ともに生きる

ちょっといい話

   あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ  

 高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると……。当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。そして、俺は、お世辞にも優秀とはいえなかった。クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。 その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していった。母親の話では、主治医の見立てでは、「もって1〜2年だろう」ということだった。ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。親父は「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ」って言ってたよ。仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。俺といえば、ただボーっと机に向かって、勉強するフリだけはしていた。せめて、親父を安心させるためだったと思う。ただ、親父の「高校、大学はなんとかしてやる」の言葉が、重かった。
 「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか」と、高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、担任からも進路について厳しい話をされていた。言葉もない俺に、怒ったような泣いたような顔で親父は言った。「ないなら医者になれ。勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ」と……。上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれた。自分への情けなさとか、怒りとか、色々混じったものが込み上げた。その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。それから、猛烈に、がむしゃらに勉強した。
 高校3年の夏、親父は逝った。親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。親父のおかげで、高校卒業できた。そして、1年間の浪人生活を経て、地方の国立大学の医学部に合格した。俺は今、癌専門治療医として働いている。親父は、「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」と母に言ってたそうだ。まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。いつか、親父の癌を治せるように……。

今日のお話 ー1月26日(木)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  信用するのではなく、
  信頼するのだ。
  信頼とは裏付けも担保もなく
  相手を信じること。
  裏切られる可能性があっても
  相手を信じるのである。

イノシシへの正しい対処法

 犬山市役所の産業課の方より、「イノシシへの正しい対処法」を周知してほしいとの依頼がありました。目を通していただけるとありがたいです。

 https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/23200...

 イノシシの目撃情報や農作物への被害が例年以上に多いそうです。

今日のお話 ー1月25日(水)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  妻の機嫌が悪いときに、

  夫が責任を感じてはいけない。

  不機嫌でいるか上機嫌でいるかは、

  妻の課題。

  その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。

ちょっといい話

   メロンパン

 ふと気が付けば、もう随分と昔の話。学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の2つを買った。甘いものが好きなオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家で療養していた。衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンをちぎって食べさせた。「うん、美味いな」「だろ、だから思わず買ってきたんだ。もっと食べる?」「いや、いい」オヤジはメロンパンを2欠片しか食べてくれなかった。ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ2個のメロンパンを平らげた。
 それから数ヶ月。転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっとひと段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。そこで初めて知った事が2つ。オヤジはメロンパンが好きではなかったという事、あの時、オヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなかった事。オヤジは無理してメロンパンを食べてくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように……。メロンパンを見せた時の「おぉ」という声と笑顔。「食べる?」と聞いた時にも、躊躇せず「食べる」と答えてくれた。
 思い出して、涙が止まらなかった。一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。

今日のお話 ー1月24日(火)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  あなたが劣っているから
  劣等感があるのではない。
  どんなに優秀に見える人にも
  劣等感は存在する。
  目標がある限り、
  劣等感があるのは当然のことだ。

1年生 3時間目の授業 1月24日(火)

 1年生の3時間目の授業の様子です。

 1組は音楽、2組は美術、3組は国語、4組は数学、5組は英語の授業でした。
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今日のお話 ー1月23日(月)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  自分の不完全さを認め、

  受け入れなさい。

  相手の不完全さを認め、

  許しなさい。

ちょっといい話

   結婚と離婚 

 私と主人は、4年間の交際期間を経て結婚しました。とても優しい人で、結婚して暫くは、幸せで、毎日が充実していました。その後、妊娠が発覚し、お腹に子供がいるという事実は、今まで生きてきた人生の中で、最も幸せを与えてくれるものでした。
 ここまではよかったんですが、生んでから私の心に変化が生まれました。「この子を守らなければ」という強い母性本能のせいなのか、それとも余裕の無い日々のせいなのか、段々と主人に厳しく当たる様になってしまいました。「どうして私ばかり」「あなたがしっかりしてないからでしょ」と主人を責めたてます。いがみ合いが増え、そして遂に離婚。結局、私はまだ2歳の子を連れてシングルマザーになってしまいました。
 1人になってからの日々は、想像以上に大変なものでした。働かないといけないのに、すぐに保育園から電話がかかってくる毎日。将来の不安を抱えながら、必死に毎日を生きていました。
 そんなある日、別れた主人から連絡が入ります。「子どもに会いたい」と……。私は複雑な気持ちで、子供を連れて会いに行きました。帰り際に子どもの大好きな車のおもちゃと、1通の手紙をプレゼントされました。手紙は不器用な字でこう書かれていました。「君が泣けば僕も悲しい。君が笑えば僕も嬉しい。」言葉を紡ぐ事が苦手な主人からの、精一杯のメッセージでした。泣きました。涙が止まりませんでした。
 主人はこんな私を、まだ愛してくれていたのです。その後、話し合いをして、今はお互いを尊重しあって共に生きています。一度別れなければ気付けない事もあったでしょうし、これでよかったんだと思っています。今はとても幸せです。

今日のお話 ー1月20日(金)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  叱ると一時的には効果がある。

  しかし、本質的な解決にはならない。

  むしろ相手は活力を奪われ、

  ますます言うことを聞かなくなるだろう。

ちょっといい話

   生まれて来くる君へのメッセージ 

 君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。
 君は生まれる前から、ママのお腹にいるだけで僕達2人を幸せにしてくれたんだよ。
それからの十月十日は、毎日、君のことを考えていたんだ。最初の3ヶ月間はとても不安だった。 僕は誰にでも早期流産の割合が15%もあるなんて知らなかったんだ。
 君がお腹にいることで、おじいちゃんやおばあちゃんたちもとても幸せだった。僕らは顔を合わせるたびに、君の話をしたんだ。そして君の家族はみんな君が生まれることを1年近くも心の底から願っていた。僕たちは君に会えるのを本当に楽しみにしていた。
 君が生まれた瞬間は、もちろんみんな泣いた。うれしくて、うれしくて、生まれてきたことがうれしくて、僕もママも、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんまでが泣いたんだ。院長先生に「パパしっかり」と言われてやっとか細く2回だけ、「がんばれ」ってママに言ったんだよ。生んだのはママだ。ママはすごい。
 結局何が言いたいかっていうと 君は何かを成したりしなくても、何か努力しなくても意味がある存在だってことだ。君が生まれるだけで神に感謝して、涙を流した人を少なくとも僕は8人も知ってる。そして、君が生まれることを通じて僕自身も生まれて初めて自分は生きていていいんだと感じることができた。もし、君が自信をなくしてたり、不安を感じることがあったら、このお話を思い出してほしい。 君は生まれてきただけで本当に価値がある存在なんだ。
 本当にうまれてきてくれてありがとう。

今日のお話 ー1月19日(木)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  カッときて自分を見失い

  怒鳴ったのではない。

  相手を支配するために、

  怒りという感情を創り出し

  利用したのだ。

ちょっといい話

   母子手帳 

 今年の6月に母が亡くなった。火事だった。
 自分は別の町に住んでいたのだが、電話で聞いた時にはどうする事もできず、ただひたすら号泣しながら高速を運転して実家に戻った。火事でめちゃくちゃになった実家を見た時に、ああ本当に起こったんだ、と冷静に実感をした。
 告別式や葬式が終わって、焼け残った書類を家族みんなで調べていたとき、母親が残していた、僕たち兄弟5人の母子手帳が出てきた。僕の手帳には、産まれる前日まできっちり状態が書き込んであり、「ちょっと出血があったので心配。先生は『大丈夫だ』と言ってたけど……」と若かかった頃の母の直筆で、メモが残されていた。兄、2人の妹、弟の母子手帳もそれぞれいろいろな記録がしっかり書かれていた。母は、僕ら1人1人に分け隔てなく愛情を注いでくれていた。「母の人生は幸せだったのかな?」とよく思う。母子手帳は、兄弟1人1人の手に、形見として受け取った。みんなそれぞれに心に染みるものがあったと思う。
 僕は、今は小さな子どもがいる。母がしてくれたように、この子にたくさんの愛情を注いで、立派な父親になりたい。それが、母に対する、恩返しになると思う。

今日のお話 ー1月18日(水)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

 他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。

 自分は世の中に貢献しているという

 自己満足で十分である。

ちょっといい話

  田舎の母ちゃん

 田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、笑顔を絶やさなかった母さん。肝臓癌になって入院してから、祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、子どもの様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿は、とても見ていられなくて見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。まったく年甲斐も無く……。
 「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」と俺が言うと、「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したりして心配掛けたのに……。「本当かよ」と思ったよ。
 そうそう、そっちで見てると思うけど、病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。俺が親になったんだよ。娘は、母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。親になり我慢しなきゃならない事もあるけど、母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。

今日のお話 ー1月16日(月)ー

   アルフレッド・アドラーの名言・格言

  叱られたり、褒められたりして育った人は、

  叱られたり、褒められたりしないと行動しなくなる。

  そして、

  評価してくれない相手を、敵だと思うようになるのだ。

2年生CUE学年発表並びに下校時について

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本日、2年生の総合学習「職業パンフレット」の学年発表がありました。代表に選ばれた生徒は、緊張した表情でしたが、堂々と自ら調べた学習内容を発表することができました。

その発表後、学年生徒指導担当より、下校に関する話を聞きました。

学校から下校する際、一度家に帰らずに出かけるという生徒の姿があるようです。通学路を守って安全に一度家へ下校するようにしてください。また、各学年の生徒指導担当からもそれぞれの学年に話があると思います。ご家庭でも一度話題にしていただけるとありがたいです。

ちょっといい話

   パパになったたけしへ

 俺の母親は俺が12歳の時に死んだ。ただの風邪で入院してから、1週間後に死んだ。
親父は俺の20歳の誕生日の1ヶ月後に死んだ。俺の20歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。中を読むとお袋からの手紙だった。
 『パパになったたけしへ』
 内容は、俺が生まれた時のことから中学の入学した頃までのことが書いてあった。生まれた子が俺でよかったって。短い間だったけど楽しかったって。感謝してるって。でも、ゴメンって。だから、あなたの子どもには、あなたと同じ思いはさせないで頂戴って。
 泣きながら読んでる俺に親父が謝った。「すまんな」って。でも何を謝ることがあるのか。お袋が死んでから親父は忙しい中、俺のために働いてくれた。遊びにも連れてってくれた。反抗期の息子に何を言われても黙ってた。俺は知ってた。お袋が死んだ直後、親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。あれほど好きだったゴルフをやめたこと。いつの間にかタバコもやめてたな。
 こっちこそゴメン。ダメな息子でゴメン。俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。
 父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。

今日のお話 ー1月13日(金)ー

   東井義雄の名言・格言(4編)

□ ほんものはつづく。つづけるとほんものになる。

□ 失敗は私に、私の一番いけないところを
               教えにきてくれた大切なお使い。

□ 悲しいこと、苦しいことを
     泣き言の種にするのではなく、自分を磨くことに役立てる。

□ 天に向かってブツブツ言うな。雨の日には雨の日の生き方がある。

ちょっといい話

   それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで

 俺は親父が好きじゃなかった。お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。
 親父は、俺が18のとき死んだ。心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。その時は、涙は出なかった。ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
 俺が21のとき、「いい加減親父の部屋を片付けよう」ってなって、家族で片付けていた。俺はワインを見つけた。俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。お袋は言った。「お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで」。何故か涙が出てきた。
 俺は親父の墓前でそれを飲んだ。
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学校行事
3/16 5時間授業
3/20 小学校卒業式
3/21 春分の日

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2年生学年通信

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