小規模校の共通の課題を感じる

先週、昨年2つの小学校が合併した小規模校の現職教育に参加してきました。初めて訪問する学校です。ベテランの研究授業と授業検討会の前に、初任者の授業を1時限、その他の4人の先生の授業を1時限参観しました。

全体的に共通するのが、挙手する子ども、参加する子どもだけで授業が進んでいることです。一問一答形式で、一人の子どもが発言すると教師が説明し、「他には?」と聞いていきます。子どもたちは友だちの発言中は、自分の出番がないと集中力を切らします。発言をしっかり聞いている子どもが少ないのです。また、子どもの活動に対する目標や評価基準がはっきりしません。ただ活動しているのです。当然子どもは活動に対して、自己評価もできませんし、授業者からほめられることもありません。子どもたちが受け身に見える理由が、ここにあるように思います。

初任者は4年生の担任で、国語の授業を参観しました。
順番に音読する場面でのことでした。まだしばらく自分の順番が来ないと思って気を抜いている子どもがいます。また、読みにつまった子どもがいてもだれも助けようとはしません。授業者が助けると思っているので、余計な手出しはしないのでしょう。友だちが音読している時に、どのようなことを意識するのかきちんと指導されていないようです。漢字の読みを確認する。友だちが困っていたら助ける。友だちの読み方のよいところを評価するといったことをいつも意識させるようにしてほしいと思います。
今回の本読みは、主人公の気持ちが大きく変化したところを読み取るという目標がありました。本読みが終わったあとすぐに挙手を求めます。子どもたちは鉛筆で印をつけているわけでもありません。自分の考えを整理する時間が必要なはずです。手を挙げたのは1人だけでした。それでもすぐに指名します。発言者は発表の後「どうですか?」と聞きます。結論を言っただけで、根拠についてまだ何も話し合っていません。これでいいかどうかをたずねてもあまり意味はありません。変化を問うのであれば、その前後で何がどう変わったかを合わせて聞く必要があります。
挙手による発言が続きます。何人かの子どもの意見を板書した後、意見を2つに分けることができると言って子どもたちにその視点を問います。あまりにも唐突です。せめて子どもに考える時間を与えてほしいのですが、すぐに挙手をさせて指名しました。指名した子どもの答が授業者の期待するものだったので、そのまますぐに意見を分類する作業に入ります。ほとんどの子どもたちは、ただ指示に従って作業をするだけでした。根拠を明確にすることもなく、どちらが大きく変化したかを結論づけました。この間5、6人だけで授業が進んでいきました。授業者は常に発表者と2人だけの世界に入ってしまいます。他の子どもに目が向きません。子どもの発言の中で自分に都合のよい言葉だけを拾っていきます。また、子どもの発言をポジティブに評価することがほとんどありませんでした。
主課題は、主人公の気持ちが大きく変化した理由を考えるのですが、そのワークシートには「体にからみついていたいろんな思い」がどうして変わったのだろうと印刷されています。こうして答があらかじめ用意されているのだと知れば、子どもたちは教師の求める答探しをするようになります。せめて「」の中は自分たちで出した結論を書きこむようにしてほしいと思います。
友だちの意見に対して、「ちょっと違う」とつぶやいた子どもがいました。こういう言葉を拾ってつなぐことで考えが深まります。しかし、授業者は拾うことができませんでした。また、発言の中で「どこかで聞いたけれど、・・・」と本文のどの部分かを指摘できないのですが、一生懸命に理由を言ってくれる子どもがいました。どこかで聞いたというのは、以前の授業で学習したという意味でしょう。まわりの子どもたちに、どこで学習したかを確認して助けてほしいところですが、子どもたちをつなぐことができませんでした。子どもに発言させるのですが、単発の発言が続くだけで、結局最後は先生の言葉でまとめてしまいました。
初任者ですので多くを求めるわけにはいきません。笑顔と子どもたちの外化をポジティブに評価することをお願いしました。

授業研究はベテランの先生でした。2年生の国語、がまくんとかえるくんの話、「お手紙」の授業です。
授業者はとても柔らかい雰囲気で授業を進めます。常に子どもに語りかける口調です。「いい声だねぇ」「えらいね」「手の挙げ方がいいね」と、とにかく子どものよいところをたくさんほめ、理由の説明では「からをつけるといいね」と上手に修正もしています。指示も全員ができるまできちんと待ち、個別に「そうそう」ときちんとできているかの確認もしています。若い先生の手本になる子どもとの接し方です。
発問がよく理解できずに、子どもたちの集中力が落ちる場面がありました。そこで授業者は、その活動を早めに切り上げ、次に予定していた動きのある活動に早目に切りかえました。子どもをよく見ています。がまくん、かえるくん、地の文と分担しての音読を2つのグループに分かれてさせます。「それぞれの気持ちの変化がわかるように読む」という目標もはっきりしています。子どもたちは、動きもつけて一生懸命練習していました。「親愛なる」が上手く読めない子どもがいました。しかし、同じグループの子どもは助けません。結局授業者が助けました。こういった場面をいくつかの授業で見ると、どうも気になってしまいます。結論づけるのは早いかもしれませんが、教師が子どもにかかわりすぎるために、子ども同士のかかわりが弱くなっているように思います。
互いの音読を発表し合います。大きな声で発表できているかを視点として与えますが、事前の目標である「気持ちの変化がわかるように読む」ということは確認しませんでした。子どもたちは拍手をしますが、授業者は固有名詞でよいところをほめて、個別に何度も拍手をさせます。子どもたちのよいところ見つけてほめることがとても上手ですが、本来の活動の目標についても、きちんと評価したいところです。
授業者は一人ひとりときちんと受け答えをしているのですが、どうしてもその子どもとだけで終わってしまいます。その間、他の子どもは自分には関係ないという顔をしています。どうやら、子ども同士をかかわらせることを意識することが、小規模校では共通して課題になるようです。
かえるくんの手紙ががまくんにどのように受け止められたかを考えるのに、授業者への同僚からの遊ぼうという誘いの手紙を用意して、比較させました。面白い試みです。かえるくんの手紙と比べると、フランクなものでした。授業者は、かえるくんの手紙の「親愛なる」「親友」「友だちであることをうれしくおもっている」といった言葉に注目させるためにこの手紙を準備したようです。子どもからは、かえるくんの手紙が「長い」という意見が出てきました。たしかに、授業者の用意した手紙は短いものでした。授業者は「たしかに長いよな」としっかり受容します。予定外の反応でも、しっかり受容できていました。
「親愛」や「親友」について意識させたところで、辞書を引いて見せます。言葉の意味を辞書で調べるという国語の基本的な学習手段を教えること自体はとてもよいことです。しかし、最初に本文を読んだ時点で押さえてあるはずのことです。ここは、子どもに確認をすべきだったと思いました。
このような手紙を「めちゃほしい」と言ってくれる子どもがいましたが、そこで終わりました。他の子どもに、「みんなはどう」「○○さんはほしい」というようにつなげたいところでした。この後、授業者はまとめを意識したのか、子どもの発言に対して自分の言葉をつけ足したり、表現を変えたりしました。この授業者であれば子どもの言葉でまとめることができたと思います。ちょっと残念でした。とはいえ、全体としてとても安心して見ていられる授業でした。
授業者はベテランですが、素直で向上心の強い方です。アドバイスをとても前向きに受け止めてくれました。授業が上手くなるのに年齢は関係ありません。次回の訪問時にはきっと大きく進歩していることと思います。

授業検討会は3シーン授業検討法で行われました。気づいたことを書いた付箋を指導案に貼ってもらい、その数の多かったところをもとに検討を行います。今回が初めていうことで私が進行を手伝ったのですが、かえって出過ぎてしまいました。選ばれたシーンはなるほどと思える場面です。最後に予定されていた私の指導で話をしたかった場面とかなり一致していました。ビデオはしっかり子どもをとらえていたので、とても多くのことがわかります。そのため、ついついリアルタイムで解説してしまったのです。3シーン授業検討法のよさを理解してもらうためには、先生方からもっと意見を引き出し、つないでいかなければいけなかったのです。申し訳ないことをしてしまいました。しかし、ビデオで振り返ることのよさだけは伝えることができたのではないかと思います。

管理職も教務主任も、授業改善にとても前向きな方々でした。小規模校で起こりがちな、先生が個別に子どもを指導しすぎるという問題点についても理解していただけたのではないかと思います。子ども一人ひとりに目が届くよさを活かしたうえで、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことを意識していただければ、きっとよい方向に変化していくことと思います。次回は10月に訪問の予定ですが、子ども同士のかかわる場面をたくさん見ることができるのではないかと期待しています。
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