伸びる先生の条件(その2)

以前に伸びる先生の条件として、「素直」「謙虚」「向上心」が大切だと書きました。どうもそれとはすこし違う要素もありそうです。このことについて少し書きたいと思います。

人の話を素直に聞くのですが、その割には全く変わらない若い先生が増えてきたように感じます。話をメモし、内容をきちんとまとめてもくれます。次はどのように変わっているのか期待するのですが、ほとんど変化がありません。もちろん、指摘されたことをしっかり意識して取り組み、急速の成長を遂げる方もいます。一見して両者の違いが判らないのです。

どうも、前者の方は、

・指摘されたことが理解・納得できないが、取り敢えず聞いておく。
・そもそも、自分の授業に問題を感じていない。

ということではないかと想像しています。というのも、あとから思うと、伸びる方は私の指摘に対してより具体的な質問をしたり、自分の困っていることに関して相談をしてくれたりします。「そうか、そういうやり方があるのか」といった言葉が聞かれます。話の中から自分の課題の答を見つけようとしているのです。それに比べて、変わらない方は、黙って素直に話を聞いているのですが、反応が薄いように感じます。「向上心」がないのとは違うように思います。目指す授業の姿がはっきりしていないというか、授業はこんなものだと勝手に思っているような風があるのです。自分の授業に問題を感じていないのですから、これは変わるはずがありません。彼らがよい授業を受けてこなかったことが一つの原因かもしれません。そうであればよい授業を見せるのが一つの答えになります。私ができるだけたくさん授業を見せようとする理由の一つがこれです。あこがれるような名人に出会ったり、理想とする授業をイメージできるようになったりすれば変わるはずです。

とはいえ、私が魅力的に思える授業を見せても、これまた反応が薄い方もいます。こうなると実はお手上げです。目指す授業というものが根本的に違っているのかもしれません。悪い言い方ですが、授業で自分が必要と思うことを話せば責任は果たした。そう考えているようにも見えます。あまりしたくないことですが、彼らの授業がなぜいけないのかを厳しく話すことがあります。中には、口には出さないけれど、なぜそこまで言われなければならないのかと思っている方もいます。ほかの先生だって似たようなものだと思っている節もあります。見る目がまだないので、子どものようすや授業の違いもよくわかっていないのです。
厳しく言うことも、嫌われても困らない外部の人間である私の仕事だと思っています。しかし、効果がなければ何の意味もありません。内部の方のフォローがあって、初めて効果も期待できます。フォローを信じているかこそできることです。

どういう教師を目指すか、何も求めて教師になったのか。原点というべきものがしっかりしていなければ、何も始まりません。ここがしっかりしていれば、必ず成長していきます。逆にここを育てることが一番難しいことなのかもしれません。彼らを囲む先生方が、それぞれの目指す教師像や授業像を伝え続けるしか方法はないようにも思います。私自身、まだまだ手探りの状態が続いています。
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