喉元過ぎれば熱さを忘れる

先日、中学校で授業アドバイスを行ってきました。昨年の秋に研究発表が終わってからは、初めての訪問です。学校の変化が気になりました。

以前は授業に参加できない子どももいたりして、落ち着かない雰囲気もあったのですが、そのことをあまり感じなくなっていました。しかし、子どもが落ち着いたために、先生方はこの学校が目指していた「子どもたちの学び合い」を以前より意識できなくなっていました。あえて厳しいことを言えば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということになっていました。明らかに先生がしゃべりすぎです。子どもたちが大人しく聞いているようなので、気持ちよく話を続けてしまうのです。そのため、子どもたちが受け身の時間が増えています。それでも、子どもたちがごそごそしないので、気にならないのです。しかし、よく見ると視線が宙を浮いている子どもがいます。上体を背もたれにつけて先生を眺めている子どもがいます。子どもは派手にごそごそしませんが、決して集中しているわけではないのです。個人作業などでは集中を見せますが、話をしっかり聞いているようには見えません。また、子どもたちが話し合う場面が少なくなっていました。学校を回っていて、子どもたちの声があまり聞こえてきません。以前は意識できたいたことができなくなっています。子どもがよくなった分、先生方が後戻りしてしまったのです。教師の求めに対して子どもたちが応えている場面も目にします。問題は、教師が落ち着いて座っている以上のことを求めていないことにあるのです。
このことは、学校がよい状態になっていく過程でよく起こることです。ここで、もう一歩前進しようとするのか、満足してそこに留まるかで、この後が大きく変わります。前者の場合、よい状態が長く続くのですが、後者の場合、また子どもたちが落ち着きをなくし、その対策を取ることの繰り返しになって、なかなか学校が安定しません。この学校はその岐路に立っていると感じました。

新しい先生も増えていました。この学校で目指してきたことがまだよく理解できていないと感じる方が多くいます。中には、子どもたちをしっかり受容できて、この学校が目指してきたものに近い授業をされる方もいらっしゃるのですが、それはこの学校に合わせたというより、以前からのその方のスタイルのように見えます。この学校で共通して行おうとしていたものが、見えなくなっていました。

以前のようにグループを使った活動をしている方もいるのですが、活動のねらいがはっきりしていません。この活動で子どもたちが何を考えるのか、そのために必要な知識は何かが明確になっていません。ただ活動をしているだけのように見えました。いろいろなことが甘くなっています。これまで意識できていたことができなくなっていました。
これまで先生方が頑張ってこられたから、今の子どもたちの状態があります。研究発表も終わってホッとする気持ちもよくわかります。しかしここまで頑張ってきたのですから、それをムダにしないためにも、当初目指していたことに向かって次の一歩を進めてほしいのです。今の子どもたちであれば、先生方が求めれば必ず次のステージに立てると思います。
全体に対してはこのようなことをお願いしました。

たくさんの方が全体会の後集まってくださいました。全体でお話したこと以外の個別の課題について一人ずつお話ししましたが、同席している皆さんも他人事ではなく自分のこととして聞いてくださいました。強い向上心を感じました。研究発表が終わり、子どもたちも落ち着いたため、自分たちの目指していたことの意識が薄くなっていただけだと思いました。学校で目指すもの、自分の課題を再度認識して次の一歩を踏み出してくれることでしょう。
また訪問する機会があれば、きっと大きく進歩した姿を見せてくれることと思います。その機会があることを楽しみにしています。
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