ともに生きる

今日のお話 −11月22日(火)−

  西郷隆盛の名言・格言

 人を相手にせず、
 天を相手にして、
 おのれを尽くして人を咎めず、
 我が誠の足らざるを尋ぬべし。

ちょっといい話

   まだ、使ってたんだ 

 反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
 幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と2人暮らし。誰から見ても、宝物の様に私を大事に可愛がってくれた。そして、私のために一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。風邪の時には、仕事をさぼってでも、私の側に居てくれてた。私に寂しい思いは、させなかったと思う。2人きりだけど、クリスマスや誕生日も毎年してくれた。
 けれど10代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきてしまった。心配される事や、口を聞く事、すべてがうっとおしくなった。私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配しても、私は父に罵声しかあびせなかった。友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなっていた。そんなある夜のこと。久しぶりに家に帰ると、私の分のおかずと一緒に、小さなケーキが置いてあった。それは、3日過ぎた私の誕生日のためのケーキだった。いつ帰って来るのか分からない私のために、毎日ご飯作って、ずっと待っていてくれてたんだと思ったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。そして無造作に置かれてた小銭入れ。ボロボロになった汚い小銭入れだった。それは、私が幼稚園の頃に父の日にあげたもの。「まだ、使ってたんだ」誰よりも何よりも、父は私のことを大切に思ってくれていた。父にとって私は宝モノなんだって思いが胸につきささって、父に対して優しくしてあげられなかった事にまた泣いた。
 後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。その1件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

今日のお話 −11月21日(月)−

   西郷隆盛の名言・格言

  己を利するは私、  民を利するは公、

  公なる者は栄えて、 私なる者は亡ぶ。

ちょっといい話

 自分がされたら? 考え 

 「論語」で最も共感する言葉は「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」です。選んだ理由は、小学校低学年の時に先生に言われたことが忘れられないからです。
 こんなことがありました。授業で仲間が発表し、間違えました。私はあおって笑っていました。今振り返ると「何てひどいことをしたんだろう」と思います。授業後に先生に呼び出され、「間違えた仲間を笑っていましたね。自分がされたらどう思いますか」と叱られました。それからは、自分が望まないことは他人にしないように気をつけています。これからも「己の欲せざるところは……」の言葉を忘れないように生活をしていきたいです。
                      (中学校3年生女子) 

今日のお話 −11月18日(金)−

   西郷隆盛の名言・格言

  命もいらず、名もいらず、
  官位も金もいらぬ人は、
  始末に困るものなり。
  この始末に困る人ならでは、
  艱難をともにして
  国家の大業は成し得られぬなり。

ちょっといい話

   とても忙しいんだから、優しくしてあげてね

 女房が来月3人目を出産するんですけど、そろそろ40歳ということもあり、妊娠当初からとても辛そうでした。私は自営業の特権というか、時間が自由になるので、家事と上の2人の子ども(6歳と3歳)の世話を全部引き受けてました。加えて出産費用を稼ぐために仕事もフル稼働という生活が半年くらい続いていたんですけど、趣味も酒も全部絶っていたせいか、ストレスが溜まっていたみたい。今日、些細なことから夫婦喧嘩(何年ぶりだろう?)。臨月の女房に向かって怒鳴りつけてしまいました。1人になって反省しようと、夕飯の買い物へ出掛け、帰って来たら女房から聞かされました。
 6歳の長男が女房に言ったそうです。「お父さんは、お仕事と、僕たちのお迎えと、お洗濯と、お掃除と、それに美味しいお料理を作ってくれて、とても忙しいんだから、優しくしてあげてね。」
 涙を流したなんて何年ぶりだろう。私も妻に詫び、今日はみんなでおでんを食べました。

今日のお話 −11月17日(木)−

   西郷隆盛の名言・格言

  人が踏み行うべき道を実践する者が、
  世間の人がこぞって誹しっても
  決して不満をいわず、
  世間の人がこぞって褒めても
  自分に満足しないのは、
  信念が厚いからである。

ちょっといい話

   あれ以来、おれは引きこもりをやめた

 引きこもりのおれの場合、2年近くメールしていて、「会おう」ってしつこいから会うことにした。待ち合わせ場所に着いたら妹がいて、「おにぃ、顔合わせるの久しぶりですな」
って照れ臭そうに言ってきた。
 おれは妹にどれだけ心配をかけていたんだと反省し、あれ以来おれは引きこもりをやめた。

今日のお話 −11月16日(水)−

   西郷隆盛の名言・格言

 今の人は、才能や知識があれば、

 事業というのは思いのままにできると思っているが、

 才能にまかせて行うことは、

 危なっかしくて見ておられない。

 しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。

ちょっといい話

   世界にひとりしか居ない、アタシだけの子どもだよ 

 俺は2年程前にうつ病にかかりました。服薬もしたし、会社も休んだ。でも全然よくならないんだよ。食事も摂れないし、眠れない。苦しくて苦しくて、仕方が無かったんだ。ある夜、「もう無理だ」って思って自殺をしようと決意した。両親が寝静まってから持ってる限りの睡眠剤と酒、それと……。
 2月の深夜3時頃だったと思う。家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、「さぁ、やるか」と思って。遺書と預金通帳も用意した。暗証番号のメモも置いといた。少ないけれど貯金があるから。葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。その時、母親の勘かなぁ トイレでもないのに母親が起きてきたんだよね。何故か、俺のいたテーブルの前に座って、置いてある眠剤とかを一瞥して、何も言わなかった、2人とも……。それからどれ位経ったかなぁ。母親が、自分の着てたハンテンを「寒いだろ」って、俺に着せようとするんだよね。「もう子どもじゃないんだから」って言ったら一言。「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子どもだよ。世界にひとりしか居ない、アタシだけの子どもだよ」と。年甲斐も無く号泣したよ。
 絶対うつ病、治そうと思ったよ。

今日のお話 −11月15日(火)−

   西郷隆盛の名言・格言

 己を尽くして人を咎めず。

 我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。

 我を愛する心を以って人を愛せ。

 自己を許すが如く人を許せ。

 人を責めるが如く自己を責めよ。

ちょっといい話

   あの子はたった7つの春しか迎えられなかった…

 娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。「千の春を迎えられるくらい長生きして欲しい」という願いを込めて名をつけたのに、あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。先天性の免疫不全症候群で、生まれてから1度も病室の外に出ることはなかった。「いつになったらお外へ出れるの」と、悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。闘って、闘って、闘い抜いた千春。とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」と主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので……。
 千春、千春、今あなたはどこにいるの?、空?、海?、山?、幸せでいる?今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
 おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。またいつか会おうね。

今日のお話 −11月14日(月)−

   西郷隆盛の名言・格言

 間違いを改めるとき、
 自ら間違っていたと気付けばそれでいい。
 そのことを捨てて、ただちに一歩を踏み出すべし。
 間違いを悔しく思い、取り繕うと心配することは、
 たとえば茶碗を割り、
 その欠けたものを合わせてみるようなもので、
 意味がないことである“

(過去に間違ったことをしたと嘆いていても、今更、過去は変えられな
 い。それならば、これからできることを最大限に行って、あとは天の
 采配に任せよう)

□ プロフィール
 幕末期の薩摩藩の武士。 故郷鹿児島の盟友・大久保利通と共に薩摩藩をリードして王政復古を実現させ、徳川幕府を倒し、明治政府の成立に大きな貢献をした。 維新後、封建制度下の特権を失った不平士族(旧武士)の首領となって西南戦争を起こしたが政府軍に敗れ自刃した。

ちょっといい話

   お母さんに「ありがとう」といえた

 いつも私は、お母さんと喧嘩ばっかしてた。いつもお母さんに頼って生きていた私は、毎朝起こしてもらってるのだが、時々起こすのが遅い。そういうときも母に「早く起こさねぇのが悪いんだろ」と言ってた。お母さんも「だったら自分で起きなさい」と言って喧嘩。ある日、ちょっと大きい喧嘩をした。母から「あんたはお兄ちゃんと違って、何もできない」と言われた。私は「あんたのせいなんだよ。いつもウチを保育園で1人ぼっちにさせる、いつも仕事で授業参観にも来ない、母親ずらしてんじゃねえよ、あたしはあんたの事、母親だと思ってねえよ」と言い返した。この一言を聞いた途端、いつもは口うるさいお母さんが黙った。「言い過ぎたかな」とは思ったけど……。そして自分の部屋にこもった。部屋で少しお母さんのことが気になった。ちょっと様子を見てみると、母親が泣いていた。あんなに強い母が泣いていた。そして、独り言で「私のせいだ……」とつぶやいていた。目頭が熱くなった。こんな母親見たことない。見たくない……。
 気分転換にまだ見てないビデオがあったのを思い出し、ビデオを探していると、母親の字で私の名前が書かれたビデオがあった。「何だろう」と思って見てみると、幼い頃の私が大事そうに、微笑んでる母親の腕の中にいた。ビデオの中のお母さんはとても優しく、何度も私をビデオに写して、私の名前を呼んでいた。そしてビデオでこんなことを言っていた。「大好きよ。私の子だから何度も反抗するでしょう。だけど、あなたは私の大好きな子よ。ずっとずっと……」何年間も流してない涙が自然と出てきた。
 その日、私はお母さんに「ありがとう」と言えた。

今日のお話 −11月11日(金)−

   高杉晋作の名言・格言(2編)


□ 真の楽しみは苦しみの中にこそある。


□ 友人の信頼の度合いは人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。

ちょっといい話

   お母さんに会いたいです

 私の父は、私が5歳のときに白血病で亡くなりました。それからは母が働き、祖母が私と弟の面倒をみるようになりました。母が、乳癌だとわかったのは私が小学校6年生の時でした。そのときは本当に驚いたのですが、「手術をすれば大丈夫」と思っていたので、「お母さんはすぐに元気になるんだ」と思っていました。その通り、摘出手術をしてからは、仕事にも無事復帰。私が中学1年生の夏ごろ、癌細胞が肝臓に転移しているのがわかりました。私は「また手術すればすぐに治る」と思っていました。しかし、母は見る見るうちに衰えていきました。仕事も辞め、抗がん剤の作用で髪が抜け落ちたり、吐き気がひどかったりすることもありました。そして、私が中学2年生夏から、入院生活になりました。それでも心のどこかで「私のお母さんが死ぬわけない」と思っていました。冬のある日、母から電話がきました。「ちゃんとおばあちゃんの言うこときいてね。お手伝いもちゃんとしなきゃだめだよ」と、すごく疲れた声でした。それから1週間後の早朝に、母は亡くなりました。祖母から「弟と一緒にタクシーで来て」と言われ、弟とタクシーで病院へ向かいました。母の病室のある階につき、祖母の震えた声で私たちを呼ぶ声が聞こえた瞬間、涙が出てきました。「あぁ、本当にお母さんは死んでしまったんだ」と……。祖母から聞いた話ですが、母は亡くなる前、「○○(弟の名前)が高校卒業するぐらいまでは生きたいな」と言っていたそうです。その話を聞いて、また涙がでました。
 今でもお母さんに会いたいです。会ってたくさん話したいです。学校のこと、部活のこと、音楽のこと、たくさんたくさん聞いて欲しいです。以前より成長した今の私なら、お母さんとたくさん語れる気がするよ。たまにお母さんの夢をみて泣いてしまうことはあるけど、私は大丈夫です。次に会うときは、たくさんわたしの話聞いてね。おもしろい話たくさん用意しておくね。

今日のお話 −11月10日(木)−

   高杉晋作の名言・格言

  古くから天下のことを行う者は、
  大義を本分とし、
  決して他人に左右されることなく、
  断固として志を貫く。
  禍福や死生によって
  気持ちが揺れ動いたりするものではない。

ちょっといい話

   1995年1月16日に戻りたい【阪神・淡路大震災のあと】  

 当時21の私と倫子はその日ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。普段なら隣同士で寝るのに、この日はひとつの部屋で少し離れて寝た。17日の朝、大きな揺れがあった。すごい音と共に屋根などが崩れてきた。運よく私も倫子も無事だった。しかし、2人の間には大きな瓦礫の壁があった。私は窓の近い側だったので、自力で出ることができた。私は、倫子を助けるために近所の方と合わせて、瓦礫をどけようと必死だった。ある程度作業が進んで、これなら助かると思った。しかしそのとき周りの人が「隣の家から火の手が上がっている」と言った。皆、ピッチを上げて作業をした。しかしそのとき、隣の家が崩れてきた。私も周りも、その場から反射的に離れた。そう、見捨ててしまった。「神はどうしてこのようなことをするのか」、「見捨ててしまった……」、「どうして自分も死ななかったのか」こんな言葉が頭をずっとめぐっていた。
 後日、瓦礫の山からともこの骨だけが見つかった。たった2メートルの距離の差だった。たった2メートルの距離の差が「1番大切な人」を失う距離だった。16日に喧嘩したことが、素直でなかった私が、最も失ってはならない「大切な人」を失う結果にしたのだ。喧嘩をしていなければ、2人とも助かったかもしれない。そして、見捨てることも……。 私は1995年1月16日に戻りたい。そして君と一緒にいたい。阪神大震災経験をしていない人にとっては分からないことだと思う。ただ、これから1月17日に阪神大震災の話題が出たときに、今さら……、とは言ってほしくない。そして、今恋愛をしている人に。あなたは大切な人を手放さないで下さい。
 後悔しても、すべて戻ってこないのですから……。

今日のお話 −11月9日(水)−

   高杉晋作の名言・格言

  世間の人々は名誉や利益を追って走っている。

  そんな時代に利益や名誉を捨てる

  僕のようなものが他にいるだろうか。

  僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。

皆既月食・天王星食 11月8日(火)

 11月8日(火)は、18時ごろから22時ごろにかけて月食が起こります。月の全てが影に入り込む「皆既食」は19時16分から20時42分までの約1時間半、全国で観察することができます。
 また今回は月食の最中に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こります。皆既食中に惑星食が起こるのは非常に珍しく、日本ではなんと442年ぶりです。

 ぜひ442年ぶりの天体ショーの観察を!
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学校行事
3/16 5時間授業
3/20 小学校卒業式
3/21 春分の日

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