最新更新日:2024/09/27 | |
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ちょっといい話
だから、生きて
私の命は、もうすぐ失くなります。不思議と恐怖心はないです。ただ、貴方は大丈夫でしょうか。恋愛ドラマを見て、私より先に泣いている人を置いていって……。 貴方は優し過ぎるんです。子宮全摘術を受け、子どもを産めない私と結婚してくれました。「私といれば、貴方は幸せにはなれない」と拒絶したのにも関わらず、貴方は言いましたね。「子どもを産めなくても、幸せにはなれる。子どもが全てじゃない」、馬鹿なんですね。救いようのない大馬鹿です。結局私は、貴方と共に最後まで寄り添うこともできないの。駄目な妻でしたね。迷惑かけてごめんなさい。でも、こんな私を選んだ貴方も大概よ。私は、妻としての役割を果たす事ができたでしょうか? 私がいなくなれば、貴方はどん底に突き落とされるでしょう。お願いします。私との日々が思い出せるのは貴方だけなの。だから、生きて。「幸せになって」、何てとても言えない。だから、生きて。不幸でいい。泣いたっていい。貴方が生きていくことに意味があるの。泣き虫さん、貴方と一緒に歩めてよかったわ。ありがとう。 今日のお話 −4月28日(木)−
大隈重信の名言
人の志操は失意の時に真にして、 人の情好は失意の時に密なるものである。 (人間の不変の志は失意のときに真理となり、 人間の友情や愛情は失意の時に深まるものである) ちょっといい話
月へ帰っていったわが子の話
あと1週間で産声を聞けるはずでした。その日、家で1人、いつもと変わらず過ごしていた私でしたが、急な激痛に襲われたのです。意識が遠のく中、主人に連絡し、病院へと向かいましたが、ICUで目覚めた私に、わが子の泣き声も笑い声も聞こえませんでした。聞こえてくるのは、主人や家族の哀しみをおさえる音でした。その子の名前は、優月でした。両家にとっての初孫でした。私の腕の中にいたあの子の左瞼には、月にいるうさぎのようなアザがありました。優月は月からやって来て、月へと帰っていったのだと確信しました。 またわが家においでね。優しく照らす月明かりに、まだなお私たち家族の涙が光っています。 今日のお話 −4月27日(水)−
大隈重信の名言
道が窮まったかのようで 他に道があるのは世の常である。 時のある限り、 人のある限り、 道が窮まるという理由はないのである。 ちょっといい話
スケッチブック
祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は見舞いにも行かなかった。母から、「もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだ」と聞かされて、さすがに心苦しく思い、顔を見せに行くことに。病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。母に「手にぎってあげなさい」と言われ、そっと握ると意識のないはずの祖母が、手を強く握り返してきて、目からは涙が……。握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。 祖母が亡くなった後、遺品の中からスケッチブックが……。まだ意識のあった頃に、病室で書いたと思われる絵には私や、孫たちの絵で埋まっていました。 今日のお話 −4月26日(火)−
大隈重信の名言
枝葉を切っても木は蘇らない。 根元を掘って自然の力、 太陽光を根にあてて水を注げば、 木は蘇生する。 ちょっといい話
母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ
母ちゃんは、俺が4つの時病気で死んだんだ。 ぼんやりと覚えてる事が1つ。公園でいつも遊んでた。夕方になると、みんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし、誰もいない。暗くなってもよく公園にいた。兄貴が部活終わって、公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。その日も、暗くなっても砂場で遊んでた。そしたら、俺を呼ぶ声が聞こえたと思ったら、母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。「ママー、ママー」って馬鹿みたいに叫んで走ったよ。暗い中、「ブランコに一緒に乗ろう」って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。 その後、何日かして病院で死んじまった。後から親父に聞いたら、自分でも長くない事、わかってたらしい。あの時、母ちゃんどんな気持ち、抱えていたんだろう。「どうしていつも病院にいるの?」ってしつこく聞いてごめん。辛かっただろう。 来年、彼女と結婚するよ。母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。 男子卓球部 犬山市民大会
4月24日(日)犬山市民卓球大会が開かれました。
学年別の個人戦で、予選リーグ1位2位通過で決勝リーグに進出できます。 多くの部員が予選を勝ち抜け、次へと進むことができました。 結果、3年生の部で優勝、準優勝、3位、2年生の部で準優勝を勝ち取りました! 入賞おめでとう!! 悔しい思いをした部員もいると思います。 さらに力をつけていけるよう来週からの練習に生かしていきましょう。 今日のお話 −4月25日(月)−
大隈重信の名言
怒るな 愚痴をこぼすな 過去を顧みるな 望を将来に置け 人のために善をなせ □ プロフィール 肥前国出身の武士・政治家・教育者。主に明治維新後の活躍で知られる人物であり、伊藤博文や井上馨といった若手官僚や木戸孝允などと共に近代国家の早期建設を推進し、第8・17代内閣総理大臣を務めた他、参議兼大蔵卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、貴族院議員などを歴任。早稲田大学の創設者でもある。 ちょっといい話
お母さんと妹を頼む、2人の前で泣くな。
高2の夏、父が亡くなった。期末テストの最中に、1つ下の妹と一緒に呼び出され、病室へ駆け付けた。気丈に付き添っていた母が、私達を見つけて泣き崩れ他姿を見て、父の最期を悟った。妹も母に抱きついて、声をあげて泣いた。信じられず、父の亡骸にひとり会いに行った。茫然と父を見たら声が聞こえた。「お母さんと妹を頼む、2人の前で泣くな」と……。 通夜や葬儀も必死で涙をこらえた。火葬場で点火ボタンを押したけど、懸命に我慢した。父の火葬の最中、テストが終わった同級生の彼女が来てくれた。彼女を見送りに、外へ出たら涙が溢れた。「頑張ったんだよね」と言って、暫く一緒に泣いてくれた。 父の骨を拾いながら、泣く母と妹の前では平気でいられた。父は約束が気になったのか、最後に俺の泣く場所を作ってくれたと思う。 3年生の保護者の皆様へ 4月22日(金)
3年生の保護者の皆様へ
「令和4年度 修学旅行に対する保護者の皆様へのお願い」をアップしました。 ご確認をお願いします。 https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/23200... 2年生の保護者の皆様へ 4月22日(金)
2年生の保護者の皆様へ
「令和4年度 自然教室に対する保護者の皆様へのお願い」をアップしました。 ご確認をお願いします。 https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/23200... 今日のお話 −4月22日(金)−
津田梅子の名言
皆さんのひとりひとりが 「光を見る目、 永遠の真理を知る洞察力、 憐れみともっとも優しい慈悲に満ちた心、 闇を照らす信仰 をもちますように」 ※ 1913年の卒業式の式辞 ちょっといい話
ママにしてくれてありがとう
大学を卒業して、大手企業に就職したばかりの4月、妊娠が発覚した。「えっ?何で」、これが私の正直な気持ちだった。苦労して入った大学、氷河期に死ぬ気でとった内定、やりたい事、やるべき事がまだ山のようにあった。自身の未来を考えて、即座に堕胎を決意した。産婦人科へ行き「堕ろしますか」と聞かれたとき、なぜか「はい」と答えられなかった。 それから会社を辞め、主人と話し合い入籍。結婚式や新婚旅行どころか、指輪さえもらえなかった。胎児は順調に育ち無事出産。しかし、ここからが本当の戦いだった。育児は思っていた以上に苦しく、毎日子どもに怒鳴りちらす生活。「お前なんか産まれてこなければよかった」、「お前のせいで、結婚式もできなかった」と、毎日毎日、子どもを責め、旦那を責め、自身を責めノイローゼになった。子どもが1歳になったある日、体調不良で病院へ行った。結果、かなり進行した子宮ガンだった。私は、23歳で子宮を全摘出した。今、息子は2歳になろうとしている。朝起きると自分がご飯を食べる前に、バナナを私の口に入れてくれる。私が朝が弱いことを知った上での行為だ。あの時、堕胎しなくてよかった。子宮摘出手術が終わったその日、私はベッドの上で思いっきり泣いた。嬉しくて、嬉しくて涙が止まらなかったのだ。 「息子は神様がくれた最初で最後のプレゼント」だと思うと、息子と主人に感謝の気持ちで一杯になった。OOくん、本当にありがとう。産まれてきてくれて、本当にありがとう。こんなにくだらない私を、ママにしてくれてありがとう。そして、ママを選んでくれてありがとう。あなたに逢えて本当によかった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない。 今日のお話 −4月21日(木)−
津田梅子の名言(2編)
□ まかれた種は、 豊かに実りをつけねばならないことを心得てください。 □ 先生は教えることの 十倍は知っていなければいけない。 ちょっといい話
父が嫌い
私は父が嫌いです。うるさいし、大声で怒鳴ってくるし、私はいつも泣かされていました。 幼い頃、私は重い病にかかって入院していました。いつも病院にいて、辛い毎日でした。でも、家族が私の見舞いに来てくれるので、「頑張ろう」と前向きに日々を過ごしていました。母は、私の側にずっといてくれて私を励ましてくれました、ですが、父は私の側に来たことはありません。「ほんとにサイテー」って思ってました。 ある日、症状が悪化して意識をなくし、1週間ずっと、目を覚まさなかったそうです。朦朧とした意識の中で、私がかすかに覚えているのは、ずっと声が聞こえていたことです。「私の寿命を全部あげるから、どうかこの子を連れて行かないで欲しい、どうかお願いです」って、ずっと父の声が……。 後で聞いた話によると、父は仕事で忙しく、私が眠った後、夜に毎日、来ていたそうです。 私が目を覚ます前に仕事に行き、私が眠ってしまった夜遅くに来て、私の心配をしてくれてたんです。今でも父は嫌いですが、今度は私が父を助けたいと思います。どんな事でも……。お父さん ありがとう。 今日のお話 −4月20日(水)−
津田梅子の名言(2編)
□ 環境より学ぶ意志があればいい。 □ 私が死ぬことによって、 日本の娘たちを向上させることができるのなら、 死んでもよい。 ちょっといい話
お母さんはこれで十分
子どもの時は、お母さんをただのケチだと思ってた。高校生になった私は、ウザいとしか思わなかった。1人暮らしを始めて、3度の食事や掃除に洗濯、何て恵まれてたかわかった。 私が挑戦したい事は、とてもお金がかかる事だった。お母さんは、少しだけ悩んですぐに私を応援してくれた。お母さんは、成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と、着ていた。化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど。でも、いつも私を助けてくれるお母さん。お母さんは、自分のものは買わないでバカな私を助けてばかり。 お母さん、お母さん、お母さん、どうして私をそこまで信じてくれるんですか。私はもう24才なのに、あなたにまだ甘えたいです。お母さん、お母さん、本当にいつもありがとう。私が強気なのはあなたがいてくれるからです。 どうか神様、私のお母さんを、まだまだ元気に生かして下さい。どうか私に時間を下さい。大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。 今日のお話 −4月19日(火)−
津田梅子の名言
人生の導き手であるよい書物は、 その書物のなかで語る偉人たちの言葉は、 求めさえすれば皆さんのものとなることでしょう。 ちょっといい話
人前で初めて泣いた
中学に入り気持ちが荒れはじめ、悪い事をたくさんした。バイク、喧嘩、たばこ、酒、知り合いの兄ちゃんに頼みこんで、入れ墨まで入れていきがっていた。警察から毎日の様に電話がかかり、おかんは頭を下げあやまっていた。俺はそれを見て何とも感じない程、腐りきっていた。 そんなある日、おかんが病気になり入院した。白血病だった。それから2年後、おかんは死んだ。数年がたち、俺もやっと落ち着いて、結婚する事になった。ささやかだが、結婚式も挙げた。結婚式も終盤を迎えるころ、ばーちゃんが出てきて、手紙を読み始めた。「だいちゃんへ」と言うタイトルだった。その手紙は、天国のおかんからだった。後から分かった話だが、おかんが入院中に書いてくれたのを祖母に預けていたらしい。俺はボロボロ泣いた。人前で初めて泣いた。 なぁ、おかん。本当ありがとう。俺、おかんの息子でよかった……。 |
犬山市立城東中学校
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