「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その3)

昨日の日記の続きです。

3つ目の模擬授業はフューチャースクールの指定を受けていた松阪市立三雲中学校の楠本誠先生のiPadを活用した理科の授業でした。野菜は植物のどの部分かという課題の授業でした。
花、茎、葉、根などの名称が空欄になっている植物の模式図を見せて、その名前を指名して言わせます。授業の導入のよくある復習場面です。答えるとすぐに正解が表示されます。テンポよく進んでいきます。こういうスピード感はICTを活用するよさです。しかし、この進め方は全員がほぼ100%の状態であることが前提です。今回は20分という短い時間でまとめようとしたのでこのような進め方になったのだと思いますが、原則一問一答は避けるべきだと思います。最低3人ほど指名して、全員が同じ答であれば「○○でいい?反対の人はいない」と言って答を表示すればいいのです。こうすることで、知識が曖昧な子どももしっかり復習できます。また、次々指名すればテンポは決して悪くなりません。

最初の課題は、トマトは「花」「茎」「葉」「根」のどの部分かです。グループに2台のiPadが用意されています。この2台というのもどのように使い分けるか興味のあるところでした。各グループに枝についたトマトが配られます。ICT機器ばかりに頼らず実物を見せるというのは理科として大事にしたい姿勢です。iPadの1台は先ほどの植物の模式図、もう1台はワークシートが転送されました。ワークシートには理由を書く欄があります。根拠を持って考えることを意識させようとしています。子ども役に与えられたのは、これだけです。インターネットで調べれば答はすぐにわかります。しかし、それでは学習になりません。情報を制限された中、与えられた情報を元に考えさせようというわけです。ここで、気になったのは、子どもたちがどのような結論を出そうが、それが正しいことをどうやって確認するかです。教師が「正解は○○だよ」と言っては話にならないからです。また、ここではトマトは眺めるだけでした。観察して結論を出すのであれば、観察の手段を与えるか方法を考えさせるべきです。具体的には、「このトマトをどうやったら、答が見つかると思う」と投げかけたり、「トマトは切ってもいいよ。ただし食べたらだめだよ」と手段を与えたりするのです。もちろん、トマトの中には種があることは多くの子どもが知っています。しかし、その知識を使うのであれば、実物を与える意味はありません。また、トマトを切ってみることで、子房の断面と同じような構造をしていることに気づけると思います。理科は実験や観察を大切にする教科です。それは、教師に指示されたからおこなうものではありません。問題を解決する手段、仮説を確認する方法として、どのような実験・観察をすればいいのかを考え、その結果から気づきわかったことから、また次の実験・観察を考えるのです。
また、ワークシートがグループに1台のiPadで書かれるというのが気になりました。意見をまとめる時に、どうしてもiPadを持って仕切る子どもが出やすいからです。一人1台の環境でなくても、紙を使えば個人の考えを書くことができます。考えをまとめる時に、その考えに納得できない子どももいると思います。そんな時、自分の考えにこだわることも大切です。手元に自分の考えを書いたものを持っておくことは大切なのです。

発表は、iPadのワークシートを画面転送して進めました。それぞれの理由が話されます。問題はどのようにして、その確認をするかです。授業者は用意しておいた、トマトの花に実がついて大きくなっていく何枚かの写真を見せることで説明しました。ICTが「教師が説得する」ための道具になっています。これは、ある意味後出しじゃんけんです。この情報は教師だけが持っているからです。せめて、子ども役の根拠が正しものかどうかを、この情報を元に子どもたちが確認する場面がほしいところです。茎と花のつなぎ目を拡大することで、トマトのへたの部分が「がく」であることや、子房の部分の変化を拡大してトマトの「実」を食べていることを確認するといったことを子ども主体でおこなってほしいのです。ICTを「子どもが納得する」ための道具にしてほしいと思います。

続いて、タマネギはどの部分かを課題にします。今回も実物を配りますが、切ったりはさせませんでした。子ども役の頼りは模式図だけです。これは教師が子どもをミスディレクションするための方法のように思いました。タマネギには根があります。模式図では根は茎から生えています。数少ない材料から、「茎」と答えることは想像に難くありません。案の定、子ども役は「茎」と答えました。正解は「葉」でした。タマネギを切ってその切り口を見せてその説明をしました。やはりここは、子ども役にタマネギを切らせて、その情報を元に考えさせたいところでした。その上で、根拠となる部分を写真で拡大するなどしたまとめをiPad上でつくらせて、全員で共有したいところです。
ただ、理科で気をつけなければいけないのは安直に写真に頼りすぎないことです。たとえば顕微鏡で観察したものを写真に撮るという活動はまずありえません。人は意識したものしか見ません。観察で気づかなかったものはスケッチに描かれません。だからこそ、自分の手で描くことで、何を気づけたかが明確になるのです。また、植物図鑑では写真よりも手書きの絵を重視します。それは、その植物の各部分の特徴を端的に表すことができるからです。植物には個体差があります。写真ではたまたまその個体の特性が写しだされることもあります。そして、写真はどうしてもピントの合う場所が限られます。小さい植物などは花を接写すれば葉や茎などは、まずぼけてしまいます。記録に写真を使うべきところと手書きであるべきところを意識する必要があります。

この授業のツッコミ役は、この後講演する玉置先生でした。たった一言、「紙でもこの授業はできるのではありませんか?」とこの授業の急所を突きました。授業者は、ワークシートを共有できるよさや保存ができるよさを話しましたが、この授業に限って言えばその必然性はありません。玉置先生はそのことを追及はせずに、グループに1台のiPadを使うよさやフューチャースクールでのICT活用へと話題を移しました。この授業ではうまく現れなかった授業者のよさを引き出そうとする姿勢は見習わなくてはいけません。
話を聞いていて、授業者がICT活用に真剣に取り組み、工夫していることがよく伝わりました。

3つの模擬授業を見せていただき、私の講評の方向性が決まりました。授業者がねらっていることを実現するために、それぞれの授業はどういうことを意識するといいのか、具体的にどこをどのように変えればいいのかを話すことにしました。
玉置先生の講演の間に構想を練ろうと思いましたが、そうはいきません。講演に集中してしまったからです。

この続きは、明日の日記で。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その2)

昨日の日記の続きです。

2つ目の模擬授業は、伊勢市立御園中学校の南和美先生の国語でした。3年生の随筆をもとにした、発展的な学習です。
授業者は明るく元気で、子どもたちはきっとこの先生が大好きだろうなと思いました。「ありがとう」という言葉がごく自然に出ます。授業の中で「ありがとう」という言葉が出る先生の学級は、温かい空気にあふれているのが常です。この授業がどのようなものになるのか期待でワクワクします。
筆者が「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」と述べているのに対して、子どもたちから「言葉で表現できる」という意見が出てきたことを受けて考えられた授業でした。
4枚の空の写真をスクリーンに提示します。「朝焼け?」と「夕焼け?」、2種類の「雲」です。この構成から、「子どもに書かせたものを元にどの写真を表現したものかわかるか」と問う流れが見えてきます。

まず4枚の写真のうちどれが好きかを問います。誰でも答えやすい問いで全員を参加させます。挙手で確認した後、指名してその理由を問いました。好きか嫌いかは他者を納得させるような明確な根拠を必要としないので、答えやすいものに思えます。しかし、あらためて聞かれると答えられないこともあるのです。うまく説明できない子ども役に「なぜ?」と迫りました。国語の授業で根拠を求めることは大切なことですが、好きな理由を言うことが国語として大きな意味を持つ場面ではありません。「なんとなくかな?」と軽く問い返して、子どもがうなずけば次に進めばいいでしょう。また、「なぜ?」という問いかけは、一番答えにくいものです。「どこが好き」といった答えやすい聞き方をすれば、言葉が出たかもしれません。
続いて4枚のうちの1枚が「夕焼けか朝焼けか」と問いかけます。授業者は伝えるための表現を意識して発したのでしょうが、この日の課題が明確になっていない段階では子どもにとっては考える必然性がわからない問いです。また、その理由を考えさせても根拠を持った議論ができるようには思えません(一般的に夕焼けの方が広い範囲が赤くなるようですが・・・)。国語の授業は論理的でなければなりません。そのため理由を問うことはとても大切ですが、根拠を持って明確に議論できることが前提です。また、根拠となる知識が必要であればまずそれを全員で共有する必要があります。このことを意識してほしいと思いました。

スクリーンに作業の手順を映して指示をしました。一連の動きがとてもなめらかです。日ごろからICT機器を使い慣れていることがよくわかります。いくつかのステップに分かれている指示は、このように全体がわかるようにしておいて、一つひとつ説明すると徹底しやすいと思います。中心となる課題は、「選んだ写真のイメージが伝わるように書く」です。この指示が実は曖昧なのです。イメージが伝わるとは、具体的に読み手がどうなればいいのでしょうか。ゴールが不明確なのです。写真を見て自分が感じたイメージが伝わればいいのでしょうか。それとも写真がどのようなものか、そのイメージが伝わればいいのでしょうか。ある子ども役は、情景描写にこだわり、ある子ども役は写真には写っていない情景を想像して書いていました。同じ土俵で評価ができなくなる可能性があります。

作業に入った時点でスクリーンの表示を再び、4枚の写真に戻しました。作業に入っても指示を確認したい場合があります。子ども役は手元に写真を持っていたので、写真に切りかえる必要はなかったでしょう。もし写真を配らずに再度表示する必要があるのなら、従来のように紙に書いて黒板に貼るか、指示が終わったあと、印刷したものを配った方よいでしょう。ICT機器を使うよさの一つが、瞬時に映したり消したりできることです。だからこそ、どのタイミングで写すのか消すのか、今、映す必要があるのかないのかを判断することが大切です。ずっと映している必要があるものならば、かえって紙に書いて貼っておく方がよい場合もあるのです。

付箋紙に文章を書かせ、隣同士で交換して読み合います。この時、素敵な表現だなと思ったところに線を引くように指示します。最初の指示の「イメージが伝わる」に対して評価は「素敵」です。指示に対して評価がずれています。「素敵」というのは「いい」と違って主観的なものです。こういう「Iメッセージ」を送ることは人間関係をつくるのにとてもよいことです。相手は自分が認められたと感じます。このことを授業者はよく知っているのでしょう。だからこそ、ここでは使ってはいけないのです。客観的に議論できないからです。ここが素敵だという意見に対して、それ以上深く話し合うことはできません。疑問をはさむこともできません。個人の気持ちに対して何も議論できないからです。国語の授業では自分の感想を言って終わることが多くあります。読書ならばそれでいいのですが、国語は正しく読み取ることが求められます。客観的に議論することを常に求めてほしいのです。
何人かのものを実物投影機で拡大して見せます。付箋紙のように小さいものに書いても、拡大すれば全員で共有できます。また、何枚も貼って比較することもできます。ちょっとしたアイデアですが、ICTのよさをよくわかっていると感心しました。
ここで、もし「素敵」にこだわるのであれば、「ペアの人の書いたのをぜひ紹介したい人?」として、発表させるとよかったでしょう。こうすることで、よい人間関係がつくられます。

「たなびく」という言葉に注目して、2年生で学習した「枕草子」を想起させました。ここで「覚えている人」と問いかけました。覚えている人に発表させてもいいのですが、それを聞いても全員がきちんと復習できるわけではありません。今回は環境的に難しいでしょうが、デジタル教科書があれば、「どこで出会った?」と出典を確認して、すぐに表示をすることができます。全員で読むことで復習することも可能です。

実際の授業では、他の学級の子どもの書いたものを見せて、どの写真を表現したものか考えさせることをしたようです。表現の評価としてとてもよいのですが、このような評価をすることは活動前に伝えてはいません(実際の授業では違っていたのかもしれませんが・・・)。子どもは毎回指示に従って活動しているだけで、どこに向かっているのかが明確でありません。ミステリーツアーになっています。
では、どうすればよかったのでしょうか。
最後にどの写真を表現したものか考えさせるのであれば、視点によって2つの流れがあると思います。一つは資料的に比較してみるという視点です。予め何枚かの写真を与えておいて、「どの写真を表現したものか伝わるような文章を書く」という課題です。他の写真と比較しながら書くことが、目標達成の近道です。
もう一つが、素晴らしさを表現するという視点です。たとえば朝焼けに絞って、いくつかの写真を準備します。一人に1枚ずつ写真を配ります。他にどのような写真があるかは知らせません。「与えられた写真の情景の素晴らしさを伝える文章を書く」というのが課題です。その上で、それぞれの文章がどの写真を表現しているのか互いに読み取るのです。通り一遍の表現では、他の写真との違いを際立たせることができません。表現の難しさを知ることができると思います。
いずれにしても、「どこでわかったか」を問うことで、表現を価値づけすることができます。ゴールが明確な言語活動になると思います。
それに対して、「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」という随筆の内容を意識すると、「君たちの言葉は写真の表現力に勝てるか」という課題もあるでしょう(自然相手は教室では難しいので)。写真に対して、その表わす情景を言葉で表現してより感動を与えられるかを問うのです。詩などに近い表現活動となります。客観的な評価は難しいかもしれませんが、自分たちの「言葉の貧しさ」を知ったり、友だちの「豊かな表現」に出会ったりすることができると思います。
授業者のねらいは、また別のところにあったのかもしれませんが、このようなことを考えました。

言語表現と視覚を結びつけるというアイデアは古くからあるものです。以前は写真一つ見つけるのも大変でした。意を決して取り組まなければなかなか越えられない壁があったのも事実です。しかし、今はインターネットを活用することで簡単に素材が手に入ります。授業者はインターネット上で著作権の心配のないものを見つけてきたようです。ICTという羽で今まで越えることのできなかった壁を軽々と飛び越えています。
懐かしいような、それでいて新鮮な授業に出会うことができました。

今回のツッコミ役は、松阪市立殿町中学校森喜世子先生です。
前セクションとはまた違ったアプローチです。ツッコミ役というよりも、引き出し役という感じでした。南先生の授業のよさや日ごろのICT活用の様子をよくご存じなのでしょう。そのよさを価値づけたり、引き出したりする言葉や質問がたくさん出てきます。
関連資料、情景や背景を素早く見せる。子どもの発表の道具として使う。南先生がチョークや黒板のように自然にICT活用していることとそのよさが伝わるものでした。

この続きは、また明日の日記で。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その1)

先週末は、三重県教育工学研究会に主催の「授業で活かすICTセミナー」に参加しました。3本の模擬授業と解説、それに小牧市立小牧中学校の玉置崇校長の講演という興味深いプログラムに、個人的に申し込んだのです。ところが参加申し込みに私の名前を見つけた古くからの知り合いでもある研究会の会長とこの研究会のメンバーで愛される学校づくり研究会の仲間でもある方から、登壇をお願いされてしまいました。玉置先生の講演を20分削るだけの価値ある話をできるかどうか自信はありませんでしたが、私自身の勉強の機会だととらえお引き受けしました。

会場までは、玉置先生と名古屋から電車で向かいました。車中、授業づくりや授業アドバイスについて話をしているうちに気がつけば目的地の津。この時間だけでも参加した価値がありました(まだ参加していないって!)。駅での出迎えから、開始時間まで細かい気配りで接待していただきました。その間スタッフの皆さんは本当にいきいきとよく動いておられました。これだけの会を自主的に運営できる力に驚きました。自ら学ぼうとする意志とそして楽しもうというエネルギーを感じます。

開始前に、若いスタッフから声をかけていただきました。面識のない方です。この日記の愛読者で、授業づくりの参考にしていただいているということです。実践する中で、グループ活動をどこで止めるべきか悩んでいると質問をいただきました。その内容は子どもたちを活かすことを意識して実践しているからこその悩みでした。とても楽しくアドバイスをさせていただきました。その時、そばにいたこの日の模擬授業者もしっかり聞いていてくださるのに気付きました。この学ぶ意欲には感心しました。こんなメンバーがたくさんいる研究会の質の高さが感じられます。セミナー開始前にテンションが上がっていきます。こんなことはそれほどあることではありません。

セミナーのトップバッターは会長である、三重県大紀町立錦小学校校長中村武弘先生です。会長自ら範を示し模擬授業に挑戦するという姿勢は、上に立つべきものの手本となるものです。
授業は小学校3年生の算数、二等辺三角形の導入の場面でした。実物投影機を使って、教科書の図を大きく映します。この時点で授業者の「特別なことをしなくてもICT機器は活かせるんだよ。ただ、どう使うかを意識してね」というメッセージを感じました。
図は円の中に、中心を頂点とした半径を2辺とする2つの三角形が描かれているものでした。2つの三角形の辺は色を変えてあり、中心の点には「中心」と書かれていました。発問は「図を見て何でもいいから気がついたことをノートに書く」です。「何でもいい」という言葉は、どんな意見でも大丈夫だよ、先生が受け止めるからというメッセージです。この後の子ども役とのやり取りが想像できます。しかし、「何でもいい」は子どもにとっては、何を答えたらいいのか悩む問いでもあります。日ごろから視点を育てていないと答えにくいものです。また、教科書には図の説明で「円」という言葉があります。あえてこのことを言っていないということは、「円」という子どもの言葉も活かそうとするのではないかと想像しました。どのように展開するか興味津々です。

子ども役が作業をしている間、机間指導をします。一部の子ども役には「なるほど」と、また、ある子ども役には「いいね」と声をかけます。この違いが私には気になりました。「なるほど」は受容の言葉です。それに対して「いいね」は称賛の言葉です。すべてどちらかであればよいのですが、「なるほど」と言われた子どもは評価されたと感じない可能性があります。授業者は志水廣先生の○つけ法を意識されたのだと思いますが、そうであれば、全員に肯定的な声かけをする必要があります。声をかけられなかった、受容はされたが称賛はされなかった。こういうことが起こらないように気をつける必要があります。また、残り何分というような言葉が必要以上に多かったような気がします。全体に伝えるべき情報はいったん止めて伝えるべきです。そうでない情報はできるだけ控えた方が子どもたちの集中を乱しません。

いよいよ発表です。指名された子ども役は、前に出て図を使って説明しようとしました。その態度を「積極的」と授業者はほめました。ほめることはもちろんよいことなのですが、ここは算数のとしての価値もほめたいところです。図を使って説明しようとすることの価値づけをしてほしかったのです。発表者は、「円だから半径が等しい、2つの辺が等しいから、二等辺三角形」ということを指で図を示しながら説明します。ここで、発表をほめた後、もう一度今言ってくれたことを説明するように他の子ども役に指名しました。しかし、話し言葉ですからムダな言葉もあります。それを復唱することはそれほど簡単ではありません。実際に子ども役はすぐには言うことはできませんでしたし、「円だから」という言葉を落としました。残念ながら授業者はそのことを見過ごしました。他の子どもの話を聞くことを大切にする姿勢は素晴らしいのですが、そのための足場をつくってあげる必要があります。まず、全員が発表者の言葉を共有する必要があります。発表の後、「いいこと言ってくれたね。まだよくわかっていない人もいるようだから(挙手で確認をしてもいい)、もう一度言ってくれるかな」と再度聞く機会をつくります。そして、今度は、一言一言を区切りながら確認します。「円だから」「なるほど円なんだ。みんな円だってわかった。それで」「半径だから等しい」「半径だから等しいんだ。半径は図のどこ?」といったように、まず発表者の考えを図も使い、時には本人や他の子どもに問いかけながら、理解する場面をつくるのです。その上で、他の子どもに聞けばより多くの子どもが共有できます。このような場面は、大きく映すというICT機器のよさが活かされるところです。今注目している三角形部分だけに拡大することで、よりわかりやすくなったと思います。

授業者は、どの子ども役の発言も肯定的に受け止めます。しかし、「意外な意見」という言葉を使うことがありました。この言葉も要注意です。授業者に想定している意見があるということです。子どもは「あっ、外した」と考えるかもしれません。こういう経験を何度もすると教師の求める答は何だろうと「教師の求める答探し」をするようになってしまいます。「すごい意見だな。こんな意見が出たことがない。素晴らしい。でも、3年生では扱えないから、5(?)年生になったら考えよう」といった対応をすると子どもは納得してくれます。

子ども役から意見を一通り聞いたあと、「二等辺三角形は他にはないか」と問いかけます。「気づいたこと」ことから「二等辺三角形」に視点が移っています。子どもの発表からここに話題が移る必然性が求められます。また、今まで図そのものから気づいたことを発表していましたが、新たな二等辺三角形を見つけるには図に線を描きこむ必要があります。ルールが変わったのです。このことを明確にしないと子どもは困ってしまいます。「二等辺三角形を見つけてくれた人が何人もいるね。今日は二等辺三角形の勉強をするんだけれど、図の中にもっと二等辺三角形を見つけてくれるかな。線を1本だけ足していいからね」というように新たな課題として、少し考える時間をとる必要があるでしょう。「他にはない」と迫られても、子どもは考えられないのです。

説明の時に子ども役が「円」と言う言葉を使わなかったが、「円の半径」と授業者が付け加えた場面がありました。「半径。何の?」と子ども自身につけ足させるようにしたいところです。
また、子どもの発言に対して「いい言葉」という評価をしたのですが、それがどの言葉で、どのようにいいか具体的にしませんでした。これでは、せっかく評価しても共有できません。「いい言葉を言ってくれたね。先生はどの言葉をいいと思ったかわかる?」「この言葉がいいってどういうことかわかる?」というように子どもに考えさせるとよいでしょう。

最後に、二等辺三角形になる理由を説明する場面がありました。子ども役は「半径だから2つの辺が等しい」と説明したのですが、授業者は「どの辺のこと」と聞き返します。あえて、等しくない2辺を示したりするのですが、どうでしょう。子どもの説明をより明確にさせるために、物わかりの悪い教師になることはとても大切です。しかし、この場面では「半径」と言っているのです。であれば、「半径ってどこ?」と聞き返すべきです。そうでなければ、せっかく「半径」という算数用語を使って説明していることが死んでしまいます。

子どもを受容して活躍させたい。そういう思いに溢れている授業でした。いつも言っていることですが、だからこそ、たくさんのことに気づけ学べるのです。指摘の多さはその裏返しです。

続いてアドバイザーの元津市立倭小学校校長中林則孝先生の「ツッコミ」です。アドバイザーと机には貼ってありながら、ツッコミ役と紹介するところがこのセミナーの姿勢を表わしています。内輪の予定調和の解説ではなく、ツッコムことで授業者の考えを引き出し、より深く学ぼうということです。中林先生のツッコミは、その期待通りのものでした。
まず、授業者の机間指導でのしゃべりの多さを指摘します。子どもの集中を乱さない方がいいということです。それに対して、授業者は本人に聞こえるような声かけと、大きな声を使い分けていると主張します。オープンカンニングの発想です。時間がなくてそれ以上話題にできなかったので、私の講評の場でこのことについてお話することにしました。
また、ただ大きく見せるのではなく、MAX拡大を利用することも指摘されました。ここぞというところでは、MAX拡大を使うべきということです。これも納得できます。
実物投影機がなくて使えないという先生は自腹で買うべきだという主張もなるほど思いました。「道具を自腹で揃えない大工さんはいない」という言葉には説得力がありました。
いつもの中林先生らしい、明確なツッコミです。思わず何度も手をたたきそうになりました。
「ここまでツッコムか」と、スタートからわくわくするセッションでした。次の模擬授業がますます楽しみになりました。

この続きは明日の日記で。

模擬授業で現職教育

先週末は中学校の現職教育に参加しました。2名の若手の社会と英語の模擬授業をもとに私が解説するというものです。夏休み前に授業の様子を見せていただき、校長、教務主任と打ち合わせをしました。その結果、一方的な講演ではなく授業場面に即して先生方に考えていただいた方がよいだろうということになり、今回の模擬授業となりました。
「聞く」をテーマにとして、「子どもが教師の話を聞くこと」「教師が子どもの話を聞くこと」「子どもが子どもの話を聞くこと」について考えてもらうことをねらいとしました。授業者には申し訳ないのですが、授業の流れは無視して場面ごとに授業を止めて私が解説しながら皆さんに考えてもらう形式をとりました。

社会科の模擬授業は、最初の指示や説明の場面から授業を止めました。よく目にする、特に問題がないように思われる場面です。しかし、そこに大切なことが隠れているのです。
課題をノートに写させるのですが、授業者が板書している時に、できない子ども役がごそごそしていてなかなか写しはじめませんでした。また、写し終わったら顔を上げるように指示しましたが、まだ写し終っていない子どもがいるのに説明を始めました。
すぐに取り掛からない子どもに気づいていたかどうかを授業者にたずねました。全く気づかなったと素直に答えてくれました。授業者は書くことに集中して書き終るまで振り返らなかったのです。このこと自体がよい悪いではなく、黒板に向いて板書をしている時には子どもは見えないということを意識してほしいのです。意識すれば、時々振り返ったり、子どもを見やすい姿勢で板書するようになったりします。
わずか数行を写すのにも、子どもたちは結構な時間がかかります。すぐに取り掛からない子どもがいれば、結果的にその子どもが書き終るのを全体で待つことになります。素早い行動をうながしてムダな時間を使わないようにすることが必要です。板書を写すことがどんな意味があるのかを意識することも大切です。目から入って手に伝わるだけであれば、プリントして配ることと変わりません。頭を使って写させたければ、「できるだけ黒板を見ないで写そう」「黒板を見るのは○回まで」といった指示をすることが必要になります。
顔を上げるように指示をしてもまだ写している子どもがいるのであれば、全員の顔が上がるまで待たなくてはいけません。子どもの聞く姿勢ができていないのに教師が話せば、結果として聞くことを軽視させることになります。子どもたちが「教師の話を聞く」ためには、聞く姿勢をつくることを意識することが大切です。また、子どもが全員顔を上げていないのに「みんな顔が上がったね」と言ってしまえば、その子どもは、自分は「みんな」には入っていないのだと思ってしまいます。そういうことが続けば教師と子どもの人間関係は崩れてしまいます。注意が必要なのです。

まだ学習していないことを子どもに問う場面がありました。教科書や資料集を見ればわかるのですが、「調べてごらん」と明確に手段を示すことが必要です。知識を得るためには「調べる」という方法を取ればよいと教えることが必要なのです。調べさせたのであれば、その結果を答えさせることにあまり意味はありません。見つけることができれば答えられるからです。また、いつも調べた結果が発表されることがわかっていれば、調べようとしない子どもも出てきます。「どこで見つけたか」「どうやって見つけたか」を問うことが必要です。見つけられなかった子どもにも、資料を見つけることを経験させなければいけないのです。自分で資料を確認しようとするかが心配なら、隣同士で確認し合うようにすれば大丈夫です。子どもたちに受け身でない学習姿勢をつくることが大切です。

資料を見て「気づいたこと」を問う場面がありました。この「気づいたこと」という問いかけは、教師としては「何を答えてもいい」という受容的な思いで発しているのですが、子どもにとっては必ずしもそうではないのです。「何を答えてもいい」というのは、「何を答えればいいのかわからない」につながります。教師の求める答を言わなければという意識が強ければ強いほど困ってしまうのです。初めのうちは「○○と比べて」と視点を与えた上で「気づいたこと」と問いかけるようにした方がよいでしょう。何度か経験した後、「前の時は、何と比べてみた」「どんなことに注意する」と自分たちで視点を意識するような問いかけをするようにし、最終的には「気づいたこと」だけで子どもが答えられるように育てていくのです。

英語の模擬授業は、受け身表現の学習で、とてもテンポよく進んでいくものでした。授業者はまだ経験も少ないのですが、なかなかの授業技術です。ドラえもんがどら焼きを食べているところ、クレヨンしんちゃんが携帯電話を使っているところの2枚の絵を元に導入部分を進めました。ドラえもんが何を食べているか英語で質問し、子ども役がそれに答えます。その答を聞いてハンドサインで「いいかどうか」を確認します。英語だけで進めていくので、実際の子どもの場合全員ちゃんと聞き取れるかどうか不安があります。そこをハンドサインで補おうというのです。しかし、ハンドサインだけに頼ることは危険です。ほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出していれば、残りの子どもの多くは追従します。ほとんどの子どもが賛成しているのにハンドサインを出さなければ、指名されて確認される危険があるからです。逆に、常に賛成の子どもに確認の指名をすれば、わかっていないのに賛成する子どもは減ります。ハンドサインも確認が必要なのです。
ハンドサインを出さなかった子ども役がいました。しかし授業者はそのまま進めました。授業者に確認したところ気づいていたとのことでした。ハンドサインは全員が出すべきものです。わからない子どももわからないと意思表示をさせるべきなのです。ハンドサインを出さない子どもがいることを確認したのに対応しないということは、悪い言い方をすれば、賛成のハンドサインを教師が先に進むための言い訳に使っているのです。1問1答でハンドサインを使って確認をするよりも、正解と言わずに何人も指名し、そのやり取りを何度も聞かせた方が、わからない子どもがわかるチャンスを増やすことができます。

携帯電話を英語で何というかを問う場面がありました。これは知らない子どもには何ともしようがない、知っている子どもしか活躍できない問いかけです。もし、こういう知識を問うのであれば、辞書を引くといった手段を与えておくことが必要です。指名した子どもが、”cellphone” と答え、それを簡単に確認して終わりました。もし、この単語を後で使う必要があるのなら、きちんと全員で共有することが必要です。ある子ども役の方は ”sell phone” と勘違いをしておられました。

ワークシートで、ドラえもん、どら焼き、クレヨンしんちゃん、携帯電話を主語にして日本語の文を書かせました。この活動が何のためかその目的が子どもにとっては明確ではありません。教師の指示に従って活動するだけです。当然、その評価もありません。教師の都合による活動なのです。子ども役は自分の答を書き終ると自然と他の子ども役の答を見ています。単純な興味だけでなく、評価の観点がないので自分の答でいいのか気になっているのです。その後、グループになって確認します。このとき、活動の目的、目標が明確ではないので、無責任に見合うだけです。当然テンションが上がっていきます。一見活発な活動に見えますが、決してよいことではないのです。テンションが上がることの意味、危険性を説明しました。

このあと、受け身の表現の仕方を教科書から子どもに探させる活動がありました。文法事項は知識です。調べるという発想は決して悪くはありません。しかし、英語の学習としてはどうでしょう。実際に受け身を使う必然性のある場面で受身表現と出会いながら学んでいく方が自然だと思います。”situation”ベースでの英語教育について、全体で少し話をさせていただきました。他の教科の方にとっても、子どもにとっての学ぶ必然性、子どもが考えることの大切さを考えるのによい材料だと思ったからです。

授業者の2人には大変無理なお願いをしましたが、おかげで皆さんにとっても、私にとっても考えることが多い現職教育になったことと思います。また、参観している方にもいろいろと質問をさせていただきました。質問される立場になることで、日ごろの子どもたちと同じ気持ちを味わっていただきました。正解を求められる問いかけはとてもプレッシャーがかかるものだとわかっていただけたのではないでしょうか。そんな中でも挙手をして答えてくれる方がいらっしゃいました。その答も素晴らしかったのですが、授業に関してもっと学びたいという意欲が感じられたことに感心しました。このような先生がいることは皆さんにとってもよい刺激となると思います。

授業場面に応じて解説をしたため、本来の「聞く」についてまとまった話ができませんでした。ちょっとまずかったなと思っていたところ、質問の時間に、校長から「聞かせるためにどうすればいいのか」ということを聞いていただけました。さすがは校長です。しかも「3分で」と時間を区切っていただけました。世に言う質問力の高さを感じました。「聞く必然性を与える」「聞くことに価値を持たせる」この2点を中心にまとめさせていただきました。とても助かりました。

3時間近い研修になりましたが、素晴らしい子ども役のおかげもあって、最初は硬かった雰囲気も最後は笑顔がたくさん見られるとても柔らかいものになり、気持ちよく終わることができました。充実した研修になったと思います。私自身本当によい勉強をさせていただきました。参加したすべての先生に感謝です。

授業力向上研修

一昨日は市の授業録向上研修会の講師を1日務めました。今回のテーマは「言語活動の充実」です。午前中は前半に私が講演をおこない、後半は受講者を4チームに分けて午後からの模擬授業の検討をおこないました。具体的な授業場面を例にして説明したところ、先生方がとてもよい反応をしてくれました。そこで、用意したスライドはほとんど使わずに、授業のような形式で先生方とやり取りしながらお話ししました。教師に正解を求められても答えにくいこと、隣同士で相談すると話しやすいこと、「どんなことを話したか聞かせて」と問いかけられると答えやすいことなどを実感していただけたのではないかと思います。

講演の中で、教師は「全員が発言したいと思ってくれること」を目指すが、もし本当にそうなったら全体の場で発表させるという従来の形の授業は破たんすることを話しました。講演が終わったあと、一人の先生から相談を受けました。その先生の授業でまさにそのような状況になったそうです。何とか全員を発表させたいと思ったが、結局うまく整理できなかったそうです。具体的にどのようにすればよかったのかという内容です。隣同士やグループで発表させる。自分の考えを紙に書いて黒板に貼らせ、それを子どもたちでグルーピングしながら、意見を発表させる。といった方法をお話ししました。考えを紙に書いて貼るというやり方が、その先生にはしっくりきたようでした。自分流にアレンジして、挑戦していただけたらと思います。

グループでの授業検討は各グループの個性が出ていました。教材研究に時間を割くグループ、模擬授業をすぐに始めて実際の場面で考えるグループといろいろでした。どのグループもとても雰囲気がよく、私の講演の時には硬かった表情も柔らかくなり、笑顔をたくさん見ることができました。午後からの模擬授業がとても楽しみになりました。

午後はほとんどの時間を各グループ代表の模擬授業とその解説に使いました。最初は小学校2年生の国語でした。
あったらいいと思う道具を友だちに発表するという単元の、各自が道具を考える場面でした。このグループはどのように課題を提示すれば子どもたちが考えやすいか試行錯誤をしていたようです。あったらいい「こと」とするか「もの」とするかで悩んだようです。「もの」とすると考えにくい、「こと」とすると「ゲームがたくさんほしい」というようなものが出てきて道具につながりにくい。そこで、模擬授業では、まずあったらいい「こと」と提示し、その後で「今はないけれど」と条件をつけました。こうすることで、道具を考えることにつなげやすいと考えたわけです。授業を止めて、子ども役の先生にどう感じたかを答えていただきました。条件をつける前は、「○○がたくさんほしい」といったことが浮かんだけれど、条件が付けられると何を答えたらよいか戸惑ったということでした。授業者としては、目指すゴールに近づきやすいように工夫したのですが、子どもにとっては必然性がなくかえって混乱させてしまったようです。授業者の都合を子どもに押し付けた形になってしまったようです。ここは「○○がたくさんほしい」といったものも含めてたくさんの意見を共有し、「今はないけれど」実現できるような道具を考えることを次の課題として提示すれば、子どもにとって必然性が出てきます。自分のものこだわらず、友だちのものを解決する道具を考えてもいいとすれば、考えやすくなるでしょう。
子ども役の考えた「あったらいいこと」を黒板に書かせました。それを見ながら同じようなものがないか問いかけます。いくつかをグルーピングしたのですが、同じと括っていいかどうかを本人に確認はしませんでした。授業を止めて本人に確認したところ、同じと括られることに抵抗があったようです。同じと括ることの是非はともかく、本人には確認すべきだったでしょう。ここで、「どこが違うの」と問いかけることで、言葉が足されより明確なものになっていくはずです。まさに言語活動のチャンスなのです。

2つ目の授業は小学校4年生の国語の詩の授業でした。
詩を読んで気に入ったところに線を引き、その理由を書かせます。隣同士で聞き合います。しかし、ただ聞き合うだけで、目的や目標がはっきりしません。友だちの考えを聞いて、いいなと思ったら書き足すといったことをするとよいでしょう。
発表の場面で、最初に発表した子どもと同じところに線を引いた子どもに発表させました。面白い視点の理由を発表してくれました。かなりの数の子ども役が反応しました。ところが、授業者は、「他にはない」とスルーしてしまいました。ここは、間違いなく言語活動のチャンスです。反応した子どもに、その理由を問いかければ間違いなく言葉が出てきます。また、同じところに線を引いた子どもに感想を聞いてもいいでしょう。こういう反応をとらえて子どもに問いかけることが大切です。
また、とても抽象度の高いことを発表してくれた子ども役がいました。このような子どもが実際にいるかどうかわかりませんが、授業者はどう扱っていいか困ってしまいました。自分で他の子どもたちにわかるように説明しようとしたからです。難しく考えず、本人に「どういうことかもう少し聞かせて」と説明を足させる、「今の○○さんの言っていることなるほどと思った人いる」とつなぐことをしながら、子ども同士で理解し合うようにさせればいいのです。子どもたちに任せる勇気も必要です。

3つ目の授業は小学校6年生の算数の授業でした。比例となる関係を見つける課題でした。言語活動で算数を選んでくれたのはとてもうれしいことです。算数はとても幅広い言語活動が可能な教科だからです。
簡単な復習をしたという前提で、比例の定義と性質を書いた紙を貼って、この日の課題に取り組みました。課題を確認した後、「比例となるのは、・・・」「・・・を確かめる」と子どもたちに解かせる前に手順をそれとなく説明しました。そこで私が授業を止めた時に、授業者はすぐに「誘導しすぎましたよね」と自分で気づいてくれました。自分の授業を素直で客観的に見る力のある方です。ちょっと意識するだけで伸びていくことと思います。
ここでは、まず比例の定義の段階で、関数的な考えを押さえておくことが大切です。一方が変わると他方が変わるときに、この2つの間にどのような関係があるかを考えていくのが基本です。今回の課題は、値段が与えられた鉛筆の数が増える、一定の速度で歩く、円の直径が増える、花とカードの値段が与えられて花の本数だけ増やすという4つの場面で比例関係を探すというものです。鉛筆や歩く問題であれば、ともなって変わるものは、値段や進んだ距離ですが(違いは離散的か連続的か)、円となると、円周や面積が考えられます。花とカードであれば、花だけの代金、花とカードを合わせた代金が考えられます。まずともなって変わるものをきちんと押さえた上で、比例関係があるか表やグラフで表すことで考えるという2段階になります。このことを意識して授業を組み立ててほしかったところです。
算数や数学では、式や図、そして表やグラフも立派な言語です。今回はこれらを使って考えを整理し伝えることのよい例だったのです。

最後の模擬授業は中学校の道徳でした。
友だちでライバル関係の一方が病気になって大会に出場できなくなった。一人は友だちがいないから優勝できると考え、そう考えた自分を他人の不幸を喜ぶのか?と悩み、意を決して見舞いに行く。一方見舞われた方は、皮肉を言ってしまい、そんな自分に対してなぜ冷たくしたのだろうと思い悩む。このような内容の読み物教材を使ったものでした。
まだ4年目の授業者でしたが、終始笑顔でとても柔らかい雰囲気で授業を進めました。2人の気持ちを整理した後、病気になった方が見舞いに来てくれた方に対して手紙を書くという課題を提示します。この手紙を書くということを子どもから引き出そうと、「みんなならどうする」と問いかけます。「メール」「ライン」「電話」といった言葉に対して、「病院だよ」「携帯は使えないね」と返して、「手紙」を引き出しました。よくある場面です。こういうやり取りは面白いのですが、どういう手段で伝えるかを考えることはこの授業の本質とは何の関係もありません。このことに時間を使うのははっきり言ってムダです。できるだけ早く「手紙」を書くことを課題として提示するべきでしょう。
自分が病気になった方の立場になって手紙を書き、それを隣同士で読み合い、よいところを伝えます。ここで注意しなければいけないことは、道徳には評価がなじまないことです。友だちの考えに触れ自分の考えが変わることはとても大切です。しかし、評価の場面をつくると、どうしてもそのことを意識してしまい、本音が出にくくなります。評価を意識したことをいくら話しても内面には切り込むことができないのです。
この後、隣以外とも読み合って、感想を書いて終わるという流れでした。面白かったのが、手紙の内容が、自分の反省と友だちへの気持ちがほとんどだったことです。教師力アップセミナーで川崎雅也先生が、大体の子どもが反省と友だちへの気持ちで止まり、次の行動がなかなか出てこないと言われたのですが、その通りだったからです。川崎先生の講演の感想を書いたブログを配って、このことについてお話しました。友だちと読み合って終わるのではなく、次々に発表させながら、次への行動に触れている部分を焦点化し、今後どうするのかを多くの子どもに語らせるのです。こうすることでより深く考えることができるはずです。

4つのチームのどの発表者もとても前向きで、それぞれ個性的な授業を見せてくれました。子ども役も参観者も、そして私自身も多くのことを学ぶことができました。
最後に感想を何人かの方に聞いたのですが、「ほめ言葉をこれから意識したい」「子どもの目線で授業を考えることを大切にしたい」といった、これも前向きな言葉を言っていただけました。とてもうれしいことです。
また、昼休みには個人的にいろいろと質問をしてくれた方もいらっしゃいました。最初は全体的に硬かった皆さんですが、最後は笑顔いっぱいで終わることができました。とても充実した1日を送ることがでたことを感謝します。

子どもが理解できないからといって説明を増やさない

教師が説明をした時、子どもが理解できていないなと感じることがあります。そのような場合、どのように対応すればよいのでしょうか。よく目にするのが、同じ説明を何度も繰り返す、その反対に先ほどとは別の説明をし始めることです。いずれにしても、教師の説明の時間が増えていきます。説明の良し悪しよりもこのことが問題なのです。教師の与える情報が増えると子どもの処理が追いつかなくなるのです。

同じ説明を繰り返すことを考えてみましょう。子どもは理解するのに時間がかかります。教師の説明を一つひとつ消化していかないと次のことが頭に入っていきません。一連の説明を何度も繰り返えされても、わからないところで立ち止まってじっくり理解する時間を与えなければ先に進めないのです。説明をスモールステップに分けて、一つひとつ子どもに確認しながら進めることが大切です。

先ほどと別の説明をすることはどうでしょう。確かに別の説明をすることでわからなかった子どもがわかるようになることはよくあることです。しかし、前の説明を理解しようとしている子どもは、別の説明になっても、まだ考え続けていることがよくあります。情報を整理できずによけいにわからなくなってしまいます。一度説明した以上は、その説明を納得させないと子どもは落ち着きません。また、別の説明ならわかるという保証もありません。もっというと一番わかりやすいと思った説明を選んでいるはずですから、次の説明でわかるという確率はそれほど高くないのです。説明を変えても納得しないのでまた説明を変えるという、いたちごっこのような授業に出会うこともあります。

ちょっと視点を変えてみましょう。
実技、たとえば刺繍のステッチを教えることを考えます。図や言葉でいくら説明されてもすぐに理解できないことはわかっていただけると思います。教師が針と糸を使って実際に見本を見せる(実物投影機で手元を拡大して見せるとよくわかります)。子どもが自分の手で試してみる。こういう過程が必要になります。もちろん、多くの方がそのようにして教えていることと思いますが、実技でなくても考え方は同じです。子どもが理解するためには、説明されたことを実感できる場面が必要です。教師が一方的に説明するのではなく、スモールステップで具体的な問題や例に取り組ませる。隣同士で説明し合ったりするといった、子どもの活動を組み合わせるのです。与える情報を増やすのではなく精選し、子どもが理解するための活動を組み込むのです。

子どもが理解できないときに教師の説明の言葉が増えるというのは、子どもが理解する過程を意識して授業を組み立てていないということです。教材研究が不足しているのです。子どもが理解できないときに、何を話すかではなく、何をさせるかを考えてほしいと思います。

市の研修で講演

昨日は市の研修で講師を務めました。「言語活動の活性化のために」と題して、言語活動を充実させるための教師のかかわり方を中心に話をしました。

先生方がやや緊張気味で思った以上に硬かったので、本題に入る前に「緊張と集中の違い」について実際の授業場面を例に話をしました。皆さんに少しリラックスしてもらおうと思ったのですが、かえって真剣に話を聞いていただくことになってしまいました(私の表情が硬かったのかと反省)。とはいえ、皆さんとても集中していただけたので、具体的な場面を元に話をした方がよいと判断し、当初の予定と進め方を変えさせていただきました。「復習場面で子どもが数人しか手を挙げないとき、その理由としてどんなことが考えられるか」と問いかけ、まわりと相談してもらいました。先生方からは、「自信がない」という答の他に、「教師の問いが不明確」「前回の授業がきちんと理解されていなかった」といった教師側の問題を指摘する意見が出ました。面白い答だと思いました。先生方の教室の子どもはとても素直なのでしょう。わかればしっかり挙手してくれるということです。「挙手しない子どもはわかっていないと判断できる」ということは、挙手の多い少ないが子どもたちの理解度を判断する指標となるということです。「なるほど」と思いました。そこで、挙手しない子どもの様子はどうであるかを聞いてみました。「ぼうっとしている」という声が上がりました。もしそうであれば、子どもたちは答えようとする意思がないということだとお話ししました。答えようとするならば、教科書やノートをめくって思い出そうとするはずです。わからなくてもだれかが答えてくれる、正解を聞けばいい。わざわざ挙手して答えることに価値がない。そう思っているのです。すぐに指名するのではなく、子どもに復習を促す必要があります。教科書やノート見ている子どもを見つけてほめる。どこに書いてあるかを問いかける。こういうことが必要なのです。
また、自信がないのであれば、「○つけなどをして自信を持たせる」ことが有効です。しかし、発想を変えて、「自信がなくても安心して間違えることができる」「間違えても最後は必ず正解を答えて終われる」、そういう教室を目指してほしいことをお話ししました。言語活動を充実させるには、まず安心して話せることが大切だからです。

私の話がちょっと単調になったので、少し動きを入れてみました。机間指導を実際に2回見せて気づいたことはないかと問いかけたのです。こういう問いに答えるのはなかなか難しいものです。反応してくれる方もまずいないのが普通です。授業でもよくあることです。そこで、まわりと相談していただきました。すぐに、声が出ます。子どもたちと同じです。反応のあった方に聞いてみました。「最初の机間指導は、できている子ども、教師の期待する答を書いている子どもには声をかけたけれど、そうでない子どもは無視した。2回目はできていない子どもにも、声をかけていた」。「なるほど」と感心しました。確かにその通りです。少し意識して演じたのですが、そのことに気づく方がいるとは思っていなかったのです。子どもたちすべてに声をかけようと普段から授業をしている方なのでしょう。素晴らしい先生にお会いできました。声かけについて少し補足したあと、私が伝えたかった、机間指導で死角をつくってしまい子どもたちを見ない危険性について話をしました。下手に机間指導をするくらいなら、全体をしっかり見て、必要な子どもに対してピンポイントに働きかける方がよいことを伝えました。

この他に、多くの子どもが発言意欲を持つと、全体での発表中心では時間が確保できないので破綻すること。したがって、ペアやグループで聞き合う場面をつくる必要があること。また、子どもの言葉を活かすためには、「受け」「切り返し」「つなぎ」「もどし」が大切なことを具体的な場面を例にして話させていただきました。
準備したスライドとはかなり違った内容になったのですが、これもライブの面白さと思っていただければ幸いです。

スライドは準備していたのですが時間の関係で扱わなかったグループ活動に関して、「『リーダーは必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)』とレジメにはあるが、リーダーとなる子どもをグループに入れないとうまくいかないのではないか」という質問をいただきました。実際にグループ活動を取り入れているからこその質問です。少し時間をとって説明させていただきました。
グループで結論を1つにまとめるのならリーダーがいた方がよいかもしれませんが、個人の考えを持つことを目的とするのなら、特にリーダーは必要ありません。それよりも、リーダー役が場を仕切ってしまい、かえって自由に聞き合うことができない心配があります。「わからない、教えて」、「わからないね。どう考えればいいんだろう」と互いに聞き合える関係があれば、リーダーがいなくても十分に活動できます。また、自分たちで解決できず話し合いが止まっているグループが出てくるようであれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で「どんなことをやってみた」「どこに目をつけた」「何を調べた」と答ではなく課題解決の過程を共有するのです。こうすることで、活動が止まっていたグループも考える足場ができます。ここで、もう一度グループに戻せば、再び活動することができるようになります。リーダー役の子どもがいないからこそ、今まで活躍できなかった子どもの中から、リーダーが生まれてくる可能性が出てきます。リーダー役を配分してバランスを取るのではなく、どのようなメンバーでも子どもたちが活動できるように育てることを意識してほしいと思います。

若手からベテランまでたくさんの方が参加してくださいましたが、今回面白かったのが、ベテランの男性の反応がよかったことです。これは割と珍しいことです。もちろん、若手や女性の反応もよかったのでとても話しやすく、あっという間に時間になってしまいました。もう少し時間があれば、先生方とじっくりやり取りしながら、もっと多くのことを一緒に考えることができたのですが、残念でした。またの機会があることを願っています。

講演終了後、教育長、教育委員会の次長、運営をしてくださった担当校長と1時間ほど最近の学校事情や若手の育成について楽しく情報交換することができました。教育長の発案で、この市では教師塾が開かれています。2年目3年目の若手だけでなく、日ごろ研修の機会の少ない期付・非常勤・臨任の先生方にも門戸を開いています。次長から郷土学習に関する資料と一緒にこの教師塾の資料もいただくことができました。授業DVDをもとにストップモーションで授業研究をするなど、具体的かつ実践的な内容だと思いました。このような試みが各地に広がってくれることを期待したいと思います。

今回の講演は、事前にこの市の子どもたちの姿を見ずに話したので、的を外した内容があったかもしれません。先生方の反応を見ながら、興味や関心がありそうだと思われることを探りながら話題を選んだつもりでしたが、どうだったでしょうか。2学期からの授業に取り入れたいと思うようなことがあれば幸いです。次は、子どもたちの学習の様子を見せていただく機会があること願っています。

2つの中学校区の先生方に講演

先週末は、2つの中学校区の小中学校合わせて5校の先生方を対象に「学習規律を整え、子どもの力を引き出す授業づくり」と題して講演をおこなってきました。100余名の先生方が参加してくださいました。

今回は、途中で校区の小中学校混成のグループでの話し合いを2回入れました。事前に見せていただいた3校の子どもたちの様子を参考にして、話し合いのテーマを決めました。

1回目は、
「指示をしてもすぐに動かない」
  どうすれば指示が素早く、徹底できるでしょうか?

「ノートに答が書いてあるのに数人しか挙手しない」
  理由はなぜでしょう?
  どうすればみんなが手を挙げるようになるでしょうか?

2回目は、
「教師が説明しているのに板書を写す子どもがいる」
  理由は?
  どうすればいい?

「友だちが発言しているのに子どもが教師を見ている」
  理由は?
  どうすればいい?

どのグループも積極的に話し合っているようでした。小中学校で子どもに対する見方が違ったりしますが。そういうことにも気づいていただけたのではないでしょうか。面白かったのは座席の配置で、話し合いの様子が違っていたことです。一部のグループが横一列に並んだまま話し合いをしていました。たまたまかもしれませんが、他のグループと比べて話し合いが低調に見えました。向かい合って互いの顔を見て話すことも、話し合いを活発にする大切な要素のように思いました。
時間の関係もあり数人しか発表していただけませんでしたが、「同じ考えの人」「話を聞いて納得した人」と子ども同士をつなぐことを実際に少し体験していただきました。気づいていただけたでしょうか。

いずれの問題も正解があるわけではありませんが、私なりの答につながるような話をさせていただきました。
子どもを認める、ほめることや安心して話せる雰囲気づくりの大切さ。子どもたちに聞く姿勢をつくること。そのためにはまず教師が子どもの言葉をしっかり聞いて見本を示すことが必要なこと。このようなことです。

また、次のことを自己チェックしていただきました。
・「わかった人」と子どもに問いかけていないか?
  わかった人しか答えられない。
  「わからない」を共有することが大切。
  「困った感」に寄り添う姿勢が必要。

・子どもの答に「正解」と答えていないか?
  正解は思考停止のキーワード。

・正解が出たらすぐに説明をしていないか?
  教師の求める答探しにしない。
  一問一答から脱却することが大切。

・「試験に出る」から覚えるようにと言っていないか?
  消費者的な行動をとる子どもたち。
  早く、労力をかけずに結果を得ようとする。

参加された方は、自己チェックしてどのように考えられたでしょうか。

大人数相手の講演でしたので、先生方の反応が気になりました。しかし、どなたも目を合わせてうなずくなど、しっかりと反応してくださいました。集中して聞いていただけたようです。2学期以降、何か一つでも意識して授業を変えようとしていただければこんなうれしいことはありません。
思いがけず古くからの知り合いも参加していて、昔話に花を咲かせました。また、会終了後、各学校の管理職や主任の方と昼食をご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。とてもよい学びの機会と楽しい時間をありがとうございました。

学校力向上研修

昨日は、市の学校力向上研修で講師を務めました。管理職、ミドルリーダー対象の研修です。今回は先生方の授業力アップのためにリーダーにどのような力が必要か考えてもらうのが目的です。私にとっても初めての試みなので、手探りでの研修でした。前半は模擬授業をもとに、具体的にどのような視点で授業を見るかを考えてもらい、後半は先生の授業力アップのためにリーダーに必要な力について考えてもらいました。模擬授業は会場校の教務主任お願いすることができました。子ども役は受講者から事前に選ばれていました。私が講師を務めている授業力研修の過去の受講者が何人もいてとても心強く感じました。

模擬授業は小学校4年生を想定した総合的な学習の時間でした。地域や学校のお宝を鑑定するという内容です。子どもたちが持参した写真を使ってお宝のPRをし、ランキングをつけるというものです。

導入はお宝鑑定団の曲名当てクイズから始めました。問題児役がテンションを上げます。スタートしてすぐでしたが、あえて何度か止めて話をしました。子どもたちのテンションが上がる要因。テンションが上がることの是非。すぐに先生に話しかける子どもをどうするか。それに関連してオフィシャルとプライベートを意識して、価値ある発言であれば全体に対して再度発言させて共有化してから答える、そうでなければあとから個別に対応すること。「はいはい」と指名されたくて声を上げる子どもをどうするか。それに関連してペアレントトレーニングについてなどです。どうすればいいかについての話をすることが目的ではありません。こういう視点を持って授業を見てほしいということです。子どもの様子を見て、それを話題にすることが大切なのです。実際の授業研究であれば、司会者やコーディネーターが上手くその場面を取り上げ焦点化することが求められるのです。その解答を自分が持っていることは必ずしも重要ではありません。解答はみんなで考えればいいのです。その場面に気づき、俎上に載せることができるかどうかが問われるのです。

持参したお宝写真のPRをつくる場面です。5分間でつくるように指示が出ました。作業終了後授業を止めて、見ていて気づいたことを参加者にたずねました。誰も答えません。実際の授業でもそうですが、漠然と「気づいたこと」と聞いてもなかなか答えられないのです。そこで、「子どもの関係」という言葉を足したところ、すぐに答えてくれる方がいました。「子ども同士のかかわりがない」ということです。個人作業の場面です。かわり合いがないのは当然と言えば当然ですが、実際の授業ではこのようなことはまずありません。隣を見たりするはずです。子ども役が優秀な子どもに徹したからでしょうか。私も明確な答えは持てていません。そこで子ども役に聞いてみました。「時間に余裕があればのぞいたと思うが、5分しかなかったから」という答が返ってきました。なるほど、納得です。時間をたくさん与えないことが集中力を生み出すことに気づけました。与えた時間でできなかったら延長するといったことを日ごろからしていると、だらだらやる子どもが出てくることもわかります。気になる場面を取り上げて話し合うことが大切だというのはこういうことなのです。

何度も授業を止めて、参加者とやり取りをしたり解説をしたりしたので、グループでお宝のランキングをつくったところで、模擬授業は終わりとしました。事前に指導案もしっかり立てて臨む意欲的な授業者です。授業研究そのものが今回の目的であれば、本当にたくさんのことを学べたであろう授業でした。2時間フルに使って授業検討をする価値のある授業だっただけに残念です。授業者にも申し訳ない限りでした。

この後、教員の授業力アップのために、「リーダーに必要な力」と「どうやって身につける」をグループに分かれて話し合っていただきました。実は、私としては前半に授業を見る力の大切さを意識させたので、そこばかりに目がいくことを予想していました。そこで、グループの発表の後、足りない視点について話をするつもりだったのです。ちょっと意地の悪いことを考えていました。
ところが、どのグループも授業に関する力以外のキーワードがたくさんでていました。「ほめる」「一緒に考える」「雰囲気をつくる」「企画力」・・・。脱帽です。私が足すようなことは何もありませんでした。この市の先生方はとても優秀です。こういったことを自分たちでちゃんとわかっているのです。そうと知っていれば、でてきたキーワードを元に、具体的にどのようにすればいい、どのようにしているかを共有することに時間を割くべきでした。残念ながら、その時間は既にありません。私の完全な読み違いです。参加者の皆さんには大変申し訳ないことをしてしまいました。もし、次の機会があるのなら、具体的にどうするかに時間を割くプログラムにしたいと思います。

まわりが校長や管理職ばかりというプレッシャーの中で模擬授業をしていただいた授業者には、どれだけ感謝してもしたりません。この模擬授業を通じて私自身が学べることがたくさんありました。また、以前の研修の受講者がグループでの話し合いを積極的にリードしている姿をたくさん目にしました。これもとてもうれしいことでした。私自身は反省すべきことがたくさんありましたが、とてもよい研修をさせていただくことができました。事務局を始め、授業者、子ども役、参加者すべての方に支えられた研修でした。本当にありがとうございました。

愛される学校づくり研究会の運営委員会

先週末は、愛される学校づくり研究会の運営委員会に参加しました。来年2月のフォーラムと8月の拡大研究会の内容についての会議です。

今回のフォーラムの午前の部は、関西での初開催ということを意識するかが少し話題になりました。地域性を考慮するよりも、私たちが日ごろから考え実践していることを発表して評価いただくことの方がよいという結論になりました。昨年の発表をバージョンアップさせたものをぜひ見ていただきたいと思います。
午後の部については、今年のテーマである授業研究をどのような形で見ていただくかが論点となりました。私たちの提案する検討会を見ていただくことを主眼にし、その上で当日会場に参加された方の声も積極的に取り上げようということになりました。企業会員からはとても魅力的な授業研究をアシストするシステムの提案がありました。ぜひこれは試してみたいということになり、次回の研究会ではプロトタイプを使った実践をすることになりました。詳細はここではお話しできませんが、フォーラム当日の目玉になってくれるのではないかと期待します。

2時間余りで、ずいぶんたくさんのことが決定しました。効率的に進むというのがこの研究会のよさでもあります。毎回のフォーラムも定例の研究会とメーリングリストだけでほとんどのことが進んでいきます。裏を返せば、事務局と協賛企業の方々がそれだけ裏方として支えてくれているということです。ありがたいことです。

参加しようかどうか迷っていた、三重県教育工学研究会(Mie-ICT)主催の「授業で活かすICTセミナー」の関係者である、N先生もこの日参加されていました。迷っていた理由は内容ではなく、当日の交通事情です。名古屋から会場の津まで普段なら車ですぐなのですが、その日はお盆最後の土曜日なので渋滞が心配だったのです。聞いたところ、この日は熊野の花火大会もあるということで渋滞の可能性が高いということでした。しかし、会場は電車での便もそれほど悪いところではないことがわかり、参加することに決定しました。玉置崇先生の講演と、ICTを活用して模擬授業3本、今からとても楽しみです。

N先生とお会いする時の楽しみが、必ず「教室はドラマ」という新聞形式の通信をいただけることです。日ごろの初任者への指導や授業などの具体的な事例から、授業論・教育論まで多岐に渡った内容です。ブログとあわせてとてもよい刺激をいただいています。こういう刺激を受けることのできる方がたくさん参加されているのも、愛される学校づくり研究会の魅力の一つです。

この日も充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

互いに学び合えた現職教育(長文)

昨日は、小学校の現職教育に参加しました。模擬授業とグループを活用した「3+1授業検討法」(楽しく授業研究しよう【 第4回 】グループを活用した「3+1授業検討法」参照)による授業検討をおこないました。模擬授業は3年目の先生の算数の授業でした。1年生の1?の数−1位の数で繰り下がりのある場合です。
この学校では模擬授業は初めての経験です。授業者も子ども役も少し緊張気味でした。特に子ども役は、自分は知っていることを知らない立場で演じるのが難しそうと悩んでいます。どうなることかと思っていましたが、ふたを開けてみれば皆さんとても楽しそうにいきいきと子ども役を演じてくれました。どなたも、「こんな子どもいるいる」と思わずうなずいてしまう演技力でした。先生方が日ごろ子どもをよく見ていることがわかります。

授業の導入は実物投影機を使って、予め取り込んでおいた教科書のイラストを提示しました。パン喰い競争のイラストです。ICTを活用することで素早く授業に集中させました。さり気ないですが、理にかなった使い方です。「気づいたこと」と子どもたちに問題の把握をさせます。「とってもいいですね」「早かったねえ」と子どもたちをほめる言葉がとても自然に出てきます。「12」と答えた子ども役に対して、「何が?」と聞き返します。「そうだね、『パン』が12個だね」と授業者が補いたいところですが、ちゃんと子どもに問い返しています。基本がきちんとできています。
パンを7個取った残りの数の計算がこの日の課題です。問題文を全員で読みました。ちょっと声がそろいませんでした。「声がバラバラだったけど」ちゃんと読めたとほめて、次に進みました。全員の口がちゃんと開いていたのでよしとしたのか、時間がもったいないと思ったのかはわかりませんが、もう一度やり直しはさせませんでした。しかし、後であった全員で読む場面では、「今度は声をそろえて読みましょう」と文字を指でさしてリズムを取りながら読ませました。なかなか見事な対応です。もちろん今度はちゃんとそろいました。
何算になるか子どもたちに問います。引き算、足し算に分かれました。それぞれに理由を聞きます。どちらの説明にも「なるほど」と笑顔でうなずきます。「増えるか減るか」を確認します。「もらえる」と取った人は増えることを言う子ども役がいます。軽く受け流して、「減るね。減るときは引き算だね」としました。ここに時間を使いたくなかったのでしょう。「もらえる人は増えるね。じゃあ残りはどうなるかな」と切り返してもよかったかもしれません。また、勇気はいりますが、足し算と答えた子どもに引き算になることを納得したか直接確認したいところでした。

ブロックを使って12−7を計算させます。黒板にブロックの図を貼り、12を並べるように指示します。子どもたちが全員並べ終わるまで待ちます。10の横に置く2個の並べ方が黒板の図と同じになっているかにもこだわっていました。指示の徹底が意識されています。
ブロックを使って計算させた後、どうやったかを実物投影機を使って前で説明させます。最初の子ども役は、10から順番に7個を抜き取りました。次の子ども役は10から5個を一気に抜き取り、それから2個抜き取りました。授業者は「何が違うかわかった」と問いかけます。この授業のねらい、「10から7を引く」という意味では同じです。しかし、子ども役は自分のやり方は違うと考えているのですから、それをちゃんとわかってあげる必要があります。7の中の5をまず取ったことを全体で確認しました。その上で「10のかたまりから取った」ことを押さえました。
黒板に貼ったブロックの図を使って操作しながら、「10から7を引いて、3。3と2を足して5」を全体で言わせます。最初は黒板に貼った話型「□から□を引いて□。□と□を足して□」の紙に数のカードをはめて練習します。続いて、数のカードを取り、最後は話型を見ないで言えるように練習します。そこまでしておいてから、隣同士で説明の練習をさせました。ここで、先生と同じ説明をすることを言ったのですが、押さえが弱かったようです。自分の考え方を説明する子ども役もいました。授業者は困っている子ども役のところにいっていたため、全体の様子が見えません。このあたりの対応が課題でしょう。

練習が終わった後、考え方の確認をしました。「2から7は引けません。大事なところは10から7を引くことです」と押さえます。しかし、「2から7が引けないから」ということはこれまであまり強調していませんでした。10から引くことばかりが頭に残ってしまうと、繰り下がりがないときでも10から引こうとしてしまう恐れもあります。
ここで、一人ひとり順番に説明をさせました。言えた子どもには拍手をします。スラスラ言えない子どもに対しては、うなずきながら待ってあげます。子どもたちを受容することがとてもうまくなっていました。
10−7を計算して3で終わってしまって、3と2を足すことを忘れてしまう子ども役がいました。これもよくあることです。「そうだね。10−7は3であっているよね。今計算したいのは12−7だね。何が足りない」というように、3に何を足すかにこだわるのではなく、何を計算したのかにこだわるとよかったと思います。このとき、他の子ども役が「3と2」と助けました。それを聞きながら答えたのですが、「自分の力でできたかな」と優しく言いました。口調は優しくても、これは非難しているように感じます。そうではなく、「助けてもらってよかったね。じゃあ今度は助けなしで言ってみよう」というような対応ができるとよかったでしょう。

15−6をさくらんぼ図で計算した後、ノートに計算の仕方を書かせます。説明と子どもが写すタイミングをうまくとっていました。授業全体を通じて指示のうまさが印象的です。子どもをよく見ていることが要因の一つだと思います。
10から6を引いて8といったような間違いを子ども役がしても、「10から6を引くと」と復唱して自分で修正させるようにしています。終始笑顔なので子どもが安心して答えることができます。間違えても笑顔で受け止めてくれるので、修正ができるのです。

今回低位の子ども役が多かったせいか、挙手が少なくて指名しようかどうしようかと迷っている場面が多くありました。わかっているけど自信がなくて挙手できない子どももいるはずです。まわりと確認しあって安心させたあとで発表させる。挙手に頼らない指名をして、子どもを受容しながら言葉を引き出し、ほめることで自信をつけさせるといった方法にも挑戦してほしいところです。
とはいえ、まだ3年目でこれだけの授業ができるとはたいしたものです。学ぶべきところがたくさんあります。検討会が楽しみです。

今回のグループを活用した「3+1授業検討法」による授業検討も初めての試みです。皆さんがどのような姿を見せてくれるかとても興味がありました。20分ほどのグループ検討ですが、そのようすはとても素晴らしいものでした。先生方が頭を寄せ合って、互いにしっかり聞き合っています。話を聞きながらうなずいている姿や、笑顔もたくさん見られます。大きな声は聞こえません。皆さんがよく聞き合っていることがわかります。中にはこの授業の話から、日ごろ困っていることに話題が移っているグループもあります。この時間だけでもたくさんのことを学び合っていることがわかります。
発表は、授業者のつくりだす雰囲気のよさ、指示のよさ、ICTの自然な活用、ブロックの図の使い方など多くのよさが発表されました。課題としては、子どもたちが多様な意見を言って整理がつかずに混乱してしまった場面があったことがあげられました。どうすればいいか答えてほしいという私への要望にもなっていました。また、指を使って順番に数を引いていく「数え引き」からなかなか離れられない子どもをどうするかも話題になりました。

私からは、この2点と挙手が少ないときの対応などを話させていただきました。
多様な意見が出てくるのは悪いことではありません。できればすべて活かしたいのですが、授業者としてまず押さえたいものがあるときには、脇道にあまりそれたくはありません。そいう時にはいったんその意見を棚上げするのです。「いい考えだね」「すごいね」とほめた上で、もし扱う予定がなかったら「すごい考えだけれど、ちょっとまだ全員でやるのは難しいね。みんなが今のやり方を完全にマスターしたらやろうか」「これは1年生の考え方じゃないね。すごい。これはもう3年生ぐらいの内容だからその時にやろう」というように先送りしてしまうのです。もし、後からでも扱いたいのであれば、「後でやるから、ちゃんと今言ったこと覚えておいてね」と言っておき、扱う時には、「○○さんがすごい考えを言ってくれたけれど、覚えているかな。○○さんもう一度言ってくれる」と全体に対して発表させて共有化するところから始めるとよいでしょう。大切なのは、たとえ捨てる意見でもポジティブに評価しておくことです。こうすることで、子どもたちが積極的に意見を言うようになっていきます。
「数え引き」の問題ですが、たとえ「数え引き」でも1けた同士と10からの引き算がきちんとできれば、問題はありません。要は10から引こうとするようになればいいのです。ですから、計算をスモールステップに分解して「10−7を計算して」と問いかけます。「10−7で3」「3と2を足して5」というスモールステップごとにまず計算をさせてから、12−7を問うのです。また、1けたの計算と10からの引き算はそれほど組み合わせがあるわけではありません。音声計算練習のようなものを使って、1けた同士と10からの引き算をたくさん練習すれば体が覚えてしまいます。分解して簡単な計算に帰着させることを指導する。簡単な計算をたくさん練習させることで「数え引き」に頼らなくてもできるようにする。この2つを意識するとよいでしょう。

検討会終了後、今年新しくこの学校に赴任された先生方とお話する時間を取っていただきました。この学校のように、子どもを受容しほめることで「できない子どもを減らすのではなく、できる子を増やす」ことを目指している学校では、指示して動かすことが上手な先生ほどうまくいかないことをお話ししました。子ども役を通じて、教師が子どもを受容することのよさ、大切さは感じていただけたようでした。ある先生の学級では発達障害や自閉症を疑われる子どもが多くて苦労しているということでした。20人ほどの学級で5人も6人もいるということです。統計的にはそれほどの割合で発達障害が現れるのは異常です。教師の対応を変えることで随分と落ち着く可能性があることをお伝えしました。具体的には、子どもを叱るのではなく、よい行動に変わったところをほめるペアレントトレーニングを意識すること。指名されたいと盛んに手を挙げたり、先生にかまってもらおうとしたりするような子どもに対しては、何回くらいは我慢できるかを知っておいて、それまでは無視をすること。自分一人で完結している時は無視してもいいが、まわりの子どもにちょっかいを掛けるようであれば、きちんとやめさせることなどです(Dr.横山から学ぶ参照)。すぐに対応を変えるのは難しいかもしれませんが、夏休みをはさむので、比較的やりやすいはずです。ぜひ挑戦してほしいと思います。

模擬授業も検討会もとてもよい雰囲気で進みました。この学校がよい方向に変わっていることの理由がわかった気がしました。授業に対して前向きなだけでなく、授業を楽しもうとしている先生が増えていると感じました。2学期以降、どのように学校が変わっていくかとても楽しみです。私にとっても学びの多い、そして何よりとても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

終業式前日の授業研究(長文)

先週、終業式の前日に小学校の授業研究に参加してきました。ICTの活用の研究発表を秋に控えている学校です。授業者は3年目の先生です。この時期に研究授業を引き受けることからもわかるように、とても意欲的な先生でした。

授業は6年生の、「順序よく調べ、ちょうどよい場合を見つけよう」でした。
導入にムダな時間を使わず、すぐにデジタル教科書をスクリーンに映しました。子どもたちには教科書を開かせないので、どの子どもも顔が上がっています。問題文を読ませて、問題把握に入ります。大福に2個入りと3個入りがあり、全部で35個買うときの買い方をすべて見つけるのが問題です。買えるかどうかを子どもたちに問いますが、すぐに反応できません。「予想をする」という言葉を授業者は使いました。1組でも条件を満たすものが見つかればそれは答です。「予想をする」という言葉には、1組だけでは正解ではなく、全部見つけて初めて正解だという授業者の意識が感じられます。しかし、この時点で答えが複数出ることはわかっていません。教科書も「それぞれ何個ずつ買えばいいですか」という問いかけで、答が複数あることには触れていません。違和感があります。
首を振っていた子どもがいたので、授業者は指名しました。子どもの反応をよい形でとらえています。後で聞いたところ、この子どもはなかなか発言ができない子どもなので、きっかけをつくりたいと思っていたようです。

3個入りを11個、2個入りを1個と答えた子どもに、どうやって考えたかを問い返します。「なんとなく」計算したという返事でした。この「なんとなく」をもう少し明らかにしたいところです。「35個を3個で割ってみた」「残りが2個だからちょうど買えた」といった言葉が出れば、あとで表をつくるときに活かすことができます。
足して考えて7個と7個という答も出てきました。授業者は「なるほど」と言って他の子どもを指名します。発表した子どもは「違うの」とちょっと心配そうでした。同じ答の人がいるかどうか確認するとよかったところです。7個と7個の説明に「足して割る」という発表もありましたが、授業者は「2つと3つをセットにして」という言葉を使って説明をしました。何を「足した」、何を「割った」と問い返せば、うまく子どもの言葉を活かすことができたと思います。

授業者からキーワード「もれなく、正確に」が出てきました。この言葉を出す前に、「11個と2個でも7個と7個でもいいね。これで全部かな、他にはないか」と「もれなく、正確に」を意識させるような問いかけの場面がほしかったところです。このキーワードはとてもよいと思ったのですが、ここで1度使われてそれで終わってしまいました。「もれなく、正確に」するために、「順序よく調べ、ちょうどよい場合を見つけよう」をねらいとしました。子どもにとっては唐突で、その関連がよくわかりません。「もれなく、正確に」を意識して取り組んだ結果、「順序よく調べる」とうまくいったという流れで授業をつくりたかったところです。よいキーワードを提示しただけに惜しいところでした。

「順序よく調べるために何を使うか?」ということを問いかけます。一部の子どもしか挙手をしませんでしたが、指名しました。「表」という答が出た後、「手は挙げなかったが心の中でそう思った人」と声をかけました。かなりの数の手が挙がります。なかなか面白い対応です。少しでも子どもたちの参加意識を上げようという方法です。しかし、できれば手を挙げなかった子どもが発言できるような機会を設けたいところです。たとえ答が発表された後からでもこれだけの手が挙がります。であれば、最初に挙手させた後、すぐに指名せずにまわりと確認させてもよかったでしょう。きっと自信を持って手を挙げる子どもが増えると思います。
今まで表を使って考えた問題をスクリーンに手際よく映します。この手法は以前この学校での国語の授業で使われたものです。ICTの活用方法としてこの学校で定着していることがわかります。ここでは表の例を見せて、「どんな表にする?」と問いかけたのですが、算数としては、どんな時に表を使うとよかったのかを確認したかったところです。「数がいろいろ変わるとき」「いくつかの値があるとき」「片方が変わるともう一方が変わるとき」といった、表のよさをまず全体で確認し共有したいところです。時間の問題もあるとは思いますが、スクリーンに映した問題を見て、なぜ表を使うとよかったのか、何を表にしたのかを確認できるとよかったでしょう。

どんな表にするかについては、予め授業者が用意した表を黒板に貼って進めていきました。3個入りの数を上の行、2個入りの数を下の行に書き込みます。3個入りが1個のときの2個入りの数を考えます。16という答が出てきます。その説明を子どもに発表させて、35−3=32 32÷2=16と板書しました。ここで、式の説明はしますが黒板には何も書きませんでした。それぞれの数が何を表わすか、ていねいに子どもに問いかけることが必要です。その上で、35に対して「(全部の)大福の数」、3に対して3個入りが1個で3×1として、「3個入りの大福の数」、32に対して「残りの大福の数=2個入りの大福の数」、2に対して「2個入りだから」、16に対して「2個入りの数」ときちんと黒板に残しておきたいところです。授業者は、すぐにそれぞれの箱の大福の数が必要だと、黒板に貼っておいた表を広げました。折りたたんであったところには、「箱の数」とは違った色で、それぞれの「箱の大福の数」の行が隠されていました。表の新しい項目を、式を確認しながら埋めました。
表の項目を何にするかは、とても大切です。3個入りが2個のときはどうなるか、先ほどの式に当てはめて考えさせてみるといいでしょう。「(全部の)大福の数」は35で変わらない。「3個入りの大福の数」は3×2で変わる、「残りの大福の数=2個入りの大福の数」も変わる。2は変わらないが、「2個入りの数」は変わる。3個入りの数が変わるとそれに伴って変わるものは、「3個入りの大福の数」と「2個入りの大福の数」、そして「2個入りの数」です。「変わるものを表にすると見やすい」ことを理由に項目を決めるという進め方もあったのです。この他にも式を確認しながら、「2個入りの数」を知るためには利用する値は、「3個入りの大福の数」と「2個入りの大福の数」であることを理由に項目を決めるという進め方もあります。いずれにしても、表の項目を決める考え方を子どもたちに明確にしておくことが、他の場面でも表がつくれるようになるためには重要です。

ワークシートを使って子どもたちが表を埋めます。一概にワークシートが悪いとは言いませんが、表の項目を自分でつくる、何列にするか自分で考えるといった、表の本質部分をワークシートで与えてしまっているので、子どもたちは表の穴を埋めるという計算をするだけになってしまいました。

子どもたちに表がどのようになったか確認します。3個入りが2個の場合の、他の値を確認します。2個入りの数が14と15に分かれました。その他にも14.5という答が出ます。残り29個で偶数にならないから買えないという声もありました。ここはそれぞれの理由をていねいに子どもたちに確認したいところでしたが、授業者が買えないと説明して終わりました。14の時には1個足りない。14余り1という割り算の余りの意味がよくわかります。15にすると1個余りますが35個は買うことができます。他に方法がなければこれが正解です。しかし、35個をピッタリ買う方法が少なくとも2つ確認できているのですから、これは答としてはふさわしくありません。14.5の0.5の意味を考えると1/2ということです。半分で売ってくれる、つまり1個をばら売りしてくれるのならこれも正解です。普通の和菓子屋さんでは、1個でも売ってくれそうです。しかし、教科書の絵は箱だけが並んでいてばら売りはできそうもないように描いてあります。ばら売りしてくれないようだからかダメだということなのです。せめて、このようなやり取りはしたいところです。

表を同じ項目ごとに横に埋めていた人がいたことを取り上げました。どうやって埋めたかを問います。指名した子どもは、「3個入りの大福の数」を埋めるのに、3と3倍という言葉が出てくるのですが、上手く説明できません。3ずつ増えることと3倍していることが混乱しているようです。授業者はその子ども考えがわかる人と問いかけました。なかなかよい対応です。実際には他の子どもを指名する前にその子どもが、「3倍ずつになっている」と整理しました。それを受けて授業者が、最初が3で次は6で次々3倍していると説明しました。ここは「何が3倍になっている」と確認して子どもに説明させたいところです。授業者は横にしか注目させませんでしたが、「3倍ずつ」ということは「3個入りの数」の「3倍」ということですから、上下に見ているのです。「3個入りの数」が1、2、3、・・・と1ずつ増えているので「3個入りの大福の数」が3、6、9、・・・と「3倍ずつ」となっているのです。先ほど述べたように式を見ながら変化する値は何かを押さえていれば、それを使って各項目を横に埋めていくことの説明がしやすかったと思います。時間のこともあって、3ずつ増えるという考えは取り上げずに終わりました。

表を埋めて、答の組み合わせは(1,16)、(3,13)、(5,10)、(7,7)、(9,4)、(11,1)の6組であることを確認しましたが、「もれなく、正確に」という「もれなく」の確認はしませんでした。「本当にこれだけ?」「他にない?」「絶対?」という押さえがなかったのです。3個入りの数が12以上は調べる必要がないことを確認していないのです。このことが次の展開にも影響しました。
授業者は最初の予想の時には2個入りを上に、3個入りを下にして、1と11、7と7を書きました。しかし、表は3個入りを上に、2個入りを下に書いていました。その理由を問うたのです。これはかなり無理のある展開です。表をどれだけ書けばいいかということをそれまで全く論じていないのに、「大きい数を上に書くと表が小さくなる」ということに気づくことは難しいからです。結局結論だけを言って、その理由はきちんと説明しませんでした。3個入りを元に考えれば、11≦35÷3<12だから11まで調べればいい。2個入りを元に考えれば、17≦35÷2<18だから17まで調べればいい。このことをきちんと押さえなかったのです。これでは、子どもたちは表を書くときは大きい数を上に書くと覚えてしまいます。全体的に、考えることではなく、解き方を覚える授業になっていたのが残念です。
授業者は、ここで3個入りを上に書いた(元にした)表と2個入りを上に書いた(元にした)表をスクリーンに同時に映しました。その大きさの違いは一目瞭然です。ICTの使い方としては有効なものですが、このことを実感させるのであれば、2種類の表を子どもたちにつくらせて実際に自分で確認した方がよかったように思います。

練習問題を始める前に、教科書を開かせました。その後スクリーンに教科書を映しました。問題の説明をしますが、最初と違って子どもたちの顔はあまり上がりません。手元に教科書があるからです。問題把握を全体でするのであれば、教科書を開かずに進めたほうがよかったように思います。
授業者はすぐに表を書くところから始めましたが、まず問題を解いてみることで表の必要性を確認することが必要です。今日は表を使って解いているから表をつくるでは、問題解決能力はつきません。まず、問題を解くにはどのような計算をすればよいかを確認し、変化させて考える必要がある要素を見つけて、表をつくる必然性を押さえる。その上で、表の項目を決めて、式を元にして効率的に表を埋める。そういう流れを大切にしてほしいと思いました。

算数的にはいろいろと注文もありましたが、子どもをとてもよく見て授業を進めていました。子どもの発言に対する対応もなかなかのものです。しっかりと聞き、子ども同士をつなぐことも意識しています。「○○さんの考え方、やり方」といった固有名詞を使った表現も意識して使っていました。子どもの考えを活かしたいという気持ちの現れです。残念なことは、挙手する子ども、発言する子どもだけで授業が進んでいく傾向が強いことです。また、友だちの考えを全体で共有できていないと感じる場面もありました。隣同士で確認したり相談したりする場面などをつくることで、どの子どもも参加できるようにして受け身の場面を減らしてほしいと思いました。

授業権検討会の前の時間に学校全体の様子を見せていただきました。
全体的にちょっとしたことで子どもたちのテンションが上がる傾向を感じました。一方では、読書をするといった場面では落ち着いています。注意をして規律を保とうとする先生が多いように感じました。
特にテンションが上がりやすそうに感じた学年の全体集会があったので、見学させてもらいました。学年主任が全体進行していきます。予想に反して子どもたちはとても落ち着いて話を聞いています。見事なものでした。柔らかい表情と子どもたちをほめることで、上手に規律を保っていました。こういった姿勢が学校全体に広がっていけばとてもよいと思います。

授業検討会では、授業者の子どもの発言に対する対応のよさやICTの活用が効率的でわかりやすかったことが話題になりました。
私からは、笑顔で子どもを受容することの大切さやポジティブに評価することの意味について。子どもの挙手が少ないときにはすぐに指名せずに、子ども同士のかかわり合いをうまく利用してほしいこと。ICTの活用に関しては、何をねらうかをはっきりさせて使うこと。算数の授業としては、どのようなときに表を活用するとよいのかといった、メタな知識を意識することなどを話させていただきました。どなたにもとても集中して話を聞いていただけました

検討会終了後に授業者と長時間にわたって話をすることができました。課題意識を持って授業に取り組んでいます。積極的に質問もたくさんしてくれました。前回私が見たときと自分の授業が変わっているかを訊かれました。もちろん、多くの進歩が見られました。だからこそ、指摘することがたくさんあったのです。ICTの活用についても積極的に取り組み、それが故に悩んでいることも多いようでした。ノートの一部分を実物投影機で見せて、友だちの考えを想像する、理解するといった使い方を紹介したところ、とても興味を示してくれました。これに限らず、話の中で挑戦したいこと、研究してみたいことがたくさん見つかったようです。夏休みの課題が見つかったと喜んでくれました。夏休み明けには、きっといろいろなことに挑戦してくれることでしょう。どのような変化を見せてくれるかとても楽しみです。授業者の前向きな姿勢に私もたくさんの元気をもらいました。ありがとうございました。

国語の授業撮影

10月12日におこなわれる教師力アップセミナーで野口芳宏先生にご指導いただく授業ビデオの撮影に出かけてきました。中学校2年の国語の授業です。

授業は主人公が発した言葉に注目して、なぜその言葉を言ったのかを本文を根拠に考えるというものでした。
子どもたちに授業の準備をするように指示をします。まだ何人もごそごそしているうちに授業者が話し始めます。時間がないので早く進めたい気持ちはわかりますが、もしそうなら素早い行動をうながし、全員準備ができてから話すべきでしょう。日ごろか意識してしつけるようにすれば、特に指示しなくても素早い行動ができるようになります。

授業は登場人物の確認から始まりました。生徒の挙手は6人ほどです。6人しか答えられないはずはありません。登場人物を一人答えるごとに相互指名させていきます。多くの子どもたちは、この間に集中力を失くしていきます。非常にムダな時間です。全体で教師が確認する。挙手に頼らず、列で次々に指名して答えさせるなどすれば、1分とかからないはずです。
隣同士で本文を「まる読み」させました。一文ずつを「。」で区切って交互に読むものです。この意図がわかりませんでした。授業者に聞いたところ、会話文が多いので誰の発言か意識しながら読めるようにということでした。しかし、その意図は子どもたちには伝わっていません。ただ自分のパートを読むことに意識が集中していました。相手の言葉を聞こうという意識があまり感じられません。向き合わずに体が前を向いたまま読み合っているペアがほとんどなのです。ペアやグループでの活動はその目標やゴールが子どもたちに十分理解できていることが大切です。授業者が全員の活動を評価することはできません。だからこそ、自己評価できることを常に意識してほしいのです。

「できた人、視線をください」と、終わった子どもたちの確認と集中をうながすことをしました。よい指示なのですが、これも全員が顔を上げないままに進んでいきました。ちょっとしたことですが、こういう指示の徹底は大切にしたいものです。
本時の課題、「『えんびフライ』と言った主人公の気持ちを、本文を根拠に考える」が提示されました。この場面に強い違和感を覚えました。なぜこの言葉から主人公の気持ちを考える必要があるのかその必然性が全く伝わらなかったからです。前時まででこの一文がクローズアップさせていたのかもしれません。そうであっても、再度確認する必要があるように思いました。
子どもたちはワークシートに向かって作業を始めました。子どもたちが作業している途中で授業者が終わった子どもへの次の指示をだします。当然、授業者を見て聞く子どもはいません。予測されることなら予め指示しておかなければいけません。追加の指示は黒板の決まったところに書くようにして、終わった子どもはそこを見ればいいようにしておくとよいでしょう。
子どもたちに対する助言で「文章の中に根拠が隠れている」という言葉がありました。これもとても気になりました。与えられた問題を解くときの発想です。つまり、問題として聞くからには文章の中に根拠があるはずだと言っているのです。文章を読み解く発想ではありません。「筆者の伝えたいことは必ず本文に書かれている」「筆者がこだわっている表現があるはずだ」といった、文章を間に挟んで筆者と向かい合う姿勢を求めてほしいのです。授業者には明確にその意思はないと思いますが、課題の提示も含めて、試験問題を解くことを目的としている塾的なものを感じずにはいられませんでした。

6人グループで、意見を交換して気持ちを画用紙に書くという課題が出されました。理由は書かなくていいので、出たものを列挙するようにという指示です。グループ内ではその根拠を含めて話し合うことを期待しているのですが、活動のゴールと根拠を元に話し合うということが乖離しているので子どもの活動は期待とずれてしまいました。
根拠を含めて話し合っているグループでは、どれが正しいのだろうと自分たちで整理してまとめようとしていたようです。いろいろな意見を出すことではなくまとめる方向に動いたのです。授業者が列挙してほしいといったのは、面白い意見がまとめる段階で消えてしまわないように考えてです。しかし、根拠を含めて考えが話し合われれば当然白黒をつけたくなるものです。全体での発表で、結論を聞くのではなくその過程を問うことをすれば、この問題は解決できるのではないかと思います。
一方、私の目の前のグループは、画用紙を回しだしました。列挙するならその方が効率的です。ある子が画用紙に書いている間、反対側の3人が何か話をしていました。6人でもうまくかかわり合っているグループもありましたが、人数が多いとこのようなことも起こりやすいものです。授業者に6人グループにした理由を訊ねたところ、グループ数が増えると各グループでの話し合いの内容を把握しきれないからということでした。授業者の気持ちはよくわかりますが、グループの話し合いの内容を把握しすぎることには弊害もあります。
たとえば、全体での進め方のシナリオをつくってしまい、その通りに勧めようとします。後で考えや意見が変わったりして、予定した言葉が子どもから出ないこともあります。無理に引き出そうとすると、子どもは教師が何を求めているのかを意識して発言するようになってしまいます。いわゆる、「教師の求める答探し」です。また、授業者は子どもの発言する内容を予め予想できているので、言葉足らずでも理解できます。他の子どもは初めて聞くのでよくわかりません。発言者に言葉を足すようにうながせばいいのですが、ともすると教師が代わりに説明してしまいます。それよりも全体を見ていて、「○○さんのグループは熱心に話していたけれど、どんなことを話していたのかみんなに聞かせてくれる」と、どんな話をしていたのか気になるグループに発表させて、他の子どもと一緒に聞けばよいと思います。

授業者はグループを回りながら、時々グループの一部の人とかなりの時間話をしていました。かかわりを否定するのではありませんが、アドバイスをした後は、すみやかに子ども同士の話し合いをうながして、その場を立ち去るほうがよいと思います。せっかくグループにしているのですから、子どもが教師を頼らずに自分たちで考えるようにさせたいのです。
作業が終わったグループから画用紙を黒板に貼りました。私の見ていたグループは、画用紙を貼り終わったあと、どのような内容かは別にして、話し合いを始めました。この課題がかえって子どもたちの自由な話し合いを妨げていた可能性もあります。

全体追求では、書かれた考えを見て、理由を聞きたいものを一つ選ぶように指示をしました。授業者は友だちの意見の理由を考えさせたいので、理由を書かせなかったようです。何人か指名するのですが、すぐに答えられない子どももいます。理由を知ることが子どもたちにとって必然性のある課題になっていないのです。ストレートに子どもに根拠を聞いていってもよかったように思います。その意見を聞いて納得したかどうかを聞きながら、子どもたちで結論を出していくのです。
聞きたいと言われた考えを書いた子どもに理由を聞きます。この時間のねらいである、「本文を根拠に」の本文がなかなか出てきません。時間のこともあったのでしょうが、子どもが発表した後、子ども同士をつながずに授業者が解説してしまいます。子どもの発言に対しての評価も少なく感じました。子どもの外化に対しては常にポジティブな評価をすること意識してほしいと思います。
子どもから「うっかり」「しゃくりあげそうになった」など、本文の言葉が出た時も、全員に本文を確認させ、自身で根拠として妥当かを考えさせることはしませんでした。すぐに授業者が説明します。これでは子どもが友だちの話を聞く必然性がありません。発言の後の教師の説明を待っていればいいのです。多くの子どもたちにとっては、説明を聞いて納得することがこの時間の活動になっています。大切なのは、根拠となる言葉にどのようにして注目するか、見つけるかというメタな知識です。この日の課題の答を理解しても、他の文章できちんと読み取る力がついたわけではありません。本文をどのように読むと、根拠となる文を見つけることができるのかが問題なのです。

授業者は主人公の「本当の気持ち」はなんだったか、もう一度個人でまとめさせました。突然「本当の気持ち」が出てきましたが、今までの意見と「本当の気持ち」の違いは何なのでしょうか。恣意的な言葉の使い方です。
最後の3人を指名して、前で発表させました。どのような気持ちかは語られますが、この時間のねらいだったはずの「本文を根拠に」した説明はありません。「なぜ先生がこの3人を選んだかわかる」とたずねます。共通のことが2つあるというのです。自分の考えを書いてくれればいいけれど、この2つを入れるようにというまとめでした。まるで試験の採点基準の提示です。結局、これでは教師の求める答探しです。子どもたちが話し合う中で、全員が納得する答を「本文を根拠に」つくり上げるべきです。そこを避けて、教師の都合のよい答を例示して、子どもの口を借りて教師の考える正解を伝えていたのです。

ちょっと厳しいことを書きましたが、終業式の前日にこのような授業を引き受けてくれる意欲的な先生です。落ち着いた雰囲気で授業が進んでいきました。基本的なことはできているのです。だからこそ、いろいろなことに気づけるのです。私自身も、この授業を通じてとても多くのことを学ぶことができました。
教師力アップセミナー当日、野口先生からどのようなお話が聞けるでしょうか。私が気づけなかったようなことをたくさん教えていただけることと思います。授業者にとっても参加者にとっても多くのことを学べる機会だと思います。
無理な願いを快く聞いて授業を公開してくれた授業者とこの授業をプロデュースしてくださった学校長に感謝です。

暑さに負けない子どもたちの集中力に驚く

先週末に中学校で授業アドバイスをしてきました。とても暑い日が続いていました。学期末の校務処理に追われ、部活動の地区大会直前であることも重なり先生方の疲労もピークに達していたのでしょう。何人もの先生が体調を崩されていました。もちろん子どもたちも同様でしょう。教室で熱中症になって保健室で休養を取る生徒もかなりいたようです。子どもたちの集中力もかなり落ちているのではないかと心配して教室に出かけました。

ところが予想に反して、どの学年も、どの教室もとても集中して授業に参加していました。6月の訪問時と比べても遜色ありません。いやそれ以上です。それだけではありません。子どもたちが集中力とともによい表情を見せてくれる授業が特に3年生に多く見られました。
ベテランの数学の授業では、問題を解いた後、子ども同士で確認し合うことをしていました。子どもを惹きつける授業展開、話術に優れた方ですが、最近は子ども同士のかかわりもうまく取り入れているようです。授業者は常に笑顔を絶やしませんが、子どもたちも集中して問題を解いた後、笑顔で友だちと確認し合っていました。授業者も子どもたちも楽しんで授業に参加しています。暑さを感じさせない授業でした。
社会の授業も授業者と子どもたちの笑顔が絶えない授業でした。授業者の柔らかい雰囲気から発せられる問いに子どもたちは真剣に考えているのがわかります。この状態であれば、どのような課題であっても子どもたちは真剣に取り組むはずです。教科力を磨いていくことで、素晴らしい授業を展開できるようになるはずです。
2年生もよい状態です。個人作業も集中しています。教師の話もよく聞いていますが、さすがに受け身の状態が長く続くと集中力が切れます。教師が話しながら机の間を歩いている授業では、子どもたちの姿勢はバラバラでした。授業者が子どもを見ていないからです。逆に教師がしっかり子どもを見ている授業では、子どもの集中力は切れません。
この傾向は1年生により顕著です。子どもが集中している授業は以前と比べて増えています。中には3年生に負けないほど集中している授業もあります。その一方で、子どもたちが集中していない授業との差がより目立ってきました。絶対的には多いわけではありません。よい場面が増えているために、余計に目立つのでしょう。
暑さのせいか、ちょっと無責任に活動できる場面ではテンションが上がってしまう姿も目にします。しかし、多くの場合子どもではなく、教師の側に問題があるように思いました。子どもを見ずに一方的にしゃべる授業では、他の時間では集中していた学級でも集中力がまったくありません。このような場面もありました。何人もの子どもが黙って手を挙げて教師が気づくのを待っています。作業中には他の子どもの集中を乱さないために黙って挙手をして、教師が来るのを待つというルールなのでしょうか。しかし、授業者は教室の前の隅で何か自分の作業をしていて、子どもをまったく見ようとしません。何分も子どもは待たされています。中には、あきらめて手をおろす子どももいます。黙って挙手をすることを子どもたちに強いるのであれば、教師はしっかりと子どもを見る義務があります。自ら子どもの信頼を失くすような行動を取っています。

1年生の学年集会での各学級の様子が印象的でした。個々に作業しているのですが、子どもたちの姿勢がそろっていると感じる学級とそうでない学級があります。たまたまなのかもしれませんが、そうでない学級はこの日担任が休んでいた学級でした。もちろん代わりの方がちゃんとついているのですが、担任の目とは違いがあるということなのでしょう。担任の力が大きい、担任がしっかりと学級経営できていることの証とも言えますが、相手を見透かして態度を変えている可能性もあります。3年生になった時には、どんな先生が来ても変わらない子どもに育っていてほしいと思います。

今回、何人かの先生の授業の変化が印象的でした。
子どもの意見を引き出そうとするのですが、最後は自分でまとめを説明していた数学の先生の授業です。この日は、柔らかい表情で子どもの意見をじっくりと聞いています。子どもも一生懸命に説明しようとしています。結論を出すことを焦らずに、さり気なくヒントを与えたり、わざとぼけてみせて焦点化したりしています。授業スタイルを変えようとしていることがわかります。子どもたちも友だちの発言を聞こうとする姿勢を見せています。今後大きく伸びることが期待できます。

理科の初任者の授業は、子どもたちがとても集中して話を聞いていました。本人とお話したところ、できるだけ笑顔をつくり、子どもたちを見るように意識しているとのことでした。それだけで子どもたちがこれだけ集中するのですから見事です。落ち着いて、間もしっかり取って話しているので、子どもたちが聞きやすいこともよく集中している理由でしょう。私が進歩をほめたところ、「これだけのことで子どもたちが集中できるのに、今までできていなかったことが申し訳ない」と答えてくれました。とても謙虚な姿勢に感心しました。次の課題として、たとえ説明の場面でも、子どもに問いかける、子どもが理解したり考えたりする場面を意識的に設けることを示しました。次回の訪問時には、きっと進歩した姿を見せてくれると思います。

国語の初任者の授業は、子どもたちへの指示が明確なことが印象に残りました。課題が明確なので、子どもたちが集中して取り組んでいます。参加度が高いので、全体で答を確認してもよく反応してくれます。子どもたちの活動量が増えてきています。ただ、全員が答えているわけではないので、何人かを指名して確認したり、まわりと確認したりする場面と組み合わせるとよいでしょう。
また、子どもたちが寝ている友だちを起こそうとする場面がありました。教師が起こすのではなく、子どもたちに声をかけてもらおうというわけです。ところがなかなか起きないために、多くの子どもが声をかけ始めました。あまりよい状態ではありません。案の定、一部の子どもから揶揄するような、ネガティブな言葉が出されました。授業者は、すかさずそれを優しくたしなめました。なかなか見事な対応でした。育てようという目で子どもを見ていることに感心しました。

数学の初任者は、以前より子どもをよく見るようになったと思います。話す場面、書く場面を意識して区別しているようです。表情もまだ硬いものの、以前よりは柔らかくなってきたように思います。先輩たちの授業にはまだかないませんが、それでも子どもたちはよく話を聞いていました。できることが着実に増えていると思います。

暑い日でしたが、それにも負けず集中する子どもたちの素晴らしい授業態度がまぶたに焼き付いています。子どもたちがこれだけの集中力を見せる学校にはなかなか出会えません。4月の段階で戸惑いを感じていた先生方のかなりの方が、よい状態で授業をされていることも印象的です。子どもも教師も成長していることを実感しました。夏休み明けに子どもたちがどのような姿を見せてくれるのか、次回の訪問が今から楽しみです。

学校が変化する兆しを感じる

中学校で授業参観と授業研究に参加しました。3年ほどおつきあいしている学校ですが、今年度初めての訪問でした。初任者、異動者を中心に授業を見せていただきました。

全体的に教師がしゃべりすぎる傾向が強くありました。一問一答で、子どもが答えるとすぐに説明を始めたり、板書したりする。そういう授業が多いのです。子どもたちはムダ話などしませんが、集中力は続きません。受け身の時間が長いと、みるみる集中力が落ちていくのがわかります。
指示をしても、徹底するまで待たずに進んでいきます。数人しか挙手をしないのにすぐ指名し、正解であれば説明をして次に進む場面にも多く出会います。一部の子どもだけで授業が進んでいき、傍観者になってしまう子どもが目立ちます。また、受け身の反動か、順番を決めるのにじゃんけんをするといった、考えなくてもいい場面で異様にテンションが上がったりもします。
たまたま異動者の授業を多く見たからかもしれませんが、全体として昨年度と比べて授業があまりよい方向に変化していないことが気になりました。

授業研究は1年生の数学の授業です。分配法則を使った文字式の計算の場面でした。指導案の単元についてには、子どもたちにどうなってほしいかが細かく書かれています。授業者の思いがよくわかります。実際に子どもたちの姿がどのようになっているか楽しみです。
授業は、音声計算練習を一つの柱にしていることがよくわかりました。4月から続けているのでしょう。子どもたちもスムーズにおこないます。通常、音声計算練習は、1枚の紙の上下に問題と答が印刷してあるのですが、この学級では1枚の裏表に印刷したものを使っていました。それを、チェックする側が手に持って、相手に見せて進めています。面白いやり方です。ペアでおこなう必然性があります。互いにかかわり合わなければ成り立たないように仕掛けられています。紙を持つ側が下から覗き込むようにしている姿もたくさん見られました。相手に見やすいように紙を傾けているからです。子ども同士がよい関係にあることがわかります。相手の読み上げる答をペアがしっかり確認している姿が見られました。目標達成したかどうかをペアの相手が挙手します。これもよい方法です。この学級の雰囲気がよい理由がわかった気がします。
3x×5を「どうやって計算しますか?」と前時までの復習をしました。「どうやって」は(3×5)xという計算の手順なのか、結合法則と交換法則を使うというその根拠なのか曖昧な問いかけです。ここでは計算の手順を求めていたようです。できるだけ、何を求められているか明確にした問いかけを心がけるとよいでしょう。
割り算での分配法則の例を説明する場面で、指名された子どもが上手く説明できませんでした。ここで他の子どもに説明させたのですが、全員が理解したかどうかよくわかりませんでした。子どもたちから拍手が起こったので次に進めていきましたが、これは危険です。全員が拍手したわけではないし、またまわりにつられて拍手しただけかもしれません。拍手した子どもを指名して、どこで納得したか説明させるべきです。
他の子どもが自分の考えを説明するのではなく、「○○さんの考えを代わりに説明できる人」と上手く説明できなかった子どもを助けるように働きかけ、「○○さん、今の説明であなたの考えにあっている?」と本人に確認するとよかったと思います。
この授業の主の活動は、自分たちで音声計算の問題をつくることでした。個人でつくった問題をグループで共有し、その問題を使ってで音声計算練習をするというものです。日ごろ自分たちが一生懸命取り組んでいる音声計算練習です。子どもたちはとても集中して取り組みました。答に自信のない子どもはペアだけで確認するように指示します。あえてペア「だけ」と限定したころに、授業者の思いを感じます。まわりの人とすると、どうしても話しやすい人に声をかけることになります。座席を変えて日が浅いこともあり、あえて限定することで人間関係をつくろうというのです。授業で人間関係をつくろうとしていることがよくわかります。
グループになって、互いの問題をまわしながら写していきます。グループの形に移動する動きが素早かったのが印象的です。子どもたちのやる気を感じました。時間を切って友だちの問題を写しますが、作業の時間に差があります。時間内で終われない子どもがいたので1分延長しました。これは、すでに終わっている子どもにとってはムダな時間です。1回りするまでは時間で区切って、最後に時間を与えればよかったと思います。子どもたちの関係はよいので、写せていない子どもは友だちに見せてもらえばいいのです。終わった子どもはその時間で完成した問題を練習すればムダな時間はありません。
自分たちの問題での音声計算練習は、とてもよく集中していました。中には、とんでもなく計算が面倒な問題をつくった子どももいたようです。子どもから不満の声が上がります。しかし、決して作者を非難するような声ではありませんでした。一度、グループで音声計算練習にふさわしいように修正する作業を入れてもよかったと思います。他のグループと問題を交換しての練習もとても集中していました。子どもたちが興味を持って、互いにかかわりながら集中して授業に参加していました。授業者の願った姿を見ることができました。
私には、1学期間続けた音声計算練習と、それを元に育てた子どもの姿を見てほしい。そういう授業に見えました。数学の授業として、この単元ではもっと別の活動もあったのではといった意見もあるかもしれません。しかし、子どもたちのこのような姿を学校全体で共有したことに大きな意味があるのだと思います。授業者は、昨年は小学校から異動されたばかりで、中学校での授業に戸惑いを見せていた方です。自分の目指す授業の方向性が明確になったのだと感じました。
今回の指導案は、潔いと言っていいほど余分なものが削ぎ落されていました。人に見せる授業であれば、もっといろいろな活動を入れたいと思うのが人情です。それをここまでシンプルにするには、かなりの時間を指導案の検討に割いたはずです。聞けば、数学の教科部会だけでなく、研修部会も一緒になって検討した結果だそうです。チームワークのよさが授業からも伝わりました。
授業の最後に校長が子どもたちに話をしました。この日は、この学級だけが残って1時間授業をしましたが、とても集中して頑張ってくれたので、次の定期試験の前に1時間早く帰れるようにするというのです。子どもたちはとても喜んでいましたが、それは早く帰れることよりも自分たちの頑張りが評価されたことに対してのように見えました。即時評価の大切さを知っている校長の粋な対応でした。

授業検討会では、若手・中堅を中心に、この授業のよさを子どもの姿を通じて具体的に指摘する声がたくさん上がりました。先生方の授業を見る視点が変わってきているのを感じました。子ども同士のかかわり合い大切にしようという姿勢を感じます。中身の濃い検討会だったと思います。
私からは、全体に対して、友だちの発言を聞くより先生の説明、先生の説明より板書を写すことの方に価値があると子どもが考えていること。指示に対して確認が甘くなっていること。わかった子どもだけで授業が進んでいること。何がゴールかという目的・目標が子どもたちにとって明確でないままグループ活動が進んでいること。子どものプライベートな発言を取り上げすぎることなどをお話ししました。

この日は、懇親会を催していただいたのですが、それまでの間に何人もの方がアドバイスを聞きに来てくれました。
初任者には今何を学ばなければいけないのかについて少し時間をかけて話させていただきました。夏休みは勉強のよい機会です。積極的に学ぶことをお願いしました。
初任者以外に来てくれた方は、みなさんアドバイスを求めるというよりも、現状の報告でした。昨年度に時間をかけてお話した方ばかりでしたが、皆さんその後自分の課題を意識して授業に取り組んでいただいたようでした。どなたも「授業が楽しい」ということを言ってくれました。子どもたちがよい方向へ変わってきている手ごたえを感じているからのようです。そのことをとてもうれしく思いました。それぞれにまだまだ課題がありますが、前向きに向かおうとしてくれています。この姿勢で授業に取り組んでいただければ、間違いなく授業力は高まっていきます。
授業参観では授業の変化があまり感じられませんでした。しかし、授業研究といい、この先生方の報告といい、この学校がよい方向へ変わっていく兆しを感じさせてくれました。

懇親会では、とても楽しい時間を過ごすことができました。
先ほどの数学の授業者からは、音声計算練習やフラッシュカードを使って授業を組み立ているが、どうしても教科書の問いや練習問題の時間が足りなくなってしまうという悩みを相談されました。せっかく音声計算練習をしているのですから、それを活かすことをアドバイスしました。具体的には、教科書の問題で授業中に取り上げるものを精選するのです。どの問題ができれば理解したといえるかを考えて選ぶのです。教科書をしっかりと読み込むことが求められます。その上で、授業中に扱わなかった問題を音声計算練習に入れるのです。そのことを伝えれば子どもたちは授業中にすべての問題を扱わなくても不安に感じませんし、より音声計算練習に力を入れると思います。
これ以外にも授業についてたくさんの方と話す機会を持つことができました。改めて授業に前向きに取り組んでいる先生が多いことを実感することができました。

校長は今年異動したばかりですが、学校の授業力向上にとても意欲的な方です。積極的に授業を見る姿勢からもそのことがよくわかります。また、教務主任は、昨年は新任ということでなかなか思うよう動けていないように見えたのですが、今年は自分のなすべきことが明確になっているように感じました。授業検討会などでも積極的にまわりをリードするような動きを見せてくれました。異動して来られた校務主任は、初任者の指導員も兼ねておられました。初任者と共に授業を参観している時に、初任者が悩んでいることを私への質問の形で上手に取り上げてくれました。育てようという意識を強く感じます。教頭は派手な動きではありませんが、しっかりと学校全体を支えています。今後、4役がよい形で連携していけるのではないかと感じました。

個人が頑張るのではなく、チームとして、組織としての動きが感じられるようになってきました。この学校が変わるための基礎ができつつあるように思います。これからどのように変わっていくのかとても楽しみです。先生方と充実した時間を過ごすことができたことを感謝します。

中学校区の研修の打ち合わせと授業参観

夏休みに中学校区の小中学校合同の研修の講師を引き受けるにあたり、事前に子どもたちのようすを見せていただきました。私の無理なお願いにもかかわらず小学校2校、中学校1校で授業を見せていただき、研修内容の打ち合わせをおこないました。

最初の小学校で感じたのは、先生方が子どもを見ていないことです。子どもが顔を上げていなくても話す。子どもが板書を写しても気にせずにしゃべり続けます。子どもの発言場面がとても少なかったのも気になります。たまたまかもしれませんが、子ども同士のかかわり合いもほとんど見ることがありませんでした。一部のわかった子ども、発言する子どもだけで授業が進んでいきます。子どもの発言をすぐに板書することも問題です。子どもが友だちの発言を聞かなくても困らないからです。
また、子どもの外化を評価する場面もほとんど見ることがありませんでした。発言した子どもの表情もあまりよくありません。教師も子どもも笑顔が少なかったことが気になります。このことを話したところ、教務主任からは学校訪問の資料の表紙を見せていただきました。そこには、友だちの発言をしっかり聞いている子どもの写真がありました。伝え合うことを大切にしているという説明でしたが、短い時間だったこともあり、残念ながらこの日はそのような場面も姿も見ることはできませんでした。先生方にとっては、伝え合う活動はまだ特別な場面でのことのようです。この学校の課題が見えたように思いました。
お一人、子どもたちを受容し、とてもよくほめる先生がいらっしゃいました。子どもたちは集中しているのですが、先生が黒板を向いて板書をするととたんに集中力が落ちるのです。しかし、当然先生はそのことに気づきません。意図的に力を抜かせているのかもしれませんが、ここはそのような場面ではないように思いました。

中学校は、子どもたちの状況と関係なしに、教師が一方的にしゃべっている授業が目立ちました。教師がしゃべれば、その内容を子どもが理解する。そのように信じているように見えます。試験が終わったあと、「あれだけ説明したのにできていなかった」と子どもを非難するのではないかと心配になりました。教師のいいわけ、アリバイ作りの授業のように見えました。
教師が教科書を見続けて、顔を上げない場面を何度も見ました。教師が自分の世界に入って授業を進めている。そこには子どもの存在がありません。
とても話し方が上手な数学の先生がいました。笑顔も素敵で子どもを惹きつけています。しかし、解き方のポイントを説明するだけで、そこには数学的なものの見方・考え方がありません。こうすれば問題が解ける、利益誘導型の授業です。早く、手間をかけずに、試験の点数という結果を得ようとする子どもの消費者的行動を教師がうながしています。数学ですら解き方を「覚えるもの」と子どもは思ってしまいます。塾と変わらないのです。
子どもに反応を求める教師もいるのですが、なかなか反応しません。最後には教師が負けて自分で説明しはじめます。子どもにとって、発言することに価値がないのです。うなずく、首をかしげる、そういった外化を求め、ポジティブに評価することから始める必要があります。

2つ目の小学校でも他の学校と似た傾向にありました。話し合い活動を大切にしようとしているとのことでしたが、その場面を実際にはなかなか見ることができませんでした。
子どもに注目させて教師がほめる場面がありました。よい場面です。続けて子どもに本読みをさせます。ところが、子どもが読んでいる間に教師は黒板を拭きはじめました。これでは、子どもたちは集中しません。自ら子どもたちの集中力を乱す残念な行為です。
子どもたちが勝手にしゃべっても、教師がそれに反応して話す場面を多く目にしました。きちんと全体に向けて話し直させるか、いったん口を閉じせなければ、学習規律が壊れていきます。多くの授業が、発言者と教師の1対1で授業が進みます。子どもたちは友だちの発言を聞こうとはしません。指名された者と教師だけの問題で自分には関係ないという態度です。発言が終わればすぐに教師が板書します。これでは聞く必要はありません。板書を見て、写せば済むからです。
授業の中で、拍手が時々起ります。一見よい場面に見えますが、形式的に流れています。一部の子どもはまわりにつられて拍手をしています。何を評価しての拍手なのでしょうか。私にはよくわかりませんでした。中には教師自ら拍手をしている学級もあります。具体的に何がよかったのかを伝えなければ、本当によい行動があったとしても広がりません。

参観後、教頭、現職教育担当者とまとまった時間を話すことができました。この学校の課題をよく認識されていますが、ではどのようにして解決していくかについてはいろいろと悩んでおられるようでした。夏休みの研修がよいきっかけになればと思います。

研修のテーマは、「学習規律を整え、子どもの力を引き出す授業づくり」となりました。全体では100名を超える参加者です。一方的な講演になりやすい人数ですが、グループでの活動を盛り込むことをお願いされました。せっかくですので、ただグループで話し合うだけなく、より先生方に積極的に参加していただけるような、今までやったことがない形式に挑戦してみたいと思います。よい機会をいただけたと思います。研修まで1月足らずですが、できるだけの準備をして臨みたいと思います。

教科で練り上げた授業から大いに学ぶ(長文)

前回の日記の続きです(小学校で授業アドバイス参照)。
中学校で授業参観をしていて感じたことは、指示がまだ徹底できていない場面が目についたことです。「手を止めて」「鉛筆を置いて」と区切りをつけることは意識しているのですが、全員ができるのを待てずに進んでしまいます。待たなければいけないことはわかっているのですが、時間のことを考えると待ちきれないのです。しかし、全員に徹底できないと指示が通らなくなっていきます。ただ待つのではなく、素早い行動をうながすことが必要になります。早くできた子どもをほめる、遅い子ども、気づいていない子どもにまわりが声をかけるようにうながすといったことです。子どもが声をかけてくれたときは、「気づいたね、ありがとう。声をかけてもらってよかったね」「声をかけてくれてありがとう」と双方をほめることを忘れないようにしてほしいと思います。子ども同士の人間関係をポジティブなものにしたいからです。

グループ活動で子どもたちがムダなおしゃべりをしている場面が目につきました。グループで活動する必要を感じていないからです。理由はいくつかあると思いますが、この課題を考えることが何につながるかという目的・ゴールが明確でないことがその一つです。指示されたことをやっているがどこに向かっているのかわからない、ミステリーツアーが多いのです。また、グループ活動が終わったあと、子どもたちに答や結果だけを聞いて、どのようなことを話した、聞いたというグループ活動の中身を問わないことも理由のように思います。答しか問われなければ、それを説明したり、理解したりといった活動は低調になってしまうからです。
グループ活動の目的やねらいを授業者が明確にして、グループ活動を子どもたちにとって必然性のあるものにする必要があります。
また、グループ活動の時に子どもたちの机が離れている学級がありました。どのグループにも1人か2人、机をぴったりくっつけない子どもがいるのです。子どもたちの人間関係に何か問題があることがうかがえます。授業者が机をくっつけるように指導するとともに、子ども同士のかかわりをうながすことが必要です。グループ活動にこだわらず、子どもたちが友だちとかかわってよかったと思うような場面をつくることを心がけてほしいと思います。

主となる課題に取り組までの時間が長い授業をいくつか目にしました。子どもの授業に対する意欲は授業が始まった直後が一番高いと言われます。その一番いい時間をムダに使わないためにも、課題に取り組むにあたって事前に押さえておかなければならないことを、授業者がきちんと整理しておくことが必要です。

子どもを受容しようとする姿勢を感じられる先生が増えてきました。子どもの発言を評価したり、うなずいたりする場面に出合います。しかし、まだ笑顔が少ないように感じました。教師の表情が柔らかくなると子どもの表情はもっとよくなると思います。
子どもの発言を受容するのですが、発言を受けてすぐに教師が説明して板書をしてしまう、一問一答が目立ちます。また、同じ考えの人とつなごうとしても、うまく発言がつながらないと我慢できずに教師がしゃべりだす場面にも出合いました。発言がつながらない理由の一つに、最初の発言を全員で共有できていないことがあります。聞く姿勢をつくる、時には丸ごと復唱するなどして、まず友だちの発言をしっかり理解させることが大切です。
挙手が少ないままに指名することも気になりました。数人しか挙手しないのであれば、ちょっと考える時間を与える、まわりと相談させる。挙手した子どもに「どこでわかった?」「どこに注目した?」といったヒントを出させるなどの対応が必要です。子どもたちが受け身で教師の発する正解を待っていることのないようにしたいものです。

個別にはよい授業、よい場面がたくさんあるのですが、それがまだ学校全体のものになっていないのが残念です。

面白い授業がありました。理科でメダカの血流を観察するための実験です。
実験はいくつかのステップに分かれています。わかりやすくするために、指示をステップごとに示して拡大コピーしたものを準備していました。それをもとに1つずつ説明したので、実験での子どもたちの動きがスムーズでした。一番肝心となる観察の視点を、「血液に関連することを3つ以上見つけなさい」と学習の目的と関連付けてきちんと与えていました。
実験が始まってしばらくして、授業者がメダカの動きを固定するために適度に水を抜くことを再度説明していました。もちろん事前に強調していましたし、黒板に貼ってあった拡大コピーにはそのことが書いてあるのですが、上手くできていないグループがあったようです。確認が甘かったようです。しかし、実験中に指示を再度出してもなかなか伝わりません。一旦作業を止めてから説明すべきですが、メダカを水の少ない状態で固定するので、観察は5分間が限度です。そのことを意識したために止めることができなかったのでしょう。コピーの該当部分を色で囲むなどして強調しておき、「おっ、このグループはうまく水を調整してメダカを固定している」と大きい声でほめるといったことをするとよかったでしょう。
授業の一部分しか見ることができなかったのですが、授業者がアドバイスを聞きに来てくれました。
実験の結果、子どもたちから出てきた主なものは、「血液が流れていること」と「血球が見つかった」だったようです。すこし、物足りません。とはいえ、メダカは5分しか観察できないので再度実験できません。ビデオを使って説明し補ったそうです。ビデオで補うのは悪いことではないのですが、せっかくですから自分たちで観察させたかったところです。
メダカは2人に1匹でしたが、4人で1匹にする方法もあったかもしれません。取り敢えず実験したあとで、子どもたちから出た「血液が流れている」を取り上げ、「流れているだけしか気づかなかった?川の観察で川が流れていると言っているようなものだね」と、もう一度挑戦させるのです。時にはこういう挑発も大切なことだと伝えました。

6時間目は、学年ごとの授業研究でした。私は3年生の理科の授業を参観しました。
遺伝のハイブリッド(優性と劣性それぞれの遺伝子を持っている物)の第2世代がどのようになるかの問題です。通常はえんどう豆を例に考えるのですが、この授業ではトウモロコシを扱っていました。トウモロコシは1つの実にたくさんの種があります。黄色と白の粒が並ぶことで形質が分離することが視覚的にわかりやすいのです。なかなか面白いアイデアです。理科の教科部会で指導案を何度も検討し練り上げたようです。
授業は粒の色が、黄色が優性、白が劣性というところの説明から始まりました。時間の問題もありますが、ここは復習を兼ねて、「全部黄色の種ができるトウモロコシと全部白の種ができるトウモロコシがある。それを交配させたら(どうやって交配させるかも話題にしても面白いかもしれない)、全部黄色の種のトウモロコシが採れた。どういうことか説明して」と問いかけても面白かったと思います。
遺伝子がAaで表せることを確認して、この種からどのようなトウモロコシが採れるかを問いかけました。「種が混じる」とつぶやいた子どもがいました。この種が混じるという子どもの発言を活かしたいところですが、授業者はそのことをあまり追求せずに「種がどのようになるかシミュレーションすること」を課題として提示しました。
同じ数の「A」と「a」のカードを混ぜたものがペアにつき2組用意されています。シミュレーションは、ペアでそれぞれ1組ずつのカードから1枚を選び同時に見せ合い、その組み合わせで色を決定し、その色のシールを用意した6×5のマスに貼ります。マスが埋まったら色別にシールの数を数えて終了です。子どもを1組選んで前で試させることで、シミュレーションのやり方はよく把握できたようです。どのペアもスムーズに進めていました。しかし、子どもたちにとっては単なるゲームであって、何をシミュレーションしているかがよくわかっていなかったように感じます。ミステリーツアーになっていたのです。できた黄色と白のモザイク模様を黒板に並べて貼っていきます。視覚的にトウモロコシの実をシミュレーションしたことを実感させたかったのでしょうが、無理があったようです。最初に、種が混じったトウモロコシの実物か、せめて写真を見せて、「黄色が多そう」「白が黄色の半分くらい」といった発言を引き出しておけば、このシミュレーションとモザイク模様にリアリティが出てきたと思います。
各ペアの黄色と白の数を順番にコンピュータに入力していきます。リアルタイムに変化する様子をグラフで表すようにしています。母数が多くなるに従って収束していきそうだと感じさせたかったのでしょう。しかし、統計の基礎的な知識がまだなかったこともあり、子どもたちにはこのグラフの変化が何を意味しているのかよくわかっていなかったようです。このソフトの説明がもう少し必要だったと思います。この学級の結果に、他の学級の結果を足します。これがまた、子どもたちの理解を妨げました。今までは30ずつ母数を増やしていたのに、いきなり全数を入れたのです。これでは、子どもたちから3:1になりそうといった言葉は生まれてきません。授業者は、「本当は3:1になる」と結論づけて、「その理由を考えて」と課題を提示しました。これでは、子どもたちがシミュレーションした意味はありません。理科としては、「本当」という言葉はとても危険な言葉です。理科に本当はないのではないでしょうか。モデルとしては、3:1になりますが、実際はそんな保証はありません。人間の男女比も1:1ではありません。「本当」ではなく、大体3:1になっている。または、実際に数を調べてみたら、3:1だったと事実がシミュレーションの答と近いことから、このシミュレーションが正しそうだと考えるのが理科的な思考です。であれば、シミュレーション(考え方)が正しいのなら、3:1になる説明を考えてというのが課題の提示として妥当だと思います。
子どもたちはグループで考えるのですが、今一つ盛り上がりません。ワークシートにはAとaを縦横に書いた表が用意されていて、1行目にAA、Aa、2行目にAa、aaを書き込んで黄色が3(純血とハイブリッドが1:2)、白が1(すべて純血)となることが説明できるようになっています。しかし、この表と自分たちがおこなったシミュレーションによる比率の関係がよくわからなかったのです。全体での発表で、ある子どもが表を使って説明しましたが、シミュレーショとの関係は語られません。この子どもも単に知識としてわかってはいますが、きちんとシミュレーションと連動して考えてはいなかったのです。子どもたちは表での説明は何とか理解しますが、それとシミュレーションの関係はよくわからないままでした。シミュレーションを使う時は、「事実と比較してその考えの妥当性を確認する」「妥当性が確認されていることをもとに予想する」のどちらかですが、今回はこの部分を押さえきれていなかったのです。シミュレーションを始める時に、何をシミュレーションしているのかをきちんと示しませんでした。「A」と「a」のカードが同じ数であることも確認していません。
まず、一人がおしべ、他方がめしべと役割をはっきりさせます。その上で、このおしべ、めしべの遺伝子「Aa」がくっついたカード(ミシン目が入っているのが理想です)を必要数用意し、それぞれをAとaの2つのカードに分ける作業をさせます。減数分裂でおしべとめしべの遺伝子がどうなるかをシミュレーションするのです(めしべに関しては正しいシミュレーションとは言えませんが、本質的な間違いではないので中学校ではよしとしましょう)。こうすることで、このゲームが何をしているのかがよくわかるはずです。表も、上の行におしべ(Aa)、左の列にめしべ(Aa)と書いて、遺伝子を分離した、Aとaを記入させれば、シミュレーションとの関係が明確になるはずです。
「妥当性が確認されていることをもとに予想する」という考え方の例として、ハイブリッドと白の純血を交配させることで黄色と白が1:1のトウモロコシができそうだと予測させ、その写真を見せるというのも面白いかもしれません。
課題にリアリティを与えるのであれば、「種苗会社が売る種はハイブリッドであるのはなぜか」(種をまた買ってもらうため)とするとよいかもしれません。理科に対する興味もわくのではないでしょうか。
理科の教科部会がいろいろと考えて挑戦した授業だったので、私にとってもとても学びの多いものでした。

授業検討会は、学年単位でおこなっているので話しやすい雰囲気を感じます。気になったのが、誰かが意見を発表しても、すぐに次の意見に移る場面を多く見たことです。じっくり話し合うべき話題かどうかを司会者(コーディネーター?)が判断して、焦点化したり、他の先生へつなげていったりすることが大切です。検討の深まりが少ないように感じました。

授業検討会終了後、たくさんの先生が話を聞きに来てくれました。時間の関係もあり十分なアドバイスができませんでした。申し訳ありませんでした。多少時間がかかるかもしれませんが、意欲的な先生が多いので学校がよい方向に確実に変化していくことと思います。何人かの先生の授業にその兆しを感じました。研究発表までにもう1度訪問する機会をいただきました。その時、どのような変化が見られるかとても楽しみです。

小学校で授業アドバイス

文部科学省の研究指定を連携して受けている中学校と小学校の授業アドバイスをおこなってきました。

小学校は5年生の社会と国語、2人の若手の授業を見ました。
社会の授業は、新潟県はなぜ米の生産量が日本一なのかを考えるものでした。前時に都道府県別の米の生産量を調べた時に、北海道ではなく新潟県が米の生産量日本一だったことが子どもたちには意外だったようです。そこで授業者は新潟県を扱うことにしたそうです。授業者は考えるための資料として、新潟県と東京都の月別平均気温、月別日照時間、月別降水量と新潟平野の写真を用意しました。資料を配ってから、黒板に拡大コピーを貼って、日照時間などの説明をしますが、子どもの視線は上がりません。手元に資料があるからです。せっかく拡大コピーを用意したのですから、配る前に説明をすれば子どもはしっかり前を向いて聞くことができたはずです。
子どもたちは資料から気づいたことをワークシートに書き込みます。気づいたことを1つ書いて満足している子どももいます。続いてグループで意見の共有を図りました。
資料を使った授業をする時には、必要な資料を見つける、資料を読み取る、読み取った内容をもとに考えるという3つのステップを考える必要があります。今回は2つの目の読み取るからのスタートですが、読み取ると考えるが一緒の課題になっていました。これはかなり高度なことです。子どもたちが鍛えられていないとなかなかできません。実際には資料で新潟と東京の違いを見つけただけの子どもがほとんどです。日照量が東京より多いからといって、米の生産量日本一になるというのは飛躍がありすぎます。
東京と比較する意味もよくわかりません。子どもたちは、北海道ではなく新潟県が日本一なのが疑問だったのですから、もし子どもたちが資料を探そうとすれば北海道との比較だったと思います。子どもたちは前時の学習で、米が北の方でよく作られていることを知っています。そこで、米作りにちょうどよい気温があると考えています。しかし、温かい方が本来よいとは知りません。間違った知識を元に考えています。米の生産限界は8月の平均気温が20度以上という知識を与えておかなければいけません(資料と知識の関係参照)。こういった、考えるために必要な知識が意識されていなかったのも問題です。
必要な知識を与えておき、全体で資料を読み取ることをした後で、新潟県が米の生産量日本一である理由を考えさせるというステップを踏んだ方が、子どもたちの現状にはふさわしいと思いました。
子どもたちの発表の後、授業者が結論をまとめていました。そのまとめが正しいかどうかはさておき、まとめは、授業者があらかじめ用意したカードを貼って整理しました。これでは子どもたちが教師の求める答探しをするようになってしまいます。せめて、板書した子どもたちの意見を丸で囲むなりして、子どもの言葉から結論を導き出すようにしてほしいと思います。
今回、教科書の例(秋田)を離れて、子どもたちの疑問から新潟を取り上げたのはとてもよい挑戦です。しかし、子どもの疑問を活かして授業を進めるためには、どんな資料が必要か、どんなステップで進めていくかといった教材研究が求められます。教師自身が、米作りについてもっと知識を持つことも求められます。資料を読み取ることについても、読み取り方というメタな知識が大切です。比較して違いを見るだけでなく、数や量が一番大きい(多い)、小さい(少ない)、変化が大きい、小さいところに注目するといった視点を身につけさせることが必要です。授業者がそのことに気づければ、今後の授業づくりが大きく変わると思います。
また、授業中に子どもを指導するのに、どちらかと言えば「叱る」ことが多かったように思いました。自身もそのことに気づいているようです。ほめて育てることも考えてほしいと思います。お話ししていてとても素直で、やる気のある方だと感じました。これからきっと大きく成長していくことと思います。

国語の授業は、夏の季語を意識して俳句をつくって発表する場面でした。
授業者は笑顔で子どもたちに接しています。子どもたちとの関係はよさそうですが、少し気になることがあります。俳句を書く用紙を配っている間に、子どもたちが緩みます。個人作業に移った途端、私語が増えるのです。子どもにとって個人作業はプライベートの感覚のようです。妙にリラックスして、授業者にちょっかいをかける子どもも目立ちます。たとえ注意をされたとしても教師に相手してもらえば、子どもとしては満足です。授業者が一々反応するのはよい対応ではありません。こういうけじめのない状況は、教師が授業のような公的な場と休憩時間のような私的な場をきちんと区別していないと起こることです。授業中に私的な場面を持ち込まないようにすることが必要です。極端に言えば、子どもの言葉が授業の内容に直接関係ないときは無視してもよいのです。無視をすると人間関係が崩れそうだというのなら、唇に指を当てて静かにするように伝え、口を閉じれば、うなずきながらOKとサインを送ればよいのです。
作業時間が残り2分だと授業者が伝えると、空気が変わりました。完成させようと集中しだします。やる気がないわけではないのです。最初からこの状態をつくることを意識してほしいと思います。
作業が終わったあと、子どもたちに前を向いて次の場面への準備をするように指示をします。こういう場面が変わるところでのけじめはきちんとつけようとしています。しかし、なかなか全員が準備できません。授業者は、すぐにできた子どもを数人ほめるのですが、あとはひたすら待っているだけです。待つことは大切なのですが、早くさせることを意識する必要があります。「何秒でできるかな」と意識させたり、「後何人だね、もう少しみんな待って」「みんな待ってくれてるよ」と遅い子どもに行動をうながしたり、「まわりの人教えてあげて」と子ども同士で声をかけあうようにしたりすることが必要です。全員できたら、「早くできたね」とそのことを確認し、「みんな待っててくれてありがとう。○○さん、待っててもらってよかったね」と子どもをほめてつなぎます。こういうことを地道にやり続けることが必要です。
子どもたちは自分の作品を全体に対して発表することにとても意欲的でした。友だちの発表も聞こうとする姿勢があります。しかし、無責任な感想を勝手にしゃべる子どもも目立ちます。授業者も個人的に受け答えしたり、容認したりしています。感想であれば、まず「みんなに聞かせてよ」と全体で共有し授業の舞台に乗せる必要があります。こういうことが起きやすい理由に、この俳句を聞くための共通の土台がないことがあります。誰が読み(聞き)手で、この俳句で何を伝えるのか、ちゃんと伝わったかといった、活動の目的・目標、評価の基準を明確にしておく必要があります。これは、先ほど述べた、作業の集中度にも影響することです。
まだまだ、経験の少ない授業者ですが、子どもを笑顔で受容する、指示を徹底するといったことを意識して授業に臨んでいます。もちろん、意識したからといって、すぐに完璧になるわけではありません。しかし、意識することが第一歩です。少しずつ精度を上げていけばよいのです。課題もたくさんありますが、素直に修正しようという意志を見せてくれます。この先生も確実に成長していくことと思います。

2人の授業には工夫したり、意識したりしていることが明確にあったため、課題がよく見えました。今回の気づきを自分たちだけでなく、他の先生にも伝えてほしいと思いました。
中学校での様子は、日を改めて(「教科で練り上げた授業から大いに学ぶ(長文)」参照)。

授業参観と現職教育の打ち合わせ

先週末は、中学校で授業参観と打ち合わせをおこなってきました。夏休みに依頼されている現職教育に向けて、子どもたちの様子を見せていただきました。

2時間かけて校長とともにほぼ全教室を回りました。子どもは落ち着いていました。作業などもしっかりこなしますが、子どもが活躍する場面が少ないように感じました。言い換えればほとんど教師がしゃべっているのです。私は日ごろ、教師は子どもが一言発言するとその3倍〜5倍しゃべると言っているのですが、10倍くらいしゃべっている教師も目にしました。子どもたちに「説明したでしょ」と言うためのアリバイ作りの授業のように感じます。説明したことを子どもたちが理解したかどうかを確認する場面も少ないように感じました。教師がしゃべって終わりの「(言い)ぱなし」の授業です。
全体的に子どもは積極的に挙手をしません。挙手をして発言することに価値を感じていないようです。友だちの発言を聞くことはもとより、教師の説明よりも板書を写すことを優先します。旧態依然とした、試験対策的な問題の解き方を教えている授業も目にします。結果を教えることはしますが、わかる、できるようになる過程が授業の中に組み込まれていません。わかった子ども、発言する子どもだけで進んでいく授業です。
とはいえ、教師と子どもの人間関係は決して悪くはありません。よいと言ってもいいでしょう。ただ、その関係は授業の中でつくられたものではなさそうです。行事や学級経営を通じてつくられたようなのです。授業中に教師が子どもの外化を受容することや評価する場面が少ないのです。そんな中で、印象的な場面がありました。子どもたちの姿勢がバラバラで集中力に欠けている授業が多い中、同じ姿勢でしっかりと教師の話を聞いているのです。授業者の話し方が上手いこともあるのですが、終始笑顔で子どもたちに接していることが影響しているようです。また、子どもたちの表情が非常によい授業が2つありました。共通していることは、授業者が子どもに対して「ありがとう」という言葉を使っていることです。とても面白いことです。
子どもたちがよい姿を見せる場面に出会えたということは、この学校の課題は、子どもたちの問題というより、教師の問題だと言えるでしょう。教師が子どもたちに求めているものが、落ち着いて席につき、板書を写し、指示された作業をこなすこと。そのように感じられることに原因があると思います。子どもたちは教師が求めれば応えてくれるはずです。学校としての目指す子ども像はあるのですが、それを個々の教師が具体化できていない、教師間で共有できていない。そこも問題と感じました。

授業参観の後お話をうかがったところ、最近までどちらかと言えば荒れた学校だったようです。子どもとの人間関係をつくりながらここまで落ち着いた学校にしていったようです。そういう意味では、先生方にとっては落ち着いて授業できれば、とりあえず合格点なのかもしれません。
校長はじめ、4役は授業の問題点を理解しているようでした。今後どのようにして授業を変えていくかという戦略を立てることが課題です。夏休みの現職教育は、授業を変えるためのきっかけにすぎません。どう活かすかを考えることが必要です。校長、教務主任とともに現職教育の持ち方を考えました。一般論になりやすい講演形式では、なかなか実感を持っていただけません。とはいえ、夏休みなので実際の授業を元にお話することもできません。そこで、代表者2名による模擬授業を実施し、それを元に具体的な場面で学び合おうということになりました。授業を見る視点は「聞く」を中心にします。「教師が子どもの発言を聞く」「子どもが教師の説明を聞く」「子どもが子どもの言葉を聞く」こういう視点です。

学校経営に対する明確な方向性と決定する意思を持った校長でした。参考になることをたくさん聞くことができました。いつも言っていることですが、私の話やアドバイスは単なるきっかけにすぎません。そこからどのように学校を変えていくかは、校長以下4役の仕事です。2学期以降、どのように進めていくか、しっかりと戦略を練られることと思います。私も当日、少しでも皆さんの意識が変わるような働きかけができればと思っています。どのような模擬授業と先生方の姿に出会えるのか、今からとても楽しみです。

子どもたちの活動量が多い英語授業から学ぶ(長文)

夏休みにある市で行われる研修会に毎年講師として呼んでいただいています。今年度は若手が伸びるために必要なことを、若手と管理職の両者の視点で考えるという企画で進めることになりました。若手の代表者に「子どもが活躍する」をテーマに模擬授業をしていただき、その授業を私が解説し、その後で、このような授業をできるようになった道のりを、本人と当時の管理職に私がインタビューするというものです。その若手として思い浮かんだのが、以前アドバイスをしていた学校の英語の先生です。すでに異動されていたのですが、お願いしたところ快く引き受けてくださいました。そして、うれしいことに研修会の前に、また私に授業を見てほしいと言ってくれたのです。たまたまその先生の勤務校の教頭が知り合いだったこともあり、他に2人の若手の授業も見せていただくことになりました。
学校におじゃまして、校長とお話をする時間をいただけました。学校をよくしたいというエネルギーを感じます。教頭だけでなく校長も一緒に授業を見ていただけました。初めて訪問した時に一緒に授業を見てくださる校長の学校は、よい方向へすぐに変わることが多いように思います。他者の授業に対するコメントを参考にしようという姿勢を持っている方です。そこで気づくことがあれば、すぐに行動に移されることが多いのです。この日お会いした校長にも、その姿勢を感じました。

1時間で社会と国語の若手の授業を見せていただきました。
共通するのは、教師の話が多く、子どもの活動時間が短いことです。子どもの態度から、板書を写しておけばそれでいいと思っていることがわかります。明らかに教師の話を聞くより、板書を写すことを優先しているのです。子どもの表情も乏しいのが気になります。子どもが発言しても評価がありません。それを受けてすぐに教師が説明を始めます。子どもにとって、発表することが目的となっています。子どもたちが積極的に挙手しない理由がわかる気がします。
また、指示に対して子どもの動きが遅いことも気になります。教師が子どもにどうなってほしいか意識していないからです。早く動いてほしいと思っていれば、そのための何らかの働きかけをするはずですが、ただ、待っているのです。ノートを開いて1行書くのに何分もかかります。「書けたね」と言ってすぐにしゃべり始めますが、まだ書いている子どもがいます。子どもを見ていないのか、それとも都合の悪いことは見ないようにしているのかどちらかです。
子どもたちの学習意欲が低いわけではありません。作業にはちゃんと取り組みます。ところが机間指導中に教師がいろいろとしゃべります。せっかく集中しているのに教師自らそれを乱します。教師の都合で授業が進んでいくのです。そこには子どもの視点が大きく欠けています。

授業後すぐに2人と話す時間をいただけました。まず、どのような子どもの姿を見たいか、目指しているかを2人に聞きました。2人とも「考える」がキーワードとして出てきました。ほっとしました。授業から伝わらなくても、できていなくても、目指すものがあれば必ず授業はよくなっていきます。
そこで、まずは学習規律をどう徹底するかについては、目指す姿をほめることで学級全体に広げること。指示は短く明確にし、必ず確認をすること。子どもが自分の考えを言えるためには、安心して自分の考えを言える、間違えても恥をかかない雰囲気をつくる必要があること。わかった子どもだけで進めずに、わからなかった子ども、聞いている子どもが参加できるようにすること。教師が子どもの発言を「正解」と判断すると、子どもたちは自分の考えでなく、教師の求める答を探そうとするようになること、などを話しました。一度にたくさんのことができるようになるわけはありません。しかし、彼らを今後フォローする機会が私にはないので、ある程度のことは伝えておこうと思いました。幸いにも教頭が同席して一緒に話を聞いてくださったので、私の伝えたことがわからなくなったり、上手くいかなかったりしてもフォローしていただけると思います。子どもが「考える」授業の具体的なイメージが少しでも伝わればと思います。

英語の授業は、1年生でした。何といっても子どもたちの表情が素晴らしいことが印象的です。全員が笑顔で参加しています。決まったパターンを言うだけの活動でも一生懸命に参加しています。授業者が常に笑顔で、どの子どもにもポジティブな評価していることがその原因でしょう。両端の列の子どもを立たせ、向かい合って会話する場面では真ん中の列の子どもの首が左右に動いていました。だれも傍観者になっていません。
スクリーンに一部だけ映っているものを英語で当てるクイズでは、子どもたちが見入っています。挙手して正解だと、教師がしっかりほめます。しかし、クイズに正解したことがほめられているのであって、英語の活動として評価されているのではありません。英語の授業としては、ここが気になります。また、授業者は、間違えた子どもにも決してネガティブにさせないようにとても気を使っています。子どもたちが一生懸命に参加する理由がわかります。
正解を確認した後、全員で答を練習します。英語を言う活動はしています。クイズの答を考える活動もしています。しかし、英語として考える活動にはなっていないのが残念です。クイズを続けているうちに子どもたちのテンションが上がり気味になってきました。根拠を持って考える活動ではないので、どうしてもそうなるのです。
“What’s this?”の練習で、シルエットクイズをおこないました。シルエットが牛だとはわかったのですが、英語で答えられなかった子どもがいました。授業者は「日本語でもいいよ」とフォローしました。「牛」と答えさせた後、英語で言える子どもに助けを求めました。”It’s a cow.”という答を、言えなかった子どもが笑顔で聞いていたのが印象的でした。子どもがネガティブになっていません。授業者の対応のよさがわかります。しかし、「牛」と答えたことは英語の授業の活動としては不十分です。ここは言えなかった子どもにも、”It’s a cow.”と言わせたかったところです。
いくつものシルエットで練習をした後、“What’s this?”を日本語に直させました。子どもたちに”situation”を理解させて、それを日本語に直すというのはよい活動です。面白かったのは、「あれは」と言った子どもがいたことです。授業者は訂正しましたが、なぜそのような間違いが出たのか興味のあるところでした。たまたま勘違いしただけかもしれませんが、私にはそうは思えませんでした。授業者は全員に対して、“What’s this?”と言ってリピートさせ、続いて”It’s ○○.”と正解をまたリピートさせていました。質問者と解答者の両方の立場で文を言わせていたのです。教師の手元にあるスクリーンに対して“What’s this?”と子どもはリピートしていたのです。その状況を日本語に直せば、「あれは」になってしまいます。“What’s this?”と授業者が質問し、それに対して子どもが、”It’s ○○.”と答える。”What’ that?”と子どもたちが質問して、”It’s ○○.”と教師が答える。こういう進め方を考えてもいいと思いました。
この“What’s this?”と”It’s ○○.”の練習問題をワークシートでおこないます。ワークシートのシルエットが何かを”It’s ○○.”の形で書くのです。答を子どもたちに聞きます。指名された子どもは”It’s a bird.”と答えますが、子どもたちは先ほどまでと違って発表者に注意が向きません。何が起こっているのでしょうか。答はすぐにわかりました。授業者が答を板書すると子どもの視線がそちらに集中したのです。多くの子どもは”It’s a bird.”という答はわかっていたのです。しかし、正しく書けているかどうかの方が問題だったのです。傘のシルエットに対しては、子どもはもう少し集中しました。”umbrella”がわからなかった子どもが多かったのでしょう。ここにはいくつかの問題があります。一つは、わからない子どもがわかるための手段が明確になっていないこと。もう一つは、この問題が、シルエットを表す英単語がわかることと、そのスペルがわかることとの2つのステップに分かれていることを、授業者が意識して授業を組み立てていなかったことです。単語がわからないときは、辞書を引けば一気に解決できますが、和英辞典をここで使わせるべきかは意見が分かれると思います。書く作業をする前に、口頭で答を言わせることも一つの方法です。ここで、”It’s a bird.”と答えた時に、”bird”は「どこ」で学習したか、教科書の「どこ」で習ったかという、わからない子どもが調べるためのヒントを問いかけるのです。また、隣同士で確認するといった方法もあります。わからない時は、ただ教えてもらうのではなく、「どこ」にあるかを教えてもらうことをルールにするとよいでしょう。
また、これは英語の問題というよりもワークシートの問題なのですが、穴があるとどうしても埋めることに意識がいってしまうということがあります。答を見つける過程より、穴に入る答を知ることが重視されるのです。授業者が「顔を上げて」と言っても、ワークシートに写すことを優先して、顔が上がらない子どももいました。前半とは違う姿です。ワークシートを使うときにはこのことを意識して授業を組み立てることが必要です。
傘の問題で、”It’s an umbrella.”と不定冠詞が”an”になることの説明は次回に回しました。この割り切りはなかなかです。時間の関係もありますし、この日の授業の目的を考えるとよい判断でした。
最後の活動は、子どもが自分でクイズの問題となるシルエットの絵を描いて、それを元に、“What’s this?”、”It’s ○○.”の練習をするというものです。今までの活動と違って、答が正解か不正解によって次の会話の内容が変わります。頭を使う活動になるはずです。各パターンを授業者が説明します。説明してリピートによる練習をしました。子どもたちは楽しそうに始めます。次第にテンションが上がっていくのです。相手の答によって話す内容が変わる場合はテンションが上がらないのが普通です。どういうことでしょうか。
友だちが書いたシルエットを当てることが子どもたちの目標になっていたのです。そのため、正解かどうかばかりに意識がいって、正解、不正解の後の会話をきちんとすることがおざなりになっていたのです。また、わからなくなった時に頼るものがありませんでした。黒板に残すか、プリントして渡すか。見てやらせてはいけませんが、いざというときに頼れるものが必要です。
今回の活動はペアを変えておこなっていたのですが、正しく会話ができているかを互いにチェックすることができていなかったことも問題です。それぞれが自分のことに精一杯で相手の間違いをチェックしたり修正したりする余裕もないのです。ペアの2人以外に、チェックしたり助けたりする人も必要です。子どもたちにバディを組ませ、2人対2人で交代しながら活動するという方法も視野に入れるといいでしょう。
子どもたちは2つのパターンが完全に頭に入っていなかったようです。授業者の後を追ってリピートして同じことは言えても、状況に応じて言うことを変えることはできません。子ども同士を前に出させて一緒に考えながら練習するといったことが必要だったと思います。
授業を見ている時に、表情の変化がやや乏しい子どもが気になりました。指名されて、授業者にほめられてもあまり表情が変わりません。どういう子か気になりました。教頭に聞いたところ不登校の傾向があるということです。しかし、時間が経つにつれて少しずつ笑顔が増えてきました。自作のシルエットでのクイズでは、わかれば笑顔に、わからない時には残念な表情をしながら、積極的に参加していました。この教室の雰囲気のよさがよい形に作用したように思います。

いろいろ課題を指摘しましたが、子どもたちの活動量についてはかなりのものです。授業の基本もできています。子どもたちとの人間関係も素晴らしいものです。一つひとつの活動の質を問うところまできているのです。多くの英語の授業はここまでの活動量はありません。内容以前に、子どもたちの口から英語がほとんど聞かれない授業にもたくさん出会います。

授業後、久しぶりに授業者とじっくり話すことができました。
子どもたちに、どうなればいいのかを意識して活動させる必要があることを話しました。子どもたち自身が英語の目標を意識して自己評価できるようにしないと、活動はしたが英語の力がつかないということにもなりかねません。また、子どもをとてもよくほめています。子どもを活性化させるレベルではもう十分です。次は、英語に関して何をほめるかです。発音をほめる、文章を理解できていることをほめる。子どもが英語活動の何をほめられたかを意識できるようにすることが求められます。
リピート中心のリーディングも気になりました。子どもたちが九官鳥になっては困ります。たとえば、単語ごとにその単語が表す”situation”をアイコン化しておきます。英語の語順でアイコンを貼り、それを見て子どもに英文を言わせ、テンポよくアイコンを入れ替えて練習をする。たとえば、「私」「好き」「テニス」のアイコンを順番に黒板に並べて、”I like tennis.”と全体で言わせる。「私」のアイコンを「彼」のアイコンに変えて、”He likes tennis.”と言わせる。次は「テニス」のアイコンを「野球」に変える。こういう活動も提案しました。
子どもが考えることも意識してほしいと思いました。たとえば、”a”と”an”の違いを教師が教えるのではなく、子どもたちに考えさせるのです。“What’s this?”で、いろいろなものを教師が”It’s ○○.”で答え、”a”と”an”がどのように使い分けられているか、子どもたちに気づかせるのです。ある程度教師が答えた後、子どもに答えさせます。間違えれば、正解になるまで言わせるといったことをしながら、子どもにルールを気づかせるのです。
以前と同じく前向きな姿勢で、しっかりと私の話を聞いてくれました。自分からも課題を質問してくれ、私も多くのこと考えるきっかけをもらいました。この授業者であれば、研修会は絶対によいものになると確信が持てました。当日までに、きっとまた進化した姿を見せてくれることと思います。今からとても楽しみです。

教頭とも久しぶりにゆっくり話すことができました。授業をとても大切にし、また楽しんでいる方です。この方の持っている授業技術や授業への思いがこの学校の先生方に伝われば、きっとこの学校の授業は大きく進化すると思います。この学校をまた訪問する機会が来ることを願っています。楽しく、かつ有意義な時間をありがとうございました。
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