「子どもが主役」の授業を考える

授業は「子どもが主役」という言葉があります。この言葉に異を唱える方は少ないと思いますが、この言葉をどうとらえ、どう授業をつくるかについてはいろいろな見方があるようです。「子どもが主役」の授業について考えてみたいと思います。

「子どもが主役」といっても、授業の基本は教師がどのような課題を準備し、どのような活動を子どもたちにさせるかです。ここをしっかりしなければ、子どもたちは1時間活動したが、何の力もつかなったといったことになってしまいます。子どもたちに授業を通じて身につけさせたいことを明確にして、その達成のための手段を準備することが大切になります。この身につけさせたいことをどのくらいの将来に対して考えるかで、「子どもが主役」の授業のあり方も変わってくるように思います。

最終的なゴールを考えれば、「一生学び続ける人間」「社会の役に立つ人間」となるために必要なことを身につけることが大切です。そのためには、「学ぶ楽しさ」「人とのかかわりを通じた役立ち感」を知ることが重要です。教師が一方的に説明して、問題を解かせて「できた」「わかった」と言わせても知ることはできません。子どもが自分で「わかった」と感じる、互いにかかわり合って「わかる楽しさを知る」、自分の考えを他者に認められて「自己有用感も持つ」。こういう経験を授業の中でする必要があります。そのためにはグループやペアを活用するという方法もありますし、子どもの言葉をいかし、子どもの考えをつなぐような一斉指導もよいでしょう。どちらが正解というわけではありません。子どもの成長や状況によって手段は変わるべきだと思います。
ここで「子どもが主役」ということは、子ども自身の考えや子どものかかわり合いによって問題を解決していくということになります。教師の役割は、子どもが取り組むべき課題を考え、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことになります。

長期的なゴールに至る過程を考えると、自分で考え、わかったと感じるためのベースとなる知識や考え方を身につけるということが必要になります。教師がこれを覚えなさい、この問題はこうして解きなさいと指示して練習をさせることが効率的に思えますが、子どものやらされている感が強く、達成感が持てなければ知識や考え方はしっかり身につきません。
知識は教師が教えるだけではなく、子どもが調べて見つけることも可能です。こういう活動をすることで、知識の獲得方法も身につけます。自分が見つけたと達成感も味わえます。考え方も、発問のなかにそれとなくヒントを入れたり、課題そのものを工夫することで子どもたちが気づきやすくすることもできます。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが自分で知識や考え方を獲得するような活動をすることになります。教師の役割は、子どもたちが身につけるべき知識や考え方を明確にして、子ども自身で見つけ気づくようにするための活動を考えることになります。

短い期間で考えると、漢字を覚える、かけ算の九九が言えるようなるといった、日々の授業の中で身につけるべきスキルのような訓練的な要素が強いものもあります。これこそ訓練でやらせるしかないように思えます。しかし、訓練させるにも、ただ「やりなさい」「試験をします」では、子どもは受け身になってなかなか身につきません。どれだけできるようになったかチェックし、自身の進歩を実感させ、ときには達成感を友だちとわかちあう。そのような工夫が必要です。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが目的意識を持って自主的に取り組み、達成感を味わうことになります。教師の役割は、訓練の目的を明確にし、子どもたちにわかりやすい目標を設定し、進歩を認める場面をつくることになります。

実際に「子どもが主役」の授業をつくることは、これらの要素が混じったものになると思います。教科や単元、子どもの成長によってそれぞれの比重が変わりますが、どれかの要素だけというのは不自然でしょう。

最後に「子どもが主役」というのなら、教師は何なのでしょうか。私は、「教師は演出家・プロデューサー・コーディネータ」だと思っています。主役たる子どもたちに活動を指示し、活動しやすいように環境をつくり、子ども同士をつなぐ。こういう意識を持てば自然に「子どもが主役」の授業になっていくと思います。
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