学びの多い一日
昨日は中学校で授業アドバイスと指導案の検討会に参加しました。
若手の先生と一緒に授業を見ました。子どもたちが落ち着いて授業に取り組んでくれるので、教師の発問の質や子どもの発言への対応がどうであるのかがとてもよくわかります。この学校では、子どもとの基本的な関係から一歩進んで課題や発問、活動の質など、より教科内容にそった授業研究が求められると思いました。 また、2年生の多くの学級で職場体験の自己紹介文を清書する場面を見ることができました。この学年は全体的に人間関係もよく落ち着いているのですが、それでも学級差が目立ちました。誰ひとりわき目も振らず集中している学級、友だちの紹介文を見たりしながら楽しそうに取り組んでいる学級、書き終えた子どもなのでしょう、まわりの子どもとおしゃべりしたり、ごそごそしている子どもが目立つ学級、・・・。教師の姿も、前でじっと立って様子を見ている、教師用の机で何か作業をしている、教師が前で子どもの紹介文をチェックしている、・・・といろいろです。板書も紹介文を書くときの具体的な指示、心構えなどバラエティーに富んでいました。子どもたちの様子の違いとその原因についていろいろと考えることができ、とても面白く感じました。 この日は個別のアドバイスを予定していなかったのですが、若手の何人かが自主的に聞きに来てくれました。とてもうれしいことです。 数学の講師と新任は、教室は落ち着いた雰囲気で授業ができるようになっています。しかし、どうしても先生が一方的にしゃべりすぎるのです。その原因は、解き方の手順を教えることを中心に授業を考えているからです。ですから解き方を聞いて子どもが答えたら、もう聞くことがないのです。定義を問う、解き方の根拠を問う。こういう場面がないため、ひたすら説明と問題練習で終わってしまうのです。ただ教科書をなぞるだけでは授業はつくれません。子どもに何を考えさせるのか、そのためにどのように問いかけるのかを考えて授業に臨むことをお願いしました。 理科の2年目の先生は、昨年と比べて随分と落ち着き、子どもたちとの関係もしっかり作れていると感じました。レンズの作図をする場面では、子どもたちは集中して取り組んでいました。こういう状態がつくれると、授業で改善すべき点が何であるか、とてもよくわかります。 この日のまとめを、光源の位置と像の関係に注意して書くように指示したとき、ある子どもが、「どこかわからない」と声をあげました。おそらく光源の位置をどう整理したらいいのかわからなかったのでしょう。板書を見ても、作図の仕方は丁寧に書いてありますが、なぜこれらの場合に分けているかは書かれてはいません。先生は、その子どもの言葉をとりあげずに個別に対応しました。しかし、他にも同じように混乱している子どもがいるはずです。実際にさきほどの作図と違って、鉛筆にすぐに手がいかない、すぐに動かない子どもがかなりいました。 「他にも困っている人いる」と課題を把握できていない子どもを確認したり、「何を書けばいいか、まわりと確認して」と課題を子ども同士で確かめ合う活動を入れるべきだったと伝えました。 また、このような状態をつくった原因は、作図に入る前になぜ光源と焦点との位置関係に注目して作図をするのかをきちんと確認していないことにありそうです。授業者に確認したところ、やはり、前回の実験のことには触れたが、実験とこの日の作図の関係をきちんと押さえていなかったようです。個々の場面や課題についてはどう進めるか考えているのですが、理科で大切になる、実験でわかったことをもとに考える、考えたことを実験で確かめるといった、課題同士をつなげることを意識できていなかったのです。 しかし、このような教科の内容や進め方について具体的に話せるようになったのは大きな進歩です。基礎的なことがしっかりしてきたからこそ、どこに問題があるか明確にわかるのです。この授業でいえば、もし子どもたちが作図をきちんとできていなかったり、教師の話を聞いていなかったりしていれば、どこが原因で課題がわからないのか想像ができません。これが、私が若い先生にアドバイスするとき、まず教科の内容ではなく基礎的な子どもとの接し方や授業技術について話す理由です。 この日は、このほかにもたくさんのことに気づくことができ、また学ぶことができました。何年もかかわっている学校なので、きっとこんな様子だろうと想像してしまうのですが、子どもたちと先生はいい意味で裏切ってくれます。これが、学校で授業を見せてもらう大きな楽しみの一つです。 すぐに結論が出てしまったらどうする
授業で子どもとやり取りしながら考えを練り上げたいときに、いきなり結論が出てきてしまって扱いに戸惑うことがあります。こういうことを避けるために、どういう順番で指名するか注意をしている教師も多いと思います。結論が早い段階で出たときはどのように授業を進めていけばいいのでしょうか。
教師が戸惑う一番の理由は、自分の予定していたストーリーが崩れてしまうからです。一つひとつのステップを確認しながら、演繹的に進めるための準備をしているので、それが崩れて軽いパニックに陥ることもあります。結論が出たのに、無理やり教師が予定通り進めようと、あえてその発言を保留して最後に利用しようとすることもあります。 こういうときには、演繹にこだわるのではなく、帰納的に進めることが有効です。 結論やよい考えが発表されたからといって、全員がすぐにわかるわけではありません。まず、その考えがわかったか、納得できたか学級全員に確認をすることから始めます。その上で、間を埋めたりつなぐ考えを子どもたちから引き出していけばいいのです。 「・・・だから、・・・になると思います」 「なるほど。同じように考えた人いる」 「いるね。○○さんの考えを聞かせてくれる」 「・・・」 「なるほど、2人の説明でどう、みんな納得した。なるほどと思った人手を挙げて」 「いるね。じゃあ、まだよくわからないという人は」 「いるね。みんながわかったと言えるような説明を考えよう」 「さっきなるほどと思った人、どこでそう思ったか聞かせてくれる」 ・・・ 答を知って、どうしてそうなるのかを考える力は大切です。また、どうして気づいたのかを自分で考えたり、友だちから聞くことで視野も広がります。 「どうやって気づいた?」 「何をしていて気づいた?」 「どこでわかった?」 「何をやろうとしたの?」 「どんなことをした?」 「すぐに、できた? うまくいかなったことはない?」 ・・・ 「どうやって気づいたんだろう?」 「何をしたんだろう?」 「どこでわかったのかな?」 「何をやろうとしたんだろう?」 「どんなことをしたと思う?」 ・・・ 子どもは自分の気づく過程を明確に意識できていません。そのため、子どもの説明ではその部分はなかなか語られません。教師の説明も試行錯誤の部分は無駄として語られないことが多いように思います。そこで、教師がこのように問い返すことで、思考の過程を明確にし、その過程を教室全体で共有することができます。わからなかった、気づかなかった子もどんなことすれば、考えればよかったのかを知ることができるのです。 結論から説明を考えさせていけば、教師が考えていたストーリーの最初の一歩まで逆にたどることができます。そこまで戻れば、あとは当初のストーリーを生かすこともできます。 いつも演繹的に進めるのではなく、時には先に答えを示して、「どうしてこうなるのだろうか」と問いかけることも大切です。考えるアプローチをいくつも経験させておくと、すぐに結論がでてしまったりしても、あせることなく自然に対応することができます。 授業の方向性がそろっている学校
昨日は、小学校で授業アドバイスと授業解説をさせていただきました。すべて算数の授業です。この学校の努力目標の一つに算数が取り上げられているからです。1日算数の授業にかかわることはめったにないので、とても楽しい時間を過ごすことができました。
授業解説のたたき台となってくれた授業は、さすがベテランというべきものでした。子どもがよく育っていたので、聞く姿勢もできていました。しかし、机が横並びのために、後ろの方の子どもの発言を聞くときに、前の座席の子どもが聞きづらかったり、前を向いたままになっていたのがとても気になりました。基本的に聞く姿勢ができているので、座席をコの字型にするといった工夫が必要でしょう。 この授業でおもしろかったのが、子どもの発言が教師の予想を超えていたことです。 速さの導入の授業なのですが、最初に「速さ」について子どもに自由に意見を言わせたところ、すぐに「時間」がかかわること、「1秒で、1時間で」、「同じ距離を」といった基準を意識した言葉、キーワードが出てきました。 授業者は笑顔で子どもたちをとてもよくほめます。そのおかげで子どもたちは安心して意見を言ってくれます。このように子どもが育ったからこそ、教師の予想を超える発言をしてくれたのです。 しかし、研究授業ということもあり授業者は指導案の流れにこだわって、時間と道のりだけに焦点を当てて進めようとしました。しかし、たとえば「同じ距離」という子どもの言葉から「距離」に焦点化しようとしても、子どもは「同じ」に意識がいきます。速さに関して、当然のように関係する「距離」よりも「同じ」が子どもにとってはより注目すべきことだと考えたからです。 このように子どもからよい考えが出たときは、その場で他の子どもも土俵に上がれそうであれば、教師もそこに乗っかればいいのです。 この授業がうまくいかなかったわけではないのですが、同じ時間、同じ距離に注目して、どうすれば速さを比べられるかを先にやってから、練習をすればすっきりと進んだと思います。 授業アドバイスは、若手の先生を中心に6人の方の授業を見せていただきました。 授業後、どんな授業を心掛けているかを聞いたところ、「子どもたちが楽しいと感じる、思う授業」ということをどなたも言われました。この学校の目指すところが先生方に共有されているということです。ちょっと意地悪く、「楽しいとはどういうこと」と聞き返すと、「できる、わかること」とすぐに答えが返ってきました。このことにも感心しました。 ならばアドバイスは簡単です。何ができればよいのか、何がわかればよいのか、教師にとっても、子どもにとってもそのことが明確になるようにすることです。授業の最後にできた、わかったと感じるだけでなく、ステップごとにできた、わかったと子どもに実感させることがポイントです。 授業の場面ごとの目標をはっきりさせること 子どもたちにできた、分かったと実感させる場面を明確にしておくこと そして、教師できれば友だちがポジティブに評価すること このようなことを意識して授業をすることをお願いしました。 先生方が、一つの方向を向いて授業研究に取り組んでいることがとてもよくわかる学校でした。管理職、リーダーの先生がしっかり機能している学校です。今年度もう一度おじゃまする機会があります。そのときに、どのように授業が進化しているか今からとても楽しみです。 教材開発の会議に参加
昨日は教材開発に関する会議に参加しました。
授業や教材に関して、知識をいかに効率的に伝えるか、獲得させるかという視点が重視されていることが多いように最近感じます。 子どもの説明は不明確だからと、教師が無駄のない説明をする。 たとえよい考えや意見でも、教師が予定した説明につながらないものは取り上げない。 身につけるべき知識を効率的に習得することを意識して、きれいにまとめた教材。 子どもは、考えることは与えられた問題を教えられた手順に従って解くこと、知識を獲得するとは教師が指示したことを無駄なく覚えることと思ってしまうのではないでしょうか。そうならないために、問題を自ら気づく、発見する、解決する。そして、経験を通じて知識を獲得していく。こういうことを大切にしてほしいと思います。 自分たちで意見をつなぎながら結論を導く。 友だちのいろいろな考えに触れて視野を広げる経験を積ませる。 何が大切な知識か自分で考え、整理する。 学校での学びはこのようなことを大切にしなければ、質の悪い塾のようになってしまいます。逆にこのような学びは個人ではとても難しいことです。残念ながら、学校でこのような学びを経験できていない子どももある程度存在するのではないでしょうか。いろいろな考えに触れることなく、結論だけを示され、それを覚える。このような毎日を学校で送っている子どもたちに、少しでもいろいろな考えに触れ、自ら考える経験を積ませるような教材をつくることができないか。そんなことを考えながら会議に参加していました。何とか形にしたいものです。 教科書の子どもの発言を読みこむ
仕事の関係で小学校の教科書を読む機会が増えました。読みこむことで、最近の教科書はよくできている感心させられることがたくさんあります。何がポイントかとても分かりやすく、指導書は必要ないのではと思うほどです。また、子どもたちにどのような活動をさせたいのか、どのような発言を期待しているのか、教科書作成者の思いがとてもよく伝わります。
このような思いが一番よく表れているのが、教科書に書かれている子どもの発言やつぶやきです。 「・・・じゃないかしら」 「・・・だろう」 「・・・と考えました」 ・・・ この部分に非常に重要なポイントが隠されています。ここをしっかり読んで理解すれば教材研究がほぼ終わるとも言えます。しかし、教科書に書かれてはいますが、この発言やつぶやきは授業中に教室の子どもたちから出てほしい言葉でもあります。教科書を読んで気づくのではなく、自分たちで気づいてほしいのです。ですから、教科書は授業の大切なツールではありますが、場合によっては開かない方がよいこともあるのです。教科書を見せないで子どもたちから期待する発言を引き出す。ここに教師の大切な役割があります。 子どもが教科書にあるような疑問を持つにはどのような問いかけが必要か。 子どもが自分の考えを持つためにはどのような活動が必要か。 子どもが自分の考えを発言できるために持つためにはどのような働きかけが必要か。 教科書は教師がどのような役割を果たさなければいけないのかを常に問いかけています。 一見すると、教科書を使わないで独自のやり方で進んでいるようでも、よく練られていると感じる授業は間違いなく教科書をしっかり読みこんだ上でつくられています。 よい授業をつくるには、何よりもまず教科書を読みこみ理解することが第一歩だという思いをますます強くしています。 うれしいハガキ
先日おこなった現職教育の講演(小学校の現職教育)の礼状が教務主任から昨日届きました。ハガキ1枚にびっしりと手がきです。私自身がメールやワープロを多用する方なのでそれだけで感激してしまいます。
翌日の出校日に授業した先生が、「困っていることはないか」と子どもに聞いたところ「立式に困っている」など、具体的に困っていることをよく話してくれた。若手の先生が授業を見てもらいたい、私と一緒に子どもの様子を見てみたいと言ってくれたといったその後の報告が書かれていました。講演後すぐに届くお礼のメールもうれしいのですが、日をおいて実際の授業にどのような変化が起こったのかを教えていただけることは本当にうれしいものです。 実はこの数年、学校からの講演依頼はできるだけ条件をつけるようにしています。別の日でもよいので実際の授業を見せていただくことや授業研究に参加すること、また個別に授業を見てアドバイスさせていただくことです。 全体で話をして、「いい話でした」「勉強になりました」と評価いただいても、実際の授業がよくなったという話はあまり聞けないからです。同じ授業を見て互いに気づいたことを話し合う、私の気づきやアドバイスを伝える。こういうスタイルの方が経験的に授業がよい方向に変わることが多いのです。 私の一方的な話だけで授業に変化が起きたということは、素直な先生が多い学校だと思います。短い期間で授業がいい方向に変わる可能性が高い学校です。今学期に授業アドバイスを予定しているのですが、ますます楽しみになりました。 子どもの姿を想像してワクワクする指導案検討
昨日は指導案作成のアドバイスをおこないました。前回(数学の課題のアイデア検討)のアイデアをもとに、授業者が用意した指導案を具体的に検討しました。
課題は教科書の姉が駅に向かう弟を追いかける問題に、電車の発車時刻を条件に加え、追いつく時刻と駅までの距離をもとに方程式の解を吟味させるものでした。数値の設定をどうするか、何をもとに解を吟味させるか、時間をかけて考えて来たことがよくわかるものでした。 話をしたのは、大きくは2つの点です。 1つは、問題を把握して式を立てるための手立てを子どもたちに考えさせる場面の進め方です。 授業者は線分図を使って自分で説明するつもりでした。文章題でつまずく子どもは、最初の一手がわかりません。何をすればよいかを、子どもたちの口から引き出すことをお願いしました。 そのためには、 「線分図に何を書き込む」「弟はどこにいる」「姉はどこにいる」といった問いかけを活用する。 一つの線分図に無駄なく書き込もうとするのではなく、出発後何分たったかわからないと位置を図に書けないことに気づかせる。 時間の要素を意識することで、時刻ごとの線分図を書いてみる。 追いついたときは短絡的に姉と弟の「距離」が等しいとするのではなく、まず「位置」が等しいことを押さえる。 位置を指定するのに「家から」何メートルと「起点」を問う。 2人とも家を起点にして位置が考えられるので、追いつた時は「家からの距離」が等しいことを利用する。 このようなことを話し合いました。 2つ目は課題で何を問うかです。 授業者は、何分後に追いつけるかを問い、姉の出発時間を5分後、10分後、15分後、20分後と4つ用意し、グループで分担して解かせるつもりでした。 しかし、塾等で解の吟味を経験していない子どもには、吟味する必然性はありません。また、弟は駅につけば発車まで電車を待っているということにも、意識が向きにくい問いかけです。何分後に追いつくかは、方程式の未知数を何にするかわかりやすくするためのこちら側の意図であり、現実にはあまり意味のある問いかけではないのです。 教師の多くは、「知りたいもの、求める物をxとおく」と教えますが、その前にもう一つ大切なことがあるのです。「何が分かれば、問題が解決するのか」です。この発想が実はもっと大切なのです。 この課題では、本来の目的である、「忘れ物を渡せるか」が問いであるべきです。解決するためには何分後に追いつくのか知ればわかりそうだ。そして、その結果をもとに渡せたかどうかを判断する。こういうプロセスをたどることで、方程式を利用して問題を解決するには、解の吟味が必要なことに子どもたち自身で気づきやすくなります。 姉の出発時刻も、教師が用意するのではなく、子どもたちに考えさせる方法もあります。「いつまでに出発すれば忘れ物を渡せる」という発問にすれば、子どもが出発時刻を変化させながら方程式を解くはずです。 電車の発車時刻より後の出発では間に合わないことにもすぐに気づくはずです。自然に解の吟味を意識するでしょう。 また、正確にいつまでに出発すれば間に合うかどうかを意識した子どもは、時刻を細かく変化させるはずです。そうすることで、関数としての視点も生まれてくるはずです。 同じ課題でも、どう問いかけるかで子どもの動きが大きく変わってきます。授業者そのことに気づいてくれたようです。どのような問いかけにするか、もう一度考えるようです。話し合っていて、子どもがどんな活動をするだろうか、どんな考えが出るだろうか、ワクワクしてきました。10月の授業がますます楽しみになってきました。 子どもの発言量と教師の発言量
子どもの言葉で授業を進めるということを考えたとき、多くの教師は授業の進度を心配します。子どもの発言量が増えると、それだけ時間が足りなくなると言うのです。果たしてそうなのでしょうか。
子どもにたくさん発言させて、その上教師が今までと同じだけの量を発言すれば時間が足りなくなるのは当然です。子どもの発言量を増やすのであれば、それに合わせて教師の発言量を減らさなければなりません。子どもの言葉は教師の説明と比べて拙いため、教師はどうしても自分の言葉でもう一度説明しなければ安心しません。ここが問題なのです。 実際には、子どもの言葉をつないでいけば、教師が説明しなくても子どもはちゃんと理解できるのです。教師が一方的に説明するよりも多くの子どもがきちんと理解してくれます。 また、教師の説明は子どもの説明と比べて、どうしても丁寧で長くなる傾向にあります。教師の発言量を少し減らすだけで、たくさんの子どもが発言する時間をつくることができます。 「それってどういうこと」 「それって、どこのこと」 「それって、どうやったの」 「○○さんの説明でなるほどと思った人」 「○○さんの考えを説明してくれる人」 「○○さんの考えにつけ足してくれる人」 教師は、このような言葉をうまく使いながら、子どもたちが、子どもたち自身の言葉で理解するための手助けをするのです。 一方、子どもたちも自分たちが発言した後、教師がまとめてくれると思っていると友だちの発言を真剣に聞きません。教師の発言量を減らしながら、子どもたちの発言時間を確保し、互いの言葉を聞き合って考える経験を積ませていくことが大切です。 子どもたちが育ってくると、教師の発言は、課題や発問、指示とつなぎの言葉だけになっていきます。 子どもたちの発言量が多く授業がどんどん進むので、もうすぐ授業が終わるのかと時計を見てみると、思った半分も過ぎていなかったということもあります。 「子どもが育ってくると、授業がどんどん進んで学年末には時間が余るくらいです」 こんなことを言う先生もいらっしゃいます。 子どもの発言量を増やすことで子どもたちは自分たちで理解するようになります。教師はそれに合わせて発言量を減らしていけばよいのです。子どもたちの力を信じて、教師の発言量を減らすように意識してほしいと思います。 ベテランも若手も楽しめた研究会
先週末に参加した愛される学校づくり研究会は、来年東京でおこなうフォーラムのための授業検討の会でした。
教科に分かれて、具体的な指導案をもとに、参加者がいろいろな意見を自由な立場で発言します。 「子どもが自分のこととして考えるための手立てが必要なのでは」 「この場面は何のためにあるの」 「子どもには、その発想はないのでは」 「子どもからどんな言葉が出てくるだろうか」 ・・・ 子ども目線での発言がとても多いのが印象的でした。話を聞いていて、授業での子どもの姿がどんどん浮かんできます。参加した若い先生が、「冷房が利いているのに体が熱くなってきました」と言われたのが印象的でした。教員になってからこのような指導案の検討会を経験したことがなかったそうです。何としてもこの授業を見てみたいと思ったようです。 検討終了後、模擬授業をやってくださいと指名されたのは授業者ではなく、なんと検討会をとり仕切ってくれた司会の先生。突然のことにどうなるかと思いましたが、検討会で授業イメージができていたのでしょう、ためらいもなく模擬授業に入っていかれました。本番の授業者でもなく、専門教科も違っても、その場で対応できるのはさすがです。子ども役の発言を見事に切り返し、つないでいきます。参加した若手の先生方が一生懸命メモをとっています。緊張感のある、学び合える会となりました。 研究会の終了後、教科のまとめ役の校長先生が、「長らく授業をやっていないが、自分もこの単元の授業をやってみたくなった。自分だったら導入は、・・・」と本当に楽しそうに話をしてくださいました。 ベテランも若手も楽しめたとても充実した研究会でした。 子ども役が話したくなる模擬授業
先週末は模擬授業の解説と講演を研修で行ってきました。私がアドバイザーをしている学校の中堅の先生に授業をお願いしました。
社会科の雨温図の模擬授業でしたが、発問や課題が子どもたちにどのような活動を引き起こすか、子ども役になることで先生方によくわかったのではないかと思います。 雨温図がどの都市のものか根拠を持って考えるという課題は、資料集から答を探すのと違って子ども役の教師にとっても難しいものです。授業者の指示がなくても、子ども役の先生方は自然にまわりと相談をし始めました。特に同じ学校からの参加者のように人間関係が既にできているときは、その傾向が顕著です。子ども役の先生から「不安だとまわりを見たくなる、聞きたくなる」といった言葉が出てきました。 実際の子どもたちと違って、答があまり分かれなかったので、根拠をもとに全体で意見を聞きあう場面の緊張感はあまりありませんでした。しかし、「北海道の釧路だと思う雨温図は冬の雨量が少ないので、不安」という意見をうまく取り上げることができたり、子ども役の言葉から授業を進めることができました。 子どもの言葉を否定しない、わかった人と聞かない、わからない子どもが話せる、わからないことを友だち聞ける雰囲気をつくる。授業者はこの1年余りこのようなことを意識して授業をおこなってきました。ところが、私が具体的な場面で何を意識しているか尋ねても、すぐに答えが返ってきません。授業者にとっては、もう当り前のことになって意識しなくても自然にできるようになっていたのです。 教師にとって授業は毎日のことです。意識して授業をおこなえば、進歩は驚くほど早いものです。授業者もこの1年で本当に力をつけてきたのだと思いました。 今回の研修は昨年度と同じテーマで、2年続けて参加してくださった方も何名かいらっしゃいました。昨年より深いことも伝えたい、しかし初めての方に伝えておきたいこともある。そんなことを思ったため、情報量が多く、一方通行の度合いが高い講演になってしまいました。そのことを最後に授業者から、「今回の模擬授業のような双方向の活動のあるのと、講演のような一方通行とどちらがいいですか」とちょっぴり皮肉られました。自分の授業の方向性に確かなものを感じている証拠だと思います。 授業者の成長を素直に喜ぶと同時に、もっと質の高い話をしなければと反省しました。 教具や道具の使い方の説明
教具や道具を使って授業をする場面によく出会います。興味を引く教具を使うことで、子どもたちは集中して課題に取り組みます。教師は手元に実物がないと説明がわかりにくいと考えて、先に物を配ることがあります。ところが、子どもたちは物に気をとられて、肝心の説明を聞いていないことがあります。教具や道具の使い方の説明はどのようにすればよいのでしょうか。
教具や道具の類は、使う直前に配る、取り出すことが原則です。子どもにとって珍しい物が目の間にあれば、どうしてもそちらに気持ちがいってしまいます。日ごろから使っている教科書やノートであっても、使わないときはしまわせることを徹底している教師もたくさんいます。子どもの集中を妨げるものは、できるだけ排除した方がよいのです。 ですから、教具や道具の使い方は、できれば何もない状態で説明するのがよいのです。おもしろそうな教具を教師が全体に見せながら説明すると、子どもの中にはワクワク感、期待感が起こります。そこで、物を配れば一気に集中して活動します。ところが、物があまり大きくないと、どうしても全体では見えにくくなります。提示用の大きなものを用意したり、実物投影機などを活用して、見やすくすることが大切です。 では、提示用の物や実物投影機が準備できない、実物投影機ではうまく拡大して説明できないといった場合はどうすればいいのでしょうか。この場合は、実物が子どもの手元にあって触れる状態での説明の方法を工夫することが必要です。 教師が一方的に説明するのではなく、実際に子どもに触らせながら説明するのです。 「はい、○○をこのように持って。ちゃんとできているか隣同士確認して」 「次に、・・・」 こうすることで、触りたい気持ちを満足させながら、説明できます。 教具や道具を使った活動をする場合、その使い方の説明は、子どもの意欲をうまくコントロールすることを意識してほしいと思います。 模擬授業から学ぶ
昨日は、授業力アップの研修会でコーディネータを務めました。11月に行う授業研究のための模擬授業です。
小学校2年生の国語の読み取りの問題です。授業者は、日ごろの授業と異なる進め方にチャレンジしてみました。主人公の行動の理由を問う場面でしたが、授業者の想像以上に自分に引き付けて想像した答えが多く出ました。本文に基づいた根拠のある発言にならない理由は、子ども役が大人だったせいでしょうか。 模擬授業後、子ども役の先生方にグループで話し合ったことを発表してもらいました。教師の指示や課題を子どもの立場で聞くことでいろいろなことに気づきます。低学年では、子どもが感情移入しやすい作品が取り上げられます。そのため、教師が意図的に本文の表現とつなぐことをしないと、本文と離れていくことがわかりました。 また、子どもたちに役割を決めてグループでの話し合いをさせたのですが、発表者の言葉をオウム返しに言う役割が有効であるとの声が出ました。復唱してもらうことで、聞いてもらえたという安心感が起こるようです。このような、形から入る話し合いで、基本的なスキルを身につけさせ、学年が上がるに従って自分たちで自由に話し合って考えを深めるものに昇華させたいと授業者の学年は考えて取り組んでいるそうです。 いつもと違う進め方は、実際の授業では不安があるためなかなか挑戦できません。失敗を気にせずに挑戦できるのが模擬授業のよさです。挑戦したやり方のよい点、難しい点に気づくことができ授業者にとって学びが多かったと思います。また、他の参加者も子どもの視点で考えることで、授業者の意図と子どもの受け止め方の違いに気づき、たくさんのことを学んだと思います。 次回の授業でどのように指導案が変化するか、それに対して子どもたちがどのような反応をするか、私も含め参加者全員がとても楽しみになりました。 元気をもらえた研修会
昨日は、終日研修会の講師を務めました。8月の上旬におこなった研修会の続きです。(学びの多い研修会参照)
3つの模擬授業を参加者におこなってもらいました。授業者が準備した指導案をもとに事前にリハーサルをしながら指導案の検討をおこないます。発問や指示が子ども役にきちんと伝わらなかった。子どもになったつもりで話し合ったら答が分かれた。どのチームもよい雰囲気でそれぞれの授業について話し合っています。事前に検討することで、指導案が大きく変わったグループもありました。 1つ目の模擬授業は、小学校の国語の説明文の読み取りでした。1つの段落の文の内容にそって、教師が用意した絵を正しい順番に並べ替えることをグループでおこなう授業です。この授業のために絵を何セットも用意してくれました。 5つの文に対して、絵は7枚あります。ダミーが混ざることで子どもたちの話し合いの視点を増やそうという仕掛けです。 模擬授業はドラマの連続でした。授業者は文中の「ちりぢり」の意味にこだわりました。この文章を私たちが読んだとき、「ちりぢり」という言葉はそのまま読み流してしまうような表現でした。しかし、この言葉が2つの異なった答えに対して、判断を下す決め手になりました。この表現にこだわって絵を見れば、答が明確になったのです。授業者がこの言葉にこだわったのは、自分で絵を描いたからです。絵を描く手掛かりになった言葉だったのです。判断のキーワードとなることを意図して取り上げたわけではなかったのですが、結果として素晴らしい一手となりました。筆者は状況を説明する言葉として、「ちりぢり」という言葉を明確に選んでいたことがよくわかりました。国語は本文の表現にこだわることが大切であることを再認識させられました。 2つ目の模擬授業は、中学校の理科の月の満ち欠けです。空間の位置関係を相対的に理解しなければいけない難しい教材です。授業者は同僚に手伝ってもらって、ピンポン球を黄色と黒の2色に塗り分けて串を刺した教具を準備してくれました。このピンポン球を渡して、課題の説明をしたのですが、子ども役になりきった先生は、ピンポン球を回して遊びました。子どもは物をもらえばそれが気になるものです。道具を渡したらすぐに活動させる。そのためには、説明は道具を渡す前にすることが大切であることに気づかせてくれました。 月の公転に従って月がどう見えるか、太陽の方向に注意してピンポン球をモデルに観察することが課題です。子ども役の先生は、自然に隣同士で相談したり、確かめあったりしています。難しい課題は自然に相談したくなるのです。実際の子どもたちの場合は、まわりとかかわり合うことを普段からしていないと、なかなか相談できないこともあります。この課題は、ペアやグループで取り組んだ方がいい課題なのかもしれません。 授業者は2学期にこの授業を実際にやるのですが、本番では大きく変わっていると思うと言っていました。たくさんのことを学んでくれたようです。 3つ目の模擬授業は、小学校の体育でした。背中合わせで座った状態から立ち上がる、ペアでの活動を通じて、互いに協力し合う、コツを伝え合うものです。言語活動を意識して伝え合うことに重点を置いた授業です。子ども役の中にはなかなかうまくできずに、みんなのアドバイスをもらってやっとできたペアもありました。本当の子どもたちと同じように嬉しそうにしていました。体育のような実技教科はどうしてもうまい子どもにスポットがあたりがちですが、最初からできた子どもよりできるようになった子どもの方が感動は大きいはずです。こういった子どもたちに語らせることが、言語活動では大切であることに気づかされました。 2日間の研修の最後に、参加者全員に一言ずつ感想や学んだことを話していただきました。多くの先生が、この研修を通じて気づいたいろいろなことを2学期から実践したいと、前向きな気持ちを語ってくれました。コーディネートした私にとってこれほどうれしい言葉ありません。私にとっても大きな学びと元気をもらえた研修会でした。ありがとうございました。 小学校の現職教育
昨日は小学校の現職教育で、「子どもの言葉を生かした授業つくり」についてお話をさせていただきました。
子どもの言葉を生かすということはよく言われますが、それが果たしてどういうことなのか意外にはっきりとはしていないような気がします。子どもの言葉を生かすことのイメージがあるかどうか挙手してもらいましたが、それほど多くの方の手が挙がりませんでした。実際のところ、私も今回このテーマをいただくことで、あらためて整理し直して、やっと皆さんの前でお話ができる状態になったというところです。 教師の説明でわかるのではなく、子どもが子どもの言葉を聞いてわかっていく。教師は子どもの言葉をしっかり聞いて、子ども同士がつながるような働きかけをすることにエネルギーを使う。言葉にすれば簡単なことですが、現実にはとても難しいことです。 私の話に先生方が納得して、すぐにできるようになるなどと大それたことは思いません。先生方に、「子どもの言葉をしっかり聞こう」「子どもの言葉を子どもに返そう」「子どもの言葉、他の子につなごう」、そんな気持ちなっていただければと思っています。 今回、子どもの言葉を生かす授業をするとどんな子どもが育つかを、ある先生の授業ビデオで見ていただきました。どの先生も真剣に見てくださいました。子どもの言葉は拙く、不完全で言葉足らずです。そのため、子どもの言葉で授業を進めると時間がかかってしょうがないと思う方が多いように思います。しかし、この授業では通常だとまとめる直前の状態まで、授業時間の半分で進んでいます。教師のしゃべる時間が少なくなれば、子どもが話す時間を驚くほどたくさんとれるのです。 先生方が大変熱心に話を聞いてくださり、私も楽しい時間を過ごすことができました。また、よいテーマをいただいたことで、子どもの言葉生かすことに関して、いろいろと考え直したり整理することができました。ありがとうございます。 秋には先生方の授業を見せていただく機会を設けていただけそうです。とはいえ、先生方に授業を見てほしいといっていただけなければ、見ることはできません。今回の話を聞いて先生方は手を挙げてくださるでしょうか? ちょっとドキドキしています。たくさんの先生方に手を挙げていただけることを期待しています。 ICT関係の会議に出席
先週末に、ある市のICT情報教育推進の会議に委員として参加しました。
今回のテーマの1つに、数年先の学校のICT環境を考えることがありました。先進的な取り組みで知られる市ですが、決して目新しいことにすぐに跳びつくわけでありません。子どもたちにとって、教師にとってどんな環境が必要なのかをしっかりと考えています。「教師が日々の授業の中でやりたいと思ったことがすぐに実現できる環境を整えることが大切」と言った委員の言葉に大きくうなずきました。こういう先生方がICT活用を支えていることがこの市の強さです。 私にとって大いに勉強になったと感じたのが、中学校のPC教室の今後のあり方についてです。今の子どもたちは、小学生のうちからパソコンを普通に活用しています。もはや中学校でコンピュータリテラシーは必要ありません。パソコンを学ぶ教室から活用する教室への転換が求められます。ネットワークも無線LANが当り前になり、机やパソコン、ICT機器の配置の自由度もずいぶん高くなりました。固定したレイアウトでなく、用途に応じて自在に変化する多目的な教室に変わっていくだろうと会議を通じて確信を持つことができました。 また、小学校では今後、子どもたちの個人の学習の成果物やいろいろな活動の結果をデジタル化して校内のサーバに保存することができる環境になるそうです。これは単に記録が残るということではありません。自分の過去を振り返って成長を実感できるポートフォリオとして活用できることをはじめ、先輩たちの過去の学習の結果を共有したり、他の学級や学校での学習の結果を共有することで時間と空間を越えた学びを生み出す可能性もあります。しかし、環境をつくったからといって実現するわけではありません。このことを実現するためには、教師がそれを意図した授業をデザインする必要があります。チャレンジ精神にあふれたこの市のことです。数年後にはきっと素晴らしい実践が生まれていることと思います。この会議に出席する楽しみが、また一つ増えました。 この会議に参加することで、私自身も事前に勉強したり、いろいろな視点での意見に出会え、たくさんのことを学ぶことができます。こういう機会を与えていただいていることに、あらためて感謝いたします。 夏休みをいただきます
今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、22日(月)より再開します。 授業の最後に何を振りかえらせる
授業の終わりに振りかえりを書くことが増えてきています。しかし、子どもたちの振り返りを見ると、ただ感想を書いているだけのことが多いのです。何を書くように指導すればよいか考えてみましょう。
「面白かった」 「よくわかった」 「頑張った」 このような感想だけでは、次の学びにつながっていきません。大切なことは、この授業で何を学んだか子どもの言葉で振り返ることです。 「今日わかったことはどんなこと」「できるようになったことはなに」と振り返らせるとよいでしょう。 「・・・が・・・であることがわかった」 「・・・を考えるときに、・・・に注目するとよいことがわかった」 「・・・のような問題を解くときには線分図に表すと考えやすい」 このような振り返りは、授業を通じて自分が進歩したことを確認することにもつながります。また、「・・・のような問題を解くとき・・・」というようにまとめることで、メタ認知が働くようになります。 指導すればすぐにこのような振り返りになるわけではありませんが、よい振り返りを紹介しながら、「感想」から「学んだこと」へと質の転換を図るようにしてほしいと思います。 数学の課題のアイデア検討
昨日は指導案作成のアドバイスをおこないました。中学校1年生の数学、1次方程式の利用です。今回は、指導案作成に向けて、どんな子どもの姿を目指すか、どんな教材がよいのかについていろいろと話をさせていただきました。
授業者は、子ども同士が互いに相談して問題に取り組むような授業を目指しています。できる子がさっさと問題を解いてしまう、わからない子が手も足も出ない。そういう授業にはしたくない。 となると、塾で予習しているような問題では一部の子がすぐに解いてしまいます。子どもたちの興味を引き出し、みんなで知恵を絞らなければ解けないような問題を用意する必要があります。子どもたちに身近で、かつ方程式を利用することで解決されるような課題のアイデアを出し合いました。 通販で、購入金額が一定額を越すと送料が無料になることを使った問題 トライアスロンを舞台にした追いかけの問題 異なった道を通る追いかけの問題 金券キャッシュバックと割引クーポンの違いを意識した問題 ・・・ いろいろと考えてみました。 また、こういう課題をおもしろくするための視点として、明確に書いていないが、解の吟味で必要となる条件をいれておく。情報が過多である、足りない。こんな仕掛けをするとよいことも伝えました。 次回は具体的に課題を決めて指導案にしてきてくれます。どんな指導案になるかとても楽しみです。 最後に、今回の指導案作成とは直接関係ありませんが、教科書の記述から何を読み取るか、実際に教科書を見ながら話をさせていただきました。意外に教科書は軽く読み飛ばしているようです。数学は、問題を見て解き方がわかっていればなんとなく授業ができてしまいます。このことが原因の一つかもしれません。これを機会に教科書の記述からも指導のポイントについて考えるようになってほしいと思います。数学の教材についてたっぷり浸れた、楽しい時間でした。 友だちの作品から学ぶ
授業で作品をつくったときはそれで終わりでなく、展示して互いの作品から学び合う場面をつくります。しかし、ただ展示するだけでは学びはおきません。どのようなことを意識すればいいのでしょうか。
一つは必然性を意識することです。完成した作品を見て学んでも、それを活かす機会は先になってしまいます。学んだことを活かせるタイミングで見ることは、学ぶ意欲を高めます。 たとえば、下絵の構図を互いに学ぶのであれば、大体構図が決まった時点で一旦作業を中断します。ここで作品を見合えば、よいと思ったことを自分の作品に活かすことができます。また、制作ノートやワークシートに、意図したこと、工夫したことを書いておき、作品と一緒に提示することで、よさや工夫がより伝わりやすくなります。 また、互いのよさを共有する方法の一つにグループの活用があります。グループ内で自分が見つけた友だちのよさを伝えあうのです。自分が気づかなかったよさを友だちから聞くことで、視野が広がります。また、実際にもう一度作品を見て確認することもできます。 では、完成した後の展示はどのようにすればいいのでしょう。 自分の作品を認めてもらうことは、子どもの自己有用感を高めます。そこで、互いに作品を見合い、よいところをレポートにします。ちょっと大きめのメモ用紙程度のものに、作品の工夫、それがどうよかった、全体的な感想など、作品を見る視点を印刷しておいて書きこませます。全員の作品について書くのは大変なので、グループごとに一つのグループを割り当てて見る、一つのグループ内で分担して全員を見るなどの工夫をしてください。前者の場合は、グループ内で発表し合い、友だちのレポートでよいと思ったところをつけ加える、後者であれば、友だちのレポートから興味を持った作品を見に行くといった活動をおこなうとよいでしょう。 また、教室にしばらく作品を展示しておくような場合、作品とともに子どもたちのレポートもつけ加えることで、より多くのことが学べるはずです。 個人作業になりがちな作品づくりですが、作品を見あう場面をうまくつくることでかかわりを持つことができます。互いの作品から学ぶことを意識して授業をつくってほしいと思います。 友だちの発言を聞く意欲を高める
授業を見ていると、子どもが友だちの発言を聞こうとしてないと感じることがあります。授業に集中していないというわけではありません。教師が説明して板書をすると素早くノートに写します。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
一番の理由は、聞いていなくても子どもたちが困らないことです。 友だちの説明はわかりにくいので、聞かない。聞かなくても、最後に先生がわかりやすくまとめてくれる。また、算数などは説明ができなくても、手順がわかれば問題は解けるので困らない。友だちのよい気づきは先生が復唱したり、板書してくれるから先生に注目していればいい。こう思っているのです。 子どもの発言を安易に教師がまとめず、子どもの言葉を活かして、自分たちでわかった実感を持たせることが大切です。 子どもの説明が不十分であれば、「それってどういうこと」とより詳しい説明を求めたり、「だれか、○○君の考え説明できる」と友だちの考えを理解しようとすることを意識させます。 また、教師がまとめずに、子どもに自分でまとめさせることも大切です。「みんなの気づいたことで、なるほどと思ったことを自分のノートに書き足してください」「まとめたことを隣同士で確認してください。友だちの気づいたことでなるほど思うものは自分のに足しましょう」というように、自分たちでまとめる作業を取り入れるようにするとよいでしょう。 この他にも、そもそも課題に手がつかない、何をやったらいいかわからなかったというときは、手がついていないので、友だちの発言を聞く意欲が薄れてしまいます。自分の考えが持てているときの方が友だちはどう考えたのか気になるので聞こうという気持ちになるのです。解決のための見通しを持たせてから課題に取り組ませたり、できるだけ課題を具体的に提示するなどの工夫が必要です。また、活動を途中で一旦止めて、結論でなくどこに注目しているかを全体で共有することで見通しが持てることもあります。 子どもが友だちの発言を聞かないのには理由があります。聞こうとする意欲をどう高めるか、聞く必然性をどうつくるか。教師の工夫が求められるのです。 |
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