課題解決の手段を考える
子どもたちに与える課題を考えるときに、意識してほしいのはその課題解決の手段です。いきなり課題を与えて解決できる子どもはそれほど多くはありません。その課題を解決するにはどのようなアプローチがあるか考え、それぞれの手段を具体的にするのです。
個人ではなかなか解決できない課題であれば、友だちと相談するというアプローチがあります。「グループで考えて」「まわりと相談してもいいよ」とその手段を子どもたち与えます。 過去に取り組んだ課題の考え方や知識を利用するというアプローチであれば、基本的に子どもたちはその手段を持っています。子どもが自分で気づくのを待つというやり方もできますし、教師が働きかけることで手段として意識させる方法もあります。「似たような問題を解いたことない」「これに関してどんなことを勉強したかな」と思いださせたり、課題提示前に復習したりすることで、手段として意識させることができます。 根拠となる資料や情報をもとに考えるというアプローチであれば、その情報にアクセスできる手段を与える必要があります。資料集や辞書、インターネットなどをがいつでも使える状況であるのなら、利用するかどうかを子どもたちに任せておいたり、「資料集を見ている子がいるね」と気づかない子に手段を意識させたりすればいいでしょう。そうでないのなら、準備をしなければなりません。この場合、教師がわざわざ用意しているので、特に言わなくてもこれが課題解決の手段になることがわかります。 これらのアプローチや手段はどれか一つだけである必要はありません。互いに組み合わせることも可能です。一つに絞るのか、自由に取り組ませるのか。教師が与えるのか、子どもに気づかせるのかといったことも考えておく必要があります。「どうやったら解決できそう」「何か使いたいものはある?」と最初に問いかけてプローチや手段を意識させたり、途中で「何を使って考えた?」と聞くことで手段を共有化させたりする方法もあります。 子どもたちは課題解決の手段を持っていなければ、すぐに行き詰ってしまいます。あらかじめどのようなアプローチや手段があるかを明確にして授業にのぞむことで、子どもが行き詰った時の対応の幅が広がります。課題を考えるときは必ずその課題解決のための手段を意識するようにしてほしいと思います。 大切にしているものが伝わる学校とは
どの学校も目標を持って日々の教育活動がおこなわれているはずです。ところが、何を大切にしているのかすぐに伝わってくる学校とそうでない学校があります。どの教室でも同じような場面が見られたり、同じものが掲示されたりしていて、ああこの学校はこんなことを大切にしているとよくわかる学校もあれば、一人ひとりの教師が何を大切にしているかはよく伝わるが、全体として何を大切にしているのかよくわからない学校もあります。学校として大切にしているものが伝わる学校は、組織として力をつけているということです。どの教室でも最低限のことが保障されているといってもいいでしょう。この違いはどこから来るのでしょうか。
大きな要素として、学校の目指す目標の具体的な姿とその実現のための手段が共有化されているかどうかということがあげられます。目指す姿や手段を明確にするアプローチは大きく2つあります。 先行事例がある場合は、そこから学ぶという方法があります。先進校を訪問して教えてもらう。実践者を講師として招く。ここから出発します。 先行事例が身近にない場合は自分たちで探ることになります。部会を設けたりしながら、自分たちで仮説を立てることから始めます。 ここまではどの学校でも大差ないと思います。差がつくのは、その学んだ手段や仮設が学校全体に共有化され広がるための仕組みが作られているかどうかです。 ただ話を聞いたり、こうしようと呼びかけるだけでは先生方はなかなか納得して動くことができません。自分たちの学校でその具体的な姿を見ることができて、初めてやってみようという気持ちになります。とはいえ、いきなり結果が出るわけではありません。まず実行することから始めるしかありません。このとき大切になるのは、一人ひとりが納得しているかどうかは別にして、全員で取り組むと決めることです。温度差があってもこう決めることで、共通の土壌で話ができるのです。そして、その結果がどうであったか互いに見合うことを日常化するのです。 自分はうまくいった、うまくいかなかったという報告はどうしても客観性を欠きます。同じ手段を取っているつもりでも、個人差はどうしてもあります。互いに見合うことで、具体的な手段が共有化できるようになります。また、目指す姿の一部でも見ることができるようになれば、それがその学校での具体化になります。具体的なイメージがつかめなかった先生も「ああ、こういうことか」と納得でき、目指すものが実感できることで意欲につながります。実現できた場面をしっかり分析することで、その方法もより具体的になります。うまくいかなければ、個人の問題とせずに、どうすればよいか、全員の課題として考えます。できたことを共通の手段とする、できなかったことを共通の課題とする。こうなることで、共有化が進むのです。 互いの実践の中に目指す姿を見つけようとする、うまくいかないことを個人ではなく全体の課題にする、この雰囲気がとても大切なのですが、実はそんなに簡単に生まれるものではありません。管理職をはじめとするリーダーが意図的に働きかけることが必要です。日ごろから積極的によい場面を見つけ全体に知らせる。課題を見つければ、見つかったことをポジティブに評価する。うまくいっている学校では必ずこういう動きをみることができます。 何を大切にしているのかが訪問してすぐ伝わるような学校は、学校の目指す姿との実現のために組織的に動けている学校です。このような学校になるかどうかは、やはり管理職の力が大きいのです。 若手教師が育つ環境を考える
この1年もたくさんの先生方といろいろな場面でかかわらせていただきました。いつも感じるのは、年齢問わず、教師の授業力には急激に伸びるときがあるということです。特に、若手はちょっとしたきっかけでみるみる成長します。成長する若手は素直であるなど本人に共通することがいくつかありますが、職場の環境にも共通点があるように思います。
1つは授業が大切であることが学校として明確にされていることです。 そんなこと当り前だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。中学校では部活動や生徒の指導が強調され、授業については子どもたちの授業態度という観点でしか語られないことがよくあります。授業研究が年に数回しかなく、日常的に授業がどうであるか語られない学校もよく見ます。こういう環境では、なかなか授業を改善していこうという気持ちにはなりません。当然目指す授業像や授業をみる視点が明確になっていないので、授業研究そのものも形式的で実効性のないものになりがちです。授業が大切であることを否定する学校はありません。そのことが学校として具体的な形となっていることが大切なのです。 互いに授業を見合う。個々の授業のよさを伝え合う。共通の目指す授業像をもとに、授業について日常的に語られる学校であることが、授業を大切にしようとする意識を持たせます。そのことが授業を改善する意欲につながり、結果として授業力がアップするのです。 もう1つは授業について相談できる相手や仲間が身近にいることです。 意欲があっても、教材研究のポイントや自分の授業に欠けている要素に気づくことは一人ではなかなか難しいものがあります。また、授業の欠点を指摘されても具体的な改善方法がわからなければ、どうしていいかわからず追い詰められるばかりです。どうすればいいのかを相談できる相手がいないと、成長どころかかえって落ち込んでしまいます。 授業に対して具体的にアドバイスしてくれる管理職や、教材研究などの相談ができる同僚がいることが、授業改善の意欲を授業力アップにつなげてくれるのです。 授業力に限らず、教師の力量がアップするためには学校の環境が大きく影響します。相談できずに悩んでいる、孤独な教師の数も増えているように思えます。どのような学校に赴任するかが、その後の教師人生に大きく影響します。若手教師に限らず、教員集団が育つ環境をどうつくっていくかは、管理職の大きな課題です。教員が育つための働きかけや仕掛けを工夫してほしいと思います。 提案授業を通じて多くのドラマがあった
「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」での国語の提案授業の撮影に出かけました。提案授業の撮影もこれが最後です。野口芳宏先生の授業にどこまで迫れるか、楽しみに出かけました。
小学校6年生、「うとてとこと」を題材にした詩の朗読の授業です。指導案を見るとずいぶんすっきりしていました。ポイントだけに絞られています。あまり書きすぎるとそれに縛られるので、子どもたちの反応に自由度を持って対応できるように、意識すべきことだけに絞ったと、コーディネータの先生が教えてくれました。それはとてもよいことですが、授業者に臨機応変に対応する力が求められます。どうなるのだろうと期待と少しの不安を持って参観しました。 最初の5分で不安は吹っ飛びました。それどころか、感動で体が震えるような衝撃が走りました。子どもの言葉しっかり受容して、つないでいます。一人ひとりの発言や活動をしっかり評価しています。それも、ただ「いいね」と言うのではなく、具体的にどこがいいのか、Iメッセージも意識して伝えています。子どもの言葉に応じて進めています。素晴らしい成長です。この3か月間、模擬授業や個別の指導でたくさんのアドバイスを受けています。半端な量ではありません。消化不良になるだろう。どれか1つでもできるようになればいい。そう思っていたのですが、ほとんどのことを自分のものとして使っていました。 ICTの活用も模擬授業の時とは比べ物にならないほどスムーズです。ワイヤレスのポインタの動かし方に慣れるため、前夜まで練習していたそうです。 用意した資料も、子どもたちがそれを知っていたとわかれば、使わないという割り切りも見事です。最後に、コーディネータの先生も知らない、ちょっとした仕掛けがあって、「おっ」と言わせてくれました。 言葉に詰まった子どもを他の子どもが助ける。聞けていない子どもがいれば、その子どもの隣の子どもを指名して、復唱させる。授業のどこを見ても、授業者がこの提案授業を通じて何を学んだか、成長したかがよくわかります。本当に子どもたちの言葉で進む授業になっていました。最後まで子どもたちの集中力が切れない素晴らしい授業でした。子どもたちが力を120%出してくれましたという授業者の言葉がそのことを物語っています。 授業後、授業者と話をさせていただく時間を持てました。 たくさんのことをほめさせていただきましたが、よい授業だったので敢えて改善のポイントを3つ話しました。 1つは、テンポの問題です。 前半じっくり考えた後、中盤で前半と同様のことを考える場面がありました。そこでも、同じように時間をかけていたので、子どもたちがちょっとだれ気味になりました。次々に迫りながら、着席したままどんどん答えさせても彼らは反応できるはずです。常に起立して答えさせるという形にとらわれる必要はありません。場面ごとのテンポを意識してほしいことを伝えました。 2つ目は、子どもの声です。 今回は本格的な撮影機材が入ったため、子どもが緊張して発表の声が小さくなっていました。それでも、子どもたちは集中しているのでよく聞きとっています。しかし、今回のテーマである朗読に関してはもっと大きな声になってほしいと思いました。一人ひとりの朗読をポジティブに評価した上で、「声が大きくなるともっといいね。次の人はどうかな」とそのことを意識させるようにすればうまくいくことを伝えました。 最後は、特定の子どもが指名されすぎたことです。 多い子は6回指名されていました。意見が出ない、誰か答えてくれないかと苦しくなってできる子を指名したのではなく、反応してくれたのでつい指名してしまったようです。意見がある子はよく反応します。また、ちょっと気になる子が、答えてくれそうだと思うとチャンスと指名したくなります。このようなことが原因のようです。これは、子どもをよく観察しているから起きることでもあります。「今、○○さんがうなずいてくれたけれど、どういくことかわかるかな。だれか○○さんの代わりに答えてくれるかな」というようなつなぎ方を覚えるとよいと伝えました。 授業者からは、この数か月のことをいろいろ聞かせてもらいました。 最初、野口先生の授業技法の意味がよくわからなかった。なぜ、○×をつけさせるのか。なぜ全員書いたか確認するのか。わからないことだらけのようでした。しかし、実際にやってみて子どもの変化からその意味がわかってきた。撮影の前日にあらためて野口先生の本を読みかえしてみて、書かれていることが自分の胸に落ちた。子どもたちが教えてくれたと語ってくれました。この先生は素直に受け止める力があったのです。このことが成長できた一番の理由でしょう。そして、教師の変容を促す、後押しする一番のものは子どもの姿です。子どもたちの姿から学べる教師は確実に成長するのです。 そして、この先生の成長を支えたのが、学校の同僚とコーディネータの先生です。 勤務時間後に何度もおこなわれた模擬授業や勉強会では、多くの仲間が参加してくれました。2時間以上にわたる模擬授業は、いつも若い先生がしっかりと記録を取っていました。この学校は記録係も指名していると思っていたら、新任の先生が自ら記録係をかって出たのだそうです。詳細な記録があるからこそ、あれほどたくさんの指摘を消化することもできたのでしょう。勉強会の後、個人的に意見を言ってくれた先生、逆になぜこのような発問や指示をするのか質問してくれた先生、この提案授業を通じて多くの仲間が共に考え、支えてくれました。互いに学び合う雰囲気が学校にできたようです。この日の授業もたくさんの先生が見に来てくださいました。授業者は自分自身の成長だけでなく、学校の変化も手ごたえとして感じ、この授業がきっかけとなったことを嬉しく思っていました。 また、あらためて話を聞いて、コーディネータの先生が本当に多方面にわたって支えていたことがよくわかりました。野口先生の授業の解説、資料の提供、ICTをわざと使わない条件で同じ授業をやって見せる、具体的に授業を見てのアドバイス・・・、表には出ませんがありとあらゆる面でサポートしています。国語の授業の達人で、私の国語の授業の師匠と尊敬している先生ですが、若手を育てる達人にもなっていることがよくわかります。彼の学校で若手が次々に育っているのは当然のことなのでしょう。 それでも、授業者がわずか3カ月余りでここまでの成長を遂げたのは、本人の努力があってのことです。修学旅行や学芸会、行事が目白押しの2学期です。学年の中心となって進めていく行事もたくさんあったはずです。先輩から無理することはない、苦しかったらやめればいいとアドバイスされても、やりますと言いきったと聞いて、その強い思いに感動しました。今回の授業で見せてくれたいろいろなことは、一朝一夕でできるようなレベルのものではありません。この間、日々意識して実行してきたからこそ身についたものです。この先生の姿勢に、私も多くのことを学び、元気をいただきました。 授業者の成長と、この提案授業が、学校が変わるきっかけになってくれたことを校長がとても喜んでくださいました。今回の授業ビデオをもとに、校内で勉強会を開くことを決められ、私も呼んでいただけることになりました。来年度は授業について学び合うための仕掛けをいろいろ考えられるようです。 今回でフォーラムの提案授業がすべて出そろいました。どの提案授業でもさまざまなドラマがありました。この企画が単なる提案でなく、多くの方の成長のきっかけになったことを本当にうれしく思うとともに、その現場に立ち会う機会を得たことを心より感謝します。 個別のアドバイスの場で管理職の役割を考える
昨日は中学校で若い先生方に個別の授業アドバイスをおこなってきました。
一人は数学の初任者です。来年早々に学校の授業研究会で授業をおこないます。事前にこの日を含めて3回お話をする予定です。第1回目として単元の持つ意味やポイントの説明と、教科書の読み込みをおこないました。 最近の若い教師に共通するのが、「数学とは何を教えるのか、何を学ばせるのか」といった教科の本質に対して自分の答えを持っていないことです。指導要領等で言われていること、教科書が意識していることを読み取れていないと言ってもいいでしょう。 「確率」の単元で実施するということだったので、まず確率で一番大切なことについて、そして身近な確率の応用と統計のかかわりについて話をしました。確率で一番大切なことは、その値の意味するところとその根拠です。確率1/2とはどういうことか、1とは0とは。根拠となるのは基本となる事象が「同様に確からしいこと」です。ここが揺らげば確率は変わります。意味を考えるとき、「大数の法則」が大きなカギです。中学校では直接触れませんが、統計にもつながる大切な考えです。必ずたくさんの試行をおこなわせるのはこのことが基本にあるからです。 また、3択で、解答を選んだ後、選択しなかった2つのうち不正解を教えてもらい、再度選択すれば得になるかなどの現実的な問題につても話をしました。ちなみにこの先生は、得になるとは答えてくれましたが、その根拠は確率が1/2となって上がるという間違いでした。あえて間違いだと指摘せずに、どう子どもたちに説明するか考えるように伝えました。次回までに考えて自分の間違いに気づいてくれればいいのですが。 基本となる話をした後、教科書を1ページずつ丁寧に見ていきました。教科書は実にこの基本となるポイントしっかり押さえています。同様に確からしいことが基本となることを見開きの具体例を使って教えています。 また、組み合わせの問題で、{A,B}と(A,B)を使い分けていることの意味とそれを活かすとどのような指導や発展があるのか、場合の数の樹形図の導入場面で、キャラクターが「6通りになることがよくわかる」とわざわざ言っているのはどういう意味があるのか・・・というように、教科書を読み込むとはどういうことか、一つひとつできるだけ細かく話をしました。たとえば、キャラクターの言葉は、「6通りであることは6通りを見つければいいのではなく、それ以外にはないということを示すことが必要である」ということを意識しています。したがって、子どもたちが場合を列挙した時に、「これだけ」「他にない」「これで全部」「どうして全部だと言えるの」というような問いかけが必要になるのです。これは場合の数だけでなく、算数・数学全般に共通する大切な問いかけです。こういうことを教科書から学んでほしいのです。 与えられた時間では単元全部を見ることはできませんでしたが、この先生が自分に何が欠けているか、何を教材研究すればいいのかを少しでも理解して、冬休みに勉強してくれることを期待します。ネットなどからおもしろそうな教材を拾ってくるのではなく、まずは、基本となる教科書に書かれたこと、その中に込められたメッセージをきちんと理解してケレンのない授業を考えてほしいと思います。 もう一人は、英語の常勤講師です。最近、以前と比べて笑顔が減っていることが気になったので、時間を取ってもらいました。 授業中集中しない子どもが目立つようになってきた。私語も目立ってきた。私の力が足りない。そういう悩みを相談してくれました。 英語は、言われたことをおうむ返しに言うといった、やる気であれば誰でもできることがたくさんあります。そこをまず全員にしっかりできるようにすることが大切であることを伝えました。全員で発音するときに口を開いていない子がいないか、いたら開きなさいと注意せずにどう参加させるのか。そいうことを話しました。また、考える場面をどうつくるかについても話をしました。この両面があって、よい英語の授業がつくられます。こういったスキルは意識して取り組めば、次第に身に付きます。それより気になったのは、自分の力不足を気にしすぎていることでした。 そこで、何でもいいから話してと振ったところ、人間関係の悩みが出てきました。 実は、経験の豊富な非常勤講師とTTを組んでいるのですが、相手の方が自分のやり方をよくないと思って見ているのに遠慮して指摘していないと感じているのです。どう接したらいいのか、どうすればうまくコミュニケーションがとれるのか苦しんでいるのです。一方だけの話を聞いて、こうしなさいとは言えませんがとにかく話を聞きました。これは時間がかかる問題なので、いつでもいいから気にせず気軽に声をかけてと次につなげるようにしました。 教頭に時間を取っていただきこのことについて相談しました。TTの2人はよく授業の相談をしているそうです。ベテランが自分の考えを強く言うが、最後はあなた任せという流れになることが多く、常勤講師が主であるからと最後は1歩引いているようです。さすがによく観察されています。そこから察するに、双方にフラストレーションとストレスが溜まっているようです。2人だけでなく第三者を交えて単元の進め方を相談して調整する機会を設けては提案したところ、早速対応を検討してくれました。素早い判断はさすがです。 数学の初任者の集中的なアドバイスも管理職の発案です。彼の状況からこのまま研究授業をおこなえば、検討会で厳しい意見にさらされかもしれない、少しでも達成感を与え前向きにしなくてはと、異例の対応をとったのです。 授業について考えたり勉強したりするための場を作ることが自分たちの仕事ですと明確な方向性をもっておられます。授業にこだわる教師集団にするために何をすればいいのか常に意識していることが言動によく表れています。部活動や生活指導に力を入れていた学校ですが、授業を大切にしなくてはいけない。そのために、先生方に授業を大切にする風土をどうつくるか、そのことに腐心をされてきました。私を含め外部の力をうまく使い、着実に学校を変えてきました。若手が変化し、それにつられ実力あるベテランもより力をつけてきました。この3年で大きく子どもたちの姿が変わりました。表にはあまり見えませんが、この管理職の動きが学校を変えていったのです。明確な方向性を持って、管理職が何をするか、誰に何をさせるのか。このことがいかに大切かをこの学校の変化が教えてくれます。 この日、来年度も授業アドバイスを依頼されました。このような学校に選んでいただけることを嬉しく思うと同時に、勉強する機会をいただけることに感謝します。 「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」申込み開始主な内容 ・授業名人がICT活用について語る! 情報教育の第一人者、堀田龍也先生(玉川大学教職大学院教授)のコーディネートで国語授業名人・野口芳宏先生、社会授業名人・有田和正先生、算数授業名人・志水廣先生とICTを活用した授業について語り合います。 ・ICT活用を武器に授業名人に挑戦! 若手でも授業名人に近づけるか!? 若手とベテランの実践チームがICTを武器に、授業名人によるかつての名授業の追試に挑みます。 ・学校のお荷物といわれる「学校HP」や「学校評価」を学校の切り札に変える秘訣を語る! 「学校HP」や「学校評価」を切り札に変えた実践者や研究者らが、その秘訣を包み隠さず公開し、HPや評価を生かす学校経営について語り合います。 日 時 平成24年2月25日(土) 10:00〜16:30(受付開始 9:30) 会 場 東京コンファレンスセンター・品川 参加費 1人 3,000円 なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2012」の招待券が届きます。この招待券で、当日レストランの昼食券と引き換えができます。 詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPのフォーラムのコーナーをご覧ください。 授業づくりへの思いにあふれた模擬授業
愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。
本番の授業まで1週間を切って、最後の模擬授業となるものでした。 この日は短く切らずにある程度をまとまった時間進め、司会者がストップをかけたところで話し合いました。指導案もずいぶん固まり、前回までは表に出なかった授業者の素敵なキャラクターが見えてきました。本番の授業では、子どもたちとの明るく元気なやり取りがたくさん見られることが期待できます。 何度も練ってきた授業です。見るたびにねらいがはっきりした、無駄のない骨太の授業になってきています。コーディネータの先生と何度も打合せをし、2人3脚でつくられたものです。単に名人の授業をなぞるのではなく、新しい提案がしっかりとあります。野口芳宏先生の授業をしっかりと研究してきたコーディネータの力があってこそだと思います。 特にICTの活用場面は、会場に来る方の目から鱗の落ちること間違いないものです。私自身早く本番を見たくてしょうがない、早くその使い方を多くの方に知らせたいとワクワクしています。フォーラムまで、あと2カ月。皆さん楽しみに待ってください。 模擬授業は司会者のとり回しのよさと児童役の若い先生方のおかげでとても充実したものになりました。途中、仕掛け人のT先生がわざと議論をしかけてきました。私もその挑発にのって、ちょっとしたバトルになりました。最後にT先生が参加者にびっくりしたでしょうと、授業について真剣に議論することの大切さを伝えられました。私とはいつもこんな議論をしているから人間関係の心配はないと笑わせて終わりました。 そうなんですけど、私は真剣だったんですよ、T先生。どうもわざとらしいと思いました。T先生にまんまと乗せられてしまいました。 2時間余りの間、後ろでビデオ撮影をしていた校長先生の表情が素敵でした。授業者だけでなく、真剣に子ども役をやっている若手教師の姿を温かく見守っていました。会が終わった後、みんな本番の授業を見に行きたいだろうな、この時間を全校集会にして自分が面倒をみて見に行けるようにしようか、何か方法がないかなと考えておられました。 今回の提案授業をきっかけに教師が学び合う雰囲気をつくっていこうとされているのがよくわかります。授業を大切にする、学び合える学校にきっとなっていくことと思います。 先生方のよい授業をつくろうという思いと、授業者への温かいまなざしに触れることができた時間でした。教師が育っていく現場に立ち会える幸せをこの日もしっかりと味あわせていただきました。ありがとうございました。 若手が伸びる学校で授業アドバイス(長文)
先週末に中学校で若手4人の授業アドバイスをおこなってきました。この学校へは1年ぶりの訪問です。先生方の進歩が楽しみでした。
3年目の国語の教師の授業は、熟語のなりたちでした。昨年見せてもらった時もその進歩に驚きましたが、今回はそれ以上の進歩を見せてくれました。 自信に満ちた、教室の隅々までよく聞こえる声で、とても表情が豊かです。導入で4文字熟語などを考えさせる場面は非常にテンポよく、また、子どもたちに考えさせる場面では、じっくりと時間を与える。テンポがよいということはどうあるべきかよくわかっている進め方です。同じ意味の漢字を重ねた熟語と反対の意味の漢字を重ねた熟語を比較して、どう違うかと問う課題からは、子どもたちが考えることを大切にしていることがよくわかります。子どもたちのつぶやきもしっかり拾い、うまくつなげています。よい発言をする子どもがたくさんいるので、子どもの発言で授業が進んでいきます。ただ、中には課題や発言のレベルが高いため、ついていけない子どももいます。授業者はこの子たちがわかるように、説明や切り返しの言葉を工夫していましたが、最初に課題を提示された段階で参加できないために、なかなかうまくかかわれませんでした。 とはいえ、これだけの授業ができる教師はそれほど多くはありません。とても3年目とは思えない素晴らしい授業でした。 授業後、本人に課題を聞いたところ、この学級では上位と下位の学力差が激しく、どこにターゲットを当てていいのかがわからないことをあげてくれました。 これだけ子どもたちが活躍する授業ができていると、反応してくれる子どもたちに目がいき、よい授業ができていると満足してしまうことが普通です。そうではなく、参加できていない子どもにも意識を向け、全員が参加できる授業を目指そうとしている姿勢はとても素晴らしいものです。このような意識で子どもを見て授業を続けていればうまくなるのは当然です。とてもうれしく思いました。 この先生にはこうしろといったアドバイスは無用のものだと思いましたが、考え方のヒントをいくつか話させてもらいました。 レベルの高い課題をそのまま生かすのであれば、グループを活用するのも一つの方法です。力のある子がたくさんいるので、教えてと聞ける雰囲気があれば子ども同士でかかわりながら理解していきます。 いきなりメインの課題に取り組むのではなく、解決するために必用な知識や考え方につながる活動、作業を入れることの一つの方法です。ゴールに到達するためのスモールステップを意識することです。たとえば、今回の課題であれば、熟語のなりたちを考えるために、個々の漢字の意味を考える、漢字を訓読みするといった活動や作業を入れることです。といっても、この漢字はどう読むと聞いては意味がありません。一つひとつの漢字の紙を用意して、熟語を示す時に1枚ずつ貼る。2枚目を貼るときにはすこし時間をとって、次に何が来るかなと問いかければ、自然に漢字の読みを意識します。また、漢字をばらばらに示して、これらを使って熟語をつくるといった作業をさせもいいでしょう。 過去の学習とつなげるという方法もあります。この授業の前に漢文を学習しています。漢文の書き下し文、返り点のところで、漢字には意味と働き(品詞)があることを意識して押さえておけば、授業の最初にこのことを復習することで多くの子どもが漢字の読み方を意識します。この熟語は漢文だったらどう読むのかなといった発問が有効になります。 道具を使う方法もあります。時間的に難しいかもしれませんが、漢和辞典を用意しておけば、低位の子どもも辞典を引くという手段を持てるので、授業に参加しやすくなります。 きっとこの先生はこのような考え方を参考にして、自分の授業に合った方法をつくりだしてくれることと思います。またの機会がとても楽しみです。 2年目の英語の教師の授業は、子どもたちがよく声を出すハイテンションなものでした。授業者はコミュニケーション能力が高く、明るく楽しいキャラクターなので、子どもたちとの人間関係もよく、とてもよい雰囲気で進んでいきます。しかし、子どものテンションがこのように上がるときは、気をつける必要があります。子どもが考えるシーンが少ないのです。教師のあとについて読む、話す。新しい文も、教師が話して、それを繰り返して話す。聞いておうむ返しにすればよいので、だれでも参加でき、テンションが上がるのです。じっくり考える場面があればテンションは下がるはずです。 また、問いに対してほとんどの子どもの手が挙がります。指名した子どもが正解しても、正解と言わずに他の子につなぎます。基本はできているのですが、手を挙げていなかった子どもにはつなぎません。私が見ている間、1度も手を挙げず参加しない子どももいました。 この教師のように、天性のコミュニケーション能力が高い教師は、経験が少なくても雰囲気良く授業をすることができます。素晴らしい長所であり、武器です。しかし、これが諸刃の剣となって、教師としての成長を妨げもするのです。なんとなくやれてしまう、うまくいっているような気がする。こうなると、授業を改善しようと工夫をしなくなってしまいます。厳しいかもしれませんがこのことを伝えました。もう1段レベルの高い授業をするために、子どもが考える発問、課題、活動を授業に取り入れることと、参加できない子どもをどう参加させるかを考えるようアドバイスしました。今の殻を破ってくれることを期待します。 新任の社会科の教師は、学び合いを進めている学校で講師経験があります。子ども同士をどうつなげる授業をしてくれるのか期待して見せていただきました。この日の授業は、不平等条約の解消についてでした。たしかに、資料を見せて子どもに考えや気づいたことを言わせる。子どもの発言を否定しないなどの表面的なことはやれるのですが、本質がわかっていません。教師の期待するような答が出てくるはずのない、根拠となりえない資料提示、にもかかわらず正解が出た瞬間すぐに教師が解説する。期待した答えが出なくても否定はしないが、次に期待する答えが出たら、すぐにそれを拾う。これでは、否定したのと同じです。 講師時代によい授業を見せてもらっているはずなのですが、その本質は理解していなかったようです。よい授業を見れば力がつくというわけではないということです。教師の持っている知識にそって、教師の求める答に誘導しようとする授業でした。 指摘すべきことはたくさんありますが、まず社会科の教師としての根本、単なる点の知識を教えるのではなく、資料や史実・事実をつないで線にする、線を広げて面にすることから始めるようにお願いしました。やる気のある真面目で前向きな先生です。薄っぺらな知識ではなく、しっかりした土台を作るための勉強を始めてくれることを願っています。 最後は別の中学校から異動してきたばかりの理科の先生です。ある程度経験を積んでいるので、子どもたちとのコミュニケーションはとれています。子どもを受容することもできています。しかし、理科の授業で大切にすることは何かがわかっていないようでした。ある事実から何を推論するのか、どのような仮説を立て、それを確かめるためにどのような実験を考えるのか、もし、仮説が正しければどのような結果になるのか。こういった理科の基本的な考え方や活動とはまったくずれた授業でした。 今回は実験ができないので、実験を最初から一つずつ手順とその意味を説明して結果を想像させます。仮説は明確にしていません。子どもたちは、なんとなく結果を想像するか、知っている子があらかじめ持っている知識から答えるだけです。 たとえ実験できなくても、仮説から出発して、どんな実験をすればいいのか、どういう結果が出れば仮説が正しいといえるのかと考えさせ、結果を論理的に推測させることはできます。 逆に、説明をせずに実験とその結果だけを提示して、このことから何がいえるかを論理的に推論させる。そして、実験の方法や結果のどこからそれがいえるのか根拠を聞く。 こういった授業の展開にする必要があります。 前任校は子どもたちとのコミュニケーションを取ることが強く求められる学校だったのでしょう。コミュニケーションは意識してきたが、理科の授業はどうあるべきだということは意識することも指導されることもあまりなかったようです。 今回、理科の授業はどうあるべきかということをしっかり考えるようにお願いしました。話をしていて非常に素直な方です。新鮮な気持ちで、一から授業を考え直してくれることと思います。 初任者でどのような学校に赴任するかは、その後の教師人生を大きく変えます。この日は授業を見ることができませんでしたが、素晴らしく伸びた4年目の音楽教師もこの学校にはいます。3年目の素晴らしい国語教師と共通していることがあります。2人とも1年目は本当に苦労をしていて、教師として続くのかと心配になるほどでした。成長したのは私のおかげと言いたいのですが、そうではありません。本人が一生懸命努力したからです。そして、その努力を支えたのが、教頭を中心とする管理職や主任の方々です。チャンスがあれば自分の授業を見せる。ただ、見せるだけでなく、意図的に彼らに必要な技術や要素をわかりやすく授業に盛り込む。また、授業を見にいっては教科を越えて具体的にアドバイスする、勉強法や情報の提供をする。時には他の学校へ授業を見に行く機会をつくる。若手が伸びるために必要と思えることをとにかくしっかりやっているのです。私の授業アドバイスなどはそのほんの一つに過ぎないのです。 この学校だからこそ、他の学校では言えないような厳しいことも言えます。私に任せっぱなしにするのではなく、管理職や主任のフォローがあるからです。若手が成長するために何が必要かを私に教えてくれる学校です。どの先生もこれからますます成長してくれることと楽しみにしています。 ネガティブをどう伝えるか
授業を見せていただいてアドバイスをするとき、問題点や欠点などのネガティブをどう伝えるかということはとても悩むことです。このことは、子どもとの面談や管理職やリーダーの方の若手への指導にも共通することです。私が基本としているのが、つぎのようなパターンです。
・ストレートに指摘する 相手と人間関係ができていれば、これが一番です。余計な気づかいをするより互いにストレートに言い合うことで、よい解決策に早く到達できます。しかし、人間関係ができていなければ、自分のことを認めてくれていないと感じて心を閉ざしてしまうこともあります。 ・まずほめてから指摘する 相手と人間関係ができていない、相手が自分に自信を持てていないような場合は、よい点を探しておいて、まずそのことを大いにほめます。認めてもらったと感じるとネガティブも聞きやすくなります。 ・まず、話を聞く たとえうまくいかなくても、どうしたいという明確な意図が見えるときは、話をしやすいのですが、それが見えないときは、うかつに話をしてもすれ違ってしまうことがよくあります。そのような危険性を感じるときは、まず何を目指していたのか、どんなことを考えてやったのか、意図を聞きます。よい方向性ならばそのことを大いにほめます。その上で、このことはどうであったのかと、ネガティブについて話をし始めます。逆に意図に問題があると感じたときは、ネガティブの話をせずに、何を目指すとよいのかについて、時間をかけて話をします。目指すべきものが共有できれば、じゃあどうしようと、相手に考えさせればいいのです。方向性が違えば答も違います。ネガティブのことはもう忘れていいのです。 蛇足ですが、指摘だけで改善されていくのは力のある方だけです。具体的なアドバイスがなければ、かえって相手を苦しめるだけです。意外とこのことを忘れている管理職の方もいらっしゃいます。具体的な改善策を提示できないようなことは、指摘しない方がよいのです。 改善のアドバイスの仕方にもいくつかのパターンがあります。 ・ストレートに伝える 何を言っても大丈夫という人間関係ができていれば、これが一番です。 ・選択肢の一つとして示す こうしなさいと押し付けるのではなく、「こういうやり方もあります、参考にしてください」と相手に決定権をゆだねます。強制されるわけではないので、聞きやすくなります。全体に対してアドバイスする時によく使います。「正解はありません。みなさんが工夫することが大切です」などといったまくらをつけることもよくあります。 ・相手に言わせる 人は、自分の口にした言葉に縛られます。1対1、少人数を相手にするときには、この方法が有効です。ネガティブを指摘しながら、どうすればいいか問いかけます。このときネガティブの原因をそれとなく伝えておくと、答えが出やすくなります。期待した方向の答えが出てきたら、「ああ、いいね、それ。今度やってみてよ。どうなるか楽しみだね。ぜひ、今度見せてね」と称賛と行動を期待する言葉を投げかけます。自分の口で言うことで、やってみよう、やらなければという気持ちになりますが、その上このように期待を伝えればまず行動に移してくれます。 ネガティブを受け入れることは誰にとっても難しいことです。それをどう伝え改善につなげていくかが大切です。相手に受け入れられる伝え方を工夫してほしいと思います。 研究に対するアドバイスを考える
昨日は、来年研究発表予定の小学校の公開授業を見学しました。
研究の目標に向かうにあたって、まずは基本である学習規律を確立させることに力を入れていました。前回訪問時と比べて、教科書、ノートをきちんと机に整理しておくといった目に見える部分は改善されているようでした。教師が意識して注意、指示をすればこういう表面的な規律はよくなります。しかし、このやり方で100%にすることはとても大変です。誰かができなければ注意をする。モグラたたきの状態からなかなか脱却できません。結果、教師が根負けして大体できていればよしとなり、ゆるくなってしまうのです。 また、話を聞くといった、顔を上げているという表面だけでは確認できないものは、注意をするだけでは本当にできるようにはなりません。教師が明確に求め、できていることをきちんと確認し、ほめることが大切です。そうすることで、はじめて子どもが自らそうしようと思うようになり、内面から変わるのです。 この学習規律を確立させる方法がこの学校では共有されていないように感じました。3校時7つの授業を見学しましたが、先生が子どもを評価(特にポジティブに)している場面をほとんど見ることがなかったからです。 挙手を求める場面でも「わかった人」としか問いかけないので、わからない子どもは手を挙げることができず、参加がすることできないまま進んでいきます。1問1答形式のわかっている子どもだけで進む授業になっていました。また、子どもと教師、子ども同士のあるべきコミュニケーションを見ることもできませんでした。基本となる「聞く」ということが意識されていないのです。 「自信を持って話す」「伝えたいことを理解する」「伝え合う中で考えを深める、伝え合う」といった言葉がこの学校の目指す子ども像の中に見られますが、子どもの具体的な姿、そのような子どもつくるための具体的な授業のイメージが全くないままに取り組んでいるように感じます。 また、今回は算数の授業が多かったのですが、算数は何が大切か、何が理解され、できるようになればよいのかを正しく理解していないと感じる場面がたくさんありました。手順を教え込むことに終始しています。算数の言語活動ですら、一つの正解を教え込む、記憶させるような活動が目立ちました。教科書の意図を理解できていない、読めていないと言わざるをえません。教科の中身についても学び合う必要性を感じました 指導されている大学の研究者がどのような助言をされるのか、この日の興味はここにつきます。 先生方に対しては、できるようになったことをほめ、努力を認める言葉が随所に散りばめられていました。その上で、改善の方向性を押しつけでなく、選択肢の一つとして提示されました。指摘された先生が聞く気になる伝え方です。 研究全体については、そんな簡単に達成できる目標ではないと、現実とのギャップ、その無謀さを上手に指摘します。その上で、現実的な目標に設定し直して前に進んでいる学校を紹介しました。管理職や中心となる先生に対して、もう1度目標を考えなおすという選択肢を上手に提示されたのです。 「うーん」と唸ってしまいました。さすがです。コメント力に定評のある先生ですが、あらためてその凄さを感じました。 一般の先生方は苦しい思いをして頑張っています。そのことを認め、苦しいのは目標が高いこと、具体的なゴールが見えないことであって、それは先生方の責任ではないと気持ちを楽にするメッセージを送っています。 その上で、管理職やリーダーに対しては、この状況から脱出するための鍵はあなたたちにあるのだと自覚を促し、また解決のための方法を示唆しています。 これを押しつけがましくなく、柔らかい雰囲気で伝えられたのです。 私はこのようにうまく伝えられるだろうかと大いに考えさせられました。本当によい勉強をさせていただきました。 さしでがましいとは思いましたが、私から管理職の方に少しだけアドバイスをさせていただきました。 「自身を持って話す」ということで伝え合うことを目指すのではなく、「自信がなくても話せる」を目指せば、伝え合うことのハードルはぐっと軽くなる。 「伝え合う中で考えを深める」というのは、スキルとしてどう教えるかではなく、「他者の意見を聞いてよかった」という経験積ませることで、自然と身につくものである。 今回の指導の先生のお話は、管理職やリーダーに厳しい現実を突きつけたものです。しかし、それは温かい励ましでもあるように思います。これを受けてどのような変化がこの学校に起こるのか、わたしも温かい目で見守りたいと思います。 学校のネガティブをオープンにする
先日中学校の学校評議員会に参加しました。
今年度の取り組みの結果報告と来年度へ向けての話し合いでした。地域の方の協力で子どもたちが育っていると感じさせる報告が学校からも地元の評議員の方からも上がってきました。地域の方々が子どもたちを温かい目で見守っている姿が浮かんできます。 この日メインとなったのは、来年度に向けての新しい取り組みについてでした。子どもたちの心を育てる事業を進めたいということです。外部の方に子どもの心が育つようなお話をうかがうなど、事業内容はとてもよいことで、学校側が簡単に説明すれば皆さんに賛同を得られることです。しかし、そうではなく、最近の不登校数が増加傾向にあること、アンケートの結果から友だちへのかかわりが希薄、無関心な生徒の割合が増えつつあること、教師の目から見て気になる行動やちょっとした事件が起こっていることなど、具体的な資料や事実をもとに細かく報告されました。 ショッキングな報告です。一つ間違えれば悪い噂も立つような内容です。それでも、学校はオープンにしました。 外部の方を呼ぶというのが対策のメインではなく、日々の取り組みが一番重要であるという考えを示したうえで、参加者の考えを聞かせてほしいという問いかけがされました。参加者は、ショックを感じながらも、自分たちの目で見た子どもたちの気になる面を報告したり、単純に学校が責められる問題ではなく、家庭や地域、社会全体の問題であるといった考えを伝えました。難しい問題ですので、特効薬がないのは皆わかっています。しかし、互いに子どもたちのためにどうすればよいか、何ができるのか、どうあればよいのかを真剣に考えた時間でした。参加された方が、学校の問題を自分たちの問題としてできることをしなければと考えられていることがよくわかりました。 学校のネガティブな部分をオープンにすることは勇気がいります。しかし、そうすることで、まわりの理解と協力が得られ、学校の応援団がつくられていくのです。応援団の存在が、苦しい状況に置かれた学校を救ってくれることもあります。 この学校の地域と協力して子どもを育てていこうという姿勢は必ず子どもたちのよい姿につながっていくと思います。私も自分の立場からできる応援を続けたいと思います。 とても素敵なハプニング
昨日は中学校で現職教育に参加してきました。今年度最後の訪問でした。
午前中は校内で授業を参観していたのですが、とても楽しい出来事がありました。社会科の為替の授業で、子どもたちがグループで円高、円安の影響を考えて発表しているときのことです。 あるグループが、車の値段がドル建ていくらになるかをもとに「円高は高く売ることができる」と発表しました。それに対して、女生徒が、「輸入すれば、円で同じじゃん」と意見を返しました。授業者は彼女が何かいいことを言っていると取り上げようとしたのですが、理解できずにちょっと困っている様子です。私は、これはキーとなる発言だと思い、うなずくことで、もう少し頑張ってごらんと彼女にメッセージを送りました。それを見ていた授業者が、突然「今からゲストティーチャーにお願いします」と私にバトンタッチしました。とっさのことに一瞬躊躇しましたが、せっかくの流れを切りたくないと思い、すぐに授業を続けました。 「輸入って言ったけど、どういうこと」 「うーん。戻ってくる時・・・」 もどかしそうです。ドルを円に換えれば一緒だと言いたいのでしょうが、うまく表現できません。 「円って言ってくれたけど、どういうこと」 「円だから同じ・・・」 「うん。いいよ、いいよ」 「じゃ、車を売ったもうけはどうなるのかな」 と全体に問いなおしてみました。 「もうからん」 「もうかる」 ・・・ 「なるほど、車は誰が買うのかな」 「アメリカ人」 「何で払うの、ドル」 「そうか、ドルで払うんだ。車を売ると何万ドルという金がもらえるんだ」 「そのお金はどうする」 ・・・ 「アメリカへ行った時、何で買い物する」 「ドル」 「余ったらどうする」 「持って帰る」 「換える」 「換えるんだ。何に換えるの」 「円」 「そうか、円にするんだ」 「じゃあ、車を売ったお金はどうするんだろう」 「円に換える」 「じゃあ、5万ドルのとき、3万2千ドルのときどちらがたくさんもらえるだろう」 「5万ドル」 「なるほど、5万ドルの時、いくらになるか計算してみて」 「えー」 「同じだ」 「どういうこと」 「どちらでも円に直したら同じになる」 「そうだね、円高でも円に直せば一緒だね」 最初に意見を言ってくれた子に、 「そういうことが言いたかったんだよね」 うなずく。 ここで授業者に返しました。授業者は「値段が上がると売れなくなるよね。円高は輸出する人にとってはよくないね」とまとめて授業は終わりました。 うまい対応ができたかはわかりませんが、子どもたちは突然現れた私に臆することなく、真剣に意見をつないでくれました。コの字形の机の配置だったこともよかったのでしょう、子どものつぶやきが拾いやすく、表情から意見があることがよくわかりました。 とてもよい雰囲気なのは、担任の学級経営がよい証拠です。わずか10分ほどのことでしたが、子どもたちの考えで問題を解決できて、とても楽しい時間を共有できました。子どもたちのもつポテンシャルの高さをあらためて肌で感じることができました。 現職教育は、エンカウンターの授業研究でした。この学級も雰囲気がよく、担任が子どもたちをしっかり受容していることが、雰囲気作りの原動力だと感じました。エンカウンターと学び合いの違いを意識して、このような活動をうまく活かすようにアドバイスをさせていただきました。 授業アドバイザーとしてこの学校の研究発表のお手伝いを1年半以上にわたりさせていただきました。子どもたちと先生方から本当にたくさんのことを学ばせていただきました。 最後に授業をさせていただくという素敵なハプニングもあり、とても幸せな気持ちで最終日を終えることができました。子どもたちと先生に感謝です。ありがとうございました。 挙手しないのも意思の表れ
今の意見・考えに賛成の人と問いかけて、ほとんどの子どもが手を挙げる、ハンドサインで賛成の意思を表示する。こういう場面によく出会います。
このとき、「みんな納得したね」「だいじょうぶだね」「そうだね。正解だね」と言って先に進むことが多いように感じます。しかし、よく見ると、全員が自信を持って手を挙げているのではなく、何人かの子が手を挙げた後、残りの子はその様子を見ながら手を挙げていることが多いことに気がつきます。後から手を挙げている子は確かにそうだと自信を持って手を挙げている訳ではないのです。 一方、最後まで手を挙げない子もいます。まわりのほとんどの子が手を挙げているのに手を挙げないというのは、これは挙手以上の明確なメッセージだと思います。 「わからないから、手を挙げない」 「判断がつかないが、安直に賛成する気はない」 「私は納得できない。そうは思わない」 「授業に参加する気はない。私は取り繕う気はない」 こういう意思の表れだと思います。 もちろん漠然と聞いていなかった、参加できていなかったという場合もあるでしょうが、それはまれだと思います。まわりに合わせて、手を挙げておけば大過なく過ぎていくからです。 教師はこの手を挙げないという明確な意思をしっかり受け止める必要があります。 「手を挙げていない人がいるね。○○さん、どういうこと」 と受け止めてほしいのです。 わからないから挙手しなかったのであれば、挙手した子どもに対して、その子がわかるような説明を求める必要があります。 意見や考えに反対で挙手しなかったのであれば、その理由をしっかり全員で聞く必要あります。 また、参加する気がなく答えてくれなければ、挙手した子どもにもう一度説明してもらい、「どう?」と問いかけて参加を促すといったことが必要になります。 挙手している子どもに説明を求めると、雰囲気に流されて手を挙げていた子は戸惑います。指名されても説明できないので困るからです。次第に、よくわかっていなければ安直に「賛成」と手を挙げないようになってきます。わかっていないということを、手を挙げないことで明確に表明してくれるようになるのです。 子どもたちがわかっていないということを表明すれば、当然教師はわかるような手立てを講ずる責任が生じます。これは教師にとって、とても厳しいことです。授業が予定通り進まないかもしれません。 だから、子どもの「わからない」「納得できない」を無視して進めるのか、そうではなく立ち止まって受け止めるのか、どちらを選ぶのかは大きな違いがあります。教師にとって厳しくともしっかり受け止め、全員がわかる授業を目指してほしいと思います。 算数・数学で大切にしたい問いかけ
算数・数学では数や図形のいろいろな性質を考え、見つけます。その時に大切にしてほしい問いかけが、「いつも」「どれでも」「たまたま」「・・・だけ」「他にはない」「これで全部」などです。
子どもが見つけた性質がたまたまなのか、常に成り立つことなのかは大きな違いがあります。いつも成り立つこと共通なことを見つけることが算数・数学では大切です。そのことを意識させる問いかけが、「いつも」「どれでも」「たまたま」です。 「平行四辺形でどんなことに気づいた」 「向かい合う角が等しい」 「それっていつも言える?」 ・・・ 「連続した数を2乗したとき、1つとばしの差はどうなる」 「8の倍数だ」 「どれでも成り立つ?」 「ダメだ」 「じゃあ、たまたま?」 ・・・ 「奇数のときは8の倍数になる」 「いつでも言える?」 ・・・ たまたま成り立つような時でも、そこからうまい条件を見つけることができれば、いつも成り立つ性質を見つけたことになります。 逆に同じことが他でも言えるのか、他に成り立つものがあるかも大切なことです。そのことを意識させる問いかけが、「・・・だけ」「他にはない」「これで全部」です。 「四角形をどうやって分けた」 「対角線の長さで分けた」 「それってどういうこと」 「対角線の長さが同じものは正方形と長方形で、他のは違う」 「なるほど、対角線の長さが同じもので分けたんだ。対角線の長さが同じものはこれで全部?」 ・・・ 「あっ、あった」 この例のような、対角線の長さに注目する視点はとてもよいものです。しかし、正方形や長方形、平行四辺形などの辺に注目した分類とは整合性が取れません。こういったことに気づかせる問いかけです。 数学的には「いつも」は十分条件を、「他にない」は必要条件を意識させる問いかけです。いつも成り立ち、その他に成り立つものがなければ、必要十分条件、同値であるということです。 ふだんの授業で常にこのような問いかけがされていることで、子どもたちは自分自身で問いかけるようになり、数学的な視点が身につきます。意識してこれらの問いかけをするようにしてほしいと思います。 国語の授業で大切にしたい問いかけ
国語の授業では明確な答えがないと言われることが多いようです。しかし、子どもたちが勝手に意見を言って、「どれもいいね」で終わっては学びになりません。だから難しいとも言われ、だから面白いとも言われます。国語での問いかけについて考えたいと思います。
国語の授業で考えるよりどころは素材となる本文です。本文に書かれていること正しく読み取り、それをもとに、小説や物語では「気持ち」や「心情」を、評論や説明文では筆者の「意見」や「主張」を考えます。したがって、子どもの考えに対して、常に根拠となる本文の記述を問いかけることが大切になります。「それはどこに書いてある」「本文のどこからそう考えた」と「どこ」で聞くのです。 本文を根拠にするという視点でよくつかわれる指示が、「・・・が書かれているところに線を引きなさい」です。線を引いたところを共有して、そこから、心情や主張を考えるのです。こうすることで、「どこ」の対象を明確にできます。 では、子どもの考えを聞き、どこを根拠にしたかを発表させたあと、どのようにすれば考えが深まり、答が明確になっていくのでしょうか。 根拠とした文が重要な文だと考えるのであれば、その文をもとに考えを深め、広げるとよいでしょう。「この文をもとに考えた人、意見を聞かせて」、「この文からどんなことがわかるか、他の人の考えを聞かせて」と文をもとにつなげます。 発表された考えがねらいにつながると思うのであれば、その考えをもとに、深め、広げるとよいでしょう。「同じように考えた人、どこでそう思ったか聞かせて」と考えをもとにつなげます。どの文が重要なのか、どのような子どもの言葉が出てくればねらいにつながっていくのか、教材研究をしっかりしておく必要があります。 こうしていくことで、本文を根拠に考えを深めていけるので、意見がかみ合い明確になっていきます。 しかし、本文に直接根拠となる記述がないことを問う場合は難しくなります。 たとえば、主人公の気持ちを考えさせたいが、本文に主人公のことが書かれていないような場合です。授業名人の野口芳宏先生は、「書いてあることから書かれていないことを合理的に推論する」とおっしゃっています。 「何があった」「だれがどんなことをした」と書かれている事実をとりあげ、そこを根拠に、「その行動はどういうことだろう」「じゃあ、どんな気持になるだろう」と迫っていくとよいと思います。 ときにあいまいな結論になりやすい国語の授業ですが、常に根拠を本文に求め、そこを起点して話し合い、聞き合うことを大切にして、子どもたちにとって、合理的で明解な結論に達することを目指してください。 理科(実験)で大切にしたい問いかけ
理科の実験の授業を見ていて、何のために実験をしているか子どもが意識せずに、ただ指示された通りに作業をしてワークシートの穴を埋めているように感じることがよくあります。
理科は疑問や仮説を実験によって解決、検証します。疑問や仮説がないまま指示されたとおりに実験をして、「気づいたことは何」「どんなことが言える」と問われても、明確な視点で答えることはなかなかできません。 まず、子どもに疑問や仮説を持たせる問いかけが必要です。 「どうなると思う」「どうしてそう思う」と予想をさせることから始めることが大切です。子どもの意見が分かれれば、それだけで実験に取り組む意欲が高まります。 その上で、どんな実験をすればいいか考えさせることで、科学的な思考が身についていきます。 また、一部の子どもだけが気づいたことがあれば、全員が追試できるような時間を取る、時間がないようであれば教師が見せることをしてほしいと思います。実際に体験する、見ることで初めて納得できるからです。 たとえば、空気鉄砲の実験であれば、 「押し棒を押すとどうなると思う」と問いかける。 子どもが「前玉が飛ぶ」と答えれば、「どうしてそう思う」と続けて聞く。 子どもが理由を答えたら、どうすれば確かめられるかを続けて問う。 答えられなければ、理由を考えながら実験するように指示する。 出てきた疑問や仮説を整理しておく。 途中で、実験を止め、飛んだかどうかなどの疑問や仮説がどうであったか確認する。 ここで、子どもから強く押すと勢いよく飛んだといった気づきが出れば、まわりに確認し、気づかなかった子どもには次の実験で確認しようという気持ちにさせる。 「強く押すと勢いよく飛ぶことを確かめたいけど、どうすればいい」と子ども問いかける。 また、理由についても子どもの考えを聞く。 いくつかの意見が出れば、どうすれば確かめられるか問いかける。 ここで出た新たな疑問や仮説を持って、再度実験をする。 ・・・ 時間の関係でいつもこのようにできるわけではありません。また、子どもたちの発達段階によって進め方を変える必要もあります。しかし、実験のたびにこのような問いかけをしていくことで、子どもたちの視点が育っていきます。それに伴い子どもたちからいろいろな気づきや考えが発表されるようになってきます。子どもの言葉をつなぎ、深めることでより科学的な視点で実験に取り組むようになっていきます。 疑問や仮説を持たせる問いかけによって意識的に実験に取り組ませることで、科学的な思考力を育ててほしいと思います。 授業者の意図とずれてしまった授業
昨日は中学校で数学の授業アドバイスをおこなってきました。
1年生のおおぎ形の弧の長さ、面積の学習でした。授業者が担任をしている学級だったこともあり、子どもたちとの関係はとてもよいと感じました。教師はノートを取らずに話を聞くように指示しましたが、どの子も集中して話を聞いていました。 おおぎ形が円の何分の1になっているか、おおぎ形に切った紙を使って説明していきます。生徒を意図的に指名し、「なるほどと思った人」と他の生徒に同意を求めます。なかなかよい進め方に見えるのですが、同意を求めたあと、「そうだね」とすぐに教師が説明をしてしまいます。本当に理解しているのか、挙手した子どもに確認することはしません。多くの子どもがなるほどと手を挙げてくれているのですが、手が挙がらない子もいます。彼らが納得できるだけの時間をとらずに進んでしまっているのです。 いくつかの例を用意して、中心角から円の何倍になるかを求めることを説明します。授業者は何倍になるかを考えることをポイントとして進めていったつもりなのですが、実際には120÷360=1/3といった計算ばかりが板書され、強調されていました。 半径r、中心角a°のおおぎ形の弧の長さl=2πr×a/360、面積S=πr2×a/360と公式を提示した後、中心角135°のおおぎ形を例題としました。授業者は円の何分の1と割り切れないものも公式に当てはめれば解けることを意識して出題したのでしょう。しかし、この間30分くらい経過しているのですが、子どもたちは教師の話を聞いて答えるだけで、1度も自分の手を動かして考えていません。今までの説明はすべて円を何等分かしたものばかりです。そこに、いきなり135÷360とうまく真分数にならないものがでてきたため、どうしていいか困惑する子どもが出てきました。 図で、円はおおぎ形の何枚分、おおぎ形は円の何分の1と考えたことを、有理数(分数)倍に拡張することは、たとえ式としては同じでも子どもにはギャップがあるのです。 この部分をもっと時間をかけて子どもたちとやり取りしながら、公式を作るべきだったのです。結局、公式に当てはめて答はこうなると計算を板書して、それをノートに写させました。公式を使えば答が出るというだけで、子どもが感じていたギャップを解消することはしませんでした。 授業者は最後に、この公式は覚えなくても何倍になるか考えれば作れると口頭で説明しました。しかし、板書をみてもおおぎ形が円の何倍になっているかを考えればいいとわかるような記述は何も残っていません。教師が押さえようと意識していた円の何倍になるかをもとに考えるのではなく、公式を使って答えを出せばよいという授業になってしまったのです。授業者の意図と実際の授業は大きくずれてしまいました。 なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。子どもたちとやり取りし、活動をさせながら授業を進めれば時間がかる。問題を解けるようにしなければならないので、演習の時間を確保しなければならない。そんな気持ちが、子どもに活動させるのではなく、教師が説明する授業につながり、子どもが理解しづらい部分を公式に当てはめることで逃げてしまうことになったのです。 授業者は意識して逃げていたわけではないと思います。だからこそ、この事実に気づいてほしいと思いました。今回、授業者には厳しい指摘をたくさんしました。子どもを受容することができる、コミュニケーションの基本がきちんとできている先生だからこそ、正面から教材と向き合って授業をつくっていくことで大きく飛躍すると思います。どのような変化を見せてくれるか楽しみにしています。 社会(歴史分野)で大切にしたい問いかけ
社会科では資料をもとに気づいたことを問いかけることがよくあります。ただ、子どもたちの資料を見る視点、考える視点が育っていないと、「気づいたこと」と問うだけでは、どこを見ればよいか、どうすれば気づけるかわからなくて困ってしまうことが多いように思います。
歴史分野では、歴史的な事件や事実をつながりとしてとらえるために、ビフォアとアフターを比較するという視点を与えるとよいでしょう。ある事件、事実を境にして何が変わったのか、変わらなかったかを問うのです。原因と結果といいかえてもよいと思います。その事件、事実を挟んで比較できる資料をもとに考えさせる。原因となる事実を調べさせる。こうすることで歴史を線で結ぶことができます。 たとえば、「長篠の戦い」のようすを描いた屏風図を資料として考えさせるのであれば、これ以前の戦いと比べて、何が違う、気づいたことはないと問いかけると、視点が明確になります。それ以前の戦いのようすを描いた資料も準備しておけばよりたくさんのことに気づくことができるはずです。また、戦いの結果、何が変わったかを問いかけることで、武器の重要性、それに伴う資金の問題など戦いを左右する要素に気づくこともできるでしょう。 平安時代の「農民の逃亡」であれば、なぜ逃げた、逃げた人はどうなったと問うことで、租庸調という税の負担がどのようなものであったか、また、口分田に始まり、三世一身の法、墾田永年私財法を経て荘園の発達へ続く流れやそのつながりを整理することができます。 歴史分野の教材研究では、教科書の内容一つひとつをどう説明するかではなく、どこを中心に展開するかを考えてほしいと思います。どこを起点として歴史が大きく動いたか、変化したか、そういう視点で教材をとらえ、その前後を比較させることが、子どもたちが考える授業につながります。歴史の変化をとらえるという視点を育てることで、子どもたちは多くのことに気づけるようになると思います。 算数で大切にしたい問いかけ
どの教科にも単元にかかわらず、共通の大切にしたい視点があります。今回は算数について考えてみます。
算数ではいろいろな計算が出てきますが、共通して押さえておきたいのが、「何」が「いくつ」あるかという問いかけです。 たとえば、位取り記数法では、32は10が3つあり、(1が)2あると考えます。小数も0.4は0.1が4つあると考えます。 同様に分数も2/3は1/3が2つあると考えます。比も基準となるものがいくつあるかが基本です。 面積や体積も単位量がいくつあるかです。 このことから、かけ算を足し算の繰り返しではなく、「1つあたりのいくつ分」と定義するようになったのです。 このことを意識すると、子どもへの問いかけも非常に明解になります。 たとえば、0.3×4=0.12としてしまう子どもがいたとします。3×4を計算して、小数点をつけると考えたのです。意味を考えずに手順を覚えようとする子どもがよくやる間違いです。このとき、「0.3は何がいくつ」「3×4=12で何が12」と問いかけることで0.1が12と気づき、間違いが正されます。 この視点で教科書を眺めてみると、基本的な考え方がこの問いかけで明確になることに気づくと思います。算数の教材研究をするときに「何」が「いくつ」あるという問いかけを意識していただけたらと思います。 数学の授業の視点を考える
先日、来年行われる算数・数学のセミナーの運営委員会に参加しました。私は、中学校のグループで当日の実習で扱う題材について担当の先生方とお話をさせていただきました。担当の先生方はどなたも力のある方ばかりです。にもかかわらず、当日参加される先生方にとって少しでもよい内容の実習ができるように、勉強をしておこうと集まっているのです。手弁当の会にもかかわらずこの真摯な姿勢には本当に頭が下がります。
算数・数学の授業を見せていただいて最近強く感じるのが、問題を解くこと、解けるようにすることばかりが意識され、解き方の手順を教えることが授業の中心となっていることです。なぜこの手順で解けるのか、この手順が最良なのかといったことを考えることがされていません。特に中学校では、解き方を習っていない問題に出会ったときに解ける力をつけているのか疑問に思うことがよくあります。数学が知識だけを問う教科になってしまっているのです。 この日は、平方根の計算に関して、「√の中の数をできるだけ小さくなるように、有理数を外に出して積の形にして簡単にする」ことは、何の意味があるのかといったことを考えること。また、√×√の形の計算は、このことを使って有理数を外に出してから掛け算して、再度有理数を外に出すように教えますが、手順としては掛け算をしてから有理数を外に出す方が簡単です。なのに、先に有理数を外に出すのはなぜかと理由を考えること。こういうことが大切であることを話させていただきました。そうすることが数学的な考え方を身につけることにつながっていきます。 今回、簡単にするということが、数学のあらゆる場面で求められる考え方であり、その意味を各場面で意識することで問題解決の根本を支える力がつくことを、平方根から出発して、あらためて考えていただきました。教材を点で見るのではなく、数学という学問の底に共通して流れるものを意識して見ることの大切さを当日伝えていただければと思います。 |
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