質の高い子ども役を通じて大いに学ぶ(長文)

昨日は市主催の授業力向上研修会の講師を務めました。今回は11月におこなう研修での授業を、模擬授業を通じて参加者全員で検討しようというものです。

まず授業者に簡単にこの授業について説明してもらいました。小学校5年生の算数、平行四辺形の面積の求め方を考える時間で、次の時間に平行四辺形の面積の公式につなげるためのものです。そこでは、目指す子どもたちの姿が語られませんでした。そこで、私が確認したところ、「いきいきと発表し、伝えようとする姿が見たい」ということでした。この言葉が少し気になります。聞く側の姿が語られていないこと、「いきいき」という曖昧な言葉が使われていることです。また、そのための要素は何かを意識しているかどうかもちょっと聞いてみたいところでしたが、模擬授業の中で明らかにしていけばよいと考え、「いきいき」という言葉に絞って、参加者に「いきいきしているかどうかは具体的にどういう姿でわかるか」と問いかけました。挙手の様子などがあがってきます。子ども役には、「いきいき」を意識してもらうことをお願いしました。この他に、前提条件として伝えておくことはないか訪ねましたが、特にはありませんでした。この時点でこの日の模擬授業は難航しそうだと予測できます。この授業までに子どもたちはどのようなことを学習して、授業者は何をポイントとして押さえてきているかを説明しないと子ども役は反応できないからです。逆に言えば、授業者は授業において、前時までの学習が本時にどれだけの意味を持つか、布石を打っておくことがどれだけ大切かを意識できていないからです。そこで、教科内容に関係のない指摘をしないで済むようにと、以前の模擬授業であった、黒板を見ていて子どもの様子を見ていなかった例などを少し話しておきました。

黒板に向かってめあてを書きだしまた。子ども役は戸惑います。「ノートに書いていいですか」と質問してくれました。授業者に確認したところ、板書は写すことになっているということです。授業者は子どもが板書を写すタイミングをコントロールすることを意識していないようでした。このことも少し詳しく話したかったのですが、先に進めることを優先しました。「ちゃんとノートに書いていますね」と子どものよい行動をほめていますが、最初だけです。全員がきちんと書き終っているかは確認していません。授業者は板書を見ながらめあてを全体で読ませます。当然死角ができるのですが、その死角でまだ板書を写している子ども役がいました。事前に注意はしておいたのですが、残念なことになりました。逆に子ども役は私の説明を意識して、わざとゆっくり書いていてくれたのです。指示はきちんと全員ができるのを確認することが基本です。子ども役の質が高いとこういったことがきちんと浮き彫りになっていきます。

前の時間何をやったか問いかけます。当然子ども役は反応できません。事前にきちんと伝えていないからです。そこで、いったん授業を止めて説明をしてもらいましたが、短くシャープに伝えられません。この1時間の授業のことだけを考えていて、単元全体の流れをきちんと考えていないからです。一般の四角形を2つの三角形に分けて面積を考えたことを強調します。しかし、実際には長さを測って面積を計算したりしてはずです。この時間では、長さを測ることはしません。この時間の授業の展開のことが頭にあるために、そこに直結することだけを強調したのです。
再び「どんな四角形の面積を求めたか」と問いかけます。やはり子ども役は反応できません。一般の四角形をどう称していいかわからないからです。子ども役のレベルの高さがうかがえます。子どもの気持ちになって考えているからです。「何をやった?」と聞いて、前時のいろいろな活動を思い出させるといった方法を検討する必要があります。発問は模擬授業の終了後の課題と考え、ここは先に進めました。

「平行四辺形の面積の求め方予想しよう」と発問します。授業者は、2つの三角形に分けるという答を期待していたのでしょう。しかし前時の流れから言えば、これは予想ではなく立派な解答です。子どもにとっては戸惑う発問です。子どもに考える時間を与えた後、一人を指名しました。「斜めの線と横の線をかける」という答が出ました。子ども役はよくわからないという顔をします。授業者は予想していない答に狼狽しています。「わかる人いる」と子どもに助けを求めます。一人の子ども役がわかりやすく説明してくれます。それを受けて、もう一人指名して、前の図で示させようとしました。授業者はどう対応していいかわからないまま進めています。ここで、いったん止めました。実際の授業でなくてよかったです。簡単に対応の方法を示しました。まず、正しくないことでも、何を言っているか全員にきちんと理解させる必要があります。最初の発言を本人に繰り返させるか、前に出て図で説明させます。その上で、「なるほど、いい予想をしてくれたね。この予想が正しいかどうか、このあとみんなで考えていこうね」とすれば、この時間の最後か次の時間に正しい答が出た段階で本人に訂正させればすみます。時間をかける必要はないのです。
助けてくれた子ども役に、よく言っていることがわかりましたねと確認したところ、こういう答えが出るだろうと予想していたようです。子ども役をやりながら、教師の視点に立っていたようです。しかし、この答は予想できるものだったということです。授業者が教師の視点で授業を組み立てていたことがよくわかります。

この場面もとばして、本題の平行四辺形の面積の求め方をいろいろ考える場面に入ります。いろいろ考えるようにと指示をして、個別作業に入ったのですが、一人の子ども役から質問が出ました。「前の時間に四角形の面積の求め方をやっているのに、平行四辺形の面積の求め方を考える意味がわかりません」。全くその通りです。前時ですでに解決しているはずのことをなぜ問うのかその必然性がこの時間のポイントなのです。この言葉が子ども役から出た時点で、模擬授業は終わることに決めました。模擬授業終了後に、子ども役にどのように授業者の発問受け止めたかを聞いて、どのようにすればいいかをグループで話し合ってもらおうと思っていたのですが、子ども役からこのような言葉が出た時点で、授業者は立て直すことができないと判断したからです。今回の子ども役はとても優秀です。この授業の課題を見事にあぶりだしてくれました。

ここで休憩にして、授業者も含めて各グループでこの授業の主発問はどう設定すればいいか話し合ってもらいました。参加者の中からでてきた皆さんにとって必然性のある課題だったのでしょう。休息時間中からもうすでに話し合いが始まっています。私の出番はありません。頭を寄せ合って真剣に考えてくれていました。
いつまでも話し合いが続きそうでしたが、30分ほどで区切りをつけました。
各グループでどのようなことを話したかを聞きました。どのグループも非常によい話し合いをしています。まず子どもにいろいろな方法を考えさせた上で、「簡単」をキーワードにして整理する。グループでどれがいいか考える。子どもの考えを広げた上でどう収束させるのかを意識しているグループが多いようでした。たくさん見つけることを課題にすれば小学生ならいろいろな考えを出してくれる。けれど、それを整理していくのが難しいという経験を持っているのでしょう。皆さんが話したことは、どれも納得のできることです。どれが正解というわけではありません。子どもたちのそれまでの経験によってもよりよい発問は変わってくると思います。参加者は子どもの視点で課題を受け止め、それをもとに課題のあり方をしっかりと考えてくれました。それだけで、今回の研修は意味のあるものになったと思います。私としては大満足でした。

私からは、子どもが算数の時間に共通して持つべき価値観を日ごろから意識して授業をすることの大切さを話しました。「他のやり方はないか」「もっと簡単な方法はないか」「いつも使えるのか」「どんな場合でも大丈夫か」「どんな条件の時に使えるのか」・・・。こういう算数・数学的な価値をいつも問うことをしてほしいのです。
どんな四角形でも、三角形に分ければ面積を求めることができます。一般的な求め方です。しかし、いくつもの長さを測ることが必要で面倒です。一方、特別な形である長方形の面積は、わざわざ三角形に分けなくても簡単に求められます。この2つのことから、じゃあ平行四辺形はどうなんだろうといった問いかけを考えても面白いかもしれません。参考にしてもらえばと思います。

質問の時間をとったところ、1年生を担任している方から、「算数で共通した価値観を持たせることの重要性はわかったが、では1年生の算数ではどのようなことを大切にすればよいのか」という質問をいただきました。とてもよい質問です。
問題の解き方を教えるスタンスではなく、具象と半具象(半抽象)、抽象を行き来することを大切にしてほしいと話しました。計算は抽象です。それを現実の問題と結びつけるのが、ブロックや図です。問題が示す事象は、ブロックのどのような操作と同じだろうか。その操作が表す演算は何だろう。そういう過程を大事にしてほしいのです。ですから、教科書には絵に描かれたものを元に、問題文をつくるという課題があります。言語を媒介にして具象と抽象をつなぐ課題です。問題文に書かれたものはどのような具象を表わしているのか、その逆にある具象はどのように言語表現されるのか。こういうことを考えようとする姿勢を身につけさせてほしいことを伝えました。算数・数学では、式も線分図も、図やグラフも表もすべてが思考を整理し伝えるための言語です。このことを大切にしてほしいのです。

授業者は、今回の研修でどのようなことを学んだのでしょうか。最後にこの授業をどうしたいか聞いてみました。「教師の視点で考えていたが、子どもの視点で考えることの大切さがわかった。・・・」といった抽象的、一般的な言葉がたくさん語られました。具体的なものは出てきません。これは、授業者自身がまだ整理できていないということです。端的な言葉で語れないとはそういうことなのです。厳しいですが、そのことを指摘しました。本番の授業がどのようになるか、参加者も私もとても楽しみです。

実は、彼を指導していた教務主任と学年の違う同僚2人がこの研修を見学していました。この3人は実によく反応してくれていました。最初から研修に特別参加してもらえばよかったと反省です。次回には、この学校の先生方で1グループつくってもらえればと思いました。
彼らと授業に関してお話をしたのですが、とてもよい話を聞かせてくれました。こういったよい同僚に恵まれているので、彼らに相談することで授業はきっとよい方向に変わっていくと思います。

研修終了後に研修担当の先生と授業者、教務主任を交えて雑談をさせていただきました。非常に勉強熱心で、前向きな教務主任でした。授業者はまだ飽和状態で学んだことを整理できていない状態でしたが、この教務主任ならしっかり支えて(鍛えて?)くれることと思います。これを機会に授業者が大きくに成長してくることを楽しみにしています。
参加者の質の高い子ども役を通じて多くのことが学べた研修でした。次回の研修も、大いに期待が持てます。いつもながら、私自身が多くのことを学べる研修です。このような機会をいただけることに感謝です。
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