考えるための足場をつくる
子どもたちが考える授業をしたいと誰もが思っていることでしょう。しかし、問題を提示して、「考えてごらん」と言えば考えられるわけではありません。子どもが考える授業にはどのようなことが必要なのでしょうか。
大切なことは、考えるためには知識が必要だということです。授業中に考えさせたい問題に対して、どのような知識が必要かまず教師がしっかりと押さえておく必要があります。その上で、子どもたちがその知識を使える状態にあるのかどうかを確認しなければなりません。 既修事項であっても全員が身についているわけではありません。授業の最初に復習したり、整理をすることから始めなければなりません。考えることに時間を使いたいのですから、この時間はできるだけコンパクトにしたいものです。そのために必要な知識を絞り込んでおくことが大切です。 必要な知識が未習であれば、どのようにして身につけさせるかを明確にしておく必要があります。原則、知識は教えるか、調べさせるかのどちらかです。授業の組み立てで、どの程度の時間を割けるかによって判断する必要があります。 教師は、どうすればこの問いに答えられるのか、考えることができるのかを意識していないことがよくあります。考えるにあたって、無意識のうちにいろいろな知識を活用していますが、そのことを意識下から掘り起こす必要があります。そして、この考えるための足場となる知識を子どもたちが利用できるようにすることが大切になります。この足場をつくるという発想を持つようにしてほしいと思います。 個人作業にこだわりすぎない
自分の考えを持たせようとグループでの活動の前に一人で考える時間をとったり、一人で問題を解かせるようにすることがよくあります。すぐに人に聞いたり、答えを写しては力がつかないと考えるからです。しかし、行き詰って何も考えずにじっとしていたり、手遊びを始めている姿を目にすることもよくあります。個人での作業はどのように考えればよいのでしょうか。
大切なことは、グループでも個人でも子どもたちがきちんと活動することです。たとえ手が止まっていても、思考していれば立派な活動です。しかし、何も考えず時間をつぶしているようでは困ります。それくらいなら友だちに答えを教えてもらった方がよほどプラスになります。 「どうしてもわからなかったら相談したり聞いてもいいよ」と自分の判断で相談できるように指示しておくとよいでしょう。注意してほしいのは、たずねられていないのに勝手に教えないように強く言っておくことです。自分で考えているのに横から教えられるとやる気をなくしてしまうからです。 また、一人では手がつかないような子は、なかなか自分からは相談できないものです。教師が子どもの様子に注意して、動きが止まっているようであれば、相談したり聞くように促す必要があります。 さて、私たちは答えを写しては力がつかないと考えますが、子どもは自分で答えを出せなかったことを悔しく思い、何故そうなるかを考えようとするものです。友だちにたずねたり、その答えになる理由をなんとか自分で考えようとします。また、確認の場面では、必ず理由や過程を発表させるようしましょう。こうすることが、答えを写すだけでなく理由も考えようとする子どもたちの姿勢を育てます。 個人作業は大切な時間ですが、一人でやることにこだわりすぎて子どもの活動が止まってしまわないように注意してほしいと思います。 採用2年目の先生の授業を見る
昨日は中学校で、採用2年目の先生3人の授業アドバイスを行いました。
3人とも新任から見ている先生ですが、当時を思うと驚くほど進歩していました。どの授業も、若い人にありがちなテンションが高くなるような場面も全くなく、子どもたちの活動を大切にしている、参観して心地よいものでした。 彼らに共通していると感じたのは、素直であるということです。私からの直接のアドバイスだけでなく、研修主任が発信している学校で取り組もうとしていることなど、実に誠実に取り組もうとしていました。 午前にアドバイスした先生は、指摘されたことを午後の授業ですぐに改善していました。この素直さが伸びる条件だとあらためて思いました。 また、共通していたのは自分の授業の課題が意識できていたことです。 ・どの子もきちんと授業に参加しているが、どうしても発表等はできる子ばかりが活躍してしまう。 ・体育で子どもたちの活動場面をたくさん作ろうとしているが、道具の制約で活動できない待ち時間が多くなり、だれてしまう。 ・子どもたちで解答の確認をしたり、意見交換をしたりする場面をつくっているが、答えだけを見せ合って終わってしまう。 こういう課題が意識できることが伸びるためには大切な要素です。それぞれの課題について次のようなアドバイスをしました。 1番目の課題については、「正解」と言わない授業をしているので、できる子が正解を言ったあとで、手が挙がっていなかった子に答えを言わせる。表現を動作化するといった、質問に対する解答以外で子どもたち活躍できる場面を用意する。 2番目の課題については、道具を使わない練習を組み合わせることを話しました。待つ間にできることをする。1グループを半分の数にして、道具を使う活動と使わない活動に振り分け、時間で交代する。こんな発想を持つとよい事を伝えました。 3番目の課題については、子どもたちが考えや意見を交換するやり方を知らないことが問題でした。先生の板書や説明が式や結果に偏っていて、どこで気づいた、なぜこの公式を使おうと思ったといたことを子どもたちに問いかけていなかったことが原因です。まず子どもたちの意見交換のモデルを全体の場で見せるようにすることを話しました。 しかし、このようなアドバイスを受ける機会が、この先いつもあるわけではありません。自分で本読んで考えたり、同僚の先生に相談するというアクションも必要です。授業について学ぶ方法を自分の中に確立することが次の課題になっていくのでしょう。 若い先生の成長の場に立ち会えていることは、大変楽しいものです。このような機会を得ていることをありがたく思いました。 ほとんどの子が挙手するとき
ほとんどの子は挙手しているが、数人の子が手を挙げていない。そんな場面によく出会います。「わかった人」と確認したときであれば、多くの教師が次に進んでいきます。復習の場面であれば、指名します。このような進め方でよいのでしょうか。少し考えてみたいと思います。
ほとんどの子どもが手を挙げているときは、本当にわかっている場合と周りにつられて手を挙げている場合があります。そのような場合、指名するにしてもちょっと不安な子にするべきでしょう。 わかったかどうかの確認の時も、念のために指名することは大切になります。 しかし、それよりも挙手していない子たちはどのような状態なのか考える必要があります。ほとんどの子が挙手しているのですから、わかっているけど、授業に参加する気がない、かかわりたくないという状態なのでしょうか。それとも本当にわからない、自信がない状態なのでしょうか。 このような時はちょっと時間がもったいないような気がしますが、隣同士や周りの子と確認させるとよいでしょう。挙手をしている子どもはわかっているのでしゃべりたいという気持ちがあります。指名では数人しか発表できないので、挙手した子どもたちにとっても意味のある活動です。 このとき、挙手しなかった子どもの様子をよく観察してください。友だちの説明を聞いて納得できているようであれば大丈夫でしょう。周りとかかわれていないようであれば、全くわかっていないのか、授業に参加する気持ちがないということです。この場合、その場ですぐに対処できることは少ないので、機会をつくって、わかっているかどうか確認したり、声掛けをしたりしてフォローする必要があると思います。 ほとんどの子の手が挙がっているからよいと思うのか、だからこそ手の挙がらない子に注意を向けるのかが、授業の分かれ目になると思います。少数の子のために時間を割きすぎるのは問題があります。だからこそ、大多数の子も少数の子もともに活かすような工夫が教師には求められるのです。 中高一貫校から学ぶ
先日私立の中高一貫校におじゃましました。ありがたいことに、廊下から授業の様子を見させていただくことができました。習熟度別学級編成をとっていることもあり学級間の雰囲気の違いはあったのですが、それよりも中学生の様子が気になりました。
中学生、特に1年生のころは教師や友だちとかかわりたいという意識が感じられるものですが、そういったかかわり合う意識が教師からも子どもからも感じられなかったのです。 この学校では、教師は中学校と高校で分けずにどちらも教えているそうです。中高の交流はとてもよいことなのですが、どうやらこの学校では中学校が高校化しているようでした。 高校では教えるべき情報量が中学校と比べて多いためどうしても教師主導となりやすくなります。小学校では基本的に子どもたちの活動やかかわり合いを大切にしています。中学にはその橋渡しの役割もあるのですが、いきなり高校に近いスタイルで授業が行われるために子どもたちがうまくついていけてないのかもしれません。 何を教えたかという視点で授業をとらえる傾向が現場にはまだあるようですが、子どもたちが何を学んだかという視点でとらえてほしいと思います。子どもが学ぶためにはどのような要素が必要なのかを考えてほしいのです。教師がうまい説明をしたから身に付くということは実際には少ないよう思います。受け身で説明を聞くのではなく、友だちとともに考え活動することによって、身に付くことの方が多いように思います。 子どもの実態をとらえてどのような進め方がよいのかを考える必要をあらためて感じました。 教育は誰のため
昨日は中学校の現職教育の講師を務めました。確かな学力をつけるためにどんな授業をするのかをテーマとしてものです。こうすれば確かな学力をつけることができるというような提案ではなく、先生方にたくさん考えてもらうことを主にしました。
自分たちの目の前にいる子はどんな状態なのか、その子たちにどんな働きかけをするのか。そんなことを話題に話し合っていただきました。 その時、あるグループでこんな話題が出ていました。 何のために勉強するのかと聞かれても、自分には関係がないと言う子どもに対して説得力のある答えは難しい。何かに興味を持ち、そのことがきっかけで自ら学ぶようになっていく。それでいいんじゃないのか。学校で習ったことがすべて社会で必要になるわけでない。例えば歴史を知らなくても実生活では困ることはない。 個人の自己実現は教育の大きな目的の一つです。そのために必要な力をつけるという観点で言えば、自分にとって必要かどうかで判断するというのも決して間違いではないと思います。しかし、公的な費用をこれだけ使って教育をする意味はそれだけなのでしょうか。 私たちは社会生活を営んでいます。この社会が健全に発展していくことには非常に重要なことです。そのために必要なことを子どもたちに対して身につけてもらうことは教育のもう一つの目的だと思います。教育は個人のためだけでなく、社会のためでもあるのです。 社会の一員としてどんな力をつけなければいけないのか。自分が社会のためにどんな役に立てるのか。そんな視点も学校には必要なことではないかと思いました。 愛される学校づくりフォーラム
私もメンバーの一員である愛される学校づくり研究会主催の「愛される学校づくりフォーラム」に参加しました。
会は発足してから約3年になりますが、その間メンバーがおこなった学校評価と愛される学校づくりの実践を発表させていただきました。 私はプログラムの中の2つのパネルディスカッションに参加しました。一つは司会者として、もう一つはパネラーとしてです。 緊張するのは何といっても司会者です。パネラーの発表は聞く立場によっては、「そうはいってもねぇ」とすんなり入って行かないこともよくあります。そこで、観客の表情からこんなことを疑問に思っているのではないかということをパネラーに突っ込むのですが、あまりきれいな答えが返ってくると、嘘くさくなります。とはいえ、しどろもどろになってしまっては台無しです。このあたりの質問のさじ加減が、おもしろいパネルディスカッションになるかならないかを決める要素です。司会者の腕の見せ所です。幸いにも、私の担当したセッションのパネラーは皆さん研究会のメンバーです。よく知っている人たちですから思い切って突っ込むことができます。その場で発表順を変えるなど当初の予定と違うことをしたり、あらかじめ質問事項を決めておかなかったりすることで緊張感とライブ感を演出してみました。さすが研究会の精鋭メンバーです、私の無茶な突っ込みにもみなさん堂々と答えていただき、とても楽しく終えることができました。パネラーの答えの中に、愛される学校をつくるための思いと実現のためヒントがたくさんあったように思います。私自身としては、ちょっとテンションを上げすぎてついていけなかった方もいたのではないかと反省しているのですが、パネラーの内容のあるお話しはきっとみなさんに伝わったことと信じています。 一方パネラーとして参加したパネルディスカッションは、反省しきりです。質問に対して簡潔に答えることができず、ずれた答えをしてしまったように思います。司会者のうまさと他のパネラーのおかげで、パネルディスカッション自体はおもしろいものになっていたとは思いますが・・・ フォーラム終了後、たくさんの方におもしろかったと言っていただけたことで、救われました。素晴らしい観客とメンバー支えられて、楽しい時間を過ごすことができました。 フォーラムの様子については、来月中には愛される学校づくり研究会のホームページで公開される予定です。 研究会の会長はすでに来年に向かって何やら準備を始めているようです。またおもしろい企画で皆さんとお目にかかれたらと思っています。 学校改革の賞味期限
昨日は私立高等学校の校長先生とお話しをしました。いわゆる底辺と言われる公立高校を校長として立て直した方です。
話の中で、公立校は学校改革をしても校長が3代目になるとダメになるという言葉が出てきました。3代目になる頃には、当時を知る教員もいなくなり、いろいろなものが形骸化していくということです。当時考えた企画の結論だけが残り、何故そうなったか、どのように変遷したのかといった過程が学校の中に残らない。改革の精神を残すような人事的な策もない。原因はこんなところでしょうか。よい伝統というものは教員を通じてはなかなか残らないのでしょうか。 私が研究発表をお手伝いした中学校の校長が、新たな伝統をつくりたいとおっしゃったことを思い出しました。単に授業を変えるのではなく、授業について考える、改善し続けるということを伝統にしたいということです。 また、ある中学校では授業をよくするということを子どもたちに考えさせ、授業に臨む姿勢や学び方を子どもたちが次代に伝えていくという試みをしています。子どもたちが伝統の担い手になることで、確実によい形で継続しているようです。 学校改革は、実は改革することよりもそれを継続・発展させることの方が難しいのかもしれません。その時うまくいったことでも、時代が変わり、教員・子どもが変わっていけば必ずうまくいかないことが出てきます。 あらためて、改革の精神を持ち続け、時代の変化に耐えるための仕組みをどう学校につくるかという課題を考えさせられました。 子どもが話を聞いていないと感じたとき
子どもたちに対して、静かにはしているが話をちゃんと聞いていないと感じるときがあります。集中力が落ちていると言い換えてもいいでしょう。話を聞かせようとするあまり、教師の声がどんどん大きくなり、それに反してますます子どもは聞く気をなくしていく。そんな場面もよく目にします。このようなとき、どのような対応をしたらよいのでしょう。
もともと子どもの集中力は受け身の状態では長くは持たないものです。一方的に教師が話し続けていることに原因があることが多いように思います。 話の内容について子どもたちに問いかける。ちょっとした活動を入れる。こうすることで集中力は戻ってきます。 「・・・になるんだけど、納得した。納得した人手を挙げて。○○さん説明してくれる」 「・・・ということが起こったんだけど、君たちならどうする。周りの人と少し話してごらん」 このように、ちょっとした問いかけや活動を入れると、受け身の状態から解放されてまた話を聞けるようになります。 話をしていて子どもたちの集中力が切れたなと感じた時は、一方的に話していないか振り返ってみてください。受け身の状態を続けさせていた場合は、一旦その状態から解放してあげてください。そうすることで、子どもたちの集中力は戻ってくるものなのです。 子どもの発表に対する教師の動き
指名した子どもが発表する時の教師の視線や表情、立ち位置などを見ているとおもしろいことに気づきます。子どもの発表に対する教師の動きについて考えてみたいと思います。
多いのは、発表者をしっかり見て発言を聞いている教師です。子どもの言葉をしっかり聞こうという気持ちがあらわれています。この時、教師の表情が変わらないと、自分の考えが間違っているのではないかと不安に思う子もいます。逆に、笑顔でうなずきながら聞いてもらったり、「なるほど」とあいづちをうってもらったりすると安心して話しやすくなります。教師の表情が柔らかいと学級全体の雰囲気も柔らかくなる傾向があります。 これに対して、発表者と正対せずに学級全体を見ようとしている教師もいます。子どもと視線が合うと発表者を見るように促します。子どもたちに発表者の方を向いてしっかり聞いてもらいたいからです。この時、直接発表者を見ていないので、相手を意識していることを伝えるための工夫をしています。手のひらを上に向けて、発表者に向けてさしだしたり、ちゃんと話を聞いているよとうなずいたりしています。膝を折って頭の位置を下げ、子どもたちの視線に入らないようにすることで、発表者に視線が集中するようにしている方もいます。 子どもたちの聞く様子を注意して見ることで、理解度を確認したり、次にだれを指名するかを決めたりできます。 発表者と教師が二人だけの世界にはいってしまうというのは論外にしても、どちらかでなければいけないということはないと思います。大切なのは、発表者と発表を聞く子、どちらも意識して、発表者や学級の状況に応じて工夫をすることです。子どもが発言することに不安を持っているときは、目を合わせる時間を多くして笑顔で励まし、発表後すぐに全体を見回すようにする。子どもたちが発表することに慣れてくれば、聞く姿勢を意識した動きをする。このようなことが大切になると思います。 有田和正先生から学ぶ
教師力アップセミナーで有田和正先生のお話しを聞かせていただきました。
昨年はまだ体調が戻られていませんでしたが、今年は元気な姿を見せていただくことができました。セミナー後はアスナル金山行って日本初のビル風を利用した風力発電の写真を撮ると楽しそうに話されていました。 有田先生は子どもを「追究の鬼」に育てることで有名です。感心するのは資料で徹底して調べた後、必ず自分の足で現地に出かけられることです。自分の目で見る、自分の耳で聞くことを大切にされています。写真もできる限りご自分で撮ったものを資料として使われています。だからこそ、子どもたちが疑問を感じ追究し、感動してくれるのだと思います。 今回のセミナーは模擬授業を中心におこなわれました。有田先生の授業は、その知識や資料、発問の素晴らしさに目を奪われますが、先生ご自身の授業スキルの裏付けがあって初めて成り立っているのだとあらためて感じました。有田先生の授業のネタを使えば、子どもたちに興味を持たせること、話を聞かせることはそれほど難しくないかもしれません。先生すごいと言わせることも簡単でしょう。しかし、子どもたちの積極的な発言を引き出し、考えを深めさせるのはそれだけでは足りません。子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価する。子どもの発言に対してそれを深める、広げるような質問をする。異なった意見をそれぞれ評価し、どちらが正しいのか子どもたち自身が考えるように誘導する。このようなスキルが不可欠です。 有田先生の模擬授業を見ることで、「よい授業とは何か」についてじっくりと考えることができました。 子育てに関する講演
児童センターで子育てに関するお話しをさせていただく機会がありました。就学前の小さなお子さんをお持ちのお母さんを対象にしたものです。20人以上の参加者があったのですが、当然のことながら皆さんお子さんとご一緒です。講演の間お子さんをどうするのかというと、別室で預かってくれるのです。面倒を見てくださるのは他の児童施設の職員やボランティアで、子どもの数と変わらないくらいの方がこのために集まっていました。地域全体で子育てを応援していることがよくわかります。今回参加されたお母さん方も、子育ての手が離れたら、今度は応援する側にきっと回ってくれることと思います。こうして次の世代へと助け合いがつながっていくのだとあらためて感じました。
さて、講演の内容ですが、次のようなことを話させていただきました。 ・子育てに正解を求めない ・ほめ方叱り方 ・親が子どものよいところを見つける ・言葉をかける、聞くことを大切にする 「明るく楽しく前向きな気持ちなっていただけるようなもの」という主催者からの、リクエストだったのですが、ちょっと硬くなってしまったかもしれません。終了後、反省させられたといった言葉が聞かれたり、今まで間違えた叱り方をしていたが、これから直せば大丈夫ですかといった相談を受けたりしました。 育て方が悪い、親のせいだという言葉が安易に使われすぎるような気がします。そのために、子育てにプレッシャーがかかるのです。同じように育てても子どもの成長は、一人ひとりのもつ個性や環境によって大きく変わります。うまく育ったかどうかは、大人になるまで、いや大人になっても言えることではないと思います。 私がお願いしたのは、子どもが安心して居ることのできる場所をつくってほしいということです。「あなたを大切に思っているよ。愛しているよ」ということ子どもに伝えることです。居場所のある子どもは決して崩れないからです。 日々大変な子育てですが、だからこそ子どもの成長を楽しめる余裕を持ってほしいと思います。私の思いが参加者にうまく伝わっていれば幸いです。 食の授業づくりの講演
昨日は栄養教諭・学校栄養教職員対象を対象に、食の授業づくりの講演をしました。
食の授業を何度か見せていただいたことがありますが、共通しているのは資料やワークシートなど、事前の準備を驚くほどていねいにされていることです。年に何回も授業のチャンスがないのでその分、しっかりと準備をされるようです。どなたも、食の授業に対して本当に熱い思いを持って臨まれています。それ故に自分の授業に対して、どうすれば子どもたちが興味を持ってくれるのか、子どもたちの行動を変えるには何が足りないのかと、真剣に悩んでもおられます。 参加された方は、みなさん真剣なまなざしで私の話を聞いてくださいました。少ない授業経験を補うために、しっかりと勉強しようという気迫のようなものを感じました。 また、栄養教諭・学校栄養職員の皆さんの横のつながりの強さも印象に残りました。情報交換し助け合おうとする雰囲気が会場にあふれていました。 食の授業は、やっと学校現場に認知され始めたところです。しかし、参加された皆さんの姿を見て、間違いなく学校現場によい形で定着するという確信を持つことができました。ぜひ、実際の食の授業を見せていただいて一緒に勉強する機会をいただきたいとお願いをして会場を後にしました。 子どもの集中力が切れない授業
学習している内容が理解できないと集中力が落ちてしまうのが通常です。ところが、わからない子どもも集中して参加し続ける授業に出会うことがあります。そのような授業にはどのような共通点があるのでしょうか。
一つは、教師がその時間に子どもたちに身につけてほしいことを必ず全員にできるようにするという姿勢が明確なことです。 子どもたちは誰しもわかりたい、できるようになりたいと思っています。しかし、わからないまま次に進めばそこであきらめてしまいます。今わからなくても、ちゃんと授業に参加していれば必ずわかるはずだという安心感があれば集中力はきれません。説明を聞いてわからなくても、その後の問題練習でわかることもあります。友だちに聞いてみることで、意外とすんなりわかることがあります。子どもの集中力が切れない授業は、子どもが理解するチャンスや場面を何度も用意していることが特徴です。 もう一つの特徴は、子どもが自分はできた、わかったと実感できる場面が1時間の中に用意されていることです。 できなかった問題を教師に説明され、「わかりましたか」の問いかけに「はい」と答えても、なんとなくわかった気にはなりますが、達成感はありません。 例えば、○つけをして、必ず全員に○をつけて終わるようにする。周りの子と確認しあって、友だちから「OK」と言ってもらう。「みんながわかった」ではなく、「あなたがわかった」と伝える、個を意識した評価場面が必要なのです。 このようにして、毎日の授業で必ず達成感を味わうことで、子どもたちは授業そのものに前向きになっていきます。今わからなくても、きちんと授業に参加すれば最後には必ずわかるようになる。子どもたちがこのように信じてくれるようになれば、集中力の切れない授業に自ずとなっていくのです。 グループやペアでの相談が止まる理由
子どもたちグループやペアで相談させる場面に出会うことが増えてきました。ところが子どもたちは互いに答えを見せ合ったり、写したりするだけで、そのまま活動が止まっていることがよくあります。どうすればよいのでしょうか。
このような状態になるのは、相談するとはどういうことをすればよいのか明確になっていないことが原因です。どうしてその答えにたどり着いたのかを聞き合う。その考えに対して納得できるのか、疑問はないのかを話し合う。具体的な方法を子どもたちが知らなければうまく進みません。相談の目的は、答えではなく、そこにいたる過程を共有化することだと知ることが必要です。教師は相談という言葉は使うが、その意味をきちんと伝えていないのです。 では、具体的にどのようにして教えればよいのでしょうか。いきなりグループ活動で身に着けさせようとすると無理があります。全体の場面でどのようにすればよいのかを経験させるのです。 「○○さん、どうしてそうなったのか、考えを聞かせてくれる」 「・・・からです」 「なるほど、今○○さんが言ってくれたことわかる。なるほどと思った人」 ・・・ 「○○さんの意見に質問のある人はいますか。△△さん」 「私は○○さんの説明の・・・がよくわかりません」 「なるほど、△△さんの質問に答えられる人いるかな」 ・・・ 答えを発表させて、その解説を教師がするのではなく、その理由を子どもたちから聞く。その考えに対する意見を発表させる。自分の意見を変えてもいい。このようにして、グループ活動でやらせたい活動を具体的に経験させておくのです。 グループ活動やペア活動では、その活動の具体的な進め方をきちんと子どもたちが知らないと、ただ発表しあうだけで終わってしまいます。子ども同士のかかわり合いの基本は、全体の場面できちんと身につけさせる必要があるのです。 終日特定の学級を見る
先週末に、中学校の授業アドバイスをおこないました。今回は、終日2つの学級を中心に授業を見学し、その学級にかかわっている先生方に対してまとめてアドバイスをさせていただきました。
今回の子どもたちの様子を見て感じたことは、授業の雰囲気をつくっているのは授業者の個性や進め方よりも、学級集団の特性のようでした。 1つの学級は、子どもたちと教師との信頼関係がうまくできていないようでした。過去に友だちの発言をからかうようなことがあったようです。子どもたちが安心して発言できる状況を教師が保証できなかったので、信頼関係も崩れてしまったのです。先生方に次のようなことをお願いしました。 ・「わかった人」と正解を求めるような問いかけをしないこと ・どんな発言も「なるほど」とまず教師がきちんと受容すること ・その発言をポジティブに評価すること ・「同じ考えの人」「説明に納得した人」と問いかけることで、他の子どもとつなぐこと 残された時間はあまりありませんが、教師が子どもを認める、子ども同士が互いを認め合う雰囲気をつくることからやり直すのです。 もう1つの学級は、明るく元気な子どもが多いのですが、ちょっと落ち着きがありませんでした。どの時間でも共通していたのは、やるべきことが明確に指示されると取り組む姿勢を見せるのですが、集中力がすぐになくなり、同性間ですぐにおしゃべりを始めてしまうことです。学力的には2極化が進んでいるようです。できる子は終わってしまうとすることがない、できない子は途中で手が止まって集中力をなくす。そのために、ざわついてしまうようです。 ・課題に対して答えだけではなく理由の説明をきちんと求めること ・わからなければ友だちと相談できるようにすること ・課題をスモールステップに分けて、わからない子がつまずいたままになる時間を減らすこと ・座席を男女市松模様にすること このようなことをお願いしました。 できる子には説明などの高度な課題を与える。できない子どもには、わからない状態、手つかずの状態でいる時間を減らすことで、集中力を切らさないようにするわけです。また、同性間で相談すると無駄話になりやすいので、座席の工夫もします。 今回のような授業アドバイスのやり方は初めてでしたが、1つの学級にかかわる先生方が一緒に話をすることで、自分の抱えている問題が個人の問題ではないことに気づき、気持ちも楽になったようです。互いの授業の様子を共有化することで、注意すべき点も明確になり、共通の対応をとれるためにその効果もより期待できます。学級づくりを担任だけの問題ととらえるのではなく、かかわる先生方全員の問題ととらえることが大切だとあらためて思いました。 ネット時代の変化の速さ
昨日は、中学校で新1年生の保護者対象にお話しをさせていただきました。
皆さんには次のようなことをお願いしました。 ・子どもを無条件に愛する(よい子だから愛するのではない) ・子どもに家族としての役割を持たせる ・家庭の中で「ありがとう」のことばを大切にする ・子どもには職業観を話す ・学校も保護者も子どもの幸せを1番に考えている。互いに話を聞く姿勢を持つ 最後に携帯電話との付き合い方を話しました。 昨年はプロフという言葉を知らない保護者がかなりいたのですが、今年はほとんどいません。この変化の速さには驚きました。 昨年は、メール依存症やプロフの危険性を話していたのですが、今年は携帯ゲームについての話も付け加えました。1年前は携帯ゲームがこれほど問題になってくるとは思ってもいませんでした。子どもたちを取り巻く環境の変化がこれほど早いと、どうしても大人の対応が後手に回ってしまいます。新しいサービスや環境が出てきても変わらない、ネット時代を生きる基本を子どもたちにしっかり身につけさせることが大切だとあらためて思いました。 授業づくりの過程をみせる
昨日は、4月から活動予定の授業づくりプロジェクトについて、その進め方を仕掛け人と相談しました。
授業を発表することを目的とするのではなく、その授業がつくられていく過程を伝えることを大切にしたいと考えています。 ・どんな子どもの姿を目指したのか ・そのためにどんな手立てを考えたのか ・実際の子どもの姿はどうだったのか ・どのように修正したのか このような試行錯誤の上で、授業はつくられていきます。その過程をしっかり見せることで、授業づくりの視点が明確になり、よい授業の構成要素が明確になると思います。 公開授業ですばらしい授業をみて自分もまねしようとしたがうまくいかなかった。うちの子どもではダメだ。こんな言葉を聞くことがよくあります。 単に授業の流れや発問をまねてもうまくかないのは当然です。それまでにどう子どもたちを育ててきたかによって授業の姿は変わってくるからです。 1時間の授業は、それまでの積み重ねの上に成立しています。点でとらえるのではなく、そこに至る過程に注目することで初めて授業は理解でき、また再現できるのだと思います。 授業づくりの過程を明確することで、多くの先生方の参考になるプロジェクトにしたいと思っています。 グループ活動と全体指導
グループ活動やペア活動を取り入れる授業が増えてきます。友だちと学び合う楽しさを知る子どもたちが増えるのはとてもよいことです。このような授業を見ていておもしろいことに気づきました。グループ活動に入るときの子どもの様子の違いです。
ホッとした表情をして一瞬ざわつくときと、素早く机を移動して、うれしそうに活動を始めるときがあるのです。前者の場合もしばらくすれば子どもたちは落ち着き、グループ活動はきちんと成立するので、決して悪い状態ではないのですが、注意して観察してみると、グループ活動に入る前の状況に違いがあるようです。 子どもがホッとした表情をするのは、教師の一方的な説明が多く、ただ聞いているだけ、ノートを写しているだけの受け身の時間が続いていたときです。グループやペアで能動的に活動する楽しさを知っているので、よけいにつらいのです。グループ活動のよさを経験すると受け身の時間の集中力が以前と比べて落ちる傾向にあります。受け身の時間からやっと解放されたとホッとした表情になるのです。 一方、素早くグループ活動に取り組むときは、自分の考えを早く話したい、友だちの考えを聞きたいと、課題に主体的取り組む状態ができているときです。 「○○ってどういうことだと思う」 「△△じゃないですか」 「今の意見どう思う。なるほどと思った人手を挙げて。どこでそう思ったか教えてもらおうか」 ・・・ 「手を挙げていない人の考えも聞いてみようか」 「□□だと思います」 「違った意見が出てきたね。みんなどう思う。じゃあグループで相談してみようか」 このように、教師が問いかけて子どもの考えを発表させるなど、子どもが課題に入り込むための時間をとっているのです。グループ活動に慣れていると、友だちの話を聞く姿勢が育っているので能動的に聞くことができます。聞いたことをもとにしっかりと考えるのです。自分の考えを持てているので、友だちと早く意見を交換したいのです。 グループ活動や、ペア活動が子どもたちにとって充実したものであれば、全体指導でも子ども同士がかかわり、学び合うといった能動的になる場面をつくりやすくなります。反対に受け身の場面での集中力は落ちていきます。 グループ活動を取り入れるということは、全体指導の場面でも子どもたちが能動的になるような工夫が教師に要求されるということなのです。 ICT活用研究校訪問
先週、来年度ICT活用研究のお手伝いをする学校と打合せを行いました。私の方から無理を言って、授業の様子も見せていただきました。この子どもたちの様子であれば、ICTを工夫して使うことで、授業での関わり合いや集中度を高めることができると思いました。
ICTの活用研究というと、まず利用することが第一歩ととらえがちなのですが、この学校ではICTの活用以前にどのような授業を目指すかを明確にすることから始めていました。その上で、どのような場面でICTの出番があるかを考えるのです。そして、ただ使ってみるのではなく、きちんと従来の方法と比較して、どちらがより効果的かを検証しようとしています。このような視点を意識することで、ICTを使う、使わないにかかわらない、基本となる授業力の底上げを図ろうとしていることをしっかり感じました。 目指す授業像も「伝え合う、学び合う」ことをベースとしたしっかりものでした 目指す授業像、子どもの姿を明確にし、それに向かってどのような工夫をするかが、授業をよくしていくための基本です。ICTは黒板やプリントなどと同様に、ツールの一つにしか過ぎません。そのことをわかった上でそのよさを活かす場面を工夫することが大切です。このポイントしっかり押さえている学校です。足が地に着いた研究になることと、今後が楽しみになりました。 |
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