受容とほめることについて考えた授業

先日、小学校で授業研究と若手の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

最初に学校全体の様子を見せていただきました。感じたのは、子どもの発言を活かそうとする意識があることです。このことはとてもよいことです。ただ注意をしなければいけないのは、一部の子どもが勝手にしゃべったことを教師が取り上げて授業を進めていく傾向があるということです。子どもたちは、勝手にしゃべったことでも教師が受け止めてくれるので、思ったことを無責任にしゃべるようになります。また、一部の子どもの言葉だけで授業が進むので、それについていけない子どもは参加しにくくなります。子どもが発した言葉を責任のあるものに変えてやる必要があります。「今言ってくれたこと、みんなに聞かせてくれるかな」と全体に対して公的に発言し直させ、全員で共有するのです。そして、その考えを「なるほどと思った人」「納得した人」と他の子どもにつないでいくのです。
もう一つ感じたことは、子どもに対するポジティブな評価が少ないことです。発言しても、教師がその内容をあまり評価しません。そのため、子どもにとっては発言することが評価されたことになってしまうので、それで満足するようになります。そのことが先ほどの勝手にしゃべることにもつながっているように思います。教師や子どもが発言を評価する場面をつくることが求められます。
授業規律を意識している方も多いのですが、できていない子どもをチェックしてやらせるという発想が強いようです。そのため、教師が指導した時は全員できるのですが、そのあと緩む傾向があります。指導された時だけやればいいと思うようになってしまうのです。ほめてできることを増やす発想に変えてほしいと思います。

2年生の担任は今年4年目の先生でしたが、基本的なことができていました。とても優しい表情で、子どもの発言をしっかりうなずいて聞きます。子どもに発言をうながす時も、「教えてください」と上から目線にならないように意識しています。ありがとうの言葉もよく聞かれます。子どもの姿勢を正すのに、「パンパンパン」と手をたたきます。すると子どもは「手は後ろ、背筋は・・・」とポイントを言葉にしながら姿勢を正していきます。明示的に子どもの行動をコントロールできています。ただ、決まったことを声に出すだけなので考える必要がありません。どうしてもテンションが上がりやすくなります。似たことは他の場面でも見られました。何かを出すように指示した時、子どもたちは「出しました」と声に出して行動の確認をします。遅い子どもに行動をうながすことにもつながるのですが、やはりテンションは上がります。また、授業者も子どもによく伝わるようにと声を大きくすることがあります。教室全体がテンションの上がりやすい傾向があります。
とても感心した場面がありました。「聞く時のポイント」を子どもたちに復習させた時、間違って話す時のポイント発表した子どもがいました。「話す時のポイントだね。いいポイントだよ」と否定せずに認め、子どもの表情を見て「いいこと言ってくれたから、書いておこうか」と板書したのです。たとえずれた発言でもしっかり受容する姿勢はとても素晴らしいものです。
子どもの発言をしっかり受け止め、復唱することもできていますが、時々、「静かに聞く」を「耳をすませて聞く」というように、子どもの言葉を自分の言葉に置き換えることがあります。言葉を変えさせたい時は、できるだけ子どもに修正させるようにしたいものです。
子どもはとても真剣に授業に参加しています。授業者が一人ひとりを見守る目線で子どもたちを見ていることと無関係ではないでしょう。課題としては、積極的に意見を言う何人かの子どもたちで授業が進んでいることです。挙手をしない子どもたちを参加させることを意識してほしいと思います。

授業研究は、4年生の道徳の授業でした。
教室のディスプレイを使って1枚の絵を見せました。子どもたちに感想を書かせ、発表させます。この絵の作者の年齢を問いかけました。年代別にていねいに子どもたちに聞きます。しかし、根拠をもとに答を出す場面ではありません。この場面はもう少し展開を早くした方がよかったかもしれません。7歳と自分たちと年齢が近いことで親近感を持たせた後、この少女「あやちゃんに足りなかったのは何でしょうか」という発問をしました。授業者は何人か指名して発表させた後、「時間が足りない」と答を言いました。子どもから「どういうこと?」というつぶやきが出ましたが、授業者は拾いませんでした。このあと、あやちゃんの贈り物の一部を範読するので、そこで理解させようとしたのかもしれません。しかし、少なくとも「どういうこだろうね」と受け止め、「今からあやちゃんのお話を読むから、どういうことか考えてね」と返すといった対応がほしいところでした。
話の内容を確認ながら範読します。急性白血病について命にかかわる病気だと伝え、話の中の日付から、いくつで発病し亡くなったのか計算させます。計算させることで、いかに短い人生だったかを実感させたかったのでしょうが、一部の子どもとのやり取りなので、あまり全体に迫れていないようでした。もし重い病気にかかったら残された時間に何をするかという課題を提示し、すぐに書かせます。子どもたちは、思いのほかすらすらと書きます。こういった課題で本当に深く考えていれば、すぐに鉛筆を持ったとしてもなかなか進まないものです。表面的な答えになっている危険性があります。そのことは、子どもたちの発表の場面で強く感じました。子どもたちが元気よく挙手するのです。残された時間が短いことを真剣に受けてめていれば、テンションはあまり上がらないはずです。残された時間がないことはどういうことかを子どもたちにある程度実感させる必要があったように思います。
授業者は「手がたくさん挙がってうれしい」とIメッセージを利用します。よい対応です。指名した子どもは「起きていると、病気のこととか考えてしまうから寝て暮らす」と答えました。授業者はどう扱っていいのか困って「なるほど」と受けます。次の子どもを指名しようとした時、一人の子どもが「眠るように息を引き取ればいいってこと」と声を上げました。この言葉をきっかけに、寝て暮らすのは死ぬことがこわいからだと、発言者の気持ちを引き出すことができたと思います。そのような気持ちだったはずなのに絵を描き続けたあやちゃんの思いに迫ることができた場面でしたが、授業者は無視をしました。ちょっともったいないと思いました。
続いてでてきた意見に対して、「いいこと言うね」とほめます。次の意見には「すごくいい意見だね」とまたほめます。授業者がほめては次の子どもを指名します。しかし、どうでしょう。道徳では価値判断をするのは子どもであってほしいと思います。まして、ここはいい、悪いと判断するような内容ではありません。またこのようなほめ方をしていると、「なるほど」は受容の言葉になりません。困った意見は「なるほど」と返すのだと子どもは感じてしまいます。このような場面では、「共感」を意識するとよいでしょう。「同じように考えた人いる」と子どもをつなぎ、似たような考えを発表させるのです。
この後「あやちゃんは何をしたと思う」と問いかけ、絵を8,000枚描いたことを伝え、あやちゃんの作品を見せます。順番にディスプレイに表示しながら、1枚1枚の絵の感想を聞きます。一部の子どもは次第に集中力を失くしていきました。道徳として命の大切さを考えるというねらいがあったはずですが、子どもが考える時間は実はほとんどありませんでした。あやちゃんやその絵には興味を持っても自分のこととしてどれだけ考えたかは疑問です。
子どもたちが残された時間にやりたいと考えたことに対して、「残された時間でやれることだったのか」「今あなたがやっていることなのか」といった問いかけでゆさぶる必要があったと思います。
授業者はまだ教師になって2年目です。受容やほめるための技術をかなり持っているのは驚きです。しかし、どの場面でどのような技術を使えばよいかは、意識されていません。今子どもたちにどのような気持ちになってほしいかをしっかりと意識して対応を考えてほしいことを伝えました。

授業検討会の場で、道徳は子どもたちが自分のこととして考えることが重要であることを伝えました。子どもたちが、自分ならどうだろうと考えるのではなく、教師が求めるような無難な答を探していることに課題があります。最初に考える場面はどうしても浅くなりがちです。友だちの考えに触れることで考えを深める場面をつくってほしいと思います。
全体に共通することとして、一部の子どもの発言で授業が進んでいることを指摘しました。参加しない子どもは、後から教師の説明とまとめを聞けばいいと考えています。全員を参加させることを意識してほしいことを伝えました。

先生方にはとても真剣に話を聞いていただけました。きっと、次回までによい変化が見られることと思います。また、私も教頭からちょっとした宿題をお願いされました。それなりのプレッシャーがかかっていますが、それも含めて次回の訪問を楽しみたいと思います。
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