大学の講義の様子に思う

たまたま大学の講義を見る機会がありました。建物を見るのが目的だったのですが、時間の都合で授業中に教室に入ることになってしまい、失礼ながら講義の様子が目に入ったのです。

講義の中ごろだと思いますが、すでに半分くらいの学生は机に倒れていました。後ろの方では、背中を向けて友だちと雑談をしている者もいます。起きている学生も話を聞いているものはほとんどいません。講師の先生は学生の様子に頓着せず、淡々と話を続けています。ちょっと悲しくなりました。
学生にとっても講師にとっても不幸な時間です。今の学生は、大学の先生の授業技術はと非難する気はありません。この講義が大学の講義を代表するものだとも思いません。ただ、この状態を改善するにはどのようなことが必要なのかを考えさせられました。

もう何年も前のことになりますが、私が関わらせていただいていた中学校で、授業を改善しようという動きが起こりました。そのころ教室にはやる気のない生徒、寝ている生徒の姿が目についていました。何とかしたい、せめて寝ている子をなくそうと先生方は授業改善に取り組みました。数年後には寝ている生徒の姿を見ることはなくなりました。これは一部の先生の頑張りで達成できたのではありません。「私の授業は大丈夫」「あの先生の授業はちょっと」と個人の問題とせず、共通の理解のもとに全体で取り組み、授業を工夫し、互いに公開し、学び合って達成できたのです。

いま大学では学生による授業評価が進んでいます。しかし、授業改善を先生個人にゆだねていてはなかなかよい方向には向かわないと思います。授業を先生方の共通の問題とすることが改善への第一歩だと思います。

学びの多い授業検討

昨日は中学校の授業研究に参加しました。授業検討は大変内容の濃いものでした。

はじめに授業を撮影した2名の先生がそれぞれ授業の場面を紹介するのですが、明確な視点で子どもの様子や変化を伝えてくれました。

グループ討議は固有名詞でたくさんの子どもの事実が語られていました。子ども同士のかかわりとそれによる変化、資料(DVD)を見た後の子どもの変化なども丁寧に語られ、子どもの事実から学ぼうとする姿勢がしっかりと見られました。

その後の全体討議は、従来行っていたグループの代表が話し合いの内容を紹介するものではなく、話し合いを通じて自分が気づいたこと、感じたことが発言されていました。一人ひとりの発言もしっかりつながることで、議論の視点が広がり、内容が深まっていきました。互いに学びあえるものになっていました。

先生方が今までの授業研究を通じて成長されたこともありますが、担当の教務主任の先生が進め方をいろいろ工夫されたことがよい結果につながっていると思いました。
授業と授業検討会の両方からたくさんのことを学ばせていただきました。

子どもの発言量を増やす

教師が質問するとなかなか口を開いてくれない子どもも、友だちから聞かれると一生懸命答えようとします。このことから子どもの発言量を増やすことを考えてみたいと思います。

基本的に教師は答えを知っている人です。ある意味教室では絶対者です。その教師に答えを問われるということは、自分の発言を間違っているかどうか高いところか判定されることになります。間違いと言われたくないので、どうしても発言しづらくなります。よほど答えに自信がない限りプレッシャーがかかってくるのです。
一方友だちは、対等な関係なので意見が言いやすいのです。ですからペアやグループで相談することは子どもの発言を増やすための確実な方法なのです。

このとき注意しなければいけないのは、友だちの発言に否定的なことを言わない雰囲気をつくることです。互いに認め合える状態は子どもたちだけではつくれません。教師が子どもとの日ごろのやり取りの中で受容的な態度を取っていることが大切です。子どもは教師の鏡なのです。
また、できる子がグループ全体を仕切ってしまわないような注意も必要です。できる子が絶対者になってしまうと、他の子は引いてしまいます。できる子ほど待てる、聞ける力をつけてほしいのです。
司会などの役割は決めずに、話すことより聞くことが大切であると常に伝え、相手の顔を見て、うなずきながら聞くことなどを指導することが大切です。

では、全体指導の場で発言を増やすにはどうすればよいのでしょうか。
子どもの発言を引き出すにはで述べたことのほか、正解、不正解を判断しない問いかけが有効です。

「考えたことを教えて」
「○○と思った」
「なるほど、同じように考えた人いるかな。ああ何人かいるね」
「それで、そのあとどうなった」
・・・

「どんなことをやってみた」
「△△をやってみた」
「なるほど、それでどんなことがわかった」
・・・

子どもの発言量を増やすためには、安心して話せる状況が必要です。教師と子ども、子ども同士、いずれの場合も否定的な言葉がでない、互いの発言を聞き合える受容的な雰囲気作りを心掛けてほしいと思います。

答え合わせをどうする

問題を解いた後は答え合わせをするのが普通ですが、漫然と正解の確認をしているだけのこともよくあります。答え合わせは何を意識すべきなのかを考えてみたいと思います。

まず一番に意識してほしいのは、どのようにすればできなかった子どもができるようになるのかということです。

知識の確認や復習の問題は覚えているかどうかの問題なので、正解を示せばよいように思います。しかし、単に正解を示してそれを写させてもその知識は定着しません。既習事項であれば教科書やノートに答えがあるはずですから、自分で調べればよいのです。もし答え確認したければ、まずどこで習ったか、どこに書いてあるかを発表させて自分で確認させるのです。こうすることで、より定着を図ることができます。

「今から復習をしよう。どうしてもわからなかったら教科書やノートを見ていいからね」
・・・
「これはどこでやったか教えてくれる」
「○○です」
「わからなかった人、見つかったかな」

教科書や資料を調べるような問題も同様に、答えでなくどこで見つけたかを発表させればよいのです。

では、知識ではなく、考え方や途中が大切な問題の場合はどうでしょう。
子どもに正解を言わせて教師、または子どもが説明するパターンが多いと思います。答えや説明を板書することも多いはずです。このとき、これが正解ということを先に示すと、正解した子どもは安心して集中力をなくします。一方間違っていた子どもは、きちんと正解をノートに写したいので、説明を聞くよりは板書を写すことの方に意識がいってしまいます。正解した子もできなかった子もきちんと参加して学びあえるようにする必要があります。

「Aさん、考えを教えて」
「・・・」
「なるほどね。Aさんと考えが似ているという人いる? じゃあBさんの考えを聞かせて」
「・・・」
「なるほど。二人の考えを聞いて納得した人」
「じゃあCさん黒板に書いてくれるかな。みんなは自分でノートに書いてね」
・・・

このように、正解した子どもの活躍の場を増やすと同時に、できなかった子が友だちの考えを聞いて再度挑戦できるような時間を確保することがポイントです。できていない子どもが多いようであれば、いきなり答え合わせをせず、途中で一旦作業を止めて、ヒントになることを子どもから引き出しておくことも有効です。また、板書は答えだけでなく、答えを導くための過程や視点が残されていることが大切です。正解だけが書かれたノートを見てもできるようにはならないからです。

正解を示して説明すればできるようになるわけではありません。答え合わせは、できた子どもを活躍させながら、どういう活動を加えればできなかった子ができるようになるかを工夫してほしいと思います。

学校が動き出す

昨日は、中学校で授業アドバイスと指導案の検討を行ってきました。

4月5月と比べて子どもたちの表情が柔らかくなってきました。どちらが先かわかりませんが、先生方の表情も柔らかくなってきました。子ども同士が関わり合う場面が確実に増えています。参観した先生方の授業は以前と比べて工夫や変化が見られました。

どなたもよい授業をしたいという思いは持っています。しかし、思いだけでは授業は変わりません。うまくいくかどうか別として、机の向きを変える、課題を変える、発問を変える、指名方法を変えるといった何らかの工夫が必要です。よい授業をしたいという思いを、授業の変化という形にすることが第一歩なのです。

この学校では、その変化が起こりだしたのです。一部の先生だけなのかもしれません。すぐによい結果が表れないかもしれません。しかし、間違いなくこの動きが、学校をよくするきっかけになると思います。大きな変化も最初は目に見えないような小さな変化から始まるものだからです。

指導案について思う

先週末は中学校で授業参観と研究発表当日の指導案のアドバイスを行ってきました。

A4で2枚の指導案なのですが、授業の細部まで伝わってくるものと、なかなか見えないものがあります。その差はどこから来るのでしょうか。
ここでの説明は具体的にこうしよう、わからないようだったらこうしよう、ここでの活動はここを中心に見ようと授業者が具体的な授業イメージ(子どもの姿、それに対する自分の対応)を持っているかいないかの違いが大きいのです。
授業イメージが固まっていない指導案は、流れは書いてあるのですが、具体的な記述が少ないのです。

「説明する」
「指示する」
「できていない子を個別に支援する」

こういう言葉は書かれているのですが、具体的に「・・・」と説明する、指示する、「・・・」ができていない子には「・・・」という支援を行う、といった記述が少ないのです。どのように説明するのか、支援するのかを直接聞いても明確に答えられなかったりします。

指導案は事前に授業を検討するために作るものだと思います(授業を参観する方のためという視点もありますが、それは二義的なものでしょう)。事前に授業のイメージを明確にするための作業の結果と言ってもいいかもしれません。そこがはっきりすれば、どう改善すればよいかを事前に考えることもできます。
指導案を通じて事前に授業を検討することはよいことですが、授業が始まってしまえば、もう指導案にこだわる必要はありません。実際の子ども状況で授業はどんどん変わるものだからです。

授業をよくしていくために必要なのは、事前にどんな子どもの姿を見たいかを明確にし、そのために何をするかを具体的にし、実際の子どもの姿から学ぶことだと思います。指導案という形式にこだわらず、授業のイメージを明確にすることを毎日の授業で心掛けて、子どもの姿から学んでほしいと思います。

「正解」という言葉を使わない授業

先日は、中学校で若い数学の先生の授業アドバイスを行ってきました。

数年おじゃましている学校ですが、子どもたちの授業に向かう姿勢や表情がずいぶんとよくなってきました。生徒指導に追われていたことが嘘のように感じられます。授業者の表情も以前と比べるとずいぶん柔らかなものになっていました。学校全体で授業の改善に取り組んでいることの成果が表れていると思います。

この日驚いたのは、授業者が一度も「正解」という言葉を使わなかったことです。それに対して子どもたちは、違和感がありませんでした。いつもそうであることがよくわかります。(後で聞いたところは、最初のころは少し子どもたちが戸惑ったそうです)

2次関数の値の増減について答えさせた時に、「xの値が増えると」「xの座標が増えると」と2つの表現が出てきました。ここでも、正解という言葉は使いません。両方ともきちんと認めていました。そのうえで、座標についての復習と確認をしたところ、子どもたちは非常に集中して聞いていました。友だちから出た言葉をもとに授業が進んでいるからです。

もうひとつ印象的な場面がありました。
「正解」と言わずに数人に答えさせ、一人の生徒に板書させましたが、「減少」と書くべきところを「減小」と間違えてしまいました。まだ、正解かどうか明確になっていないので、子どもたちは黒板に集中しています。中には字の間違いに気づいている子もいます。子どもたちが少しざわざわしますが、悪い状態ではありません。子どもたちが揺さぶられているのです。その時、さっきまで机にうつぶせになっていた生徒が起き上がって授業に参加し始めました。友だちの動きが彼を授業に呼び戻したのです。子どもたちが積極的に参加する授業は、集中力が落ちている子どもも引っぱってくれるのです。
その後、授業者は間違いに本人が気づくまでちゃんと待ってから、授業続けていきました。間違えた生徒も笑顔で参加し続けました。

授業者は以前と比べて子どもとの関係を意識して授業をしていました。本人の努力はもちろんのこと、進歩の陰には、TTでサポートしているベテランのアドバイスも大きいと感じました。細かい授業技術より子どもとの関係を築くことを大切にするようアドバイスしているそうです。

「若い教師が育つ学校がよい学校だ」とよく言われます。この学校は間違いなくよい学校になっていくと思います。

若者の成長に思う

先週末に参加した学会の発表後、研究会の仲間と懇親会をおこなった。研究会をサポートしてくれている企業の社員の方もたくさん参加してくれた。中には何年もあっていない方もいて、久しぶりの再会に楽しい時を過ごした。

途中で参加者全員によるちょっとしたスピーチがあった。当時まだ駆け出しでスピーチどころか、「こんにちは」の挨拶さえ大丈夫かと心配していた若者がどんな話をするのだろか。彼らのメインの仕事は、学校に行って先生のサポートをすること。コミュニケーション能力が要求される。だからこそ、彼らの挨拶や話し方が気になっていたのだ。期待半分、不安半分でドキドキしながら聞いていた。ところが、どうだろう。彼らはみな実に見事なスピーチをするではないか。驚くとともに、彼らをこれほどまでに成長させた時間と経験に思いをはせた。

この何年か本当に前向きに仕事取り組んできたのだろう。それに対して私はどうだろう。彼からどう見えたのだろう。成長どころか、下手をすれば退化していたのではないか。

若者の成長の速さをみるにつけ、否応なしに自分が老いていくことを考えさせられる。まだまだそんな歳ではないとは思いつつ、彼らに負けぬよう、日々前向きに生きていかねばと思う。

セミナー講師で元気をいただく

先週末に開催されたプラネクサスの学校経営セミナーで講師を務めました。

実はここ数年、学校での研修では、講演形式のものはできるだけお断りして、授業研究や模擬授業のような参加型のものでお願いするようにしています。
講演形式では、みんなさん「いい話を聞いた」とおっしゃってはくれるのですが、なかなかその後の行動の変化には結びつきません。受け身ではいけないのは子どもと同じですね。

今回は管理職や職場のリーダーの方が対象で、どんな反応をされるだろかと、実はドキドキしていました。実際には思っていた以上に熱心に聞いていただけ、セミナー終了後「たくさんの宿題をもらった」「まず自分たちで、課題を整理し直す」など、前向きな言葉をいただけました。
こういったセミナーが役に立つかどうかは、参加者が学ぼうという姿勢を持っているかどうかで決まります。今回事前にヒアリングしたところ、皆さん自分の課題を持っておられました。必ずしも参加者全員の課題に答えられる内容ではないにもかかわらず熱心に聞いていただけたのも、課題解決のために何かをつかもうとされていたからでしょう。

参加者の前向きな姿勢に助けられ、充実したセミナーとなり、私もたくさんの元気をいただきました。

メモを取る

授業中に子どもがメモを取る姿を見ることがほとんどありません。教師が大切なことを板書してくれるので、それを写しておけば困らないからです。
しかし、子どもたちに自分で整理し、まとめる力をつけるためにはメモを取る力をつけることが必要です。子どもたちにメモをとる力をつけるためにどのようにすればよいのでしょうか。

まずメモをとる必然性を作る必要があります。いろいろな考えや意見を発表させてその結果をまとめていく。このような作業ではメモを取ることは大切になります。
しかし、突然メモを取るように言ってもすぐにできるわけではありません。そこで、黒板を使って教師がメモをとります。

「今の意見、ここがよかったね。メモしておこう」

「今の意見を聞いて、なるほどと思ったところはどこか聞かせて」
「○○です」
「ありがとう。ここにメモしておくね」

このメモを使ってまとめていくことで、メモの取り方とその使い方を教えていくのです。
メモの取り方がわかってくれば、今度は子どもにメモをとらせるようにします。

「友だちの意見を聞いて、大切なことはメモしてね」
・・・
「どんなことをメモしたか聞かせて。なるほどと思ったらメモに付け加えていいよ」
・・・

ここで発表されたメモの内容を板書して全体でまとめの作業に入ってもいいですし、個人やグループでまとめの作業をして発表させるのもいいでしょう。

いつも教師が整理してまとめた板書を写すのではなく、自分で整理する力をつけることは大切です。メモを取る力をつけることはそのための第一歩なのです。

言語活動を支える力をつける

指導要領の改定で、言語活動の充実が言われるようになりました。言語活動にはコミュニケーションと言語化による思考の整理・深化という2つの側面があると思います。ここで、忘れてはならないのが子どもたちの語彙力です。いくら理解しようとしても、いくら伝えたいことがあっても言葉の意味がわからなければ話になりません。語彙力をつけるためにどのようなことに気をつければよいのでしょうか。

国語の時間にあらかじめわからない言葉の意味を調べることがあります。子どもたちは辞書で調べた言葉をノートにきちんと写しています。にもかかわらず、その言葉が使われている文の意味が理解できないことがよくあります。なぜこんなことが起こるのでしょう。
これは、子どもたちがもとの文に戻って言葉の意味を理解しようとせず、単に辞書に書かれていることを写しているからなのです。言葉によっては複数の意味が辞書に載っていますが、どの意味で使われているのかを考えずに最初に書いてある説明を写していることもあります。これでは語彙力はつきません。一問一答の「○○はどういう意味ですか」には答えられても、実際に使うことはできないのです。

わからない言葉に出会ったときには、前後関係からどういう意味か想像し、そのうえで調べることが大切です。こうすることで、その使われ方も含めて理解できます。ですから、わからない言葉に線を引いて、後からまとめて調べたり、教師があらかじめワークシートに言葉を書きだして調べさせるようなやり方は、必ず本文に戻って意味を確認するというステップを入れる必要があります。

語彙力をつけるためには、生きた言葉に出会うことです。教師は子どもたちにわかる言葉で話すことをいつも意識しています。しかし、時には子どもたちが知らない言葉であってもその場面にふさわしい言葉を選んで使うことが大切です。子どもたちがその状況から言葉の意味を自然に理解できることもよくあります。あとから教師が説明したり、時には話を中断して辞書を引かせることもよいでしょう。国語の時間だけでなく、すべての時間で子どもたちの語彙力を高めることを意識してほしいと思います。

背中で見る?

テレビ会議でセミナーのリハーサルをおこないました。モニターにはスライドが映っているために、参加者の顔は見えません。これがとってもやりにくいのです。

スライドにしていない実例やポイントなどをいくつか用意していたのですが、反応がわからないので話すタイミング失してしまいます。結局スライドの字面を追うだけになってしまいました。前半は自分でも乗りの悪いものでした。

ところがスライドも半分に近づくころになって、音が聞こえることに気づきました。画面はスライドで埋められていても、音声システムは相手の音を拾ってくれているのです。何の音か何を話しているか細かいところまではわかりません。しかし、なんとなく雰囲気はつかめるのです。カメラの向こうに人の姿が感じられるようになりました。ここからは、いつものペースを取り戻すことができました。自然に体も動き、身振り手振りもついてきます。予定していた実例もかなり入れることができました。

テレビのアナウンサーのように、聞き手が直接見えないところで話をするのはすごいことだと、あらためて思いました。逆に相手を目の前にして話す場合、聞き手の状況を非常に大切にしていることがよくわかりました。

教師時代に、「背中で見えるようになりなさい」と言われたことを思い出します。目だけでなく、話し声やちょっとした音からでもたくさんのことが見えてきます。授業は教師の五感すべてを使って作っていくものだということを改めて思い出す出来事でした。

「大西流・授業の見方 ―授業を見る目を高めるノウハウ25 」発刊

(株)プラネクサスより「学校力アップシリーズ(1) 大西流・授業の見方 ―授業を見る目を高めるノウハウ25 」が発刊されました。

この本は、愛知県教育委員会海部事務所長の玉置崇先生との共著で、玉置先生の質問にリードされて、授業をするとき、見るとき、指導するときに役立つノウハウ25を紹介しています。

現職の先生や指導者の方はもちろんのこと、学校と真剣に関わっていきたい保護者の方にもぜひ読んでいただきたいと思います。

本の紹介と注文は(株)プラネクサスのホームページへ。

読売教師力セミナー打合せ

昨日は読売教師力セミナーの打合せに参加しました。

出演者が直接集まっての最後の打ち合わせ。模擬授業の指導案、パネルディスカッションの流れの確認もでき、当日のイメージがずいぶん固まりました。(全体での最終打ち合わせですから、固まってなければ怖い!)

今回のテーマは「キャリア教育事始」です。

「キャリア教育」と言われても何をすればいいの?
「キャリア教育」の授業ってどういうもの?

こんな疑問に、「まずはこんなことから始めよう」という提案ができそうです。

とはいえ、ライブ感を大事にする読売教師力セミナー。授業者もパネラーもアドリブが得意な方ばかり。当日に何が起こるかは、まさに「やってみなくちゃ分からない」「出たとこ勝負」。出演者もドキドキ。だからこそ会場の参加者も楽しめるのです。

セミナーまであと1月あまり。「ワクワク」「ドキドキ」しながら当日を待っています。

永遠の課題?

先週末の教師力アップセミナーで國學院大学の滝井章先生に「思考力と表現力の育成を重視した算数の授業づくり 〜新学習指導要領の趣旨を生かした授業づくり〜」という演題でお話しをうかがった。

算数を通じて「物事の本質を見つける力」をつけたいという先生の考えに大いに共感した。また、今回の指導要領の改訂で学年間の重なりが重視されたが(スパイラル)、単に下の学年に降りてきたのではなく、そのつながりを意識してほしいという具体例が非常にわかりやすく、大変勉強になった。

しかし、先生の話される思考力、表現力を育てる授業ということは、今急に言われだしたことではない。特に、思考力は、算数・数学という教科ができた時からではないかと思う。学年間のつながりを意識するということだって、言い方こそ違え多くの方がおっしゃってきた。にもかかわらず、こういったことが言われ続けなければならないのはなぜだろう。永遠の課題と言ってしまえばそれまでだが、そんな言葉で片付けたくない。よい授業にゴールがないのだから、求め続けるのは当然というのもちょっと違う気がする。
現場で授業を見せていただいて、実現の度合いが低いと感じるからだ。

滝井先生のようなすぐれた実践者はたくさんおられる。具体的な実践が広まっていかないことが問題なのだ。セミナーで話を聞いてもせいぜい1つか2つの例しか聞けない。しかも聞いただけで実践できるようになるわけではない。いわんやすべての教科単元を網羅するなど絶対に不可能である。結局、教師自らが書籍などを通じて学び、実践し、同僚と学び合う以外に方法はないのだろうか。それさえも現実には難しい状況がある。
わかっていたとはいえ、あらためてこの問題を考えることになった。今すぐ答えが見つかるわけではないが、自分できることをやりながら、答えに近づきたいと思う。

エネルギーをもらった授業研究

昨日は中学校の授業研究に参加しました。授業者は若手の先生でしたが、意識して新しいスタイルに挑戦してくれました。

授業後の検討会は、3つのグループで話し合いがもたれましたが、どのグループのどの先生も本当によく子どもを見ておられました。具体的な子どもの行動、変化がたくさん話され、気付けなかったことをたくさん教えてもらえました。

ある生徒を指名した後、教室の雰囲気が変わったことが指摘されました。授業者が暗かった教室の雰囲気を変えようと意図的に指名したということでした。自分が担任している学級ということもあって、生徒の個性や学級の特性をよくつかんでいるからできたのでしょう。

検討会の後、授業者と話をさせていただきました。

自分が意識して挑戦した場面をたくさん取り上げてもらった。うまくいったこともいかなかったことも、意見を聞かせていただいて本当に勉強になった。普段の自分の授業を先生方が見てくれているから、挑戦した場面に気づいてもらえたのだと思う。そのことをとてもうれしく思った。他の学級で同じ授業をするので、今日学んだこと生かして、もう一度挑戦してみます。

とても、前向きな発言を聞かせてもらいました。
学校全体に互いに学び合う関係が築かれてきているようです。とても元気の出る授業研究で、次回もとても楽しみです。私もたくさんのエネルギーをいただきました。

オープンカンニングの発想

フラッシュカードを使って、一斉に発音練習をする。教師の後に続いて全員で音読する。学級全体で一斉に同じことをする場面がよくあります。このような場面では、基本的に全員が答えられる、参加できるような活動であることが多いように思います。
ところが予定と違ってぱらぱらとしか反応が返ってこないため、教師が戸惑ってしまうのを目にすることがあります。どのように対応すればよいのでしょうか?

例えば英語で問いかけて、答えがほとんど返ってこなかったような場合、教師がやさしい言葉に言い換えたり、質問を日本語に変えたりします。
こういう対応をすると、

「今の質問はわからなくてもよかったんだ」
「わからないときは教師がフォローしてくれる」

と思ってしまいます。
また、真剣に考えている子どもは情報が増えるのでかえって混乱することもあります。

こういうときは、ゆっくりと同じ質問を繰り返します。ほんの数人でも正しく答えてくれれば、教師は大きくうなずきこの答えでよいことを示します。もし違っていれば、ゆっくり首を横にふってもう一度考えることを促します。これを何度か繰り返すとだんだん声が大きくなり最後には全員がきちんと答えるようになります。そこで、次に進めばよいのです。

問題に関するヒントを与えるよりは、考えることに集中させる、まわりの声に耳を傾けさせることの方が効果的です。友だちの答えを聞いて、ああこう答えればいいんだとわかれば、教師に教えられたのではなく自分で解決したと思います。
一斉に活動させる場面では、このオープンカンニングの発想をうまく使ってほしいと思います。

後だしじゃんけんをしない

資料をもとに考えさせる場面で、用意した資料を全部見せずに、決定的な資料は教師が解説する時の根拠としてとっておくことがあります。見せないことで、子どもたちの考えが広がることをねらっているのですが、実際にはどうなのでしょうか。

社会科の授業の例です。明治政府が基盤を固めていく過程の学習で、鉄道敷設の苦労から当時の政府の状況を考えさせる場面です。
教師は、鉄道の路線図や錦絵を資料として与え、子どもたちから鉄道が海を通っていること気づかせました。そこで、「なぜ、わざわざ海を走らせたのか」と質問をして、グループで考えさせました。

景色がいいから
鉄道を通す場所がなかった
土地を買収できなかった
・・・

いろいろな意見が出ますが、そこから先へは進みません。資料集には根拠となる資料がなかったし、また他の資料を探す手段も用意されていなかったのです。

グループ活動の後、話し合いの結果を発表させますが、発表を聞いて「なるほど」「そういう考えもある」とは思っても、結論づけることはできません。そこで教師が、明治政府の信用や威光がないため、土地を売ってもらえなかった。そのために海を通した。資金もないため、鉄道敷設のために外国から借金をしたことを解説し、最後に、当時の海沿いの土地の写真を資料として見せました。海沿いに小さな家がたくさん建っている写真です。この写真を見れば土地を買収する必要があることが一目でわかるすばらしい資料です。授業者は苦労してこの資料を見つけたそうです。ですから最後に子どもたちを納得させる資料として使いたかったのでしょう。

子どもたちは、納得するというより、

「えっ、そんな資料があるなら先に見せてくれればよかったのに」

と釈然としない様子でした。後だしじゃんけんをされたような気持ちになったのでしょう。

しかし、子どもたちにその資料を与えていればどうだったでしょう。買収できなかったことにすぐに気づき、本時の目標である当時の明治政府の状況を考えることに自然につながったはずです。
最初から与えては考えが広まらないと思うのであれば、途中で子どもたちに「どんな資料がほしい」と聞いてやればよいでしょう。そこで、「じゃあ、こんな資料があるけどどうかな」といって与えればよいのです。

教師だけが根拠となる資料を持っていて、それを根拠として解説されると、せっかく子どもたちが自分で考えようとしていても、最後は教師の説明を聞けばいいのだと受身になってしまいます。
必要な資料は子どもたちに与えて話し合い、子どもと一緒に結論にたどりつくようにしてほしいと思います。

必然性のある場面をどうつくる

子どもの学習意欲を高めるための大切な要素として、学ぶ必然性があります。学ぶことが役に立つ、必要であると感じれば、当然一生懸命課題に取り組むからです。では、学ぶ必然性のある場面をつくるには、どういうことを意識すればよいのでしょうか。

基本はゴールが明確であることです。ゴールにたどり着くために必要であることが学ぶ必然性につながります。

色の塗り方を工夫して絵を描くことを考えてみましょう。「今日は○○の絵を描く」だけではゴールはまだ明確ではありません。今までの子どもの作品を見せる、その絵のよさを子どもが感じる、あんな絵が描きたいと思う。こういう過程が必要になります。その過程で「色の塗り方に工夫がされている」ということに気づかせればよいのです。

次に意識したいのは、学んだこととそれを活かす場面はできるだけ近接させるということです。

先ほどの絵の例で、下絵を描いてから色を塗る作業に入るのであれば、色の塗り方の工夫を具体的に考えさせるのは、下絵を描いた後がよいということです。
下絵も描いていない状態で自分がどんな絵を描くかも明確でなければ、先輩の作品を見て色の塗り方の工夫について考えても、その必要性をあまり感じません。「さあ今からどんな風に色を塗ろう」と思っているときであれば、先輩の工夫から学ぶことに必然性があります。

「下絵が描けた人は、色を塗ってもらいます。塗り始める前にもう一度先輩の作品を見て、ここがいいなと思うところがあったら真似していいからね。どんなところを真似したかあとで教えてね」

このような指示を出すことで、集中して先輩の絵から学びます。

子どもたちが学ぶ必然性をどうすればより感じることができるか意識して、授業をつくっていただきたいと思います。

「読売教師力セミナー2010」開催

10月23日(土)に、読売新聞主催のセミナーが名古屋市千種区の椙山女学園大学星ヶ丘キャンパスで開かれます。

今年は、「キャリア教育事始〜小中学生が『社会で働く』意味を考える〜」をテーマに、模擬授業でのキャリア教育の具体的な提案、パネルディスカッションでのこれからのキャリア教育の現場での進め方の2部構成になっています。
出演者は、愛知教育大学教職大学院教授志水廣先生、愛知県教育委員会海部教育事務所長玉置崇先生、一宮市立大和南中学校教頭伊藤彰敏先生、豊田市立竹村小学校教頭和田裕枝先生、以上4名の先生方とコーディネーターとして私も参加させていただきます。

申込み方法等、詳しくは読売新聞ホームページで。
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