佐藤曉先生から学ぶ

教師力アップセミナーで佐藤曉先生のお話しを聞かせていただきました。

佐藤先生は大学の研究者ですが、学校現場での実践を大切にされています。年間200回も授業研究に参加されているとのことです。実際の授業での子どもたちの学びの軌跡を具体的に示してのお話しは大変説得力にあふれていました。

発達障害の子どもの対応について直接先生とお話しすることができましたが、「これが正解という対応があるわけではない」という言葉が印象的でした。
この子はこういう障害があると診断がくだりレッテルが張られると、今度はそのレッテルが独り歩きをする。障害はその子どもの持つ多くの要素のほんの一部でしかない。その一部分で全体を規定することはおかしい。子ども一人ひとりと向き合い、その子に応じた対応を考える。障害があるなしに関係なくどの子に対してもアプローチの仕方は同じであるはずだ。区別する必要はない。手探りで一人ひとりに応じた対応を見つけていくしかない。

あらためて、一人ひとりを大切にすることの意味を教えていただけた気がしました。ありがとうございました。

教師の人事評価

私学の経営にかかわる方とお話ししていると、人事評価のことが話題になることがあります。頑張っている方により多くの給与を与えたい。報われる形にしたいということです。
時として、給与の割に働いていないと感じる方の給与を下げて、その分を頑張っている人に回したいと言われることもあります。気持ちはわかるのですが、給与規定の改定が必要だったり、なかなか難しい面があります。

学校改革に成功しているところでは、人事面の評価を給与に反映させるのではなく、ポジションに反映させていることが多いように思います。成果を上げている人は、例え若手でも責任のあるポジションにつける。ベテランでも成果を上げていない人はそのポジションから退いてもらう。また、必要に応じて新しいポジションを作って活躍する機会を与える。ダイナミックな人事が学校の活性化につながっています。

教師も子どもたちと同じで、自己有用感を持つことが、いきいきと働く原点だと思います。要は、自分のやったことがきちんと評価されていると実感できることが大切なのであって、学校の実情に応じていろいろと工夫の余地はあるはずです。ここが、学校経営の腕の見せ所なのです。

ノート作りで意識したいこと

子どもたちのノートを見てみると、板書の内容を写しているだけのものがあります。計算や作業が中心の物もあります。教科によっても違いがあると思いますが、どのようなことを意識してノートを作らせればよいのでしょうか。

大切なことは、ノートを作ることで、自分の考えが深まったり、成長が意識できることです。そのためには、ノートにはまとめだけ、正解だけが書かれているものにしないように注意することです。板書とも連動しますが、途中の考え、間違ったものもノートに残すようにする、消さないということです。

例えば、いくつかの考えが出たら、それらをノートに書かせ、自分がよいと思った考えを丸で囲ませる。できれば、その理由も書かせる。友だちの意見で納得するものがあればそれも書く。間違いに気づいたらその部分を赤で訂正したりしてわかるようにする。このように考えの変遷を残すようにします。
これらを根拠としてまとめを自分で書き、友だちや教師のまとめを聞いて足りないところを付け加える。このとき、色分けなどの工夫をして付け加えたものがわかるようにする。
また、算数や数学であれば、正解が黒板に書かれていても見ずに再挑戦し、見なければ書けなかった部分に線を引くなどして自分にとってのポイントがわかるようにする。

すべての場面でこのようにするのは時間の関係で難しいと思いますが、グループ活動のように自分たちで考えさせる場面ではこのようなノート作りをできるだけ取り入れてほしいと思います。

次年度に向けて考える

気が早いと思われるかもしれませんが、三ヶ日は次年度も継続してお手伝いする予定の学校のことを考えていました。4月になってから新たな行動を起こそうとしても、1年で最も忙しくかつ学級づくりにとって最も大切な時期にそんな余裕はありません。3月末までに準備を終えていなければなりません。今の時点で明確な方向性が打ち出されていなければ、間に合いません。
多くの課題を抱えている場合、緊急度の高い課題が優先されます。しかし、次年度のことを考えた時に、今手をつけておかなければならないことがあります。わかっていてもどうしても余裕がないために後回しにされがちですが、ここでやっておかないと次の1年の動きが取れなくなってしまうのです。
あわただしい3学期ですが、今の課題を明確にして、解決のための準備を怠りなくしてほしいと思います。

年末年始のお休み

12月30日から1月4日までお休みをいただきます。
日記もお休みをいただき、1月5日より再開します。

学校の応援団

昨日は、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会(おやじ限定でなくお母ちゃんも参加している)の忘年会に参加させていただきました。

学校と子どもたちのことを話題に楽しい時間を過ごしました。子どもたちの成長のみならず、先生方の変化、成長も本当によく見ていただいています。もちろん厳しい意見も出ますが、それも子どもたちを育てるという視点でのことです。

この学校のことというわけではないのですが、学校が地域の方にお願いをするとき、あまり負担にならないようにという発想で、これだけやっていただければとスポット的なお手伝いを頼むことが多いようです。そうではなく、学校の思いを伝えてもらい、きちんと責任のある仕事を頼まれる方が、多少物理的負担が増えてもやりがいを持って積極的に参加できるという話がでました。自分たちのやっていることが、子どもたちの役に立っていることを具体的な成果として実感したいというわけです。自分たちが能動的に関わるために、学校がどのように動いている、子どもたちがどのような活動を行っているのかをきちんと知らせてほしい。そうしてもらえれば、自分たちでどのように関わればよいのかを考えることができる。このように話されていました。
この学校では、何年にもわたる積み重ねの中、こういう関係ができつつあるのです。

これからの学校には、このおやじの会のように地域と学校をつなぐパイプ役、緩衝材となっていただける応援団が必要になってくるのだと思いました。

資料と知識の関係

資料を活用するとき、知識がないと読み取れないことがあります。逆に資料から知識を身につけることもできます。資料と知識の関係を整理したいと思います。

例えば、ある地域の農作物の生産量の資料から、その地域の特徴を考えることを考えましょう。
米づくりに適した環境(8月の平均気温が20度以上、・・・)、野菜づくりに適した環境などの知識がなければ、子どもたちの目は、「米をたくさん作っている」「野菜が多い」といった、資料から直接言えることにしかいきません。しかし、農作物の栽培に関する知識があれば、「気温どうだろう」「降水量は?」と環境との関係を考えようとするはずです。
逆に、その地域の環境と農作物との関係を考えることを課題とすることで、栽培に適した環境の知識を得ることができます。課題を変えることで、子どもたちにとって必要な知識を得ることもできるのです。次の地域ではその知識を活用すればよいのです。

ただ資料を与えて「読み取れ」ではなく、その資料を読み取るためにはどんな知識が必要なのかを明確にしておくことが大切です。子どもたちがその知識を持っていなければ、「事前に知識を与える」のか、「この資料をきっかけにして知識を得ることにつなげる」のか、どのようにするのかを考えておかなければなりません。
資料を活用する時は、その資料と知識の関係を整理してから、どのように扱うかを考えるようにしてほしいと思います。

若い先生に学んでほしいことを考える

先週末は、教師力アップセミナーの次年度の講師について相談をしました。

ここ数年は若い先生の参加が増えてきています。若い先生の役に立つ内容を増やすという視点で講師の選定を進めました。私も仕事上で若い先生と話す機会が多いのですが、授業等ですぐに使えるネタをほしがる傾向にあるように思います。そうではなく、もっと基本的な教師として身につけるべきものがその前にあるように思います。

どのような姿勢で日々過ごすことが教師力を高めてくれるのか。
学級経営の基本となる子どものとの関係をどのように作っていけばよいのか。
研究授業のような特別な授業ではなく、日々の授業をどのようにして作っていけばよいのか。

次年度はこのようなことを学んでいただけるようなセミナーを企画しました。多くの若い先生方によい学びをしていただきたいと、手分けして素晴らしい先生方に講演をお願いしているところです。よい返事がもらえることを期待しています。

グループ間格差をどうする

グループ活動で、活発に話し合いが進んでいるグループと手詰まりになっているグループに分かれるときがあります。このような時、手詰まりになっているグループに個別にアドバイスするのがよいのでしょうか、それともこのまま活動を続けた方がよいのでしょうか。
手詰まりになっているグループに対して教師がアドバイスをしていると、子どもたちは苦しくなると教師を頼るようになります。自分たちで解決しようとせずに、すぐに教師を呼ぶようになるのです。しかし、そのままにしておいても、動き出すようにはなりません。

このような時には、一旦グループ活動をやめて途中経過を発表させるのです。答えそのものを聞くのではなく、どんなことを話したか、どんなことに気づいたか、どんな資料を探したのか、過程を共有化するのです。手詰まりになっているグループも、「ああ、こんなことを考えればいいのか、ここを調べればいいのか」と、動き出すきっかけを自分たちでつかむことができます。そこで、もう一度グループで活動をさせればよいのです。

グループ活動は、結論がでるまで続けなければならないわけではありません。子どもの状況に応じて一旦グループ活動を止めて、そこまでの活動を全体で共有化することも必要です。足場がそろうことで、どのグループもしっかりと活動できるようになるのです。

やってきたことを無駄にさせない

予習など、事前に指示したことをやっていない子どもがかなりの数がいた時にどのように対処すればよいでしょうか。

一番いけないのは、やっていないことを前提に授業を進めてしまうことです。やってきた子は、せっかくやったことが無駄になってしまいます。やってこなかった子は結果として困りません。その結果、やってこない子が次第に増えてしまいます。

では、どうすればいいのでしょう。
例えば意味調べをやってくるように指示したとしましょう。

「Aさん。○○の意味を教えてくれる」
「やってきていません」
「こまったね。やってきた人に聞いてごらん。やってきた人助けてあげて」
「教えて」
「△△」
「Aさん、わかった」
「△△です」
「よかったね。教えてくれたBさんにお礼を言って」
「ありがとう」

やっていない子がいても、やってきたことを前提に進めます。その上で、やっていない子はやってきた子に助けてもらうようにします。そのとき、きちんと「ありがとう」と言わせるようにします。
やってきた子は、やってよかったと思います。やってこなかった子は友だちに助けられたことを意識できます。こうすることで、友だちとのかかわりができるようになります。また、自分がやってこないと友だちに助けてもらわなければいけないと感じると、次はやろうと思うようになります。

やってきたことを無駄にさせない。やらなかったことを他者と関わることにつなげる。このことを意識するようにしてほしいと思います。

わからなければ聞く

昨日は、中学校で授業アドバイスを行いました。

社会科の授業で、おもしろい場面がありました。北海道の農業の授業です。石狩、空知、十勝地区では水稲が生産されているのに、釧路、根室地区では生産されていません。水稲が石狩、空知、十勝地区で生産されている理由をたずねたところ、最初に指名された生徒は、「寒いから」と答えました。授業者は「なるほど」と認めましたが、次の生徒を指名しました。今度は「暑いから。米は暑くないと育たないから」と答えました。2つの意見が対立しました。
しかし、授業者は「あとから考えよう」と一旦その話を保留にしました。

授業後話をしたところ、なぜ最初の生徒が「寒いから」と言ったかわからなかった。稲はアジア原産で暑いところでとれるものだから、間違っている。よくできる子なのになぜそんなことを言ったんだろう。どう扱っていいかわからなかったので保留にしてしまったということでした。子どもが理解できないことを発言すると対処できなくなってしまうのです。
しかし、よくわからない発言でも子どもなりにちゃんとした理由があるはずです。まずはどうしてそう考えたか確認することが大切です。「それってどういうこと」と聞けばよかったのです。
これは私の想像ですが、米の生産量が多いところは北海道や東北地方なので、愛知県に住んでいる子どもから見れば「寒いところで米はとれる」と考えたのではないでしょうか。
もしちゃんと理由を聞いていたら、この2人の発言からよい課題が生まれたことと思います。

教師は自分のペースで授業を進めたいという気持ちがあります。わからない発言、想定外の発言はどうしても無視してしまう傾向があります。わからなければ「それってどういうこと」と聞きながら、子どもと授業をつくっていく姿勢が大切だと思います。

生徒募集競争

先日、大阪の私学の副校長とお話しする機会がありました。昨年度まで大阪府立高校の校長をされていたそうです。
学校会改革のお話が中心だったのですが、府立高校長時代のお話も聞くことができました。

・毎月のように校長対象の研修がある。
・学校の中長期計画策定して教育委員に直接面談で説明する。
・募集に関しては、オープンスクールや中学校訪問だけでなく、塾への説明会もおこなう。

中でも募集に関することが強く印象に残りました。公立高校が塾対象に説明会をする状況というのは、ちょっと想像がつきませんでした。
大阪は、私学も公立も授業料が無償です。府立の高校も何もせずに生徒が集まる状況ではないのでしょう。学校間の募集競争を否定する気持ちはありませんが、こういった競争が最終的に、学校の中身の向上につながってほしいと思います。入学した生徒をどれだけ成長させるかが、学校にとって一番大切なことですから。

説得になっていないか

授業研究で、教師の説明について検討されることがあります。「ここはこういう説明をした方がよいのでは」といった言葉がよく聞かれます。教師は子どもたちにわかってもらうために、いろいろと工夫をするのですが、その視点が気になります。

「このように説明をすればわかるはず」と教師の視点で話をしているように感じることがあります。

「・・・だから、○○になります。わかった」
・・・
「あれ、わからない。じゃあ、△△まではわかる? だから、・・・」
・・・
「じゃあ、もう一度最初から説明するよ。・・・だから△△になるよ。いいね。△△になると・・・だから、○○になることはわかる? いいかな。だからこの場合、○○になるんだ。わかったね」
「???」
「言っていることはなんとなくわかるけど、何だかよくわからない」
「どうしてわからないの!?」

子どもたちが、わからない顔をしていると、それではと、新たに説明を加えます。子どもがわからないと、教師の発する言葉ばかりが増えていきます。はたで見ていると、「わかったと言いなさい」と一生懸命説得しているように見えます。ひどい時には、「わかってくれー」と教師が悲鳴をあげているように感じることもあります。
わからせようとする意識が強いとこのようになってしまうのです。

受け身で説明を聞いて、わかったような気持ちになっても子どもは納得出ません。大切なことは、教師がうまく説明してわからせることではなく、子ども自身が自分でわかったと思うことです。

「なぜ○○になるんだろう。△△になることはわかる?」
「はい、Aさん」
「・・・だからです」
「なるほど、みんな納得したかな。自分でノートに書いて確かめてみて」
・・・
「みんな納得できたようだね。じゃあ、今度はなぜ○○になるのか考えてみよう。周りの人と相談してもいいよ」
・・・

わかったと実感するためには、何らかの活動が必要になります。子どもの視点でどのような活動をすればわかるのかを教師が考えなければなりません。
説明されたことを自分でノートにまとめる、友だち同士で説明を聞きあう、自分で図を書く、・・・。教師の説明の引き出しを増やすことより、子どもたちの活動の引き出しを増やすことが大切なのです。

わかりなさいと説得することは、教師の活動です。大切なのは子どもたちの活動です。「わからせる」ではなく、「わかる」ことが大切なのです。そのために、子どもたちがわかるための活動を中心に考えて授業を組み立てるようにしてほしいと思います。

教師が前で○をつける?

問題が解けた子どもに、ノートを持ってこさせて○をつけている場面に出会うことがあります。子どもたちは○をもらいたいので一生懸命問題に取り組みますが、気になることがあります。○つけをするときには、何に注意をすればよいのでしょうか。

前で○つけをすると、子どもが並んで待つことになります。待っている間子どもは学習活動ができません。問題が解けてテンションが上がっている状態ですからどうしてもざわついてしまいます。一方問題が解けない子どもは、落ち着かない雰囲気に集中力をなくしてしまいます。
また、○をつけた子どもに次の課題を与えていないと、席に戻って遊んでしまい、まだ解いている子どものじゃまになります。時には、聞かれてもいないのに答えを教えたりします。
分からない子は、周りの子がどんどん○をもらってくると焦ってしまいます。
一方教師はどうしてもできた子どもの○つけに集中することになり、できない子の支援ができません。○つけに追われ学級全体の状況を把握することもできなくなってしまいます。

では、どうすればいいのでしょう。
○つけは教師が机間指導をしながらすることが基本です。できた子どもに手を挙げさせたり、正解を見つけて○つけをするのではなく、すべての子どもを見ることです。できない子どもにも声を掛けるのです。
愛知教育大学の志水廣教授が提唱する○つけ法では、正解に○をつけるだけではなく、間違えたり、途中の段階だったりしても、合っているところまでを認めて○をつけて部分肯定するようにします。絶対に×はつけません。子どものやる気がなくなるからです。部分肯定した上で具体的な指示やアドバイスをしていくのです。もちろん正解者にも「いいね」と称賛の声をかけるように勧めています。

○をもらえない子どもは、学習意欲をなくしていきます。ですから、手がつかない子、分からない子、間違えてしまった子をどうやって見つけて支援するかが大切になります。また、一人の子どもに多くの時間を割くと、全員を見ることができません。素早い的確な指示も必要になります。友だちどうし相談して、確認し合うのも一つの方法です。全員を○にして、どの子もできたという自信が持てる授業を目指してほしいと思います。

子どもを育てる地域

先日、中学校の学校評議員会に参加しました。

学校に関わる様々な方が参加されましたが、みなさん地域で子どもを育てるということを大切にしておられました。

たくさんの議題がありましたが、子どもたちのボランティア活動の活性化について一番多くの時間が割かれました。

ボランティアなのだから強制するようなことはしたくないが、リピーターの子が多いということは、経験するとその楽しさがわかるはずだ。参加するきっかけをうまく作ってあげたい。

自分が役に立っているという実感を持たせたい。ボランティア活動で地域がこんなに助かっていることを伝えたい。子どもたちに「ありがとう」と言われる機会をたくさん与えたい。そのためにも、子どもたちが活躍する場を地域で作らなければ。

このような積極的な意見がたくさん語られました。

こうすれば絶対活性化できるという妙案はありませんが、PTAが行っている資源回収を子どもたちのボランティアに移行することが検討されることになりました。

このような地域に育つ子どもは、自分も大人になった時に、次の世代を育てることに力を尽くしてくれると思います。地域の方が、子どもたちを育てることに積極的に関わろうとしていることの素晴らしさをあらためて実感させていただきました。

満足した表情になる授業

昨日は、中学校のソフトボールの授業を参観してきました。

班長や野球経験者を中心に子どもたちが声を掛け合う、学び合いがしっかりと成り立っている授業でした。自分たちで教え合えるよう日ごろから指導している成果でしょう。

「ソフトボールの基本はなんだっけ」という質問に答えられない生徒に対して、「周りの子に聞いてごらん」と指示したり、どんなポジションがあるか周りの子と確認させたり、子どものかかわりを意識していました。

また、班長や友だち同士の声掛けが「移動しよう」「並ぼう」というように命令文ではなく、Let'sになっています。日ごろ授業者がこういう指示の仕方をしているのでしょう。こういったところにも子どもたち同士、子どもたちと授業者の関係がよいことが見てとれます。

最後に集合した時の子どもの表情は、授業開始時よりも明るく、とても満足げでした。充実した時間であったことがわかります。子どもたちのかかわりを大切にすることは、どの教科でも同じです。互いに学び合い、自己有用感を感じたことがこの表情を作ったのだと思います。子どもたちの素敵な姿を見ることができた授業でした。

子どもたちの集中力が続く授業

先週末は、中学校の合唱の授業のアドバイスをしてきました。

印象的だったのはパート練習を子どもたちが集中力を切らさずにやり続けていたことです。パートリーダーを中心にどのように歌うかを話し合い、意見がまとまったら歌ってみる。これを繰り返しているのですが、男子も女子も実によい表情で参加しています。子どもたちの人間関係がよい証拠です。授業者もそうですが、担任を始め関わっている多くの先生方の指導のおかげだと思います。

子どもたちの集中力が切れない理由は人間関係がよいだけではありません。彼らがうまくなりたいと思っていることも理由のひとつです。グループ練習を切り上げて全体で合わせようと言っても、「まだうまく歌えないから練習させて」とお願いするぐらいです。
当り前ですが、前向きな気持ちで取り組んでいれば、集中力は続きます。
子どもたちがうまく歌いと思うのは、授業者が子どもたちをポジティブに評価していることが大きく影響していると思います。授業開始時の発声練習の時や校歌の合唱、子どもたちが出力する場面では必ず誰かをほめています。名前を読んで具体的にどこがよいかを言ってもらえるので、ほめられた子どもは自信を持てますし、他の子どもも意識すべきことが明確になります。教室に笑顔があふれてやる気が出てくるわけです。

3年前におじゃました時には、まだ学校が落ち着いていない状態で、子どもたちの表情が乏しかったのが印象的でした。よい表情で一生懸命歌っている子どもたちの姿を見て、先生方が子どもたちにどれほどの力を注いできたかをあらためて感じました。来年はきっともっと素晴らしい姿が見られることと楽しみにしています。

グループ活動のまとめを板書させる?

グループ活動で、話し合ったことや作業のまとめを、代表者に板書させることがあります。この時、他の子どもたちが集中力をなくして落ち着かない状態になっていることがあります。どうすればよいのでしょう。

まとめを代表が板書している状態は、他の子どもにとってはグループでの活動がそこで終わったことを意味します。その間、子どもたちは特にすることがないので集中力がなくなってしまいます。グループ活動で子どもたちの関係がよくなっていると、かえって授業と関係のない話をしたりします。そのため、板書が終わって全体で話し合おうとすると、子どもたちの集中力を取り戻すのに一苦労させられます。

では、どのようにすればよいのでしょうか。
ポイントは遊んでしまう時間、無駄な時間をつくらないことです。

ひとつは、板書をやめて、口頭で発表させることです。
あらかじめ発表者を決めずにその場で指名する。グループで代表を決めて発表するのであれば、グループ全員でその内容を相談する。こうすることで、発表者以外は関係ないという状況を回避できます。

とはいえ、口頭での説明は難しいこともよくあります。そういう場合は、発表用に適当な大きさの模造紙を準備して、グループでまとめさせるという方法があります。
模造紙を使って発表すれば、無駄な時間はなくなります。保管しておいて、再度利用することも可能です。
模造紙を毎回準備するのが大変だというので、発表用の小型のホワイトボードをグループに一つ準備しているところもあります。
また、ノートやワークシートをそのまま実物投影装置を使って見せるという方法もあります。特に発表の準備のための時間を必要としないので、効率的に進めることができます。ICT機器はこういった場面でとても有効です。

グループ活動後の全体での発表はとても大切な時間です。だからこそ、その前の段階で集中力を切らすようなことがないようにしたいものです。グループ活動の終了から発表までの間に、無駄な時間が生じないように工夫してほしいと思います。

普段の授業から学ぶ

昨日は、中学校で剣道の授業研究に参加しました。

検討会で授業者から、野中信行先生(ブログ)の「味噌汁・ご飯授業」という言葉が出てきました。研究授業の特別な「ごちそう授業」ではなく、日常的な「味噌汁・ご飯授業」の在り方を学ぶことを大切にしようという主張です。

本時は、子どもたちが始めて竹刀を持って活動する場面です。ところが、時間数の関係でどうしても基本的な動きをこの1時間で教えなければなりません。子どもたちの活動量を確保すると学校で進めている研究のテーマである言語活動の時間をあまりとれないことになってしまいます。よくあることです。そこで授業者は、あえて見せる授業をせずに、こういう時間のない時に普段行う授業を見せることにしたのです。

授業者の説明の後、子どもたちが活動し、互いに動作を確認し合いますが、なかなか修正されません。一つひとつの動きの完成度を高めるためには、ポイントを子どもたちに確認する機会を何度も取ったり、代表者に実技をさせ、全体でどこがよいか、何が違うかを話し合うなどの方策が必要です。しかし、授業者はそのことにあえて時間を使いませんでした。それよりも、子どもたちの活動時間を少しでも多くとろうとしました。
子どもたちは、とても楽しそうに活動していました。たくさん竹刀を振って活動することで、初めて剣道に出会う子どもたちが、剣道を楽しいと感じてくれたのです。
このことが授業者のねらいだったのです。

この授業を別の視点で見れば、竹刀の持ち方がきちんとできていない子がいる、きちんと竹刀の先で面を打っていない子がいる。それなのにきちんと修正できていない。子どもたちが考えたり、発言したりする場面が少ない。そんな意見も出ると思います。しかし、大切なのは授業者が子どもたちに何を求めているかです。剣道を楽しいと感じてくれるという授業者の目指す子どもの姿があり、それが実現できたとてもよい授業でした。
普段の授業の中にこそ、教師が大切にすべきものが何かが見えてくることをあらためて教えていただきました。

見たいものしか見えない

子どものよいところ見つけて、ほめることが大切であるとよくアドバイスします。ところが、中には「悪いところばかり目につく」「よいところが見つからない子がいる」と、困っている方もいらっしゃいます。どうしてなのでしょう。

生徒指導担当の教師は、生徒とすれ違うと、髪型やスカートの長さといったところにすぐに目がいくようです。立場上、校則違反を見つけて注意しなければならないと思っているからです。「悪いところ見つけ」をしているのですね。人は見たい、見ようと意識していること以外はなかなか目に入らないものです。毎日通いなれている道でも、樹に興味のない人は、どこに何の樹があるかすぐには言えないものです。また、樹の名前そのものを知らなければ、意識もできません。

子どものよいところ見つけたければ、まずそのことをいつも意識することです。何かほめることがないかという目で見るのです。
もう一つ大切なのは、ほめることを子どもの姿として具体化することです。どんなことがほめられるのか、どんなことをほめたいのかを具体的にすることです。
例えば授業中にほめたいことはどんなことなのか、子どもの姿で書き出してみるとよいと思います。

友だちの話にうなずいた。
友だちの言葉をつないだ発言ができた。
わからないことを友だちに聞いた。
聞かれたことを一生懸命説明した。
授業が始まる前にきちんと用具が出ていた。
姿勢がよかった。
手をまっすぐに挙げた。
板書以外にメモをとっていた。
途中であきらめずに、最後まで問題に取り組んだ。
・・・

些細なことでもいいのです。いろいろなレベルが混じってもいいのです。教師の見たいものを具体化するのです。子どもは一人ひとり違います。ある子にとって当たり前のことでも、他の子にとってはなかなか難しいことがあります。ほめることは一人ひとり違っていいのです。一人ひとり子どもたちの顔を思い浮かべながら、「この子はこんなことでほめたいな」と考えれば、ほめることが見つからない子もなくなると思います。

聞くことも同じです。授業中につぶやきを拾うことも、「こんなつぶやきがでるといいな」と思っていると耳に入ってくるのです。

人は見たいもの、見ようとしたものしか見ることはできません。子どもの「何を見たいか」を明確にすることが、子どもをよく見ることにつながるのです。
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