学校力向上研修

昨日は、市の学校力向上研修に参加しました。対象は教務、校務主任や学年主任、研修担当者です。模擬授業の後に実際に研究協議をしていただき、それを受けて私が授業検討の進め方について解説をしました。授業者と研究協議の司会は今年度新任の教務主任にお願いしました。授業者は昨日まで野外教室に出かけておられ、大変お疲れのところ無理にお願いすることになりました。

授業は小学校5年のメダカの観察でした。授業開始にあたり協議会の司会者が、授業を見る視点を確認しました。授業の目標(指導案上)が達成できたかどうかを子どもの目で考える、子どもの様子で判断するというものです。こういった視点を確認するのはその後の協議を焦点化するためにとてもよいことです。

子ども役には上位、下位が決めてあり、見る側もどこを見るかが決められていました。子ども役は子どもになりきろうと意識していました。授業者の話を、顔を上げて聞かない。指示への対応が遅れる。こういった場面がたくさんありました。しかし、授業者はこういった授業規律に関してあまり頓着しませんでした。授業規律は、本来日常的に指導するものなので、スポットで行う模擬授業では意識されなかったのかもしれません。
生まれたばかりのメダカのスケッチをする場面は、スケッチのポイントを子どもたちに確認する場面がありませんでした。実際の授業では子どもがどのようにスケッチするかで、確認が必要だったかどうか判断できますが、メダカを準備できなかったこともあり、子ども役のスケッチからは判断できませんでした。ここが模擬授業の限界でしょう(授業者が意識できていれば、「子どもは説明しなくてもできるようになっている」と事前に伝えておくことで、確認の必要がないことがわかるのですが・・・)。
3人で1匹のメダカという前提でした。待っている時、見終わった後どうするかという指示がありません。子どもたちの集中力がなくなることは明らかです。当然、後出しの指示が多くなります。作業を止めずに指示を出したり、一部の子どもの問いかけにその場で答えたりします。この模擬授業を通じて、作業を止めて指示をしたのは1回だけでした。
グループの活動中の机間指導も気になりました。授業者が子どもの中に入り込んで全体の様子を見ていないのです。
卵の変化の様子について今までの観察をもとに気づいたことを書くことが主課題ですが、その4つの視点(目、血液、心臓、体の形)は観察が終わったあとから提示されました。今までの観察でこの視点が出ているのなら、観察の前に子どもたちと確認をしておく必要があります。押さえておくべきことが明確になっていないのです。
グループでまとめる作業に入りますが、司会者も決めて話型を書いた紙を配ります。この活動は意見をまとめるための根拠がありません。それぞれの観察記録があるとしても、一人ひとり書いてあるものが違うのですから、水掛け論にしかなりません。模擬授業ですから、それもないので、どう評価していいか困ってしまいます。実際の授業であれば、観察ごとにポイントを共有して全員の観察記録が共通の根拠として活用できるようになっている必要があります。そういった前提を与えてくれていればまた違ったかもしれません。
実際の授業であれば、毎回、全員が納得できる観察記録を選んでデジタルデータとして記録しておき、それを根拠として映し出してもよいでしょう。いずれにしても、観察記録を根拠として話し合うことを明確にしておくべきだと思います。
司会者を決めて話型をもとに進めるので、子ども役の顔は紙から上がりません。こういうコミュニケーション活動は問題があります。話すことばかりに意識がいって聞くことがおろそかになります。結論をまとめようとすると意見が分かれた時に納得できない子どもが出てきます。根拠となるものが明確でない場合はなおさらです。友だちの意見を聞いて納得したら自分のものにつけ足すといった発想が必要です。
全体での発表では、子ども役は授業者の方を見て発表します。他の子ども役も発表者を見ません。また、発表の途中で授業者が板書をする場面もありました。こういうところも気になります。意見の確認をするのにも根拠となるものが提示されないので、子ども同士で確認し合うことができません。結局、授業者のまとめがそのまま正解ということになってしまいます。ある子ども役が、体の形の変化を言うのに前に出て絵を描きました。その時何人かの子ども役が「ほう」と声をあげました。とてもよい場面ですが、授業者はこの「ほう」を取り上げませんでした。おそらく予定時間を過ぎていたので焦っていたのでしょう。「今声を出した人、それってどういうことかな?」と聞くことで、子どもたち評価させ、共有させたいところでした。

授業者の反省を受けて、グループでの協議になりました。この時、グループの司会者役を決めました。教師集団の場合、司会者がいてもあまり問題はないのですが、協議の様子を見ているとグループによっては司会者が議論の方向性を決めていたように見えました。
今回の協議は目標を達成できていたかについて話し合うのですが、グループによって結論はバラバラで、視点もかなり違っていました。しかし、時間がなかったので、司会者は「質問はありませんか?」と聞くだけで、参加者からは質問は出ませんでした。いくつものことを続けて発表するグループもあります。司会者は発言を整理したり、コントロールしたりする必要があります。その上で、「今の意見どうですか、似たようなことを話し合ったグループはいますか?」「この場面について話し合ったグループは、どのような意見が出ましたか」とつなぐといったことも必要です。
司会者は、授業の目標が達成できたかどうかについてたくさん話し合ってもらうのが目的で、全体発表についてはあまり重視していないようでした。この発想は決して間違いではありません。授業について話し合うだけでも学ぶことはたくさんあります。今回は授業の目標に焦点化したので、授業規律やグループや全体発表の進め方といった部分についてはほとんど触れられませんでした。私が気づいたことに気づいている方はたくさんいるように思います。しかし、授業の目標と直接関係しないので議論されませんでした。要はその学校で話題にすべきものが何かです。少なくとも、今回のような授業が予想される(授業規律などが確立できていない)学校であれば、授業目標の達成以外についての視点も用意すべきです。参考になること、改善点というような別の軸の視点を取り入れること(教育コラム「楽しく授業研究をしよう」【 第4回 】グループを活用した「3+1授業検討法」参照)や、授業者の反省の代わりに、困ったところといった議論してほしい場面を指定してもよいでしょう。
授業を見て焦点化すべき内容、場面を司会者が意識する必要があります。日ごろの学校における授業の課題も含めて、司会者は何が課題かを把握していることが求められるのです。この日の授業であれば、何を根拠にして子どもたちに考えさせるか、どうそれを意識させるかということと、グループ活動のあり方だったと思います。根拠が求められるのはグループ活動の場面だったので、結局そこに集約されます。グループ活動の場面を中心に議論すれば、各グループの話し合いの中で課題が焦点化できたと思います。
私のようなアドバイザーの立場であれば、どうするとよいといったことを指摘することもできますが、司会者がそれをしてはおかしくなります。課題を明確にしたうえで、どうすればよかったのか皆さんに考えてもらうことが大切です。例えば、話型にこだわると聞くことができないことに子どもの姿から気づければ、聞くことをもっと意識して活動を行う必要があるという課題が浮かび上がってきます。具体的にどうすればいいという対応策が出なくても問題ありません。学校全体の課題として、継続的にみんなで考えればいいのです。次からの授業研究の授業者がそのことを意識して授業をしてくれれば、次第にどうすればいいかが明確になってきます。
また、グループで議論した後、全体で深める時間がなかなか取れないということもよく聞きます。各グループで議論の内容を紙にまとめてもらい、まず黒板に貼るというやり方もあります。それを見ながら全体で共通している意見については軽く済ませ、議論が分かれるところ、焦点化すべきところについて意見を発表してもらうことで、効率的に進めることができます。

今回の研修は私にとっても新しい試みで、たくさんのことを考えることができました。時間配分や進め方など反省点は多々ありますが、ここから学んだことを次に活かしたいと思います。忙しい中、授業者と司会者を引き受けてくださったお二人の先生と、参加者の皆さんに感謝です。

中学校の校内研修会に参加

先週末は中学校の研修会で講師を務めました。学校外の研修施設を使って終日で行われました。私の担当は、授業ビデオを元にした子どもたちの見方の研修と、午後の教科別の話し合いのアドバイスでした。

授業ビデオは前回の訪問の後、この研修に合わせて急遽撮影し、編集していただいたものを利用しました。理科、英語、技術の3教科です。子どもを中心に撮影したものと、授業者を中心に撮影したものの2つを用意してもらいました。先生方に子どもだけを撮影したものを見て、子どもたちの行動の原因を考えてもらい、必要に応じてその場面で授業者がどういう行動をしていたかを授業者が写っているビデオで確認しようという意図です。機材の関係で両方を映すことができなかったので、子どものビデオだけで研修を進めました。

理科の授業は実験でした。実験の進め方の確認を各班で行っている場面での子どもたちの様子はとても面白いものでした。一部の子どもたちはかかわり合っていますが、友だちとふざけている子どももいます。また、確認が終わって何もすることがないのかそのままじっとしている子どももいます。子どもの様子はバラバラでした。この時授業者は何をしていたかたずねたところ、撮影の機材の設定をしていたそうです。授業者の視線が子どもに向いていないために、子どもの集中度合がバラバラになっていたようです。
ふざけている友だちに目をやったあと、何も言わずにじっと座っている子どもの姿が気になりました。注意をするか、声をかけてほしいところですが、無視をしています。個人主義的なものをその子どもからは感じました。こういう子どもが他にもいそうです。子ども同士のかかわりをつくることを意識する必要があるでしょう。
授業者が実験の説明を始めます。子どもたちは授業者の方に顔を向け、集中します。授業者が「・・・実験をしてください」と話した後、すぐにまた注意事項の説明を始めました。この後、明らかに子どもたちの集中力が落ちました。これから実験に移ると思った時に、また説明が始まったからです。ここは、集中を戻すために、全員が授業者を見るまで間を置く必要がありました。この説明が特に大切なものなら、なおのことです。どうしても、教師の説明が続く場面があります。そういう時でも、「どうするといいかな?」と子どもに問いかけたり、「何をすればいいかわかったかな。誰かに聞こうか」と確認したりする場面をつくり、少しでも受け身でない時間をつくるようにすることで、子どもたちの集中力を持続させることができます。
ある場面で、画面に映っている子どもの中でだれが気になるかをたずねました。この授業の最初から、実験道具で遊んだり、集中力を失くしたりする子どもいました。日ごろから皆さんが気にしている子どものようです。この場面でも、集中力を失くしていました。ほとんどの方がその子どもに目がいっていました。しかし、別の場所でも集中力を失くしてごそごそしている子どもがいたのですが、気づきませんでした。どうしても、日ごろから気になる子どもに目がいってしまいます。そうではなく、目立たない子どもにも目を向けることが大切です。ごそごそしている子どもを注意しろというのではありません。その子どもの様子をちゃんと認識していなければ、適切な対応ができないからです。
実験が開始されたときに、先ほどの日ごろから気になる子どもが実験に関して友だちに発言しましたが、すぐに遊びだしました。この子どもの様子を「よい」と考えるか「よくない」と考えるかを挙手で確認しました。同じくらいに分かれました。授業とすればとても面白い場面です。「よい」と考える方は、日ごろ授業に参加できないのに、ここでは参加できたから、「よくない」と考える方は参加したことは評価するが遊んでいるのはよくないからというのが理由です。同じ場面でもどこを重視でするかで評価は分かれます。このことを皆さんに気づいてもらいたかったのです。いずれにしても、授業に参加したことは「よい」と評価しているので、そのことを認めてほめてあげたいところです。しかし、授業者にはできませんでした。理由は、この時他の班にかかわっていたため、この班が死角になって見ることができなかったからです。たまたまなのですが、できるだけ死角をつくらず常に全体を見ることの大切がわかる場面でした。

英語の授業では、子どもたちの体調を聞く場面で面白い姿を見ることができました。一部の子どもが起立していて、その子どもたちに授業者が問いかけています。起立している子どもはとてもよい表情で、授業者の質問に答えようとしています。授業者と子どもの人間関係のよさがわかります。ところが、着席している子どもたちは一部を除いて勝手なことをしています。授業者も、起立している子どもも見ていません。自分たちには関係ないと思っているのです。決して授業に参加する気がないのではありません。この場面では、座っている子どもの参加する余地がないのです。これは、誰かが発言している場面でも同じことです。聞いている子どもが参加する仕掛けが必要になります。
フラッシュカードを使って単語の練習をする場面がありました。ある単語で授業者は何度も子どもたちに繰り返し練習させます。声が小さかったからでしょうか、重要な単語だからでしょうか、それとも発音に問題があったからでしょうか。何がいけなかったか子どもたちはわかりません。ただ何度も発音するだけです。目標や評価規準が子どもにわかるような活動にする必要があります。
列ごとに最初に問題を解けた子どもがミニティーチャーになる場面がありました。ちょっと苦しそうな子どもが教えてもらって、うれしそうな顔をしていました。よい場面です。自分から友だちに聞けない子どもには、ありがたいことです。しかし、わかった子どもが教えに行くというのは、必ずしもよい方法ではありません。自分で考えたい子どもにとっては大きなお世話です。わからなければ、自分で聞けるようにすることが大切です。授業のいろいろな場面で、わからなければ聞くようにうながしてほしいと思います。また、聞かれた子どもに対しては責任を持ってわかるまで教えるようにさせることが必要です。わからない子どもではなく、わかっている子どもにプレッシャーをかけるのです。

ベテランの技術の授業は、作業の説明場面でした。子どもたちはとても集中しています。授業者が映っていなくても、どこにいるかが子どもの視線でわかります。授業者は、子どもを集め、板を見せ、上手に間を取りながら説明します。板をどの子どもにもよく見えるように持ち替えながら、首を動かして子どもたちを見ています。ここでも子どもたちはとても集中していました。子どもたちが集中する理由を先生方にたずねました。「実物を見せているから」「教師のまわりに小さく寄せているから」「ちゃんとした作品を作りたいと思っている。聞いていなければできないから」「子どもをよく見ているから」といろいろな考えを言っていただけました。どれもとてもよい視点です。子どもたちが集中するための条件がよくわかったと思います。

ビデオを30分くらい用意してあったのですが、すべてを見ることはできませんでした。見ることができなかった場面にも面白い子どもの姿があったそうで、申し訳ないことをしてしまいました。先生方はとても集中して参加してくださいました。終わったあと初任者に感想を聞いたところ、見る視点が自分と全然違っていたと話してくれました。同じ子どもの姿を見ても、視点によって見え方が違うことに気づいてくれたようです。

午後は、まず学習アンケートの結果報告があり、それに続いて、「自学ノート(仮称)」についての提案がありました。自学ノートは個人の学習の目的に合わせて自分で何に取り組むかを決め、1日1ページ(以上)、家庭で学習するというものです。白紙の状態では何に取り組めばいいのかわからないだろうから、参考となるような「家庭学習の進め」を各教科で作成することも考えられています。そこには、学校の宿題や塾での課題など、与えられたことを受け身でするのではなく、自分で考えて学習をする習慣をつけてほしいという願いが込められています。それに対して何人かの方から、質問、意見がありました。共通していたのは、「今でも宿題をこなすのが苦しい子どもがいる。下位の子どもには、教師に指導されるネタが増えるだけだ。負担増になって苦しめることにはならないか」ということです。確かにその通りです。下位の子どもたちにも目を向けることはとても素晴らしいことです。そこで失礼ながら割り込ませていただき、次のような私見を述べさせていただきました。

下位の子どもに、上位、中位の子どもと同じことを求めることは難しいだろう。とはいえ、何もしなくては彼らがわかる、できるようになることない。負担になることではなく、彼らにできること、やる気の出ることをさせ、力をつけることが大切ではないか。一律の課題であれば難しいことだが、この自学ノートという方式なら、彼らにあった学習をさせることができる。上位、中位には自分たちで考えさせ、下位の子どもにはピンポイントで学習内容を与えてもいい。是非、下位の子どもに取り組ませるべきことを考えてほしい。

この後、各教科での話し合いでしたが、それぞれ15分ずつ私なりのアドバイスをさせていただきました。皆さんとても真剣に考えておられ、よい刺激を受けました。

この日は、子どもだけを撮影したビデオを使って授業について参加者と考えるという、新しい試みをすることができ、とてもよい勉強になりました。また「自学ノート」という、下位の子どもにとっても可能性のある提案を聞けてとても参考になりました。皆さん以上に私が多くのことを学べた1日でした。このような機会をいただけたことに感謝です。
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