若い教師の授業でいろいろと考える(長文)

先週末に、小中一貫校の現職教育に参加しました。この日は小学校の若手2名の授業アドバイスと現職教育の授業研究でした。

教職4年目の先生の授業は、4年生の音楽でした。日ごろは特別支援の担当なのですが、通常学級の授業も進んで受け持つようにしているそうです。その姿勢からも前向きさがわかります。
復習でしょうか、最初に笛の合奏をしていました。授業者は立って伴奏をしています。子どもたちを見ようとする意識があります。しかし、残念ながら子どもを見ていない時間もかなりありました。伴奏しながら見ることは技術的に難しい部分もあるのでしょうが、せっかくですからもっと見るようにしたいと思いました。ほとんどの子どもは一生懸命にできているのですが、時々うまく演奏できなくて集中力がなくなる子どももいます。そういった子どもたちに視線を投げかけるだけでも、様子は変わっていくと思います。
演奏終了後に、「OK」と子どもたちを評価しますが、これでは何が評価されたのかわかりません。具体的にどこがよかったのかを伝えることが大切です。また、せっかく子どもたちの演奏の様子を見ているのですから、「○○さん、譜面を見ないで演奏していたね」というように個人をほめることも意識してほしいと思います。友だちがほめられるのを見て、自分も頑張ってみようと思うものです。

この時間は、「飛べ飛べとんび」の最初の時間です。とんびが飛ぶ様子を子どもたちに歌で表現させようという授業者の思いが前面に出ている授業です。とんびはどのように飛ぶかその様子を体で表現するように求めます。しかし、とんびの飛んでいるところを見たことがない子どもは参加できません。友だちの発表を見ても、それをどう受け止め評価していいかわかりません。勉強はあまり得意でないが、サッカーは詳しいといった子どもを活躍させるためにサッカーの知識を問うといった、日ごろ活躍できない子どもを活躍させるねらいがないのであれば、知識を問うことは避けた方がよいでしょう。
とんびが飛ぶ映像を見せて、全員に体で表現させる。CDを聞いてとんびがどのように飛んでいるように感じたかを子どもに言葉や体で表現させ、「みんなの合唱を聞いた人がどんな風に感じてくれるかな」と活動のゴールを意識させる。このようなことを考えてみてほしいと思います。

この場面に限らず、発表した子どもは自分の発表が終わると集中力を失くします。姿勢が大きく崩れる子どももいます。一度発表すれば自分の出番は当分ないことを知っているからです。子どもたちは、発表は先生に聞いてもらうことだと思っています。だから、先生に向かって一生懸命に話します。先生も発表をしっかり聞いてあげなくてはと発表者ばかりを見ます。そうではなく、子どもたちの様子を見て、発表者の意見についてどう思ったか問いかけることが大切です。「同じ意見の人」と挙手させるだけでは、最初に発表できなければもう発表の機会はありません。同じ意見の人にも、「あなたの言葉で言って」と発言の機会を与える。「今の意見聞いて、なるほどと思った人」と挙手をさせて、「どこでなるほどと思った」と聞いている子どもに活躍の機会を与える。こういうことが大切です。子どもたちに、自分の意見がみんなに「伝わったかどうか」「どう伝わったのか」と意識させてほしいのです。一人ひとりの子どもの発言を、まず全員が理解して共有することから始めるのです。

この日の主となる活動は、歌詞からとんびの飛ぶ様子を想像して絵に描き、その後、その絵の様子を表現するためにどのように歌うかを考えさせるものです。
子どもに絵を描かせる指示の場面で、何のために絵を描くのかという目的が明確ではありませんでした。「飛べ飛べとんび」の一連の学習でどのようなことを目指すのかと、そこにいたる過程で、今の活動がどのような位置づけにあるのかを明確にすることが必要です。「聞いている人に、とんびの飛ぶ様子が浮かぶように歌おう」、そのために「どのような様子を伝えたいかを絵にしてみよう」、「絵の情景を伝えるために、どのような歌い方の工夫をするといいか考えよう」といったことを伝えておく必要があります。

発表は、全体で自分の描いた絵の情景を授業者が用意したとんびの絵を切り抜いた紙を使って表現し、その後自分の考えた歌い方の工夫を説明するという順番です。発表を聞いている子どもは、聞く必然性があまりありません。まず、歌い方の工夫を発表させて、その工夫をして歌うとどのような様子が伝わるかを聞いている子どもたちに考えさせる。聞いている子どもを指名して、絵を切り抜いた紙を使って表現させて、発表者に自分の伝えたいことが伝わっているかを確認する。こういう構成を意識しないと、子どもたちは聞くことに積極的にはなれません。
また、譜面に書いてあるクレッシェンドや強弱といった音楽記号と自分たちの考えとを比べてみることも面白いでしょう。自分たちの詞の解釈と作曲者の解釈が同じだなと共感できたり、違うところはどう解釈したのだろうかと考えたりすることができます。鑑賞する力をつけることにもつながります。

全員の考えを発表して集約することは時間的にも難しいですが、グループ等を活用して聞き合うことで、自分の考えを発表する機会をつくることができます。自分たちの合唱をつくることを意識するのであれば、こういった場面も必要になってくると思います。
子どもたちに、表現することを意識させた合唱をさせようとする授業に積極的に挑戦してくれました。そのおかげで私も表現を意識した音楽の授業について多くのことを考えることができました。

教職3年目の先生の授業は、5年生の国語でした。「大造じいさんとガン」の大造じいさんの気持ちの変化を大造じいさんの言葉を抜き出して考える場面でした。
子どもたち全員で音読をさせます。一人が「。」で区切られた1文を読むごとに交代し読んでいきます。いわゆる「。読み」です。ちゃんと文章を目で追っていないと自分の順番が来た時に困ってしまうので、集中を続かせることがねらいです。しかし、5年生くらいになると中には、しばらく順番が来ないことがわかっていれば気を抜いて、近づくとどこを読んでいるかを目で探す子どももいます。注意をするためではありませんが、子どもたちの様子を見ることが必要です。子どもたちの様子を見てどのように対応するかを決めるためです。授業者が教科書に視線を落としている時間が多かったのが気になります。子どもがつかえた時やうまく読めなかった時は先生が助けます。ここは、「まわりの人、助けてあげて」と子ども同士で助け合えるようにしたいところです。最終的には、教師が何も言わなくても子ども同士で自然に助け合えるようになってほしいのです。
ここで、音読をする目的が明確になっていないように思いました。子どもたちは指示されて音読するのですが、何のために、どのようなことに気をつけるといったことが意識されていません。当然、評価も明確ではありません。ただ、指示された通りに活動しているだけなのです。活動の目的や目標、評価が明確でないのは、この学校のどの授業でも共通のように思います。これらのことを子どもたちにわかりやすい形で伝えることがこの学校の課題の1つに思います。

子どもたちの発表の場面は、常に挙手した子どもを指名して進みます。挙手が数人でもすぐに指名します。それを受けて、授業者が説明をします。子どもを指名できないので、挙手が少ない時ほど授業者がしゃべる量が増えていきます。授業者が説明することがわかっているので、子どもたちは真剣に自分で考えることをしなくなってしまいます。指名に頼らず、子どもたちに授業に参加することを求めることが大切です。まわりと相談させる。指名した子どもの発言を、他の子どもに復唱させる。子どもの発言を全員で共有して、そこを足場にして考えることを求める。こういう姿勢を見せなければ、いつまでたっても子どもは自分の考えを積極的に発言しようとはしなくなります。自信がある時、根拠を求められない場合だけ、一生懸命に挙手をして指名してもらおうとするのです。

この日の課題は「大造じいさんの言葉から気持ちの変化を読み取る」です。一番の問題は、なぜ「大造じいさんの言葉」に注目するのか、読み取りにおける根拠がないことです。また、気持ちの変化を読み取ることをなぜ物語では重視するのかを子どもたちが理解している必要もあります。国語の授業で培いたい読解力は、筆者が伝えたいことをその表現から正しく理解する力です。物語では主人公の心の変化を通じて伝えることが一般的ですから、そこを大切にして読み取ろうとします。そのためには、その変化をどのような表現で伝えようとしているかを意識することが求められます。
この場面では「大造じいさんの言葉」ですが、授業者が注目しなさいと与えるのではなく、子どもたちに気づかせることが大切です。どのような表現に注目するかは物語によって違います。子どもたちの中に、その視点をたくさん育てていかなくてはなりません。「○○を読んだときは、△△に注目したね。この物語では、何に注目するといいだろう」「この物語では、何がたくさん出てくるかな。たくさん出てくるというのは作者がこだわっているということだね」「たくさん出てくるけど、どこが同じでどこが違うかな。比べてみようか」というような言葉で、読み取るための視点を整理することが大切です。新しい物語に出会うたびに恣意的に「○○に注目しよう」と教師が指示しても、読解力はつかないのです。

子どもたちがワークシートに作業をしている時に、授業者は書いたものに○をつけます。自信を持って発表させたいのでしょうが、全員に○をつけるわけではありません。逆に言えば○をもらえない子は、自分の考えはダメだと思う可能性もあります。○つけをするのなら、全員に○をつけることが大切です。
大造じいさんの言葉を手がかかりにして、気持ちを発表させますが、どこが根拠となる表現で、その表現からどのよう気持ちがわかるのかがきちんと切り分けられていません。子どもたちは、なんとなく読み取ったことを発表していきます。根拠と読み取りの関係が不明確なので、友だちの意見をもとに考えが深まりません。一人発表しても、それに関係なく自分の意見を言おうとします。発言がつながっていかないのです。
授業者は子どもの発言に対して「なるほど」と受容の言葉を返すことがありますが、これも恣意的です。発言させてすぐ次の子どもを指名する時もあります。教師が説明するきっかけになりそうな発言だけをとりあげ、そうでない発言は軽く扱うのです。もちろん、どの発言も同じように取り上げれば時間がなくなってしまいます。しかし、まずは全員受容して何らかの評価をすることが必要です。取り上げるべき意見は教師がすぐに解説するのではなく、子どもたち自身でその意見をきちんと理解する時間を与える必要があります。その上で、その意見に対する子どもの考えを問いかけながら深めていくのです。常に教師が説明することがわかっていれば、子どもたちは友だちの意見を聞いて考えようとはしなくなるのです。

子どもたちは、教師の指示に従って活動しますが、その活動が何のためか、どのような力をつけようとしているのかよくわかっていません。瞬発力をつけようとしているのか、持久力をつけようとしているのかもわからずに、ただ、走れと言われて走っているようなものです。教師が質問するからそれに答えているだけなのです。この授業に限らず、学習活動を通じてどのような力をつけようとしているのかを子どもたちに意識させるようにしてほしいと思います。

お昼休みに、2人とお話しする時間を少しいただけました。2人ともとても素直で、アドバイスを前向きに受け止めてくれます。きっと大きく成長していくことと思います。
同席していただいた教務主任が、私の説明のいたらないところをフォローして、わかりやすく言い直してくれました。とても力のあることがわかります。一緒に授業を見ていただいたのですが、実によく子どもたちを見ています。ご自身で学級経営に関する著作もあるような方です。その目で見たこと、感じたことを若い先生方にどんどん伝えていただければ、皆さんの成長に大きく役立つことと思います。私がアドバイスする必要などないと思うほどです。今回、この先生にお会いできたことも大きな収穫でした。

授業研究については、明日の日記で。
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