多くのことに気づけた授業参観(その2)

昨日の日記の続きです。

4年生の道徳の授業は、マラソンの高橋尚子選手についての読み物教材を使ったものでした。
オリンピックのポスターを準備して、何のポスターかをたずねます。1人を指名して「オリンピック」という答が出ると、「賛成」の声が上がります。挙手の数に対して声の数の多いことが気になります。
教材を範読しますが、淡々と読んでいきます。読み終ると、話の内容について確認します。一問一答がしばらく続きます。授業者は発言者をしっかりと見ていまが、全体の様子を見ることはしていません。子どもたちは、授業者の板書で確認ができるので、あまり真剣には聞いていませんでした。
結果が出なかった時の主人公の気持ちを考えさせるのですが、子どもたちはあまり深く考えていません。「頑張っているのに、いつも予選落ちだよ」「悔しくて、つらくて泣きながら走っているんだよ」「もう走るのは嫌になるよね」と主人公の気持ちに入り込ませるよう働きかけ、「それでも、また走ろうと君たちなら思える」といった迫り方をすると、子どもたちがより深く考えてくれたのではないかと思います。
読み物教材は、主人公の姿を借りて自分がこれからどのようにしようかと考えることが大切です。「高橋尚子のように、結果が出ないかもしれないけれど挑戦できる?」「挑戦し続けることに価値があるって本当?だれも認めてくれないかもしれないよ」といった揺さぶりをしながら、自分なりの考えを持たせ、友だちのいろいろな考えに触れながら少しずつ心を耕していくようにしたいものです。

もう1つの4年生の授業は国語で、俳句をつくる場面でした。
授業者は、子どもの言葉をたくさん引き出し、それをもとに進めていこうとしています。とてもよい姿勢です。夏のイメージを広げるために、夏休みから連想する言葉を引き出そうとしている時に、「自由研究」に対して、「あっあ」と反応する子どもがいました。授業者はそれを取り上げませんでしたが、こういった子どもの反応を「今反応してくれたね。それってどういうこと」と全体の場でとりあげることで、発言がつながっていきます。私的な発言を公的なものにするという発想も持てるといいでしょう。また、子どもの発言に対して、授業者が勝手に別の言葉を足す場面がありました。子どもの発言は変えたり足したりせずに、できるだけそのままで扱うことが大切です。
夏をイメージする言葉を発表して、それらを使って俳句をつくらせます。五七五といった俳句の基本的なルールを確認しますが、俳句をつくる目標が明確になっていません。これでは、友だちの句について感想を発表させても、その視点も定まりません。句を読んだ人が、「夏の風景が目に浮かぶ」「『あぁ、夏だなあ』と感じる」といった具体的な目標が必要です。そして、目標達成のために、どのような工夫をするかを考えることを求めます。ここで、今までの学習の積み重ねが効いてきます。これまでにやった俳句の授業を振り返って、どんな工夫があったかをもう一度整理するのです。活動に対しては、目標達成のための手段を与えることを意識してほしいと思います。目標とその達成のための工夫を意識することで、俳句をつくることも友だちの句を鑑賞することもより深いものなっていくはずです。

授業研究は、6年生の社会科でした。世界が抱えている課題を「未就学児童」の問題から考えさせようというものです。
資料の一つを声に出して読ませます。読むことで、全員に資料の内容を把握させようというのでしょうが、子どもはただ字面を追っているように見えました。子どもが読みにつまった時に授業者が助けました。このことは別に間違いでもおかしなことでもないのですが、私はこういった時に、まわりの子どもが助けてくれるといいと思っています。子どもは困った友だちを助けるのは教師の仕事だと思っています。授業者が、「まわりの人、助けてくれる?」と声をかけるだけで、子ども同士の関係は変わっていきます。
資料から読み取ったことを発表させます。「未就学児童数」という言葉が出てきますが、きちんと定義はしていません。資料を扱う時には、それが何を示しているのかを押さえておく必要があります。未就学児童とは、いくつの子どもを対象にしているのか、未就学とはどういう状況か、こういったことを明確にすることを常に意識してほしいと思います。未就学児童数が6,700万人ということが出てきます。そこに気づけなかった子どももいるはずです。そういった子どもたちは、結果を聞くだけでは、自分で資料を読み取る力をつけることができません。どこに書いてあるかを確認することが必要です。簡単な資料であれば、隣同士でその場所を指さして確認し合うといった方法もあります。また、6,700万人がどれほどの数か子どもたちに実感させる必要もあるでしょう。この市や県の児童数といった身近な数や、世界の児童の人数などを比較として出すとよかったと思います。
学校にいけない理由をヒントとなる写真を見せてグループで考えさせます。写真は「子どもが川をボートで渡っている」「子どもが働いている」「子どものそばに兵士が立っている」の3種類です。学校にいけない理由という条件から子どもは写真の場面を想像しますが、写真から読み取ったことを明確にして、それを根拠に話し合っているグループはそれほど多くはありません。資料(写真)からどんなことがわかるかをまず確認するということを指導する必要があるでしょう。また、授業者はグループで考えをまとめさせようとしましたが、個人が納得する答を持てればそれでいいというように考えてほしいと思います。
子どもたちに学校にいけない理由を発表させますが、授業者は答につながる言葉が出てくるとそれを受けて自分で説明し、用意した理由のカードを写真のところに貼ります。カードが準備されているということは教師が考える正解があるということです。こういうやり方をすべて否定するわけではありませんが、答探しの活動になりやすいことも事実です。
3枚の写真を元に理由が挙げられますが、それを補強するような資料の提示はありません。子どもが就学できない理由、経済の指標、内戦や紛争地帯などの資料を示したいところです。
子どもが学校にいけないとどういうことが起こるか考えさせるために、あらかじめ授業者が用意した、「働けない」「貧しい」「子どもが働く」・・・といった状況が絵で示された負の連鎖のカードを因果の順番に並べる課題にグループで取り組ませます。子どもたちは因果関係を考えますが、これが原因だ、結果だとはっきり言えるものばかりではありません。根拠を明確にできないので考えが収束しにくく、子どもたちのテンションは上がり気味でした。
活動終了後、各グループの結論を黒板に貼り、1グループに発表させました。答を順番に示すだけで根拠は語られないので、他の子どもたちは黒板に貼られた結論を見ることで十分です。集中して聞いてはいませんでした。授業者は、時間がないので1グループで発表を止めて、答はいろいろと考えられるけれど、学校に行けないことでこういうことが起こるとまとめました。子どもたちに何を考えさせたかったのでしょうか。結局、教師の考える負の連鎖の内容をカードから読み取る活動でしかありませんでした。グループで考える活動のように見せていますが、実は教師の考える答を与えているだけなのです。子どもたちは、自分たちが何を考えたのかよくわからないままで授業は終わりました。
また、前半の学校にいけない3つの理由と後半の負の連鎖の関係はあまりありません。唯一、貧しくて働かなければいけないので学校にいけないということが、負の連鎖の一つの例となっているだけです。1時間を通じて社会科として何を考えさせたかったのかがはっきりしない授業になってしまいました。

今回授業を見た7人全員と1時間話す時間をいただきました。皆さん、自分の授業のことでなくても一生懸命話を聞いてくれました。前向きな姿勢です。また、私の指摘を素直に受け止めてくれたのもうれしいことでした。

全体での授業検討会は、全員が指定の授業を見ていなかったことと時間があまりなかったこともあり、「授業規律」「全員参加」「グループ」に関して学校全体で感じた課題を私からお話をしました。
授業規律に関しては、授業開始時に子どもが席についていない学級や遅れてくる子どもが目についたことから、「よい行動を広げる」発想での指導について具体的に話をしました。
全員参加に関しては、わかった子どもだけで授業を進めないためには挙手だけに頼らないこと、「わかった」ではなく「困った」から出発することをお願いしました。
グループに関しては、結論をグループでまとめないこと、「話し合い」ではなく「聞き合い」にすること、グループで考える必然性のある課題とすることなどを話しました。
この日私が授業を見なかったベテランの先生方もよく反応してくださいました。短い時間でどれだけのことが伝わったかはわかりませんが、何かの参考になれば幸いです。

学校全体でユニバーサルデザインの発想で授業をつくることや、算数の授業を6年間の系統を意識したものにすることに取り組んでいます。とてもよい取り組みです。こういった取り組みを活かすためにも基本的なことを大切にして授業を進めていただけたらと思います。
今年度は、来年の1月にもう一度訪問させていただきます。学校全体がどのように変わるかとても楽しみです。
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