授業力向上研修会(長文)

市の授業力向上研修会の講師を務めてきました。毎年おこなっている、年3回の研修の第1回目です。市内の各学校より1〜2名の先生が参加し、授業を見た後に検討会を行います。

今回の授業は小学校6年生の算数、文字と式の単元でした。
ちょっと緊張していたのか授業者の表情は硬いようです。授業が始まる前に気になったのが、子どもたちの机の上です。教科書とノートを出しているのですが、両方とも閉じている子ども、ノートだけを開いている子ども、教科書とノートの両方を開いている子どもとバラバラです。この教室のルールがよくわかりません。
最初のあいさつの時、子どもたちの姿勢はいいのですが視線が上がりません。授業者と子どもたちの視線が交わらないのです。着席して子どもの視線が授業者に集まっていないのにしゃべり始めます。一つひとつの場面の区切りをつけることを意識してほしいと思います。
前時の復習で、「わからないときにxとおく」という説明をしました。授業者の頭には、方程式の未知数xがイメージされているようです。しかし、この単元ではxの値を求めることではなく、xに異なった値を入れてみたり、yとの関係を表わしたりする関数的なとらえ方をする扱いになっています。ちょっと違和感があります。
子どもから、「教科書を開くの?」と声が上がります。授業者はその子どもに閉じておくように指示しました。板書している時も「先生書く?」といった声が上がります。この教室では子どもたちは、思いついたらすぐに声に出すようです。それに対して授業者はその場で反応します。反応してくれるので子どもたちは、プライベートに先生に聞くことを止めないのです。授業者は「まだ、いいよ」と答えたのですが、書き続けている子どもが目につきます。めあてを全員で読む時になっても口を開けずにまだ書いている子どもがいます。どうやらこの子どもは算数が苦手のようです。板書を写すことしかできないようです。
めあてを読んだ後の指示は、「まだの人は書いてください」でした。これは注意をしなければいけません。先ほどはまだ書かなくていいと言ったのに、今度は書くことが前提の話に変わっています。子どもたちが「書かなくていい」を無視したのもこういうことが何度かあったからかもしれません。もう一つの問題は、まだの人には指示をしたのに対して、書き終った子どもへの指示がないことです。書き終った子どもの集中力が切れる心配があります。

クッキー、紅茶、箱の絵と値段表をもとに与えた式が何を表わすかを言葉で説明するのが最初の課題です。授業者は「相手に伝わるように」と言葉にすることの目的を伝えます。この時、「普通に書いてもわかる」と声に出す子どもがいました。授業者は「(普通に書いて)わかるかもしれないけど、わからんかもしれない」とちょっと冷たく突き放します。この子どもがどういう子どもかわかりませんが、ここでも個別に反応してしまいました。しかし、本当に「相手に伝わるように」書くのが目的であれば、この言葉は全体で取り上げる必要があります。「今、○○さんが普通に書いても伝わると言ってくれたけどどう思う?」と取り上げ、伝えるためのポイントを全体で共有することで、「相手に伝わるように」という目的達成のための見通しを持つことができるからです。しかし、どうやら授業者にとって「相手に伝わるように」は、本当は目的ではなかったようです。この後の活動を通して、伝わったかどうか、伝わるための工夫はどうであったかといったことには一切触れられませんでした。

手が止まる子どもが目立ちます。「相手に伝わるように」という言葉がじゃまをして子どもの考えが止まっているのかもしれません。クッキー1枚の値段をx円として、x×16は何を表わすかという問題で、「16枚もあるのはクッキーだから、クッキー1枚×16枚だと思う」と書いている子どもがいました。授業者は机間指導しながら、この子どもの間違いを指摘しました。その子どもは自分の書いたものを全部消してしまいました。授業者の机間指導は、間違い探しです。そうではなく、部分肯定でよいところを見つけてほしいと思いました。先ほどの子どもであれば、「16枚だと思ったんだ。いいね。16は16枚だとすると、xは何だっけ?」と16枚に○をつけておき、xはクッキー1枚の値段で、1枚はx円であることを子どもの口から言わせ、「じゃあ16をかけると何がわかるのかな」といったことを問いかければよかったと思います。

相手に伝わるように説明するという指示を出しただけで取り組ませたので、見通しを持てない子どもは手が出ません。一方、できた子どもはすることがないのでダラダラしています。最初に見通しを持たせる活動が必要だったのですが、こうなってからでは仕方がありません。授業者は全体を止めずに「xは何だったかな」とヒントを言いますが、子どもたちには伝わりません。この場合、いったん止めて3問のうち1問だけを全体でやってみればよいのです。「ああ、求められているのはこういうことなんだ」とわかれば、残り2問は手がつくはずです。

全体を止めて答を聞きます。子どもたちは発言者の方を見ません。発言者も教師を見て話します。日ごろ授業者が正解かどうかを判断していることが原因の一つかもしれません。子どもたちから「クッキー16枚分の値段」「クッキー16枚買った場合の値段」という意見が出てきます。授業者はなるほどという受容の言葉を使っていました。「買わなくてもいい」というつぶやきが聞こえてきますが、ここでは無視しました。聞こえていなかったのか、取り上げたくなかったのかよくわかりませんが、子どもにはその理由がわかりません。できれば、「買わなくてもいい」を取り上げて、同じ式でもいくつもの解釈ができることへつなげておきたいところでした。「クッキー16枚買った場合の代金」「16枚分のお金」という答もでてきました。ここで、授業者は「値段」と「代金」の違いを焦点化して、その説明を考えさせます。「16枚分のお金」はおかしいということで消ししてしまいました。子どもたちにどうするかを判断させる必要がありますし、「お金」も取り上げて、どう言えばよかったかと考えさせてもよかったでしょう。「クッキーを16枚買ったときに払うお金」と言い換えれば、「代金」は「払うお金」のことと言葉の定義にもつなげることができたはずです。「値段」と「代金」の違いを説明して、「代金」が正解と板書してあった中から代金を使っていた説明を○で囲みました。答が1つになってしまいました。ここはそれぞれの表現を活かして、「伝わる」説明に直していきたいところでした。
この間も、何人もの子どもが勝手に声を上げます。授業者はその言葉を拾いますが、全体に広げたり、他の子どもたちにつないだりしません。反応する子どもだけで授業が進みます。めあてを読む時に板書を写しつづけた子どもは、参加できないのでただひたすら板書を丁寧に写していました。この子どもには、わかる瞬間がない授業なのです。

この日の主課題は、グループでハンバーガーショップに行くことを想定して、注文をまとめた式をつくり、注文しようとしているものが何かを読み取るものです。授業者は口頭で「1人が食べ物を1つ、飲み物を1つ選ぶ」「チーズバーガーは必ず注文する」「グループ全員のほしいものを1つの式に表わす」という条件を説明します。説明しただけで、自分が何を注文するか考えさせます。子どもたちのテンションは上がります。何を注文するかには思考が必要ないからです。条件がよく理解できていない子どもはちょっと動きが止まります。授業者は子どもが活動している間に条件を板書しました。動きが止まっていた子どもも板書を見ながら何を注文するか決めていました。後から板書をするのなら、紙に拡大したものを最初から黒板に貼って説明すればよかったと思います。
式を小型のホワイトボードに書きますが、ペンを持っている子どもが仕切っています。大体のグループはその子どもともう1人くらいで式をつくって、他の子どもはかかわっていません。グループで行うのであれば、何を買うかを互いに確認した後、各自で式を作らせて互いに聞き合うようにすればよかったと思います。グループによっては、( )をつけるかどうかで意見が分かれています。ただ式を書くという課題なので決め手がありません。結論を出すのは無理です。( )をつけることにこだわる気持ちはわかりますが、話し合ってもかみ合いません。式の読み取りのために、ホワイトボードに書かせなければいけないのであれば、グループ活動の最後に窓側の一番前の人というように、式を書く人を教師が指示してしまえばいいのです。その子どもが困ったらグループの人が助けることにすればだれでも大丈夫なはずです。

各グループのホワイトボードを黒板に貼り、他のグループの人が何を注文しようとしたのかを考えます。手のつかない子どもはつかないままです。先ほどの練習の時に答を聞くことがあっても、答をつくる過程を経験していないから、どうすれば式の意味わかるのかがわからないのです。友だちに聞いてもわからないと思っているのか、やる意欲を失くしているのか、子どもたちはほとんどかかわりません。

挙手で指名して答を聞きます。だらだらと口頭で発表するので聞いてもよくわかりません。式をつくる時に表にするといった工夫をしていたグループもいたので、そういったものをとりあげ、伝わる表現(言葉に限らず)にこだわってもよかったと思います。個人の注文をまとめて( )で括っているグループの式に対して、「かっこいらん」という発言がありました。授業者は「この班はつけたかった」と勝手に答えて先を急ぎました。ここは、そのグループに確認したいところです。意味を読み取ることを考えて、個人がどういう組み合わせで注文したかがわかるように式をつくることもできます。( )にこだわったグループは、そのことを意識したのでしょう。
結局、活動はあったのですが、子どもが考え、わかったという場面のない授業になりました。

検討会は参加者が3つのグループに分かれて検討します。この市では、グループでの検討会がほぼ標準になっています。自分の学校でやっているまとめ方を紹介しながら、グループごとのやり方で検討が始まりました。どのグループも子どもたちの様子をとてもよく見ています。私が気づけなかった個々の子どもたちの様子がたくさん報告されていました。
発表も手慣れたもので、自分たちの考えるポイントや課題がしっかりと整理されています。課題も、授業への批判というよりも、どうしたらいいのだろうかという自分に引き寄せた疑問の形になっています。この地区のレベルが高くなっていることがよくわかりました。
私からは、皆さんの疑問に答える形で一部の子どものつぶやきや発言で進めるのではなく、その言葉を全体の舞台にのせ、共有化すること。挙手しない子どもを参加させるために、まわりと相談させその様子に応じてどんなことを話したかを聞くこと。自分の意見を持てていな子どもを参加させるために、友だちの発言をもう一度言わせたり、納得したかどうかを問いかけたりすることで、聞くことに意味を持たせることなどを話させていただきました。

検討会終了後、自分の学級での課題を質問してくれる方もいました。授業者も含めて、素直で学ぼうとする意欲の高い集団でした。この会の運営担当の先生から、自分の学校に戻ると、参加した先生がこの研修会で話題にした子どもへの対応方法を若い先生に伝えていたと報告がありました。とてもうれしいことです。残り2回の研修が今からとても楽しみです。
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