子どもたちが考える授業の難しさを感じる(長文)

昨日の日記の続きです。

6年生の算数の授業はすべての答を見つける問題です。お菓子を35個買うのに、3個入りと、2個入りをそれぞれいくつずつ買えばいいのかを考えます。
最初に問題を提示して、自力で解かせようとします。子どもたちから答がいくつか出ることで、もれなく見つけることにつなげようという意図です。子どもたちはすぐに問題に取りかかります。意欲的です。ところが、その逆にすぐに手が動かない子どもの姿も目立ちます。この子どもたちは、やる気がないというよりは見通しが持てなかったのでしょう。問題を把握する時間もなくすぐに取りかかったので、何をすればいいのかがよくわからなかったのです。
ここで、授業者がヒントを出します。授業者がヒントを出すと、子どもたちはその考え方に従って解こうとします。いきなり解かせた意味がなくなります。もし、ヒントを出すのなら、手の動いている子どもたちに、最初に何をやったかを聞くとよいでしょう。「全部2個入りと考えた」「3個入りが○箱だったら」といった声が出てくれば、見通しを持てなかった子どもも動き出したと思います。
子どもたちに答を発表させます。2個入り1箱、3個入り11箱という答に対して、2×1=2、3×11=33、2+33=35という式で授業者が簡単に確認します。ここは、その根拠を子どもに言わせたいところです。また、答の結果の確認と、その求め方は違います。ここで求め方を押さえておくことが次の表での考えにつながります。「2個入りが1箱だと、残り33箱だから・・・」「全部3個入りだと11箱で2個余るから・・・」といった違った考え方が出てくるはずですから、それぞれの考え方を整理し価値づけすることが大切です。
子どもたちからいくつかの答が出てきますが、それも答になっていることしか押さえません。子どもたちは一つひとつの答をどうやって求めるかが明確になっていないので、モヤモヤしています。そこに、「全部の答を求めるのにどうすればいいか」という課題を出されても、今一つピンときません。子どもたちの疑問につながっていないのです。授業者は、「順番に」やるというアプローチの仕方を聞いているのですが、子どもたちは、どうやって一つひとつの答を出すかを考えています。授業者のねらいとずれてしまっているのです。ヒントとして「順番」という言葉を強調しますが、多くの子どもは授業者が何を言おうとしているのかわかっていないようでした。
挙手で指名したこどもにやり方を発表させます。子どもたちは、とても真剣に聞いています。発表者は、授業者の意図とは関係なく、「2個入りの数を固定して、残りを引き算して求める」「3個と2個を足して5個だから、5で割って求める」というように、どうやって答を求めるかの説明を始めます。授業者はずれを修正できないまま、何人かを指名します。2と3の最小公倍数が6だからと、35を6で割って、余りの5を3と2に分け、あとは6を3個入りにするか2個入りにするかを決めればいいという考えを出した子どもがいました。とても優秀です。授業者の言う全部の答を求めることにつながるものです。何度も本人が説明し、子どもたちは理解しようとしますがついていけません。授業者は、「難しかったね」と切り捨てました。せめて、「あとで○○さんの言っていることをもう一度考えようね」として、表を使うところで「うまく答が出てくるのは3個入りが2つとび」といったことに気づかせ、この6の意味を見つけさせたいところでした。
授業者は「順番」という言葉にこだわり続けますが、子どもから出てきた言葉でないので、子どもたちには伝わりません。最後は、自分で表を使うとよいことを伝えました。ここまで子どもたちに活動させたことを活かせませんでした。
最初の段階で、求め方を押さえておいて、「これで全部?他には?」と揺さぶり、「3個入りが4箱になった人?」「5箱は?」というように聞いていけば、子どもから「順番」が出てきます。じゃあ一つずつ順番にやればいいねと実際に全部の場合を見つけさせてから表を導入するか、たくさんの場合を確かめる時にどうやって整理したかを思い出させて表につなげてもよかったでしょう。
表をつくることをグループで取り組ませます。ここで、表の項目、構成要素が大切になります。残された時間を考えても、全体で見通しを持たせるべきです。授業者はグループにしてから表の構成要素の話をしますが、子どもとのやり取りもなく一方的なものなので、よく理解できていませんでした。手が止まっている状態のグループが多くなります。結局止まっている人が多いからと教科書を見て表をつくることにしました。これでは、子どもたちは自分で考えるのではなく、やり方を覚えようとするようになります。子どもたちにとって、自分で考えても最後は結果を写して覚えることになってしまい、考えることに対して達成感を味わえません。これまでの活動がムダになってしまいます。
答の求め方をもとに考えさせればよかったのです。2個入りが1箱の場合、2×1で2個、残りは35−2で33個、だから3個入りは33÷3で11箱、この求め方を2個入りが2箱の場合、というようにやって、どこが変わるかを子どもたちに気づかせると、表の要素が自然に見えてきます。「表は変化するものを整理するのに便利」ということを押さえ、「変化」に注目させれば、必然的に項目は見えます。関数につながる大切な概念を教えることもできるのです。
表の項目を教科書から抜きだします。3個入りを基準にするのか、2個入りを基準にするのかの確認もありません。教科書は0箱の場合を抜いていますが、子どもによっては疑問に思うかもしれません。表の端は11箱までと授業者がすぐに押さえます。子どもとやり取りしたいところです。表を埋めるのに、「1、2、・・・」としますが、ここは「1の次は2、2の次は3、・・・」と、授業者がこだわっていた順番を意識する必要があります。授業者は表を使えば全部の答えが出ることを押さえませんでしたが、そのための布石が「次」です。間の数はないから、全部と言えるのです。また、答が小数になるものは、最初から×をつけていますが、この吟味もちゃんとしていません。問題によっては意味のある答になります。「2個入りが0.5箱はダメ?いい?」と子どもたちに問いかけると、「ばらしてもらう」といった考えも出てきます。その考えがこの問題にふさわしいかを吟味することも大切です。
授業者は算数でついつい解き方を教えてしまうので、子どもたちから様々な考えを引き出して、まとめたいと考えていました。残念ながら、授業者の思い通りに授業は進みませんでしたが、自身の課題をしっかりと理解しているのは立派です。子どもたちとの関係や授業規律は上手くいっているので、この課題をクリアすることが当面の目標になると思います。今回の授業で言えば、表の本質はどこにあるか、この学習はどこにつながっていくのかをしっかりと教材研究する必要がありました。そして、子どもが見つける、わかる道筋のスモールステップを子どもの視点で理解する必要があります。後者は、経験を積まないとわからないところもあります。そういう意味でこの授業はとても大きな学びになったと思います。日々、子どもたちから学ぶ姿勢で授業を続ければ、きっとこの課題を克服できると思います。まだしばらくは時間がかかると思いますが、焦らずにていねいな授業を心がけてほしいと思います。

5年生の社会科の授業は農業法人を扱ったものでした。授業者は他市から本年度異動された経験7年目の方でした。
授業者だけを見ていると、なかなかテンポもよく、発言を受容したりもでき上手な授業に見えるのですが、根本的に何か足りないものがあると感じます。子どもたち一人ひとりを見るということです。子どもたちに指示をすると大体がすぐに従います。しかし、全員でなくても進んでいきます。ノートの使い方の指示の場面では、顔が上がらない子どもが目立ちました。フラッシュカードを使う場面では、カードを自分の目の前にかざしました。これでは子どもの表情は見えません。子どもに反応を求めるのですが、一部の子どもの反応を拾ってその子どもたちとだけで進んでいます。子どもたちとやりとりして進んでいるように見えるのですが、授業者にとって都合のいい子どもたちとだけです。最終的には自分が説明したいことを話して終わっていくのです。
動画を見せて、途中で止めこれが何についての説明かを問います。途中で止めるということができるのはなかなかです。しかし、「農業法人」というものを知っていいなければ答えることができません。まわりと相談させましたが意味のないものです。もし、農業法人について、子どもに考えさせたいのであれば、ここまでの情報から、みんなが知っている農家と何が違うのかを聞いたりすればよかったでしょう。
「農業法人と農家、大きいのはどっち?」と聞き、手を挙げさせます。全員がどちらかに手を挙げるべき場面ですが、手を挙げていない子どもが目につきます。授業者はそのことをあまり気にしていないようです。答の想像はつきますが、根拠となるものはありません。聞く意味があまりあるとは思えません。聞くのであれば、合理的な根拠がある必要があります。
「農業法人ならではの秘密を考えよう」というめあてを提示します。この「考えよう」は、何を考えるのでしょうか。事実は調べるしかありません。農業法人の特徴から、「ならでは」を考えるのでしょうか。特徴はそもそも何でしょう。この「秘密を考える」という課題がどういうことであるか子どもたちと共有されないままに進んでいきます。
与えた資料は、ある農業法人についてのものです。トラクターなどがたくさんあること、社員の数、委託されている土地の地図、広さと、農業法人とは関係ないある農家の機械のよさとその負担についての談話でした。ここから、「農業法人ならでは」のことを考えるためには、一般の農家のデータが手元にないと考えられません。何となく子どもに想像させるだけで、根拠をもった考えを引き出すことはできません。
子どもに考える視点として、「農作業」「農地・人」「その他」を提示します。これでは、単に農家との比較に終わってしまいます。授業の最初に、日本の米作りの問題点を整理しています。「農業従事者」「生産量」「消費量」「米離れ」「外国米の輸入」といったキーワードが板書されています。農業法人について考えるのであれば、「農業法人はこういった日本の米作りのどの問題を解決しようとしているのか?」といった課題にして、米作りの問題点の原因を整理してから進めないと考えることにはつながりません。本当に子どもたちが考えるためには、何が必要なのかを考えてほしいと思います。
机間指導をしながら、作業中の子どもに個別に指示をします。子どもの手が挙がっても気づきません。中には授業者が近づくと鉛筆を持つ子どもがいます。遠ざかればまたじっとしています。子どもたちのこういう状況に気づいているのでしょうか。
全体での発表では、一人発表するとすぐに板書します。子どもたちは、発表者に注意を払いません。子どもの意見を板書しますが、それが資料のどこを根拠にしているかを問いません。手を挙げて発表できる子どもの意見で進んでいきます。他の子どもは板書を見ているだけです。耕地面積が70haと大きいと言いますが、それを裏付けるためには日本の農家の平均の耕地面積のデータが必要です。作業しやすいという意見が出れば、実際に地図を見ながら確認する必要があります。そういったことなしに結論だけが積み重なっていきます。子どもの意見に対して授業者が根拠を明確に確認せず、子どもの発言をきっかけにして自分の考える結論を解説している授業になっています。教師が主役の授業と言ってもいいでしょう。
子どもたちに、「同じことを考えた人」とつなぐのですが、子どもは反応しません。子どもたちも、結論がわかればいいと思っているのです。それに対して授業者は参加を求めようとはしません。反応してくれる一部の子どもしか見ていないのです。最後に動画の続きを見せますが、子どもたちは集中して見ていませんでした。
授業者はそこそこ経験を積んで、授業の構成や進め方の技術を身につけています。それに対して、子どもを見る、全員参加させるといった子どもの活動に関する視点や技術が欠けています。バランスがとても悪いのです。授業者は子ども自身が考え問題を解決する授業を目指していると言っていますが、授業の方向性はそこから外れています。授業観がどこか根本的にずれているように見えるのです。このことを授業者には率直に伝えました。授業観を変えることは簡単なことではありません。だからこそ、そこを変えることができれば大きく進歩します。この先生が今後どのように変化していくか、期待も込めて見守っていきたいと思います。

今回アドバイスした4人は、それぞれに明確な課題があったように思います。すぐにクリアできるものばかりではありませんが、こういった課題が見える授業であることは、評価できると思います。昨年度と比べて課題が変化していたことは成長の証だと思います。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。
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