「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その2)

昨日の日記の続きです。

2つ目の模擬授業は、伊勢市立御園中学校の南和美先生の国語でした。3年生の随筆をもとにした、発展的な学習です。
授業者は明るく元気で、子どもたちはきっとこの先生が大好きだろうなと思いました。「ありがとう」という言葉がごく自然に出ます。授業の中で「ありがとう」という言葉が出る先生の学級は、温かい空気にあふれているのが常です。この授業がどのようなものになるのか期待でワクワクします。
筆者が「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」と述べているのに対して、子どもたちから「言葉で表現できる」という意見が出てきたことを受けて考えられた授業でした。
4枚の空の写真をスクリーンに提示します。「朝焼け?」と「夕焼け?」、2種類の「雲」です。この構成から、「子どもに書かせたものを元にどの写真を表現したものかわかるか」と問う流れが見えてきます。

まず4枚の写真のうちどれが好きかを問います。誰でも答えやすい問いで全員を参加させます。挙手で確認した後、指名してその理由を問いました。好きか嫌いかは他者を納得させるような明確な根拠を必要としないので、答えやすいものに思えます。しかし、あらためて聞かれると答えられないこともあるのです。うまく説明できない子ども役に「なぜ?」と迫りました。国語の授業で根拠を求めることは大切なことですが、好きな理由を言うことが国語として大きな意味を持つ場面ではありません。「なんとなくかな?」と軽く問い返して、子どもがうなずけば次に進めばいいでしょう。また、「なぜ?」という問いかけは、一番答えにくいものです。「どこが好き」といった答えやすい聞き方をすれば、言葉が出たかもしれません。
続いて4枚のうちの1枚が「夕焼けか朝焼けか」と問いかけます。授業者は伝えるための表現を意識して発したのでしょうが、この日の課題が明確になっていない段階では子どもにとっては考える必然性がわからない問いです。また、その理由を考えさせても根拠を持った議論ができるようには思えません(一般的に夕焼けの方が広い範囲が赤くなるようですが・・・)。国語の授業は論理的でなければなりません。そのため理由を問うことはとても大切ですが、根拠を持って明確に議論できることが前提です。また、根拠となる知識が必要であればまずそれを全員で共有する必要があります。このことを意識してほしいと思いました。

スクリーンに作業の手順を映して指示をしました。一連の動きがとてもなめらかです。日ごろからICT機器を使い慣れていることがよくわかります。いくつかのステップに分かれている指示は、このように全体がわかるようにしておいて、一つひとつ説明すると徹底しやすいと思います。中心となる課題は、「選んだ写真のイメージが伝わるように書く」です。この指示が実は曖昧なのです。イメージが伝わるとは、具体的に読み手がどうなればいいのでしょうか。ゴールが不明確なのです。写真を見て自分が感じたイメージが伝わればいいのでしょうか。それとも写真がどのようなものか、そのイメージが伝わればいいのでしょうか。ある子ども役は、情景描写にこだわり、ある子ども役は写真には写っていない情景を想像して書いていました。同じ土俵で評価ができなくなる可能性があります。

作業に入った時点でスクリーンの表示を再び、4枚の写真に戻しました。作業に入っても指示を確認したい場合があります。子ども役は手元に写真を持っていたので、写真に切りかえる必要はなかったでしょう。もし写真を配らずに再度表示する必要があるのなら、従来のように紙に書いて黒板に貼るか、指示が終わったあと、印刷したものを配った方よいでしょう。ICT機器を使うよさの一つが、瞬時に映したり消したりできることです。だからこそ、どのタイミングで写すのか消すのか、今、映す必要があるのかないのかを判断することが大切です。ずっと映している必要があるものならば、かえって紙に書いて貼っておく方がよい場合もあるのです。

付箋紙に文章を書かせ、隣同士で交換して読み合います。この時、素敵な表現だなと思ったところに線を引くように指示します。最初の指示の「イメージが伝わる」に対して評価は「素敵」です。指示に対して評価がずれています。「素敵」というのは「いい」と違って主観的なものです。こういう「Iメッセージ」を送ることは人間関係をつくるのにとてもよいことです。相手は自分が認められたと感じます。このことを授業者はよく知っているのでしょう。だからこそ、ここでは使ってはいけないのです。客観的に議論できないからです。ここが素敵だという意見に対して、それ以上深く話し合うことはできません。疑問をはさむこともできません。個人の気持ちに対して何も議論できないからです。国語の授業では自分の感想を言って終わることが多くあります。読書ならばそれでいいのですが、国語は正しく読み取ることが求められます。客観的に議論することを常に求めてほしいのです。
何人かのものを実物投影機で拡大して見せます。付箋紙のように小さいものに書いても、拡大すれば全員で共有できます。また、何枚も貼って比較することもできます。ちょっとしたアイデアですが、ICTのよさをよくわかっていると感心しました。
ここで、もし「素敵」にこだわるのであれば、「ペアの人の書いたのをぜひ紹介したい人?」として、発表させるとよかったでしょう。こうすることで、よい人間関係がつくられます。

「たなびく」という言葉に注目して、2年生で学習した「枕草子」を想起させました。ここで「覚えている人」と問いかけました。覚えている人に発表させてもいいのですが、それを聞いても全員がきちんと復習できるわけではありません。今回は環境的に難しいでしょうが、デジタル教科書があれば、「どこで出会った?」と出典を確認して、すぐに表示をすることができます。全員で読むことで復習することも可能です。

実際の授業では、他の学級の子どもの書いたものを見せて、どの写真を表現したものか考えさせることをしたようです。表現の評価としてとてもよいのですが、このような評価をすることは活動前に伝えてはいません(実際の授業では違っていたのかもしれませんが・・・)。子どもは毎回指示に従って活動しているだけで、どこに向かっているのかが明確でありません。ミステリーツアーになっています。
では、どうすればよかったのでしょうか。
最後にどの写真を表現したものか考えさせるのであれば、視点によって2つの流れがあると思います。一つは資料的に比較してみるという視点です。予め何枚かの写真を与えておいて、「どの写真を表現したものか伝わるような文章を書く」という課題です。他の写真と比較しながら書くことが、目標達成の近道です。
もう一つが、素晴らしさを表現するという視点です。たとえば朝焼けに絞って、いくつかの写真を準備します。一人に1枚ずつ写真を配ります。他にどのような写真があるかは知らせません。「与えられた写真の情景の素晴らしさを伝える文章を書く」というのが課題です。その上で、それぞれの文章がどの写真を表現しているのか互いに読み取るのです。通り一遍の表現では、他の写真との違いを際立たせることができません。表現の難しさを知ることができると思います。
いずれにしても、「どこでわかったか」を問うことで、表現を価値づけすることができます。ゴールが明確な言語活動になると思います。
それに対して、「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」という随筆の内容を意識すると、「君たちの言葉は写真の表現力に勝てるか」という課題もあるでしょう(自然相手は教室では難しいので)。写真に対して、その表わす情景を言葉で表現してより感動を与えられるかを問うのです。詩などに近い表現活動となります。客観的な評価は難しいかもしれませんが、自分たちの「言葉の貧しさ」を知ったり、友だちの「豊かな表現」に出会ったりすることができると思います。
授業者のねらいは、また別のところにあったのかもしれませんが、このようなことを考えました。

言語表現と視覚を結びつけるというアイデアは古くからあるものです。以前は写真一つ見つけるのも大変でした。意を決して取り組まなければなかなか越えられない壁があったのも事実です。しかし、今はインターネットを活用することで簡単に素材が手に入ります。授業者はインターネット上で著作権の心配のないものを見つけてきたようです。ICTという羽で今まで越えることのできなかった壁を軽々と飛び越えています。
懐かしいような、それでいて新鮮な授業に出会うことができました。

今回のツッコミ役は、松阪市立殿町中学校森喜世子先生です。
前セクションとはまた違ったアプローチです。ツッコミ役というよりも、引き出し役という感じでした。南先生の授業のよさや日ごろのICT活用の様子をよくご存じなのでしょう。そのよさを価値づけたり、引き出したりする言葉や質問がたくさん出てきます。
関連資料、情景や背景を素早く見せる。子どもの発表の道具として使う。南先生がチョークや黒板のように自然にICT活用していることとそのよさが伝わるものでした。

この続きは、また明日の日記で。
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