知らないことを聞かれたらどうする
教師は子どもたちよりも知識も経験も多いのは当たり前のことです。だからといって、何でも知っているわけではありませんし、子どもたちの質問に対しても何でも答えられるわけでもありません。しかし、子どもたちの前に立つと、「知らない」「わからない」ということが言いにくいことも事実です。教師としての権威を保たなければという心理が働くのかもしれません。私自身振り返っても、特に自分の専門分野についてはその傾向が強かったように思います。
「知らない」「わからない」という言葉を言わないで済ますには、教師も常に勉強して何でも答えられるようにしておくのが1番です。しかし、それとても限界があります。たとえ相手が小学生であっても、時として大人が答えに詰まるような質問をします。「なぜ空は青いの」「なぜ3原色で、2原色や4原色じゃないの」・・・。先生に聞くことはしませんでしたが、私自身このようなことを疑問に持っていました。教師が、知識として持っていればもちろん答えられますが、知らなければどうすればよいのでしょうか。 1 「それは、小学生ではちょっと難しいな。これから学校の勉強をしっかりして中学生か高校生になったらわかるよ」とその場を取り繕って済ます。 2 「○○先生ならきっと詳しいから、○○先生に聞いてみたら」と他の先生に丸投げする。 3 「ごめん。先生もわからない」と素直に謝る。 4 「先生わからないから、調べてくるね。少し時間をくれるかな」と時間をもらって、きちんと後で教える。 5 「いい質問だね。図書館やインターネットで調べてごらん」と子ども自身で調べるように促す。 どの対応が正解というわけではありません。子どもも実は本当に答を知りたいと思ったのではなく、ただ思いついたことを聞いてみただけ、先生とちょっとかかわりたかっただけのこともあります。意識してほしいのは、子どもがその対応をどのように感じるかです。 1や2は、なんだか肩すかしされたような気持ちになるかもしれません。2の対応でも、「いっしょに聞きに行こうか」と言えば、ずいぶん違ってきます。先生は自分の質問をしっかり受け止めてくれたと感じるでしょう。 3は、先生を試すようなつもりで質問してきたのでなければ、わからないことを素直に認める態度に対して好感を持つでしょう。しかし、中には先生に悪いことをしたと感じてもう質問はしないでおこう考える子もいるかもしれません。 4は、先生が真剣に受け止めてくれたと感じるでしょう。しかし、きちんと答えを返さないと、逆に信頼をなくします。また、子どもがあまり考えずにした質問であれば、詳しく調べてきちんと答えてもかえって困惑します。 5は、いい質問だとほめてもらっているので、認められたと感じますが、その結果逆に宿題をもらってしまったようにも感じます。わざわざそこまでしたくないから先生に聞いたのかもしれません。「先生も答を知りたいから、わかったら教えて」「わかったらみんなに教えてもらおうかな」と調べることに目的を与えるとまた違うかもしれません。「じゃあ、先生と一緒に調べようか」と子どもに寄り添う姿勢を見せると「先生は自分の質問を自分の問題としてくれた」と喜ぶかもしれません。 必ずこのように感じるわけではないと思いますが、こういうことを考えることは大切だと思います。 授業中にわからないことが出てきたり、答えられない質問をされたりしたときも同様です。その場しのぎの対応ではなく、子どもたちが先生を信頼してくれるような対応を心がけてほしいと思います。 先生の成長から元気をいただく
昨日は中学校の学校訪問に参加しました。特設授業は若手教師による1年生の学級活動でした。
教室の第一印象は、子どもたちがとても素直で授業者と人間関係がよいことでした。授業者の表情も柔らかく、子どもたちを認めよう、ほめてあげようという姿勢を強く感じました。 この中学校区には小学校は1校で、子どもたちの人間関係は固定化しやすい傾向にあります。今回の授業は、友だちの長所を伝える活動を通して、自分や友だちのよさを再発見することで、人間関係をよりよいものにしようとするものでした。 今回は子どもたちにできるだけ発言の機会を平等に与え、発言に消極的な子どもにもしっかり発言させることを意図して、グループで友だちの長所の発表を1人につき1分間課しました。このことがプレッシャーになったのか、発言者と長所を言われている2人はかかわり合えているのですが、他の2人は発表して自分の出番は終わったと集中力をなくしたり、自分の発表の準備に手一杯だったりしてかかわり合えていないグループも見受けられました。話すことを課題として意識しすぎると起こりやすいことです。授業のねらいにもよりますが、「○○さんのよいところをみんなで聞き合う」といった活動にした方がよりかかわり合えたのかもしれません。 日本語が少し不自由な子がなかなか参加できていなかったのですが、隣の女生徒がフォローして参加できた場面がありました。授業者がさりげなく頼んでいたようです。 また、互いの長所を発表する場面で表情が暗くなり、このまま泣き出すのではないかと思える女子がいました。ワークシートは長所の観点の一覧に○をつけるようになっているのですが、彼女は自分のよいところにほとんど○がついていませんでした。自分を肯定的に見ることができないので、この活動がつらかったのかもしれません。最初の友だちの長所の発表は、暗い表情ながらもなんとかこなしました。その後、長所を言ってもらった子が、彼女の言ってくれたことに対してうれしく思ったことを伝えました。その瞬間彼女の顔に笑顔が浮かびました。その後の活動では彼女はかかわり合う姿勢を見せ、友だちが自分の長所を言ってくれるときには何度か笑顔も見られました。友だちに認められることがいかに大切なことかとてもよくわかる場面でした。 検討会では、若手の教師からもよい発言を聞くことができました。授業者も含め若手が育ってきていることをとても強く感じました。 指導主事のコメントも、さすがは学び合いを大切にしている地区と感じさせる、子どもたちのかかわり合い・活動と教師の具体的な指示・指導との関係に焦点を合わせた、具体的で納得のいくものでした。 教育長は行政出身の方ですが、授業中も子どもたちのそばに張り付いてじっと子どもの言葉に耳を傾け、子どもの事実をしっかり観察しようとされていました。そのコメントも自分が見た子どもの事実を伝え、そのことについての解釈はお任せするという、先生方に考えることを促す、短いが内容のあるものでした。行政出身の教育長の現場への指導力を疑問視する方もいらっしゃいますが、この方に関しては当てはまらないと強く感じました。 この地区全体で、授業のありようがここ4年ほどで大きく変わりました。教育委員会と学校現場がともに授業改善に前向きに取り組んでいることの表れだと思います。 公式行事の終了後、授業者と話をする時間を持つことができました。昨年度までは、子どもたちのネガティブに目がいくためか、表情も固く、笑顔をつくることがうまくできないと感じていた先生です。しかし、卒業生を送り出し新1年生の担任となり、心機一転して、笑顔で接しほめることを心掛けたようです。そのことが今日の授業からとてもよく伝わったと話したところ、昨年度までも意識はしていたもののなかなかできなかったが、今年はできるようになったと嬉しそうに答えてくれました。小学校からはいろいろと問題があった学年という引き継ぎがあったが、そんなことは感じない。先輩方のアドバイスのおかげもあって、子どもたちとの人間関係はとてもうまくいっているとのことでした。子どもたちは、中学校入学時にこの授業者と同じく心機一転して、小学校時代をうまくリセットできたのでしょう。よい出会いができたのだと思います。 始業前は職員室にいることが多かったが、今は少しでも子どもと一緒にいたいので、すぐに教室に行くと話す姿に、この先生がこれから確実に成長していくことを確信できました。成長する場面に立ち会うことができた私もたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。 教職員組合主催の学習会
先週末に、教職員組合主催の学習会で「言語活動を意識した授業作り」というタイトルで講演をおこないました。忙しい時期にかかわらず、勤務時間終了後にたくさんの方に参加いただきました。
最近は言語活動に関する講演の依頼が多くなっています。しかし、私は言語活動を意識することよりも、まず授業における教師と子ども、子ども同士のコミュニケーションをきちんと成立させることが大切であると思っています。今回の講演も、言語活動ということよりも、まずふだんの授業での基本的な子どもとのかかわり方、子ども同士のかかわり方について時間を割きました。 特に相手の話を聞く姿勢をどうつくるかは、コミュニケーションの成立に欠かせない要素です。教師が子どもの話を聞く、子どもたちが教師の話を聞く。自分が発表することだけに意識を向けるのではなく、友だちの話を聞くことに意識をむける。そのために、どのようなことに注意をして授業を進めればよいかを最近の学校での経験もとに話をさせていただきました。 また、言語活動に関しては、日常言語と教科の言語や学習用語とをつなぐことについて少し詳しく話をしました。 たとえば、音楽でどのように歌ったらよいかを歌詞から考えさせる場面です。子どもは歌詞から感じたことを発表しますが、それは「楽しい」「明るい」といった日常言語で語られます。自分たちの言葉でたくさん発表し合うことはとても大切なことです。しかし、「じゃあ、みんなが言ってくれた楽しい感じを歌で表現しよう」とすぐに歌い始めても、「楽しい」ことをどう歌で表現するかについては、まだ共通の理解はできていません。表現はばらばらになってしまいます。子どもたちが感じたことを音楽の言葉で表現しあうことで、初めて具体的な歌い方として意識され共有されます。「みんなが感じたことを、歌で表現するにはどうすればいい」と問いかける必要があります。ここで子どもたちの言葉は「強く」「歯切れよく」といった音楽の用語に変換されていきます。こうして、子どもたちは自分たちの感じたことを歌で明確に表現できるようになります。こういう経験を積むことで「フォルテ」「スタッカート」といった音楽記号から、作曲者の意図した表現を読み取る力もついてきます。 これはどの教科にも当てはまることです。日常言語で自分の考えや思いを伝えようとする。その内容を教科の言葉を使って再度表現する。概念が明確になり、よりよく伝わる。こういう一連の過程を意図して経験させてほしいとお願いしました。 途中で少し入れたペア活動で、参加者はとても素敵な笑顔をたくさん見せてくださいました。この笑顔を教室でも見せることができたのなら、授業は楽しく進んでいくに違いありません。参加した先生方ととても楽しい時間を過ごすことができました。このような機会をいただけたことに感謝します。 ネットを利用した教材研究
古典の学習では、自分で辞書を引きながら苦労して現代文を訳し、授業で解説を聞くことで力がつきます。しかし、最近はネットで拾ってきた訳をそのまま写して、予習の代わりにする高校生が増えているそうです。自分でやった訳の確認に使うのであれば意味がありますが、ただ写すだけでは力はつきません。
これと同じことが教材研究にも言えます。 個々の教材に関する情報がネットにはたくさんあります。教材研究のツールとしてネットを活用している若い教師は多いようです。しかし、ネットで見つけたものを「このネタはおもしろうそうだ」「これは使えそうだ」と安易にそのまま真似をしている方も多いように見受けます。授業で目指す子どもの姿は、子どもたちの成長の度合いによっても変わってきます。他者の授業をそのまま自分の学級で実践したからといって、同じようにいくことはまずありません。たとえネタがおもしろくて子どもが興味関心を持ったとしても、考える場面では子どもたちの反応は異なることが当り前です。自分の学級の実態に応じた「受け」と「切り返し」ができなければ授業はうまくはいきません、 自分の目指す授業をしっかりと意識して、教材を自分なり読み込んだ上であれば、その授業者の意図を読み取ることもできます。その上で、「このアイデアはいかせる」「この発問ならば自分の学級の子どももきっと活動してくれる」と参考にするのならば有効な活用になります。ネットの利用が悪いということではなく、その利用の仕方が問題なのです。 ネットを利用すれば簡単に教材に関する情報が手に入ります。簡単に手に入ったものは、軽く扱われるものです。そこから深く学ぼうとする気持にはなかなかなれません。また、ネットの情報は玉石混交です。その中から有効な情報を見つけ出すにはそれなりの努力と力が求められます。日々真剣に授業に向き合っていなければ、ネットも有効な道具とはならないのです。 今、ICTを活用した名人の授業の追試を進めています。じっくりと名人の授業に向き合うことで、指導案や授業記録を一読したり、授業ビデオを眺めたりしただけではわからなかったねらいや意図に気づくことができます。ICTとは違ったところでもたくさんの学びがありました。古典とも言うべきこれらの授業から学ぶことは、ネットから有効な情報を探すよりはるかに効率のよい方法のようにも思えます。 見掛け上の効率に惑わされず、日々足を地につけた教材研究をおこなってほしいと思います。 若手教師の悩みと管理職の支え
昨日は小学校で若手教師に授業アドバイスをおこないました。
一緒に授業を見ながら、「誰が集中している?」「この後、子どもはどうなる?」「子どもはなぜ手を挙げない?」といった質問と解説をしました。 たとえば、ある授業で、「話を聞きなさい」と授業者が言った後、子どもたちは落ち着いたように見えました。しかし、口を閉じただけで、体が話し手の方に向いていない、顔が上がらない、手遊びしている、そんな子どもが目立ちます。しかし授業者はかまわず話しています。教師と子どもの間で「聞きなさい」は「口を閉じて静かにすること」にすり変わっていたのです。ところが意外にもこの事実を彼らは見逃しています。「子どもたちは聞いている?」と質問することで初めて気づくのです。一緒に授業を見ることで子どもを見る視点に気づき、自分の学級を見る目が変わってくれることに期待します。 それぞれの授業を見た後、3人の先生とお話しました。 1人目は、1年生の担任です。 元気のよい子どもたちなので、落ち着きがなくざわつきやすいようです。子どもたちをきちんとコントロールしようと注意をしたり、叱ったりするのですが、その時の先生の表情が冷たく感じられました。子どもの表情もさえません。ところが、子どもたちが手を挙げているときの雰囲気がとてもよいのです。違和感を覚えたので、振り向いて先生の顔を見ると、とても素敵な笑顔で子どもたちを見ていたのです。 このことと伝えるとともに、もっと笑顔をたくさん子どもに見せたらとお話しました。聞いてみると、他の学級と比べて落ち着きがないので、ベテランに倣って厳しくしつけようとしていたようです。しかし、叱っている自分が嫌でかなり無理をしていたそうです。そのため、あのような表情になっていたのでしょう。人には特性があります。この先生は笑顔を武器に指導すればよいのです。怖い顔をして叱るのではなく、ちゃんとできているたくさんの子どもをほめ、できなかった子ができるようになった瞬間をほめる。叱るのではなく、ほめる機会をつくる。視点をこのように変えれば、叱るべき場面でも笑顔で対応できるはずです。このようなことを話しました。 自分の中のもやもやを吐きだすことができて、少しすっきりしたようでした。 2人目は、5年生の担任です。 授業を見ると子どもたちと人間関係がうまくいっていないようでした。子どもたちから意見がなかなかでず、「同じように考えた人いる」といったつなぐ言葉を発しても反応してくれません。いろいろ工夫しているのですが、行き詰まっているようでした。 子どもを受容しよう、ほめようと思っても、目の前に問題があると注意しなければいけない。子どもが授業に直接関係のない個人的なことを言ったときなど、受け止めてあげたいが進めなければいけないので、「後で聞くからね」と流さざるを得ない。こんな言葉も出てきました。 工夫をしていることはとてもよいことです。しかし、その工夫よりも、まず叱り方や子どもの言葉の受け方をどうするかを意識すべきだと話しました。疑問に具体的に答えながら、目先の「悪いところ見つけ」ではなく、「いいとこ見つけ」を大事にすること、最近学級で減ってきていると言っていた「ありがとう」という言葉を増やすことをお願いしました。 最初は表情に乏しい先生で硬いという印象でしたが、席を立つ頃には柔らかい表情になって印象は随分変わっていました。 3人目は、6年生の担任です。 授業にあたって、今日の授業構想のメモも準備してくれていました。子どもの言葉を活かし、子どものから答を引き出そうとしていることがメモからも実際の授業からもよく伝わりました。しかし、子どもの言葉が自分のねらっているところとずれていると、すぐに次の子どもを指名したり、自分のねらっている言葉を引き出すような説明をしたりします。子どもの言葉をたくさん引きだそうと思っているのに、ほとんど先生がしゃべっている状態です。子どもは、だんだん集中力をなくしていきます。子どもの言葉を他の子どもが理解するための間をとらず、早くゴールに到着させようとどんどん情報を与えたため、子どもたちは情報を整理できずわけがわからなくなっていたのです。 また、ずれた答を否定はしないのですが、評価もしません。しかし、自分のねらいに近い言葉に対しては、「いい意見」と評価します。結局子どもたちは、先生の考える答え探しを始めてしまいました。 少々ずれた答えでも、まず認め、教室全体に広げる。そうするとそこから次の考えがうまれ、結果的に先生のねらうところにつながっていくことを伝えました。 この先生は授業を一緒に見た時、私が指摘していたことに対して、自分はある程度できていると思っていたそうです。今回具体的に指摘されたことが、自分の授業を見直すきっかけになったようです。明日から授業を変えようと元気よく席を立って行きました。 管理職、教務主任の先生方とお話をしていて、一人ひとりの先生方の授業の様子、子どもたちの事実をしっかりと把握されていることがよくわかりました。日ごろから校内の様子をよく観察されている証拠です。この日授業を見て私が気づいたことは皆さんよく知っておられました。しかし、その事実の陰に隠れている、一人ひとりの気持ちや悩みについては気づいておられませんでした。 事実の指摘だけでは状況は改善しません。逆に追い詰めてしまうこともあります。その状況を生み出しているもの、特に心理的なものを明確にし、具体的な解決方法を一緒に考えてあげることが必要です。心理的なものは、本人も意識できていないことがよくあります。無遠慮に心に踏み込むことは慎まなければいけませんが、よき聞き手となって、悩み、もやもやを吐き出させ、受け止めてあげることが必要です。このようなことを意識するようお願いしました。 よい授業をしたいという思いと自分の学級の現実とのギャップに若い先生方が悩まれていることが、今回よくわかりました。たまに出会う私のようなものにできることは、とても限られています。日ごろから接する管理職や主任といった立場の方は、よき聞き手となって彼らを支えてほしいと思います。 若手への授業アドバイス
先週末は小学校で若手5人に授業アドバイスをしました。
3人が算数の授業を見せてくれましたが、どれも子どもたちに考えさせようとする意欲を感じさせるものでした。3人に共通した課題は、まだ教科書の読み込みが甘いということです。なぜこの活動があるのか、なぜこのように表現しているのか、なぜこの課題が設定されているのか。教師が教科書をわかっているつもりになっているだけで、きちんと理解していないために子どもたちが混乱している場面がいくつかありました。 6年生の理科の授業は、子どもたちが落ち着いて取り組んでいました。1学期に初めて授業を見たときは指示が徹底されていなかったのですが、「指示したことができるまで待つ」、「できたらほめる」を実践してきたようで、別の学級かと思うほど指示が徹底されるようになっていました。子どもの発言をしっかり受容することもできるようになり、子どもたちとよい関係を築いていました。次の課題は子どもの発言を他の子どもにつなぐことです。子どもの意見を学級全体に広げていくことを意識して挑戦してほしいと思います。 3年生の作文の授業は、課題や資料などをネットでいろいろと探してきているようでしたが、形式的に流れていました。その一番の理由が、授業が借り物だということです。「よい作文は書き出しで決まる」とポイントが貼り出されていましたが、なぜ書き出しで決まるのか、そもそもよい作文とは何かとの問いに授業者は答えることができませんでした。最近の若い先生に多いのですが、ネットなどで探した授業を深く考えずにまねしているだけでした。他の授業を参考にするときは、発問や課題の背景、ねらいを自分の学級と重ね合わせ、しっかりと自分のものにしておく必要があります。そうしておかないと、子どもの発言や活動を受け止めたり、切り返したり、評価したりがきちんとできません。活動だけがあって、中身のない授業になってしまいます。表面を取り繕うのではなく、たとえ拙くても自分で考えて授業を続けていくことで力はついてきます。まずは自分の力で授業を組み立てるようお願いしました。 5人の若手に共通していたのは、今よりよい授業をしたいという思いです。これがあれば、かならず授業力はついてきます。どの先生も、お話させていただいた後、明日からの授業への意欲を見せてくれました。次回の訪問がとても楽しみです。 |
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