子どもの「何」を見る

「子どもを見る」ということは教師の基本です。若手に対するアドバイスで最も多いのは「子どもを見なさい」かもしれません。私も子どもを見ることを大切にしていますが、ただ「子どもを見なさい」では、アドバイスにはならないと思っています。「子どもを見る」とは子どもの「何」を見ることかを明確にしなければならないのです。

先生方と一緒に授業を参観すると、同じ教室を見ていても入ってくる情報が人によって違います。たとえば、友だちの発言を集中して聞いていない子どもがいても、そのことに気づかない方がいます。教師と発言している子どものやり取りに注意がいって、他の子どもが目に入らないのです。また、子どもが顔を上げて聞いてはいるが、理解できていないなと感じる状態でも、「子どもたちは理解していると思いますか」と聞いてあげないと、そのことに気づかない方も多いようです。
当り前のことですが、見ようと意識しないものは視野に入っていても見えないのです。リラックスして見ることができる他の人の授業でこれですから、自分の授業ではなおさらでしょう。

授業中に友だちの発言を聞かない子どもが多いときは、友だちの発言を聞いているかどうかを教師が意識していないことが一つの原因です。子どもが理解していないのに先に進んでしまうのは、子どもが理解しているかどうか見ようとしていないため、その事実に気がついていないからです。
子どものどんな姿が見たいか意識していなければ、その姿を見ることはできません。見ていても気づかないのです。ですから、先生方と一緒に授業を参観して、具体的に「何」を見る、子どものようすから「何」が見えるかをお伝えするのです。

また、見ようとしているがよくわからないというのであれば、見えるようにすればいいのです。聞いているかどうかわからなければ、「○○さんの言ったこと、もう一度聞かせてくれるかな」とたずねればいいのです。理解できているかどうかわからなければ、「今言ったこと、もう一度説明してくれるかな」と確認すればいいのです。

反対に見たくないものからは目をそむけます。話すときに教科書やノートに視線を落として、子どもを見ない方にたまに出会います。こういう方に「子どもを見ましょう」と言ってもなかなか改善されません。多くの場合、授業中に子どもを見ると見たくないもの見てしまうからです。聞いていない子ども、音読していない子ども・・・。教室を見ると、きっとそういう子どもがいるはずです。教師が見ないからそうなったのか、そのような子どもがいるから見なくなったのかはわかりませんが、その状況に対応する方法を明確にしなければ、子どもを見ることができるようにはなりません。ですから、この場合は「子どもを見ましょう」ではなく、「このような子どもにはどう対応しましょう」と考えることが大切になります。

目指す子どもの姿を具体的に意識して、その姿を見よう、見たいと思わなければ決してその姿は見えません、見えるようにはなりません。子どもの「何」を見たいか、一度リストアップしてみることをお勧めします。
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