宮中生の輝いている学校生活の様子をご覧ください。

「6月30日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 1948年のきょう、アメリカのベル電話研究所のショックレーらによって発明されたトランジスタが、公開された日です。
 トランジスタは、電子の流れを増幅する機能などをもつ電気機器の心臓部です。それまでの真空管よりずっと小さくて長持ちするトランジスタの発明で、テレビやラジオ、ステレオなどの電気機器が小型化しました。
 その後、テレビや、ラジオ、パソコンなどには集積回路(ICやLSI)が組み込まれるようになって、さらに小型化、高性能化が進みました。
 勉強になります。

「6月29日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月29日」は、「作曲家、滝廉太郎が亡くなった日」です。
 明治時代の作曲家、滝廉太郎は、1879(明治12)年に東京で生まれました。東京音楽学校(今の東京芸術大学)に学び、卒業後は母校で後輩の指導に当たりました。
 滝廉太郎は西洋音楽を日本に溶け込ませた最初の作曲家ですが、日本的なものも大切にし、「荒城の月」「花」などの名曲や、「はとぽっぽ」「お正月」などの童謡を作曲しています。1903(明治36)年、わずか23歳で生涯を終えました。
 勉強になります。

「6月28日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月28日」は、「思想家、作家のルソーが生まれた日」です。
 18世紀の思想家で作家でもある、ジャン・ジャック・ルソーは、1712年のこの日、スイスのジュネーブで生まれました。ヨーロッパ各地を放浪し、様々な仕事に就いた体験のあるルソーは、著書「社会契約論」の中で、社会や国家は人間が幸福を築くためにつくったものなので、幸福を得られない国家や社会はつくりかえることができると言いました。
 この書は、国王の専制などに苦しんでいた当時の人々に感動を与え、更に、彼が亡くなった後に起こった、1789年のフランス革命にも影響を及ぼしたのです。そのほか「エミール」「告白録」など名作を残し、1778年、ルソーは66歳で生涯を閉じました。
 勉強になります。

報道新聞「Be Happy」第7号を発行

 本日、報道新聞「Be Happy」第7号を発行いたしました。
 記事の内容は、中体連総合大会終わる、第1回定期テスト、7/1は学年活動日、計算コンクール、7月の目標、生徒会から、これからの主な行事などです。
 詳細につきましては、トップページの『おしらせ』の中の「学校からのお知らせ」をご覧ください。

「6月27日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月27日」は、「作家、小泉八雲(こいずみやくも)が生まれた日」です。
 日本を、広く世界に紹介した文芸評論家で随筆家、小説家でもある小泉八雲は、1850年のきょう、ギリシャに生まれました。小泉八雲は日本名で、もとはラフカディオ・ハーンと言います。父はイギリス人、母はギリシャ人で、アイルランドで育ち、19歳の時、アメリカに渡って新聞記者になりました。
 1890(明治23)年、新聞社の通信員として来日しましたが、やがて、島根県の松江中学校の教員となり、松江で小泉節子と結婚、日本に帰化して小泉八雲となったのです。その後、第五高等学校(今の熊本大学)、ついで東京大学で英米文学を教えながら、日本の風俗習慣や伝統などを研究し、日本を海外に紹介するため、随筆『知られざる日本の面影』『東の国から』などを書きました。また、『怪談』は、日本の古典や民話をもとにした短編集で、「むじな」「雪女」などが入っています。
 日本をこよなく愛した八雲は、来日14年目の1904年、亡くなりました。
 勉強になります。

「6月24日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月24日」は、「壬申(じんしん)の乱が起きた日」です。
 大化の改新以来、30年近く新しい政治を行ってきた天智天皇(てんじてんのう)が、671年に亡くなりました。その子の大友皇子(おおとものおうじ)が後を継いで、弘文天皇(こうぶんてんのう)を名乗りました。
 しかし、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)は、それを認めず、672年のきょう、吉野(奈良県)で兵を集めて、東国に出発しました。
 この壬申の乱は、叔父と甥の激しい戦いでした。大海人皇子は朝廷軍を打ち負かし、敗れた大友皇子は自害して、この乱は終わったのです。
 大海人皇子は飛鳥(今の奈良県)に都を移し、そこで即位して、天武天皇(てんむてんのう)となりました。そして、土地や人民をはっきり朝廷の支配のもとにおき、八色(やくさ)の姓(かばね)や浄御原律令(きよみはらりつりょう)を定めるなど、律令国家のもとを築いたのです。
 勉強になります。

「6月23日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月23日」は、「沖縄慰霊の日」です。
 太平洋戦争の末期、1945(昭和20)年のきょう、4月1日から沖縄に上陸していたアメリカ軍の総攻撃を受けて、沖縄守備隊が全滅しました。沖縄県はこの日を、亡くなった人々を慰霊する日と定めました。沖縄は、唯一の地上戦の場となり、多くの住民を巻き込んで日本の盾とされたのです。約3か月に及ぶ戦いで、日本兵約10万人と、沖縄の住民約10万人(当時の人口の4分の1)の戦死者が出ました。この日、沖縄では慰霊祭が行われ、「戦争と平和を考える一日」として、平和の誓いを新たにします。
 勉強になります。

「6月22日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月22日」は、「ボウリングの日」です。
 日本初のボウリング場が長崎の出島の外国人居留地に開店したのは、1861(文久元)年のきょうだと言われています。これを記念して、1972(昭和40)年、(社)日本ボウリング場協会がこの日を「ボウリングの日」と定めました。
 ボウリングの始まりである、遠くに立てた棒を球を転がして倒す遊びは、既に今から約7千年も前の古代エジプトにあったとされています。また、中世ヨーロッパでは、9本のピンを倒すゲーム(九柱戯)が盛んになり、宗教改革で有名なドイツのルターも愛好者だったそうです。
 現在のように10本のピンを倒すテンピンズ・ボウリングの誕生は、19世紀の初め頃で、日本で初めて開始されたのは1916(大正5)年です。
 勉強になります。

「6月21日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月21日は、「参勤交代が制度化された日」です。
 1635(寛永12)年のきょう、「武家諸法度」が6年ぶりに改定され、外様大名の参勤交代が制度化されました。参勤交代とは、大名は1年交代で江戸(今の東京)と領地に住み、妻や子は人質として常に江戸に住まわせておく仕組みです。これは、大名が往復の費用や江戸と領地の二重生活のため、財政が苦しくなり、反乱を起こしにくくするのを狙ったものでした。
 勉強になります。

「6月17日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月17日」は、「100メートル競走で10秒の壁を破った日」です。
 陸上競技で100メートル10秒の壁を破ることは、長い間の人類の夢でした。1968(昭和43)年のきょう、全米陸上競技選手権大会で、とうとう9秒9の世界記録が出ました。
 カリフォルニア州サクラメントにあるヒューズ競技場の満場の観客が注目する中、男子百メートルの準決勝で、1組のハインズとスミス、2組のグリーン、何と3人の黒人選手が9秒9のタイムでゴールインしました。
 なお、世界最高記録は、2009年8月16日の世界選手権男子100m決勝で、ジャマイカのウサイン・ボルトが人類初の9秒5台となる9秒58という記録です。
 勉強になります。

「6月17日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月17日」は、「アメリカの動物学者モースが来日した日」です。
 日本初の考古学調査である大森の貝塚(東京都大田区)の発掘を行ったエドワード・S・モースは、1877(明治10)年のきょう、日本で貝など腕足類の研究をするため来日しました。
 横浜から汽車で新橋に向かう途中、大森の辺りで白っぽい丘を発見し、後で発掘したところ、縄文時代の貝塚であることがわかったのです。この発掘は、我が国の考古学の出発点と言われています。
 やがて、モースは東京大学で動物や生物学を教えることになり、ダーウィンの進化論を日本に紹介しました。また、日本の民族研究や、北海道や近畿地方の古墳を発掘するなど、我が国の動物学と考古学の進歩に大きな功績を残したのです。
 勉強になります。

「6月14日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月14日」は、「日本がサッカーW杯に初出場した日」です。
 日本サッカーのワールドカップ(W杯)出場への挑戦は、1954(昭和29)年、スイス大会の予選出場から始まりました。それから44年後の1998(平成10)年のきょう、第16回フランス大会で、待ちに待った念願のW杯初出場を果たしたのです。
 この日、日本代表チームは、歴史的なデビュー戦で、強豪のアルゼンチンを相手に善戦したのですが、0対1で惜しくも敗れました。また、クロアチアとの第2戦は0対1で、ジャマイカとの第3戦は1対2で負け、決勝リーグには進めませんでした。待望のW杯初ゴールを決めた中山雅史選手は、その際に右足を骨折しながらも、最後までゲームを続けたのです。
 勉強になります。

「6月10日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月10日」は、「日本初のレスリングの公開試合があった日」です。
 1931(昭和6)年、東京の早稲田大学にレスリング部ができたのが、日本の近代レスリングの出発点とされています。そのレスリング部が、6月10日に同大学の大隈講堂で、日本で初めて試合を公開しました。
 レスリングは、二人の選手が組うちをして、立ち技や寝技で相手の両肩をマットにつけた方が勝つ、という力と技を競うスポーツです。その始まりは古く、紀元前二千年の古代エジプトの壁画などに、レスリング競技が描かれているほどです。やがて、ヨーロッパ中に広まりました。
 国際統一のルールができて、近大競技となったレスリングは、1896年、アテネの第1回オリンピック大会から、公式競技となっています。なお、日本が第二次世界大戦後に復帰した、ヘルシンキの第15回オリンピック大会(1952年)に、レスリングで5人の選手が参加。石井庄八(いしいしょうはち)が日本人初の金メダルをとったほか、4人の選手全員が入賞を果たすなど、日本は世界レベルに追いつきました。
 勉強になります。

「6月9日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月9日」は、「加賀の一向一揆が起きた日」です。
 一向一揆とは、室町から戦国時代にかけて、一向宗(浄土真宗)を信じる農民や武士などが、守護大名や戦国大名などに反抗して起こした宗教一揆で、北陸、近畿、東海などの各地で起こりました。
 1488(長享2)年、加賀(今の石川県)では大規模な一向一揆が起こり、6月9日、20万ともいわれる勢力に高尾城を取り囲まれた守護大名の富樫政親(とがしまさちか)は、城の中で自害しました。
 この一向一揆の結果、加賀では1580(天正8)年、織田信長に敗れるまでの百年近く、守護大名を残しながらも、自分たちで政治を行う体制が築かれず、「百姓の持(もち)たる国のよう」になったと記録が残されています。
 勉強になります。

「6月3日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月3日」は、「ペリーが浦賀に来航した日」です。
 江戸湾(今の東京湾)の入り口にある浦賀に、突然4隻の黒い軍艦が来航したのは、1853年(嘉永6)年のきょう。日本に開国を迫る、アメリカの大統領の国書を渡しに来たペリー提督が乗船していました。「黒船あわられる」という知らせに、幕府や江戸(今の東京)の町は大騒ぎとなりました。
 ペリー提督は、6月9日に上陸して幕府に国書を手渡し、さらに多くの軍艦を率いて返事をききに来年また来ると言って去りました。翌年、ペリーは7隻の艦隊を引き連れて来航。日米和親条約を結び、ここに二百年余り続いた鎖国の歴史は終わりを告げました。
 勉強になります。

「6月2日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月2日」は、本能寺の変があった日です。
 1582(天正10)年のきょう、織田信長の家臣、明智光秀が謀反を起こし、1万3千の軍勢を率いて、京都の本能寺に泊まっていた信長を襲いました。信長や弓や槍で戦いましたが、味方はわずか百人ほどだったので、ついに切腹して死にました。天下統一を目の前にした信長は、49歳でその生涯を閉じたのです。その翌日、主君の信長の死を聞いた羽柴(のちの豊臣)秀吉は、毛利氏との戦いを止めて引き返し、光秀と戦う態勢を整え出陣します。6月13日、光秀軍は4万あまりの秀吉軍と京都の山崎で戦って敗れ、光秀は逃げる途中農民に殺されました。
 なお、信長の天下統一の夢を引き継いだ秀吉は、九州、四国から東北までの大名を次々と打ち破り、1590(天正18)年、その夢を実現しました。
 勉強になります。
 

「6月1日」〜今日は何の日?(昼の放送より)

 本校では、毎日昼の放送で、報道委員会が「今日は何の日?」について調べたことを発表しています。
 「6月1日」は、ヘレン・ケラーが亡くなった日」です。
 ヘレン・ケラーは、アメリカのアラバマ州で生まれ、生後19か月で熱病にかかり、目と耳が不自由になり、言葉も失いました。しかし、目が不自由だった家庭教師のアン・サリバン先生から、手のひらに指で文字を書く指話法で、多くのことを学びました。また、10歳頃からヘレンは発声法を学び、さらに相手の唇の動きを指で触って言葉を読み取る読唇法(どくしんほう)も学びます。そしてハーバード大学付属ラドクリフ女子大学に進み、優秀な成績で卒業したのです。
 こうして、見えない、聞こえない、話せないという三重の障がいを、強い意志と努力で乗り越えたヘレン・ケラーは、世界中を講演旅行して目や体の不自由な人びとを励まし、障がいのある人びとの教育、援護事業の資金を集めるなど、一生を福祉活動に捧げました。
 日本にも1937(昭和12)年をはじめに、3回訪れています。「現代の聖女」と讃えられた彼女は、1968年のきょう、87歳で亡くなりました。
 勉強になります。

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