学びの多い一日

昨日は中学校で授業アドバイスと指導案の検討会に参加しました。

若手の先生と一緒に授業を見ました。子どもたちが落ち着いて授業に取り組んでくれるので、教師の発問の質や子どもの発言への対応がどうであるのかがとてもよくわかります。この学校では、子どもとの基本的な関係から一歩進んで課題や発問、活動の質など、より教科内容にそった授業研究が求められると思いました。
また、2年生の多くの学級で職場体験の自己紹介文を清書する場面を見ることができました。この学年は全体的に人間関係もよく落ち着いているのですが、それでも学級差が目立ちました。誰ひとりわき目も振らず集中している学級、友だちの紹介文を見たりしながら楽しそうに取り組んでいる学級、書き終えた子どもなのでしょう、まわりの子どもとおしゃべりしたり、ごそごそしている子どもが目立つ学級、・・・。教師の姿も、前でじっと立って様子を見ている、教師用の机で何か作業をしている、教師が前で子どもの紹介文をチェックしている、・・・といろいろです。板書も紹介文を書くときの具体的な指示、心構えなどバラエティーに富んでいました。子どもたちの様子の違いとその原因についていろいろと考えることができ、とても面白く感じました。

この日は個別のアドバイスを予定していなかったのですが、若手の何人かが自主的に聞きに来てくれました。とてもうれしいことです。

数学の講師と新任は、教室は落ち着いた雰囲気で授業ができるようになっています。しかし、どうしても先生が一方的にしゃべりすぎるのです。その原因は、解き方の手順を教えることを中心に授業を考えているからです。ですから解き方を聞いて子どもが答えたら、もう聞くことがないのです。定義を問う、解き方の根拠を問う。こういう場面がないため、ひたすら説明と問題練習で終わってしまうのです。ただ教科書をなぞるだけでは授業はつくれません。子どもに何を考えさせるのか、そのためにどのように問いかけるのかを考えて授業に臨むことをお願いしました。

理科の2年目の先生は、昨年と比べて随分と落ち着き、子どもたちとの関係もしっかり作れていると感じました。レンズの作図をする場面では、子どもたちは集中して取り組んでいました。こういう状態がつくれると、授業で改善すべき点が何であるか、とてもよくわかります。
この日のまとめを、光源の位置と像の関係に注意して書くように指示したとき、ある子どもが、「どこかわからない」と声をあげました。おそらく光源の位置をどう整理したらいいのかわからなかったのでしょう。板書を見ても、作図の仕方は丁寧に書いてありますが、なぜこれらの場合に分けているかは書かれてはいません。先生は、その子どもの言葉をとりあげずに個別に対応しました。しかし、他にも同じように混乱している子どもがいるはずです。実際にさきほどの作図と違って、鉛筆にすぐに手がいかない、すぐに動かない子どもがかなりいました。
「他にも困っている人いる」と課題を把握できていない子どもを確認したり、「何を書けばいいか、まわりと確認して」と課題を子ども同士で確かめ合う活動を入れるべきだったと伝えました。

また、このような状態をつくった原因は、作図に入る前になぜ光源と焦点との位置関係に注目して作図をするのかをきちんと確認していないことにありそうです。授業者に確認したところ、やはり、前回の実験のことには触れたが、実験とこの日の作図の関係をきちんと押さえていなかったようです。個々の場面や課題についてはどう進めるか考えているのですが、理科で大切になる、実験でわかったことをもとに考える、考えたことを実験で確かめるといった、課題同士をつなげることを意識できていなかったのです。

しかし、このような教科の内容や進め方について具体的に話せるようになったのは大きな進歩です。基礎的なことがしっかりしてきたからこそ、どこに問題があるか明確にわかるのです。この授業でいえば、もし子どもたちが作図をきちんとできていなかったり、教師の話を聞いていなかったりしていれば、どこが原因で課題がわからないのか想像ができません。これが、私が若い先生にアドバイスするとき、まず教科の内容ではなく基礎的な子どもとの接し方や授業技術について話す理由です。

この日は、このほかにもたくさんのことに気づくことができ、また学ぶことができました。何年もかかわっている学校なので、きっとこんな様子だろうと想像してしまうのですが、子どもたちと先生はいい意味で裏切ってくれます。これが、学校で授業を見せてもらう大きな楽しみの一つです。
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