資料の共有
図書館やパソコン教室で子どもたちに調べ学習をすることがよくあります。教室や手元にある限られた資料ではなく、たくさんの本やインターネットを活用して幅広く調べることができます。特にインターネットの活用は盛んですが、注意してほしいことがあります。それは資料の共有です。
資料集をどう活用するでも述べたように、資料を使って発表しあうときには、根拠となる資料を明確にすることが大切になります。図書館やパソコン教室で調べたことを教室で発表すると、手元にその資料や環境がないと実際に確認をすることができません。よい資料を見つけた子どもの発表が中心となり、多くの子どもは友だちが調べた結果の発表を聞いているだけになります。 「○○についてわかった事を発表してください。Aさん」 「△△です」 「すごいことがわかったね。同じことを調べた人いる」 ・・・ 「いないね。Aさんどうやって調べたの」 「□□という本に書いてありました」 「なるほど。今ここにはその本はないけれど、Aさんの調べてくれたことは、・・・」 これでは、他の子どもたちはAさんの見つけた資料で確認することができません。Aさんの話を鵜呑みにするか、そのあとの教師の説明を聞いて納得するしかありません。 インターネットを活用した場合でも本をネットに置き換えれば、同じような状況になることがわかります。 では、どうすればよいのでしょうか。 まず、調べたことをまとめる際に、どのような資料のどこから調べたことかをきちんと明確にさせることです。本であれば、タイトル、著者、ページは必須になります。インターネットの場合はURLやサイト名等、必要であればそのページをもう一度見ることができるための情報を記録させます。そして、教室に戻ってしまうと、その情報があっても活用できないので、図書館やパソコン教室で発表させることです。中間発表をさせて、友だちの発表から参考になると思った資料にあたれる時間を確保することで、資料の共有がはかれます。 また、もう一度資料にあたる時間が取れない場合は、実物投影装置などを活用して、資料を全員で共有します。 「Aさん、どうやって調べたの」 「□□という本に書いてありました」 「その本の調べたページをみんなに見せてくれるかな」 実物投影装置を使って、 「このところに・・・と書いてあります」 「みんな、納得できたかな」 時間の関係で教室での発表になる時には、資料の該当ページを原文通りきちんと引用するように指導することです。可能であればデジカメ等を使って記録して、教室でコピーを見せることができるようにするとよいでしょう。インターネットを活用したのであれば、教室にインターネットが利用できるパソコンとプロジェクタを準備すると資料を全員で共有できます。 調べた結果だけを聞き合うのであれば、その時間は教師の説明を一方的に聞いている時間と大きな違いがありません。(もちろん子どもたちの発表の練習にはなりますが・・・)資料を共有することで、調べる過程を共有できるようにしてほしいと思います。 動画の活用の注意点
ICT機器が普及してきて、動画をスクリーンに映して活用する場面によく出会います。わかりやすい教材もどん開発されて、ますます活用されるようになると思います。しかし動画であるがゆえに気をつけてほしいことがあります。
「オリオン座はなぜ冬の星座か」を考える理科の授業でのことです。 コンピュータのシミュレーションをつかって冬の夜空と夏の夜空を映し出し、オリオン座の見え方の違いを見つける場面でした。子どもたちが気づいたことを発表します。中には「おうし座はオリオン座のそばにあるけど、夏でも見える」という素晴らしことに気づく子がいました。オリオン座しか注目していないので、多くの子どもは気づいていません。静止した資料であれば、もう一度自分で確認することができますが、動画は流れてしまうので、確認することができません。動画をもとにでた意見は必ずもう一度該当箇所を映さなければ、確認できないのです。 動画は確認するのに再度再生する必要があります。したがって、あまり長いものは授業では扱いにくくなります。内容を記憶することも考えると授業で扱うものは1回数分にとどめておく必要があります。 また、動画の内容をもとにグループで話し合いをさせるのであれば、グループごとに再生できる環境を用意しなければ互いに確認して共有化できません。 動画は子どもたちの興味を引いたり、多くの情報を与えたりすることができますが、それゆえ注意すべき点もあります。動画の特性をうまく利用して、授業に幅を持たせてください。 「結果を利用する」と「考え方を利用する」
算数や数学で、問題を解くときの手がかりが見つからなくて子どもたちの手が止まる場面によく出会います。解き方の手順を覚えるばかりでは、見たことのない問題を解く力はなかなかつきません。どのようなことが大切になるのでしょう。
解き方を知らない問題を解くときの壁は最初の一手です。どこから手をつけたらよいかがわからないのです。最初の一手を考えるときの基本は、「結果を利用する」と「考え方を利用する」です。 例えば台形の面積の求め方を考えてみましょう。 「結果を利用する」のであれば、面積に関して知っている知識=結果を整理します。正方形、長方形、平行四辺形、三角形の面積の求め方は知っています。台形をなんとかこれらの形にできないかと考えることから出発します。 「考え方を利用する」のであれば、平行四辺形や三角形の面積を求めるときにやった作業を思い出します。図形を切ったり、移動させて面積が求められる形を作ることから出発します。 結果的には、同じような活動になりますが、この2つの視点を意識することで、見通しを持って取り組む力がつくようになります。台形を対角線で2つの三角形に分けて考えた場合でも、先に三角形を意識した子ども、とりあえず切ってみることから始めた子がいるはずです。どちらかが優れているというのではなく、子どもたちにそのこと明確に意識させることで、問題を解く力がついてくるのです。 「A君は斜めに切って考えたんだ」 「A君は、すぐに斜めに切ろうと思ったの」 「平行四辺形の時に切ったから」 「なるほどね。前にやったやり方を覚えていたんだ。偉いね」 「それで、最初から斜めに切ったの」 「斜めに切ったら。三角形ができたから」 「それってどういうこと」 「三角形だったらわかるから」 「何がわかるの」 「面積」 「みんな三角形の面積はわかる」 「底辺×高さ÷2」 「なるほど、三角形の面積の求め方は知っているもんね。知っていることをうまく使ったね」 子どもたちが意識せずに使ったことを、明確にすることで視点が育ってきます。 したがって、新しい課題に取り組むときは、「今まで学習したことで利用できそうなことは何かな?」「今までやったやり方で利用できそうなことはないかな?」このような問いかけが大切になってきます。 算数・数学に限らず、他の教科でも、結果とそれを導き出した考え方を意識することで子どもたちの考える力、問題解決力が高まっていくと思います。 結果の板書で何が起こるのか
前回のワンポイントアドバイス(何を板書するか)に関連して、結果だけを板書することについてもう少し考えてみたいと思います。
例えば、ワークシートの正解や数学の答えを板書した時、正解者にとっては答えの確認にしかなりません。すぐに○をつけて終わりです。一方手がつかなかった、不正解だった子どもは、黒板に結果しかないのでそれを見ても何故そうなったかはわかりません。この板書の内容を必要とする子どもが教室にいないのです。しかし、わからなかった子どもは不安なのでとりあえず板書を写します。写してもわからないのに。 そこで、このことに気づいている教師は説明を始めます。 正解を板書して、 「はい、こっちを見て」 「ノート取るのはやめて、あとで書く時間あげるから」 「説明するよ」 ・・・ 「はい、写していいよ」 結局、最後には板書を写す時間を確保しなければなりません。ところが正解だった子にとってはこの時間は写す必要がないので無駄になります。先生の話をちゃんと聞かずにノートを取った子どももすぐに終わります。多くの子どもが手持ちぶさたな状態にすぐになってしまいます。そこで教師は子どもをせかしたり、また写し終わっていない子どもがいても先に進んでしまったりします。写せなかった子は、次回からは説明中でも写すようになってしまいます。本当に説明を聞かなければいけない子が聞かない授業になっていきます。 板書と子どもの活動はうまく連動する必要があります。正解や結論、まとめが書かれた時点で子どもの思考は止まり作業に移ってしまいます。子どもの思考を促すような板書にしたいものです。 何を板書するか
若い先生から板書についての質問を受けることがよくあります。何を書くべきか。どういうこと気をつけたらいいのか。自分の中で板書をどう生かしていくのか明確になっていないようです。
板書を写すことが目的になってはいけないことは、以前にも書きました。(板書を写す意味) では、何をねらうとよいのでしょうか。大切なことは考えをまとめたり、整理することにつながることを板書で共有化することです。言いかえれば、結果ではなく考えるため起点を書くことです。こうすることで、板書を見て子どもたちが考えることができます。 「筆者はどう感じたのでしょうか。Aさん」 「さびしかったんだと思います」 「なるほど、それはどこでわかる」 「本文に○○○と書いてあります」 「なるほどね。みんな確認できたかな」 ○○○を板書して、 「Aさんは、この文から筆者はさびしかったんだと思ったんだけど、この部分から筆者の気持ちを考えた人いるかな。今考えたことでもいいよ」 「つらい」 「のけ者にされている」 ・・・ Aさんの意見を書かないことで、Aさんの考えに縛られずに他の子どもたちも考えることができます。子どもたちが考えたことを残したければ、後で板書すればよいのです。 「どうやって解いた。Bさん」 「点の座標を代入しました」 「なるほど。点の値を代入するってどういうこと」 「このグラフが点を通るから」 ここで、「点を通る」を板書して、 「ありがとう。みんな点を通るってどういうこと」 「入れたら成り立つ」 「式を満たす」 ・・・ 「そうか、だからBさんは点の座標の値を代入したんだ」 ここでは、代入という解くための手順をすぐに板書するのではなく、その根拠となった「点を通る」をまず板書することで、根拠となる知識の整理をしたのです。 結果や手順を見れば答えはわかります。しかし、どうやったらそこにたどり着くかはわかりません。考えるための起点やその過程を板書することで、考えるための糸口が見えてきます。子どもたちが考えることにつながる板書を目指してほしいと思います。 |
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