

今回は学級経営の基本ということで、子どもとの関係づくりを中心にお話をしました。基本的な話にもかかわらず、若い先生だけでなく、ベテランの先生方にも熱心に聞いていただけました。この機会に自分の学級経営を整理しようとする姿勢を感じました。学校の中に外部からも学ぼうという雰囲気が育ってきています。質疑応答では、若い先生方から具体的な質問をいくつか受けることができました。子どもへの連絡事項の伝え方、座席決めをどうするか、男女のグループ間の関係改善など、質問の内容から、前向きに、一生懸命学級経営に取り組んでいる姿が想像できます。これが正解というものはありませんので、一つの例として私の考えをお話しさせていただきました。時間があればこの学校のベテランの先生のお答えを聞きたかったところです。

終了後、校長先生お話をする時間をいただけましたが、先生同士での学び合いと外部からの指導をバランスよく組み合わせることを大切にしておられました。学校としていかにして先生を育てるかを真剣に考えて、具体的なプランを作っています。若い先生が多いということは、その育成にエネルギーが必要となりますが、しっかり育てば大きな戦力増強になるということです。また、ベテランも刺激を受けるはずです。今回の若い先生の質問に答えてあげようという先生もたくさんいると思います。これをきっかけに、職員室で学級経営や授業のことが今まで以上に話題となってくれるのではと期待しています。この学校のように、若い先生の増加を学校活性化のチャンスととらえ、今一度、学校全体で基本から学びなおそうとすることはとても大切だと思いました。次に訪問するときがとても楽しみです。

教材研究は何をする

教材研究は何をすればよいのですかと聞かれることがあります。「どのように」するのではなく、「何を」するかです。言いかえれば教材研究の目的・目標、授業は何をするものかが明確になっていないということです。漫然と教科書や指導書を読んで、指示すること、説明することを決めているのかもしれません。いろいろな考えがあると思いますが、私は次のようなことを考えることが教材研究の基本だと思っています。

・1時間の授業、単元を通じて子どもが身につけるべき力は何か
・その力をつけるために子どもにどのような活動が必要か
・その活動をするためにはどのような力が前提となるか
・その活動をさせるための発問、指示は何か
・その活動のために必要な資料や道具は何か
・子どもがどのようなつまずきをするか
・子どもを支援するためにどのような方法があるか
・子どもがその力を身につけたかどのようにして確認するか

大切なのは、子どもの活動を起点に考えることです。見たい子どもの姿を具体的にえがいて、その姿を引き出すためにどのように教師が働きかけるかを考えることが大切なのです。教材をどう教えるかではなく、子どもたちがどう理解し身につけるかという視点です。子どもの姿を意識して作られた授業は、実際の子どもの姿とのズレを敏感にとらえることができます。その結果子どもの実態に合わせて修正することも容易です。教師の視点で、いつどんな指示を出し、どんな説明をするのかだけ考えても、そこには子どもの姿が意識されていないため、子どもの実態に応じた対応ができません。子どもを見ずに教師が勝手に進める授業につながっていきます。

教材研究は教材に出会って子どもたちがどのように考え理解して、変容していくのかを過程を考えることでもあります。子どもの目線で教材をとらえ、どのような子どもの姿を生み出していくのかを考えてほしいと思います。

他学年の教科書を見る

自腹を切っても全学年の教科書を買えとよく言われます。今指導している内容が他の学年ではどのように扱われているかを知ることがとても大切だからです。

学校では、同じ領域の内容を何度も分けて学習します。これから学習する内容と関係する他の学年の教科書を横に並べてじっくり読み比べることで、共通していること、違っていること、新しく教えることが明確になります。共通のことは、基本となるものですから、復習・練習などを通じて確実に定着させる。違っていることはその違いを明確にして混乱させないようにする。新しく教えることはなぜそのような考えが必要になるのか、次の学年とどのようにつながるかを意識して押さえるべきポイントを明確にする。こういったことを意識します。また、校種が違うと互いの教科書は意識しないと見ることができません。小学校6年や中学校1年であれば、互いの教科書も確認しておくことが大切です。

算数・数学の関数領域の例です。
小学校でも中学校でも表を利用しています。変化の様子を見るのに表はとても便利な道具で、ずっと使い続けるものであることがよくわかります。したがって、表から何がわかるか、どんなよさがあるかしっかりと子どもたちが理解している必要があります。そのためにどんな活動をすればよいか考えることが教材研究です。
また、小学校の表と中学校での表を比べると違いに気づくはずです。小学校では値ごとに区切りの縦線が引かれますが、中学校では縦線がありません。この違いの意味がわからなければ、押さえるべきポイントがわからなくなってしまいます。小学校で扱うものは、離散量(自然数など)なので1の次は2と必ず隣の数がはっきりします。中学校では連続量(実数など)なので隣の数を明確に決めることができません。それが理由で縦線を引いていないのです。ですから、表に値を入れるとき「1の次に何が入る」といった発問が大切になります。小学校では、「2」となるところが、中学校では、「本当に2?」と聞き返すことで、連続性を意識させ、グラフの点がつながることにつなげていくわけです。

他学年の教科書を比較しながら読み込んでいくことで、子どもたちはどのようなことを積み重ねているのか、それはこの先どのように発展していくのかが理解できます。自ずと授業でのポイントが明確になっていきます。すべての教科書を購入するのが難しくても、必要なところを都度コピーすることはできるはずです。いろいろな資料を探すよりまずは身近な教科書をうまく活用してほしいと思います。

発問や指示を具体性のレベルで整理する

教材研究では、発問や指示とそれに続く子どもたちの活動を考えることが大切な要素です。ここで、意識してほしいことは、個々の教材で考える前に、期待する子どもたちの活動を引き出すための基本となる発問や指示を具体性のレベルに分けて整理しておくことです。
例えば「・・・を考えよう」という発問は教師にとっては期待する活動が明確でも、子どもにとっては抽象的で何をすればよいかわかりにくいことがよくあります。抽象度が高いのです。

例えば、社会科などでよくつかわれる、資料から「わかること、気づくこと」という発問を考えてみましょう。ただ漠然と資料を見ていてもなかなか気づくことはできません。何か基準となるものがあって、それと比較することで初めていろいろなことに気がつきます。したがって、基準の対象を明確にすることで、発問を具体的にできます。「『・・・と比べて、』わかること、気づくこと」とすればよいのです。「・・・と比べて、『同じもの、違うもの』は何」とすれば比較の視点をより具体的にできます。また、変則として、期待する活動をしなければゴールにたどり着かない発問というのもあります。この例であれば、「どちらが・・・だろう」と聞くことで比較を促し、その根拠を問うことで、「わかること、気づくこと」を引き出すのです。

「考えよう」→「特徴は・・・」→「いいところ、悪いところは・・・」
「・・・について調べよう」→「何を使って調べるといい」→「・・・を使って・・・」
「問題を解こう」→「気づくことは何」→「似た問題はないかな」→「前にやったこの問題の解き方覚えている」→「・・・を使って解いてみよう」
「観察しよう」→「何に注目する」、「何と比べる」→「・・・に注目して」、「・・・と比較して」
・・・

具体的あればいいのではありません。抽象的で多様な考えを引き出す発問はある意味理想です。しかし、そこに至るまでには、基本となる活動をたくさん経験しなければなりません。子どもの状態や教材によって使い分けるのです。
また、教材ごとにどのレベルの発問や指示を使うか考えることは、子どもに期待する活動を明確にすることでもあります。日ごろよく使う発問や指示を、期待する活動ごとに具体性のレベルで整理しておくことで、教材研究の幅が広がります。

前提となる力を考える

教材研究をおこなう時に意識してほしいことの一つに、前提となる力を考えることがあります。

例えば、小数の学習であれば整数の計算ができる。数直線の意味がわかっている。・・・
必要となる知識や技能、考え方などの力が身についていなければ、いくら子どもたちがその時間に積極的に学習に取り組んでもつまずいてしまいます。
そうならないためには、1時間の授業を進めるにあたって必要な最低限の力を考え、子どもたちに定着しているか確認し、状況に応じて対応する必要があります。
授業の最初に復習の形で確認する。事前に簡単なテストをする。・・・
確認するだけで、思い出すこともよくあります。その上で、不十分だと判断した場合にどうするかを考えておかなければなりません。
一部の子どもであれば、授業とは別の形でフォローする。全体であれば、時間をとってまとめて復習をする。進め方を工夫して、ポイントポイントで少しずつ復習の場面をつくる。・・・

教材研究をするときは、どうしても新たに学習する事項に目がいきがちです。しかし、前提となっている力が身についていないといくら工夫した授業をしてもなかなか身につきません。前提となる力をちょっと確認する、復習することで、子どもたちはスムーズに新しい学習内容に向かうことができます。前提となる力は教材の表面をなぞっても見えてきません。意識して読み取ろうとしてほしいと思います。

基本のスタイルを持つ

若い先生には、教材研究を進めるにあたって、まず基本となる授業の進め方のスタイルを持つことをお話しします。
この基本のスタイルについては大きく2つあります。

一つは教科としての1時間の授業の大まかな流れです。
算数であれば、
授業の初めに、計算練習をする。前時の復習をおこなう。本時の課題を知る。全体で課題を把握する。個別に(グループで)課題に取り組む。意見を交換する。課題を解決する。問題演習をする。・・・
といったものです。
もちろん必ず毎時間同じである必要はありませんが、こうした基本の流れを持っていると、教材に対して何を考えるかの視点はっきりします。

もう一つは、教材の領域、種類ごとの基本のスタイルです。
国語の説明文であれば、
筆者の考え、その根拠、具体例等を抜き出す。その関係を図に示して整理する。全体を要約する。・・・
といったものです。
その上で、その具体的なやり方を整理しておきます。具体的なものを持っていなければ、絵に描いた餅になってしまうからです。

例えば、抜き出すやり方であれば、

まず考えだけに線を引き、次にその根拠を探す。
文を読みながら、一文ずつ何に該当するか色分けして線を引く。
ワークシートにそれぞれを抜き書きする。
・・・

といったいくつかのやり方と、子どもに要求される力、よさなどのそれぞれの特徴を明確にしておくのです。やり方の特徴と、個々の教材の難易度、子どもたちの力とのバランスを考えることで、教材をどう扱えばよいか見えてきます。

教科ごとの流れ。算数・数学の図形、理科の実験、社会科の調べ学習、英語の会話、体育の鉄棒・・・、といった領域ごとのながれ。それぞれの基本のスタイルを持つことは、教師の教材研究を効率的にしてくれます。また、子どもにとっても何をどのように取り組めばよいかがわかりやすく、安心して課題に取り組むことができるというメリットがあります。

とはいえ、経験の浅い先生方にとって、いきなり多くの領域のスタイルを持つことは大変厳しいと思います。日々の教材研究で、目先の教材にとらわれるのではなく、この領域の基本のスタイルは何かを意識することで、一つずつ増やしてほしいと思います。この積み重ねが数年後には大きな力となるのです。
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