授業研究で学校が進化していることを感じる(長文)

昨日の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語の授業でした。話を楽しんで読むという授業で、だれがどのように現れて、何をしたか、動作化で確認するというものです。
一番に感じたのは教室にあふれる子どもたちの安心感でした。どの子どもも柔らかい表情で、伸び伸びと育っているように思いました。授業者は豊かな、そして柔らかい表情で子どもたちをしっかり見守って育てています。
導入部分で今まで学習したことを確認します。子どもたちは教科書やノートを見ないでしっかりと答えます。本文の内容をしっかり理解していることがよくわかります。「りっちゃんは、大きな こえで いいました」という一文の「大きな こえで」に着目して、大きな声だとどんな気持ちかを問います。子どもたちは「早く食べてほしい」「おいしいですよ」と思い思いに答えます。1年生ということもあり、ここではあまり根拠を追求せずに、作者が表現で伝えようとしていることを読み取ろうとする態度を育てています。どの子どもの発言も授業者しっかり受け止めていました。もちろん、「正解」といった言葉は全く聞かれません。

この日学習する段落を「。」で区切って交代で読ませます。授業者が事細かに指示をしなくても、最初に読む子どもと次に読む子どもが起立します。こういうルールが徹底できているのもよいことです。一人の子どもがうっかりして自分の順番を忘れていました。起立はしたのですが、どこを読んでいいかわかりません。この時授業者はしかったりせずに、しかしここから読みなさいと指示もしないで、優しく見つめています。子どもたちは少人数なので、授業者を中心に扇形に座っています。この日は子どもたちに大きな声を出させたいということで、いつもより教壇から離れて座っていたそうです。少し距離があるのですが、隣の子どもが体を乗り出して教えてくれました。授業者は子ども同士で動けることを信じて待っていたのでしょう。こうしたことの積み重ねが、子どもたちが安心して生活できる学級へとつながります。
ここで、気になるのが音読の目的です。国語の授業では、いろいろな形で音読をさせるのですが、その目的と目標・評価がはっきりしないことが多いのです。読み方ごとに、目標が決まっているのならいいのですが、そうでなければ明確にしておく必要があります。また音読は子どもが自己評価しにくいので、ペアで読ませるといったことも必要になります。評価基準を明確にして、子どもの活動を評価することを常に意識してほしいと思います。
グループで役割を決めて音読した時、最後に一人の子どもだけが読んでいる状態になりました。その時、他のグループの子どもが身を乗り出して、友だちの読む姿を応援する目で見ていました。子ども同士の人間関係のよさも感じました。とてもよい学級経営ができていると感じました。

子どもたちに「アフリカぞうの登場の仕方」「アフリカぞうがいったこと、したこと」をワークシートにまとめさせます。まとめるといっても、ワークシートは穴埋めです。どこに書いてあるかを考えるのではなく、ワークシートに書かれている言葉をキーワードとして本文から探して、見つかった文を「写す」作業になっていました。課題で考えさせたいことと、ワークシートでの作業がずれています。どの言葉に注目すれば見つかるのかとキーワードを考えたり、どの部分が該当するか教科書に線を引いて聞き合ったりする活動が大切だと思います。
子どもたちは作業を頑張るのですが、個人差があります。予定の時間になってもまだできていないので延長しました。単純に急かすのがよいこととは言いませんが、作業であれば早くすることを子どもたちに求めなければ、いつまでたっても素早くできるようになりません。考えることであれば、時間を与えたからと言って解決しません。解決の方法を与えることが大切です。また、時間を延長するのであれば、早く終わった子どもに対する指示をしておかなければだれてしまいます。少人数なので、早くできた子どもへの指示は個別にすることも可能です。そのためか、作業を終わったあとの指示が明確でないことが学校全体で目立ちました。
「とつぜん、キューン、ゴー ゴー、キューと いう おとが して、ひこうきが とまると、アフリカぞうが せかせかと おりて きました」
この一文を取り上げ、動作化をさせます。まず、前半の飛行機の様子から始めます。「キューン、ゴー ゴー、キュー」がどのような様子かを言葉で説明させます。子どもは拙いながらも一生懸命に説明します。授業者は復唱をしながらしっかりと子どもを受容します。子どもは友だちの意見に関係なく、自分の言葉を重ねます。こういう擬音は、感覚的なので自分の言葉で話したいのです。動作化も一緒です。表現したいが先に立ち、表現することが目的となってしまいます。テンションは上がりますが、思考は思ったほどしていないのです。

ここで注意したいのは、この擬音を一連のものとして一括に扱うかどうかです。一つひとつの言葉にこだわることも必要です。「とつぜん」という言葉にも注意を払わなければなりません。
「キューンという音がするのはどんなもの、どんなとき」という発問で、「電車が目の前を通り過ぎる」「早く動く」といった言葉を引き出し、「キューン」では「速い」を表現していることに気づかせる。
「キューンは飛行機が飛んでいる時、地面についた時?」と聞くことで、まだ飛んでいる時だと気づかせる。
動作化の前にこういうことを考えるのです。
同様にして、「ゴー ゴー」とくりかえしているのは、減速に時間がかかっていることを、「キュー」というのは急激に止まっていることを表現していることに気づかせたいところです。
「とつぜん」という言葉とあわせて、すべて急いでいることにつながっていることを押さえることが必要です。
続いてアフリカ象の動作化です。子どもたちが象に持っているイメージは「ゆっくり」です。それに引きずられて「せかせか」の意味が混乱しています。「せかせか」が「ゆっくり」に近いものとしてとらえられています。ここは、いったん象から離れて、「○○がせかせか歩くってどんな様子?」と象以外の物をいくつか例に出して、「せかせか」が表現するものが急いでいる様子だと気づかせます。その上で、象は「ゆっくり」歩くものなのに、「せかせか」と見えたんだという言葉を子どもから引き出したいところです。
国語の授業で動作化をおこなうのは、上手く動作化することが目的ではなく、筆者が表現しようとしていることを理解して、そのように動作化しようとすることが目的です。ここでは、急いでいることがわかるように動作化しようとすればいいのです。そのためには、「みんなにどう見えればいいの?」「急いでいることが見ている人に伝わるようにやろう」「みんな急いでいるように見えた?」といった目標・評価が必要になるのです。

アフリカ象が急いでいた理由を考えさせ、最後に象が油と塩と酢をかけて混ぜる動作を全員でやって時間となりました。
自分の考えを発表する場面で、発表したい人を全員立たせます。この日初めて積極的に発表しようとした女の子は、元気のいい男子3人が立ったので、発表を譲って座ってしまいました。授業者は座った女の子も含めて一緒に発言させました。みんな同じ答です。女の子に「同じだった」と確認します。授業者が聞いてくれたので、女の子は嬉しそうにうなずきました。こういう細かい気づかいができているのはとても素晴らしいことです。
しかし、この一連の活動の中に、最初に発表することに価値がある、同じ意見は言えないという価値観が見て取れます。「同じ意見の人、もう一度言ってくれる」「ちょっと違う言葉で言ってくれたね」「足してくれたね」「どこを足してくれたか、わかる人」というようにつなげば、発表したい子どもが何人もいても困らないのです。譲るといったことも必要ないのです。ちょっと発想を考えていただければと思いました。

最後の動作は、「アフリカぞうは、サラダに あぶらと しおと すを かけると、スプーンを はなで にぎって、力づよく くりん くりんと まぜました」という一文です。
ここでも「くりん」がくりかえされています。この教材は、くりかえし表現が多用されています。そのことを意識させることは、子どもたちに表現にこだわって読む力をつけさせることにつながります。「くりんと まぜました」と「くりん くりんと まぜました」はどう違うかを問うことで、くりかえし表現を意識できます。比較をすることで見えてくることがあります。くりかえすことで作者が表現しようとしていることに気づかせる一つの方法です。

子どもの活動を中心に見ると、授業者と子どもの関係のよさがとても光っている授業です。授業者は動作化をとても見事に子どもに見せます。素晴らしい役者です。子どもをあっという間に惹きつけます。素晴らしい力、芸があるからこそ、それに頼らず発問や授業の組み立て、教科としての知的好奇心で子どもを惹きつけてほしいのです。もしうまくいかなければ、その時は今まで使っていたものを使えばいいのです。あえてそれを封印することで、一段と高いところへ行けるのです。
教科としてどのような力をつけるのか、ついたのか。そのことを強く意識して授業に臨んでいただきたいと思います。

授業検討会では、この授業のよさを先生方がたくさん話してくださいました。なかなか気づきにくい、黒板の横の掲示物に注目してくれる方もいらっしゃいました。そこにはこの単元で出てきた語句の意味が貼ってあったのです。子どもたちが友だちを温かい目で見ていた場面など、子どもたちのよい姿もたくさん見つけてくれました。子どもたちのよい姿を見つけることは、実はそれほど簡単なことではありません。よい姿を具体的にし、その姿を見たいと思って授業をしていない人には、なかなかよいところが見えません。自分が意識していないものは、他人の授業でも見ることができないのです。もちろん授業技術なども同じことです。先生方によいところを見つける目ができてきているということは、一人ひとりの授業のよいところも確実に増えているのです。学校が進化していることの証です。

検討会終了後、授業者と少しお話する時間がありました。
「登場の仕方」という言葉を使っていることについて少しお話をしました。小学校1年生には「登場」「仕方」は難しい言葉です。教科書では、「出て きましたか」「どんなことを したか」といった表現を使っています。この言葉を使ったことがいけないわけではありません。私はこういう言葉はどんどん使うべきだと思っています。ただし、教師が無自覚で使ってはいけません。子どもに正しく意味を理解させて上で、生きた場面で使えば子どもの語彙力が増えます。しかし、何も考えずに使ってしまえば、子どもは混乱してしまうかもしれません。また、一度説明して終わりではなく、機会があるごとにどういう意味か子どもに問い直すことも必要です。そのようなことをお伝えしました。
子どもたちとの関係はとてもよく、授業規律もしっかりしています。土台ができているので、その上にどのようなものを建てるのかとても楽しみです。2月に訪問する時の学級の様子が今から楽しみです。

いつものように、いやいつも以上に多くのことが学べた1日でした。先生方と子どもたちに感謝です。
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