意欲的な初任者の授業

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。台風18号の影響で3限目までの授業がカットされ、予定していた数学の授業研究がカットされたのが残念でした。英語と社会科の授業研究と学級活動の時間を参観しました。

初任者の授業はTTで行う2年生の英語でした。授業者の笑顔がとても印象的です。授業中一度も笑顔を絶やしませんでした。ちょっと癖のある子どもや授業に集中しない子どももいる学級ですが、きちんと授業が成立していました。この半年間で立派に成長しています。
この日の授業は音読を中心にしたものでした。最初にこの日のテキストをリスニングします。子どもたちはなかなか聞き取れないようすです。この日初めて学習する単語や語句もたくさんあるからです。よく言われるのが「読めない言葉は聞けない」です。少なくとも知らない単語を聞き取るのはとても難しいことです。
聞き取れた単語を子どもたちに聞きます。数人の手が挙がります。文全体や内容を聞き取るのが難しくても、単語なら聞き取れる可能性は増えます。子どもたちが参加しやすいように考えられた発問です。それでも、あまり手が挙がらなかったので、授業者は困った表情をするかと思ったのですが、笑顔を崩しませんでした。順番に指名していきます。最後の一人になった時に、それまで指名されなかった子どもは全部言われたとつぶやきました。一問一答になっていたので、参加できなかったのです。同じ単語を聞けた子どもをつないだり、「その単語の前後は何て言ってか聞き取れた?」「その単語の前後にはどんな言葉がありそう?」と他の子どもをつないだりして、少しでも多くの子どもが参加できるようにすればよかったと思います。
最後の一人はメモを見ながら数を発表します。電話番号があったのです。それを見て、「メモしている」というつぶやきがありました。メモをしているのはずるいと思ったのでしょう。授業者はそれに対してコメントしませんでした。授業者としては子どもにメモを取ってもらいたかったのでしょうか、それともメモを取らずに記憶してもらいたかったのでしょうか。いずれにしても、「メモを取っていたんだ。大事な言葉をメモできるといいね」というように評価するか、「メモを取っていたんだ。メモを取らずに頭に覚えておけるともっといいね」というように返すかして、どうしてほしいのか伝えてあげなければいけません。
聞き取れた単語が本当にあったのか確認することも必要です。聞き取れなかった子どもは、自分で確認できるすべがありません。友だちが言ったことをそのまま信じるしかありません。自分で確認して、できるようになる場面をつくることが必要なのです。子どもたちが発表した単語を意識できているうちに、もう一度挑戦し、1つでも聞き取ることを経験することがやる気につながるのです。

続いて、新出単語と語句の意味です。予習をすることになっていたので、子どもに意味を聞きます。何人かの子どもがその場ですぐに答えます。意欲のある子ども、活発な子どもが場を仕切っています。他の子どもは参加することができません。一部の子どもと他の子どもたちの関係が悪くなります。予習をしてこなかった子どもは、教師が教えてくれて練習するので特に困ることはありません。一部の子どものためにだけある場面になっています。こういう時は、単語の意味をまわりの子どもと確認させるのです。予習をしていた子どもは、活躍できます。してこなかった子どもは友だちに教えてもらい、予習をしてきた方がよかったかなと思ったりします。こうすることで子どもの関係をつくりながら、予習に対する意欲を上げていきます。
T2がフラッシュカードを使いながら練習をさせます。先ほどのリスニングは、この後に行なえばいいのです。練習したばかりの単語だから意識をすれば聞けるはずです。まずは、聞き取れたという達成感を与えてあげることが大切です。

チャンクリーディング(短文、語句単位で読ませる)、1文読み、部分リピート、・・・とたくさんの読む活動をします。しかし、これらの活動の目標がよくわからないのです。この日の最終目標は何か、一つひとつの読む活動の目標は何かを子どもたちは意識していません。ただ、指示に従って活動しているだけです。活動量は多くても子どもたちに達成感がありません。どんな力がついたか自分でよくわからないのです。目標を明確にし、子ども自身で達成できたかどうか評価できる場面が必要なのです。
教科書を見ながらのリーピートリーディングでは、ある子どもは教科書を見ながら、別の子どもは教科書から目を離し、授業者を見ながら発音しています。どちらも真剣です。最終目標は暗唱できることでしょうか、英文を読めるようになることでしょか、それともリスニング力をつけることなのでしょうか。それらすべてと言うのなら、この活動では何をねらっているのでしょうか。このことを授業者が意識していれば、子どもの姿がバラバラにはなりません。暗唱が最終目標であれば、「教科書を見ないで声を出してね。難しければ見ていいからね」と指示をし、次のステップでは、教師は最初の単語だけ発音すればいいのです。リスニングを意識するのなら、教科書は使わずにリピートさせ、聞き取れていなければスピードを落として、何度も聞かせるようにすればいいと思います。授業者が意識できていないので、当然子どもたちも意識しないのです。
また、読み方も意識してほしいと思います。最初はナチュラルスピードではうまく聴き取れません。当然少しゆっくりです。ゆっくり読むと単語単位の読みになって言葉のつながりが切れてしまい、文として読んだ時とは違って聞こえます。ゆっくりでも言葉のつながりがわかるように読む必要があります。これは、実は訓練しないとなかなかできないのです。こんなことも意識してほしいともいます。

シャドーウイング(相手の読みのすぐあとをついて読む)やジャスチャーリーディング(シチュエーションを表わすジェスチャーに合わせて読む)にも挑戦しています。ジェスチャーリーディングは9月に受けた東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修に参加しての挑戦です。この意欲は称賛に値します。しかし、まだまだ消化できていません。当然です。実際にやることで、ポイントがわかり、上手く使えるようになるのです。しり込みしていてはいつまでたっても使えるようにはなりません。この挑戦する姿勢が大切なのです。

シャドーウイングは、まだ始めて日が浅いので子どもたちが追いかけて読み始めるタイミングがつかめません。こういう場面こそTTをうまく活用するのです。どちらか一方が最初に読み、もう一方が、追いかけて読むきっかけを出すのです。慣れるまでは、こういったことも必要なのです。

ジェスチャーリーディングは、ジャスチャーが何を表わしているのか子どもがわかっていません。「もし」といった抽象的な言葉はジェスチャーで表わしにくいからです。原則、ジェスチャーは1単語、1語句と対応するようにしなければ、語順などがわからなくなります。授業者のジェスチャーはそういう点でもおおざっぱでした。ジェスチャーの表わすシチュエーションを意識ながら言葉を紡ぐことで、英文の表すシチュエーションを子どもたちが理解するのがねらいの一つですが、子どもたちは英文と授業者のジェスチャーを対応させているだけです。これでは、ジェスチャーを使う意味はあまりありません。単語や語句と一つひとつのジェスチャーを対応させ、そのシチュエーションをきちんと理解させ、教えた上で活動することが必要です。

ペア活動がいくつかあったのですが、その様子が気になります。互いに相手の方を向いて目を合わせているペアの数が非常に少ないのです。子どもたちの人間関係が上手くつくれていない可能性があります。一方が教師役で教科書を読み、それに合わせてもう一方がリピートをする活動では、上手くできない子どもを教師役が助けようとしません。自分の役目は教科書を読むことだけだと思っているようです。このような場面にたくさん遭遇しました。子どもたちの関係をつくることを意識した指示が必要です。「先生だったら、どんなことに気をつける?」といった発問をして、子どもたちに相手を助けることをしなければいけないことを気づかせてから活動に入るといったことが必要です。

課題はたくさんあります。それはとてもいいことです。それに気づけば、一つひとつ解決していけばいいだけです。基本的な授業規律はできています。授業者は子どもたちをとてもよく見ています。だから、教科の内容や教材研究に関する課題がたくさん出てくるのです。
そして、素晴らしいのが英語科全体として一緒に授業を考える、つくるという教科のチームワークです。検討会の参加者の様子からそのことが伝わってきます。この学校の英語の授業はこれから大きく伸びていくと思っています。今後がとても楽しみです。

社会科の授業研究については、明日の日記で。

互いが向上する組織づくりを考える

先日、介護職員の研修について打ち合わせを行ってきました。そこで、研修に参加しない職員に対してどのようにアプローチするかが話題になりました。研修に参加しない方に不手際が多いというのです。参加されない方には研修がツールとして機能しません。かといって、上司から個別に指導していてもモグラたたきです。日ごろの仕事を通じて互いが向上する組織づくりを目指す必要があります。

そのための第一歩はミスに気づいた時にフォローし、注意し合える関係をつくることです。口で言うのは簡単ですが、現実にはそれほど簡単なことではありません。ミスを指摘されることはあまり気持ちのいいことではありません。指摘する方は、フォローはしても、相手に嫌われることをおそれて注意まではしづらいものです。互いに注意し合いましょうでは、実効性は低いのです。
では、どのようにすれば指摘し合える関係ができるのでしょうか。なかなかよい答は浮かびませんが、対策の一つとして心理的な障壁を下げることを考えてみることにしました。具体的には、ネガティブな言葉を使わないようにすることです。「○○しないように」ではなく、「○○しましょう」と言い換える。「ありがとう」の言葉を必ず添える。こういう習慣をつけるというより、もうルールにしてしまうのです。形だけで中身が伴わなければ意味はないという意見もあると思います。その通りです。しかし、形をつくることで中身が伴ってくることも事実です。
管理する立場の方には、指摘した方に「ありがとう」と声をかけるようにお願いします。指摘する側の方が心理的には厳しいものがあるからです。

これは学級集団づくりとも共通することです。ソーシャルスキルを身につけさせることで、互いの人間関係をつくり、よい行動をほめて強化するペアレントトレーニングを活用するのです。
大人の集団でうまく機能するかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。

「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ

先週は、ICTを活用した「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせに出かけてきました(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)。愛される学校づくり研究会で研究しているものです。

今までは、研究会の模擬授業でこのツールを試してきたのですが、いよいよ実際の授業で実験をすることになりました。今回は、ある市の教育研究会で研究授業の検討会の一部分をこのツールを使って行っていただくことになりました。実際の授業で使っていただくことの他に新たな試みがあります。それは検討会の司会を私以外の方が行うということです。司会者の大きな役目に参観者の反応と授業の様子をもとに、どの場面を取り上げるのかを判断することがあります。個人の力量によらないように、できるだけ客観的な判断の基準をつくることで、誰にとっても気軽に使えるツールとなります。司会者によってデータを見る視点が変わってきますので、いろいろな方に使っていただくことでノウハウを集めたいのです。

今回の司会者は研究会のメンバーで、力量的には何の不安もありません。前回の検討会で私が考えたことをお伝えして、参考にしてもらえばあとはおまかせで何も問題はありません。ただ、公的な場をお借りしてのことなので、ツールがうまく動作しなかったり、設定にもたついて貴重な時間をムダにしたりするわけにはいきません。準備物や電源の確認も必要なので、その点も合わせて打ち合わせを行いました。

この授業については、この日記と愛される学校づくり研究会のコラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第7回で報告します。楽しみにしていてください。

進歩の影には地道な努力がある

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度第2回目でした。

前回訪問は5月で運動会の直前だったこともあり、子どもたちが落ち着いていないと感じた場面が多かったのですが、今回は全体的にとても落ち着いた印象でした。

前回、授業規律が確立していないと感じた1年生の学級は、印象が大きく変わっていました。子どもたちは元気がいいのですが、きちんと指示に従っています。授業者は子どもをよくほめ、よく子どもを見ています。子どもたちの表情がとてもよくなっています。一度にたくさんの指示をしないように意識していることもよくわかります。
また、ちょっと落ち着きのない子どもに対しても、様子を見ています。一時的に集中できなくても、場面が変われば参加することを知っているようです。どこで声をかけるべきかを考えています。また、直接授業に関係ないことを言う子どもに対しても、「あとでね」と無視をせずに上手にかわしています。
授業者と個別に話をしましたが、前回のアドバイス一つひとつを本当に意識していたようです。今回は授業の導入場面しか見ませんでしたが、おそらく次の課題となるであろうことをアドバイスしました。子どもたちに本当に考えさせたいのはどこか、考えるために必要なことは何かをしっかりと教材研究をすることです。これは意識したからといってすぐにできるわけではありません。時間はかかると思いますが、前回のアドバイスを意識して実行し続けた方ですので、きっと着実に前進してくれると思います。

前回道徳の授業を見せてくれた4年生の担任の初任者は、今回も道徳の授業を見せてくれました。テーマは正直に行動することでした。10回100点を取るとサッカーシューズを買ってもらえる約束を母親とした主人公が10回100点を取れた。しかし、採点ミスがあって実は100点ではなかった。言おうかどうか悩んだが正直に申し出て、先生にほめられ、サッカーシューズも買ってもらえてよかったという話です。
子どもたちから事前に取ったアンケートを紹介します。嘘をついた時とその理由です。子どもたちがとてもよく話を聞いています。続いて資料を範読します。100点が間違いだったところまでで止め、内容の読み取りを素早くします。100点を取ったらサッカーシューズを買ってもらえることになった時の気持ちを子どもたちに発表させます。
前回は子どもたちが友だちの話を聞いていないということを指摘したのですが、今回は違います。どの子どもも友だちの方を向いてしっかり発言を聞いています。しっかりと反応もできます。授業者に聞いたところ、前回のアドバイスの後、聞くことをとても意識したそうです。しかし、ただ「聞こう」というだけでは、子どもたちは友だちの方を向くようになるだけで、実は聞いていないことが多いことに気づいたそうです。そこで、「聞く」とはどういうことか話し合わせたりして、子どもたちに考えさせたそうです。時間をかけてここまで育てたようです。
子どもたちの意見を、「頑張ってサッカーシューズをもらう」「ライバルの友だちには負けない」「お母さんを喜ばせよう」の3つに整理しました。「自分」「友だち」「母親」の3つの視点です。
ここで、自分ならどうするかとその理由を考えさせ、発表させます。「嘘をつく」という子どもはいないのではないかと心配したのですが、正直に意見を言ってくれます。「なるほど」とその理由を聞いて意見を変える子どもがいます。別にどうということのないことのように思えますが、そうではありません。間違えたり、モラル的に問題のある発言をしたとしても、バカにされたり非難されたりしないという安心がなければ、こういった自分の考えを発表することができません。そういう学級をつくることができているのです。子どもたちの表情のよさの理由がわかった気がします。
授業者は、子どもたちの意見をしっかりと受容します。中には「サッカーシューズを買ってもらってから、正直に言う」というなかなかの意見もあります。嘘もつかない、サッカーシューズも手に入るという、自分的にはよい考えです。授業者はこれも受容しましたが、ここは揺さぶりが必要なところだと思います。最初の「お母さんを喜ばせたい」という気持ちに戻るのです。「お母さんはどう思うだろうか?」と問い返すことで、もう一度考え直してくれると思います。
また、子どもの言葉がよく理解できない場面がありました。その時、「ああって言ってくれたね。助けてくれる」と反応した子どもに助けを求めました。その子どもは、しっかりと友だちの考えを説明してくれました。よいつなぎです。こういったところにも授業者の成長を感じました。
資料の後半を読んで、主人公が正直に話したところで、子どもたちが拍手をしました。自分の考えと同じだったから、正解だったからと拍手したのか、主人公が正直だったことへの称賛の拍手だったのか、よくわかりませんでした。ちょっと子どもたちに聞いてみたいところでした。しかし、このあと明らかに「嘘をつく派」の子どもたちの表情が変わってしまいました。元気がありません。ここは、何らかの対応が必要なところでしょう。
続いて、正直に話した後の主人公、母親や先生の気持ちを聞きます。よい結末になっているので、「よかった」「すっきりした」「うれしい」というポジティブな言葉が出てきます。4年生なのでこれでよいのかもしれませんが、「サッカーシューズを買ってもらえなかったらどう?」「ミスを指摘されて先生が機嫌を悪くしたらどう?」といった揺さぶりがあってもよかったでしょう。
ここで心情を問うのであれば、先ほどの「どうするか」と「理由」に対してその時「どんな気持ちがするか」も続けて聞いてもよかったかもしれません。また、最初のアンケートも嘘をついた時の気持ちを書かせておいた方がよかったかもしれません。道徳の授業としては心情面にもう少し迫りたかったところです。
「嘘をつく派」のいた状態で最後はどうまとめるのか注目していましたが、なかなかよいまとめ方をしてくれました。自分が採点ミスをした時、点数が下がるのに申告してくれた子どもがいてとてもうれしかった話をして終わったのです。説教的なまとめではなく、授業者の気持ちであれば、素直に聞くことができます。子どもたちに「嘘をつくな」ではなく、「正直であれば、相手がうれしく思ってくれる」ことを伝えたのはとてもよいと思います。
授業技術の進歩も大きいと思いましたが、道徳の授業としても進歩の跡が見えます。毎週の道徳の授業を大切にして研究し続けたことがよくわかりました。

5年生の社会科の授業は日本の漁業の問題を考える場面でした。前時の復習をしますが、子どもたちには教科書やノートを開かせません。これでは自信を持っている子どもしか発言できません。忘れたら思い出せばいいのです。それの繰り返しで定着するのです。
子どもたちは発言者の方を見るのですが、発言者は授業者を見ています。授業者は子どもの言葉をしっかり聞いて受容しますが、他の子どもを意識できていません。どうしても一問一答になってしまいます。ある程度時間をかけて子どもから聞き出した後、最後に「4つの漁業」と用意したまとめを黒板に貼ります。考える場面ではありません。参加できない子どもにしてみれば、早くそれを見せてくれればいいのにという気持ちでしょう。あまり時間を書ける意味はありませんでした。
資料をもとに「何でもいいから気づいたこと」をワークシートにまとめて発表させます。社会としての資料の見方をきちんと指導しておくことが必要です。それが意識できていて初めて「気づいたこと」という発問が意味を持ちます。子どもたちの考えを板書しますが、結果のみが残ります。どこからそれがわかったのか、きちんと資料で確認して共有することが必要です。ここでも一問一答になっています。つなぐことを意識してほしいと思います。
授業者には、資料の活用には「必要な資料を見つける」「資料を読み取る」「読み取った内容をもとに考える」の3つのフェーズがあること、それをどう意識して授業をつくるかをお話ししました(資料集をどう活用する資料の共有社会で資料を見る力を育てる参照)。時間の関係で「必要な資料を見つける」は難しいこともあります。そういう時は、「どんな資料があるといい?」と子どもたちに問いかけ、それに応じて準備した資料を見せるという方法もあります。このような方法を知っていると授業の幅が広がると思います。

ベテランの算数の授業は4年生の(何百何十)÷(何十)の計算の仕方の場面でした。ベテランらしく子どもを引き付けるようなちょっとして工夫もたくさんありましたが、押さえるポイントに疑問を感じました。授業者は10の固まりをもとに計算することを大切にしているのですが、この教材はこの後の2桁の数で割る計算のための足場となるものです。そのため、120÷20の計算の説明で、わざわざ12÷2で答が6と「見当」をつけるという言葉を使うのです。そして、「20×6=120となって」と商が6であると確認をします。余りのある場合も同様で、150÷20も15÷2=7あまり1となって商が7と「見当」をつけます。20×7=140で150−140を計算してあまりが10でよさそうです。ここで「よさそう」という確認が大切なのです。そのために、商と余りの関係を教科書では押さえているはずです。ここで大切なのは、割る数より余りが小さいことです。あたりまえですが、これを押さえておかないと、2桁の数で割る時に「見当」を間違えた時におかしなことが起こるのです。この日の課題であれば「見当」ではなく、答でもよいのです。あえて「見当」を使っている意味を分かってほしいと思いました。

全体に対して「子どもたちと先生の関係はよいのですが、子どもの発言場面では発言者と先生の1対1の関係になってしまっていること」、「一問一答で子ども同士をつないでいないこと」「挙手指名が中心の、参加できる子どもだけで進む授業になっていること」を指摘しました。子ども同士をつなぎ、全員参加の授業を目指してほしいことをお願いしました。
そして、教科書(特に算数)をしっかり読みこんで授業をしてほしいことを2学期の教材を例にして具体的に話させていただきました。
校長は、前回のアドバイスから「ほめる」「認める」というキーワードを抽出して学校に浸透させてくださいました。今回は「つなぐ」「全員参加」をキーワードとされました。こうした管理職の働きかけが、学校が進化するためにはとても重要です。この学校の授業が改善されている裏にはこのような動きがあったのです。
今回の公開授業を、この前の週に訪問した学校の先生が1名参観に来ました(校長の働きかけの大切さを感じる参照)。何がこの先生に必要なのかを考えての校長の指示です。真剣に育てようとしていることがよくわかります。2つの授業を私の解説を聞きながらしっかりと見てくれました。
こういった校長のいる学校は必ず進化していきます。2校続けて改善が見られるということは、この市の管理職の力なのかもしれません。次の学校はどのように変わっているか、ととても楽しみです。

喉元過ぎれば熱さを忘れる

先日、中学校で授業アドバイスを行ってきました。昨年の秋に研究発表が終わってからは、初めての訪問です。学校の変化が気になりました。

以前は授業に参加できない子どももいたりして、落ち着かない雰囲気もあったのですが、そのことをあまり感じなくなっていました。しかし、子どもが落ち着いたために、先生方はこの学校が目指していた「子どもたちの学び合い」を以前より意識できなくなっていました。あえて厳しいことを言えば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということになっていました。明らかに先生がしゃべりすぎです。子どもたちが大人しく聞いているようなので、気持ちよく話を続けてしまうのです。そのため、子どもたちが受け身の時間が増えています。それでも、子どもたちがごそごそしないので、気にならないのです。しかし、よく見ると視線が宙を浮いている子どもがいます。上体を背もたれにつけて先生を眺めている子どもがいます。子どもは派手にごそごそしませんが、決して集中しているわけではないのです。個人作業などでは集中を見せますが、話をしっかり聞いているようには見えません。また、子どもたちが話し合う場面が少なくなっていました。学校を回っていて、子どもたちの声があまり聞こえてきません。以前は意識できたいたことができなくなっています。子どもがよくなった分、先生方が後戻りしてしまったのです。教師の求めに対して子どもたちが応えている場面も目にします。問題は、教師が落ち着いて座っている以上のことを求めていないことにあるのです。
このことは、学校がよい状態になっていく過程でよく起こることです。ここで、もう一歩前進しようとするのか、満足してそこに留まるかで、この後が大きく変わります。前者の場合、よい状態が長く続くのですが、後者の場合、また子どもたちが落ち着きをなくし、その対策を取ることの繰り返しになって、なかなか学校が安定しません。この学校はその岐路に立っていると感じました。

新しい先生も増えていました。この学校で目指してきたことがまだよく理解できていないと感じる方が多くいます。中には、子どもたちをしっかり受容できて、この学校が目指してきたものに近い授業をされる方もいらっしゃるのですが、それはこの学校に合わせたというより、以前からのその方のスタイルのように見えます。この学校で共通して行おうとしていたものが、見えなくなっていました。

以前のようにグループを使った活動をしている方もいるのですが、活動のねらいがはっきりしていません。この活動で子どもたちが何を考えるのか、そのために必要な知識は何かが明確になっていません。ただ活動をしているだけのように見えました。いろいろなことが甘くなっています。これまで意識できていたことができなくなっていました。
これまで先生方が頑張ってこられたから、今の子どもたちの状態があります。研究発表も終わってホッとする気持ちもよくわかります。しかしここまで頑張ってきたのですから、それをムダにしないためにも、当初目指していたことに向かって次の一歩を進めてほしいのです。今の子どもたちであれば、先生方が求めれば必ず次のステージに立てると思います。
全体に対してはこのようなことをお願いしました。

たくさんの方が全体会の後集まってくださいました。全体でお話したこと以外の個別の課題について一人ずつお話ししましたが、同席している皆さんも他人事ではなく自分のこととして聞いてくださいました。強い向上心を感じました。研究発表が終わり、子どもたちも落ち着いたため、自分たちの目指していたことの意識が薄くなっていただけだと思いました。学校で目指すもの、自分の課題を再度認識して次の一歩を踏み出してくれることでしょう。
また訪問する機会があれば、きっと大きく進歩した姿を見せてくれることと思います。その機会があることを楽しみにしています。

算数の教科書を理解することの大切さを感じる

小学校の授業アドバイスを行ってきました。初めて訪問する学校で、全学級の授業を見せていただきました。

私に見せる授業はどの教科でもよいということだったそうですが、普通学級はすべて算数の授業でした。算数は教えやすいと思っている方が多いように感じられます。答を教えることは誰にでもできますが、考える力や問題解決の力をつけることは、教材研究がしっかりできていないととても難しい教科です。そのための第一歩は、教科書をしっかり読んで、教科書の意図を理解することです。残念ながら、この教科書を理解することができていないと感じる授業が多くありました。

1年生の20までの数を扱う単元で、「12−2」と「15−3」の計算を考える場面のことです。教科書では、12−2は10枚がセットになった折り紙とばらの折り紙2枚から2枚を取った残りを考えます。折り紙が10枚セットになっているので、具体物で考えても自然にばらから取ることに気づけます。授業者はここでブロックを使って確認をします。しかし、教科書では次の15−3で初めてブロックを使います。この意味を授業者は考えていませんでした。折り紙は最初から10の固まりと2になっています。それをブロックでわざわざ表現すると、10と2で12になると固まりを「合わせる」ことになります。ところが次の15では、15の固まりを10と5に「分けて」考えます。ブロックの扱いが違うのです。子どもたちを混乱させないために、ブロックの利用を固まりに分けることだけにしたのです。また、折り紙で10枚セットにしているのは、10枚から取らせないためです。授業者に確認したところ、そのことに気づいていませんでした。教科書の意図を理解した上でアレンジするのは悪いことではありません。むしろ、子どもの実態に合わせてどんどん工夫してほしいのです。しかし、そのためにも、教科書をよく理解することが必要になります。

3年生のあまりのある割り算の導入では、お菓子を皿に分けるのに教科書はあまったお菓子は皿に載せていません。これは、あまっていることを意識させるためです。このことはわかった上で、授業者はあまったお菓子を皿に載せて進めました。子どもに、あまりが載った1皿をどう扱うかを考えさせたいのです。このことは決して悪いことではありません。しかし、きちんと理解させないと混乱する可能性があります。子どもたちがこの皿は勘定に入れないことを納得できた段階で、「じゃあ、このお菓子は皿に載せてはいけないね」とあまったお菓子を皿の外に出すといった動作をさせたりする必要があります。「このお菓子は皿に載せない」つまり「あまった」ということを動作させることで強く印象付けるのです。残念ながら、そういった活動はありませんでした。もう一歩踏み込んで教科書の意図を活かすこと考えれば、とてもよい授業になったと思います。

6年生の変わり方を調べて考える授業も、教科書(指導要領)の意図がわかっていない授業でした。2人が道の両方から歩いていつ出会うかという、いわゆる出会い算の問題です。ここでは、表を使って規則性を見つけその関係から答えを導く流れです。帰納的な考えを大切にする教材です。しかし、授業者は、双方の距離が毎分どれだけ減るかを説明して考えさせます。その上で、表を埋めて考えるように指示します。演繹的に考えるのなら表は必要ありません。かえって混乱します。この単元では、与えられた条件を理解して、いくつかの関係を表に表わす力をつけることが必要ですが、その説明や練習はありませんでした。関数の考え方や活用する力を身につける単元なのですが、まったくそのことを理解していませんでした。

この他にも、教科書の意図を理解していないと思える場面が多くありました。下手にアレンジするぐらいなら、教科書を忠実になぞる授業の方がまだよいように思います。もちろん、教科書のキャラクターの吹き出しは、自学を意識したものですから、そこは子どもから引き出したり、子どもの言葉でまとめたりするようにしてほしいのですが・・・。

全体に先生方の表情がかたいことが気になりました。笑顔をあまり見ることができません。先生方と話していて、どうやら私に授業を見られるということで相当緊張していたということがわかりました。子どもたちにもそれが移って、いつもより雰囲気が重たかったのかもしれません。

共通していたのが、子どもをほめる言葉があまりなかったことです。どうしても、気になる子どもを注意することに意識が向くようです。
指示を徹底させることもあまりできていません。子どもたちの動きをいったん止めることができないまま、指示を出している場面に多く出会いました。また、子どもの言葉を拾うのですが、全体で共有しません。それを受けてすぐに説明を始めます。基本的に、わかる子どもの言葉と教師の説明だけで授業が進みます。ハンドサインも一部の学年を除いてほとんど機能していません。子どもたち全員が意志表示していないのに、先に進んでいきます。ハンドサインに限らず全員参加が意識されていないと感じる場面が多くありました。

中には、子どもたちの困ったことを共有して進めようとしている先生もいらっしゃいました。この先生は笑顔がとても多く、子どもたちをしっかり受容しようとしていました。子どもに対して「ありがとう」の言葉も出てきます。ただ、困っているところの解決を先生が説明したのが残念でした。困っていない子どもにとっては、この時間は退屈に感じる可能性があります。わかった子ども、困っている子どもをつなぎながら双方を活躍させることを意識すれば、とても素晴らしい授業になると思います。

また、ある場面を指摘するだけで、自分で何が課題か、どうすればよかったかに気づける方もいました。素直で前向きな方です。経験が浅くても、今後大きく伸びてくれることと思います。

気になる子どもにかかわりすぎて、他の子どもとかかわる余裕を失くし、子どもたちとの関係が上手くいっていない方がいました。まじめな方なので、気になる子どもをなかなか無視できないのでしょう。しかし、まずは全体との関係をつくることが優先です。思い切って気になる子どもにかかわる時間を減らして、他の子どもとの関係をつくることを意識するようにお願いしました。

特別支援学級は、この日は担当の先生2人でそれぞれ2人の子どもを教えていました。一人は、昨年まで別の学校でアドバイスをさせていただいた方でした。以前の学校でも特別支援を担当されていたのですが、着実に進歩していることを感じました。子どもを笑顔でしっかりと受け入れ、よくほめています。子どもに寄り添い、子ども同士もつなげようという姿勢を強く感じます。子どもが安心して暮らせていることがよくわかります。
もう一人の方は、2人の子どものうちどちらか一方に注意が集中する傾向がありました。子どもが発表する場面では、どうしても発表者に注意がいってしまいます。もう一方の子どもがきちんと聞けているのであれば、それを評価してあげてほしいと思います。評価することで、子どもと教師の関係だけでなく、子ども同士の関係もつくることができます。

外部の人間に授業を評価されることは初めての経験なので、皆さんやや緊張気味でしたが、とても素直に私のアドバイスを聞いていただけました。教科内容についてのアドバイスをすぐに活かすことは難しいかもしれませんが、学習規律や全員参加については比較的取り組みやすいことが多いので、少しでも意識していただけたらと思います。
次回の訪問では、緊張も少し緩んで、先生方のよいところたくさん見られるのではないかと期待しています。

習熟度が下位の子どもたちが全員参加する授業

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

中学で、教師が一方的にしゃべっている授業が多いことが気になりました。きちん起立して発言することを求めず、一部の子どもの反応だけを拾って進めていることも気になります。子どもが思いついたことを教師にしゃべり、それを受けて教師がすぐに説明をします。子どもの発言を全体で共有する場面がないのです。子どもの視線がバラバラで、集中していません。4月当初、1年生は授業に積極的参加しようとしていると感じたのですが、そのエネルギーが感じられなくなっています。
一方高等学校は、全体的に落ち着いています。ただ、教師による授業中の子ども姿の差が顕著になってきたのを感じます。子どもたちの様子をよく見ようとしている方の授業では子どもの参加度が高くなっているように思います。
教師間の情報交換、交流が進んでほしいと思います。

授業を見てほしいというリクエストが2人の英語の先生からありました。新しいことに挑戦しているので、外部の意見もほしいのでしょう。
1つの授業は、会話文をつくって練習する場面でした。高校3年生です。子どもたちは何時間かかけて与えられたテンプレートをもとにペアで会話文をつくり、それを暗記して発表できるようにします。1時間で完結しないので、相方が休むと個人では作業ができません。そのような子どもが気になりました。例え発表はペアでも何回か連続する活動であれば、グループでの活動にした方がよいでしょう。
1時間の授業での進度の目標はあるのですが、明確なチェックはありません。また、ペアで1時間の授業中ずっと集中するのは、彼らには難しそうです。集中力が切れて途中で雑談になったり、作業が止まったりしているペアが目につきました。ペアで行き詰った時には、助けを求める相手がいないので教師を呼んでたずねます。こういったことを考慮すると、グループで活動の形にし、中間発表の時間を毎回設けて子どもたちが相談したり、出力したりする場面をつくるとよいと思います。子どもたちの集中力を教師がコントロールする発想も大切です。

もう一つの授業は、3つに分けた習熟度編成で一番下のグループに対して、”ENHLISH THROUGH PICTURES”という、米国で使われている第2外国語としての英語指導法を取り入れることに挑戦したものでした。まだ、始めて数回でしたが、何より驚いたのが子どもたちの集中度でした。高校1年生ですが、”you”のスペルも怪しい子どもたちです。先生役の子どもは指示棒でスクリーンに映し出された4枚の絵を示して、子どもたちにその絵の状況を英語で言わせます。リモコンを使って順番に正解を示しながら進んでいきます。子どもたちで進めているのは、その方が集中度が高いからです。授業者は子どもたちの様子をよく見ています。反応した子どもを指名するように先生役の子どもに声をかけたりします。代名詞の使い方といった本当に基本的なことですが、子どもたちにとってはかなり難度が高いのです。真剣に考えないと何を答えればいいのかよくわかりません。しかし、どの子どももわかろうと必死です。なかなか口を開けない子どもを指名すると、それでも何とか答えようとします。子どもたちはこの授業であれば参加できる、何度も聞いていればわかると信じでいるようでした。
1通り終わってから、この日学習したことを書かせます。英語を書くことは彼らにとっても、もう1つの壁でのようです。ある子どもが、自分たちはもう1回やらないとできないと声を出します。できないからと教えてもらうのを待とうとするのではなく、自らできるようになるためにどうしたいかを伝えます。とても前向きになっているのを感じます。別の子どもが先生役になってもう一度進めました。最後まで誰一人集中力を失くしませんでした。
書くことに関しては、この日使った英語の単語を一覧にしたスライドを映すとよいと思います。「できるだけ見ないで」と指示をすれば、どの程度定着しているかもよくわかります。また、子どもたちは友だちの発言を聞いていますが、全体でリピートする時間をもっととるようにする必要があります。子どもが先生役では難しいところもありますが、工夫すれば可能だと思います。
この先生の行動力には毎回驚かされます。よいと思ったことはすぐに実行します。もちろん、初めから完璧にはいきません。しかし、実行するからこそ見える改善点もたくさんあります。急速に力をつけていることがわかります。

この授業に関して、英語科では賛否が分かれているようです。従来の文法的なことを教えたい先生もいるのです。大切なことは最終的に子どもがどうなっていくかです。この学校として目指す子どもの姿を再度共有して、そのためにはどのような授業が必要かを真剣に議論してほしいと思います。この学校が進化していくためには、このような過程が最も必要なものだと思います。

この学校から得られる刺激や学びが次第に大きくなっています。次回は、模擬授業を使った授業研究を有志で行う予定です。どんなものになるか、今からとても楽しみです。

校長の働きかけの大切さを感じる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、この学校から今年度第2回目となります。

1学年1学級の学校ですが、今回は全学級の授業を見た後、全員に個別アドバイスをしました。
前回の訪問から夏休みを挟んで3ヶ月しか経っていませんが、子どもたちの様子はずいぶん違って見えました。以前は教師が板書すると写すことに意識がいって、話を聞いていない子どもが目立ちました。しかし、この日はほとんどの学級でそのような姿は見られなくなりました。特に指示をしなくても教師の話を集中して聞いています。もともと子どもたちを受容できる先生が多かったのですが、先生方が子どもたちをよく見るようになったことがよい影響をもたらしているように思いました。

前回訪問時に子どもたちの授業規律がうまくつくれなくて苦しんでいた1年生の学級は、この日見た算数の導入場面では、全員が集中して参加していました。子どもたち全員をよく見て、発言をしっかり受け止めていたのが印象的です。子どもたちの変化の手ごたえを感じていると同時に、今の自分に足りないところをきちんと認識していました。これからも、進歩していくことと思います。

2年生の担任は、基本がしっかりとできている先生ですが、前回訪問時に子どもたちをつなぐことを課題と指摘しました。今回見た国語の授業では、つなぐことを含め前回指摘したことを改善しようと意識していることがよくわかりました。隣同士で伝えあったり、わからなかった子どもを参加させようとしたりしています。ただ、まだ挙手する子どもが主体になって進む場面があるので、挙手しない子どもを参加させることをもっと意識してほしいと思いました。
利き腕をケガしている子どもがいました。左手でワークシートに書こうとするのですが、うまく書けません。授業後悔しくて泣いていたそうです。授業者はどう対応すればよかったのか悩んでいました。できないことを無理してやらせるのではなく、できることで活躍させる場面をつくってあげることが重要です。ワークシートに書けなくても考えることはできます。「ワークシートは書かなくていいけれど、発表できるようにしっかり考えてね。あとで発表してもらうからね」とできることで頑張らせるのです。「ワークシートなしでも、しっかり発表できたね。よく頑張ったね」とほめてあげれば、これからも積極的に授業に参加できるはずです。

3年の担任は子どもたちをしっかり受容できる方です。ほめることもできます。ただ、全体に対してほめることや「○○している人がいるね。いいね」といったほめ方が多く、固有名詞があまり出てきません。3年生くらいになると、だんだん自分がほめられたとは思わなくなるので、固有名詞でほめることを意識してほしいと思います。指示に対して子どもたちは素早く対応します。しかし、それでも若干の個人差があります。授業者は最後の子どもまで確認せずに次の指示を出すことがありました。動きの遅い子どもがついていけなくなる可能性があります。早い行動をうながすことと全員の確認をセットにしていただければと思います。

4年生の担任は、子どもにどうあってほしいかを意識でいる場面とできていない場面でのギャップが大きいことが気になりました。子どもにこちらを向かせたい時は、「おへそをこちらに向けて」と指示をすれば子どもはすぐに従います。「いいね」とほめる言葉もでてきます。しかし、授業者が意識していない場面では集中力がすぐに落ちます。
子どもに発表させた後、子どもに「いいですか」と確認します。答を板書して次の子どもを指名すると子どもたちは板書を写していて、友だちの発言を意識していません。授業者もそのことを気にせず、「いいですか」と確認もしませんでした。この場面でどうあってほしいかがしっかりと意識されず、指示が恣意的になっているのです。
また、作業でどのシールを貼るかという確認の場面で、子どもが口にした言葉が分かれました。前の時間に伝えてあることですから、子どもたちに活動させるよい機会です。しかし、授業者自身が確認して答を言ってしまいました。子どもたちで解決させることをしないと受け身になって、学習意欲が高まりません。この後グループでの作業に移ったのですが、子どもの動きが鈍いことも気になりました。子どもの意欲を引き出すことを意識してほしいと思います。

5年生の授業は、お弁当のミニチュアをつくる図工の授業でした。子どもたちにどんなものを作ればよいか考えを出し合い、まとめていく場面です。いろいろな弁当の写真をサンプルとして黒板に貼って進めます。子どもたちがよいと思う弁当の下にはそれを選んだ子どもの名前が貼ってあります。
子どもたちは自分の考えを思いつくままに言います。それを授業者がひろうのですが、他の子どもにつなぎません。次第に一部の子どものテンションが上がっていき、他の子どもとの差が顕著になります。
「彩りのいい弁当」という視点を与え、子どもたちに彩りがいいとはどういうことかを問いますが、どう答えていいかわからない子どももたくさんいます。どうしても一部の子どもだけで授業が進んでいきます。具体的に答えやすい発問でできるだけ多くの子どもが参加するようにする必要があります。例えば、「この中で。彩りがいいと思う弁当を教えて?」「じゃあ、彩りが悪いと思う弁当は?」と具体的に比較する対象を明確にして、その2つについてどう違うかを子どもに言わせれば、多くの子どもが参加できると思いました。

6年生の授業は、用意された例文を正しい敬語表現に直すものでした。授業者は子どもを見ることをとても強く意識していました。子どもの反応を見逃しません。「首をひねっている○○さん」と言って指名します。いろいろな場面で反応を求めています。授業者は子どもの発言を板書していても、ときどき首をひねって子どもたちの様子を見ています。子どもたちはしっかり板書を見ていますが、だれも写しません。授業者が求める子どもの姿がとてもよくわかる場面でした。
ちょっと話を脱線して子どもたちのテンションが上がっても、「(話を)戻すよ」と言うだけですぐに子どもは落ち着きます。とてもよい関係をつくれています。
また、発言者を見る子どもが増えていますが、まだ授業者を見ている子どもがいます。この授業者であれば、子どもたちにどういう姿になってほしいかを意識すればすぐにそろっていくと思います。
子どもの発言をつなぐことも意識できていますが、発言を全体に共有する場面がありません。そのため、どうしても一部の子どもの意見だけで進む傾向があります。話し合いの足場になるような発言は、何人にも繰り返して言わせて共有化してから、次に進む必要あります。

どの先生も、自分なりの課題を持って授業に取り組んでいることがよくわかります。個別にアドバイスする時に、意識していることをおたずねするのですが、どなたも非常に明確に答が返ってきます。前回ベテランの方には個別にはアドバイスの時間を取っていなかったと思うのですが、全体に対して指摘したことも含め、細かいところまで意識されていました。不思議に思っていたのですが、校長のお話を聞いて納得しました。前回の私のアドバイスをそれぞれにまとめさせて、全体で共有したということです。学校全体が一度に変わることは非常に珍しいのですが、このような手立てをしていたことがうまく作用したようです。
今回も、全員のアドバイスの場面に校長が同席してくださいました。時として、私のアドバイスに対して補足の説明をしてくださいます。口を挟むというのではありません。私が先生方の性格や個性をしっかりと把握できているわけではないので、ストレートに伝えた方がいいかどうか判断しかねるところがあります。そんな時に、一人ひとりをよく理解している校長が、より伝わりやすようにと補足をしてくださるのです。この学校をよくしたい、先生一人ひとりに成長してほしいという校長の思いを強く感じます。この思いが学校を変革していく原動力になっているように思います。

共通してできていることが増えてきたので、次の共通の課題がより明確になってきました。子どもの発言を共有し、考えをつなげ、全員参加を目指すことです。ここで、ポイントとなるのが、考えを深めるための足場となる発言は、意図的に何度も繰り返し言わせたりして確実に共有しなければならないことです。教師がどのような発言が足場となるのかを瞬時に判断する必要があります。そのためには、単なる授業技術だけでなく、教材研究が不可欠です。ハードルがより高くなります。
しかし、この校長と先生方であれば確実にクリアしていくことと思います。今後が楽しみな学校がまた一つ増えました。

私立の中高等学校で変化の兆しを感じる

先日は私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

夏休み前は子どもの集中力が低下していたので、この日はどんな様子かちょっと気になっていました。しかい、私の予想以上に子どもたちは落ち着いていました。昨年までは9月にあった文化祭を2学期の後半に移したそうです。子どもたちに落ち着いて新学期を迎えさせるためです。受験等のことを考えると決断だったと思いますが、その効果がでているようです。
夏休みの研修の成果かどうかは定かではありませんが、子どもをよく見ている先生が増えているようにも思いました。(私の願望かもしれませんが・・・)

気になったのが中学校の授業でした。たまたまかもしれませんが、一方的に先生がしゃべり続ける授業が目立ちました。中学校は高等学校と比べても、子どもを活躍させやすいのですが、残念ながらこの日は、子どもたちが考え、発表している場面を見ることができませんでした。具体的な対応を考える必要がありそうです。

この日は非常勤講師の方が2名、2時間授業参観につき合ってくれました。非常勤講師ですから、プライベートの時間を割いていることになります。その熱心さは頭が下がります。それぞれに悩みはあるのですが、なかなか相談することもできないでいたようです。今回をきっかけにして少しずつ具体的なアドバイスをする時間をつくりたいと思います。

英語科がアクティブラーニングを取り入れています。まだまだ始まったばかりで、日々の授業に悩み、思考錯誤の連続ですが、子どもたちから学びながら少しずつ前へ進んでいるようです。
色についてグループで簡単なスピーチをつくる授業がありました。子どもたちはとても楽しそうに取り組んでいますが、テンションは上がり気味です。スタートしてかなりの時間が経っているのですが、まだスピーチの内容を日本語で考えていたのです。しばらくすると子どもたちのテンションが下がってきました。英作文に取りかかりだしたようです。これは、よくあることなのですが、子どもたちに自分の考えを英語で発表させようとすると、何を話すかを考えるのに時間を取られ、肝心の英文を考える時間が少なくなってしまいます。話す内容を考えるためのヒントや、ちょっとしたテンプレートやサンプルとなるものを用意しておくと時間を短縮できます。
この一つ前の段階として、絵や漫画にナレーションをつけるといった活動もあります。子どもたちはグループでの活動に慣れてきましたから、いろいろなことに挑戦させるとよいと思いました。

別の英語の授業では、子どもたちがグループで英訳をしています。自分ではできない子どもが友だちの手元を見ていたり、教えてもらおうとしたりしていました。わかりたいという気持ちが前面にでています。発表は文章を分割してグループに割り当てて黒板を使って行います。子どもたちは黒板に向かって、ポイントとなるイデオムに線を引いて訳を書き込んだり、修飾関係を矢印で結んだりといった準備をしてから発表します。この間、自分たちの作業を続けているグループもあれば、その様子を見ているグループもあります。教師はこういった時間に何をさせるかを明確にしておくとよいでしょう。
自分の考えを持っているので、友だちの考えは気になります。基本的に発表を聞こうという意欲は見せてくれます。しかし、自分たちの訳と比べてどうだろうと深く考えているようには見えません。その理由は、発表が終わったあと、教師がこれでいいねともう一度説明したり、足りないところを補足したりするからです。自分たちで取り組んでいますが、結局教師が正解かどうかを判定して答を教えているのです。もう一歩進めて、「同じような訳になったところある?」「違うところある?」「納得した?」「この部分は、結局どういうことを言っているのか教えてくれる?」と子ども同士をつないだり、質問したりすることで考えを深め、子ども自身で正解をつくりだし納得することに挑戦してほしいと思います。それには、今以上に子どもたちとやりとりする時間が必要です。そういう意味でも、実物投影機などのICT機器の利用も視野に入れることが必要でしょう。

この学校のアドバイスをするようになって、半年近くなりました。学校全体の改善の方向性はまだ明確にはなっていませんが、教科指導部の先生や若い先生を中心に動きが出てきました。個々の授業改善への取り組みを足掛かりにして、より多くの先生が授業を改善しようという気持ちになっていただけるように働きかけていきたいと思います。

小学校で授業アドバイス(長文)

先日、小学校で若手を中心に授業アドバイスを行いました。小中学校で学習規律などの連携を取っています。以前は立ち歩きをする子どももいたということですが、今は学習規律を意識することで落ち着いているということです。

共通していたことがいくつかありました。
指示に従わない子ども、できていない子どもを注意して規律を維持しようとする傾向があります。緊張状態をつくっています。形だけ整えて子どもたちを緊張状態にすることが目的ではないはずです。学習規律の確立は、子どもたちを緊張ではなく集中させることを目指すことが大切です。そのためには、できない子どもを注意して減らそうとするのではなく、できた子どもをほめてよい行動を増やすことを心がけてほしいと思います。同様のことが、子どもたちの発言に対しても言えます。子どもの発言をほとんど評価しないのです。ほめる、たとえ間違いでも受容することを意識する必要があります。

学習規律が形式的になっています。例えば、先進校から学んだやり方のようですが、子どもが発言する時に「聞いてください」と全体に向けて言います。教師が聞きなさいと言うのではなく、子どもが自分の発言を聞いてほしいと伝えることで、友だちに聞く姿勢をうながすだけでなく自身も他者を意識した発言をすることにつながります。しかし、この学校での実態は形式になっています。聞いてくださいと言われて初めて聞く姿勢をとる学級がほとんどです。発言を聞こうとしていれば、言われる前にその姿勢をとるはずです。また、みんなが聞く姿勢をとっていれば、特に言う必要のない言葉のはずです。しかし、多くの学級では必ず発言時には枕詞のように「聞いてください」と言います。そうではなく、言ったり言わなかったりという学級もありますが、聞き手の様子で決まっているようではありません。単に、徹底させていないということのようです。
また、聞く姿勢をとったからといってきちんと聞いているようには見えません。教師も聞いていなければ答えられないような質問はしません。聞いているかどうかの確認がないのです。

子どもたちのテンションが上がりやすいことも気になります。その理由の一つが、参加できる子どもだけで授業が進んでいることです。そのため、誰にも答えられる質問の時には指名されようとしてテンションが上がるのです。また、教師もテンションが高いことを活発なことと思っている節があります。テンションが高いことは決してよいことではないことをわかってほしいと思います。

1年生の国語の授業は、子どもの発言をしっかり受け止めようとしていました。しかし、授業者が発言者ばかりを見ているので、他の子どもたちの姿はバラバラです。「自分には関係ない場面だ」と集中力を失くしている子どもが目立ちます。教師が発言者だけでなく全員を見ることで、子どもたちの集中を維持することができます。このことを意識するとよいでしょう。
課題に対する答だけが板書され、それをノートに書かせます。これでは、ノートを見ても答えしかわかりません。大切なのはどのようにして答を導き出したかです。国語であれば、本文のどこが根拠になるかです。このことを意識して板書や授業を組み立ててほしいと思います。

別の1年生の授業は生活科でした。子どもたちの学習規律はしっかりしているように感じました。子どもたちとの関係もしっかりつくられていると思います。
子どもが夏に見つけた生き物を発表します。一問一答になっているので、同じものを見つけた子どもは発表の機会を失くします。少なくとも、同じ子どもに挙手などさせて参加させるようにしてほしいと思います。
あらかじめ用意した生き物のカードを発表に応じて貼っていきます。授業者は意図的に場所を変えて貼っていますが、子どもたちは意識していません。せっかくですので、「どこに貼ればいい?」と子どもたちに聞きながら貼ると、指名されなかった子どもも参加しやすくなります。基本的な学習規律はできているので、進め方を一工夫すると授業が大きく進化すると思います。

2年生の算数は繰り下がりのある引き算の筆算でした。「繰り下がり」といった算数用語を大切にしています。とてもよいことです。しかし、用語とその意味するものが残念ながらきちんと子どもに定着していません。繰り下がり、繰り上がりという用語だけを発表させて、その意味をきちんと説明させないからです。
また、授業者は子どもの発言をつなごうと意識していました。これもとてもよいことです。同じ考えの人を指名したり、○○さんの考えを説明させたりします。しかし、わからなかった子どもはこれでは参加できません。説明に納得した子どもを指名したりすることが必要です。ちょっと視点を変えることで、大きく進歩すると思いました。

3年生の社会科は、お店の工夫を考える授業でした。子どもたちがどんな店に行くのかを発表させます。根拠を求められない発問なので子どもたちのテンションは上がります。子どもが発表するお店についてていねいにやり取りしますが、授業の内容にはほとんど関係ありません。次々に指名してテンポ上げるとよいでしょう。授業者はスーパーマーケット、コンビニ、専門店に分けて子どもの発表を板書します。それならば、店の名前を言わせたあと、「どこに書く?」と問いかけて子どもたちに分類を意識させた方がいいでしょう。
授業者が次の活動を指示すると子どもたちのテンションがすぐに落ち着きます。これには感心しました。子どもたちとよい関係をつくることができています。
それぞれのお店に行くわけを発表させます。お母さんはスーパー、お父さんはコンビニという声が上がります。しかし、この言葉を拾うことができませんでした。授業者が顧客層、値段といったそれぞれの特徴を考えるための視点をあまり意識していなかったのでしょう。意見を出させますが、意図的に焦点化する動きを見せませんでした。
スーパーは安いといった意見に対して、子どもからは「なるほど」という声が上がります。こういう反応をするように授業者が求めていることがわかります。しかし、「どこでなるほどと思った?」「あなたの言葉で説明してくれる?」と問い返すことをしないと子どもたちの反応は形式的になってしまいます。せっかくの反応を活かすことを考えるとよいでしょう。
「スーパーは安い」に対して、「コンビニは高いの?」と問いかけて比較する視点を持たせるとよいでしょう。「それなのにコンビニに行くのはなぜ?」とつないでいくことで、比較する項目が浮かび上がってきます。
挙手をせずに一生懸命に授業者に向かって話す子どもがいました。教師はその場は無視して、挙手している子どもを指名しました。その後で、いいことを言っていたからみんなに話すようにと先ほどの子どもを指名し、子どもたちの方を向かせて発表させました。なかなかの対応です。まだ2年目の方ですが、今後が楽しみです。

4年生の理科の授業は、筋肉の働きでした。子どもたちにグループ活動させています。腕の曲げ伸ばしで筋肉がかたくなるかどうかを自分の腕で確かめます。しかし、かたい柔らかいにはっきりとした基準がないので、グループで明確な結論が出せません。子どもたちの活動は停滞します。ムダに時間をかけすぎました。グループ活動が終わって発表させます。子どもたちの意見は分かれます。授業者は意見が分かれるとは予想していなかったようです。それでも、それぞれの意見をきちんと受容していました。子どもたちは意見が発表されるごとに賛成と言います。同じ子どもが何度も賛成と言うのですから、ちょっと気になります。おそらく、子どもたちは意見に対して賛成と言えばいいと思っているのではないでしょうか。その確認のためにも、意見を変えたのかどうか聞いてみたいところです。
3つの意見が出たと言って、どの意見に賛成か挙手をさせます。子どもにその3つの意見が何かを言わせて確認したいところです。何となく参加している子どもが多いように思うからです。授業者はこの意見が多いとまとめますが、結論は出しません。なかなかよい進め方です。ここで「正解は・・・」と進めてしまえば、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。
ここで、子どもたちに動画を見せます。動画を見た後どのような活動をするかといったことを明確にしないので、子どもたちはリラックスした姿勢で見ています。ポイントなる場面でも特に集中していないので、動画の途中で説明をします。動画を止めたわけではないので子どもたちはなかなか説明を聞けません。動画は、チューブに空気を入れると膨らんで縮むことを利用してロボットの腕を動かすことと、それをもとに人間の腕の曲げ伸ばしの仕組を図で説明するものでした。結局この動画で正解を教えることになってしまいました。これでは、子どもたちのやった活動は答探しになってしまいます。
授業者としては、子どもたちの結論が分かれることを予想していなかったので、動画は子どもたちの結論の確認のつもりだったようです。動画を見せている途中で、全部見せずに止めればよかったと気づいたそうです。結論となる人間の部分の動きの説明は見せない方よかったのです。
この動画を活かすのであれば、最初にチューブを使ったロボットの動きを見せて、「人間も同じような動きなのだろうか?」を課題にして考えさせるという進め方もあります。チューブの膨らんで短くなる動きと同じ動きを人間の筋肉がするかどうかを調べさせて、子どもたちに結論を出させるのです。
授業者は自分の授業の問題点に気づいていました。あとは修正していくだけです。謙虚に自分の授業を振り返ることができる方です。これからの進歩が期待できると思います。

5年生の国語の授業は、授業者の表情がかたいことが気になりました。実は後から聞いたところ、私と校長に見られることでとても緊張していたそうです。お話を聞いた時にはとても素敵な笑顔を見せてくれました。きっと普段はこの表情を子どもたちに見せているのだと思います。であれば、心配なことはありません。
グループ活動の持ち方が気になりました。まず個人の考えを持たせるための時間を取ります。予定の時間がきても書けていない子どもがいるので、延長します。特に指示がないので、できている子どもは集中力を失くします。延長したからといって必ずしも全員が考えを持てるわけではありません。友だちの考えを聞くことで考えを持てることもあります。個人の考えを持つことにこだわるのは、話し合いをしようとしているからです。話し合うためには、話せなければいけない。つまり自分の考えを持つ必要があるという発想です。「話し合い」を「聞き合い」に変えれば、自分の考えを持たなくてもグループ活動に参加できることに気づいてほしいと思います。
「本文から気持ちを想像するから、いろいろな意見が合っていい」と言って主人公の気持ちを話し合わせます。これでは、ただ自分の考えを発表するだけです。グループで活動しても深まりません。本文を根拠に、どう考えたかを聞き合うことが大切です。根拠を聞き合わなければ、友だちの考えを納得することもできません。
グループ活動について、授業者と話をしたところ、いろいろと疑問を持っていたようです。グループで考えをまとめると、強い子どもが仕切ってしまう。納得していない子どももいるのではないかと引っかかっていたそうです。個人の考えを持たせることについても、そう言われたので、そうしていたということです。疑問を持っても自分で修正することはなかなか難しいところがあります。相談し合える関係が学校内にできるといいと思いました。
また、授業者は子どもの発言をずっと板書し続けます。発言の途中から黒板に向きっぱなしの場面もありました。これでは、子どもを全く見ることができません。本人に聞いたところ、忘れないうちに板書しなければと思ってこうなってしまっているそうです。忘れたら発言者に聞けばいい。時には、他の子どもに言わせてもいい。すぐに板書をする必要もない。一通り指名してから、子どもたちにまとめさせてもいい。肩の力を抜いて、子どもの発言を聞くことをアドバイスしました。
とても素直な方で、いろいろ悩んでいることを話してくれました。どれだけ納得のできるアドバイスができたかはわかりませんが、きっとよい形で取り入れてくれることと思います。次回お会いするのが楽しみです。

6年生の算数は、速さの導入の授業でした。板書には答しかありません。子どもの説明も式を言って、「答は○○になります」で終わりです。行間を埋める説明が全くありません。授業者の補足も、答えの書き方ばかりです。次の適用題も、問題を読んで、「1秒あたりの進んだ距離は例題のこちら、1mあたりのかかった時間はこちらと同じ」と説明してから解かせます。正解を書けることが、算数の目的となっています。自分で考えることをさせません。教師に言われた通りにすれば答は書けますが、学力は全くつきません。
授業者に速さの学習の基本になるのはどの単元かという質問をしましたが、質問の意味を理解してもらえませんでした。速さの単元は速さという独立した内容だと思っているのです。比の応用の問題だということがわかっていないのです。
こうなってくると教師の教科の力が問題となります。教材研究以前に、算数の学力が何なのかという根本から問い直す必要があります。今回お話したことで、自分の教科力を問い直してくれることを期待します。

全体に対してお話しする機会をいただきました。
全体に共通していることと、グループ活動の基本について説明しました。皆さんがあまりにも真剣に話を聞いてくださるので、ちょっと戸惑ってしまうほどです。おそらく、現状に満足しているのではなく、さらによくするためにどうすればいいのか悩んでいたのではないでしょうか。そうであれば、私の話から何かヒントをつかんでくださることと思います。次回は11月におじゃまします。あまり期間はありませんが、何らかの変化を見ることができるのではないかと楽しみにしています。

介護現場の課題からルール化について考える

一昨日は、介護職員研修の打ち合わせをおこなってきました。

決められたことをうっかり忘れてしまう、実行できない人がいることが話題になりました。本人は悪気がないので、注意されても、謝ってそれで済んでしまいます。それの繰り返しです。なぜそれが大切かを言って聞かせたとしても、おそらく状況は変わらないと思います。その大切さは知っているからです。どのようにすればいいのか悩ましい問題です。

毎回説教しても、相手は言われる内容はわかっていますから、嵐が過ぎ去るのを待つだけです。何か学校での子どもたちの様子と似ていますね。
こういった時は、笑顔で「ルールですよ」の一言で済ますのも方法です。ルールは守るものです。そこに疑問を挟む余地はありません。いろいろな事情や言い訳したいことがあっても、ルールは守るべきことです。ここで気をつけなければならないのは、職場での約束事などがルールとして認識されていなことがよくあることです。明確にルールだと全員に認識させる必要があります。その意味でも「ルールですよ」という言葉が意味を持つのです。また、指摘して行動してくれたら、必ず「ありがとう」を言うとよいでしょう。指摘されて「やらされている」感があっても、最後に「ありがとう」と言われれば気持ちが前向きになります。

連絡、引き継ぎのように相手がいる時には、相手から声をかけることも一つの方法です。この時も、「引き継ぎお願いします」「忘れていました。ありがとうございます。・・・です」「連絡、ありがとうございました」というように双方がありがとうと言えると互いに嫌な気持ちにならずに職場の雰囲気がよくなります。しかし、こういう場面で「ありがとう」を言えるようにするのはとても難しいことです。一方が「ありがとう」を言っても相手が言わなければ雰囲気が悪くなります。マナーやモラルといったことではなかなか徹底するのがむずかしい部分もあります。ならば、これもルール化してしまうという発想もあります。違和感があるかもしれませんが、強制力を持ったルールにしなければうまく機能しないこともあるのです。
今後、この現場での約束事を、こちらから提示するもの、自分たちで考えてもらうことに分けて明確なルールにしていこうと考えています。

こういったことは、学級経営にもあてはまります。学級のルールは教師が提示すべきものもあれば、子どもたちで考えて決めさせるべきこともあります。大切なことは、何でもかんでもルール化するのではなく、互いに安全で安心して気持ちよく暮らせるために必要なことをルール化することです。
子どもたちの世界は大人たちの世界の縮図でもあることを改めて感じます。大人になってきちんとできないのは、学校での教育にも何かしらの問題があったのではないかと思います。教育の大切さと責任を感じました。

社会の研究授業から学ぶ(長文)

昨日の日記の続きです。

社会科の要請訪問の研究授業は、2年生の地理、九州地方の学習の最後の時間でした。
最初に九州地方の北と南の違いを復習します。子どもが地図の「上」の方という言葉を使います。授業者は「上はないでしょう」と切り返すことで「北」に修正させます。ちょっとしたことですが、社会科の教師としてこだわるべきところをきちんとこだわり、子ども自身に修正させています。また、子どもの発言中は、しっかりと全体を見て、子どもたちの反応を確認しています。地味なことですが、基本がしっかりできていることがよくわかります。北は工業が盛んで、南は農業が盛んということが子どもたちから出てきます。それに対して「米は北でつくられる」という意見が出ます。子どもたちは学習したことをきちんと発表できます。「南は火山灰で米が作れない」「火山灰は水をためられないから米が作れない」ということを、まわりと相談させたり、子どもの言葉をつないだりしてしっかりと復習します。授業者は余計な言葉をはさまずに、子どもの言葉で授業を進め、どの子どもも意欲的に参加しています。過去の学習内容もしっかり定着しています。大したものです。しかし、ていねい進めたので、少し時間がかかってしまいました。授業者としては、北は工業が盛んであることを押さえるだけで先に進めたかったのですが、子どもの言葉を活かそうとして思わぬ時間を取ってしまいました。

北九州エコタウンを紹介します。「どこで区切る?」と問いかけ、「エコ」と「タウン」の意味を押さえます。その上で、エコタウンのパンフレットを子どもたちに配って見せます。しかし、時間が押しているせいか、エコタウンはどのような企業が集まっているといったことは押さえることをしませんでした。何となく、エコに関連する企業が集まっているのだなというくらいのイメージしか持てません。
子どもたちに列ごとに「A」「B」と書かれた2枚の紙のどちらかを配り、その違いを比べさせます。子ども同士を自然にかかわらせるうまい方法です。テンポを上げるために、列指名で聞いていきます。子どもからは「厚さが違う」「質が違う」「色が違う」「匂いが新聞紙っぽい」といった意見が出てきます、一人発表するごとにちょっと確認をするので、テンポが上がりません。ここは深く考えるところではないので、まずは1列全部言わせてから、確認するという方法もあります。子どもが素早く言えるように、違いをメモさせておいてもいいでしょう。

一方が再生紙であることに気づかせて、どちらの値段が高いかを考えさせます。ここで理由も含めて言わせようとするのですが、あくまでも根拠のない想像に過ぎません。子どもに興味を持たせると割り切って、で早く結論を教えるとよいでしょう。再生紙の方が高いことを確認し、どちらを使いたいかを聞きます。子どもたちは当然安くてきれいな普通の紙を選びます。ここで次の質問に移りました。

エコタウンの授業所数が増加していることをグラフで示し、その理由を子どもに考えさせます。ワークシートには、理由を書く枠が3つ作られています。他の学級で事前に授業を行なった時には大きな枠が1つだったそうですが、子どもたちから2つの視点が出てきたので、そのことを意識して作り直したとのことでした。ワークシートの裏には、「九州の北は工業と農業のどちらが盛んだったのか」「事業所が増えるということは企業にとって利益になる」「リサイクルには料金がかかる」とヒントが3つ書かれています。このヒントが手がかりになるのであれば(最初のヒントは復習で確認してあるが)、全体できちんと共有しておきたいところです。

話し合いの隊形(変形のコの字)にしてから、全体で考えます。子どもたちは発言者をしっかり見ています。集中して聞いているので、少し声が小さくてもちゃんと聞けています。
リサイクルは必要だからといった意見や、エコに力を入れると注目を浴びるからといった意見が出てきますが、それと事業所数の増加には直接つなげることができません。リサイクルしていると安くなるという意見も出てきます。授業者は「でも、再生紙の方が高いんだよ」と返します。これはおそらく「たくさん作っていると量産効果で安くなる」ということを言いたかったのだと思いますが、よくわかりません。「再生紙の方が高いけど、それってどういうこと?」と聞いてみたかったところです。「安くなるって大切なことだけど、他にもどうすれば安くなるのかな?」とコスト面に焦点化することができたかもしれません。リサイクルすると無くならないという言葉も出てきました。授業者は「何が?」と聞き返し、「ごみ」という言葉をつないで「材料」という言葉を引き出します。子どもたちに反応があったことを確認して、どういうことか他の子どもに説明させます。ここはついつい教師が説明したくなるところですが、あくまでも子どもの言葉で説明させます。なかなか見事です。しかし、リサイクルの必然性だけで事業所数の増加にまではつなげることができません。
「みんなに教えてくれる」とリサイクル料のことに気づいている子どもに声をかけます。こういう言葉のかけ方も上手です。

子どもたちからは予定通り、リサイクルが資源の有効利用につながることとリサイクルにはコストがかかることの2つの視点が出てきましたが、どうしても事業所数の増加の理由には行き着きません。この2つの視点は軸が違うのです。コストの問題があったにせよ、リサイクル(エコ)は社会の必然なのです。その大前提の上で、何がリサイクルの障害になるのかという視点で考えることで、コストダウンの問題が浮かび上がってきます。その解決方法がエコタウンにつながるのです。
この授業の流れを活かすのであれば、早目に子どもたちから2つの視点を引き出して整理させます。資源を有効利用するためにはリサイクルなどのエコを進めなければならないということを共有化し、それにはコストがかかることを確認します。「事業所が増えるということは利益を出せる見込みがあるんだ」と子どもに言わせると議論が焦点化されます。そこでもう一度最初の課題を考えさせると、子どもたちから答えにつながる言葉が引き出せたと思います。
授業者は、「理由をいろいろ調べたんだけれどどうやったと思う」とたずねます。子どもたちはすかさず「インターネット」と答えます。「インターネットではなかなか見つからなかったので、直接エコタウンンに電話して聞いたんだ」と伝えて、電話で聞いた話を資料として配ります。これには感心しました。インターネットは万能でないことや、直接話を聞くことの大切さを子どもたちに自然な形で教えています。情報教育で大切なのはこういうことではないでしょうか。

資料で大切だと思うところに線を引かせます。
エコタウンにある事業所は大企業の子会社や大企業と提携している会社である。今は法律でリサイクルが義務付けられているので、ごみ処理にもお金がかかる。それならば、発生した廃棄物を自分たちの企業のグループで処理した方がお金もかからないし処理した資源を再利用することができる。企業イメージも高めることができる。「物作り」から「リサイクル」まで行う、「持続可能な社会」を目指している。
また、再生紙を使わないと日本の紙の自給率が下がることにつながる。企業も努力するので、嫌わずに使ってほしい。
こういった内容です。

子どもたちは、「持続可能な社会」「自給率」「お金がかからない」といったことに線を引きます。子どもたちはしっかりと資料のポイントを押さえていました。授業者は「自給率」という言葉が出た時に「聞いたことあるね。いつ勉強した?」と問いかけます。過去の学習とつなげることはとても大切なことです。この授業者の基本がしっかりしていることがよくわかる一言です。
しかし、北九州エコタウンの事業所が増えている理由、またなぜ北九州かということの答は明確になっていません。地理の授業ではなく、公民の授業になっていたように思います。
授業は最後に感想を書かせて終わりました。一緒に参加していた指導員の方も指摘していましたが、ここは感想ではなく、学んだこと、わかったことといった向上的な変容を意識したことを書かせたいところでした。子どもたちは最後まで全員が集中力を切らさない素晴らしい姿を見せてくれました。指導員の方も子どもたちの姿をほめていました。この学級が特によい学級なのかと聞かれました。残念ながらすべての授業がそうであるとは言えませんが、この学校では、子どもたちがこのような集中を見せることは珍しくないことを伝えました。

検討会は、社会科の教員と教科指導員と特別に参加された他の学校の先生と私で行いました。子どもたちが真剣に取り組んでくれたので、授業技術に関することにはほとんど触れず、純粋に教科の内容について話し合うことができました。
教科指導員の方は事前にエコタウンのことを調べて、北九州は最初にできた4つエコタウンの1つで、取り組みが一番多岐にわたっていることを教えてくださいました。教科書が九州地方でエコタウンを扱った理由がわかります。これに限らず、とてもよい気づきをされていて、私も参考になることがたくさんありました。
この指導案をつくるにあたって社会科の教員すべてがかかわっています。チームワークのよさを感じます。自分たちがかかわって作った指導案での授業ですから、真剣に参加してくれます。この授業を通じてとても多くの学びがあったことと思います。
地理の授業として考えると、「持続可能な社会」についてはもう少し早く押さえた上で、どうして北九州エコタウンの事業所が増えているのかを考えた方が、焦点化しやすかったと思います。
再生紙の話から、「高くて質が悪いのにどうして再生紙をつくるの?」と質問し、資源の問題、自給率の問題などに目を向けさせ、「持続可能な社会」を目指す必要性を共有します。その上で、「だけど企業はもうからないとやっていけない。なのに、どうして事業所が増えているのか?」と問いかけるのです。資料としては、エコタウンの企業がどういう企業であるかを示すものを用意するとよいでしょう。こうすることで、「物作り」から「リサイクル」まで効率的に行うことでコスト面の問題をクリアしようとしていることに気づけると思います。その上で、北九州ではどのような業種の企業が多いのかと考えることで、北九州につくられた理由に気づかせるのです。

課題を考えるためには足場となる知識や情報が必要です。それをあらかじめ与えておくという方法もあります。また、子どもから出てくる可能性があるのなら、それを早い段階で引き出して、全員で共有して足場をそろえ、その上でもう一度考えさせる方法があります。教材研究では、子どもたちに考えさせるために必要な足場が何かをしっかり考えてほしいと思います。その上で、どう足場をつくるのかを考えると授業の流れが見えてきます。
私からは、このような話をさせていただきました。

教師も子どもたちも双方のレベルが高い授業だからこそ、とてもよい学びができたのだと思います。この先生の授業を久しぶりにじっくり見ましたが、目に見えて成長していました。個々の努力とチームワークでこの学校の社会科の先生方は大きく伸びていくと思います。

中学校で授業アドバイス

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。夏休み明けの子どもたちの様子が楽しみです。

3年生は部活動を引退して、気持ちの切り替えがどうなっているかが気になりましたが、学習に前向きに取り組んでいました。教師の話が続く場面でも集中を切らさないのはさすが3年生です。もちろん、授業に参加できない子どもも若干はいるのですが、それが目立つほどではありません。例年以上に全員参加できているように思いました。子どもたちの笑顔を多く見られたのが印象的でした。

2年生は、全学級の道徳の時間を見ることができました。一部の学級で担任と子どもの人間関係がしっくりいっていないのを感じました。子どもを何とか引き付けようとして、教師のテンションが上がってしまい、かえって子どもたちが引いている学級もあります。集中を乱している子どものそばに行っても、子どもが態度を変えない学級もあります。もちろん、全員が集中している学級もありますし、男女の別なくかかわり合えている学級もあります。一方、担任と上手くいっていない学級でも、他の授業では全員が集中している姿を見ることができます。このばらつきが気になります。
集中して取り組めている授業、かかわり合えている授業でも、その中で孤立しているように感じる子どもが少し目立ちます。学級の中で上手く人間関係がつくれていないように見えるのです。こういう子どもへの対処は非常に難しいものがあります。行事などで関係をつくろうとすることがよくあるのですが、こういう場面では日ごろの人間関係がベースになってくるので、そもそもかかわれていない子どもにはかえって厳しい状況をつくることがあります。一方、授業では日ごろの人間関係と関係なくかかわる機会がつくられます。授業の中で子ども同士の関係をつくり居場所をつくることの方がやりやすいこともあります。しかし、教師がその子どもとかかわりすぎると、「あの子は特別で先生が対応するから関係ない」と他の子どもたちが関係をつくろうとしなくなる可能性があります。教師がその子どもと直接かかわるのではなく、子ども同士をつなぐことを意識することが必要です。また、子ども自身のかかわる力(ソーシャルスキル)の問題もあります。SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)を取り入れることを視野に入れてもよいと思います。
とはいえ、全体として見れば子どもたちは落ち着いて学習に取り組んでいます。だからこそ、目立つ、気になることなのです。

1年生は、とてもよい状態です。子どもたちが安心して意欲的に学習に取り組んでいる姿をどの学級、どの授業でも見ることができました。4月、5月の時点は子どもたちの姿がバラバラで先生方の方向性がそろっていないように感じたのですが、今は学年がチームとして歩調をそろえて子どもたちと接していることがわかります。特に今年異動して来た先生は最初のうち戸惑うことが多かったと思いますが、この学校の考え方を理解し子どもたちをしっかり受容しています。素直な方ばかりです。また、新しく担任を持った先生もまわりから学びながらしっかりと成長しています。よい2学期のスタートが切れていると思いました。

若手の教員が自主的に私と一緒に授業観察してくれました。こういうやる気を見せていただけるのはうれしいことです。今、伸びる時期にあると感じている先生方なので、その理由がわかる気がしました。素直に学ぼうとする姿勢が大切なことを改めて感じさせてくれます。

この日も6年目の数学教師と勉強会を持ちました。この1週間授業して見つけた課題について質問してくれます。子どもたちに考えさせ、子どもたちから言葉を引き出そうとしています。だからこそ、何が本当に大切なのか、何を引き出せばいいのかをきちんと教材研究する必要があります。そのことを今本当に実感しているようです。夏休みには小学校の教科書を全部読んだそうです。素直にアドバイスを受け止めてくれます。子どもたちの既習事項が何かを知らないと授業がつくれないことをよく理解しています。
今、1次関数を学習していますが、係数が分数のグラフを描く時、グラフの通る格子点を探します。このことは1次関数の本質とは何の関係もありません。グラフを描きやすくするだけであり、整数の性質や方程式の解法に近い問題でもあります。もちろん一般には格子点を通らないことが普通です。こういうところを教える時には、1次関数であることをいったん切り離して、式の値を整数にする問題としてとらえさせることが大切です。
教材研究ではこのような切り分けも必要なことを伝えました。教材研究に本当にエネルギーをかけています。数年後には大きく成長していることと今から楽しみです。

この日は教務主任と授業についていろいろと話しをする時間がありました。一緒に授業を見ていてもとてもよい気づきをします。若い先生へのアドバイスも的確です。教務主任という立場になって、授業を見る視野がずいぶん広がっているのを感じます。教務主任として授業にこだわっていることもよくわかります。失礼な言い方ですが、これからの成長がとても楽しみです。

この日は、社会科の要請訪問で、とてもよい学びのできた研究授業が行われました。これについては、明日の日記で。

インターンシップで視点の切り替えの難しさを感じる

先週末は、企業のインターンシップのお手伝いをしました。前回と同じく、学校ホームページのコンサルティングを経験するというプログラムです。

午前中の大学の先生の講義は、今回はビデオによるものでしたので、手元にスライドの縮刷資料が用意されていました。学生はそれにもかかわらず最初はメモをたくさん取っていました。どこをメモすればいいのかよくわからなかったのかもしれません。途中からメモを取る場面が限定されてきました。まとめ的なスライドが適宜はさまれることとそのスライドの縮刷が手元にあることで、メモをしなくてもいいことに気づいたのかもしれません。また、考えを求める場面では、メモを取らずに真剣に聞いていたのが印象的でした。今回は前回と内容はほとんど変わっていないのですが、この日の午後のプログラムとの関係を意識的に整理して伝えています。聞いていてポイントが何かよくわかります。このことの効果は、午後のプログラムでこの講義と関連した視点がいくつか出てきたことからもうかがえます。

続いてデザイナーの方の、誰にもわかりやすいデザインについての話です。最初にデザインとはどういうものかを考えてもらいます。「グラフィックデザイン」といった、「○○デザイン」という言葉を引き出そうとするのですが、なかなか出てきません。緊張していることもありますが、デザインの概念がないことが原因です。具体物を見せて、「ここにデザインはあるだろうか?」といった質問をしてみると、デザインとは何かについての考えを引き出すことができたかもしれません。
具体例を板書するとすぐにメモします。自分が答えられなかったことも要因でしょうが、板書はすぐに写すという癖が小学校からの教育で染みついているのを感じます。何が大切かを自分で判断する力をどうつけるのか改めて考えさせられる場面でした。
色の3属性について質問しました。少なくとも中学校で習ったことですが、前回の学生と同じく身についていません。服を選んだりするときなどにもとても役に立つ知識のはずですが、学校で学習したことを日常生活で活用することがされていないのです。
無理やり指名すると、「赤、青、緑」と答えます。デザイナーの方はネガティブな気持ちにさせないようにと「惜しい」と評価しました。次の学生を指名すると「赤、青、黄」と答えます。3原色の誤答を惜しいと言ったためにずれていってしまいました。よくあることです。この後には3原色の話もするのですから、「3原色だね。よく知っているね。じゃあ、3属性は何だろう」と返せばいいのです。こうすることでネガティブにさせずに、本筋からずれないように話を進めることができるはずです。

午後は、学校ホームページのコンサルティングを具体的に考えてもらいました。
学校ホームページのコンサルティングを頼まれたら最初に何をするのか質問しました。「その学校のホームページを見る」という答が返ってきました。「何のために?」と聞いたところ学校の状況を知るためと言います。確かにその通りですが、学校ホームページでどんな状況がわかるかを聞いてみると、はっきりしたことが答えられません。そこで、実際に母校のホームページを見て何がわかるかを考える課題にグループで取り組ませました。
出てきた答えは、校長の名前、行事予定、・・・とホームページに書かれている学校の情報がストレートに出てきます。受け手の視点ばかりで、発信者の視点が出てきません。コンサルティングの視点で学校の状況をホームページから考えさせたところ、今度は学校ホームページをどうしたらいいかという改善案でした。良くも悪くも午前の講義の影響が強く出ています。どうあるべきか、何が大切なのかを学んだので、その視点で見ているのです。コンサルティングの基本である、相手(学校)が何を望んでいるのかを読み取ろうとしないのです。
そこで、服を買う場面を想像してもらいました。お店で服を見ていると「サイズありますよ」と言って店員が近づいてくることがあります。どう思うか聞いたところ「いかにも売ろうとしているから、嫌だ」と答えます。では、あなたならどう声をかけるか聞いてみました。ところが、「新しいデザインがありますよ」といった、やはり売る側の視点での声かけなのです。先ほど買う側の視点で嫌だと言ったのに、売る側の立場になるとそのことを忘れてしまうのです。自分と違う立場の視点でものを見ることが彼らにとって難しいことがよくわかりました。
有名な学校のホームページを見ながら、学校の発信に込めた思いを読み取る課題に挑戦させました。母校のホームページを見た後なので、「給食の記事が毎日ある」「子どもが情報発信している」といった特徴にたくさん気づくことができます。ところが、そこに込めた思いは表面的にしかとらえられません。給食は毎日あって更新しやすいネタだからといったことしか出てきません。そこで、給食を毎日紹介している学校がとても多い理由を考えさせました。保護者の側から見ると、「夕食のメニューの参考になる」「給食と夕食がかぶらないようにチェックできる」といったことに気づけます。今度は保護者にとって価値があるからという理由だけで学校が記事にしているのかを考えてもらいます。この記事を見ることで他の記事も見てもらえる。ホームページの目的は学校が伝えたいことを伝えることであると気づいてもらうことができました。
その上で、この学校の校長の思いをビデオで視聴してもらいました。感想は、自分たちが考えた以上に深い理由があることでした。休息時間に、ホームページから学校の思いがなかなかわからないので、先に話を聞いた方が早いのではと言っていた学生がいました。そこで、あらためて、先に学校の思いを聞いた方がよかったかどうか、他の参加者も含めて聞いてみました。事前にホームページを見ていたので話がよくわかってよいという意見が主ですが、ある記事の目的が自分たちで考えたのとは大きく違っていたことので、その記事については意見が分かれました。やはり事前に見た方がいいと言う意見と、間違うのはムダだから、そこは先に聞いた方がよかったという意見です。後者は手っ取り早く答を知りたがる最近の子どもたちと同じ考えです。これでは、コンサルティングにならないことを少し説明しました。相手の話を聞いてからホームページを見ると、その視点で見てしまいます。今回のようなずれは起こりにくくなります。ずれは課題を見つける大きなヒントになります。発信側、受け手の側、両者の視点を持った上で、そのずれをどう調整するかというのがコンサルティングの大切な視点なのです。

最後の課題は、同窓会で母校の校長にホームページの改善を一言提案するというものです。グループで意見交換をさせました。最初は上から目線の提案がほとんどでした。しかし、グループで話し合って、相手に実行してもらうためには聞いてもらえることが大切だと気づいてくれました。最終的には、ずいぶんよい提案になりました。私が校長役になってロールプレイをしましたが、どの学生とも気持ちよく会話ができました。ただ、「どうすればうまくできるかなあ」というように、具体的な方策を聞き返すとなかなか答えられませんでした。「こういう記事をアップしてもらえるとうれしい」とIメッセージで伝えても、その具体策がなければ相手を動かせないことに気づいてもらえたようです。

この日のインターンシップで、コンサルティングの視点については少し伝えられたのではないかと思います。想像以上に学生たちが視点を切り替えることができないことが印象的でした。授業で考えなければならない課題に気づかせてもらえました。この日もよい経験をさせていただきました。

介護現場の課題から組織力を考える

先日、介護職員研修の打ち合わせをおこなってきました。
引き継ぎが上手くいかない、優先順位がおかしい人がいるといったことから、組織としての力をどうつけるのかが話題になりました。個人の問題と言ってしまえばそうなのですが、それでは解決につながりません。ルール化して、罰則を設けるという発想もあります。行動規範を明確にして、自覚を促すという発想もあります。どれが正解と言うわけではありませんが、実態にあった方法を模索する必要があります。
このことは学級経営にもつながります。教師が厳しく指導してルールを徹底させるか、子どもたちの自主性を大切にして子どもたちに規範意識を育てるか、悩ましいところです。

引き継ぎのようなコミュニケーションの問題は、伝える側、受ける側の両者が存在します。一方の側に問題があるから上手くいかなくなるのか、もう一方がカバーすることで上手くいくのかが問われます。相手の非を追求するのではなく、カバーする発想を持つことが大切です。組織としてこのことを浸透させることが課題です。

仕事の優先順位の問題は、介護の現場では予定外のことにどう対応するかという問題でもあります。ここで、「すること」と「起こること」という視点が必要になってくると思います。「すること」とは、予定されている仕事です。事前にわかっているので、優先順位も明確にできます。一連のタイムスケジュールにそってこなしていけば問題はありません。一方の「起こること」は、いつとは予定できないが、確実に起こり得ることです。利用者さんがトイレに行きたい、体調が悪くなる。こういったことは緊急に対応する必要があります。問題は予定されている仕事をこなしている時にこういったことが起こることです。自分の仕事を途中で止めるのは嫌なものです。直接の担当でなければ、自分以外の方に対応してほしいと思ったりもします。これが、優先順位がおかしくなる要因の一つです。「起こること」に対してどう対応するかを明確にする必要があります。この視点で、業務を一度棚卸することをお願いしました。

これと似たことが学校でもあります。例えば、担任が帰宅した後に生徒指導上の問題があったと学校に連絡があったとしましょう。その子どものことは他の者ではよくわからないからと帰宅した担任に対応させるのでしょうか。それとも、学校に残っている先生方で対応するのでしょうか。内容にもよりますが、前者の対応もよく目にします。子どもたちの(生徒指導上の)情報をきちんと共有できていれば、他の先生方でも十分に対応できることもたくさんあるはずです。情報の共有が大切になります。

一人ひとりが自分の強みを活かすと同時に、互いに助け合えることが強い組織の条件です。助け合うためには、助け合おうという掛け声だけでなく、助け合うために必要な仕組みや環境をつくることも必要です。このことを改めて考えさせられました。

養護教諭の模擬授業で学ぶ

先日、市の養護教諭の研修会に参加しました。養護教諭の授業技術研修です。今回は代表の方に模擬授業を行なっていただき、私が解説するというものでした。子ども役は参加者全員です。

男女交際を考えるという中学校の授業をTT形式で行います。T1は養護教諭、T2は担任です。実際にあった女子生徒からの相談をもとに授業を進めます。
私にとって、このようなテーマの授業を考えることは初めてで、授業者の思い、子どもの気持ちを考えながらその場その場で授業を止めながら、時には私自身が授業者になって進めてみたりしました。とても刺激的でよい経験をさせていただきました。同じことを伝えるにも、ちょっとした言葉の使い方で、相手の受け取り方は変わります。そういったことも伝えることを意識しました。

相談内容は、「交際相手と部屋で勉強していたら、いきなりキスされて泣いてしまった。泣いているところを母親に見つかり勘違いされたようで、気まずい雰囲気だ。相手のことは好きだけれど、どうしていいかわからない」というものです。
最初の課題は、この女子生徒にどんなアドバイスをするかです。子ども役は素早くペンを持ちますが、手が動きません。このような微妙な問題は、大人でもすぐに書けません。子どもならなおさらです。もし、すぐに書けるようなら、それは真剣に考えていない証拠です。そこで、授業を止めて課題について検討しました。アドバイスは難しいので、男子はキスした男の子の気持ち、女子は泣いた女の子の気持ちを考えてもらうことにしました。授業者は課題を変更して授業を進めてくれます。予定した課題を途中で変えてやり直すのはベテランでもなかなか難しいことです。快く挑戦してくださった授業者に感謝です。

今度は、ペンが動きます。それぞれの気持ちを書いたところで、グループで話し合います。授業者の学校では、班長が司会をしたりと役割があるようですが、このような類のグループ活動には向きません。特に役割を設けずに、聞き合うことを目的とするとよいでしょう。
グループで聞き合ったことを小型のホワイトボーにまとめて、代表に発表させます。これが中心となる活動であれば、こういう時間の使い方もあるかもしれませんが、ムダに時間がかかりすぎると思います。ここはホワイトボードを黒板に貼って、同じような意見を中心に共有していくとよいでしょう。「『そばにいるだけでよかった』という意見があるね。○班にもあるね。どういうことか聞かせてくれる?」、「どう、今の意見なるほど思った人?」とつなぎながら、女子の気持ちを男子がどう思ったか、男子の気持ちを女子がどう思うかを確認することで、男子と女子の気持ちの違いを焦点化するといった進め方をするとコンパクトにまとめることができます。

ここで授業者は、資料をもとに、カエルとネコ、人間の脳の違いから性行動の違いを説明します。しっかり理解させようと、脳の構造が三層あり、それぞれが発達しているかどうかで行動が違う。食欲を例に挙げ、続いて性行動とていねいに進めますが、一方的な説明の時間が続きます。また、いきなり脳の話が始まり、何のためにこの話をするのかがよくわからないため、子ども役は戸惑います。ここはていねいに進めることよりも、伝えたいことをコンパクトに話すことが大切です。
「カエルは発情期になると、互いに相手を性行動の対象と見て、本能的に行動する。ネコは、気に入らなければ拒否をし、気に入れば気持ちだけで性行動する。では、人間はどうだろう?」と問いかけ、先ほどの子どもの意見と関連づけて、「好きだからと相手の気持ちを考えずに行動するのはどの動物だろうか」といったことを考えさせながら進める方法もあります。
授業ではできるだけ、子どもたちの活動を活かすことが大切になります。この授業では子どもたちから言葉を引き出したのでその言葉を使って説明することを考えるとよいでしょう。

この後、男女の性心理に違いを資料で伝えます。接近欲については男女の違いはほとんどありませんが、接触欲については男性と女性の間にかなり大きな違いがあります。とても説得力のある資料です。子ども役から出てきた違いを裏付けてくれます。先ほどのグループ活動の後にこの資料を使って、子ども役からの意見と関連づけた方が、流れが素直だったと思います。私が急に課題を変えてしまったので、とっさにそこまでできないのは当然ですが・・・。

互いに相手の気持ちを思いやることが大切ということに気づいてくれると思いますが、そうすると双方合意ならいいのかという問題になります。ネコの例をもとに責任ある行動を考えさせたいところですが、子どもたちには責任を取ることの意味はよくわかっていないと思います。責任を取ることは、単純に結婚すればいいと思う子どももいるでしょう。ここを子どもたちに話し合わせると面白かったと思います。

この授業では、担任役が教え子からの手紙を読んで終わります。
中学校時代荒れていた女生徒が、いろいろあったけれど、先生が言っていた「あなたの心と体を大切にしてくれる人」と巡り合えて幸せな結婚をすることができた。しかし、子どもがほしいのだがなかなかできない。過去に堕胎したことがあるので、それが原因かもしれないと悩んでいる。そういう内容でした。
子どもたちに考えさせるのによい話です。「心と体を大切にする」という言葉で、この時間のまとめとしたかったのでしょう。しかし、聞いていて違和感がありました。手紙が説明的で、リアリティに欠けるのです。確認したところ、実際には電話での話だったということです。それを単独で話が完結するような手紙に変えたため、説明的になってしまったのです。手紙にこだわらず、教師が自分の目線で話をしてもよかったかもしれません。子どもに考えさせることも大切ですが、教師の「心と体を大切にして」という思いを伝えることも意味があると思います。

T2の担任役をやった方は、T1の養護教諭の前任者でした。前任者がつくった資料を活用しながら、最初の課題を自分で考えたそうです。よい形で授業が継承されていることに感心しました。

参加者のアンケートからは皆さんが多くの気づきをしたことが伝わりました。実際に子ども役をやることで、授業での大切なポイントを感じ取った意見がたくさんありました。どのコメントからも授業を前向きにとらえていることがよく伝わります。
授業者からは、私が授業を止めたところは自分でもしっくりいっていないところばかりだったので、参考になったと言っていただけました。うれしいコメントです。

終始和やかな雰囲気で、学びの多い研修でした。次回は、実際の授業を参観しての研修です。養護教諭の授業は私にとって見る機会の少ない貴重なものです。前向きな養護の先生方と一緒に考えることで多くのことが学べます。今からとても楽しみです。

面白い気づきの合った研修

先日は、市の授業力向上研修会で講師を務めました。同じ内容の2回の研修の2回目です。

最初の私からのお話は基本的に前回(市主催の授業力向上研修会参照)と同じなのですが、今回は代々木ゼミの規模縮小、リストラを話題にしました。個別指導に押されたことがその衰退の理由の一つであることから、学校における個別指導について話をしました。授業中に個別指導をすることがよくありますが、これに時間を取られると他の子どもは放っておかれることになります。できるだけ時間をかけないようにすることが必要です。小規模校でよくあることですが、個別指導に頼ると、教師が教えてくれることを待つようにもなってしまいます。また、特定の子どもをいつも教師が個別指導していると、他の子どもはその子は教師が面倒を見るから自分たちはかかわらなくてもいいと思うようになります。わからない子どもが友だちに「教えて」と言えるような関係をつくることを大切にし、子ども同士のかかわり合いを意識した授業展開を考えてほしいと思います。

今回の模擬授業は、小学校の国語と算数、中学校の道徳の3つで、それぞれのグループで検討します。グループごとに話し合いの視点が授業の進め方やめあてをどう考えるかであったり、子どもの言葉をどう引き出すかであったりといろいろでした。授業を考える視点はいろいろあることを感じます。

国語の模擬授業は「大造じいさんとガン」で大造じいさんが銃をおろす場面での気持ちを考える時間の導入でした。ここでは、前時の大造じいさんの気持ちを確認して、本時の課題に移るという展開です。この日の授業のめあては、「大造じいさんの気持ちを読み取ろう」です。単元を通じて同じであることは悪いことではないのですが、この時間のめあてがシャープになることが大切だと思います。大造じいさんの気持ちの「変化」を本文の「○○」に注目して読み取ろうというように、「変化」という言葉を足すことで前の場面を意識させたり、「○○」に注目してと視点を示すことで、読み取り方を身につけさせたりすることができます。○○の中は教師が言葉を入れてもいいですが、子どもに入れさせる発想もあります。子どもに意見を言わせた後に、「あなたは○○に何を入れた?」と聞くことで、読み取りの視点を意識させることができます。
授業者は、前の場面での大造じいさんの気持ちを発表させるのですが、一つ意見が出た後「別の言葉で」と返します。授業者は他の答を期待したのですが、今出た答を言い換えるとも受け取れます。戸惑う子ども役もいました。教師の思った通りに伝わるとは限らない例です。子どもにどう受け取られるかを意識することが大切です。

算数は、速さの導入場面でした。世界で一番速い人はだれかということで「ボルト」を引き出しました。100m走9秒58の記録を出して、小学校の教師の最速と比較します。しかし、「速さ」という日常用語を押さえていないので、この後定義する算数用語の「速さ」との違いを対比できません。日常用語の「速さ」について掘り起こしておく必要があるように思います。2人の子どもの50m走の記録を伝えて、表で示します。表には道のり、時間とあります。道のりという算数用語の確認もしておきたいところです。この時間はかかった時間であることも一言確認するとよいでしょう。どちらが速いかを確認した後、もう1人の子どもの記録を提示します。40mでの記録です。ここで、誰が1番速いかを考えるという課題が提示されます。意識してほしいのは、ここで扱われているのは平均の速さだということです。同じペースで走ることが前提としてあるのです。このことを押さえることで、割合の発想につなげることができます。速さは単位時間を基準とした進む距離の割合(比の値)と気づかせることで、他の教材とのつながりが見えてくるのです。
単位あたりの量という共通点を意識するのなら、100gあたりの砂糖の値段の表を提示して、どちらの砂糖が安いかというような問題をやっておいても面白いかもしれません。速さの定義や意味に気づいてくれると思います。
算数では日常的に使う言葉が用語として出てきます。用語を実感させることとその明確な定義を意識した授業を組み立てる必要があります。日常の言葉と算数用語を自在に行き来できるようにしたいものです。

道徳の授業は、「親切のできなかった日」という読み物資料を使ったものでした。主人公が、松葉づえを使っている人が、戸を開けられなくて困っているのを見て開けてあげようと思います。しかし、「いい子ぶるんじゃない」という最近まわりで飛び交っている言葉が思い出されて、結局何もしなかったことを、後から振り返って考えるというものです。
授業者は最初に電車の中に子どもたちがいるという設定で、自分が年寄りのまねをして車内に入っていきます。よぼよぼして、誰かが席を譲るのを待っています。一人が気づいてくれたところで、この場面を終わりました。授業者の意図に気づけなかった子ども役もいるでしょうが、せっかくですので、席を譲れなかった子ども役を何人か指名して、理由を聞きたかったところです。そのあとでこの資料に触れるとより考えが深まるのではないかと思います。
授業者は、子どもに指名して、資料の親切のできなかったところまでを読ませます。これ以上読ませると資料に書かれている主人公の考えに引きずられるので、よい進め方です。聞いている子ども役には、今読んでいるところ指で追うように指示します。読ませている間、机間指導をしながら子どもたちの様子を見ています。しかし、ここでは読んでいるかどうかしかわかりません。授業者はワークシートを使って、松葉づえのひとを見た瞬間の主人公の気持ちを考えさせます。こういった資料の読み取りに時間を使うことは道徳では避けたいところです。教師が解説をしながら範読をして、できるだけ早く資料の内容を子どもたちの中に落とし込みたいところです。私流の範読をして見せることにしました。途中で止めながら、「目を合わせないようにしたんだ。どうしてだろうね?」と子ども役に問いかけ、「そうだよね、目が合えば・・・」とやり取りをします。こうすることで、子どもに主人公の気持ちを理解させるのです。授業者に聞いたところ、子どもたちの様子を見たいので指名して読ませたということです。私の範読を見て、こういうやり方なら子どもの様子も見ることができるのでいいと言ってくれました。参考になったようでうれしく思いました。
この授業者は、子どもを見ることをとても意識していました。それは、模擬授業中の視線でもよくわかります。この方は実は体育教師でした。体育は子どもたちが広がって活動をするので、よく見ていないと事故が起こります。子どもたちを見ることが体に染みつくのです。

最後に、全員にこの日の研修の感想を聞きました。驚いたのが、予定外の話だった個別指導に関する話が印象に残ったという言葉がたくさん出てきたことです。先生方の中で個別指導はよい指導法だという刷り込みがあったということでしょうか。私にとっても面白い気づきの合った研修でした。

インターンシップで貴重な経験をする

先週末は企業のインターンシップのお手伝いをしました。学校ホームページのコンサルティングを経験するというプログラムです。午前中は専門家による講義でした。

最初の講義は、大学の先生による学校ホームページのコンサルに必要な知識や考え方についてのお話しです。参加した学生の様子を観察していると面白いことに気づきます。大学で講義を受ける時と同じなのでしょう。話を聞きながらメモを取るのですが、結論的なことやまとめの説明の時にメモをするのです。私からすれば、今回の話の価値は結論ではなくその根拠となる資料、データにあります。ここが説得力のポイントです。もしコンサルするとなれば、こういった根拠が説得の決め手です。学生にはその価値がわかりません。自分で価値を判断できないので、大切そうに思える結論やまとめをメモするのです。昼食時にどんなことをメモするか聞いたところ、講師が何度も話したこと、スライドで文字の色が変わっているところといった答が返ってきます。これは、話し手が大切だと考えていることです。その価値観をそのまま受け入れるのです。自分でメモしていても受け身だということです。自分にとって役に立つこと、大切なことは何かを考える力をつけることが大切だと改めて思いました。
私は講演をする時、使用するスライドを事前に配布しておきます。こうすることでスライドの内容をメモする必要がなくなります。すると参加者がメモするのはスライドの内容ではなく、私の話で大切だと思ったところです。その反応を見て話す内容を調整することができるのです。

続いてデザイナーによる、わかりやすいホームページのデザインについての話です。ユニバーサルデザインの視点で、具体例で話されます。面白い話なのでしっかり聞いているのですが、具体例では手が動きません。まとめ的な話で手が動きます。しかし、改善すべきことがわかっても、具体的にどのようにすれば解決できるのかを知らなければどうにもなりません。具体例を通じてそのことも話されているのですが、メモできないのです。経験がないから当然ですが、課題解決という視点が育っていないようです。午後は具体的に学校ホームページのコンサルティングを経験してもらうことになっているのですが、かなり難航しそうです。

学校ホームページのコンサルティングをするためには、まず学校が誰に対してどのようになってもらいたいと考えているのかをその学校のホームページから知ることが必要です。午前の講義でそのことには触れられていますが、ちゃんと理解しているかどうか不安です。そこで、コンサルティングにあたって最初に何をするのかという質問をしました。それに対して、まず校長に話を聞くという答が出てきました。他の学生に聞いても同じです。何を聞くのかというと、課題を聞くといった答です。やはり、不安は的中しました。それが明確でないからコンサルティングが必要なのです。そのことに気づかせると、今度はホームページが更新されていないからもっと更新するようにといった課題を伝えるというのです。午前中の話がまったく活きていません。そこで、「何を知るために」学校ホームページの「どこを見るか」について、日に何千ものアクセスのある学校を指定して、そのホームページを見て考えるという課題を与えました。学校ホームページに学校の伝えたいことが表れていることに気づいてもらいたいからです。
あまりグループ活動の経験がないようです。個人でホームページの記事を見ています。何を答えていいかわからないので、困って相談をします。少し意見を交換するとまた個人作業に戻ってしまいます。すぐに行き詰まるようです。午前中にあれだけメモしたのですが、だれもメモを見ません。メモは何かを解決するための材料ではなく、安心ためのもののようです。少し話し合って、また個人作業に戻ることが何回も繰り返されます。その中で1人の学生がほとんど話し合いに参加していないことが気になりました。ところが、その学生が何かを話し始めました。話が終わったところで、グループ活動を止めてどんなことを話していたかたずねました。それまで、改善点を見つけることを話していたが、その学生が改善点以外も知るものがあるのではないかという意見を出したということです。他の学生になるほどと思ったかを聞きました。なるほどと納得したと答えます。そこで、改善点以外に何があるかを聞いたところ、「誰が見る」「誰にとって」という言葉が出てきたので、もう一度その視点で見るようにとグループ活動に戻しました。他の学生に受け入れられたので、先ほどの学生は積極的に発言するようになりました。学生同士のかかわりが出てきました。
一度、出てきた言葉を整理してみます。「保護者が知りたいことを知らせる」という言葉に対して、「保護者が知りたいことを知らせればいいんだ」と返して、「保護差者に知らせたいことを知らせる」という言葉を引き出しました。ここでいったん休息をとりました。学校がホームページで伝えたいことがあることを実感したようです。午前中の講義がやっと今の活動につながってきました。興味が出てきたようです。何も言わないのに休息時間中に出身校のホームページを見ています。笑顔でかかわり合っていました。

先ほどでてきた、「知らせたいことがある」をキーワードにして、具体的にそれぞれの記事が何を知らせようとしているのかをグループで考えてもらいました。最初のころと比べてずいぶんかかわり合えるようになりました。
発表は、1人あたり何回も指名しましたが、その都度、何か異なったことを答えようとしてくれました。思ったよりたくさんのことに気づけました。しかし、「授業の様子を知らせる」「具体的な行事の様子を知らせる」といった、記事の表面的な内容の発表が多く、学校の「思い」までにはなかなか気づけません。ここで、あらかじめその学校の校長にお願いして撮影しておいた、ホームページへの思いと今考えている課題についてのビデオを見てもらいました。とても真剣に見ているのが、体が前のめりなことからもわかります。
感想を聞くと自分で考えてから聞いたので、よく理解できたという言葉が出てきました。「この記事にはこんな意味があったのか」「記事をもっとしっかり見ていたら学校の思いに気づけていた」「記事をさっと読んだだけでは思いに気づけなかった」と、自分たちのいたらないところにも気づいてくれたようです。いきなり校長に聞きに行っても、話を理解することができないことが実感できたのではないでしょうか。

本当は、この学校の校長が考える課題を解決しようというのが最後の課題だったのですが、今回の学生にはハードルが高すぎるので、先ほど休み時間に見て、全然更新されていないとその差にびっくりしていた出身校のホームページを題材にすることにしました。同窓会で出身校の校長にOBとしてホームページの改善について一言話すというものです。個別の課題ですが、もちろんグループで相談してもOKです。全員出身校が違うのですが、笑顔でよく話し合っています。このプログラムを通じて相談することのよさを知ってくれたようです。どの学生も、学校側にも事情があることを意識して、決して非難するような言葉は使いません。最初に更新していないと伝えると言ったときの口調と全く違います。そして、具体的にどのようにすればいいかということを、押しつけがましくなく提案します。今回の一連のプログラムがつながっています。ポジティブな提案ができていることに感心しました。たった1日でも進歩を見ることができました。

最後に振り返りを聞きました。「今までホームページを自分の視点でしか見たことがなかったが、今回、誰が見るかという視点や発信側の視点に気づけた。これからそんな視点も意識してホームページを見ようと思う」「とてもよく考えた。考えなければ(答や解説を聞いても)わからないことがよくわかった」といった言葉を聞くことができました。1日のプログラムとしては満足できるものになったと思います。

学生の様子を見ながらリアルタイムで課題を考えるという、緊張感のあるプログラムとなりました。インターンシップは私にとっても初めての経験だったので、とてもいろいろなことに気づくことができました。9月にもう一度別会場で行います。学生が変われば、様子が変わると思います。おそらく今回と同じ課題ということにはならないのではないかと思います。どのようなことが起こるか、とても楽しみです。貴重な経験をさせてくれた学生とこのような機会をくださった企業に感謝です。

模擬授業と学び合いを支える授業技術

昨日の日記の続きです。

社会科の模擬授業は地理の寒帯に住む人々の暮らしを考える場面で行いました。人間は環境に適応するために、いろいろな工夫をしていることに気づかせることをねらいにしました。

まず Google Earth で会場の場所を見せておいて、「今日はこの地方の話です」とカナダ北部に移動します。この衛星写真が8月のものであることを押さえて、白い部分が何かをたずねました。「雪」「氷」といった声がでます。「8月でも雪や氷があるんだね」と言って教科書から選んだ2枚の写真を見せました。イヌイットがスノーモービルに乗っている写真と犬ぞりに乗っている写真です。
ここで、資料を見る時にどんな情報に注意をするかをまわりと確認させました。いつのものか、どこか、何かといったことの確認が必要なことを押さえました。スノーモービルや犬ぞりについて簡単に説明した後、いつの写真かに話題を写しました。スノーモービルの写真が2009年であることを言って、犬ぞりの写真はいつごろの写真かを聞いてみました。明確な根拠を持って答えられる質問ではありませんから、すぐに答を私が与えます。2008年です。子ども役はちょっと驚いたようでした。「まだ犬ぞりを使っているのかな、どうかな?」と振ってから、「じゃあ、それぞれのよさをできるだけたくさん考えてみよう」とグループで考えさせました。
発表は、まずスノーモービルのよさからです。「速い」「便利(すぐ走れる)」「小回りが利く(機動性)」と出ましたが、それ以上は出てきませんでした。次に犬ぞりのよさを聞きます。こちらは面白い言葉が出てきます。「エコ(石油を使わない)」「クマに襲われたら助けてくれそう」「水に落ちたら引き上げてくれそう」と人間との関係に注目しています。エコということは、燃料がなくても食料があれば大丈夫ということです。水に落ちたら引き上げてくれるという意見は、トラブルがあった時のことを考えています。犬ぞりはそういったことにも対処できる優れた生活の道具であることに気づいてくれたと思います。このことを時間をかけて掘り下げることもできますが、今回はすぐに次の質問に移りました。「みんなはスノーモービルと犬ぞりのどちらを使いたい?」です。全員スノーモービルでした。みんながよさをたくさん出してくれた犬ぞりですが、やはりスノーモービルの便利さを選んだようです。ここで、実際にイヌイットたちがどちらを選んでいるかについては、自分たちで調べて見てほしいとして、模擬授業を終わりました。
環境に適応して暮らしていることと、機械化を含めた環境の変化が今までの生活を変えていくことに気づいてもらえばいいので、あえて解説しないことを選びました。
参加者の方が消化不良になるといけないので、私の調べたところをお話ししました。現在では観光以外ではほとんど犬ぞりは使われていないようです。最近は犬ぞり用ではなく愛玩犬として飼うのがブームのようです。ただ、グリーランドなどでは今でも使われているようです。スノーモービルでは氷の割れ目などが見えなくて落ちてしまうことがあるそうですが、犬ぞりでは先頭の犬が先に落ちることで危険を察知でき、他の犬や人間が落ちることを避けられるからのようです。

進行担当の先生のコメントは、考えさせるための発問や授業の組み立てが工夫されているというものでした。私が意識したことを指摘してくれました。客観的によく授業を観察していたと思います。

2つの模擬授業を通じてどんなことを感じたか、考えたかをそれぞれのグループで話し合ってもらいました。初任者は子ども役を通じて感じたことを多く話してくれました。「話し合うことが楽しかった」というように、かかわり合うことのよさに気づいてくれたようです。他の参加者からは、子どもの言葉をできるだけ活かすといった、授業の進め方についての感想が多く出ました。

最後に、学び合いを支える授業技術についてお話ししました。
基本は聞くことを大切にすることです。教師が子どもの話を聞く。子どもが教師の話を聞く。そして子どもが子どもの話を聞くことです。
子どもが安心して話をできる雰囲気をつくることも大切です。教師が子どもの言葉を受容すること。たとえ間違えても、最後はほめて終わることを意識することが大切です。
最近研修で特にお願いしているのが、全員参加の授業を目指すことです。わかった人と聞けば、わかった子ども、できた子どもしか参加できません。「困ったことはない」と問いかけ、子どもの困った感に寄り添い、たとえわからなくても聞いていれば、わかる、活躍できるようにすればどの子も授業に参加できます。もちろんわかる子ども、できる子どもの活躍場面も意識する必要があります。彼らには答を言わせるのではなく、友だちの考えを代わりに説明したり、ヒントを言わせたりと友だちを助けることで活躍させたいところです。
このようなことを、模擬授業の場面も例にしながら説明しました。

模擬授業を自分で行なうという、いつもとは違う研修でしたが、とても素直に反応してくれる参加者と進行担当の先生の事前の準備のおかげでとても快適かつ楽しく進めることができました。私のパフォーマンスの幅が少し広がった気がします。このような機会が持てたことに感謝です。

研修の模擬授業を楽しむ

市の教員研修の1講座を担当しました。模擬授業と講演という形で何年も企画させていただいています。例年は知り合いの先生に授業者をお願いしているのですが、今年度は学び合いをテーマにすることになったことや、運営上の問題もあって私自身が授業者になることにしました。ここ数年初任者の必修講座になっているので、子ども役はその方たちにお願いすることになりました。その他にも20名ほどの希望参加がありましたので、その方たちには模擬授業中は子ども役の観察をお願いしました。
今回の講座の進行担当者は、学生時代から私がよく知っている若手の先生です。学び合いを進めている、これも古くからの知り合いの校長の学校に今年異動になったそうです。今年度のテーマを考えるにあたって、自身の課題として学び合いについて知りたいというリクエストあったので、このテーマになりました。

模擬授業をプロデュースすることはたくさんあるのですが、自身で授業を行なうことは本当に久しぶりです。授業の1シーンに限定するとはいえ、ちょっとしたプレッシャーです。日ごろお願いしている先生方にこんなプレッシャーを与えているのだと、申し訳ない気持ちにもなります。
用意した授業は2本です。算数の入試問題と社会科の地理の資料から考える場面です。

算数の授業は、中学入試の問題を1問用意して、全員に考えてもらいました。入試で満点を取ろうと思うと、この問題にかけられる時間はわずか2分です。先生方なら、最初は戸惑っても少し時間を与えればすぐに答が出るだろうと考えて選びました。問題は、一部深さの異なる(段差がある)水槽に仕切りをつけて、真ん中の部分に一定の割合で入れます。わかっているのは、真ん中の部分の幅とそれぞれの深さだけです。真ん中の部分の水の深さの変化と経過時間の関係のグラフが与えられていて、仕切られたもう一方の部分の幅を求めるという問題です。

4人グループで先生方に問題に取り組んでもらいます。相談してもよいことを伝えておきましたが、最初は自分で黙々と解こうとします。しかし、どうも手がかりがつかめないようです。どのグループでも、誰かが耐え切れず口火を切って相談が始まります。額を寄せ合いながら意見交換が始まります。しばらくすると、テンションが上がり始めました、どうやら行き詰まってきたようです。直接問題と関係ないことが話題になり始めているように見えます。そこで、いったん作業を止めました。このままだと集中力がなくなってしまうからです。
答はまだ出ていませんから、ここでの対応は迷うことはありません。どのグループも話し合っていましたから、「どんなことを話した?」とたずねます。最初のグループは、図を指さしながら、「最初は水がここにたまって、ここまでくると今度はこちらに水が広がっていって、仕切りまでくると今度はあふれて水がこちらにたまる。こちらが、いっぱいになるとまた水が増えてくる」というように、問題の状況がどのようになるか説明してくれました。問題文は図の容器に一定の割合で水を入れるという説明だけです。それがどのような状況になるのかを具体的に話し合ったわけです。問題把握の第一歩です。全体に納得したかをたずねて、しっかりうなずいてくれたのを確認して、もう一人にもう一度説明してもらいました。自分たちの言葉で確認することが大切です。ここで私が解説をすれば、それが答えにつながるものだ、正解の発想だということになります。そうではなく、自分たちの考えとして共有することが大切です。別の人に再度説明してもらうことで、よりしっかりと理解できます。
次のグループは、グラフについて話し合ったようです。「だんだん増えていって、ここで同じままで、また増えていっている」と説明しながら、グラフが一定のところを強調しました。ここに何かあると思ったようです。これもよい視点です。先ほど同様に確認した後、もう一度説明をしてもらいます。

2つの考えを理解して、何かつながらないかと考えている様子が見て取れます。ここで、もう一度グループに戻しました。ここで一気に答を見つけられるかと思ったのですが、しばらくすると、また動きが鈍くなります。その中で1グループに動きが出てきました。何かに気づいたようです。しばらく待つという判断もあるのですが、他のグループの動きが止まっているので、もう一度止めて全体で進めました。
「何か気づいたようですね。どんなことに気づいたか聞かせてください」とそのグループに発表してもらいました。先ほどのグラフの一定の部分が、仕切りからあふれている時だと気づいたのです。最初の2つの考えがつながったようです。ここでも確認して、再度他の子ども役に説明してもらったのですが、子ども役に動きが出てきました。ペンを持って解こうとしている人が何人もいます。全体で進めることは止めて、すぐにグループに戻しました。互いに説明し合いながらどうやら解けたようです。表情が明るくなったのでわかります。子どもと同じで、とてもうれしそうでした。自分たちで解いたという充実感があったようです。

ここで、一気に答を確認しました。1グループずつ聞きます。自信を持った表情で「32cm」と答えてくれます。「本当、絶対?」とグループの他の子ども役に聞いても、うなずきながら「32cm」と答えます。先ほどよい気づきをしてくれたグループは違う答です。比の計算で、比を逆にとってしまったようです。簡単に修正させることはできますので、ここは「面白いね。違う答えが出てきた」と受け止めて、残りのグループに同じように聞きます。このグループも自信を持って「32cm」と答えてくれました。ここで答を修正するところまでやってもよかったのですが、予定の時間を過ぎていたので、ここで模擬授業はいったん終わりました。答が気になる方もいるようでしたので、簡単に解説をすることにしました。式としては、たった1つで終わる簡単な計算の問題で、問題把握と式の読み取りから必要な情報を選択できればすぐに解けることを伝えました。

もし続けるとすれば、どのように対応したでしょうか。間違っているグループに説明させて、他のグループに指摘させる方法もありますが、正解のグループが自信を持っていたので、彼らに間違いを指摘させるときつい言い方になる可能性があります。正解のグループの一つに説明させ、その上でもう一つの正解のグループにも説明させて、間違えたグループに確認するという流れでいくことになったと思います。間違えたグループに自分で修正させて、どこで間違っていたか発表させ、自分で修正できたことをほめます。もちろん正解のグループも、きちんとみんなに理解してもらえる説明ができたことをほめます。
もし最後までやれば45分フルに使うことになったと思います。初任者の先生方にとってちょうどよいジャンプの課題だったようです。大人だからちょうどよかったので、子どもたちには難しすぎる課題だと思う方もいらっしゃるかもしれません。もちろん普通の学級の子どもたちではこうはいかないと思います。今回は学び合うことはどういうことか体験してもらうための模擬授業なので、この課題を選んだのです。普通の学級の子ども用の課題であればすぐに解けて、学び合いのよさに気づいてもらえないと思ったからです。このこともあって、今回は私が授業者になったのです。

さて、初任者でない参加者の先生方の様子はどうだったでしょうか、実は子ども役を観察するというより、自分が問題を解くことに一生懸命でした。自然にまわりの方と相談しています。学び合いは放っておいても起こるといういい例です。聞き合うことで人間関係ができることは、模擬授業の後で、振り返りのグループ活動を行った時の先生方の様子でよくわかりました。初任者は色々なところで関係を持っているので話し合いがうまくいくのは不思議ではありませんが、他の参加者も非常によい雰囲気で話し合いができていました。自然に関係ができていたからだと思います。

事前に模擬授業のコメントを進行役に頼んでいたのですが、かなりプレッシャーだと言っていました。どのようなコメントが出てくるか、これも秘かな楽しみでした。進行役は、最初に問題の把握とグラフの変化についての意見が出た時、自分なら「やった!」と説明をして、答に導いたと思う。そこで何も説明せずに子ども役に戻し、最後まで自分で説明せずに答を引き出したことがすごい。そんなコメントをしてくれました。すごいかどうかは別にして、私が意識していたことを的確に指摘してくれました。自身が学び合いをどう進めていけばよいか日ごろから悩んでいるからこそ気づけることでしょう。彼の成長がとてもうれしく、また頼もしく思えました。

この模擬授業は、課題が決まった段階でほとんど準備をすることはありません。大切なのは子ども役から出てきたものをどう活かすかということです。出たとこ勝負です。だからこそ、授業で大切なものが何かがよく見えるのではないかと思って選びました。受けの部分です。

次の社会科の模擬授業は、算数とは逆に資料を選んだあと、発問や展開の計画が大切になるものです。この模擬授業と講演については明日の日記で。
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