グループ活動のまとめを板書させる?

グループ活動で、話し合ったことや作業のまとめを、代表者に板書させることがあります。この時、他の子どもたちが集中力をなくして落ち着かない状態になっていることがあります。どうすればよいのでしょう。

まとめを代表が板書している状態は、他の子どもにとってはグループでの活動がそこで終わったことを意味します。その間、子どもたちは特にすることがないので集中力がなくなってしまいます。グループ活動で子どもたちの関係がよくなっていると、かえって授業と関係のない話をしたりします。そのため、板書が終わって全体で話し合おうとすると、子どもたちの集中力を取り戻すのに一苦労させられます。

では、どのようにすればよいのでしょうか。
ポイントは遊んでしまう時間、無駄な時間をつくらないことです。

ひとつは、板書をやめて、口頭で発表させることです。
あらかじめ発表者を決めずにその場で指名する。グループで代表を決めて発表するのであれば、グループ全員でその内容を相談する。こうすることで、発表者以外は関係ないという状況を回避できます。

とはいえ、口頭での説明は難しいこともよくあります。そういう場合は、発表用に適当な大きさの模造紙を準備して、グループでまとめさせるという方法があります。
模造紙を使って発表すれば、無駄な時間はなくなります。保管しておいて、再度利用することも可能です。
模造紙を毎回準備するのが大変だというので、発表用の小型のホワイトボードをグループに一つ準備しているところもあります。
また、ノートやワークシートをそのまま実物投影装置を使って見せるという方法もあります。特に発表の準備のための時間を必要としないので、効率的に進めることができます。ICT機器はこういった場面でとても有効です。

グループ活動後の全体での発表はとても大切な時間です。だからこそ、その前の段階で集中力を切らすようなことがないようにしたいものです。グループ活動の終了から発表までの間に、無駄な時間が生じないように工夫してほしいと思います。

普段の授業から学ぶ

昨日は、中学校で剣道の授業研究に参加しました。

検討会で授業者から、野中信行先生(ブログ)の「味噌汁・ご飯授業」という言葉が出てきました。研究授業の特別な「ごちそう授業」ではなく、日常的な「味噌汁・ご飯授業」の在り方を学ぶことを大切にしようという主張です。

本時は、子どもたちが始めて竹刀を持って活動する場面です。ところが、時間数の関係でどうしても基本的な動きをこの1時間で教えなければなりません。子どもたちの活動量を確保すると学校で進めている研究のテーマである言語活動の時間をあまりとれないことになってしまいます。よくあることです。そこで授業者は、あえて見せる授業をせずに、こういう時間のない時に普段行う授業を見せることにしたのです。

授業者の説明の後、子どもたちが活動し、互いに動作を確認し合いますが、なかなか修正されません。一つひとつの動きの完成度を高めるためには、ポイントを子どもたちに確認する機会を何度も取ったり、代表者に実技をさせ、全体でどこがよいか、何が違うかを話し合うなどの方策が必要です。しかし、授業者はそのことにあえて時間を使いませんでした。それよりも、子どもたちの活動時間を少しでも多くとろうとしました。
子どもたちは、とても楽しそうに活動していました。たくさん竹刀を振って活動することで、初めて剣道に出会う子どもたちが、剣道を楽しいと感じてくれたのです。
このことが授業者のねらいだったのです。

この授業を別の視点で見れば、竹刀の持ち方がきちんとできていない子がいる、きちんと竹刀の先で面を打っていない子がいる。それなのにきちんと修正できていない。子どもたちが考えたり、発言したりする場面が少ない。そんな意見も出ると思います。しかし、大切なのは授業者が子どもたちに何を求めているかです。剣道を楽しいと感じてくれるという授業者の目指す子どもの姿があり、それが実現できたとてもよい授業でした。
普段の授業の中にこそ、教師が大切にすべきものが何かが見えてくることをあらためて教えていただきました。

見たいものしか見えない

子どものよいところ見つけて、ほめることが大切であるとよくアドバイスします。ところが、中には「悪いところばかり目につく」「よいところが見つからない子がいる」と、困っている方もいらっしゃいます。どうしてなのでしょう。

生徒指導担当の教師は、生徒とすれ違うと、髪型やスカートの長さといったところにすぐに目がいくようです。立場上、校則違反を見つけて注意しなければならないと思っているからです。「悪いところ見つけ」をしているのですね。人は見たい、見ようと意識していること以外はなかなか目に入らないものです。毎日通いなれている道でも、樹に興味のない人は、どこに何の樹があるかすぐには言えないものです。また、樹の名前そのものを知らなければ、意識もできません。

子どものよいところ見つけたければ、まずそのことをいつも意識することです。何かほめることがないかという目で見るのです。
もう一つ大切なのは、ほめることを子どもの姿として具体化することです。どんなことがほめられるのか、どんなことをほめたいのかを具体的にすることです。
例えば授業中にほめたいことはどんなことなのか、子どもの姿で書き出してみるとよいと思います。

友だちの話にうなずいた。
友だちの言葉をつないだ発言ができた。
わからないことを友だちに聞いた。
聞かれたことを一生懸命説明した。
授業が始まる前にきちんと用具が出ていた。
姿勢がよかった。
手をまっすぐに挙げた。
板書以外にメモをとっていた。
途中であきらめずに、最後まで問題に取り組んだ。
・・・

些細なことでもいいのです。いろいろなレベルが混じってもいいのです。教師の見たいものを具体化するのです。子どもは一人ひとり違います。ある子にとって当たり前のことでも、他の子にとってはなかなか難しいことがあります。ほめることは一人ひとり違っていいのです。一人ひとり子どもたちの顔を思い浮かべながら、「この子はこんなことでほめたいな」と考えれば、ほめることが見つからない子もなくなると思います。

聞くことも同じです。授業中につぶやきを拾うことも、「こんなつぶやきがでるといいな」と思っていると耳に入ってくるのです。

人は見たいもの、見ようとしたものしか見ることはできません。子どもの「何を見たいか」を明確にすることが、子どもをよく見ることにつながるのです。

つぶやきを拾う

「つぶやきを拾う」ということがよく言われます。ところが、授業者はつぶやきを拾うとしているのに、せっかくのつぶやきを拾えない場面によく出会います。何が問題なのでしょうか。

例えば、分数のかけ算の手順を考える場面を考えてみましょう。

「何か気づいたことはないかな」
子どものつぶやき
「上と下」
「???」

教師は子どもから「分数のかけ算は、分子同士、分母同士をかければいい」ということを引き出したいのですが、最初からちんとした言葉では出てきません。つぶやきは、それだけでは何を言いたいのかよくわからないことがよくあります。授業者に聞いてみると、「何を言っているのかよくわからなかった」いう答えが返ってきます。だから取り上げなかったのだと。

「今、何か言ってくれたね、Aさん。なんて言ったか聞かせてくれる」
「上と下」
「それってどういうこと」
「上と下でかけ算している」
「上ってどこのこと?黒板で指さして」
「これなんていったっけ」
「分子」という声
「Aさんどう?」
「分子だった」
「Aさん、分子がどうしたの」
「分子をかけている」
「なるほど、分子をかけているんだ。じゃあ、下は」
「分母をかけている」
「なるほど。Aさんの説明わかったひと」
「Bさん、もう一度言ってくれる」
「分子と分子、分母と分母をかけている」
「言葉を足してくれたね。分子と分子、分母と分母をかけているんだ」
・・・

言っている意味のわからないつぶやきも、子どもにその意味を聞き返すことで、考えが整理され、足りなかった言葉が足され、しだいに明確になっていきます。一見遠回りにも見えますが、少しずつ整理していくことで低位の子どもたちも理解しやすくなります。結果として、より多くの子どもたちがねらいに近づくことができます。

また、教師が理解できないつぶやきでも、子ども同士では分かりあえることもあります。
「Aさんの考えがわかる人いる」と聞いてみればよいのです。
つぶやきを拾ったがうまく利用できなかった時は、「なるほどね」と認めて、他の子どもに聞けばよいのです。

子どものつぶやきは、たとえよくわからなかったとしても、意味があるはずだ、教師がねらっていることにつなげられるはずだと取り上げてみる姿勢を大切にしてほしいと思います。

子どもの活動で授業をつくる

授業を作るときに考えてほしいことに、子どもにどういう活動をさせるかがあります。教師の視点で何をどのように教えるかではなく、子どもの視点で、理解するためにどのような活動が必要なのかを考えるのです。

例えば、分母の異なる分数の足し算を考えてみましょう。
「分母の異なる分数を足すときは通分する」
このことを教師から説明されてわかった気になり手順を覚えても、なぜ通分するのか自分で説明できないことがよくあります。説明を聞くという受け身では、なかなかきちんとは理解できません。自分の手と頭を使って主体的に考えないと本当に理解はできないものです。

実際に紙を切って組み合わせる。
方眼紙を用意して、塗りつぶしてみる。
タイルを使って並べてみる。
・・・

その上で、

ノートに自分の考えを書く。
全体で自分の考えを説明する。
グループで互いの考えを説明する。
・・・

どのやり方が正しいという訳ではありません。大切なのは、どのような活動をさせると理解できるのかを考え、理解できたか確認できる手立てを用意することです。

授業をつくるときには、どのように説明をするかといった教師の活動ではなく、どんな作業をするのか、何を考えるのかといった子どもたちの活動を中心に考えるようにしてほしいと思います。

感情を話し合う

昨日は中学校の道徳の授業研究に参加しました。

ネットの掲示板の中傷記事にどう対応するかを考えるものでしたが、興味深かったのが、中傷記事を見てどう思ったかを話し合う場面で、子どもたちが負の感情をなかなか話そうとしなかったことです。紙に書かせると、ネガティブな言葉をたくさん書くのですが、グループの話し合いではなかなか口は出しませんでした。その理由として、多くの教師が参加するなかで、ネガティブな感情はよくないものだから口にしない方がよいと判断したことが考えられます。また、話し合うといっても感情なので、理屈や根拠を共有することはできません。理性的であろうとすれば、話し合いが成立しにくいことも考えられます。逆に、紙には負の感情を書くということは、ネット環境があれば、感情的な書き込みをしてしまうのかもしれません。
一方、他のクラスで同様の授業を行った時には、ネガティブな言葉がたくさん出てきて、発言を押さえなければならなかったそうです。無責任な感情の発表ですから、テンションが上がれば抑制が利かなくなるということでしょう。

このように、感情を話し合うこと、特にネガティブな感情はなかなか難しい面があります。感情そのものを問うよりも、どのような行動をするかを問い、その行動の原因となる感情を話し合うようにした方が、感情を口に出しやすくなるように思いました。

子どもたちが真剣に考えているからこそ、子どもたちの様子からいろいろな発見がありました。負の感情をどう表面化させ、どう向き合わせるかについて考えるよいきっかけとなった授業でした。

グループ活動での聞き方の指導

グループ活動で子どもたちに話し合いをさせる場面をよく目にします。話し合いの基本は友だちの意見をきちんと聞くことですが、これができていないことがあります。グループ活動での聞くことの指導はどのようなことに注意すればよいのでしょうか。

まず大切なのは、話すことではなく、聞くことを意識させることです。

「今から、○○について話し合いましょう。必ず全員が自分の意見を言うようにしましょう」

このような指示の仕方をすると、自分の意見を言えば、役割は終わってしまいます。自分の意見を言うことばかりに意識がいって、友だちの意見はなかなか聞くようになりません。

「今から、○○について話し合いましょう。必ず全員の意見を聞くようにしましょう」

このような指示ではどうでしょうか。全員の意見を聞くことが目標ですから、自分が発言するだけでは終わりません。聞こうとする意識が出てきます。

もう一つ大切なことは、聞き方です。必ず話し手を見る。相手の話にうなずいたり、わからないことは聞いたりして反応する。このようなことをきちんと指導する必要があります。ところがグループで活動しているので、教師はなかなか個別に指導することができません。グループ活動の前に言葉で指導をしても、徹底することができないのです。
聞き方は、グループ活動の場面ではなく、全体の場で指導しておく必要があります。

「Aさんの考えを聞かせてくれる」
「Bさんいいね。ちゃんとAさんの方を向いているね。ほかのみんなもしっかりAさんを見てくれているね。じゃあ、Aさんお願い」
「○○です」
「なるほど、ありがとう。今、Cさんうなずいたね。反応してくれたね、いいね。それってどういうこと」
「△△です」
「なるほど、Aさんの考えに納得したんだ。あれ、Dさん首を傾けたね。それってどういうこと」
「Cさんの話がよくわからなかった」
「そうか、よくわからなかったんだ。いいよ、わからないことを教えてくれることはとってもいいことだね。Dさんのほかにもわからなかった人いるかな」
・・・

このように、全体の場で聞く姿勢や友だちの話に反応することの大切さを指導していくことで、グループ活動の場面でも聞く力がついてきます。
また、教師が子どもの発言にうなづくなど、聞く姿勢の手本を見せておくことも大切です。

グループ活動中には細かいことは指導できません。聞くことの指導に限らず、子どもたちがきちんと活動できるように指示を工夫することや、基本的な態度を全体の場で身につけさせておくことを大切にしてほしいと思います。

大切なことは何度も説明する?

教師が確認のために、同じ説明を後から繰り返すことがあります。最初の説明を集中して聞いていないので、もう一度説明するのですが、実はこれが悪循環になっていることがあります。

ある授業でのことです。教師はこの時間の課題と活動の手順を最初に丁寧に説明するのですが、途中で集中力がなくなってきました。そこで、実際に課題に取り組む直前に、もう一度、活動の手順を説明しました。今度は集中して聞いています。なぜ2度目はきちんと集中したのでしょうか。子どもたちは、教師が大切なことは2度説明することを知っていたからなのです。

教師が大切なことを再度説明していると、最初の説明を聞かなくても2度目の説明を聞けばよいと思うようになります。こうなると一度では徹底しないので、いつの間にか大切なことは必ず繰り返すことになってしまいます。教師の説明の時間が増えるので、子どもたちはますます受け身になって集中力が下がります。子どもが集中しないので、確認のためにまた説明が増えてしまうという、悪循環になるのです。

では、どうすればよいのでしょうか。
大切なことは、きちんと聞いていないと困る状況を作ることです。説明は簡潔に一度で済まし、すぐに活動させます。聞いていないと活動できません。その時に教師がすぐに説明してはいけません。ちゃんと聞いていた子にとっては無駄な時間ですし、聞いていなくても何とかなると思ってしまうからです。そこで、聞いていた子に教えてもらうように指導するのです。こうすれば、聞いていた子も評価されますし、聞いていなかった子も今度は聞こうと思います。
実験等で事前に徹底させたいことであれば、教師が説明した後、指名して子どもに確認すればいいのです。

「実験で注意することは何だっけ。Aさん」
「えーっと」
「だれか、Aさんを助けてあげて」
「○○です」
「ありがとう。Aさんどう?」
「○○です」

教師が何度も説明すれば徹底できるのではありません。繰り返すほど、かえって集中力をなくすことにつながります。子どもが聞かなければいけない状況をつくること、確認は教師が繰り返すのではなく、子どもたちに発言させることを大切にしてほしいと思います。

次のステップに向かって

昨日は、先日研究発表会が終わった中学校で、今後の現職教育の進め方の会議に参加しました。

事前に取ったアンケートから、ほとんどの先生が授業改善に前向きで、子どもたちの変化を肯定的にとらえていることがわかりました。この1年半の取り組みが教師としての力量向上と幅を広げることにつながったと感じているようです。
学校全体での取り組みでしたが、教科や個人が工夫したこともたくさんありました。いろいろな角度からのアプローチが結果として子どもを育てることにつながっていきます。
教科ごとのグループでの話し合いを聞いていると、学校全体の方向性に基づいて、個々に課題を設定して、それをクリアするためにさまざまなチャレンジをし、その結果が自分たちのノウハウとして蓄積され始めていることがよくわかります。
また目指す生徒像も、各教科の授業場面での具体的な姿がそれぞれ明確になってきたように思います。

次のステップに進むにあたって、これらの目指す子どもたちの具体的な姿や、それぞれの工夫・ノウハウを学校全体で共有することが必要だと感じました。
今までの実践をもとにより具体的な目指す子ども像を共有し、教科の枠を超えた自分たちの基本となる取り組みを明確にすることです。その上で、何ができているのか何ができていないのかを全体で確認することで、次に何に取り組むべきかが具体的になると思います。

普通であれば、研究発表会が終わって気が抜ける時期だと思いますが、さらなる飛躍に向けて素早く動き出していることが素晴らしいと思いました。授業改善に学校全体で取り組むことが、この学校の伝統となっていくことと思います。

ベテランをどう生かす

先週末に開催されたプラネクサスの学校経営セミナーで講師を務めました。

多くの学校で授業改善が課題となっています。これから増えてくる若手をどう育てるかとともにベテランのことがよく話題となります。今回参加した方もこのことを課題とされている方がたくさんいらっしゃいました。おもしろかったのは、このベテランに対する見方が大きく分かれていたことでした。

「ベテランが学校を支えてくれている。ベテランが大量に退職する前に、なんとか次の世代に引き継がなければならない」

「学校改革、授業改善を進めていく上での障害がベテランだ。一番改善してほしい彼らが、変わろうとしない。悪しき伝統・習慣を変えられない」

学校ごとに状況は違うと思いますが、いずれにせよ、退職まであとわずかになっているベテランをどう活用して次につなげるかは大きな課題です。

教師は職人と似たところがあります。技術やノウハウは個人についてきます。それを外に出させるためには、場が必要になります。校内研修で講師を務める、若手をペアで指導する、積極的に授業を公開するなど、意図的に場面を作る必要があります。

また、変わろうとしない教師も、決してよい授業をしよう、よい教師であろうという気持ちを失くしているわけではありません。ただ、変われということは今までやってきたことを否定されたような気持ちになるために、反発するのです。まず、ベテランのよいところを見つけ、こうすればもっとよくなるという視点で働きかけるのです。変わりにくいのがベテランですが、変わった時に最も大きな進歩するのもベテランです。ベースとなる物がしっかりとあるから、それに新しいことを加えた時により大きな成果がでるのです。

学校の人事構成が大きく変化する時代がやってきました。ベテランをどう生かすかが、学校のこれからを決めていくと思います。ベテランの持つよさを引き出し、うまく次世代に引き継いでいただきたいと思います。

子どもが教えてくれる

昨日は小学校の校内研修で指導助言を行ってきました。予定していた授業者が体調不良だったため、急遽同じ学年の先生が自分の学級で同じ指導案で授業を行ってくれました。研究授業は中止して指導案をもとに話しあうという案もあったそうですが、快く引き受けてくださる先生がいたため、実際の授業をもとに話し合いができました。

2年生の国語の授業でしたが、子どもたちはよく集中して課題に取り組んでいました。大勢の先生の取り囲まれているにもかかわらず、子どもたちは普段の様子をよく見せてくれました。授業者は子どもの言葉をきちんと受け止め、同じ考えの子どもをつなぐことも意識していました。2年生ぐらいだとなかなか子ども同士が関われないのですが、グループでの話し合いもほとんどの子どもがうまく関われていました。

今回の授業は読み取った内容をクイズにするという内容でした。「わかりやすい」クイズがキーワードになっていましたが、指導案を見ただけではどのような力をつけるのかがよくわかりませんでした。実際に子どもの作ったクイズを見ると、主語が抜けていたり、目的語が抜けていたりしていましたが、話し合いを行っても修正ができないグループが多く見られました。自分たちが答えを知っているために気づけなかったようです。
この子どもたちの様子から、この授業でのキーワード「わかりやすい」は、クイズに答える人が、「何を答えたらよいかわかる」ということだと気づかせればよいのだとわかりました。また、そのことに気づかせるためには、相手意識を持たせる必要もあることがわかりました。クイズを通じて質問力をつけると考えてもよいかもしれません。期待した答えを相手から得る質問を作る力です。この力は、インタビューなどの場面でも役立つ大切な力です。

授業はいくら頭で考えてもわからないことがたくさんあります。今回も実際に子どもたちの活動の様子を見ることからたくさんのことを学ぶことができました。 これも、ピンチヒッターを快く引き受けてくれた授業者のおかげです。授業者にあらためて感謝です。

やる気のある研修会

昨日は市の中堅研修の講師を務めました。夏に行った模擬授業による授業検討(自分の問題としてとらえる)を受けての授業研究でした。会場校の先生方にも参加いただき、より多くの視点で授業を見ることができました。

模擬授業での反省をもとに、最初の課題をわかりやすいものに変えるなどの工夫がたくさん見られました。子どもたちと先生、子ども同士の関係はとてもよく、男女のペア活動も、グループ活動もきちんと行えていました。
ペア活動では、3つの相似条件を互いに確認し合うのですが、間違いがあってもきちんと訂正できないペアがいくつかありました。決していい加減にやっているわけではないのですが、自分の役割意識がはっきりしていないために、聞く側の集中度が低かったようです。聞く側が責任感じるような工夫、例えばペアの相手がきちんと言えていたかどうかを挙手で確認する等が必要なのかもしれません。

個別に問題に取り組んだ後、グループで答を発表し合ったのですが、授業者が思っていた以上に時間がかかってしまいました。グループで話し合わないと解決しないようなレベルの問題ではなく、どれだけ見つけられるかという問題だったので個別の時間をたくさんとったようですが、できる子は早く見つかってしまい、そうでない子もいくつか見つけて止まっている状態でした。このような時間はもったいないので、周りの人と相談してもよい、最初からグループの体制で聞きやすくするなどの、作業のグループ化をするとよいとアドバイスをさせていただきました。

参加した先生方も、前回自分が生徒役だったので、どこでつまずきそうかよくわかっていたので、子どもたちの理解度をよく把握されていました。また、子どもの話し合いの様子も細かく観察していて、先生方の話し合いからもたくさんのことを学ばせていただきました。授業がうまくなりたいとやる気を持って参加してくださる先生方からたくさんの元気をいただきました。

資料の共有

図書館やパソコン教室で子どもたちに調べ学習をすることがよくあります。教室や手元にある限られた資料ではなく、たくさんの本やインターネットを活用して幅広く調べることができます。特にインターネットの活用は盛んですが、注意してほしいことがあります。それは資料の共有です。

資料集をどう活用するでも述べたように、資料を使って発表しあうときには、根拠となる資料を明確にすることが大切になります。図書館やパソコン教室で調べたことを教室で発表すると、手元にその資料や環境がないと実際に確認をすることができません。よい資料を見つけた子どもの発表が中心となり、多くの子どもは友だちが調べた結果の発表を聞いているだけになります。

「○○についてわかった事を発表してください。Aさん」
「△△です」
「すごいことがわかったね。同じことを調べた人いる」
・・・
「いないね。Aさんどうやって調べたの」
「□□という本に書いてありました」
「なるほど。今ここにはその本はないけれど、Aさんの調べてくれたことは、・・・」

これでは、他の子どもたちはAさんの見つけた資料で確認することができません。Aさんの話を鵜呑みにするか、そのあとの教師の説明を聞いて納得するしかありません。
インターネットを活用した場合でも本をネットに置き換えれば、同じような状況になることがわかります。

では、どうすればよいのでしょうか。
まず、調べたことをまとめる際に、どのような資料のどこから調べたことかをきちんと明確にさせることです。本であれば、タイトル、著者、ページは必須になります。インターネットの場合はURLやサイト名等、必要であればそのページをもう一度見ることができるための情報を記録させます。そして、教室に戻ってしまうと、その情報があっても活用できないので、図書館やパソコン教室で発表させることです。中間発表をさせて、友だちの発表から参考になると思った資料にあたれる時間を確保することで、資料の共有がはかれます。
また、もう一度資料にあたる時間が取れない場合は、実物投影装置などを活用して、資料を全員で共有します。

「Aさん、どうやって調べたの」
「□□という本に書いてありました」
「その本の調べたページをみんなに見せてくれるかな」
実物投影装置を使って、
「このところに・・・と書いてあります」
「みんな、納得できたかな」

時間の関係で教室での発表になる時には、資料の該当ページを原文通りきちんと引用するように指導することです。可能であればデジカメ等を使って記録して、教室でコピーを見せることができるようにするとよいでしょう。インターネットを活用したのであれば、教室にインターネットが利用できるパソコンとプロジェクタを準備すると資料を全員で共有できます。

調べた結果だけを聞き合うのであれば、その時間は教師の説明を一方的に聞いている時間と大きな違いがありません。(もちろん子どもたちの発表の練習にはなりますが・・・)資料を共有することで、調べる過程を共有できるようにしてほしいと思います。

動画の活用の注意点

ICT機器が普及してきて、動画をスクリーンに映して活用する場面によく出会います。わかりやすい教材もどん開発されて、ますます活用されるようになると思います。しかし動画であるがゆえに気をつけてほしいことがあります。

「オリオン座はなぜ冬の星座か」を考える理科の授業でのことです。
コンピュータのシミュレーションをつかって冬の夜空と夏の夜空を映し出し、オリオン座の見え方の違いを見つける場面でした。子どもたちが気づいたことを発表します。中には「おうし座はオリオン座のそばにあるけど、夏でも見える」という素晴らしことに気づく子がいました。オリオン座しか注目していないので、多くの子どもは気づいていません。静止した資料であれば、もう一度自分で確認することができますが、動画は流れてしまうので、確認することができません。動画をもとにでた意見は必ずもう一度該当箇所を映さなければ、確認できないのです。

動画は確認するのに再度再生する必要があります。したがって、あまり長いものは授業では扱いにくくなります。内容を記憶することも考えると授業で扱うものは1回数分にとどめておく必要があります。
また、動画の内容をもとにグループで話し合いをさせるのであれば、グループごとに再生できる環境を用意しなければ互いに確認して共有化できません。

動画は子どもたちの興味を引いたり、多くの情報を与えたりすることができますが、それゆえ注意すべき点もあります。動画の特性をうまく利用して、授業に幅を持たせてください。

学校全体で学びの質を上げる難しさ

昨日は中学校の公開研究会に参加しました。

小学校の頃に学級崩壊を経験した学年もあり、生徒指導上大変であったと聞いていましたが、どの教室も落ち着いた雰囲気で、笑顔があふれる授業でした。子どもたちの学び合いをベースにした授業づくりのよさが感じられます。先生方が互いに学び合って授業を作っているのがよくわかります。授業検討会でも授業のよいところから学ぼうとする姿勢を感じました。

多くの学校を見させていただいて感じるのは、子どもたちが落ち着いて学びあえる雰囲気をつくるところまでは比較的に短期間(2年前後)でできるが、その学びの質を学校全体として高めるのがとても難しいということです。
一人ひとりの学びをきちんと見ることに加えて、課題と子どもの動きの関係、考えを深めるためにどのように子どもの意見をつないでいくかといったことにも意識を向けて授業を見ていかなければならないからです。課題や考えを深めるということに関しては教科の知識がどうしても必要になってきます。これを全体の協議の場でうまく話し合うのは難しいことです。教科や一つひとつの授業の固有の問題からどの授業にも通じることを整理して共有化することはとても難しいのです。したがって、同じ教科の人間が集まっての授業研究も必要になってきます。しかし、1校だけでこれを実現するのは人数の関係でなかなか難しいことです。ある程度広域の勉強会を作る必要があります。

今回の授業検討会でも、2回のグループでの話し合いにおける個々の場面での子どもたちの学びをよく観察していましたが、最初の話し合いでテンションが高い子が多かったのに対して、次の課題では話し合いがうまく始まらず、しばらく動きがなかったという事実については話題になりませんでした。

最初の課題は知識を持っている子にとっては、それほど難しいことではなかったようです。わかっている子どもが説明したくてテンションが上がってしまったのです。一方、ベースになる知識が曖昧な子は、説明を聞いてもすぐにわからないようでした。「わからないから教えて」と聞くことができる子どもが育っているので、なんとかわかってもらおうと、ますます力を入れて説明する子と、どう説明すればわかってもらえるのかを考えながらじっくりと説明する子に分かれたようです。その結果、グループによってテンションが変わっていったようです。
知識を持っている子がすぐに答えがわかることを課題にした時に起こりやすい事象でした。

2回目の話し合いでは、与えられた課題が曖昧だったため、何を話していいかわからない状態でした。ところが子どもたちはそこで、教師から与えられた言葉(課題)を自分たちなりに解釈して、話し合いを行いました。その結果、全体の場では全く異なった視点での考えが発表されました。それぞれの視点を明確にすることを教師が意識しなかったため、発言をきちんと学級全体に広げることができませんでした。話し合いの内容を深めるチャンスを逃してしまったのです。

だから、この授業がよかった、悪かったということではありません。そこで起こっていたことに気づき、どう理解するかということです。そこで学んだことが授業づくりに生きてくるのです。

管理職の方と少しお話をする機会がありました。私が感じたことはとてもよく理解されていました。今の状態はまだまだ通過点で、ここからが本当の踏ん張りどころだと話す姿に、来年はもっと素晴らしい学校になっているに違いないと確信しました。

「結果を利用する」と「考え方を利用する」

算数や数学で、問題を解くときの手がかりが見つからなくて子どもたちの手が止まる場面によく出会います。解き方の手順を覚えるばかりでは、見たことのない問題を解く力はなかなかつきません。どのようなことが大切になるのでしょう。

解き方を知らない問題を解くときの壁は最初の一手です。どこから手をつけたらよいかがわからないのです。最初の一手を考えるときの基本は、「結果を利用する」と「考え方を利用する」です。
例えば台形の面積の求め方を考えてみましょう。
「結果を利用する」のであれば、面積に関して知っている知識=結果を整理します。正方形、長方形、平行四辺形、三角形の面積の求め方は知っています。台形をなんとかこれらの形にできないかと考えることから出発します。
「考え方を利用する」のであれば、平行四辺形や三角形の面積を求めるときにやった作業を思い出します。図形を切ったり、移動させて面積が求められる形を作ることから出発します。
結果的には、同じような活動になりますが、この2つの視点を意識することで、見通しを持って取り組む力がつくようになります。台形を対角線で2つの三角形に分けて考えた場合でも、先に三角形を意識した子ども、とりあえず切ってみることから始めた子がいるはずです。どちらかが優れているというのではなく、子どもたちにそのこと明確に意識させることで、問題を解く力がついてくるのです。

「A君は斜めに切って考えたんだ」
「A君は、すぐに斜めに切ろうと思ったの」
「平行四辺形の時に切ったから」
「なるほどね。前にやったやり方を覚えていたんだ。偉いね」
「それで、最初から斜めに切ったの」
「斜めに切ったら。三角形ができたから」
「それってどういうこと」
「三角形だったらわかるから」
「何がわかるの」
「面積」
「みんな三角形の面積はわかる」
「底辺×高さ÷2」
「なるほど、三角形の面積の求め方は知っているもんね。知っていることをうまく使ったね」

子どもたちが意識せずに使ったことを、明確にすることで視点が育ってきます。
したがって、新しい課題に取り組むときは、「今まで学習したことで利用できそうなことは何かな?」「今までやったやり方で利用できそうなことはないかな?」このような問いかけが大切になってきます。
算数・数学に限らず、他の教科でも、結果とそれを導き出した考え方を意識することで子どもたちの考える力、問題解決力が高まっていくと思います。

充実した研究会で学ぶ

日曜日に参加した研究会は実践報告もレクチャーも大変内容の濃いものでした。

中学校での縦割りによる探求活動(総合的な学習の時間)の実践は、

ゴールは「・・・について」ではなく「・・・なのか」と自分たちの考え、結論を明確にする。
インターネットなどで調べるだけでなく自分の足で調べる。
中間発表を入れて、他者の意見をブラッシュアップするチャンスを設ける。
子どもだけでなく、大人の評価も受ける。

といった、1年のサイクルで回す場合の基本がきちんと押さえられた活動で大変参考になるものでした。
この活動に、縦割りを活かした、3年間のスパイラルで子どもたちが伸びる仕組みをぜひ組み込んでいただきたいと感じました。

レクチャーでは、私自身がよくわかっていると思っていたことを、私にない視点を付け加えてまとめられていました。おかげで考えを深めることができました。感謝です。

また、保護者の学校評価の興味深いデータも見せていただきました。荒れている学年のデータは、学校に対する評価が低いのですが、教師への信頼や努力に対する評価は高いのです。結果が出ていないことへの不満と、そうは言っても目の前で教師が頑張っている姿は評価しているということでしょう。あらためて、「愛される教師を作る(になる)のは簡単だが、愛される学校を作る(になる)のは難しい」と感じました。

3時間余りの会でしたが、本当に充実した時間で、たくさんのお土産をいただくことができました。

子どもが育つと教師も育つ

昨日は、中学校の授業研究に参加しました。

この学校のアドバイザーとして1年半余りが過ぎました。子どもたちの授業中に見せる姿がずいぶん変わってきました。柔らかい表情で、友だちと関わりながら授業に参加するようになりました。それと並行して先生方の授業研究での様子もずいぶん変わりました。子ども一人ひとりの発言や友だちとの関わり合い、子どもの変化のきっかけなどを実によく観察しています。検討会での話し合いも一人ひとりの学びの様子がきちんと語られていました。
この授業では、ずっと机にふせって参加していない生徒が後半起き上がって参加を始めました。私はその変化の瞬間を見落としていたのですが、観察していた先生がその前後の本人の様子と仲間の関わり方を詳しく報告してくれました。おかげで、その時何が起こっていたのかとてもよくわかりました。
このように先生方の子どもの事実をしっかり見るようになったおかげで、検討会で学べることもとても多くなってきました。

授業者は6年目の若手ですが、今回が今年3回目の提案授業です。回を追うごとに、子どもたちにこうなってほしいという思いがはっきりし、そのことを意識した授業づくりになってきました。うまくいくことばかりではありません。しかし、意識して組み立てているので、その結果をきちんと分析することで改善点もはっきりします。
この数年、学校として教師と子どもたち、子ども同士の人間関係をきちんと作ってきたことで、子どもたちの学びがうまく成立しなかった場面でも、その原因がどこにあるのかがとても考えやすくなりました。人間関係ができていないときは、そこが原因なのか課題や教師の働きかけが悪いのかがわかりにくいからです。

子どもが育っていくことで教師が学ぶことも多くなります。子どもが育つことが教師を育ててくれるのです。管理職の先生方も彼を温かく見守って、彼の進歩きちんと認めて励ましてきました。授業者は昨年までと比べて、子どもや同僚から学ぶ姿勢がとても素直になってきました。

検討会後も、この授業に関してまだ整理できていないことや疑問をたくさん私に質問してくれました。とてもよい内容で、授業者と一緒に私もたくさん勉強をさせてもらいました。
最後に「来年は異動するかもしれませんが、もし機会があればまた授業を見てください」と言ってくれました。このことが私にとっては何よりうれしい言葉でした。

今泉博先生から学ぶ

教師力アップセミナーで、今泉博先生のお話を聞かせていただきました。

「推理と想像」をキーワードに、どの子も発言したくなることを目指す授業の具体例をたくさん話されました。
発言するためには安心して話せる状況が大切である。そのために間違いを活かして、間違いをほめて、そこから授業を深めるという主張は大いに納得できました。
子どもの参加意欲を増すために、だれでも発言できる質問からスタートして、次第にねらいに迫る発問を加えて、考えを深めていくという展開です。どの例もよく練られたものでした。

ここで、注意をしたいのはだれでも答えを言える質問は、根拠のない無責任な発言につながることです。

「遣唐使はどうやって唐にいった」
「泳いで」
「いかだ」
「船」
・・・

特にクイズのような質問はそうなりやすいのです。今泉先生の素晴らしいところは、子どもを引き付け参加させたところで、子どもたちが関わりながら、根拠を持って内容を深めていくための発音や手立てをきちんと用意していることです。

「どんな人が行った」
「お坊さん」「役人」「通訳」・・・
「それじゃ、いかだじゃだめだ」
「船だ」
「どんな船」
「大きな船」
「帆がある」
「エンジンがある船」
「そのころはエンジンはないから違うよ」
「帆だけじゃ風がないと動かないから、人が漕いだ」
・・・
地図を見せて、
「どこから出発したんだろう」
・・・
「どこを通ったんだろう」
・・・

このような授業は、深い教材研究に支えられています。教えたい内容を明確にした上で、子どもたちがそれを見つけ理解していくためにどのような授業展開をするのか、どのような発問を用意するのかがとても大事なのです。ここがしっかりしていないと、子どものテンションだけが上がり、無責任な発言ばかりが目立つ、思考や深まりのない授業になってしまします。特に参加された若い先生にはこのことを強く意識してほしいと思いました。

結果の板書で何が起こるのか

前回のワンポイントアドバイス(何を板書するか)に関連して、結果だけを板書することについてもう少し考えてみたいと思います。

例えば、ワークシートの正解や数学の答えを板書した時、正解者にとっては答えの確認にしかなりません。すぐに○をつけて終わりです。一方手がつかなかった、不正解だった子どもは、黒板に結果しかないのでそれを見ても何故そうなったかはわかりません。この板書の内容を必要とする子どもが教室にいないのです。しかし、わからなかった子どもは不安なのでとりあえず板書を写します。写してもわからないのに。
そこで、このことに気づいている教師は説明を始めます。

正解を板書して、
「はい、こっちを見て」
「ノート取るのはやめて、あとで書く時間あげるから」
「説明するよ」
・・・
「はい、写していいよ」

結局、最後には板書を写す時間を確保しなければなりません。ところが正解だった子にとってはこの時間は写す必要がないので無駄になります。先生の話をちゃんと聞かずにノートを取った子どももすぐに終わります。多くの子どもが手持ちぶさたな状態にすぐになってしまいます。そこで教師は子どもをせかしたり、また写し終わっていない子どもがいても先に進んでしまったりします。写せなかった子は、次回からは説明中でも写すようになってしまいます。本当に説明を聞かなければいけない子が聞かない授業になっていきます。

板書と子どもの活動はうまく連動する必要があります。正解や結論、まとめが書かれた時点で子どもの思考は止まり作業に移ってしまいます。子どもの思考を促すような板書にしたいものです。
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