「わかった」は禁句!?
授業中に教師がよく使う言葉に、「わかった」があります。
「この問題がわかった人?」 「わかったこと聞かせて」 このような使われ方をよく目にします。 私は、この「わかった」という言葉を「禁句」にしてくださいとお願いしています。 「わかった人」「わかったこと」と聞かれれば、わかった子しか挙手できません。常にわかっている子のペースで授業が進みます。手をかけなければいけない「わからない子」が参加できないまま進んでいきます。 「気づいたことや考えたことを聞かせて」 「わからないことを教えて」 と、できるだけどの子も参加しやすいように聞いてあげる必要があります。 また、説明の後に「わかった?」と聞かれると、子どもの立場では「わかりなさい」という強迫とも感じられます。 「Aさん答えて」 「わかりません」 「・・・だから、・・・だよね。だから答えはこうだね。Aさんわかった?」 「わかりました」 このように教師が一生懸命に説明してくれた後では、よくわからなくても「わかりません」となかなか言えないものです。子どもが立たされたままであれば、早く座って解放されたいのでなおさらです。 「わかりました」 「じゃあ、自分の言葉で説明してくれる」 「・・・」 このように、実際に確認するとわかっていないことがよくあります。しかし、教師の方も、ここで「わからない」と言われると授業が進まないのであえて確認をしないことも多いようです。その結果、教師の説明の後「わかった」と聞かれると、とりあえず子どもは「わかった」と答え、教師はそれ以上追及しないという、暗黙の不可侵条約が結ばれてしまうのです。 「わかった」結果ではなく、「わからない」こと「わかる」過程を大切にして、わからない子が参加できる授業にしていただきたいと思います。 授業後の質問は複数で
定期テスト前の中学・高校では、職員室前に質問に来る生徒の姿がたくさん見られます。こういった授業後の質問の場面も、子どもたちの人間関係を作り、学び合いをさせることに大いに役立ちます。
私は、授業に関する質問は、3〜4人の複数で来るように指導するとよいとお話しています。もちろん、一緒に質問する人が見つからなければ、1人でもよいとは伝えます。その理由には、 一緒に質問する友だちを探す時に、わかっている人に出会えばそこで教えてもらうことで子ども同士の学び合いで解決できる。 複数に対して説明すると、全員が理解できなくても、その中の一人でも理解できれば、その子に説明させることにより子ども同士で解決できる。 今、どの子とどの子の仲がよいといった、子ども同士の人間関係を知ることができる。また、どうしても一人でしか来られない子がいれば、その子は友だち関係がうまくいってない可能性があることを察知できる。 などがあります。 このようにすることで、子どもが友だちと聞きあったり、一緒に勉強したりする機会が増えていきます。 学び合いということがよく言われますが、授業時間内だけでなく、いろいろな場面で意識するとよいと思います。 廊下を歩くと授業がわかる?
学校を訪問した時に私がよくお話しするのが、「廊下を歩くと授業がわかる」です。
廊下を歩くと授業の何がわかるのでしょうか。 廊下を歩きながら教室をのぞくと、たいてい何人かの子どもがこちらに気づきます。この数が少ないほど子どもが授業に集中しているということです。 注意するのはそのあとです。ちらりとこちらを見てすぐに顔が前に向く時と、そのままきょろきょろし続ける時があります。 子どもの気持ちが授業に向かっていないとなかなか視線が戻りません。それどころか、こちらを振り向く子がどんどん増えてきます。多くの場合、最初の1人2人の段階で教師が気づいて、声には出さなくても目で子どもを制しますので、すぐに収まります。こちらを見る子どもの数が増えるということは、子どもが集中力をなくしているだけでなく、教師が子どもを見ていないということです。 子どもの授業に対する集中度と教師が子どもをちゃんと見ているかがわかるのです。 廊下を歩くだけで教師がざわつく学校もあれば、まるで自分が空気にでもなったように感じる学校もあります。授業改善が進んでいる学校は、訪問するたびに子どもの視線を感じなくなります。それだけ子どもが授業に集中しているのだと思います。 時間を与えることの意味
子どもに問題を解かせたりワークシートなどの作業をさせたりしている時に、「まだできていない人がいるから、あと○分あげるね」と作業時間を延長する場面によく出会います。また、発問して子どもの手が挙がらない時に、「もう少し考えて」と待つ場面もよくあります。このように子どもに時間を与えることについて少し考えてみたいと思います。
「全員ができてほしい」 「少しでも多くの子どもに考えてほしい」 教師であればだれでもが願うことです。しかし、子どもに時間を与えればできるようになるのでしょうか? 与えられた時間、考え続けることができるのでしょうか? 例えば、与えられたプリントが終わらない子どもの状況を考えてみましょう。 計算が遅い、調べるのが遅いなど作業スピードの問題で時間が足りないのであれば、作業が遅い子には与えられた時間は有効です。ただし、作業が速い子にはその時間が無駄にならないような工夫が必要です。(参考:作業スピードの差をどう埋めるか) 注意が必要なのは、単に作業スピードの問題でない場合です。子どもは「時間が足りない」以外の理由で行き詰っているのですから、単に時間を与えるのではなく、その原因を取り除く必要あります。そのための手立てをせずに時間を延長しても、「できる子は与えられた時間遊んでいるだけ」「できなかった子は最後までできずに終わる」ことになり、結局時間の無駄になってしまいます。 この場合、子どもができない理由をきちんと判断して、必要に応じて友だちに聞くことを促したり、教科書等のどこを見るか具体的に指示する。一旦作業を止めて、見通しを全体で確認するなどした上で、時間を与えるようにする必要があります。 時間を与えることは、その時間が子どもにとって有用な時間になって初めて意味を持ちます。単に遊ぶ時間を増やす、手がつかないで苦しむ時間を増やさないようにしてください。 ベテランが伝えること
昨日は、ベテラン2名と若手1名の授業研究に参加しました。
子どもたちは明るく、よい姿をたくさん見せてくれました。 授業後、先生方とお話しさせていただいて印象に残ったのが、ベテランの方の今回の授業に対する姿勢でした。ベテランですからいつも通りの授業を見せれば無難に過ぎていきます。しかし、ベテランだからこそ新しいことにチャレンジして若い人に見てもらいたいと、今までとは違った教材を用意して臨まれました。 ベテランが伝えるべきものは、授業技術だけでなく、常に授業改善に前向きに取り組む姿勢そのものであると教えられました。 もう一人のベテランも、以前と比べると確実にそのスタイルが進化しています。 若手の先生も前向きにアドバイスを受け止めることができていますし、確実に進歩しています。 ベテランが授業に取り組む姿勢を伝え、若手がそれを学ぶことで、学校全体の授業改善への取り組みが進んでいくのだと実感しました。 指示の後の子どもの動き
教師が課題や作業の指示を出した後の子どもの動きを見ていると、いろいろなことがわかります。
すぐに鉛筆を持って取り組もうとする時は、課題に対する意欲がある時、何をすればよいかというゴールが見えている時です。 実際の授業では、ここで子どもが止まってしまうことがあります。こういう時は、子どもが何をすればよいかよくわかっていないことが多いようです。周りの子に何をすればよいのかを聞く姿もよく見られます。 子どもがすぐに動き出さない時は、一旦作業を止めて、もう一度指示の内容をきちんと確認をする必要があります。 また、すぐに動き出しても、しばらくすると鉛筆を置いて動きが止まる時があります。これは、どうすればゴールにたどり着けるのか見通しが持てない時に多いようです。この状態がしばらく続くと、子どもは手遊びを始めたりして集中力を無くしてしまいます。 ここで注意しなければならないのは、単に集中するように個別に声をかけたり、できていないからといって作業時間を延長しないことです。見通しが持てないのですから、時間を与えてもなかなか解決できません。また、「わからない人はヒントを出すから聞いてね」と作業をさせたままで教師がヒントを出したりするのも、全体の集中を乱すのでよくありません。 ここは一旦作業を終了させて、全体で見通しの確認をする必要があります。 答えを発表するのではなく、最初の一手やヒントをできている子どもに発表させます。教師がヒントを出すと、できている子は分かっているので、聞く意欲を無くしてしまい、結果そのあと作業に戻っても、集中力を無くしたり、勝手に周りの子に教えてじゃまをしたりするようになるからです。 もう一つ注意して欲しいのが、できる子への指示です。できる子は早く終わるとすることが無いので、遊びだしたり、周りの子のじゃまをすることがあります。学級全体の集中力が落ちてきて、まだ途中の子も遊び始めてしまいます。手のつかない子は、できた子の存在がはっきりするので、プレッシャーを感じます。「できた人は、・・・をしましょう」と作業に入る前に指示をすることも忘れないようにしましょう。 指示の後の子どもの動きから、子どもの状況を把握して、「子どもに活動させているつもりが無駄な時間となってしまう」ことがないよう、素早く対処してください。 教師は子どもの発言を復唱しない方がいい?
「教師が子どもの発言を復唱するとよいですよ」というアドバイスをすると、「子どもが教師の発言を聞けばよいので、友だちの発言を聞かなくなるのでは」と質問されることあります。実際に「教師は子どもの発言を復唱しないように」と指導している地区もあります。本当のところはどうなのでしょうか?
まず大前提となるのが、教師が子どもの発言を復唱するときには、子どもの発言をできるだけそのまま復唱することです。例え間違いや不完全な答えでも、そのまま復唱することで、子どもは教師が自分を認めてくれたと感じるのです。復唱することの意味は教師が子どもを認めているという安心感を教室に作ることです。 ところが、教師は子どもが間違いのときには無視したり、逆に期待した答えに近いことを言ってくれると、今度はどんどん自分の言いたいことを足してしまいます。 「観察していてどんなことに気づいた。Aさん」 「泡が出た」 「他にはない」 「Bさん」 「白くなった」 「そうだよね。Bさんが言ってくれたように、石灰水の中に通すと白く濁ったよね」 これではAさんは「自分はダメだったんだ」と思いますし、Bさんも「あれ、自分の言ったことと違う。間違っていたのかな」と不安になります。自己有用感を持てませんし、教師との関係も作られません。 また、まわりの子は先生の言ったことが正しいと思うので、Bさんの発言を認めなくなります。 「観察していてどんなことに気づいた。Aさん」 「泡が出た」 「なるほど、泡が出たんだ」 「それってどこから出たの」 「ガラス管から」 「ガラス管からでたんだ。ガラス管から泡が出たときに気づいたことない」 「うーん」 「いいよ。じゃあ誰かAさんの代わりに答えてくれるかな。Bさん」 「白くなった」 「白くなったんだ。何が白くなった」 「石灰水」 「なるほど、石灰水が白くなったんだ」 「Aさん、どう」 「うん、思いだした。水が白くなった」 「そうだよね。水が・・・白くなった」 「石灰水が・・・」 「石灰水が白くなったんだ」 「じゃあ、AさんとBさんが言ってくれたことまとめてくれる人」 このように、子どもの言葉をそのまま復唱しながら、深めていくやり取りをすれば、子どもも達成感を持てますし、まわりの子も教師の言葉に反応しながら、友だちがどう答えるかを真剣に聞くようになります。 もちろん、いつも教師が復唱するのではなく、他の子に復唱させたり、評価させたりするなど、友だちの発言を聞く価値を持たせる工夫も必要になります。 教師と子どもの関係をつくるのに、子どもの発言を教師が「そのまま」復唱することは有効なことです。一律に「いい」「悪い」ではなく、学級の状況に応じて、教師が意図的に復唱を活用していただければと思います。 子どもが友だちの発言を聞かない理由
授業を参観していると、子どもが友だちの発言を聞いていないと感じることがよくあります。友だちの発言中も教師の方を向いていて、その内容に反応しない。教師が他の子どもの発言を求めると、ちゃんと反応する。授業には参加しているのに、友だちの発言は聞こうとしない。なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
このような授業に共通して感じるのは、子どもが友だちの発言を聞く必然性がないということです。 子どもの発言を受けて、「はい、正解」「いいですね」と言って、教師が一人で説明をする。 教師の求める答えでなければ「他には」とその発言は無視して次に行く。 このような進め方ですと、友だちの話を聞かなくても教師の発言を注意して聞いている方がよくわかるし効率的です。説明の後に要点を教師が板書してくれるのであれば、教師の話も聞く必要がありません。板書を写すことに専念すればよいのです。 では、聞く必然性はどうやって作ればよいのでしょうか。基本は子どもの発言できるだけ生かすことです。 「Aさんの説明を聞いて、なるほどと思った? 思った人、どこでなるほどと思ったか教えてくれる」 「Aさんの説明で納得した? よくわからない人もいるみたいだね。だれか、Aさんのかわりに、Aさんの考えを説明してくれる」 このように、子どもの発言を他の子どもにつないでいくようにするとよいでしょう。 また、友だちの発言を聞いていないと答えられない質問をすることも、聞く姿勢を作るためには有効です。 「今、Aさんがとてもいいこと言ってくれたけど、Bさんもう一度言ってくれる」 「わかりません」 「よく聞いてなかった? もったいなかったね。悪いけどAさんもう一度言ってくれる」 「・・・です」 「Aさんありがとう。Bさん言ってくれる」 「・・・です」 「Bさん、よく聞けたね」 このような場面では、友だちの発言を聞いていたことをきちんと評価することも忘れないようにしてください。 子どもが友だちの発言を聞かないのは、実は教師がそのことをちゃんと子どもに求めていないからなのです。 「みんな」という言葉は要注意
授業を参観していると、「みんなよく頑張ったね」「みんな分かった?」と、「みんな」を主語にした言葉をよく耳にします。この「みんな」という言葉にはちょっと注意が必要です。
「みんな」という言葉は、教師が子ども一人ひとりをきちんと見ていなくても使える言葉です。また、子ども一人ひとりの行動や理解は異なりますが、それらを「みんな」で代表させてしまうと、子どもがきちんと自分を評価できなくなったり、自分を主張できなくなったりします。 例えば、「みんな頑張ったね」と教師が言う時は、具体的に誰が何を頑張ったか、本当に一人残らず頑張っていたかを確認していないことがよくあります。子どももなんとなくほめられてうれしいのですが、きちんと自己評価できません。 「○○をやった人、手を挙げて」 「全員手が挙がったね。みんな頑張ったね」 このように、具体的に問いかけ、子どもが自己評価できることを大切にするとよいと思います。 ただ、全員の手が挙がらない時は、挙がらない子をきちんとケアする必要があります。 「A君は手が挙がらなかったけど、どういうことかな」 「あまり○○はちゃんとやらなかった」 「そうか、やらなかったか。でも、先生は、A君は△△をやって頑張ったと思うよ」 「みんな頑張ったね」 また、「みんな分かった」と聞いて、子どもが「はい」と元気よく返事を返してくれても、本当に全員分かったとは限りません。確かに大多数の子どもがわかっているのかもしれませんが、その陰には少数の分からない子がいることも多いのです。 「みんな」という言葉は、その中に入らない子どもを切り捨てる言葉にもなってしまいます。 教師が学級に語りかける時に便利な「みんな」という言葉ですが、その使い方には注意してほしいと思います。 ベテランのチャレンジ
昨日は、授業研究に参加してきました。ベテランの先生の音楽の授業でした。
新学習指導要領で「言語活動」がどの教科でも取り入れられていますが、そのことを強く意識されていました。 合唱でどのように表現したいかを子どもの言葉で発表させ、その言葉をキーワードに音楽表現を考えさせる。 そのことを意識して、ペアで練習する。音楽表現にこだわり、互いにアドバイスし合う。 子どもたちは、驚くほど一生懸命に取り組み、最後の合唱では、誰の目にも明らかにうまくなっていました。 ペアでは、声がしっかり出るように互いの距離を大きく取らせるなど、ベテランらしい細かい配慮も行き届いていました。 ベテランが新しいことにチャレンジした方が、もともと持っている引き出しが多いので、子どもの状況に細かく対応でき、よりよい授業となることが多いように思います。 授業研究の場で、ベテランが今まで培ったものをただ披露するのではなく、新しいことにチャレンジするということは、学校全体の活力アップにもつながります。 ベテランがチャレンジすることが、ベテランのよさを生かすことだと感じました。 授業後も先生の音楽の授業と子どもへの思い、次のチャレンジへの意欲たくさん聞かせていただきました。私自身がたくさんのことを学べた1日でした。 子どもを見ることから学ぶ
昨日は、市の中堅対象の研修会でコーディネーターを務めました。授業を参観してのグループでの検討を中心にしたものです。いろいろな市町や学校から研修をお願いされるのですが、講演は極力お断りして、授業を見ての勉強会を中心としたものを提案させていただいています。この市でもこういう形式で4年目となります。毎回新しいメンバーなのですが、私自身たくさんのことを学ばせていただいています。
学力も高く指示されたことをきちんとこなせる学級での授業でした。グループでの話し合いの後の発表の場面では、本当に多くの子どもが挙手をして発表してくれました。先生はどの子の発言にも否定的なことを言わず、受容的な姿勢で子どもと接していました。そのせいか、子どもたちのテンションも終始落ち着いていました。 授業後の参加者による検討会では、教師の発問や支援といったことよりも、子どもの事実をもとに話す姿たくさん見られました。 子どもたちは書く力はすごくある。けれど、グループの活動では、自分の書いたものを順番に発表するだけで、自分と反対の意見がでていてもそのまま互いに認めて議論にならない。なぜだろう? 非常にできる子が、客観的なことを書いていたが、グループの話し合いで他の子が主観的に書いているのを知って、書きなおしていた。グループにするとこんなことが起こるのだ。 個人の作業で手がつかなかった子が、グループになって友だちの発表を聞いてから、自分の考えを書き始めた。何を書いてよいのかよくわからなかったのが、友だちの発表で分かったのだろうか? このような話がたくさんされていました。 発問や支援といった教師の行動に注目しても、この「教科」、この「単元」、この「学級」でしか通用しない話になってしまうことが多々あります。どの授業にでも通じることをそこから見つけて話し合うことはなかなか難しいものがあります。また、「自分はこのやり方をしない。自分ならこうする」と思った時点で学ぶことはなくなってしまいます。 それに対して、子どもの姿は、どの授業でも目にする可能性のあることがたくさんあります。その姿は明日の自分の授業でも起こりうることです。また、こういう話し合いをすると、自分の授業での子どもの様子が気になるようになります。そこから、授業の改善すべきところが見えてくるようになります。 授業を見る時は、教室の後ろから教師を見るのではなく、横や前に移動して子どもの姿もしっかり見てください。きっと多くのことを学べると思います。 テンションが上がる理由
教師が意図しないのに子どもたちのテンションが上がってしまう場面に出会うことがあります。その理由が分からないのでなかなかコントロールすることもできません。意図して子どもたちのテンションをよい状態に保つためにも、子どもたちのテンションが上がる理由を考えてみたいと思います。
子どもは友だちや教師に認められたいと思っています。教師と子どもの関係がよい学級では特に教師に認めてもらおうと積極的に挙手をして指名されたいと願います。その一方で、間違えたり、自分の考えを否定されたりすることには臆病で、自信がないとなかなか挙手もできません。したがって「分かる」「できる」こと、「自信を持つ」ことは子どものテンションを上げる要因の一つです。 また、間違いや自分の考えを否定される心配が無い状況であれば、安心して気軽に発表できるので、テンションが上がりやすくなります。教師と子ども、子ども同士が互いの考えを認めあえる学級であれば、どのような発言でも否定されることが無いので、当然テンションは上がります。このような学級では互いの発言を真剣に聞く姿勢ができているのでテンションが上がりすぎることもなく、程よいテンションが保たれます。 もう一つ気軽に発表できる要因があります。それは「無責任」です。根拠や理由を問われないのであれば、真剣に考える必要がありませんし、何を言っても言いっぱなしで済みます。「無責任」に発言できる状況であれば、簡単にテンションが上がります。クイズはその典型です。テンションを簡単に上げる手段としてよくつかわれますが、根拠や理由を問わずに続けているとテンションがどんどん上がっておさまりがつかなくなります。 テンションが上がりすぎていると感じる時は、「無責任」な発言や活動が許される状況になっていないかを意識してください。教師が根拠を必要としない問いかけをしていたり、子どもの発言や行動に対してその理由を問い返さなかったりしていることが原因であることがよくあります。テンションが上がる要因を意識して、適度なテンションを保てるよう工夫してください。 テンションを上げすぎない
教師の質問に子どもたちが次々に勢いよく挙手をし、指名された子どもが元気よく答える。
一見すると活発な授業場面ですが、往々にして子どもたちのテンションが上がりすぎていることあります。テンションが上がりすぎることの何が問題なのでしょうか? まず、子どものテンションが上がると積極的になりますが、同時に受容的でなくなります。押しのけて発言しようとしたり、友だちの発言を聞かなくなったり、否定的になります。 指名されようと大きな声を出したり、目立つ動きをして教師の気を引こうとする。 友だちの発言が終わるとすぐに挙手をする。(相手の発言をきちんと受け止めていれば、その言葉を受け止めるための時間が必要です。挙手するまでに少し間が空くはずです) 友だちの発言を間違いだと判断した瞬間に、発言が終わらないうちに「はい」と挙手をしたり、「違ってる」と大きな声で指摘したりする。 こういう状態では、教室全体で共に学ぶ姿勢が崩れてしまいます。 そして、子どもたちのテンションが上がるとそれにつれて教師のテンションも上がってしまいます。子どもの大きな声を押さえようと教師の声が大きくなり、教師の注意がテンションの高い子どもにばかりにいってしまいます。テンションの高い子どもと教師だけで授業が進み、そのテンションについていけない子どもはどんどん冷めていき、授業に参加しなくなります。教師もそういう子どもたちを見逃しやすくなります。 子どもたちに活気のない授業では困りますが、子どもたちのテンションが上がりすぎることにも注意が必要です。 子どもが積極的になるには
先週、学校訪問の研究授業と学校公開日の2回訪問した学校でのことです。
子どもの積極的な姿をいくつかの授業で見ることができました。 英語の授業でのことです。 教師がペンを子どもに渡す動作を見せて、子どもがその動作を英語で全員が説明する場面です。ペンを渡そうとする様子を見せて未来形、動作をしながら現在進行形、動作終えた後は過去形を使うのです。この間日本語は一切使いません。大人でも真剣に考えないと難しいのですが、子どもは集中して取り組んでいます。子どもが分からなくても、先生は絶対に正解を言いません。何回か先生が動作をするうちに分かった子ども声に出します。すぐに全員が大きな声で答えを言います。とても積極的な態度です。 先生やCDの後について全員が英語を話す場面では、これはほど積極的な姿は見られません。何が違うのでしょうか? 積極的になるには、興味・関心が大切だとよく言われます。また、興味・関心を維持するためには、分かること、できることが大切です。この例では、これにつけ加えて達成感の大きさが大きな要素となっているように思います。 同じ分かる、できるにしても、言われたことをそのままやるのと、一生懸命考えてクリアするのとでは達成感がまるで違います。分かった喜びの大きさの違いといってもよいでしょう。本当に真剣に考えて分かったので、そのあとの発声がとても大きなものになったのです。 子どもたちの積極性を引き出すには課題設定が大切です。子どもたちが一生懸命頑張ってちょうどクリアできるような課題設定はとても難しいのです。また、この課題を個別に取り組ませても、クリアできない子がたくさんになって、積極的になるどころかやる気をなくしてしまいます。 この例のもう一つのポイントは全員で取り組むことです。誰かが発声することで、それがヒントになります。仲間の声を聞くことで答えが分かってきます。友だちの声に支えられて自信を持って答えます。しかも、先生が正解と言わないので、自分たちでクリアした気持ちなります。 個別的な学習では、子どもを積極的にするにはスモールステップを意識しないと全員がクリアできません。学級全体やグループをうまく使って難しい課題にチャレンジすることも、子どもたちの積極性を引き出すにはとても有効な方法になることを再認識させられました。 参考:今回は紹介した英語の授業はGDMという授業法によるものです。 英語教授法研究会ホームページ 映像による紹介 School55.net映像コラム 「指導と評価のワンポイントアドバイス」 学校が落ち着くということ
先週末は、初めての訪問から3年目の学校で終日授業参観をしました。
初めて訪問した時は生徒指導面で大変な時期でしたが、そのころと比べて子どもたちはとても落ち着いて授業を受けていました。特に3年生は1年生の時と比べて見違えるほどよい表情を見せてくれました。先生方が子どもとの関係作りに非常に多くのエネルギーを注いだ結果だと思います。生徒指導で苦労していた時の様子はほとんど感じられません。普通の学校になっていました。 授業を参観していて、授業規律の失われているような学級はなく、指示も子どもにきちんと伝わっています。先生の表情も穏やかです。ただ、残念なのは先生の指示や説明が多く、子どもが受け身になっている時間が長いことです。生徒指導で苦しい時は授業規律を維持するだけでも多くのエネルギーを必要とします。子どもの積極的な活動時間を増やすことは、また、授業規律が緩むのではないかと不安に思うのでしょう。 しかし、学校が落ち着いている今だからこそ、教師と子ども、子ども同士の関わりあいを増やし、互いに認め合うことで子どもたちに自己有用感を持たせるチャンスなのです。子どもたちが学校で過ごす時間の大部分は授業です。その授業で子どもたちに自己有用感を持たせることが、生徒指導上も一番効果的なのです。 「表現力」「思考力」がこの学校の今年のキーワードです。全体会では、仲間や先生との関わりあいの中で、表現する、考える必然性を持たせる工夫をするようにお願いしてきました。先生方はきっと授業改善に向かって新たなチャレンジをしてくださることでしょう。 次に訪問する時が楽しみです。 学校が落ち着くということはゴールではなく、次のステップへのスタートだと思います。 基本がしっかりできていること
昨日は、4年目の小学校の先生の授業を参観しました。
昨年まで大変な学年で、授業中歩きまわっていた子が何人もいると事前に聞かされていました。ところが、見てみると授業規律が確立した、やる気のある子どもたちです。目を凝らして見るのですが、どの子が去年苦労した子かわかりません。 特に印象に残るのが、教師の表情や話し方です。終始にこやかで、教室の隅々までしっかりと指示が届く落ち着いた話し方です。そのおかげで、子どもは安心して授業に参加しています。また、教師が子どもの言葉を聞く姿勢も受容的で、当然教師と子どもの関係も良好です。教材や発問など、授業で考えるべきことはたくさんありますが、このような基本がしっかりできてからのことです。 授業後は、教材や発問、子どもへのせまり方などたくさんの話をすることができました。 若い先生への期待
昨日は、要請訪問の研究授業の参観に出かけてきました。
午前中は、若い先生方と一緒に校内の授業を参観しながら、授業を見る視点と簡単なアドバイスをしました。 感じたことは、一人ひとり授業に真剣に取り組んでいることと、その一方では、いろいろな悩みを抱えていることです。 目の前で起きている子どもたちの事実はわかっても、どうしていいかわからない苦しさを感じました。若い先生方は、こんな基本的なことを相談するわけにはいかないと思っているのかもしれません 「こういう方法もあるよ」というちょっとしたアドバイスにも、みなさん素直にうなずいてくれました。 自分は分かっているからと友だちの発言に関心を示さない子に対して、何もかも先生が説明するのではなく、分かっている子どもに説明させたらいいというアドバイスをしたところ、参加した中の一人から早速4時間目にやってみましたと報告を受けました。 まだ復習の場面ですがと言いながら、分からない子に2人の子が説明することで、分かってくれたとうれしそうに話してくれました。その明るい笑顔に私もとても幸せな気分になりました。すぐに試してみる行動力が、若い人の強さだと感じました。 研究授業は、新任と2年目の先生の授業でしたが、子どもたちとの基本的な関係ができていることを感じさせてくれるものでした。 授業後2人にこういうことができるようになってほしいことをいくつか話をし、最後に、明日からでもできそうなこと、やりたいことを聞かせてもらいました。 1人は、「Iメッセージでほめたい」、もう1人は「ほめる場面をつくって、ちょっとしたことでもほめてあげたい」と答えてくれました。 2人とも子どもとの基本的な関係をつくる「ほめること」を選んでくれたことをとてもうれしく思いました。また、一言も言わなかった「ほめる場面をつくる」ことを気づいたことに大変驚きました。「ほめる」ためには、「意図して」ほめる場面をつくることが大切です。これに気づけるのですから、間違いなく今後力をつけていくと思います。 若い先生は未熟な面が多いことは確かです。しかし、素直に伸びようとする気持ちがあれば、急速に進歩します。彼らにちょっとしたアドバイスや励ましの言葉をかけることでその進歩をより確実なものにすることができます。素直で行動力のある彼らが、この学校をより素晴らしい学校にする原動力になってくれるものと期待します。 子どもが見えるようになるということ
昨日は、3年目の先生の授業のアドバイスをおこないました。
学校訪問での授業研究のための音楽の検証授業です。 合唱をどのように工夫して歌うかを、子どもたちにグループで考えさせるという、この先生が今までやったことがない形にチャレンジしていました。 子どもたちはそれなりに話し合うのですが、1時間終わってみると音楽活動が少ない、国語の授業のようになってしまいました。 授業後いろいろ話をしながら、この授業をどう変えるかということを尋ねたところ、グループ活動の一部分をバッサリ切って、実際にグループで歌いながらどこに強弱をつけようか、どのように表現しようかと話し合わせるようにしたいとすぐに返事が返ってきました。自分の授業で起こっていることをしっかり見て把握していたので、修正の方向がすぐに打ち出せたのです。 自分の授業は自分で直接見ることはできません。子どもたちの様子からしか評価できません。この先生は授業中の子どもの様子をしっかり見ることができるようになり、子どもたちの様子から自分の授業を評価できるようになっていたのです。 特別な1時間の授業がよかった悪かったと指摘されて授業はうまくなるのではありません。毎日の授業をきちんと自身で評価し、自分の力で学ぶことが大切です。そのための条件の一つが、子どもが見えるようになることです。毎日子どもが見せる評価を受け止めることが、何より大切なのです。 この先生の成長を喜ぶとともに、次回授業を見せていただくのが本当に楽しみになりました。 子どもの姿に感動
昨年よりお手伝いさせていただいている学校の授業研究に参加しました。
若手の社会科の授業でしたが、子どもたちは素晴らしい姿を見せてくれました。 子どもたちはとても柔らかい表情で、1時間集中を切らさず授業に参加していました。話し合いや発表では常に教科書や資料集のどの部分を根拠としているかを明確にし、それを聞いた子どもは、全員すぐにその部分を確認していました。これはその日だけやろうとしてもできることではありません。日ごろからきちんと子どもたちを育てている証拠です。 圧巻は、2度目のグループでの話し合いの場面でした。2つ目の資料に対して、子どもに直感で「イエス」「ノー」を確認したころ大きくわかれました。これだけ育っている子どもたちです。それを受けての話し合いは当然すぐに活発なものになると予想されます。ところがほとんどのグループで話し合いが起こりません。みんな集中して教科書と資料集を真剣に調べているのです。直感ではなく根拠を持って話し合おうという姿勢の表れです。根拠を持つことが徹底されていると感じました。 この子どもたちの姿は、この先生一人が作り上げたものではありません。参観されていた先生も一人ひとりの子どもをしっかりと見ていて、授業検討会も子どもの固有名詞がたくさん出てくる充実したものです。学年や学校全体がこのような姿勢で取り組んでいるからこそ、子どもたちをが育っているのです。 とても素敵な子どもたちと先生方のおかげで、充実した時間を過ごさせていただきました。 子どもをつなげるために
昨日訪問した学校で、ある先生から国語の授業の相談を受けました。
授業研究のテーマが「つなぐ」ということなのですが、子ども同士をどうやってつなごうかという相談でした。 この先生は、「子どもが友だちの発言を受けて、自分の考えをつなげていく」ことが受け持っている子どもたちには難しいと感じていたようです。そこで、子ども同士のつながりは教師がつないでいくことから始めればよいことをお話しさせていただきました。 例えば、主人公の気持ちを読み取るという課題であれば、子どもに本文のどこでそう思ったかを聞きます。根拠を本文に求めることで、子どもと教材をつなぐのです。 このあと、子どもの根拠と子どもの意見で子ども同士をつなぎます。 「Aさんはこの表現から、○○と考えたんだけど、同じところに注目した人いる」 「じゃあBさんは、この表現からどう考えたか聞かせてくれる」 「○○です」 「Aさんどう思う」 「わたしと似ている」 「Cさんはどう考えた」 「○○です」 「この意見はどうかな」 「Aさん、Bさんとはちょっと違うね」 「では、Cさんと同じ意見の人はいるかな。注目した表現は違ってもいいよ」 「Dさんの考えを言ってくれるかな」 「○○です」 「なるほどCさんの意見と同じだね。どこの表現からそう考えたの」 「○○という表現です」 このように、根拠とその意見次々につなぐことで、自然に子ども同士がつながっていきます。こういう形でつながることを経験していくと、この先生が望むような「友だちの意見につなげて自分の意見を言う」子どもが育っていくと思います。 |
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