簡単な指導案から多くのことを学ぶ
幾何ツールを利用した授業の指導案がメーリングリストで流れました。指導案といっても課題と子どもとの簡単なやり取りを想定しただけの2時間分で2枚のものですが、とても興味を引きました。
三角形の内部に3点をとり、その3点を結んだ三角形の3辺の長さの和が最小となる三角形を求める2時間完了の問題です。 授業の流れは、1点を固定して考える。次のその1点を動かして求める三角形を見つけるというものです。 最初に、「幾何ツールを使わずにわかるかな」と問いかける場面があります。ここがとてもいい。いきなり幾何ツールを使うのではなく、図を描いてみたり、ちょっと考えたりすることで自分の中の疑問、何がわかると糸口が見つかりそうといった視点が明確になります。そこで、幾何ツールを使うことで漫然と点を動かすのではなく、意図を持った活動に変わります。 指導案には、子どもたちがどんなようすになるだろうか。どんなつぶやきが出るだろうか。そんな思いが書かれています。 生徒 何となく対称図形を利用しようとすると思うが、四苦八苦するはず。 この時、どんな話し合いを班でするかが楽しみ。 生徒 AI、AJを結んでみたよ 教師 なんで? 生徒 図形の性質を説明するためには、今まで学習した図形を図の中に見つけ出して使うとよかったから。 (3年生のこの時期にこんなこと言ってくれたら、泣けてくる) グループ活動に返す 生徒 いっつも二等辺三角形だけど、相似だよ。 生徒 AE=AIじゃない 生徒 あ!!! (なんて話し合いがあったりしたら 3人寄れば文殊の知恵! iPadで図が動くからの気づきがつながっていけばおもしろい!) 課題のおもしろさにひかれて、私も取り組んでみました。 あえて幾何ツールを使わずにやってみます。当然解は見つかるのですが、別のことが気になりだします。私の考えは正しいと思うのですが、すぐに証明が見えません。フリーハンドの作図では、このことが正しいか今一つ自信が持てません。そこで、私も幾何ツールを利用しました。実際にいろいろと図を動かして自分の考えを確かめることで、思考が深まります。幾何ツールだけで証明が完了するわけではありませんが、具体と抽象を行き来することで思考は深まるはずです。幾何ツールというICTのよさと可能性をあらためて実感しました。 ICTを思考のツールとするためにはどのような課題を設定し、どのような活動を子どもたちにさせるのか。子どもたちの思考と幾何ツールをつなぐ言葉をどうかけるのか。こういったことをしっかり考える必要があります。教材研究だけでなく子どもとのかかわり方などの授業技術の裏付けも大切です。 その点、指導案はとてもシンプルですが、子どもたちにどうなってほしいかという教師の思いが明確です。細かいことは書いていません。方向性だけが示されています。それは、実際の子どもたちのようすによって、自在に対応しようという意志の表れだと感じました。その裏には、実際には使われないかもしれないたくさんの手立てや切り返しの言葉が準備されていることと思います。子どもたちがどのような活動や思考をするかはわかりませんが、きっとそのことを活かした授業になると思います。 授業者とは何年もお付き合いがありますが、この数年の進歩は素晴らしいものがあります。簡単な指導案だからこそ、そのことがよくわかります。授業者が目指すもの、子どもに対する思い。ふだんの授業までが見えてくるものでした。シンプルだからこそ伝わるものがあるのです。久々に指導案から勉強させていただきました。 自分の問題と自覚することから成長が始まる
学校で授業アドバイスをさせていただくようになって10年以上になります。その間学んだことの一つが、指摘すれば直る、教えればできるようになる訳ではないということです。お恥ずかしい話ですが、最初のうちはこのことをちゃんと意識できていなかったように思います。指摘しても直らないのは本人の資質の問題だと思っていたのです。しかし、授業に置き換えて考えてみれば、「ちゃんと説明しているのにできないのは子どもが悪い」と言っているようなものです。どんなによい指摘やアドバイスでも、相手が聞こう、わかろうとしなければ意味をなしません。
この当り前のことに気づいてから、短い時間で話を聞いてもらえる関係をどうつくるか意識するようになりました。一番効果的だと思ったのが「笑顔」でした。教師時代には子どもに対しては笑顔を大切にしていましたが、大人に対しては特に意識はしていませんでした。笑顔で、相手の言葉を受け止める。よいところを見つけて認める、ほめる。このことを大切にするようにしてから、よい方向に変わってくれる先生方が増えたように思います。私のストレートな指摘も受け止めてくれるようになりました。 また、アドバイスの視点も変わってきました。まず、子どもと教師の人間関係をつくることからアドバイスするようにしたのです。どんなに教材研究をしてよい発問を考えても、子どもが先生の話を聞こうとしなければ話になりません。特に、若い先生にはこのことを伝えなければ、おもしろいネタ集めに走るなど、違った方向にエネルギーを使ってしまうことになってしまいます。もちろんネタも大切です。教材研究なしではよい授業はできません。しかし、まず人間関係をつくれなければ、他の努力も意味をなさないのです。 伝えることは、私自身がアドバイスをするときに意識していることと同じです。「笑顔」で「うなずき」、「なるほど」と「認め」、できないことを叱るのではなく、「できたことをほめる」。このことができるようになれば、教材研究したことがどんどん活きてきます。ここからが、教師としての力量アップの本番です。うれしいことにたくさんの先生がこの場所に到達してくれました。 先生方が私のアドバイスを聞いてくれなかったことは、私の伝え方が悪いという無言の抗議だったのです。そのおかけで私も成長することができました。教師と子どもの関係も同じです。子どもが話を聞かない、授業に参加しないのは、教師への無言のメッセージです。それを自分の問題だと自覚することから教師の成長が始まるのです。 「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の準備で当事者意識を考える
「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」まで、あと1週間を切りました(申込み受付は終了しています)。おかげさまで定員を上回る申込みをいただいて、うれしく思うと同時にこれだけの皆様の期待を裏切るわけにはいかないというプレッシャーも高まっています。そんな中、先週末は最終確認や補足の連絡がたくさんありました。
こういった確認や連絡はほとんどメーリングリストだけでおこなわれています。忙しいメンバーなので直接会って話し合う時間を取ることはとても難しいため、この方法はとても有効です。当日皆様にお配りする資料は60ページもあるとても内容の濃いものですが、この冊子の最終チェックの依頼がメーリングリストに流れました。どうでしょう、「チェックしてください」という依頼があった時、自分の原稿をチェックして、あとはざっと全体を見て気になることがないかを見るのがせいぜいではないでしょうか。メンバーがたくさんいるのですから、自分の仕事(領分だけ)をすればいいという感覚になるのが普通です。また、原稿を書いていない者は直接顔を合わせての会議でもないのですから、見もしないかもしれません。「みんなの仕事≠自分の仕事」になるのです。しかし、愛される学校づくり研究会のメンバーには自分の原稿以外も細かいところまで読んで指摘してくださる方がいます。今回は原稿を書いていない方もしっかりと読み込んでチェックをしてくれます。これは自分の仕事だという、当事者意識があるのです。とても大切なことです。 これは学校でも同じことです。うまく回っている学校ではこの当事者意識が教員全体に必ずあるのです。それぞれが自分の役割をきちんとこなす。組織としてそれは大事なことです。しかし、それだけでは足りないのです。行事でも自分の係だけこなせばいいという人ばかりで、違った視点からのフォローがなければ思わぬところでほころびが出てきます。 では、当事者意識のあるなしは個人の資質の問題なのでしょうか。もちろんその要素は否定しません。しかし、それだけではないと思います。今回の冊子の例であれば、フォーラムの成功が研究会のメンバー個人にとってのよろこび、達成感に直結しているからです。たとえば、パネルディスカッションの事前検討(「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の事前検討会参照)では、登壇しないメンバーも聴衆役を通じて意見を述べる機会があります。自分たちがフォーラムづくりにかかわっているという意識を持っていただけます。参加された方に満足してもらうことが自分たちの満足につながる、その手ごたえを自分のものとして感じられる、そういう仕組みが会の中にあるのです。 これを学校に置き換えてみましょう。たとえば行事であれば、成功することが教員一人ひとりの満足・達成感にどうつながるかが問題なのです。それは、行事を学級経営にどう活かすか、成功することが学級にどのようなよい変化をもたらすのか、といったことが明確になっていると言ってもよいでしょう。このことを具体的に伝え合う、共有化していることが教員一人ひとりの当事者意識につながるのだと思います。 フォーラムに向けて研究会のメーリングリストに様々な情報が流れています。みんなで少しでもよいフォーラムにしようと頑張っています。当日壇上に立つ以外のメンバーもフォーラムづくりに積極的に参加しています。スタッフとしてお手伝いいただいている企業の方も損得抜きで取り組んでいただいています。当事者意識のある多くの人の力でつくられているフォーラムです。当日の参加者にとって満足いただけるものになると信じています。 学校の応援団を実感する
先週末、私が学校評議員を務めている中学校のおやじの会の新年会(?)に呼んでいただけました。私以外に前校長、現教頭も参加されていました。
「おやじの会」の方々から何か要求される訳ではありません。純粋に親睦を深め、子どもたち、学校、地域への思いを気軽に聞き合う、話し合う、そんな時間を過ごさせていただきました。 それぞれ立場は違いますが、自分たちがかかわるこの地域をよくしたいという思いは共通です。学校から見れば、正に応援団なのです。前校長が初めて赴任した時の思い出話、現教頭が赴任した年の行事のこと、懐かしく、楽しく聞かせてもらいました。 学校の応援団は、学校の言うことを聞く人たちではありません。学校をよくするために、時には厳しい意見も伝えます。自分たちの思いと異なった動きを学校がすれば、反対もするでしょう。どちらの意見が正しいということではありません。思いがあるからこそ時にはぶつかるのです。大切なのは、互いに相手の言葉を聞く耳をきちんと持てるかどうかです。聞く耳を持つ学校だから、地域だからこそ、ぶつかりあっても互いに理解し、協力しあえるのです。この地域とかかわりを持たせていただいて、5年が終わろうとしています。この地域だからできる取り組みをたくさん見せていただきました。私はこの地域の人間ではありませんが、この地域のためにできることをお手伝いしたい。そう思わせてくれる地域です。 気の置けない方々とのお酒はとても美味しく、いつも以上に飲みすぎてかなり好き勝手なことをしゃべっていたように思います。酔っぱらっての帰り道、外はすっかり冷え込んでいましたが、体の中はとても温かいもので満たされていました。楽しい時間をありがとうございました。 和田裕枝先生から多くを学び、刺激を受ける(長文)
本年度最後の教師力アップセミナーは豊田市立竹村小学校長の和田裕枝先生の模擬授業でした。
和田先生と知り合って10年以上なります。たくさんの授業を見てきましたが、私が最も影響受けた先生のおひとりです。当時、和田先生の授業を先生方に見ていただく時、「誰でもやっていることでしょう?」と特に意識することなく自然におこなわれていることが多く、そのため本人も敢えてそのことに触れないので、第三者の解説がなければ素晴らしい授業技術が見過ごされることが多かったのを覚えています。 今回は、学級の1年間の基礎をつくる「4月の2週間」を教師がどのように子どもと接すればいいかをテーマに、解説も自身でおこないながら模擬授業していただきました。ふだん和田先生が自校でおこなっている研修の形ということで、竹村小学校の中堅の志賀先生に授業のポイントをリアルタイムで正面に準備したホワイトボードにメモしていただきました。メモをする理由は、先生方のメモが意外とポイントを外していることが多いからだということです。参加者に「自分のメモとホワイトボードのメモを比べて、自分と違うことが書いてあったら、ポイントを見誤っているかもしれません」と軽いプレッシャーをかけてからのスタートでした。 朝の会、音楽、国語、算数と休みなしの模擬授業でした。私が刺激を受けたのは授業のうまさもそうですが、以前と比べて一つひとつの授業技術を意識して意図が明確に伝わるように使っていることです。無意識で自然であることも素晴らしいことですが、意識することでより的確に使えるようになります。授業の輪郭がよりはっきりしたと言ってもよいかもしれません。授業技術を伝えることを意識された結果だと思います。立場が変わっていく中、伝える技術もどんどん磨いていかれたのです。 私も志賀先生のメモを意識しながらメモをしてみました。志賀先生のメモは授業技術のポイントを的確に押さえています。比較しながらメモをとるだけでも大いに勉強になると思います。 少し、志賀先生のメモを紹介します。(矢印等の表現は同じではありません。実際は色を変えたりの工夫がありもっと見やすいものです) 模擬授業を見ていない方にはわかりにくいかもしれません。お許しください。しばらくすると詳細な記録が教師力アップセミナーのホームページに公開されると思いますのでぜひそれをご覧になってください。 *********************************************** 学びの種をまく2週間→学習規律を身につけさせる 子どもの発言を聞く時 周辺視・・・範囲の広さ 意見を聞きながら他の子を よく見る よく聞く(どういう反応、うなずき) → 歩く ほめる やる気 <朝の会>(子どもと一緒に立って) あいさつ 気をつけの仕方を(上手と)ほめる 健康観察 ・いい姿勢でいますね ・途中で痛くなったら言うんだよ 姿勢のチェック・・・まわりながら 教室1周 <音楽> えらいね←(1人ほめると)まねをする ほめられたい まねをすることが大切 リコーダー練習・・・1人1人 コメント 指の持ち方 上手に 息のはき方 聞いているね うでのおき方 姿勢が 音がいいね まっていてあげる うまいうまい もう少しで ←自分はどういってもらえるか 待つ 1人1人でも学び 一斉 男の子 ちょっとばらばら 女の子 楽しみながら 朝ごはん食べた人 おしかった人 おかあさん 美人な人 お父さん かっこいい人 先生が美人だと思う人 今日の給食 うれしい時と悲しい時 10回以上 吹き方の違い 何回もふく 子どもはきたえる ・・・ *********************************************** これでも、ほんの一部です。授業技術のポイントが伝わってきます。 では、参考までに私のメモと少し比較してみます。どちらがよいということではありません。 *********************************************** 学びのタネ⇔ほめるタネ⇔やる気のタネ →大切なこと(よい行為)はくりかえす⇔たくさん たくさん (朝の会から)教室は1周する いいですね うまい →まねをする 何をほめる→最初+まねする ↑ 具体的に 受けの人(注 指名されていない、注目されていない子ども)をほめる ↓ 他者が集中する 学ぶ ↓ 子どもの意欲をうまく上げる ↑ 反応をつくる⇔子どもの外化→常に評価 ↓ 表現←具体的 子どもの例 声を出さずに評価する(注 うなずく、笑顔・・・) ↓ 何を評価するか明確⇔意図的に広げる場面をつくる 教師の目指す姿、価値を学級全体に広げる ⇔ほめるという武器を使ってその気にさせる 定着させる *********************************************** ほぼ、同じ部分に対応するところです。メモをそのまま(注は除く)なので、言葉が足りないところがたくさんありますが、志賀先生との比較のためにあえて補足はしません。 基本的な授業技術を学ぶ、理解するという視点では、志賀先生のメモが優れていることがよくわかると思います。 では、私のメモはどうなのでしょうか。これはできるだけ一般化して、再現性を求めるためのメモなのです。 教師の目指す姿、価値を学級全体に広げる ⇔ほめるという武器を使ってその気にさせる 定着させる これが、和田先生の模擬授業の前半部分のポイントです。このポイント意識すれば、和田先生と違ったアプローチでも学級規律は作れるのです。逆にこの視点で授業を見ることで、よいところ、課題が自然に見つかります。何をするという視点も大切ですが、どうチェックする、どう課題を解決するという視点も大切なのです。こういうメタなものを見つけるためのプロセスとしてメモをしています。 一度このような視点を身につけると、授業を見ることからより多くのものを学ぶことができます。 たとえば(視点として私の中に既に明確なので)今回はメモしていませんが、「芸術は自分の感情、表現したいことをその芸術(技術、学習用語)を使って表現すること、その逆に芸術から何を感じるかを自分の言葉で表現すること、この2つを行き来することが大切」という視点で志賀先生のメモにある「うれしい時と悲しい時 吹き方の違い」の場面を見れば、その具体的な方法として、メモしなくても「いろいろな感情を指示して表現を練習させる」という授業技術が自然に整理されて自分のものとなっていくのです。 参考までに後半部分のポイントとなるメモを少し書いておきます。 *********************************************** 底辺はあっている→他者につなぐ 否定しない ↓ 部分肯定 自信を持ってやらせる できない子にも活動量を保証する→言葉より行動 ↑ 子どもが他の子どもにほめられる 認められる ⇔人間関係をつくる 何が評価されるかメタを示す →数学的価値 ↑ ないけど→作る 自分のいったこと⇔その結果(注 友だちが理解する 評価する 足す・・・)を見る ↓ かかわりあう つながる *********************************************** 今回の模擬授業はこのようなメモが10枚になりました。具体的なことをほとんど書かずにです。いかに和田先生の模擬授業と解説が内容のあるものだったかよくわかります。 若手からベテランまで学ぶことの多い模擬授業でした。 あまりに見事な模擬授業ですが、今回のテーマの候補であった「動く教師」の姿に、参加された先生方はこんなに動き回って大変だと思われたのではないかと思います。しかし、これはあくまでも「4月の2週間」の話です。子どもが育てば子どもたち自身の力でどんどん授業は進んでいきます。どれだけ大変でも、ここで手を抜いてはいけないのです。 和田先生の授業は「聞く、つなぐ、戻す」という基礎基本を徹底した授業だといってもいいと思います。それを極めるだけであのような素晴らしい授業ができるのです。 「学び合う学び」ということでグループ活動を積極的に取り入れた市の前教育長からこのことについて話をうかがえました。 「聞く、つなぐ、戻す」は学び合いでよく言われる言葉なので、学び合いの技術、方法と思っている人が多い。でも、これは昔からずっと言われ続けていることだ。グループを使うということは、それができない先生でも子ども同士で自然にそれができるからよいのだ。 聞き様によってはずいぶん先生方に対して厳しいことを言っているようですが、私もその通りだと思います。この市のようにグループ活動を重視している学校でもそうでない学校でも、まず基本となる「聞く、つなぐ、戻す」ができてこそ、授業が改善されると思います。形だけのグループ活動になっている学校の先生方にこそ見ていただきたい模擬授業だったと思います。 このような研修を自校で日常的に受けることのできる竹村小学校の先生方を本当にうらやましく思います。 今回の志賀先生の役割は研修ごとに中堅が毎回交替でされるそうです。中堅にとってもとてもよい学びにつながります。よく考えられた方法です。 和田先生の模擬授業からたくさんの授業技術を学ばせていただいただけでなく、研修の持ち方についても大いに刺激を受けることができました。 教師力アップセミナーは10年間小牧中学校を会場としてお借りしましたが、来年度からは大口町立大口中学校に会場を移します。小牧中学校には本当にお世話になりました。ありとうございました。また、小牧中学校での最後のセミナーを飾るにふさわしい素晴らしいセミナーになったことを和田先生と志賀先生に感謝します。 研修を意味のあるものにするためのヒント
今年度もたくさんの学校を訪問し、授業アドバイス、講演などをさせていただきました。私の訪問をうまくきっかけにしていただいている学校に共通のことが何点かあります。そのことについて少し話をさせていただきます。
・個別のアドバイスを、研修の担当者も同席して聞く これは、なかなか微妙な問題もあります。個人の授業をプライベートな物と考えると同席しづらいところもあります。しかし、同席して、時には私のアドバイスに、指導する立場、指導される立場の両面からフォローをしてくださる方もあります。また、逆にじゃまにならないように目につかないところで、しっかりメモだけとってくださる方もあります。 いずれにしても、一人ひとりへのアドバイスを把握して、後からしっかりフォローしてくださるのだろうと想像がつきます。また、自分がアドバイスする時の参考にもしているといっていただけることもあります。 同席できるということはその学校の人間関係がよいということの表れでもあります。逆に同席して、授業者の立場で一緒に聞いて考える姿勢を見せることで人間関係をつくっていくという考え方もあります。そういう方は、私の指摘に対して「私もそういうことがあります」「私も勉強になる」といった、授業者の側に立った言葉を合いの手で入れられます。そして、最後に「ありがとう」という気持ちを必ず授業者に伝えているように思います。 ・授業を見てフォローをする 個別の授業アドバイスもそうですが、全体での講演をした後でも、先生方の授業を積極的見てくださる方がいます。これを機に授業が変化していたり、アドバイスや講演の内容を実行している先生方にたいして、そのことをほめてやる気を引き出しているのです。まず変化した、実行したことを評価することはとても大切です。結果が出るまでには時間がかかります。変化することは不安なことです。そこで、変化したことをほめれば、頑張って続けることができるのです。 もちろん、子どもの姿が具体的によい方向に変わるなどの成果が出ていれば、そのことを指摘することで大きな達成感を与えることができます。たとえ、自分で手ごたえを感じていても第三者にほめられるととてもうれしいものなのです。 ・情報を整理、発信して共有化する 講演や個別のアドバイスの内容を、少し時間をおいて整理して配っている方がいます。一度は聞いていることなのだから、あらためて伝えることもないと考える方もいるでしょうが、違う視点でまとめたものを見ることは内容を理解したり自分のものにするのには大きな効果があります。単に議事録のような整理ではなく、自分の視点で、時には自分の考えも付け足し、自分の言葉で再構成される方が多いのもうなずけます。自分の言葉で書かれていることなので、先生方からその内容に関して質問されても、明確に応えることができます。こうした形で発信することで、学校の中に借り物ではない基準ができてくるのです。 また、個別のアドバイスでも、他の先生方にも参考になると思うことは全体に発信している方がいます。このとき、あえてその授業者の名前を書かれる方もいます。○○先生から「学んだ」という言葉を使って意図的に評価し他の先生とつないだり、「学校全体の課題」と言うことで授業者が個人で抱え込まないようにしているのです。 ・次につながる研修内容にする 授業研究であれば、その日に出た課題を次の授業研究の授業者に意識して実施してもらう。模擬授業をして、それを受けた授業を次の授業研究とする。このように、研修と研修に連続性を持たせる学校が最近は多くなっています。一過性の研修では、単発的に実施して、毎回が何の関係も持たないようなものでは、積み上がっていきません。1回の研修でそんなに大きな効果は期待出ません。地道に課題を克服していく。やったことの効果を実感していく。こういう積み重ねが大切です。 個別アドバイスも1人1回やって終わりではなく、年に何回か、または翌年にもう1度同じ人に対してアドバイスする機会をつくってくださる学校もあります。単発ではないので、進歩をほめたり、ずれを修正することで次により多くの進歩が期待できます。授業のベースがしっかりできてくれば、次の課題を明確にして提示できます。加速度的に進化するのです。 ・研修を教員の人間関係づくりに活かす 若手同士、若手とベテランなどのチームで授業づくりをしている学校があります。授業について互いに相談したり、アドバイスをもらえる関係をつくることで、教員の人間関係を作っているのです。こういう学校では、私のアドバイスも先生同士をつなぐ要素を意図的に増やしています。たまにしか来ないアドバイザーより身近な同僚がいつでもアドバイスしてくれることの方が先生方の力量アップによりつながります。 また、人間関係ができてくれば、互いの授業へのアドバイスをグループで一緒に聞くこともできるようになります。互いの授業から学び合う関係ができれば、これはとても大きな力になります。 以前と比べて、現職教育、研修といったことが重視されているように感じます。それを活かすためにさまざまな工夫がされています。ここで述べたことはそのほんの一部ですが、研修をより意味のあるものにするヒントになればと思います。 研修のその後が大切
先日授業アドバイスをした学校(研修担当者の目に見えない努力を感じる参照)の研修担当の方から、メールが届きました。研修のまとめとその後の報告です。
毎回研修の後には「子どもが輝くための授業力アップ作戦」と題したまとめが配られています。 今回は、 まとめ 算数授業のポイントを押さえて授業を進めよう − 教科書をよく読むことが最善の策 − その1 子どもが活躍できるように仕組むこと その2 「考える」場をつくること その3 「算数をつくる」というスタンスでいること という整理をされています。 その説明を1ページ目に文章で、具体的な授業の進め方を2ページ目にイラスト入りの図解でわかりやすく示しています。 一部を紹介すると、 その2 「考える」場をつくること 「データからグラフや表をつくる」「計算する」など技能を高めることは大切なことです。しかし、それに終始して、「グラフや表を基に考える」「計算の仕方を考える」といった考える場が少なくなっていませんか。教科書の問題に「考えましょう」がある時に、「考える」場をつくると算数を楽しむ子どもが増えてきます。そうなると授業も楽しくなります。 囲みで 「活動あって、思考なし」小学校の授業でよくあることです。作業だけでなく、作業の前後に、「考える」場をつくりましょう。 図解では、 【作業】1辺5cmの立方体の展開図を書きましょう。 作業前 「どのように展開図をかけばよかったでしょうか。」 「辺に沿って切り開くとよかったよ。」 「切り開き方を変えると違う展開図になりそうだよ。」 作業後 「展開図を書いて気付いたことを発表しましょう。」 「11種類の展開図ができました。」 「1種類の展開図から、他の展開図もできるよ」 「1つの正方形を一つの頂点を中心に回すんだよ。」 と子どもとのやり取りをわかりやすく例示しています。 また、個別に私がおこなった指導もコンパクトにまとめて、各先生に配っています。 その後の報告では、模擬授業をおこなった先生が、先日その場面を実際に授業したことが書かれていました。 とても落ち着いて話し合いを進めていくことができ、笑顔もあり、誤答も受け止めることができていたそうです。 模擬授業がうまく生きたようです。 また、私が授業アドバイスをした先生が進んで模擬授業に挑戦してくださったようです。やってみた結果「曖昧であったところが、明確になった」ということです。 実践の中で多くの子どもが発言し、教師が笑顔で受け止める授業が展開されているという報告もありました。 このようなメールをいただくこと自体もうれしいのですが、研修を一過性のものにせず継続的な授業改善につなげるために働きかけていただいていることが何よりうれしいことです。 全体の授業力がアップしていく学校では、必ずこのような担当者の働きかけがあります。私のようなものが年に数回訪問したぐらいで学校がよくなることは期待できません。そのことをきっかけにして、いかに日常的な授業改善の動きにつなげるかが勝負なのです。この学校では、間違いなく先生方の授業力が向上していくことと思います。この学校にかかわることで、私自身も多くのことを学ぶことができています。このような出会いに心から感謝しています。 有田和正先生から元気をいただく
教師力アップセミナーで授業名人有田和正先生からたくさんのことを学ばせていただきました。
今回は、防災を意識した社会科のお話を聞かせていただきました。元の襲来に備えた防塁、防人などの歴史から備えるということを考える模擬授業でした。そのこととつなげて、東日本大震災での釜石の奇跡とその奇跡を起こした釜石市の防災教育について語られました。教育の持つ力と素晴らしさを「奇跡を起こせるのは教育だけだ」という言葉に込め、何度も口にされました。いつも以上に熱いメッセージから、私だけでなく会場の多くの方が元気をいただいたことと思います。 教師が何でも教えるのではなく子どもが調べることが大切だと強調され、自身もそのことを裏付けるように、必ず現地まで出向いて調べたことをもとに授業をつくられます。今年も新しいお話をたくさん聞くことができました。いくつになっても、追究し続ける有田先生の姿勢に、このような年の重ね方が自分にできるだろうかと問いかけた一日でした。 講演前に時間をいただいて、愛される学校づくり研究会の代表が、「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」について、当日の諸連絡をおこないました。有田先生の「バスのうんてんしゅ」の展開をとりいれたコンビニの授業を見ていただくことをお話すると、「それはおもしろそうだ」とおっしゃっていただけました。当日有田先生のセッションを担当する私も、どんなお話が聞けるかとても楽しみです。少しでも多くおもしろい話を引き出せるように、精一杯頑張りたいと思います。 昨年末は一時体調を崩されていたようですが、例年以上に熱の入った講演でした。有田先生から多くの元気をいただきました。本当にありがとうございました。 教師の人間関係をよくする
教師の人間関係がよい、悪いという言葉を聞くことがよくあります。授業研究を通じて互いに学び合おうとするときに問題となることが多いようです。人間関係が悪いので、活発な議論にならない、学び合おうとしない。こういう形で耳にします。人間関係が悪いのでこの学校はよくならない、指導はしたくないとおっしゃるアドバイザーもいらっしゃいます。私も、先生方が互いに学び合うためには、人間関係が大きな要素であることは否定しません。そこに問題があるのなら、何とかしたいとも思います。私なりに先生方の人間関係をよくするために気をつけていることをまとめてみます。
人間関係が問題点として語られる学校にはいくつかの特徴があるように思います。 学級経営や授業がうまくいかないときに、担任の問題として指摘する。 特定の人同士、小グループでは話をするが、全体としてはあまり会話しない。 授業を見られることに抵抗感が強い。 授業検討会などで、あまり意見が出ない。 一部のベテランが意見を言うと、他の先生の意見が出にくくなる。 人間関係が悪いからこうなるのか、こういう傾向があるから人間関係が悪くなるかはわかりませんが、ここにヒントがあるような気がします。 ・困っている先生を助ける雰囲気をつくる たしかにこの先生のやり方ではうまくいかないと思うことがあります。しかし、多くの場合本人も気づいて苦しんでいます。あまり責めても追い詰めるだけです。もちろん個別にアドバイスも必要ですが、まわりの方に助けてもらえるようにします。同じ学年の先生や、その学級とかかわる先生方に「大変でしょうが、先生ならできると思うので」と子どもへの指導を通じて助けてくれるように頼みます。助けてもらった先生がまわりの助けに気づくのを待って、「みんなが助けてくれてよかったですね」とコメントし、「ありがとう」を伝えるようにアドバイスします。もちろん私も助けてくれた先生方に、「感謝されていましたよ。ありがとうございました」と個別に伝えます。 また。研究授業の担当になったときなどは、有志による模擬授業や検討会への参加をまわりの先生にお願いします。事前のアドバイスを受けて授業がよくなると、かかわった先生がその先生の進歩認めるとともに自己有用感を持ちます。 助けあうことで自己有用感を持ち、互いにかかわることに前向きになっていきます。 ・ネガティブな言葉を封印する 授業検討会などでは、よかったこと、参考になったことを中心に話すルールにすることで、話し合いの雰囲気がよくなります。批判的なことばかり言われると他者とかかわるのが嫌になります。逆にほめられると相手に対してポジティブな気持ちになります。授業を見られるとほめられるということが常態化すると、見られることへの抵抗感も薄れます。 ・小グループで活動をさせる 検討会では、ベテランと若手を組み合わせるなどふだんあまり交流がない先生同士を小グループにして話し合わせることで、きっかけをつくります。ポジティブなことを中心に話し合うようにすることで、楽しいものになります。また、授業アドバイスを小グループでおこなうことも有効です。よい意見を大いにほめたうえで、感想を他の先生に聞くことで仲間からもほめられるようにします。自分がこの先生方に認められた感じることでよい関係になっていきます。 ・意図的につなげる ベテランや力のある先生のよいところを大いにほめ、「他の先生に教えてもらうように伝えますので、そのときはよろしくお願いします」と伝えます。若手に対しては、「○○先生はとても上手だから教えてもらったら。頼んでおいたからだいじょうぶだよ」と声をかけます。力のない先生に批判的な方でも自分に教えを乞う人に対しては寛容になります。助けてあげようという気持ちになっていきます。 これをやれば人間関係が必ずよくなるというわけではありません。しかし、昔のようにノミ(飲み)ニケーションに頼るわけにもいきませんし、ほっておいても人間関係はよくなりません。管理職やリーダーの方が、教師の人間関係をよくするために必要なことを意識してほしいと思います。 学校の役割を考える
学校教育の目的は何だろうと考え直すことがあります。
子どもたちが学校で勉強するのは何のため、誰のためなのか。先生方はこのことを明確に意識しているのでしょうか。少なくとも義務教育である小中学校では、「本人のため」だけではないことを明確にしてほしい気がします。どうも「社会のため」という視点が子どもたちからも先生からも抜け落ちているように思います。先生方はよりよい社会の担い手になるということはどういうことなのか、子どもたちに伝えているのでしょうか。 「この問題は試験(入試)に出るから覚えておきなさい」といった言葉が学習の動機づけに使われる場面に出会うことがありますが、何か違う気がします。確かに個人の自己実現の手段という側面が教育にあることは否定しません、しかしそれだけではないはずです。自分たちが学ぶことはよりよい社会の実現のためであるという意識と実感を持たせてほしいのです。 子どもたちにこのことを伝えるのは簡単だとは思いません。口で言えば伝わるわけではないでしょう。学校、教室という小さな社会で他者とかかわり合いながら学ぶことで少しずつわかってくることだと思います。そのためには、自分の存在が他者にとって価値あるものだと実感する場面を意図的につくることが大切だと思います。学習場面では、自分がわかればいいのではなく、友だちがわかるためにどうかかわるか、自分の意見や考えがどうまわりに認められるか。特別活動では、それぞれが役目を果たすことで何ができるのかといったことを子どもたちが意識するようにしてほしいのです。 学校は塾とは違います。子どもたちに自分たちがこれからの社会を担うのだ。そのために学んでいるのだということをしっかり伝え、一人ひとりに自己有用感を持って学校生活を送らせることで、よりよき社会の担い手に育てることも学校の大切な役割なのです。 大切にしているものが伝わる学校とは
どの学校も目標を持って日々の教育活動がおこなわれているはずです。ところが、何を大切にしているのかすぐに伝わってくる学校とそうでない学校があります。どの教室でも同じような場面が見られたり、同じものが掲示されたりしていて、ああこの学校はこんなことを大切にしているとよくわかる学校もあれば、一人ひとりの教師が何を大切にしているかはよく伝わるが、全体として何を大切にしているのかよくわからない学校もあります。学校として大切にしているものが伝わる学校は、組織として力をつけているということです。どの教室でも最低限のことが保障されているといってもいいでしょう。この違いはどこから来るのでしょうか。
大きな要素として、学校の目指す目標の具体的な姿とその実現のための手段が共有化されているかどうかということがあげられます。目指す姿や手段を明確にするアプローチは大きく2つあります。 先行事例がある場合は、そこから学ぶという方法があります。先進校を訪問して教えてもらう。実践者を講師として招く。ここから出発します。 先行事例が身近にない場合は自分たちで探ることになります。部会を設けたりしながら、自分たちで仮説を立てることから始めます。 ここまではどの学校でも大差ないと思います。差がつくのは、その学んだ手段や仮設が学校全体に共有化され広がるための仕組みが作られているかどうかです。 ただ話を聞いたり、こうしようと呼びかけるだけでは先生方はなかなか納得して動くことができません。自分たちの学校でその具体的な姿を見ることができて、初めてやってみようという気持ちになります。とはいえ、いきなり結果が出るわけではありません。まず実行することから始めるしかありません。このとき大切になるのは、一人ひとりが納得しているかどうかは別にして、全員で取り組むと決めることです。温度差があってもこう決めることで、共通の土壌で話ができるのです。そして、その結果がどうであったか互いに見合うことを日常化するのです。 自分はうまくいった、うまくいかなかったという報告はどうしても客観性を欠きます。同じ手段を取っているつもりでも、個人差はどうしてもあります。互いに見合うことで、具体的な手段が共有化できるようになります。また、目指す姿の一部でも見ることができるようになれば、それがその学校での具体化になります。具体的なイメージがつかめなかった先生も「ああ、こういうことか」と納得でき、目指すものが実感できることで意欲につながります。実現できた場面をしっかり分析することで、その方法もより具体的になります。うまくいかなければ、個人の問題とせずに、どうすればよいか、全員の課題として考えます。できたことを共通の手段とする、できなかったことを共通の課題とする。こうなることで、共有化が進むのです。 互いの実践の中に目指す姿を見つけようとする、うまくいかないことを個人ではなく全体の課題にする、この雰囲気がとても大切なのですが、実はそんなに簡単に生まれるものではありません。管理職をはじめとするリーダーが意図的に働きかけることが必要です。日ごろから積極的によい場面を見つけ全体に知らせる。課題を見つければ、見つかったことをポジティブに評価する。うまくいっている学校では必ずこういう動きをみることができます。 何を大切にしているのかが訪問してすぐ伝わるような学校は、学校の目指す姿との実現のために組織的に動けている学校です。このような学校になるかどうかは、やはり管理職の力が大きいのです。 若手教師が育つ環境を考える
この1年もたくさんの先生方といろいろな場面でかかわらせていただきました。いつも感じるのは、年齢問わず、教師の授業力には急激に伸びるときがあるということです。特に、若手はちょっとしたきっかけでみるみる成長します。成長する若手は素直であるなど本人に共通することがいくつかありますが、職場の環境にも共通点があるように思います。
1つは授業が大切であることが学校として明確にされていることです。 そんなこと当り前だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。中学校では部活動や生徒の指導が強調され、授業については子どもたちの授業態度という観点でしか語られないことがよくあります。授業研究が年に数回しかなく、日常的に授業がどうであるか語られない学校もよく見ます。こういう環境では、なかなか授業を改善していこうという気持ちにはなりません。当然目指す授業像や授業をみる視点が明確になっていないので、授業研究そのものも形式的で実効性のないものになりがちです。授業が大切であることを否定する学校はありません。そのことが学校として具体的な形となっていることが大切なのです。 互いに授業を見合う。個々の授業のよさを伝え合う。共通の目指す授業像をもとに、授業について日常的に語られる学校であることが、授業を大切にしようとする意識を持たせます。そのことが授業を改善する意欲につながり、結果として授業力がアップするのです。 もう1つは授業について相談できる相手や仲間が身近にいることです。 意欲があっても、教材研究のポイントや自分の授業に欠けている要素に気づくことは一人ではなかなか難しいものがあります。また、授業の欠点を指摘されても具体的な改善方法がわからなければ、どうしていいかわからず追い詰められるばかりです。どうすればいいのかを相談できる相手がいないと、成長どころかかえって落ち込んでしまいます。 授業に対して具体的にアドバイスしてくれる管理職や、教材研究などの相談ができる同僚がいることが、授業改善の意欲を授業力アップにつなげてくれるのです。 授業力に限らず、教師の力量がアップするためには学校の環境が大きく影響します。相談できずに悩んでいる、孤独な教師の数も増えているように思えます。どのような学校に赴任するかが、その後の教師人生に大きく影響します。若手教師に限らず、教員集団が育つ環境をどうつくっていくかは、管理職の大きな課題です。教員が育つための働きかけや仕掛けを工夫してほしいと思います。 ネガティブをどう伝えるか
授業を見せていただいてアドバイスをするとき、問題点や欠点などのネガティブをどう伝えるかということはとても悩むことです。このことは、子どもとの面談や管理職やリーダーの方の若手への指導にも共通することです。私が基本としているのが、つぎのようなパターンです。
・ストレートに指摘する 相手と人間関係ができていれば、これが一番です。余計な気づかいをするより互いにストレートに言い合うことで、よい解決策に早く到達できます。しかし、人間関係ができていなければ、自分のことを認めてくれていないと感じて心を閉ざしてしまうこともあります。 ・まずほめてから指摘する 相手と人間関係ができていない、相手が自分に自信を持てていないような場合は、よい点を探しておいて、まずそのことを大いにほめます。認めてもらったと感じるとネガティブも聞きやすくなります。 ・まず、話を聞く たとえうまくいかなくても、どうしたいという明確な意図が見えるときは、話をしやすいのですが、それが見えないときは、うかつに話をしてもすれ違ってしまうことがよくあります。そのような危険性を感じるときは、まず何を目指していたのか、どんなことを考えてやったのか、意図を聞きます。よい方向性ならばそのことを大いにほめます。その上で、このことはどうであったのかと、ネガティブについて話をし始めます。逆に意図に問題があると感じたときは、ネガティブの話をせずに、何を目指すとよいのかについて、時間をかけて話をします。目指すべきものが共有できれば、じゃあどうしようと、相手に考えさせればいいのです。方向性が違えば答も違います。ネガティブのことはもう忘れていいのです。 蛇足ですが、指摘だけで改善されていくのは力のある方だけです。具体的なアドバイスがなければ、かえって相手を苦しめるだけです。意外とこのことを忘れている管理職の方もいらっしゃいます。具体的な改善策を提示できないようなことは、指摘しない方がよいのです。 改善のアドバイスの仕方にもいくつかのパターンがあります。 ・ストレートに伝える 何を言っても大丈夫という人間関係ができていれば、これが一番です。 ・選択肢の一つとして示す こうしなさいと押し付けるのではなく、「こういうやり方もあります、参考にしてください」と相手に決定権をゆだねます。強制されるわけではないので、聞きやすくなります。全体に対してアドバイスする時によく使います。「正解はありません。みなさんが工夫することが大切です」などといったまくらをつけることもよくあります。 ・相手に言わせる 人は、自分の口にした言葉に縛られます。1対1、少人数を相手にするときには、この方法が有効です。ネガティブを指摘しながら、どうすればいいか問いかけます。このときネガティブの原因をそれとなく伝えておくと、答えが出やすくなります。期待した方向の答えが出てきたら、「ああ、いいね、それ。今度やってみてよ。どうなるか楽しみだね。ぜひ、今度見せてね」と称賛と行動を期待する言葉を投げかけます。自分の口で言うことで、やってみよう、やらなければという気持ちになりますが、その上このように期待を伝えればまず行動に移してくれます。 ネガティブを受け入れることは誰にとっても難しいことです。それをどう伝え改善につなげていくかが大切です。相手に受け入れられる伝え方を工夫してほしいと思います。 研究に対するアドバイスを考える
昨日は、来年研究発表予定の小学校の公開授業を見学しました。
研究の目標に向かうにあたって、まずは基本である学習規律を確立させることに力を入れていました。前回訪問時と比べて、教科書、ノートをきちんと机に整理しておくといった目に見える部分は改善されているようでした。教師が意識して注意、指示をすればこういう表面的な規律はよくなります。しかし、このやり方で100%にすることはとても大変です。誰かができなければ注意をする。モグラたたきの状態からなかなか脱却できません。結果、教師が根負けして大体できていればよしとなり、ゆるくなってしまうのです。 また、話を聞くといった、顔を上げているという表面だけでは確認できないものは、注意をするだけでは本当にできるようにはなりません。教師が明確に求め、できていることをきちんと確認し、ほめることが大切です。そうすることで、はじめて子どもが自らそうしようと思うようになり、内面から変わるのです。 この学習規律を確立させる方法がこの学校では共有されていないように感じました。3校時7つの授業を見学しましたが、先生が子どもを評価(特にポジティブに)している場面をほとんど見ることがなかったからです。 挙手を求める場面でも「わかった人」としか問いかけないので、わからない子どもは手を挙げることができず、参加がすることできないまま進んでいきます。1問1答形式のわかっている子どもだけで進む授業になっていました。また、子どもと教師、子ども同士のあるべきコミュニケーションを見ることもできませんでした。基本となる「聞く」ということが意識されていないのです。 「自信を持って話す」「伝えたいことを理解する」「伝え合う中で考えを深める、伝え合う」といった言葉がこの学校の目指す子ども像の中に見られますが、子どもの具体的な姿、そのような子どもつくるための具体的な授業のイメージが全くないままに取り組んでいるように感じます。 また、今回は算数の授業が多かったのですが、算数は何が大切か、何が理解され、できるようになればよいのかを正しく理解していないと感じる場面がたくさんありました。手順を教え込むことに終始しています。算数の言語活動ですら、一つの正解を教え込む、記憶させるような活動が目立ちました。教科書の意図を理解できていない、読めていないと言わざるをえません。教科の中身についても学び合う必要性を感じました 指導されている大学の研究者がどのような助言をされるのか、この日の興味はここにつきます。 先生方に対しては、できるようになったことをほめ、努力を認める言葉が随所に散りばめられていました。その上で、改善の方向性を押しつけでなく、選択肢の一つとして提示されました。指摘された先生が聞く気になる伝え方です。 研究全体については、そんな簡単に達成できる目標ではないと、現実とのギャップ、その無謀さを上手に指摘します。その上で、現実的な目標に設定し直して前に進んでいる学校を紹介しました。管理職や中心となる先生に対して、もう1度目標を考えなおすという選択肢を上手に提示されたのです。 「うーん」と唸ってしまいました。さすがです。コメント力に定評のある先生ですが、あらためてその凄さを感じました。 一般の先生方は苦しい思いをして頑張っています。そのことを認め、苦しいのは目標が高いこと、具体的なゴールが見えないことであって、それは先生方の責任ではないと気持ちを楽にするメッセージを送っています。 その上で、管理職やリーダーに対しては、この状況から脱出するための鍵はあなたたちにあるのだと自覚を促し、また解決のための方法を示唆しています。 これを押しつけがましくなく、柔らかい雰囲気で伝えられたのです。 私はこのようにうまく伝えられるだろうかと大いに考えさせられました。本当によい勉強をさせていただきました。 さしでがましいとは思いましたが、私から管理職の方に少しだけアドバイスをさせていただきました。 「自身を持って話す」ということで伝え合うことを目指すのではなく、「自信がなくても話せる」を目指せば、伝え合うことのハードルはぐっと軽くなる。 「伝え合う中で考えを深める」というのは、スキルとしてどう教えるかではなく、「他者の意見を聞いてよかった」という経験積ませることで、自然と身につくものである。 今回の指導の先生のお話は、管理職やリーダーに厳しい現実を突きつけたものです。しかし、それは温かい励ましでもあるように思います。これを受けてどのような変化がこの学校に起こるのか、わたしも温かい目で見守りたいと思います。 数学の授業の視点を考える
先日、来年行われる算数・数学のセミナーの運営委員会に参加しました。私は、中学校のグループで当日の実習で扱う題材について担当の先生方とお話をさせていただきました。担当の先生方はどなたも力のある方ばかりです。にもかかわらず、当日参加される先生方にとって少しでもよい内容の実習ができるように、勉強をしておこうと集まっているのです。手弁当の会にもかかわらずこの真摯な姿勢には本当に頭が下がります。
算数・数学の授業を見せていただいて最近強く感じるのが、問題を解くこと、解けるようにすることばかりが意識され、解き方の手順を教えることが授業の中心となっていることです。なぜこの手順で解けるのか、この手順が最良なのかといったことを考えることがされていません。特に中学校では、解き方を習っていない問題に出会ったときに解ける力をつけているのか疑問に思うことがよくあります。数学が知識だけを問う教科になってしまっているのです。 この日は、平方根の計算に関して、「√の中の数をできるだけ小さくなるように、有理数を外に出して積の形にして簡単にする」ことは、何の意味があるのかといったことを考えること。また、√×√の形の計算は、このことを使って有理数を外に出してから掛け算して、再度有理数を外に出すように教えますが、手順としては掛け算をしてから有理数を外に出す方が簡単です。なのに、先に有理数を外に出すのはなぜかと理由を考えること。こういうことが大切であることを話させていただきました。そうすることが数学的な考え方を身につけることにつながっていきます。 今回、簡単にするということが、数学のあらゆる場面で求められる考え方であり、その意味を各場面で意識することで問題解決の根本を支える力がつくことを、平方根から出発して、あらためて考えていただきました。教材を点で見るのではなく、数学という学問の底に共通して流れるものを意識して見ることの大切さを当日伝えていただければと思います。 若い先生が自分のスタイルを見失わないために
授業アドバイスをしていて、自分のスタイルがわからなくなっている若い先生に出会うことがあります。
学級経営がうまくいかない、子どもたちが言うことを聞いてくれない・・・。悩んで、先輩や他の先生のやり方をまねしているのですが、自分がやってもうまくいかない、しっくりこない。なんか違うと思いながらもそのやり方を続けているのです。 子どもと笑顔で接したい、でもなかなか指示が通らない。先輩のように厳しい表情で指示をしても、なかなかうまくいかない。 やさしく話をしても、なかなかきちんと聞いてくれない。仕方がないのでちゃんと聞くように注意をして、聞いていない子は叱るのだが、なかなか改善されない。 こんな話をよく聞きます。 教師にも一人ひとり個性があります。自分の個性に合わないやり方をしてもうまくはいきません。無理して自分に合わないやり方をしているうちに、自分のよさやスタイルがわからなくなってしまっているのです。 こんなとき、私は、その先生のよさを活かした指導は何かを一緒に考えるようにしています。たとえば、笑顔が素敵な先生ならば、厳しい表情をつくるのではなく、その笑顔を活かすことを考えます。 できなかったことを叱るのではなく、できたときに最高の笑顔でほめる。できない子どもを叱るのではなく、できている子をほめて、できていない子も素敵な笑顔でほめられたいと思わせる。そんな発想です。 うまくいかないときは自分自身を否定的にとらえてしまい、自分のスタイルと真逆のことに走りがちです。そうではなく自分のスタイルに欠けていること、活かす方法を見つけることが大切です。これは自分一人ではなかなかできないことです。ところが、管理職や先輩が、授業や学級経営のうまくいっていないことを指摘するだけだったり、こうすればいいと自分のやり方を押し付けてしまったりして、悩んでいる先生を追い詰め、苦しめていることがあります。そうではなく、相手に寄り添い、自分の成功体験はいったん封印して、その先生にあったやり方を一緒に考えることが大切です。 若い先生が自分のスタイルを確立するのには時間がかかります。一人ひとりのよいところを見つけて、それを伸ばすようにまわりが支えてあげてほしいと思います。特に管理職や主任の方にはそのことをお願いしたいと思います。 岩下修先生から学ぶ
教師力アップセミナーで立命館小学校の岩下修先生から学ばせていただきました。
岩下先生の模擬授業を通して、音読、合唱、詩の具体的な指導について参加者と一緒に考えることができました。指導方法の独自性よりも、子どものどんな意見でも認め活かそうとする姿勢が岩下先生の授業を支えていると感じました。みんなの意見を聞けて先生もうれしいというメッセージを体全体から発されていました。指導方法以前のこのことが教師にとって大切であるとあらためて実感しました。 また、セミナー終了後、岩下先生から「AさせたいならBと言え」執筆当時のお話をうかがうことができました。自分が学んだこと、気づいたことを書くことで整理し、自分のものにしていったというエピソードに、大いに納得させられました。 明るく、楽しげにお話しする岩下先生からたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。 イベントの目指すべき姿
昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。地域の方と学校が一体となって、イベントや体験講座、模擬店を運営し、多くの方に楽しんで参加しながら、学んでいただきたいというものです。
私が見学し始めてから8年目ですが、来場者数も増え、地域にしっかりと根付いたと実感しました。小学生の参加が多いのもうれしいことです。廊下に貼られている中学生の美術の作品を見て「すっげえー」という声も聞こえてきます。中学生がすごいと思えることは、自分が中学生になることに期待を持つことです。小学生にとってはよい刺激になっています。また、卒業生も何人も見ることができました。旧友に出会う、恩師に出会う、後輩に出会う。母校とつながりを保つよい機会になっています。 今年度は実行委員の希望者も増えたと聞いています。昨年と比べてよい表情の生徒がたくさん見られます。逆に、積極的にかかわる生徒が増えたためか、受け身的に仕事をこなしている生徒との温度差も顕著になってきたような気がします。同じことが地域の支援者にも感じられます。いろいろと規模が大きくなってきたため支援者の数も増えているようです。頼まれたので、手伝っているという方も増えたのか、やはり表情に差があります。先生方も皆さんしっかり働かれているのですが、同じく表情に差があるように感じました。このイベントの目指すものが何かをもう一度明確にする必要を感じました。 子どもたちはどれだけ人が集まった、どれだけ売り上げがあったという表面的なことに目がいきます。与えられた仕事を決められた時間勤めれば自分の役割は終わりという、義務でやらされている感覚の子どもも目立ちます。積極的な子どもたちも、自分が頑張り、充足感を得ることだけでなく、まわりの友だちを巻き込んでいくことにもっと意識を向けてほしいと思います。 教師もこのイベントを子どもたちの成長にどうつなげるという視点を再度しっかりと意識して事前にかかわる必要があるように感じました。 子どもたちは自分たちの活動が地域の方に喜ばれ、感謝されることを、地域の方は自分たちが子どもたちの成長を手助けすることを、教師はこのイベントを子どもたちの成長につなげることを目指す。そして、各々がそのことを実感できるように見える化していくことが大切です。 特に地域の協力者にとっては、自分たちが手伝ったことが子どもの成長につながったかどうかは見えにくいものです。このことを伝える努力が主催者側に求められます。 そんなことを考えなら様子を観察していると、焼きそばの模擬店の子どもたちがとてもきびきびと集中して仕事に取り組んでいることに気づきました。たまたま、やる気のある子が集まっているのか、焼きそばを焼くのが楽しいのかと思っていると、教頭からこんな話を聞くことができました。実は、前日の設営準備のときに、この焼きそば担当の地域の方が子どもたちの取り組む態度について厳しく注意をされたそうです。その結果、当日は見違えるような姿を見せてくれたのです。このイベントの目指すべき姿を教えてくれたような気がしました。 生徒全員参加の学校行事となって3年目です。一定の成果は出せたと思います。だからこそ原点に戻って、地域とかかわることで子どもたちが成長するという本来の目的達成のために、それぞれが何をすべきかをもう一度考える必要があると思います。そのためのヒントも見つけられたような気がします。 来年のレベルアップへの期待が高まった1日でした。 野口芳宏先生から学ぶ
教師力アップセミナーで授業名人野口芳宏先生からたくさんのことを学ばせていただきました。
この日のセミナーは3部構成で、第1部は野口先生による道徳の模擬授業「なぜ学校に来るのか」でした。「学校に来るのは自分のためということばかりが強調されて立派な社会の一員となるためということが忘れられている」という野口先生の主張には大賛成。最後に、社会性を身につけることが自分の幸せにつながるということで締めくくられました。その通りなのですが、中学生ぐらいになるとこのことを素直に受け止めてくれない子どももいたりします。この部分については課題をいただいたような気がしました。ここに焦点を当てた授業を考えてみたいと思います。野口先生のこの授業を、学校公開日に全員で実施して、どの保護者にも子どもが学校に通う意味を考えてもらうという校長が出てくることを期待してしまいました。 第2部は先日撮影した、若手の国語の授業について、野口先生に公開でアドバイスをいただくものでした。さすがは野口先生、授業者が苦しんでいた部分に対して、ズバリと明快な答えを出していただきました。この会のためにわざわざ授業をおこなってくれた先生にはその苦労も吹き飛ぶくらいの大きな学びがあったと思います。教師の指導のあり方、課題のあり方について、私もたくさんのヒントをいただきました。 第3部は「体験的実践論」と題した講演です。野口先生の今までの教育に対する主張が整理されより明確になったように感じました。いつ話をうかがってもぶれのない1本筋の通った主張に、野口先生のすごさを感じました。自分の幹は何だろうかとあらためて問いなおす機会となりました。また、自分と主張の違う方に対しても、堂々と主張はされますが、悪く言われることはありません。人間としての器の大きさを感じます。野口先生とお会いすると自分の至らなさを思い知らされます。 夜は野口先生を囲んでの懇親会が催されました。お酒が入るとますますパワーアップして、ここには書けないような話もたくさん聞かせていただきました。後期高齢者になったことを笑いのネタにしながら、私たちではとてもこなしきれないほどの仕事に精力的に取り組まれている姿にはただただ脱帽。こんな歳の取り方をしたいと思える方の一人が野口先生です。野口先生からたくさんの元気をいただいた1日でした。 ICTの活用について考える
この1月ほど、ICTの活用について考える機会が増えています。授業での活用を考えるときに、自分がどんなことを意識しているのか少し整理してみたいと思います。
・子どものどんな姿が見たいのか? 見たい子どもの姿をつくりだすのに活用できないのかを考えます。 典型的なものが、子どもの顔を上げたい。スクリーンに映っているものを見ようとすれば、顔は上がります。これだって立派な活用です。 子ども同士が額を寄せて考えるのであれば、グループに1台タブレット用意して利用する。覗き込むことで自然に額が寄ってきます。 ・何をねらっている場面なのか? ねらいに迫るのに活用できないのかを考えます。 興味関心を持たせる場面であれば、動画やきれいなグラフィックは有効です。 情報をもとに考えさせたい場面であれば、コンピュータで情報を提示するというのもありです。 ・問題点は何か? 問題を解決するのに活用できないかを考えます。 黒板に子どもが書くと時間がかかるのなら、ノートやワークシートを実物投影機で映せば解決です。 教科書の本文を板書するのが大変ならば、デジタル教科書は強い味方です。 ・つなげるものが何か? つなげることに活用できないかを考えます。 以前に学習したことを復習するのであれば、ノートを確認させるのもいいですが、記録しておいた板書を映すというのも有効です。 他の学級の発表や、先輩、自分たちの過去の記録を提示することで、より多くのものとつなげることもできます。 ・これ以外の指導法はないのか? 今までの枠にとらわれずに、一から考え直すことも大切です。 比較するのに、コンピュータや実物投影機を使って重ねてみることで違いがはっきりすることもあります。 こうやって教えるという思い込みに縛られずに、こんなことができたらいいなと考えたとき、ICTは大きな可能性を秘めています。 他にも色々とあるのですが、すべてICTに限らず、授業を考えるときにチェックすることばかりです。当り前のことですが、ICTの活用を考える視点は、授業をつくる視点と同じなのです。ICTは、資料を拡大コピーして提示するのか印刷して配るのか、説明を板書するのかノートに書かせるのかといった、授業の組み立てを考えるときの選択肢の一つにすぎないのです。こう考えることで、ICTは教師にとって身近で有効な道具になっていくのだと思います。 |
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