ネットを利用した教材研究

古典の学習では、自分で辞書を引きながら苦労して現代文を訳し、授業で解説を聞くことで力がつきます。しかし、最近はネットで拾ってきた訳をそのまま写して、予習の代わりにする高校生が増えているそうです。自分でやった訳の確認に使うのであれば意味がありますが、ただ写すだけでは力はつきません。

これと同じことが教材研究にも言えます。
個々の教材に関する情報がネットにはたくさんあります。教材研究のツールとしてネットを活用している若い教師は多いようです。しかし、ネットで見つけたものを「このネタはおもしろうそうだ」「これは使えそうだ」と安易にそのまま真似をしている方も多いように見受けます。授業で目指す子どもの姿は、子どもたちの成長の度合いによっても変わってきます。他者の授業をそのまま自分の学級で実践したからといって、同じようにいくことはまずありません。たとえネタがおもしろくて子どもが興味関心を持ったとしても、考える場面では子どもたちの反応は異なることが当り前です。自分の学級の実態に応じた「受け」と「切り返し」ができなければ授業はうまくはいきません、

自分の目指す授業をしっかりと意識して、教材を自分なり読み込んだ上であれば、その授業者の意図を読み取ることもできます。その上で、「このアイデアはいかせる」「この発問ならば自分の学級の子どももきっと活動してくれる」と参考にするのならば有効な活用になります。ネットの利用が悪いということではなく、その利用の仕方が問題なのです。

ネットを利用すれば簡単に教材に関する情報が手に入ります。簡単に手に入ったものは、軽く扱われるものです。そこから深く学ぼうとする気持にはなかなかなれません。また、ネットの情報は玉石混交です。その中から有効な情報を見つけ出すにはそれなりの努力と力が求められます。日々真剣に授業に向き合っていなければ、ネットも有効な道具とはならないのです。

今、ICTを活用した名人の授業の追試を進めています。じっくりと名人の授業に向き合うことで、指導案や授業記録を一読したり、授業ビデオを眺めたりしただけではわからなかったねらいや意図に気づくことができます。ICTとは違ったところでもたくさんの学びがありました。古典とも言うべきこれらの授業から学ぶことは、ネットから有効な情報を探すよりはるかに効率のよい方法のようにも思えます。
見掛け上の効率に惑わされず、日々足を地につけた教材研究をおこなってほしいと思います。

若手教師の悩みと管理職の支え

昨日は小学校で若手教師に授業アドバイスをおこないました。

一緒に授業を見ながら、「誰が集中している?」「この後、子どもはどうなる?」「子どもはなぜ手を挙げない?」といった質問と解説をしました。
たとえば、ある授業で、「話を聞きなさい」と授業者が言った後、子どもたちは落ち着いたように見えました。しかし、口を閉じただけで、体が話し手の方に向いていない、顔が上がらない、手遊びしている、そんな子どもが目立ちます。しかし授業者はかまわず話しています。教師と子どもの間で「聞きなさい」は「口を閉じて静かにすること」にすり変わっていたのです。ところが意外にもこの事実を彼らは見逃しています。「子どもたちは聞いている?」と質問することで初めて気づくのです。一緒に授業を見ることで子どもを見る視点に気づき、自分の学級を見る目が変わってくれることに期待します。

それぞれの授業を見た後、3人の先生とお話しました。

1人目は、1年生の担任です。
元気のよい子どもたちなので、落ち着きがなくざわつきやすいようです。子どもたちをきちんとコントロールしようと注意をしたり、叱ったりするのですが、その時の先生の表情が冷たく感じられました。子どもの表情もさえません。ところが、子どもたちが手を挙げているときの雰囲気がとてもよいのです。違和感を覚えたので、振り向いて先生の顔を見ると、とても素敵な笑顔で子どもたちを見ていたのです。
このことと伝えるとともに、もっと笑顔をたくさん子どもに見せたらとお話しました。聞いてみると、他の学級と比べて落ち着きがないので、ベテランに倣って厳しくしつけようとしていたようです。しかし、叱っている自分が嫌でかなり無理をしていたそうです。そのため、あのような表情になっていたのでしょう。人には特性があります。この先生は笑顔を武器に指導すればよいのです。怖い顔をして叱るのではなく、ちゃんとできているたくさんの子どもをほめ、できなかった子ができるようになった瞬間をほめる。叱るのではなく、ほめる機会をつくる。視点をこのように変えれば、叱るべき場面でも笑顔で対応できるはずです。このようなことを話しました。
自分の中のもやもやを吐きだすことができて、少しすっきりしたようでした。

2人目は、5年生の担任です。
授業を見ると子どもたちと人間関係がうまくいっていないようでした。子どもたちから意見がなかなかでず、「同じように考えた人いる」といったつなぐ言葉を発しても反応してくれません。いろいろ工夫しているのですが、行き詰まっているようでした。
子どもを受容しよう、ほめようと思っても、目の前に問題があると注意しなければいけない。子どもが授業に直接関係のない個人的なことを言ったときなど、受け止めてあげたいが進めなければいけないので、「後で聞くからね」と流さざるを得ない。こんな言葉も出てきました。
工夫をしていることはとてもよいことです。しかし、その工夫よりも、まず叱り方や子どもの言葉の受け方をどうするかを意識すべきだと話しました。疑問に具体的に答えながら、目先の「悪いところ見つけ」ではなく、「いいとこ見つけ」を大事にすること、最近学級で減ってきていると言っていた「ありがとう」という言葉を増やすことをお願いしました。
最初は表情に乏しい先生で硬いという印象でしたが、席を立つ頃には柔らかい表情になって印象は随分変わっていました。

3人目は、6年生の担任です。
授業にあたって、今日の授業構想のメモも準備してくれていました。子どもの言葉を活かし、子どものから答を引き出そうとしていることがメモからも実際の授業からもよく伝わりました。しかし、子どもの言葉が自分のねらっているところとずれていると、すぐに次の子どもを指名したり、自分のねらっている言葉を引き出すような説明をしたりします。子どもの言葉をたくさん引きだそうと思っているのに、ほとんど先生がしゃべっている状態です。子どもは、だんだん集中力をなくしていきます。子どもの言葉を他の子どもが理解するための間をとらず、早くゴールに到着させようとどんどん情報を与えたため、子どもたちは情報を整理できずわけがわからなくなっていたのです。
また、ずれた答を否定はしないのですが、評価もしません。しかし、自分のねらいに近い言葉に対しては、「いい意見」と評価します。結局子どもたちは、先生の考える答え探しを始めてしまいました。
少々ずれた答えでも、まず認め、教室全体に広げる。そうするとそこから次の考えがうまれ、結果的に先生のねらうところにつながっていくことを伝えました。
この先生は授業を一緒に見た時、私が指摘していたことに対して、自分はある程度できていると思っていたそうです。今回具体的に指摘されたことが、自分の授業を見直すきっかけになったようです。明日から授業を変えようと元気よく席を立って行きました。

管理職、教務主任の先生方とお話をしていて、一人ひとりの先生方の授業の様子、子どもたちの事実をしっかりと把握されていることがよくわかりました。日ごろから校内の様子をよく観察されている証拠です。この日授業を見て私が気づいたことは皆さんよく知っておられました。しかし、その事実の陰に隠れている、一人ひとりの気持ちや悩みについては気づいておられませんでした。
事実の指摘だけでは状況は改善しません。逆に追い詰めてしまうこともあります。その状況を生み出しているもの、特に心理的なものを明確にし、具体的な解決方法を一緒に考えてあげることが必要です。心理的なものは、本人も意識できていないことがよくあります。無遠慮に心に踏み込むことは慎まなければいけませんが、よき聞き手となって、悩み、もやもやを吐き出させ、受け止めてあげることが必要です。このようなことを意識するようお願いしました。

よい授業をしたいという思いと自分の学級の現実とのギャップに若い先生方が悩まれていることが、今回よくわかりました。たまに出会う私のようなものにできることは、とても限られています。日ごろから接する管理職や主任といった立場の方は、よき聞き手となって彼らを支えてほしいと思います。

若手への授業アドバイス

先週末は小学校で若手5人に授業アドバイスをしました。

3人が算数の授業を見せてくれましたが、どれも子どもたちに考えさせようとする意欲を感じさせるものでした。3人に共通した課題は、まだ教科書の読み込みが甘いということです。なぜこの活動があるのか、なぜこのように表現しているのか、なぜこの課題が設定されているのか。教師が教科書をわかっているつもりになっているだけで、きちんと理解していないために子どもたちが混乱している場面がいくつかありました。

6年生の理科の授業は、子どもたちが落ち着いて取り組んでいました。1学期に初めて授業を見たときは指示が徹底されていなかったのですが、「指示したことができるまで待つ」、「できたらほめる」を実践してきたようで、別の学級かと思うほど指示が徹底されるようになっていました。子どもの発言をしっかり受容することもできるようになり、子どもたちとよい関係を築いていました。次の課題は子どもの発言を他の子どもにつなぐことです。子どもの意見を学級全体に広げていくことを意識して挑戦してほしいと思います。

3年生の作文の授業は、課題や資料などをネットでいろいろと探してきているようでしたが、形式的に流れていました。その一番の理由が、授業が借り物だということです。「よい作文は書き出しで決まる」とポイントが貼り出されていましたが、なぜ書き出しで決まるのか、そもそもよい作文とは何かとの問いに授業者は答えることができませんでした。最近の若い先生に多いのですが、ネットなどで探した授業を深く考えずにまねしているだけでした。他の授業を参考にするときは、発問や課題の背景、ねらいを自分の学級と重ね合わせ、しっかりと自分のものにしておく必要があります。そうしておかないと、子どもの発言や活動を受け止めたり、切り返したり、評価したりがきちんとできません。活動だけがあって、中身のない授業になってしまいます。表面を取り繕うのではなく、たとえ拙くても自分で考えて授業を続けていくことで力はついてきます。まずは自分の力で授業を組み立てるようお願いしました。

5人の若手に共通していたのは、今よりよい授業をしたいという思いです。これがあれば、かならず授業力はついてきます。どの先生も、お話させていただいた後、明日からの授業への意欲を見せてくれました。次回の訪問がとても楽しみです。
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