教師の人間関係をよくする

教師の人間関係がよい、悪いという言葉を聞くことがよくあります。授業研究を通じて互いに学び合おうとするときに問題となることが多いようです。人間関係が悪いので、活発な議論にならない、学び合おうとしない。こういう形で耳にします。人間関係が悪いのでこの学校はよくならない、指導はしたくないとおっしゃるアドバイザーもいらっしゃいます。私も、先生方が互いに学び合うためには、人間関係が大きな要素であることは否定しません。そこに問題があるのなら、何とかしたいとも思います。私なりに先生方の人間関係をよくするために気をつけていることをまとめてみます。

人間関係が問題点として語られる学校にはいくつかの特徴があるように思います。

学級経営や授業がうまくいかないときに、担任の問題として指摘する。
特定の人同士、小グループでは話をするが、全体としてはあまり会話しない。
授業を見られることに抵抗感が強い。
授業検討会などで、あまり意見が出ない。
一部のベテランが意見を言うと、他の先生の意見が出にくくなる。

人間関係が悪いからこうなるのか、こういう傾向があるから人間関係が悪くなるかはわかりませんが、ここにヒントがあるような気がします。

・困っている先生を助ける雰囲気をつくる
たしかにこの先生のやり方ではうまくいかないと思うことがあります。しかし、多くの場合本人も気づいて苦しんでいます。あまり責めても追い詰めるだけです。もちろん個別にアドバイスも必要ですが、まわりの方に助けてもらえるようにします。同じ学年の先生や、その学級とかかわる先生方に「大変でしょうが、先生ならできると思うので」と子どもへの指導を通じて助けてくれるように頼みます。助けてもらった先生がまわりの助けに気づくのを待って、「みんなが助けてくれてよかったですね」とコメントし、「ありがとう」を伝えるようにアドバイスします。もちろん私も助けてくれた先生方に、「感謝されていましたよ。ありがとうございました」と個別に伝えます。
また。研究授業の担当になったときなどは、有志による模擬授業や検討会への参加をまわりの先生にお願いします。事前のアドバイスを受けて授業がよくなると、かかわった先生がその先生の進歩認めるとともに自己有用感を持ちます。
助けあうことで自己有用感を持ち、互いにかかわることに前向きになっていきます。

・ネガティブな言葉を封印する
授業検討会などでは、よかったこと、参考になったことを中心に話すルールにすることで、話し合いの雰囲気がよくなります。批判的なことばかり言われると他者とかかわるのが嫌になります。逆にほめられると相手に対してポジティブな気持ちになります。授業を見られるとほめられるということが常態化すると、見られることへの抵抗感も薄れます。

・小グループで活動をさせる
検討会では、ベテランと若手を組み合わせるなどふだんあまり交流がない先生同士を小グループにして話し合わせることで、きっかけをつくります。ポジティブなことを中心に話し合うようにすることで、楽しいものになります。また、授業アドバイスを小グループでおこなうことも有効です。よい意見を大いにほめたうえで、感想を他の先生に聞くことで仲間からもほめられるようにします。自分がこの先生方に認められた感じることでよい関係になっていきます。

・意図的につなげる
ベテランや力のある先生のよいところを大いにほめ、「他の先生に教えてもらうように伝えますので、そのときはよろしくお願いします」と伝えます。若手に対しては、「○○先生はとても上手だから教えてもらったら。頼んでおいたからだいじょうぶだよ」と声をかけます。力のない先生に批判的な方でも自分に教えを乞う人に対しては寛容になります。助けてあげようという気持ちになっていきます。

これをやれば人間関係が必ずよくなるというわけではありません。しかし、昔のようにノミ(飲み)ニケーションに頼るわけにもいきませんし、ほっておいても人間関係はよくなりません。管理職やリーダーの方が、教師の人間関係をよくするために必要なことを意識してほしいと思います。

対策を考えるアプローチ

授業がうまくいかないときは何らかの対策を立てることになります。子どもたちが積極的に発言しない。子どもたちが人の意見を聞かない。「発言して」「意見を聞こう」と言っても、そう簡単には変わりません。どのようにして考えればいいのでしょうか。

対策を考えるために、まずその原因を考えることが大切です。
子どもが積極的に発言しないのであれば、子どもたちに自信がないから、人の意見を聞かないのであれば、子どもにとって聞くことに価値がないから。このような原因を考えてみるのです。想像した原因が正しいかどうかはわかりませんが、とにかく考えてみなければ先に進みません。

次に、どうすればよいのか具体的に考えていくわけです。
考え方の一つは、どう原因を取り除くかです。自信がないのが理由であれば、自信を持たせるという発想です。わかった、自分の答えは正しいと思えるように、わかりやすく授業をしよう。まわりと確認する時間をとって確認させよう。机間指導で○をつけて安心して発言できるようにしよう。聞くことに価値がないのなら、聞くことを価値づけしよう。聞いていたことをほめよう。すぐに教師が解説せずに、子どもの意見に対してどう考えるか他の子にたずねてみよう。こういうことです。
また、原因を無効化する、結果を変えるという発想もあります。自信がないから積極的に発言できないのであれば、自信がなくても積極的に発言できるようにしようと考えるわけです。「自信がなければ積極的に発言できない」理由を考えると言ってもよいかもしれません。間違えるのが嫌だ、馬鹿にされたくないから積極的に発言しないと考えるのであれば、間違えても嫌な思いをさせないようにしよう。正解、不正解とすぐに判断しないようにしよう。馬鹿にしない雰囲気をつくろう。わかった人ではなく、困っている人と聞こう。こういうことです。
ここで対策を考えるときに、授業技術そのものを知らないとその選択肢が非常に狭くなってしまいます。日ごろから他の教師の授業を見たりして、授業技術を学んでおくことが必要になります。そして、一つひとつの技術が何を意図している、何を解決するものであるかがわかっていないとうまく活用することができません。日ごろから授業技術を意識しておくことが大切です。

また、対策を取ったからといって必ずうまくいとはかぎりません。うまくいかなければ、他の対策を考える。他の原因を考えてみる。思いつかなければ、まわりと相談するといったことが必要です。打つ手がなくなってあきらめてしまうと、いつの間にか、うまくいかないのは子どもが悪い、子どものせいだと考えるようになってしまいます。こうなってしまうと、授業改善をする意欲そのものがなくなってしまいます。あきらめずに、原因を考え、原因を取り除く、原因を無効化する、結果を変えるといった発想で切り抜けていってほしいと思います。

学校の役割を考える

学校教育の目的は何だろうと考え直すことがあります。
子どもたちが学校で勉強するのは何のため、誰のためなのか。先生方はこのことを明確に意識しているのでしょうか。少なくとも義務教育である小中学校では、「本人のため」だけではないことを明確にしてほしい気がします。どうも「社会のため」という視点が子どもたちからも先生からも抜け落ちているように思います。先生方はよりよい社会の担い手になるということはどういうことなのか、子どもたちに伝えているのでしょうか。

「この問題は試験(入試)に出るから覚えておきなさい」といった言葉が学習の動機づけに使われる場面に出会うことがありますが、何か違う気がします。確かに個人の自己実現の手段という側面が教育にあることは否定しません、しかしそれだけではないはずです。自分たちが学ぶことはよりよい社会の実現のためであるという意識と実感を持たせてほしいのです。

子どもたちにこのことを伝えるのは簡単だとは思いません。口で言えば伝わるわけではないでしょう。学校、教室という小さな社会で他者とかかわり合いながら学ぶことで少しずつわかってくることだと思います。そのためには、自分の存在が他者にとって価値あるものだと実感する場面を意図的につくることが大切だと思います。学習場面では、自分がわかればいいのではなく、友だちがわかるためにどうかかわるか、自分の意見や考えがどうまわりに認められるか。特別活動では、それぞれが役目を果たすことで何ができるのかといったことを子どもたちが意識するようにしてほしいのです。

学校は塾とは違います。子どもたちに自分たちがこれからの社会を担うのだ。そのために学んでいるのだということをしっかり伝え、一人ひとりに自己有用感を持って学校生活を送らせることで、よりよき社会の担い手に育てることも学校の大切な役割なのです。
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