板書を写す意味
教師が黒板に何か書くと、一斉に子どもがノートに写しだすシーンによく出会います。教師の説明も聞かずにひたすらノートをとり続ける子どももいます。教師もたまらず「後で書く時間をあげるから、話を聞いて」と指示を出したりします。
でも、そもそも板書を写す意味は何でしょう? 「あとで授業を振りかえるため」といった記録面を重視する 「写すことで記憶に残る」といった写す作業に価値を求める いろいろな考えがあると思いますが、この2つに集約されるのではないでしょうか? もし板書がそのままノートに残るという「記録」を重視するのであれば、書かせずにあとでプリントにして配れば済むことです。その時間をもっと有効に使う工夫をすべきです。板書はメモにとどめて、まとめは子どもが書く。その書いたことを互いに発表させて、その意見も取り入れて最終的に自分のノートを完成させるなどしてもよいでしょう。 「せめてノートだけでもとらせないと遊んでしまう」とノートをとらせれば、「ノートをとればそれだけで授業に参加した」と思う子どもを育てることになります。ますます、授業中に考えなくなります。この悪循環を断つ勇気が必要です。 もし、「写す」という行為自体を大切にするのなら、本当に写すという作業が目指すものにつながっているかを考える必要があります。 何も考えずひたすら板書を写しても、単に目に映っているものを写しているだけで記憶には残りません。「黒板を見ないで写して」と記憶する必要性を作る。数学などは黒板の一部を隠して、自分で埋めさせるという手もあります。 ほとんどの授業で板書を写す場面がありますが、写す意味を意識して板書の使い方を工夫してほしいと思います。 コミュニケーションをとるべき相手
教室に問題行動を起こす子どもや気になる子どもがいる時に教師が気をつけることは、誰と関わるかということです。
教室にそういう子どもがいると、どうしてもその子どもと関わる時間が増えてしまいます。授業中に対応に追われて授業が進まなかったり、その子にかかりきりでほかの子どもとは関わる時間がなくなってしまうこともあります。 逆に、その子を見れば注意しなければいけないので授業中に子どもを見ないようにしてしまうこともあります。問題のある子どもにかかりきりにならないことは大切ですが、これでは、他の子どもたちとの関係もなくなってしまいます。 いずれにしても、数人の問題で、大多数の普通の子どもたちと教師のコミュニケーションまでもなくなってしまいます。こうなると、学級全体と教師の人間関係築けません。問題行動を起こす子どもが数人いても、他の子どもたちと教師の関係がしっかり築けていればすぐには学級崩壊にはつながりません。しかし、普通の子どもとの関係が壊れていると、何か起こった時一気に学級は崩れるのです。 問題を抱えている子どもとの関係作りは時間をかけてやるしかありません。また、そういう子どもとの関係作りには時間をかけます。目立たない普通の子どもはどうしても教師からほっておかれたり、後回しにされます。問題を抱えている子どもがいるとなおさらです。しかし、多数派であるごく普通の子どもとの関係を作ることの方が急務であり大切なのです。 私が、教室を見て「学級が危ない」と感じるのは、問題行動を起こす子どもがいるかどうかではなく、ごく普通の子どもと教師の関係が築けてないと感じる時です。特に新学期は普通の子どもとの関係作りが大切です。学級崩壊の芽は今育っているのです。 作業の指示をどう工夫するか
授業では子どもたちに作業をさせる場面がたくさんあります。
地図を見てワークシートに山や川の名前を書きこむ。 教科書の例文を写す。 板書を写す。 こういった作業を授業時間中におこなう理由は何でしょう? 写した結果は重要ではありません。教科書や地図帳を見ればのっていることであればそれを見ればいいのです。板書だって、あとから印刷して配れば十分です。貴重な時間の無駄です。とすれば、その狙いは作業させること自体にあるわけです。作業させることで「定着させたい」。だから貴重な授業時間を使ってやらせるのです。 では、実際はどうでしょうか? 写すことや書く作業では単純に見て写しても定着しません。また活動に対する評価が無いので漫然と作業します。女の子が美しいノートにこだわるのも、写すという単純作業に対して「美しい」という評価規準を与えることでモチベーションを保っているのです。 そこで、作業の指示をする時にちょっとした条件や評価を入れるのです。 例えば、 「黒板を見ないで写して」 「例文は、1文ずつ一気に写して」 「地図帳を閉じてからワークシートに写して」 と指示し、 「でも、わからなくなったら見ていいんだよ。できるだけ見る回数を減らそうね」 とつけ加えておきます。 こうすることで、単純作業にも目標と評価が定まり、モチベーションアップにつながります。作業後、隣同士のペアで確認をすれば子ども同士の関わり合いをつくることもできます。 作業の指示を工夫するだけで、子どもの意欲や集中度は驚くほど変わるものです。 ポジティブに言い換える
教師は子どもの悪いところを指摘するのが仕事のような面があります。集団行動の時など、一人できない子がいれば、その子を叱って全体をやり直させます。指摘された子はみんなの前で恥をかきます。また、その子のせいでやり直しさせられたと、他の子どももネガティブな感情を持ちます。せっかくの指導もかえって子どもたちの状態を悪くする方向に作用しかねません。
「おっ、ほとんどの人がしっかりできている。うれしいな。あと一人で完璧だ! もう一回チャレンジしてみよう!」 このように言うとどうでしょうか。 まずできていることを評価する。その上で、課題をクリアした状況を目標として示します。こうすれば叱らなくて済みますね。 このように、ネガティブをポジティブに言い換えると学級の雰囲気は変わってきます。 作業スピードの差をどう埋めるか
問題演習やワークシートなどの作業の速さは子どもによって違います。全員が終わるまで待っていると時間がかかる、早くできた子が遊んでしまう。まだ終わっていな子がいるのに途中でやめれば達成感がなくなり、やる気の喪失につながる。どうすればよいのか?
若い教師からよく聞かれる質問です。 速い子には、課題が終わったら次に何をするのか最初に指示しておくことが大切です。次の問題をやるような指示だと、ますます差がつくので、「みんなが納得するような説明を考える」といった、作業の内容を深めるものがよいでしょう。 そして、遅い子のためには、「わからなければ友だちに聞いてもいいよ、写してもいいよ」と指示しておきます。 手がつかない状態で集中力が切れてほっておかれるよりも、友だちに聞いてでも手を動かし考える方がよいのです。 この時、「聞かれないのに教えたらだめだよ。聞かれたらしっかりと教えて」と、作業の速い子が余計なおせっかいをしないようにしておきます。 こうすることで、全体の作業効率はアップするので、できないまま次に進むことを減らすことができます。 知識を考えさせてもしょうがない
知識は知らなければ答えられません。
「この単語の意味は?」 「わかりません」 「もう少し考えてごらん」 このようなやり取りはナンセンスですね。全く知らない単語を質問されても、考えようがありません。つまり、知識を問うことは考えることにはつながらないのです。教師はこのことを意識しておく必要があります。 グループ活動で知識を問えば、知っている子どもが答えを教えて終わってしまいます。知っている子がいなければ、そのままだらだらと時間だけが過ぎていきます。 知識は「教師が教える」か「子どもが調べる」のどちらかです。 知識を質問して子どもに活動させたければ、調べるしかありません。 「調べてごらん」 「どうすればいい」 「どこに書いてある」 こんな言葉を大切にしてほしいと思います。 |
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