子どもの姿から学校の課題を考える

昨日は中学校で授業参観と英語科の授業研究に参加してきました。

夏休み明けということで、子どもたちの夏休みボケが気になるところですが、どの教室も子どもたちは落ち着いて授業に参加していました。
3年生は受験生という自覚があるのでしょう。苦手な子どもからも何とかついていこうという気持ちが伝わってきます。しかし、残念ながら何人かの子どもはその気持ちが折れかかっているように見えました。また、授業によっては子どもたちが教師の説明をあまり聞いていない場面がありました。やる気がないのではありません。むしろやる気があるのです。友だち同士で聞き合っていて、教師の説明よりもそちらを優先しているのです。このことをどう評価するか難しいところです。

2年生も全体的によい状態だと感じたのですが、授業中に完全に寝ている(倒れている)状態の子どもがいる教室が目につきました。まわりの子どもはその子どもを無視しています。寝ている子どもが本当に疲れているので、そっとしておこうというのならまだよいのですが、ちょっと気になる状況です。別の教室では、寝ている子どもを教師がちょっと厳しい表情で起こしました。しかし、起こされた子どもは少し反発をします。外部から軽々しく言ってはいけないことですが、授業が楽しくないから寝ているんだと態度で伝えようとしているように感じました。

1年生も教室は落ち着いているのですが、授業によって子どものやる気が大きく違います。このことも問題ですが、子どもたちが集中している授業で気になる場面を何度も目にしました。全員が集中している中、手のつかない子どもがいるのです。鉛筆を持って取り組もうとするのですが、すぐに止まってしまいます。教師の説明が始まると聞く姿勢を見せるのですが、途中で顔が下がってしまいます。似たような子どもを教室に1人か2人見かけます。1年生でも子ども同士聞き合う姿はよく見られますが、このような子どもは友だちに聞くこともできません。わかりたいという気持ちがあるのですが、自分一人ではどうにもできない状態のようです。一人で苦しんでいるように見えました。学びから脱落するかどうかの危ういところにいます。
また、ちょっと残念な場面に出合いました。教師が説明した後、「わかった、できた人」に挙手を求めました。勢いよく手を挙げる子どもいます。ほとんどの子どもの手が挙がりました。授業者は彼らをほめ、「90%の人ができている。素晴らしい学級だ。自分たちで自分をほめてあげましょう」と拍手をさせました。残りの10%の子どもはどんな気持ちだったのでしょうか。わからない、できない子どもが孤立感を深めていきます。
TTの授業で、気になることがありました。T2が監視者になっているのです。T1が説明している時に、自分で解いている子どもや友だちに教えている子どもがいました。その子どもに対して強制的に話を聞くように指導します。そのこと自体は間違ったことではないのですが、自分たちでやろうとしている子どもの意欲を認めることなく、問答無用という感じで注意をします。別の教室では、T1の説明中に姿勢の悪い子どもがいました。T2は手でその子どもの姿勢を正しました。T2がその場を離れた後、子どもは机に突っ伏しました。言葉にならない反抗です。しかし、T1と子どもたちは楽しい雰囲気で授業をしています。友だちの楽しそうな声を聞いて、すぐによい姿勢になり、笑顔で授業に参加してくれました。その子どもの表情に救われた気がしました。TTだからこそ、T2には子どもたちに寄りそう姿勢を大切にしてほしいと思いました

この日の学校の様子から、課題が明確になってきているように感じました。
全体として子どもたちは教師と良好な関係を築いています。子どもを受容する姿勢で接する教師が多いからです。多くの子どもは友だちと自然に聞き合うことができます。友だちと相談する、聞き合う場面を組み込んでいる授業が多いからです。この状況であれば、先生方は授業を進めるのに苦労はしません。危機感がないため、授業をもっとよくしようという、授業に対する向上心が全体的に下がっているのです。
また、授業者によって見せる子どもたちの姿は異なります。どのような子どもの姿を目指すのかが、教師間で共有されていないからです。共有されていなくても、取り敢えず授業が成り立つので、特に困らないのです。そのため、子どもは授業者によって態度を変えていきます。教師に対応するのです。この違いは学年が上がるにつれて薄れていきます。学年が上がるにつれて、友だちと学ぶことを覚えていき、教師に頼る部分が相対的に減っているからのように感じます。しかし、今後もそうなるという保証はありません。子ども同士のかかわり合いを大切にする教師の割合が減っていけば、逆の方向に揃っていくからです。
そして、一番気なることが、「わかった」からスタートしている授業が多いことです。できた子ども、わかった子どもの気づきから、授業が進んでいくのです。困っている子ども参加できる仕組み、わからない子どもがわかるようになる過程が授業から抜け落ちているのです。「子どもの困った感に寄り添う」「わからないからスタートする」がいつの間にか学校の中から薄れています。子ども同士で聞き合う姿がどの教室でも見られるので安心しているのかもしれません。しかし、わからないのに友だち聞けない、友だちとかかわれない子どもがどの教室にもいるのです。この子どもたちに目を向けてほしいのです。

教務主任や研修担当の先生もこのことは感じていたようです。今後どのように対応していくか真剣に考えていただけそうです。この学校が今後どのように進化していくか、その過程を共有できることをとても幸せに感じます。次回以降の訪問が楽しみです。

英語の授業研究については、次回の日記で。
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