教師と子どもの関係がよくなった次の課題を考える

先日、市の算数数学研究会で指導させていただいたのですが、たまたま会場が5年間かかわらせていただいている中学校でしたので、早目に訪問して学校のようすを久しぶりに見せていただくことにしました。

教師と子どもの関係は初めて訪問したころと比べて格段によくなっています。先生方は子どもたちをしっかり受容しています。否定的な言葉は耳にしません。ほめる場面もたくさん見ることができました。
人間関係がよいので、子どもの中には先生とかかわりたいと思う子どもがたくさんいます。しかし、授業の中での問いになかなか挙手して答えられない子どももいます。おそらくそのような子どもが、先生に声をかけたり、つぶやいたりします。先生は子どものつぶやきもしっかり拾おうとしますが、その子とそのまわりの子どもたちだけとの会話になっている場面をよく目にしました。プライベートな状態になっているせいか、子どもの言葉づかいもちょっとフランクになりすぎているように感じました。全体の中で活かせるような発言であれば、「いいこと言ってくれたね。みんなに伝えてよ」「みんな、○○さんがいいこと言ってくれたから聞こう」と全体の問題として共有し、全員で考えればいいのです。この時、言葉づかいが悪ければ、「みんなに話すのだから、言い方を考えて」と野口芳宏先生の言うところの公的話法を意識させます。もし、全体で取り上げるようなことでなければ、「あとでね」と軽くうなずいて次に進む。授業に関係ないことであれば、話は聞いたよとうなずいて、手で軽く制止するような身振りをして、今はそのようなことを言うときではないこと伝えます。
授業中に一部の子どもとプライベートな状態をつくらないようにすることが大切です。

友だちの発言の時に子どもの視線がなかなか発言者に集まらない授業をいくつか目にしました。教師を見ているのです。子どもの発言を教師がしっかり受け止めるのですが、それに続いてすぐにその内容の説明を始めるので、子どもたちは友だちの発言を聞く必要がないのです。同じ考えの人をつなぐ場面もあるのですが、教師がいちいち子どもの発言内容をまとめたり、説明したりしているので、やはり友だちの発言をしっかり聞こうとはしません。また、結局教師がまとめるので、自分で考える必要性をあまり感じていません。
また、教師の説明を聞くのですが、板書が始まると今度は板書を写すことに専念します。子どもの価値基準が、友だちの説明より教師の説明、教師の説明よりも板書になっているのです。子どもの発言を教師がまとめたり説明したりせずに、直接他の子どもにつなぐ。「今まで出た考えを誰かまとめてくれるかな」と子どもにまとめさせてから、その内容を板書する。こういう工夫が必要になります

わかる子ども、発言する子どもだけで授業が進んでいくことも気になりました。挙手が少なくてもすぐに指名します。何人かの子どもが積極的に発言すると、子どもの発言で授業が進んでいるように感じますが、実は多くの子どもは傍観者になっているのです。
個人での作業終了後、発言を求めたら数人しか挙手しない場面がありました。そこで授業者は、「言える人」と再度問いかけたとこと、少し挙手が増えました。今度は、「書いた人」と問いかけたところ、ほとんどの子どもの手が挙がりました。そこで、書いてあるから発表できるねと「書いた人」を指名しました。面白い方法です。もちろん指名された子どもはちゃんと発表しますし、教師はしっかりと受け止めます。答を書いているのに、「書いた人」はなぜ「言える人」にならなかったのでしょうか。教師と子どもの関係がいいのに「言える人」にならなかったのはどういうことでしょうか。
一つは先ほども書いたように、あえて自分が発表しなくても困らない、発表する必要性を感じないからです。もう一つは子ども同士の関係がまだできていないからのように思いました。このように言うと、この学校の先生方は子どもたちの関係はいいはずだと思われるかもしれません。確かに子ども同士の関係は悪くないように見えます。しかし、その関係はどうも授業以外の場でつくられているように感じるのです。授業でお互いの発言を認めあう。友だちの考えを聞いて納得する。そういう授業中のかかわり合いでの人間関係ができていないのです。発表することが友だちに認めてもらえることにつながらないので、あえて発表したいと思わないのです。
わからない子ども、挙手しない子どもが参加する工夫が授業に求められます。先ほどの「書いた人」を指名するのもそうですが、「同じ考えの人」とつないだり、説明を聞いて「なるほどと思った人」にどこでわかったか発表してもらったりするのです。また、わからなかったことが発言することでわかるようになる経験を積ませることも必要です。「困ったことない」「どんなこと考えた」「同じところで困っている人いない」と子どものつまずきを全体で共有し、「みんなで解決しよう」と子ども同士が説明し合うことでわかっていく。こういう場面をつくることが大切です。

3年生は3年間の学校生活で教師との人間関係がよくできていると感じました。そのため、最初に書いたプライベートな場面も多く見られるように感じました。先生とかかわりたい子どもをいかにして授業に直接関係することで、友だちとかかわるようにするかが課題です。ちょっとしたことでも、教師が答えずに「みんなに聞いてごらん」と友だちにつなぎ、他の子どもに答えさせる。「聞けてよかった」と子どもが感じる場面をつくり、友だちと授業でかかわるよさを感じさせることが大切です。

1年生は子どもの表情がよいことが印象に残っています。笑顔をたくさん見ることができました。学年として意識して取り組んでいることがきっとあるのだと思います。自分たちの目指す子どもの姿が共有されているように感じました。

逆に2年生は、どのような子どもの姿を目指しているかがよくわかりませんでした。子どもの姿がバラバラな場面が目につきました。子どもが教師の方を見ていなくても気にせずにしゃべっています。ところが、教師の話が核心に近づくと集中度が上がります。しかしこれは教師がコントロールしているのではないのです。子どもが自分たちで判断しています。これはこれでよいように思えますが、そうではありません。教師が意図的につくっている状態ではないからです。教師がどこまで許すかといったラインを明確にして、子どもがそのラインの中で判断するのではなく、子どもが自分たちでそのラインをコントロールしているのです。教師が注意しようかなと思う手前、まあこのぐらいならいいかなと許すところを探って行動しているのです。ですから、そのラインは学級によっても、授業者によっても変わっていきます。教師が指示したり、注意したりすればその場は従いますが、すぐに緩みます。教師に明確な目指す姿がないので、なんとなく「問題ないか」で過ぎてしまっているのです。ちょっと危険な状態のように思いました。

面白い場面がいくつかありました。
道徳の授業で、ワークシートに書き終わった子どもがじっと作業時間が終わるのを待っています。することがないのですが、ごそごそしたりはしません。しかし、かえって気になります。授業者が口を開きました。やっと次に進むのかと思いきや、まだできていない人がいるからと、3分延長しました。これはきついと思いました。どうなるのかと思って見ていましたが、状況は変わりません。よく我慢しています。ところが、作業終了後次のグループでの活動に移った途端、先ほどと一変して、机に肘をつい体が傾きます。先ほどのよい姿はどこへ行ったのでしょう。みると、そのような子どもがたくさんいます。今まで我慢していた反動が出たのでしょう。私の想像ですが、作業が終わったあと緊張を緩めてごそごそすると授業者は注意するのだと思います。一方グループ活動での態度にはあまり頓着しないのでしょう。そのことを子どもは知っているので、このようなことになったのだと思います。できる子どもが無用な緊張や我慢を強いられています。このようことが続くと、どちらかと言えばできる子どもたちが反発する可能性があります。ちょっと心配です。

初任者の音楽の授業です。廊下から見た授業の様子が何か不自然でした。授業者の視線があまり動かないのに、子どもたちの集中度が高いのです。教室に入ってその理由がわかりました。教務主任がT2としてついていたのです。教務主任は授業者と子どもたちを優しく見ています。そのおかげで子どもたちは集中しているのです。聞くと教務主任はこの初任者の授業にほとんどT2としてついているようです。音楽の教師ではありませんが吹奏楽の指導もできる方です。T2としては申し分ありません。しかし、初任者を育てるためにこれだけのエネルギーを注がなければいけないのかとも思いました。難しいところです。
初任者は子どもたちが集中して授業が成り立っているのが、教務主任のおかげだと認識できているのでしょうか。そもそも子どもたちの状況を判断できているのでしょうか。笛を吹く準備が全員できていないのに始めてしまったりする場面が何度もありました。指の使い方を子どもがやってみても、自分が前で見せるだけでは全員ちゃんとできているか不安なはずです。隣同士で確認するなどの活動が必要です。しかし、そんなことは感じないのか、すぐに次に進みます。指使いをやったのですから次は吹いてみるはずだと思いきや、指使いに関する用語の説明を始め、ノートに書かせます。その後で、確認もなく先ほどの指使いで音を出させました。恣意的な活動でつながりがありません。それでも何とかなっているのは、教務主任がそこにいるおかげなのですが、気づいていそうもありません。
この授業の問題点については、この後教務主任が話すと思いますが、この初任者が成長するために必要なことは何なのか、いろいろと考えさせられるものがありました。

授業参観後、校長と教務主任らを交え意見交換しました。
学校の状況を皆さんよく把握しておられました。教務主任は、現状を自分の指導の問題だと認識されました。教師の動きや話し方など、教師の行動を中心に先生方にお願いをしてきたが、子ども同士をどうかかわらせるかといった子どもの活動についてはあまり指導してこなかったというのです。すぐに、自分が取るべき行動に気づけるというのは素晴らしいことです。今の授業における教師と子どもの関係がよい状態をつくるのでもかなり大変なことです。しかし、それに満足せずに次のステップを目指す姿勢だからこそ、ここまでの状態をつくれているのだと思います。
校長は、私の訪問の前に自分の感じている課題をまとめて伝えてくれていました。事前に情報があったのでより焦点化して参観することができました。私の訪問を少しでも有効に使いたいという姿勢はありがたいことです。
今回、教師と子どもの関係がよくなった学校の、次の課題について考えるきっかけをいただけました。とても充実した時間を過ごすことができました。次回の訪問ではどのように学校が変化しているか、どのように課題を解決しどのような課題が生まれているか、今からとても楽しみです。
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