子どもの笑顔と挨拶が素敵な学校(長文)

先日、小学校で若手を中心に授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

1年生の国語は、ひらがなの表から意味のある言葉を見つける活動でした。
子どもたちはよく反応してくれますが、思いついたらすぐに声に出します。授業者はきちんと指名せずに子どもの言葉を拾います。授業規律の観点からは、受け止めた上で全体に対してきちんと発表させる必要があります。勝手な発言が許される雰囲気があるので、子どものテンションは上がり気味です。静かにしてくださいと注意をしますが、しばらくするとまたテンションが上がります。注意した時だけ静かになるのです。こういった場合、まずテンションが上がる原因を取り除く必要があります。勝手気ままに発言するのが原因であれば、そうさせないようにしなければなりません。発言や活動に対してポジティブな評価がなければ、子どもにとって認められる方法は自己主張することになり、勝手な発言が増えてしまいます。子どもにもわかる活動の目標と評価基準を与え、子どもたちがそのことを意識して自己評価できるようにすることで、落ち着いてくると思います。
机間指導の途中で、子どもたちが「先生」と声を上げます。主張しないと先生が自分のところへ来てくれないのです。必ず全員のところへ回って声をかけてくれることがわかっていれば待つことができます。また、常に全体に気を配っていれば、子どもの様子がわかるので個々の対応も素早く行えます。このことを意識してほしいと思います。
また、作業が終わった子どもへの指示がありません。終わった子どもがごそごそするので、まだ終わっていない子どもも集中力を失くします。活動をいくつかのステップに分け、節目ごとに確認をし、リズムを作ってやるとよいでしょう。
最後に自分の見つけた言葉を発表させて終わりました。授業者は「みんなが発表してくれたから、・・・」とまとめます。1年生なので、「みんな」という言葉を使ってもあまり問題はないと思いますが、学年が進むにつれて危険な言葉になります。自分が発表していないのに「みんな」という言葉が使われると、自分はみんなに入っていないと感じるからです。こういったことも意識できるとよいでしょう。
授業者はとても素直な方で、前向きにアドバイスを受け止めてくれます。まず、子どもをポジティブに評価することから始めてくれるとよいと思います。

5年生は今年中学校から異動して来た先生の道徳の授業でした。手塚治虫のブラック・ジャックを題材にした、工夫のある意欲的な授業です。
最初に手塚治虫やその作品の紹介をします。キャラクターを見せて、知っているかといった問いかけをします。丁寧に子どもの反応を拾って進めます。子どもの発言をしっかりと受け止め、ポジティブに評価しました。子どもの言葉をしっかり聞くことのできる先生です。しかし、授業全体の構成を考えると少し時間をかけすぎたように思います。手塚作品を知っている子どもはそれほど多くありません。知っている子どもしか参加できませんし、この知識が授業の展開に影響するわけではありません。子どもに興味を持たせることができれば、すぐに本題に入った方がよかったと思います。
大型ディスプレイを使って、マンガを子どもたちに見せます。授業者は声のトーンを抑え気味にして読み上げます。読み物と違って、絵があるために子どもが感情移入しやすくなっています。授業者が感情を込めて読んだり、説明したりする必要はありません。子どもたちは食い入るように画面を見つめていました。授業者は話終わるとすぐに画面を消しました。子どもたちの視線を自分に集中させるために大切なことです。こういう基本もしっかりと身に付いている方でした。
教材の内容は、事故で体が動かなくなって長い間入院している母親が、子どもたち迷惑をかけたくないと安楽死をドクター・キリコに依頼します。一方子どもたちは母親を直してもらおうとブラック・ジャックに治療を依頼します。同じ日に依頼が重なり、ドクター・キリコが安楽死をさせようとしたところにブラック・ジャックが現れ、母親に向かって「ばかなまねはするな」と安楽死を止め、手術を行い成功させるというものです。
この日の課題は「ばかなまねはするな」と言ったブラック・ジャックの気持ちを考えさせるというものです。いくつかの意見が出た後、自分の考えがどの意見に近いかを全員に確認させます。近い意見のものを全員立たせて順番に発言させ、同じ考えであれば着席させます。こうすることで、全員必ずどこかに参加することになります。授業者はとてもていねいに発言者の言葉を受け止めます。しかし、発言者と違った意見の子どもをつなぐような働きかけはしません。次第に子どもたちの集中力は低下していきます。授業者は全員参加を願っていましたが、どこかの場面で参加できても常に参加できているわけではなかったのです。友だちの意見を聞いて心が揺れるような場面はありませんでした。
その原因の一つは、ブラック・ジャックの心情を聞いたからです。ブラック・ジャックが手術を成功させることは知っています。あくまでも成功する前提での話なので、葛藤は起きないのです。結末は知らせない状態で考えればまた少し違ったかもしれません。しかし、実話ではないので、上手くいくだろうと考えてしまう恐れもあります。
子どもの心情を聞くという方法もあったかもしれません。「成功する確率がとても少ない。失敗すればすぐに死んでしまう。手術をしなければ生き続けてもらえる。しかも、母親は安楽死を願っている。あなたなら、それでも、手術をしてもらうか、安楽死をさせてもらうか。それとも、このままにしておくか」といったことを問いかけるのです。
最後に授業者は自分が父親のがんの手術の時に送った手紙を子どもたちの前で読みました。こちらはリアルなものですので、子どもたちへのインパクトは大きくなります。授業者が身近なだけに感情移入しやすいのです。家族の大切さ、互いに支え合う気持ちを持ってもらいたいというねらいの授業です。感情移入しただけでは、自分の家族の顔がどれだけ浮かんだかは、今一つはっきりしません。子どもたちに自分の家族の顔が浮かぶ場面をつくりたかったところです。時間の問題もあり難しかったかもしれませんが、もう一工夫ほしいところでした。
授業者は、非常に前向きで挑戦意欲もある方です。これからが楽しみです。

4年生の授業は理科の動物の体のつくりと運動でした。
机をコの字型にしていました。コの字型の机配置での最初の挨拶を見て、いつも悩むのが子どもたちの視線はどこに向かえばいいのかです。授業者なのか友だちなのか、どちらであるべきかの結論はなかなか出ないのですが、授業者としてはどこに視線を送ってもらいたいのかは明確にしておく必要があると思います。子どもたちの視線がばらばらだったのが気になったのです。
せっかくコの字になっているのですから、自分の考えを友だちに伝えようとしてほしいのですが、その意識が子どもたちからはあまり感じられません。「○○さんの考えを聞かせてね」「○○さんの考えをみんなで聞こう」と教師がそのことを意識させるように仕向ける必要があります。子どもがどうしても教師を見るようであれば、発言者のそばに教師が移動するとよいでしょう。その際に、子どもの視線の妨げにならないように気をつける必要があります。
2人に対して牛乳パックを筒状にしたものを1つ与え、肘につけてボールを投げさせます。この時、子どもたちの活動の目標を明確にしていませんでした。そのため、子どもの意識はボールを投げることだけに集中します。考えることはしません。次第にテンションは上がります。2人で牛乳パックを共有しますが、子ども同士の知的なかかわり合いはありません。どちらか先にやるかじゃんけんしたりすればテンションが上がるだけです。1人が活動している間はもう一方はすることがありません。知的なかかわり合いを意識した活動にする必要があります。
子どもの活動を止めて説明に移る時、授業者は子どもたちが全員集中できるまで待てています。授業規律がしっかりとしています。あとは、素早い動きを促すための働きかけを意識するとよいでしょう。
子どもたちに、「どこが硬い、柔らかい、曲がる」「力を入れると柔らかいところはどうなるか」を「予想」させます。予想なので体を動かさないで頭で考えるように指示します。考えるためには根拠が必要です。この場合、自分の体を動かして触って見ることが一番です。わざわざ予想する必然性はありません。この活動はあまり意味がないのです。
「どこが硬い、柔らかい、曲がる」「力を入れると柔らかいところはどうなるか」と言葉で言われても、どういうことを聞かれているのかよくわかりません。最初にやった関節を固定してのボール投げとの関連もよくわかりません。体を動かさないと言っても、予想するためには実際に一つくらいは例として取り上げて説明する必要があったのです。活動を始めても、どうすればいいのかわからない子どもがたくさんいました。
授業者は子どもたちの様子からそのことにすぐに気づきました。ここで、多くの先生は作業を止めずに追加の説明をします。しかし、授業者は一旦作業を完全に止めて説明をし直しました。これはなかなかできないことです。よい判断でした。
子どもに予想を発表させます。予想ですから根拠がありません。ただ発表するだけです。挙手で発表させますが、「他には」と次々聞いていくだけです。自分と同じものが発表されればもう参加できません。子どもたちは集中力を失くしていきました。
続いて今度は、自分の体で確かめさせます。グループでの活動ですが、グループである必然性がありません。話し合うように指示しますが、何を話し合えばいいのでしょうか。友だちに聞く必然性がないのです。子どもたちはほとんどかかわり合いません。すぐに子どもたちの動きは止まってしまいました。
腕の図を書いた紙に一人ひとりが異なった色のペンで書きこんで互いの気づきを見える化し、気づかなかったところを確かめ、納得すればそこに自分の色で書きこむといったかかわり合うための仕掛けを工夫する必要があったと思います。
全体での確認も発表されたことを確かめるだけで、子どもたちが考えたり、かかわることで何かが深まったりといった場面がありませんでした。
授業者は、子どもたちとうまく関係をつくることができています。一人ひとりをしっかり受け止めることができますが、子ども同士がかかわることに関して、どうすればいいのかまだよくわかっていないようでした。このことを意識することできっと大きく成長してくれることと思います。

昼休みと掃除の時間に校内の様子を見せていただきました。子どもたちはとても明るい表情です。たくさんの子どもが自分から近寄ってきて私に挨拶をしてくれました。その笑顔がとても素敵でした。子どもたちのこの表情がもっと授業中に見られたらと思います。
授業中に先生方は、発言をしっかり受容していますが、評価があまりありません。子どもをポジティブに評価することをもっと意識してほしいと思います。また、どうしても挙手する子ども、発言する子どもとの関係だけ授業が進んでいきます。「○○さんの言っていたこと、納得できた?」と発言者とつなげ、友だちの発言を聞くことに価値づけする。「わかった人」と答を求めるのではなく、「困ったことない」とわからないから出発する。こういったことを心がけるように、全体の場で皆さんにお願いしました。

この日は、ちょっとしたとトラブルがあったため、教頭や教務主任と話す時間をあまり取れませんでした。校長には先生方へのアドバイスの場面でもずっと立ち会っていただけました。先生方を育てようという姿勢を強く感じました。いつも思うことですが、私がどんなに頑張っても学校がそれでよくなることはありません。校長、教頭そして教務主任が日常的にどのような動きをするかで決まります。この学校の校長からは学ぼうとする意欲と実行しようとする意志を感じます。次回の訪問が楽しみです。
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