1.10 サッカーの授業(3年生)1.9 春よ来い♪早く来い♪
寒風吹きすさぶ季節となりました。外で作業をしていると,軍手をしていても手が悴んで指先の感覚がなくなってきます。桜の花咲く春が恋しい毎日です。
1.9 なかよし(あじさい)1.9尾書研の書写コンクール巡回展1.8 朝のかけ足運動1.7 通学路の安全点検
3学期が始まり、今日は通学路の安全点検を行ないました。担当の先生方と集合場所までいっしょに下校して、通学路に危険な箇所や注意の必要な箇所を確認しました。交通安全に気をつけて、明日からも元気に登校してほしいです。
1.7 新学期スタート!1.6 明日から新学期!1.6 大切な学年園1.5 みんなを待つ教室1.4 冬の校庭
中庭の観察池には氷がはり、寒い朝でした。しかし、10月の終わり頃から遊園地で咲いている冬桜はまだきれいに咲いています。冬の桜も見ているだけでとても和みます。
1.3ゆとりと充実した丹陽小(昭和30〜57年)
高度経済成長の始まる昭和30年に校名が現在の一宮市立丹陽小学校になり,校歌も昭和43年にできました。昭和50年代に入ると児童数が急増し,新校舎への移転の必要性が出てきました。それに伴い,旧校庭にあったシンボル「ケヤキの大木」の保存の可否が新聞でも大きな話題となりました。
1.2生まれ変わった丹陽小(昭和21〜29年)
戦争が終わって学校教育にも大きな変化がありました。戦後の教科書を見ると,軍国主義に関する記述が黒く塗りつぶされています。下の写真は運動会の様子です。保護者の見守る中,子どもたちが生き生きと表現運動をしています。平和な世の中になったことが感じられます。
1.1戦争のころの丹陽小(昭和12〜20年)
1枚目の写真は,昭和13年に行われた「二宮金次郎碑除幕式」の様子です。日頃何気なく見ている遊園地の二宮像も70年以上もの歴史があったのですね。2枚目の写真は,戦争の激化した昭和19年に,名古屋市の子どもたちが丹陽に疎開してきたときのものです。真珠院で49名が親元を離れ集団生活していたそうです。
1.1 明けましておめでとうございます12.31みたされてきた丹陽小(明治41〜昭和11年)
教科別週教授時数を見ると,教科は違うものの現在と近い時数授業を行っていたことが分かります。一番下の写真は,農繁期の託児所として学校を開いたものです。「日の丸ケンチャン」という紙芝居を見ているところでしょうか?一番後ろの子どもはどう考えても見えないと思うのですが,きちんとした姿勢で集中しています。感心させられます。
12.30ととのってきた丹陽小(明治20〜40年)
明治34年に廃止されるまで授業料が徴収されていたのですね。また,現在は1学級の児童数が最大40人ですが,この当時は70人!ちょっと考えられないことです。一番下の写真は卒業写真です。子どもたちや先生の服装などに時代を感じます。
12.29はじめのころの丹陽小(明治6〜19年)
丹陽の地に学校ができたのは,明治5年に学制が発布された翌年のことでした。当初は地元のお寺に義校として創設しました。各方寺と真珠院がそれにあたります。義校の学則もこうして見ると興味深いものですね。
12.28 仕事納め
今日は、仕事納め。平成21年も残すところあと僅かとなりました。
職員は、平成22年(3学期)に向けて準備をしています。 屋内運動場には、中学校のバレーボール部が練習に来ていました。 12.27 校内の風景 |
最新更新日:2024/11/08
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