教え子に気づかされる
先週末に30年ほど前の教え子のクラス会に呼んでいただきました。
顔を見てすぐに誰だかわかる方もいれば、話をしていてもなかなか思い出せない方もいます。顔はよく覚えていても名前が出てこないという方もたくさんいます。みんな同じように接していたつもりでも、記憶の残り方はいろいろであることを痛感しました。 教え子たちが立派に社会で活躍している報告を聞くと教師であったことの幸せを感じます。 こういう場に参加して驚くことは、本人が忘れているような言動でも教え子たちがとてもよく覚えていることです。彼らは楽しかった思い出として語ってくれますが、私の何気ない一言で傷ついていたこともあったのではないかと思います。若気の至りで感情的になってとんでもないことを口走っていたのではないかと思うと汗顔の至りです。当時の私に今会ったとすれば、相当厳しく説教することでしょう。 教え子の立派な姿を見て、楽しかった思い出を語ってもらうと、自分が彼らを育てたような錯覚に陥ります。でも、努力したのは彼らで、私たち教師はその成長をほんの少し助けた程度、もしくは反面教師でしかなかったと思います。だからこそ、教師は、驕らず、子どもたちにとって少しでもプラスになる存在でいるための努力をし続けることが求められるのではないでしょうか。いくつになっても、教え子に気づかされ、学ばせていただくばかりです。 涙が止まらなかった本私がこの本についていくら述べても、その思いはとても伝わるものではありません。一人でも多くの方に読んでいただけることを願います。 「授業と学び研究所(所長 玉置崇)」「いのちをバトンタッチする会(代表 鈴木中人)」の主催で、「いのちの授業」づくり実践セミナーが開かれます。鈴木中人さんと娘さんの実話をもとにした道徳の模擬授業とパネルディスカッションを通じて道徳授業の実践力を高めるものです。子どもたちに「いのち」について深く考えさせたい、「いのち」の大切さに気づかせたいとお思いの先生方に強く参加をお勧めします。 |
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