最新更新日:2024/09/27 | |
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ちょっといい話
その紙には数字の羅列が書いてありました
ポケベルが流行していた時、私の父親もポケベルを持っていたんだけど、私がいくら説明してもうまく操作できなかった。 父親はその時から癌におかされていていて、父親が死んだ時、病室の引き出しから1枚の紙が出てきた。おばあちゃんやお母さんはその紙を見て「何だろうね、これ?」と言って私に見せてくれました。その紙には数字の羅列が書いてありました。私は一見しただけでそれがポケベルで使われる数字を使った文章だとわかりました。涙が出てきました。 「お父さんもがんばるから、おまえたちもがんばれ」と書いてありました。 今日のお話 ー11月29日(火)ー
西郷隆盛の名言・格言
文明というのは、 道理にかなったことが広く行われることを 褒め称えていう言葉であって、 宮殿が荘厳であるとか、 衣服がきらびやかだとかといった、 外観の華やかさをいうものではない。 ちょっといい話
あの酒は親父と一緒に呑みたいから
6年前に亡くなった親父。決してよい父親じゃなかった。嫌な事があると酒を飲んでは暴れ、母親にあたってばかりいた親父。思春期の頃から大っ嫌いだった。でもそれが、自分も大人になり、いつの間にか小さくなった親父の背中を見た時、ふと親父も辛かったのかなと思えた。寒くなり始めた頃、次の正月には一緒に酒を呑もうと思って話をした。めっきり酒に弱くなっていた親父。一度も一緒に呑んだ事がなかったから。なのに……、何でその1週間後に逝くんだよ。何で急に逝くんだよ。建てた家も産まれたばかりの孫も、まだ見てもらってなかったじゃないか。 安置所で顔を見た時は信じられなかった。棺の中で眠る顔を見た時、幼い頃に遊んで貰った記憶ばかりが甦ってきた。涙が止まらなかった。嗚咽が出るのを堪えられなかった。母親に聞いたよ。渡した孫の写真を毎日見ては、何度も「俺に似てる」って嬉しそうに話してたらしいな。孫を抱いてもらえなくてごめんな。酒を注いでやれなくてごめんな。親不孝ばかりしてごめんな。あと何年後、いや何十年後かもしれないけど、俺がそっちに逝ったら一緒に呑んでくれるか、その時まで、そっちでも呑みすぎてまた体壊したりするなよ。親父が好きで呑んでた銘柄は、今でも呑んでないよ。あの酒は親父と一緒に呑みたいから…… 今日のお話 ー11月28日(月)ー
西郷隆盛の名言・格言
物事を成そうとの意気込みを 広く持つ者にとって、 もっとも憂えるべきことは、 自分のことをのみはかり、 けちで低俗な生活に安んじ、 昔の人を手本として、 自分からそうなろうと 修業をしようとしないことだ。 ちょっといい話
別に泣く事なんか何も無いよなぁ、親父
「1年前、親父が死んだ」という話で、泣いたというのはよくあるが、俺は泣かなかった。 俺は北海道で漁師をやってる。ガキの頃から親の手伝いをして、骨の髄まで漁師仕事は叩き込まれた。すげー厳しい親父だった。どんくらい厳しいかって、もう漫画の世界。ゲンコツなんて毎日のように食らってた。そのゲンコツのお陰で今も美味いメシ食わして貰ってる。その親父は、6年前の冬に胃癌で死んだ。やつれて別人みたいだったけど、中身は厳しいまんまだった。苦しいだろうに弱音のひとつも吐かねーの。 遺言は「船は任せたからな」だった。親父が死んだってのを実感したのは船の上。仕事始める時の馬鹿でかい掛け声が聞こえなくて、「あぁ、いないんだな」って思った。代わりに自分で叫んでみたら、思いの外気持ちよくて今まで損してた気分だった。 俺は今漁師をやってる。別に泣く事なんか何も無いよなぁ……、親父。 今日のお話 ー11月25日(金)ー
西郷隆盛の名言・格言
過ちを改めるには、 自分が間違いを犯したと自覚すれば、 それでよい。 そのことをさっぱり思いすてて、 ただちに一歩を踏み出すことが大事である。 過ちを犯したことを悔やんで、 あれこれと取りつくろおうと心配するのは、 たとえば茶碗を割って、 そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、 何の役にも立たぬことである。 ちょっといい話
黙って撫でていた
両親は、仲が悪いのだと思っていた。冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。 母が子宮癌で手術を受けた。手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。「ユミ、大丈夫だよ、ユミ……」、まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。「タカちゃん、痛いよ、タカちゃん……」。 父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。黙って撫でていた。 今日のお話 ー11月24日(木)ー
西郷隆盛の名言・格言
世の中で、人からそしられたり 誉められたりするといったことは、 塵のように儚く消え去ってしまうものである。 ちょっといい話
あなたの言葉で今に必死に人生にしがみつけてます
今まですれ違いが多くて、なかなか時間をとって話す機会のなかった父。そんな父と時間をとって話す機会を得たのは、恥ずかしながら仕事でミスをしまくって、会社から叱責を何度もうけていた時だ。家に帰り、何気なく「もう仕事がしんどい……」とつぶやいた自分に、父は「今週末、飲みにいこう」と言った。近所の居酒屋で父と酒を飲む。家で飲むことは今までにもあったが、居酒屋で2人で飲むというのは、今まで生きてきて初めてのことだった。仕事のことなど、自分のことを一通り話した後、父が言った言葉。 「お前が生まれた時な、何とも言えない不思議な気持ちになったんだよ。初めての子どもだったからな。『この子は特別な子だ』ってその時思ったし、今でもその気持ちは変わらん。だからいくら辛いことがあろうが、苦しもうが俺、そして母さんが、お前のことをそう思ってると思っていてくれ」 自分に自信が無くなっていた自分にとって、すごく染みた言葉だった。今でもその言葉を思い出して、泣いてしまうことがある。 「父さん、今も苦しいけど、生きづらいけど、あなたの言葉で今に必死に人生にしがみつけてます」 今日のお話 −11月22日(火)−
西郷隆盛の名言・格言
人を相手にせず、 天を相手にして、 おのれを尽くして人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべし。 ちょっといい話
まだ、使ってたんだ
反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。 幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と2人暮らし。誰から見ても、宝物の様に私を大事に可愛がってくれた。そして、私のために一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。風邪の時には、仕事をさぼってでも、私の側に居てくれてた。私に寂しい思いは、させなかったと思う。2人きりだけど、クリスマスや誕生日も毎年してくれた。 けれど10代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきてしまった。心配される事や、口を聞く事、すべてがうっとおしくなった。私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配しても、私は父に罵声しかあびせなかった。友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなっていた。そんなある夜のこと。久しぶりに家に帰ると、私の分のおかずと一緒に、小さなケーキが置いてあった。それは、3日過ぎた私の誕生日のためのケーキだった。いつ帰って来るのか分からない私のために、毎日ご飯作って、ずっと待っていてくれてたんだと思ったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。そして無造作に置かれてた小銭入れ。ボロボロになった汚い小銭入れだった。それは、私が幼稚園の頃に父の日にあげたもの。「まだ、使ってたんだ」誰よりも何よりも、父は私のことを大切に思ってくれていた。父にとって私は宝モノなんだって思いが胸につきささって、父に対して優しくしてあげられなかった事にまた泣いた。 後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。その1件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。 今日のお話 −11月21日(月)−
西郷隆盛の名言・格言
己を利するは私、 民を利するは公、 公なる者は栄えて、 私なる者は亡ぶ。 ちょっといい話
自分がされたら? 考え
「論語」で最も共感する言葉は「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」です。選んだ理由は、小学校低学年の時に先生に言われたことが忘れられないからです。 こんなことがありました。授業で仲間が発表し、間違えました。私はあおって笑っていました。今振り返ると「何てひどいことをしたんだろう」と思います。授業後に先生に呼び出され、「間違えた仲間を笑っていましたね。自分がされたらどう思いますか」と叱られました。それからは、自分が望まないことは他人にしないように気をつけています。これからも「己の欲せざるところは……」の言葉を忘れないように生活をしていきたいです。 (中学校3年生女子) 今日のお話 −11月18日(金)−
西郷隆盛の名言・格言
命もいらず、名もいらず、 官位も金もいらぬ人は、 始末に困るものなり。 この始末に困る人ならでは、 艱難をともにして 国家の大業は成し得られぬなり。 ちょっといい話
とても忙しいんだから、優しくしてあげてね
女房が来月3人目を出産するんですけど、そろそろ40歳ということもあり、妊娠当初からとても辛そうでした。私は自営業の特権というか、時間が自由になるので、家事と上の2人の子ども(6歳と3歳)の世話を全部引き受けてました。加えて出産費用を稼ぐために仕事もフル稼働という生活が半年くらい続いていたんですけど、趣味も酒も全部絶っていたせいか、ストレスが溜まっていたみたい。今日、些細なことから夫婦喧嘩(何年ぶりだろう?)。臨月の女房に向かって怒鳴りつけてしまいました。1人になって反省しようと、夕飯の買い物へ出掛け、帰って来たら女房から聞かされました。 6歳の長男が女房に言ったそうです。「お父さんは、お仕事と、僕たちのお迎えと、お洗濯と、お掃除と、それに美味しいお料理を作ってくれて、とても忙しいんだから、優しくしてあげてね。」 涙を流したなんて何年ぶりだろう。私も妻に詫び、今日はみんなでおでんを食べました。 今日のお話 −11月17日(木)−
西郷隆盛の名言・格言
人が踏み行うべき道を実践する者が、 世間の人がこぞって誹しっても 決して不満をいわず、 世間の人がこぞって褒めても 自分に満足しないのは、 信念が厚いからである。 ちょっといい話
あれ以来、おれは引きこもりをやめた
引きこもりのおれの場合、2年近くメールしていて、「会おう」ってしつこいから会うことにした。待ち合わせ場所に着いたら妹がいて、「おにぃ、顔合わせるの久しぶりですな」 って照れ臭そうに言ってきた。 おれは妹にどれだけ心配をかけていたんだと反省し、あれ以来おれは引きこもりをやめた。 今日のお話 −11月16日(水)−
西郷隆盛の名言・格言
今の人は、才能や知識があれば、 事業というのは思いのままにできると思っているが、 才能にまかせて行うことは、 危なっかしくて見ておられない。 しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。 ちょっといい話
世界にひとりしか居ない、アタシだけの子どもだよ
俺は2年程前にうつ病にかかりました。服薬もしたし、会社も休んだ。でも全然よくならないんだよ。食事も摂れないし、眠れない。苦しくて苦しくて、仕方が無かったんだ。ある夜、「もう無理だ」って思って自殺をしようと決意した。両親が寝静まってから持ってる限りの睡眠剤と酒、それと……。 2月の深夜3時頃だったと思う。家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、「さぁ、やるか」と思って。遺書と預金通帳も用意した。暗証番号のメモも置いといた。少ないけれど貯金があるから。葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。その時、母親の勘かなぁ トイレでもないのに母親が起きてきたんだよね。何故か、俺のいたテーブルの前に座って、置いてある眠剤とかを一瞥して、何も言わなかった、2人とも……。それからどれ位経ったかなぁ。母親が、自分の着てたハンテンを「寒いだろ」って、俺に着せようとするんだよね。「もう子どもじゃないんだから」って言ったら一言。「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子どもだよ。世界にひとりしか居ない、アタシだけの子どもだよ」と。年甲斐も無く号泣したよ。 絶対うつ病、治そうと思ったよ。 今日のお話 −11月15日(火)−
西郷隆盛の名言・格言
己を尽くして人を咎めず。 我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。 我を愛する心を以って人を愛せ。 自己を許すが如く人を許せ。 人を責めるが如く自己を責めよ。 |
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