子どもたちの姿が変化していく

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。ほぼ毎月訪問している学校ですが、短い期間でも子どもたちの姿が変わっていくことが印象的です。

3年生はわかりたい、できるようになりたいという前向きな意識を感じます。しかし、細かく見ていくとその様子は授業によって異なっているのがわかります。
例えば、ある数学の授業では正解が出せた子どもは教師の説明を傍観者然として聞いています。まったく手がでない子どもは、説明を聞いて理解することはあきらめて答を写すことに専念しています。説明を聞くことでわかろうとしている子どもは、写すことよりも聞くことに集中していました。手が出ない子どもやわかろうとしている子どもと、わかっている子どもをつなぐことを意識してほしいと思います。一方、同じ数学でも、全員が説明を聞かずに答を写しているような授業もあります。授業者はほぼ解答をなぞっているだけで、その行間を埋めようとしません。これでは子どもにとって聞く価値はありません。だから子どもたちは答を写すことに専念するのです。この授業に限らず、子どもたちは非常にシビアに状況によって態度を変えています。ここは聞かなければいけないと思うと一気に集中しますが、そうでなければ書くことを優先します。3年生だけではありませんが、答を教える、結論を伝える場面はあっても、子どもたちがわかるようになる場面のない授業が目立ちました。どのような活動を通じて子どもがわかるようになるのか、できるようになるのかを教師が意識できていないのです。例えば、英語のリスニングであれば、一度聞いたあとすぐに答を聞いても、それでは聞き取れるようにはなりません。どのような単語が聞こえたのか、何についての話なのか、子どもたちに聞き取ったことを発表させてからもう一度聞かせれば、そこを足場にして聞きとれるようになっていきます。わかるようになる場面や活動を授業の中に組み込むことを大切にしてほしいと思います。

2年生は、授業に参加することが苦しい子どもが増えてきているように感じました。多くの子どもはちゃんとかかわりあえるのですが、一部の子どもが友だちとかかわれないのです。今までは、各学級に1人か2人でしたが、その数がかなり増えてきているのです。多い学級ではほとんどのグループにそういう子どもがいます。かかわれない子どもは、「どう?」「聞かせてよ」と他の子どもから声をかけられないとなかなかつながることができません。教師が意図的に子ども同士をつなぐような働きかけをする必要があります。どの子どもも参加できる課題やどの子どもも参加しなければ成り立たない活動を意識することも必要です。また、かかわれない子どもは学力的にも厳しいことが常です。その視点からも、先ほど述べた子どもがわかるようになるための活動を授業に組み込むことが求められます。

1年生には大きな変化が見られました。学級としてのまとまりが見られるようになってきたのです。若い先生も指示が全員に徹底されるまでしっかりと見て確認しています。授業規律が確立しつつあります。ただ、指示には従いますが子どもたちの動きはあまり速くありません。一部の遅い子どもを他の子どもが待っている場面が目につきます。待たされる子どもは、これならもっとゆっくり行動すればよいと考えます。待たせた子どもは、待っていてもらえるので、その行動を速くしようとは思いません。叱っても、それ以外の子どもにとっては他人事です。全体を叱れば、自分はきちんとしているのに一部の子どものために叱られたと悪感情を持ちます。教師が意図的に素早い行動を促すような働きかけが必要です。例えば、すぐに指示に従って行動した子どもに対して「○○さん、素早いね」、最後の一人と笑顔で目を合わせてから、「待ってもらえてよかったね」、全体に対して「全員そろったね。みんな待っててくれてありがとう」と、できた子どもをほめ、遅い子どもには友だちが待っていてくれていることを意識させ、次は気をつけようと思わせるようにするといったことが大切です。
また、先生方が子どもたちとの人間関係を意識して発言者の言葉をしっかり受容しようとしていることも感じます。しかし、発言者ばかりに気を取られ、他の子どもたちの様子は見えていません。発言に反応する子どもがいるのですが、気づかないためつなぐことができません。また、発言を受けてすぐに授業者が説明するので、子どもたちは友だちではなく教師の方を見るようになってしまいます。このことにも注意が必要です。

ある先生から、板書するタイミングに悩んでいるという相談を受けました。板書をすると子どもが写そうとして話を聞かなくなるが、板書しないと折角の発言が消えていく。子どもの発言中には板書しないように注意はしているのだが、いつ板書をすればいいのかよくわからないというのです。授業者は発言を聞き終ると板書して次の子どもを指名します。黒板には子どもの意見がただ書かれていくだけでつながっていきません。最終的に授業者がまとめをすることになってしまいます。そうではなく、一つの意見に対して、同じ考えの子どもの意見をつなぎ、深めた上で、「じゃあ今まででた意見をまとめてくれるかな」と子どもの言葉でまとめさせ、必要に応じて板書すればいいのです。同じような考えを重ねて聞くことでよく理解できますし、焦点化されていくことでまとめることもしやすくなるのです。子どもの意見をつなぎ、子どもにまとめさせることができれば、板書のタイミングもはっきりします。しっかりと意見がつながれば、各自でまとめをノートに書くこともできると思います。

この日は数学科の若手5人と勉強会を行いました。遅い時間にもかかわらず勉強しようという意欲を持ってくれることをうれしく思います。教科書や「中学校数学授業のネタ100」(玉置崇編著 明治図書)をもとに各学年のこれから扱う教材について話をしました。
先生方には教科書を読み込むことをお願いしているのですが、当然疑問も出てきます。この学校で使っている教科書は、有理数と無理数に関して、まず無限小数、続いて有限小数を扱った上で、循環小数と非循環小数を使って説明します。なぜわかりやすい有限小数が無限小数の後に扱われるのかずいぶん悩んだがわからなったというのです。何も考えなければそのまま過ぎていくところですが、よいところに気づいてくれました。教科書の記述をよく見ると、割り切れて「しまう」ことがあると書かれています。ここの表現に気づけば教科書の意図は見えてくると思います。有理数は無限(循環)小数になることが一般で、割り切れることが特殊なのです。もっと言うと割り切れること自体にはあまり意味がありません。1/2が割り切れるのは10進表記だからです。1/3だって3進表記であれば有限小数になります。こういった疑問を持つことはとても大切です。若い教師にはまず教科書の記述を理解することから始めてほしいと思います。
また、中学校の3年間をつらぬく、数学的なものの見方・考え方を意識してほしいことを伝えました。例えば、何かを文字で表すならば、その文字に入る値は整数なのか、範囲はどうなのかといった条件を常に問いかけることが大切です。このことは、方程式の解の吟味や、関数の定義域にもつながる考え方です。こういう、すべての分野で共通な視点を意識してほしいのです。

子どもたちの姿も変化しますが、先生も変化していきます。この日も多くの先生方と話をしましたが、皆さん自分の授業をよくしたいと思っています。こういった先生方の姿勢が、子どもの向上的変容を促すのだと思います。次回は1月後に訪問しますが、きっと子どもたちにも先生方にもよい変化が見られることと思います。
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