小学校の理科の授業研究で考える

昨日の日記の続きです。

授業研究は教職2年目の先生の小学校3年生の理科でした。ゴムを使って車を動かし、目標の場所に止めるためにどのように工夫するかが課題です。

子どもたちは教室の前方にグループごとに座っています。教室の後ろには実験の準備が整っています。授業者はこの日の実験の説明をします。「みんなに遊園地に行ってもらいます」という言葉が出ると、子どもたちは「遊園地」という言葉に反応してテンションが上がります。後ろを振り向かせて反対側の壁が車のゴールであることを確認して、前を向かせます。ここで、何人かの子どもが後ろを向いたままです。それでも、授業者は説明を続けました。気になるところです。

スタート地点からコンビニとPAに寄って遊園地に行くという設定です。それぞれ決められた場所にピッタリ車を止めるためには、どのようにすればいいかが課題です。授業者は一連の実験の流れを一気に説明します。子どもたちはこれで活動できるのかちょっと不安です。ここで、子どもから質問が出ます。実験内容について子どもから質問が出ること自体はよいことです。授業者は質問をした子どもに答えます。他の子どもはその間よそ事をしています。自分の問題ではないのです。授業者は質問が全体で取り上げるべきものであれば共有化して、全員に対して説明する必要があります。すでに説明した内容であれば、授業者ではなく聞いていた子どもに説明させるようにします。個人的な質問であれば、その場で答えずに、後で個人的に答えるべきです。このような質問場面が、この授業では何度かありました。子どもたちは、しっかり聞いていなくても、よくわからなくても後で聞けばいいと考えているようです。授業者は、子どもたちへの指示や説明をきちんと整理できていないように感じました。そのため少ししゃべりすぎです。基本的なことですが、指示の説明はできるだけ簡潔に、そして確認することが大切です。

いったん全員で後ろへ移動して、車を使って実演しながら具体的に説明します。子どもの意欲が高まるのを感じます。ここですぐに実験に入るのかと思いきや、また前に戻って説明の続きです。せっかく意欲が高まったのにだれてしまいます。
授業者は課題を、途中のコンビニやPAにうまく止めながら遊園地にいくのに「どのようにすればいか」と提示しました。しかし、この言葉がぶれまくります。「どのように引っぱる」「どのくらい引っぱる」「どれだけ引っぱる」「どのくらいの強さで引っぱる」・・・。場面ごとに言葉が目まぐるしく変わるのです。
子どもたちから出てくる言葉ならいいのです。これらの言葉を整理する過程で、理科として考えさせたい「ゴムの性質」「ゴムを引っぱる量と力の関係」などに気づくことができます。しかし、教師自らが混乱していると、子どもはわけがわからなくなります。言葉の意味の違いを意識しないで使うようになってしまいます。
この授業では、「車を動かすには力を与える必要があること」「力の強さと車の進む距離には関係があること」「ゴムを引っぱる力が強いとたくさん伸びること」「ゴムは戻るときに引っぱった方向と反対の力を出すこと」「強く引っぱれば、車に与える力が強くなること」などを子どもの言葉から引き出していきたいところです。
例えば、「強く引っぱるとたくさん進む」といった言葉が出てくれば、「何が強い」のか問いかけ、力が強いことを明確にします。また、たくさん進むことは、強い力で押したということです。「ゴムをつかわない時は、どうすればよかった?」と問いかけることで。引っぱったのに押された。強い力で引っぱると強い力がでることを明確にします。
こういうやり取りをすることで、思考を整理するのです。

記録の取り方にも疑問がありました。コンビニにうまく止まった時と比べて「少し小さく」「かなり小さく」「すこし大きく」「かなり大きく」引っぱった、の4つに分類し、それぞれに対応した色のシールを、車が進んだ距離に応じて記録シートの目盛りに貼って記録します。スタート地点とコンビニの距離より近いコンビニとPAの間は「小さく」のシールばかりが貼られます。より遠いPAと遊園地の間は「大きく」のシールがばかりが貼られます。子どもは近ければ小さく、遠ければ大きくすることを先験的にわかっているので、同じ色のシールばかりが貼られます。情報としては意味がありません。また、この「小さく」「大きく」引っぱるというのも曖昧な言葉です。わざと曖昧な言葉にしているのであれば、「小さく」とはどういうことか子どもに明確にさせる場面があるはずでが、どうもそのことを意識していなかったようです。

グループで話し合う必然性を持たせるために、全員がコンビニにピッタリ止まってから、次のPAに向かうというルールです。しかし、たまたま1回で上手くいった子どもは、アドバイスするものも持っていません。上手くいった子どもがただ待っているだけというグループもありました。もちろん、どこまで引っぱるか目盛りを見ながら試しているグループもあります。しかし、全体で共有する場面がありません。早く遊園地までたどり着いたグループの中には勝手に遊びだすものもいます。テンションがどんどん上がり、かなりうるさい状態になってしまいました。

授業者は、説明の時には一度も実験という言葉は使いませんでしたが、「実験して」という言葉で開始しました。細かいことですが、こういうことも気になります。実験とはどういうものか定義できているのでしょうか。
この実験のゴールはわかっていますが、実験で何を知りたいのか、何を確認したいのかが明確ではありません。実験には目的があるはずです。実験開始前に、コンビニを基準として、「小さく」引っぱるか、「大きく」引っぱるか予想させますが、先ほど述べたようにその「小さく」「大きく」がどういうことか明確にしていないので、それが何を知ることにつながるのかわかりません。そのため、実験終了後、「どんなことがわかった」という問いに、子どもの鉛筆はなかなか動きませんでした。

ゴムの性質を考えるのであれば、まず「コンビニに全員が100発100中で止まるようにしよう」といった課題に挑戦させればよいと思います。最初はゴムを使わずに手でやらせて、それからゴムを使って挑戦です。100発100中ですから、1度成功したからといってそれで終わりではありません。偶然では次にはうまくいきません。再現性を意識すると、手でやるよりも、ゴムを使った方が上手くいきます。力の強さは可視化しにくいですが、ゴムを使うとその引っぱった長さで可視化できるからです。100発100中にするには、何らかの形で記録することも必要です。そこで、どこまで引っぱったかに注目するようになるはずです。ゴムは同じだけ引っぱれば同じだけの力を出すといったことにも気づくはずです。
ここでいったん実験を止めて、どうやって100発100中にしたか、その結果だけでなく、その過程を問います。ここに科学的な思考があるからです。時間をかければ先ほど述べたような子どもに期待したい言葉がきっと引き出せると思います。これで、充分にこの授業の目的は達成できるはずです。
あとは、法則を見つけることのよさを実感するために、子どもたちが気づいたことから、次のPA、遊園地に行くにはどのくらいまで引っぱればよいか具体的な目盛りの値で予想して実験させます。目盛りを指標として使うことで客観的な記録もとれますし、予想が正しいかどうかも明確に判断できます。もちろん、定量的な関係を扱う必要はありません。ここでは、気づいた法則性を使うことで、より簡単に達成できることを子どもたちが実感してくれればそれでよいと思います。
このような展開であれば、最後の考察(まとめ)で、わかったことをたくさん書いてくれるのではないかと思います。

指導案を見ると、この授業に向けていろいろな先生からアドバイスを受けていると感じました。残念なのは、授業者がその内容を消化しきれていなかったことと、基本的な授業技術がまだ身についていなかったため、子どもたちにきちんと伝えるべきことを伝えられなかったことです。

検討会は、前回と同じく子どもたちの様子がしっかりと報告されました。グループでのかかわり方や、まとめでわかったことを書く時の戸惑っていた様子も詳しく聞かせてもらえました。とても参考になります。ベテランからは私が指摘しようと思ったことがたくさん語られました。これならば、私の助言は必要ないのではと思うほどでした。私からは、理科における課題や活動のあり方とこの日見た他の授業とも共通している、活動のゴールと評価についてお話ししました。

授業者は検討会終了後の私からの個別の指摘をとても素直に受け止めてくれます。この学校の先生方は本当に素直な方が多いのに驚きます。個人の資質の問題なのか、それとも何か学校に秘密があるのか、興味のあるところです。
授業者は経験の少ない、まだまだこれからの先生です。今回の授業と検討会から学んだことを次に活かして大きく伸びてくれることを期待します。
3学期にもう1度訪問する機会をいただいています。この日の3人の先生方がどのような進歩をみせてくれるか、今からとても楽しみです。
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