インターンシップの学生から授業について考える

インターンシップで学生を観察して気なったのが、何をメモするかということと物事を見る視点です(インターンシップで貴重な経験をするインターンシップで視点の切り替えの難しさを感じる参照)。

メモは自分にとって大切だと思うことをするものですが、その判断の基準が問題です。学生にとって重要なのは試験で点を取ることなのでしょう。これは重要だから試験に出ると自分で判断するのなら問題ありません。重要かどうかを自分で考えるのは良いことです。しかし、スライドの文字が強調されている、講師が何度も話したことをメモするというのは、判断の基準が講師の大切だと思っていることになっています。これも立派な生きる知恵なのですが、内容について思考しているわけではありません。いわんや、板書は条件反射で書くにいたっては、思考がどこにもありません。このことが気になります。
学校の授業で言えば、「ここは大切だから試験に出るよ」「試験に出すから覚えておいてね」と教師が言うこととつながります。せめて「大切な理由は何だと思う」と子どもたちに問いかけることで、どんなことが大切なのかを考えさせてほしいと思います。「ここを出す」から「どこを試験に出すと思う」に変えてほしいのです。「大切だから線を引きなさい」ではなく「大切だと思うところに線を引きなさい」「そこに線を引いた理由は?」にする。教師のまとめを書かせるのではなく、「今日の授業で大切なことを○つノートに書きなさい」「何を書いたか聞かせて」に変える。このようなことを意識することが大切です。

視点についていえば、自分の視点からしかものを見ないことが気になりました。相手はどう考えて行動したのだろう、相手は何を期待してこのようなことをしているのだろうということをなかなか意識できないようです。これも、訓練が必要なのでしょう。SGE(構成的グループエンカウンター)などで、相手の考えを聞くことや理解することを学ぶことが大切になっていることがよくわかります。
授業でも意図的に視点を変える必要があります。歴史などでは、政策を決めた側の視点、その影響受ける者の視点で見ることが大切になります。影響を受ける者もいろいろな立場の者がいます。江戸時代であれば、武士、商人、農民、・・・などその立場で違って見えるはずです。道徳などでも同様です。
また、もう一歩進んで、いくつかの視点から見たものを比較し、総合的に判断することが大局的な視点につながります。私、あなた、そして第三者から見た私とあなたこういう視点です。例えば、歴史を評価するということは、この大局的な視点で見るということのように思えます。
人間相互の視点だけでなく、物理的な視点や考え方の視点を変えることも大切です。
理科で言えば、月から見た地球はどのようになるだろうかと視点や系を乗り換える。数学などでの考え方の視点であれば、もし答があるとすればどうなるはずだろうと演繹的な視点から帰納的な視点に切り換える。視点を変える場面はいくらでもあります。
しかし、そういうことを授業で意図的に行い、それを視点として整理して、メタな知識として定着させていないのです。

インターンシップ出会った学生の行動のパターンから、彼らの受けたであろう教育を想像し、授業で大切な視点にあらためて気づくことができました。
若者の姿は私たちが行ってきた教育の具現した姿でもあります。とかく批判的に見てしまうのですが、その批判はとりもなおさず自分たちが行ってきた教育への批判でもあるのです。そのことを肝に銘じておきたいと思います。
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