永遠の課題?
先週末の教師力アップセミナーで國學院大学の滝井章先生に「思考力と表現力の育成を重視した算数の授業づくり 〜新学習指導要領の趣旨を生かした授業づくり〜」という演題でお話しをうかがった。
算数を通じて「物事の本質を見つける力」をつけたいという先生の考えに大いに共感した。また、今回の指導要領の改訂で学年間の重なりが重視されたが(スパイラル)、単に下の学年に降りてきたのではなく、そのつながりを意識してほしいという具体例が非常にわかりやすく、大変勉強になった。 しかし、先生の話される思考力、表現力を育てる授業ということは、今急に言われだしたことではない。特に、思考力は、算数・数学という教科ができた時からではないかと思う。学年間のつながりを意識するということだって、言い方こそ違え多くの方がおっしゃってきた。にもかかわらず、こういったことが言われ続けなければならないのはなぜだろう。永遠の課題と言ってしまえばそれまでだが、そんな言葉で片付けたくない。よい授業にゴールがないのだから、求め続けるのは当然というのもちょっと違う気がする。 現場で授業を見せていただいて、実現の度合いが低いと感じるからだ。 滝井先生のようなすぐれた実践者はたくさんおられる。具体的な実践が広まっていかないことが問題なのだ。セミナーで話を聞いてもせいぜい1つか2つの例しか聞けない。しかも聞いただけで実践できるようになるわけではない。いわんやすべての教科単元を網羅するなど絶対に不可能である。結局、教師自らが書籍などを通じて学び、実践し、同僚と学び合う以外に方法はないのだろうか。それさえも現実には難しい状況がある。 わかっていたとはいえ、あらためてこの問題を考えることになった。今すぐ答えが見つかるわけではないが、自分できることをやりながら、答えに近づきたいと思う。 エネルギーをもらった授業研究
昨日は中学校の授業研究に参加しました。授業者は若手の先生でしたが、意識して新しいスタイルに挑戦してくれました。
授業後の検討会は、3つのグループで話し合いがもたれましたが、どのグループのどの先生も本当によく子どもを見ておられました。具体的な子どもの行動、変化がたくさん話され、気付けなかったことをたくさん教えてもらえました。 ある生徒を指名した後、教室の雰囲気が変わったことが指摘されました。授業者が暗かった教室の雰囲気を変えようと意図的に指名したということでした。自分が担任している学級ということもあって、生徒の個性や学級の特性をよくつかんでいるからできたのでしょう。 検討会の後、授業者と話をさせていただきました。 自分が意識して挑戦した場面をたくさん取り上げてもらった。うまくいったこともいかなかったことも、意見を聞かせていただいて本当に勉強になった。普段の自分の授業を先生方が見てくれているから、挑戦した場面に気づいてもらえたのだと思う。そのことをとてもうれしく思った。他の学級で同じ授業をするので、今日学んだこと生かして、もう一度挑戦してみます。 とても、前向きな発言を聞かせてもらいました。 学校全体に互いに学び合う関係が築かれてきているようです。とても元気の出る授業研究で、次回もとても楽しみです。私もたくさんのエネルギーをいただきました。 オープンカンニングの発想
フラッシュカードを使って、一斉に発音練習をする。教師の後に続いて全員で音読する。学級全体で一斉に同じことをする場面がよくあります。このような場面では、基本的に全員が答えられる、参加できるような活動であることが多いように思います。
ところが予定と違ってぱらぱらとしか反応が返ってこないため、教師が戸惑ってしまうのを目にすることがあります。どのように対応すればよいのでしょうか? 例えば英語で問いかけて、答えがほとんど返ってこなかったような場合、教師がやさしい言葉に言い換えたり、質問を日本語に変えたりします。 こういう対応をすると、 「今の質問はわからなくてもよかったんだ」 「わからないときは教師がフォローしてくれる」 と思ってしまいます。 また、真剣に考えている子どもは情報が増えるのでかえって混乱することもあります。 こういうときは、ゆっくりと同じ質問を繰り返します。ほんの数人でも正しく答えてくれれば、教師は大きくうなずきこの答えでよいことを示します。もし違っていれば、ゆっくり首を横にふってもう一度考えることを促します。これを何度か繰り返すとだんだん声が大きくなり最後には全員がきちんと答えるようになります。そこで、次に進めばよいのです。 問題に関するヒントを与えるよりは、考えることに集中させる、まわりの声に耳を傾けさせることの方が効果的です。友だちの答えを聞いて、ああこう答えればいいんだとわかれば、教師に教えられたのではなく自分で解決したと思います。 一斉に活動させる場面では、このオープンカンニングの発想をうまく使ってほしいと思います。 後だしじゃんけんをしない
資料をもとに考えさせる場面で、用意した資料を全部見せずに、決定的な資料は教師が解説する時の根拠としてとっておくことがあります。見せないことで、子どもたちの考えが広がることをねらっているのですが、実際にはどうなのでしょうか。
社会科の授業の例です。明治政府が基盤を固めていく過程の学習で、鉄道敷設の苦労から当時の政府の状況を考えさせる場面です。 教師は、鉄道の路線図や錦絵を資料として与え、子どもたちから鉄道が海を通っていること気づかせました。そこで、「なぜ、わざわざ海を走らせたのか」と質問をして、グループで考えさせました。 景色がいいから 鉄道を通す場所がなかった 土地を買収できなかった ・・・ いろいろな意見が出ますが、そこから先へは進みません。資料集には根拠となる資料がなかったし、また他の資料を探す手段も用意されていなかったのです。 グループ活動の後、話し合いの結果を発表させますが、発表を聞いて「なるほど」「そういう考えもある」とは思っても、結論づけることはできません。そこで教師が、明治政府の信用や威光がないため、土地を売ってもらえなかった。そのために海を通した。資金もないため、鉄道敷設のために外国から借金をしたことを解説し、最後に、当時の海沿いの土地の写真を資料として見せました。海沿いに小さな家がたくさん建っている写真です。この写真を見れば土地を買収する必要があることが一目でわかるすばらしい資料です。授業者は苦労してこの資料を見つけたそうです。ですから最後に子どもたちを納得させる資料として使いたかったのでしょう。 子どもたちは、納得するというより、 「えっ、そんな資料があるなら先に見せてくれればよかったのに」 と釈然としない様子でした。後だしじゃんけんをされたような気持ちになったのでしょう。 しかし、子どもたちにその資料を与えていればどうだったでしょう。買収できなかったことにすぐに気づき、本時の目標である当時の明治政府の状況を考えることに自然につながったはずです。 最初から与えては考えが広まらないと思うのであれば、途中で子どもたちに「どんな資料がほしい」と聞いてやればよいでしょう。そこで、「じゃあ、こんな資料があるけどどうかな」といって与えればよいのです。 教師だけが根拠となる資料を持っていて、それを根拠として解説されると、せっかく子どもたちが自分で考えようとしていても、最後は教師の説明を聞けばいいのだと受身になってしまいます。 必要な資料は子どもたちに与えて話し合い、子どもと一緒に結論にたどりつくようにしてほしいと思います。 必然性のある場面をどうつくる
子どもの学習意欲を高めるための大切な要素として、学ぶ必然性があります。学ぶことが役に立つ、必要であると感じれば、当然一生懸命課題に取り組むからです。では、学ぶ必然性のある場面をつくるには、どういうことを意識すればよいのでしょうか。
基本はゴールが明確であることです。ゴールにたどり着くために必要であることが学ぶ必然性につながります。 色の塗り方を工夫して絵を描くことを考えてみましょう。「今日は○○の絵を描く」だけではゴールはまだ明確ではありません。今までの子どもの作品を見せる、その絵のよさを子どもが感じる、あんな絵が描きたいと思う。こういう過程が必要になります。その過程で「色の塗り方に工夫がされている」ということに気づかせればよいのです。 次に意識したいのは、学んだこととそれを活かす場面はできるだけ近接させるということです。 先ほどの絵の例で、下絵を描いてから色を塗る作業に入るのであれば、色の塗り方の工夫を具体的に考えさせるのは、下絵を描いた後がよいということです。 下絵も描いていない状態で自分がどんな絵を描くかも明確でなければ、先輩の作品を見て色の塗り方の工夫について考えても、その必要性をあまり感じません。「さあ今からどんな風に色を塗ろう」と思っているときであれば、先輩の工夫から学ぶことに必然性があります。 「下絵が描けた人は、色を塗ってもらいます。塗り始める前にもう一度先輩の作品を見て、ここがいいなと思うところがあったら真似していいからね。どんなところを真似したかあとで教えてね」 このような指示を出すことで、集中して先輩の絵から学びます。 子どもたちが学ぶ必然性をどうすればより感じることができるか意識して、授業をつくっていただきたいと思います。 「読売教師力セミナー2010」開催
10月23日(土)に、読売新聞主催のセミナーが名古屋市千種区の椙山女学園大学星ヶ丘キャンパスで開かれます。
今年は、「キャリア教育事始〜小中学生が『社会で働く』意味を考える〜」をテーマに、模擬授業でのキャリア教育の具体的な提案、パネルディスカッションでのこれからのキャリア教育の現場での進め方の2部構成になっています。 出演者は、愛知教育大学教職大学院教授志水廣先生、愛知県教育委員会海部教育事務所長玉置崇先生、一宮市立大和南中学校教頭伊藤彰敏先生、豊田市立竹村小学校教頭和田裕枝先生、以上4名の先生方とコーディネーターとして私も参加させていただきます。 申込み方法等、詳しくは読売新聞ホームページで。 いい授業ってなんだろう?
研修会の際に、「いい授業」にするための検討のポイントを説明したのですが、そのとき「いい授業ってどういう授業ですか」と質問されました。
たしかに、あたかも「いい授業」という絶対的なものがあるように話をしてしまうことがよくあります。 ・子どもが積極的に参加する ・子どもにとってわかりやすい ・授業規律が保たれている ・教師と子どもの信頼関係ができている ・・・ いい授業の要素は思い浮かびますが、全体像はなかなか明確にできません。 その研修会では、「授業者の目指す子どもの姿が実現できる」のがいい授業であるとお答えしました。「いい授業」のイメージは教師の数だけあります。誰もが納得するものをその場で示すのは難しいと考えたのです。 実はこのことが、授業検討でも問題になるのです。意見を言う際に目指す子どもの姿が違っていては、話がかみ合いません。まずは授業者の目指す子どもの姿にそって議論しなければ話は進まないのです。 一方、目指す子どもの姿については、学校の中で共有することが大切です。全員が全く同じである必要はありませんが、少なくとも方向性は一致してほしいのです。そうしなければ、互いに授業を見合っても視点がずれてしまい、うまく学び合えません。 目指す子どもの姿を明確にすることがいい授業を明確にすることにつながります。目指す子どもの姿について教師がふだんから話しあう雰囲気をつくることが、その学校におけるいい授業を具体的にしてくれるのです。 迷惑をかけたくない?!
先日義理の母が出先で転倒して、骨折をしました。タクシーで家まで何とかたどり着いたものの、這いずるような状況。たまたま工事の人が見つけてくれて、玄関まで運んでもらい、民生委員さんにも連絡をしてくれたそうです。
ところが、民生委員さんがどれだけ言っても救急車を呼ぶことを拒否します。それならばタクシーで救急病院へ行くというのはどうかと提案しても、首を縦に振りません。ほとほと困り果てた民生委員さんが電話をかけてきてくれて、初めて事故のことを知りました。 義母の気持ちはわかります。周りに迷惑をかけたくない、心配させたくない。その一念で我慢していたのでしょう。結局、私たちの説得で行きつけの病院にタクシーで向かったのが、転倒から3時間後の6時過ぎ。ところが、病院は休診日。救急病院のお世話になりましたが、今度はベッドが空いていません。あれほど拒否した救急車で別の病院に搬送され、入院の検査と手続きが終わって私たちが家に帰った時には日付が変わっていました。「すぐに救急車を呼んでくれていたら」と思わずにはいられませんでした。 「迷惑をかけたくない、心配させたくない」と思うあまり、余計に周りに迷惑をかけ、多くの人を心配させてしまうという結果になったわけです。 これに似たことは、学校でも起こりがちなことです。学級で問題が起こっていても、「自分で何とかしなければ」と抱え込んでしまい、結局打つ手が遅れてしまい、最終的には子どもたちにマイナスとなってしまう。こんな事例をよく目にします。 トラブルは自分で抱え込まずに、思い切って周りに頼ることが大切であるとあらためて思いました。 学校経営セミナー打合せ
9月17日(金)に行う、プラネクサス主催の学校経営セミナーの打合せを行いました。
今回は「授業評価」をテーマにしたものですが、事前に参加者にヒアリングしています。少しでも参加者のニーズにこたえたセミナーにするためです。 ・これから授業評価を行おうとしているが、具体的に設問をどのようにすればよいのか? ・授業評価を実際の授業改善につなげるためにはどうすればよいのか? ・授業評価を生かした研修の持ち方はどうすればよいのか? ・授業評価を受けて管理職はどう行動すればよいのか? 現場からの声を受けて、どのような構成でお話しすればよいのかスタッフで話し合いました。当日参加された方が、「明日からやってみよう」と言ってくださるセミナーを目指します。 なお、まだ申込みは受け付けていますので、興味のある方はプラネクサスのホームページをご覧ください。 一人ひとりの活動量を確保する
挙手をした子どもを教師が指名する。子どもの発言を受けて次の発問をする。この連続で進む授業は、子どもが活躍するよい授業に思えます。ところが、実際に発言しているこどもはごく一部に限られていて、他の多くの子どもは受身であったり、全く話についていけてなかったりします。貴重な授業時間を無駄にしています。授業では、一人ひとりの活動量をきちんと確保する必要があるのです。
一人ひとりが話を聞いて考えていれば、それはきちんと活動していることになります。しかし、そればかりでは集中力が続きません。自分の考えを発言したり、主体的に参加する必要があります。しかし、全体の場では、同時に一人しか発言できません。子どもたちが主体的に活動するには効率が悪いのです。 個人作業をそのための時間ととらえることもできますが、わからないとそこで止まってしまいますし、自分の考えを外化してそれに対する他者の考えを聞くこともできません。活動の幅が狭いのです。 ・個人作業でも、わからなければ友だちに聞く。聞かれたらきちんと説明する。 ・考えを隣同士で言いあう。周りの人と相談する。 ・グループで相談する。 このような時間を取り入れることで一人ひとりの活動量が確保でき、授業の密度が上がります。子どもたち一人ひとりに目を向け、きちんと活動できているかを意識するようにしてほしいと思います。 評価の観点を具体的に示しておく
子どもたちの活動の後、教師がほめることはごく普通の光景だと思います。ところがそのほめる観点を事前に具体的に示さずに活動していることがよくあります。
「A役とB役にわかれて、二人で読みあってください。頑張って読んでくださいね」 ・・・ 「はい、みんな頑張って読んでくれたね。○○さんは、身振りもつけてくれてとてもよく頑張ったね」 この場合、頑張ることは具体的にどういうことか示されていません。たまたま身振りをつけた子がいたので、それを頑張ったこととして教師はほめたわけです。 「身振りをつければほめてもらえるのなら、最初からそう言ってくれれば意識したのに」と思う子どもが出てきます。頑張ることはどういうことか明確でないために評価に対する納得感がありません。活動のねらいにつながることを具体的な目標として事前に伝える必要があります。 本当に教師が身振りをつけるような工夫をさせたいのであれば、そのことを最初に示しておきます。 「A役とB役にわかれて、二人で読みあってください。その人の気持ちが伝わるような工夫をして読んでくださいね」 ・・・ 「○○さんは、身振りもつけてくれて工夫してくれたね。△△さんは、声の大きさを変えて読んでくれていたね。みんな工夫してくれていたね。ペアの人がどんな工夫をしていたか、気づいたことを教えてくれる?」 子どもたちに活動させる時は、ねらいを意識させる必要があります。ほめることは、その評価です。事前にその観点を明確にすることで、子どもたちが意欲的に取り組み、意識して活動してくれます。その結果、ほめることが子どもたちのモチベーションアップにもつながっていくのです。 学びの多い研修
先週末は模擬授業の解説と講演を研修で行ってきました。
理科の実験の模擬授業でしたが、生徒役の先生が素直に子どもの気持ちで取り組んでくださいました。 ・真剣に課題について話し合う。 ・発表者をしっかり見て聞く。 ・よい意見に対して素直に反応する。 とてもよい雰囲気で模擬授業は進みました。生徒役の先生からは、我々が事前に予想もしなかった面白い意見がたくさん出てきました。聞いてみると、真剣に実験について考えた結果出てきた意見で、決して教師として冷めた目で考えたものではなかったそうです。実際に子どもたち相手に早くやってみたくなるような授業でした。 関わり合いを通じて考えが深まる言語活動はどのようなものか、実感できたと思います。 このように予想以上におもしろいものになったのは、参加された先生方が素直であったこともその要因の一つですが、 ・課題が自由度の高いものであったこと ・出てきた意見に対して決して否定的な態度を取らなかったこと ・出てきた意見を他の生徒役につないだこと が大きいと思いました。 ポイントとなる場面で授業者の意図を確認しましたが、どの場面でも明確な答えが返ってきました。再現性のある授業をしている証拠です。 目指す子どもの姿、どのようにして育てていくかのステップが非常に明快なのです。 子どもの言葉で授業作っていくことを大切にしようと授業スタイルを変えて2年目の先生ですが、ずっとやってきたかのような自然な授業です。 基本に忠実に、一つひとつの場面を大切にして、意図的に経験を積んでこられたことがよくわかります。 ベテランにとっても、若手にとってもよい刺激になったと思います。 授業者も、参加者も、そしてコーディネートした私にとってもとても学びの多い研修でした。 授業について深く考える
昨日は研修会の講師として、みなさんと授業研究を行ってきました。
午前中は3グループに分かれ、授業の準備検討会をおこない、午後から代表者が模擬授業を行ってくれました。 どのグループも真剣に授業について話し合っていました。準備検討会でも模擬授業を取り入れてもらいましたが、行き詰った時に新たな視点を提供してくれていたようです。 午後の模擬授業では、自分たちがしっかり検討してきたこともあり、子ども役の反応をつぶさに観察していました。どの授業も授業者とグループの思いやこだわりがしっかり伝わるよい授業でした。授業者の意図が明確なだけ、検討も焦点化しやすく、互いに多くのことを学び合えました。 ・ワークシートにどこまでヒントを書くのか ・道徳で子どもに何を考えさせるのか、そのための発問の視点 ・子どもたちが考えることと資料の関係 具体的な授業があればこそ、問題を身近に感じることができました。 参加された先生方も授業のことを考える楽しさを味わっていただけたことと思います。 一つの授業をこれだけ集中して深く検討する時間はなかなか取ることはできませんが、このような研修以外でも、時間を見つけて授業について話し合っていただけたらと思います。 自分の問題としてとらえる
昨日は模擬授業で研修を行ってきました。
中学校の数学の相似の授業でしたが、生徒役の先生が前提となる既修事項を理解できていないために、授業者の先生がうまく進められないところがありました。 授業者は思わぬ反応に苦しむのですが、そのことが参加者を含め私にとっても大きな学びにつながりました。 何をしてよいかわからないときに子どもはどんな気持ちになるのか。 手がつかない状態では、教師に何を求めるのか。 相似な三角形を見つけたところから説明されたが、そもそもその三角形が見つけられない子どもはどうすればよいのか。 自然にわからない子どもの立場なることでたくさんのことに気づかれました。 みなさんの素晴らしかったことは、個別の問題ととらえずに、自分の授業でもこのような場面があったのではないかと振りかえっていたことです。 みなさん2学期は今まで以上に子どもの目線に立った授業をしてくれることと思います。 次回はこの模擬授業と同じ場面で、子どもたちを相手に研究授業をおこないます。謙虚な姿勢で指摘を受け止めることができる授業者なので、今回の学びを生かした授業をきっと見せてくれる事と期待しています。 大人が伝えること
キャリア教育の模擬授業を検討していて考えたことです。
学校教育はどのようなことを目的としているかを考えてみると、次代の社会を担う構成員として必要な知識や態度を教え、育てることがその一つにあげられます。社会の継続性です。そのために必要なことを学校では教えているのです。これを働くという視点で切り取ったものがキャリア教育だと思います。ですから、キャリア教育といってもあらためて何かするというのではなく、子どもたちが学校で学ぶことが社会で生きていく上で役に立つのだという実感を持って生活してくれることが基本だと思います。 そう考えると、学校で学んでいることにリアリティがないことが問題だと感じました。学校で学ぶことは直近の受験のためで、その先にあるものは実感がないのです。社会に出て働くということには結びついていないのです。そもそも子どもたちに働くことのリアリティがないのです。 私が子どもの頃は町に自営の店がたくさんあり、子どもたちが手伝いをしている姿がよく見られました。農家の子どもも田植えや稲刈りで頼られる労働力でした。子どもたちに働くことのリアリティがありました。 今の子どもたちにこれを求めるのは無理です。短期間の職場体験ではなかなか難しいものがあります。 かれらに働くことと学校で学ぶことの大切さを考えさせても無理があります。それを教え伝えるのは大人の仕事です。社会に出て大切なことを身近な大人である教師や保護者がもっと子どもに伝える必要があると思います。そのうえで、毎日の生活の中、学校生活の中のどこでそれを身につけるのかを子どもに考えさせることが大切です。 例えば職場体験でも、単に経験するだけでなく、働く上で何が大切だと思ったか、職場の人は何を大切にしていたか、そしてそのことはどうすれば身に着くか。そんな問いかけが必要です。 働くことに関してだけでなく、社会で生きていくために大切なことを我々大人が伝え、子どもたちがそのことを意識して生活することが求められます。結果、学校で学ぶことのリアリティが生まれてくると思います。キャリア教育をきっかけに、大人の役割を考えさせられました。 本番が楽しみな模擬授業
昨日は今週行う研修での模擬授業について打ち合わせを行いました。
言語活動をテーマにした理科の模擬授業です。提案していただいた授業は、用意した実験道具から、何を調べる実験ができるか考えさせ、子どもの意見をもとに実験を行うというものです。受身で指示された実験をするのではなく、自分で考えることで、理科的な思考が身に付きます。子どもは自分の考えを発表したくなると思います。いろいろな意見を整理していくことで、対照実験のポイントも身に着きます。活発な言語活動が期待できそうです。 実験道具もこの授業のねらいに合ったシンプルなもので、日ごろから子どもたちの活動を大切にしているからこそ生まれる発想だと思いました。この模擬授業のためにオリジナルで作られましたが、来年は実際の授業で使ってみると楽しそうに話されました。研修での授業はどうしても見せることを意識したものになるのですが、実際にやってみたい授業を考えていただけたことをとてもうれしく思いました。 この模擬授業を通じて伝えたいことがたくさん出てきました。教科を越えて明日から使える内容をどうすればうまく伝えられるか。考える楽しみが増えました。 取り組みが広がる原動力
先週末にホームページの更新頻度が高い私立の中高等学校を訪問しました。
ホームページの活用についてのお話を伺うのが目的でしたが、ホームページだけでなく、いろいろな場面で生徒・保護者とのコミュニケーションを取る取り組みをしていることがわかりました。しかも、その取り組みはトップダウンではなく、教員が互いに学び合って広がっていったものでした。 教員同士が学ぶ合うことの大切さはよく言われますが、実際にはなかなか難しい物があります。お話をいろいろ伺っているうちにわかったことは、キーマンの存在でした。中学、高校の各学年に必ずムードメーカーがいて、コミュニケーションの核となっているのです。互いの取り組みをオープンにし、いい意味で競い合うことで広がり、学び合い、そのことが次の新しい取り組みを生み出すことにつながっているのです。 ホームページをきっかけにたくさんの取り組みとそれを生み出す原動力を学ばせていただきました。 先生方の学ぶ姿に感激
昨日は小学校の研修の講師を務めてきました。
テーマは、学習内容の活用です。これから1年ほど先生方とこのテーマをもとに一緒に勉強をさせていただくのですが、今回はその口火切るものでした。このことをきっかけに私自身が学習内容の活用について整理することができました。このような自分にとっても勉強する機会となるような仕事は大変ありがたいことです。 研修の後半は先生方に、いろいろな活用場面のアイデアをグループで考えていただきました。 グループになってすぐは、皆さんアイデアを考えているのでやや硬い表情で声も聞こえませんでした。しかし、しばらくしてどなたかが声を出されると、堰を切ったようにどのグループも活発に話し始めました。会場全体に声が先生方の声が響きます。でもすぐに声はおさまり、適度な声での話し合いになりました。しっとりとした雰囲気です。どの先生も体を前に傾けて話を聞こうとしています。この状態であれば大きな声を出して注意を引いたり主張する必要もありません。この状態が最後まで続きました。まさに、グループでの学び合いのお手本のような状態でした。この様子をビデオにとって子どもたちに「見本だよ」と見せてあげたいほどでした。 このような姿を先生が見せてくれたのはテーマが先生方にとって意味のあるものだったこともありますが、なにより人間関係が良好なことが根底にあります。そうでなければこのような「聞きあう姿」は見られないからです。 研修終了後食事に誘われました。なんと、校内での流しそうめん大会です。先生方とおいしいそうめんをいただきながら、こんなところにもこの学校の先生方の人間関係のよさの秘密があるのだと思いました。 これから一緒に勉強させていただくのが本当に楽しみとなりました。 言語活動を考える
来週に予定している講演に関連して、「言語活動」についていろいろ考えていました。
どうも言語活動というと、話すこと書くことを中心に語られることが多すぎるように思います。それよりも、聞くこと、読むことの方が大切な気がします。「伝えたい」「わかってほしい」より「理解したい」「わかりたい」を大切にしてほしいのです。 伝えたい思いをこめて一生懸命話したということで満足してもしょうがありません。伝わらなければ意味がないのです。でも、理解しようとしてくれなければなかなか伝わるものではありませんし、伝わらなくても何も反応してくれないからそのまますぎていきます。話し手が自己満足するしかありません。 理解しようとしてくれれば、うなずいたりしてわかってといるという反応をしてくれます。わからないところは首を傾げたり、質問してもらえます。自分の足りないところがわかります。その結果、自然に発信力もついてきます。 教室に相手を理解しようとする空気をつくることから始めなくてはいけません。そういう教師ではいじめも起きにくいはずです。言語活動はまず聞くことから始めてほしいと思います。 資料集をどう活用する
教科によっては教科書以外に資料集を持たせていることがあります。資料集を有効に活用するにはどんなことを意識すればよいのでしょうか。
資料集の活用には、次の3つのステップがあります。 ・必要な資料を見つける ・資料を読み取る ・読み取った内容をもとに考える 注意してほしいのは、活動中に途中のステップで止まっている子がいるかどうかです。資料を見つけることができていなかったり、資料を読み取れていないのに、全体の場で結論を聞かされても話し合いに参加できません。 そこで、いきなり結論を発表させるのではなく、ステップごとに確認をすることも必要になります。 「どんな資料が見つかったか教えて」 「この資料からどんなことがいえる」 このようにすることで、途中で止まっている子ども次のステップに移れます。 また、考えることに時間を取りたいのであれば、ステップを飛ばして、利用する資料を最初から指定したり、全体で資料の内容を確認しておくことも有効です。 もうひとつ大切にしてほしいのは、考えを発表する場面で、必ず根拠とした資料を聞くことです。気づかなかった子は、その資料と出会うことができますし、気づいても違うことを考えた子は、別の視点に出会えます。 「・・・だと思います」 「なるほど、それはどの資料でわかったのか教えてくれる」 「○○です」 「Aさんは、○○から・・・がわかったといってくれたけど、なるほどと思った」 ・・・ 「じゃあ、私は○○から違うことを思ったという人いるかな」 このようにすることで、資料をもとに子どもたちの考えが深まり、つながっていきます。 資料集には子どもの考えを広げたり深めるための情報がたくさんあります。活用のステップを意識して、大いに活用してもらいたいと思います。 |
|