声にならない声を聞く

昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。

この日は、特定の学級を中心に授業を見ました。授業者、教科によって子どもたちの見せる姿がかなり違っていました。学級全体もそうですが、同じ生徒でも、集中する、積極的に参加する場面と、集中力をなくす、やる気をなくす場面の差が極端なことが特徴的でした。ある意味子どもたちが素直で、場面場面でその時の気分、状態を素直に出していると感じました。

たまたま、新任の先生が一緒に子どもたちを見たいと言ってくださったので、その先生が授業をしたときと比べながら見てもらいました。自分の授業ではは全くやる気のなかった子どもが、積極的に活動している姿や、学級全体が集中する瞬間を驚いて見ていました。子どもたちの見せる姿は一つではないことを実感してくれたようです。自分の授業を改善しようという意欲が一層強くなったようでした。とてもうれしいことです。

子どもたちは、何をやればよいかがはっきりとわかっている、見通しがあって手がつきやすい、作業の成果物が明確である。そんな活動には積極的に取り組む。また、自分たちの活動の結果については、それがどう評価されるか非常に興味を持つ。当然のことながら、この学級を見ていると、あらためてこのようなことに気づきます。

この学級の多くの子どもたちが、集中力や意欲をなくした姿をはっきりと見せることは、別の見方をすれば、先生に対して「もっとわかるようにしてよ」「ちゃんと見てて」「評価して」という声にならない叫びを発していることのように思えます。特に行動面で目立たない普通の子どもが、自分たちを見てほしい、認めてほしいと訴えているように感じます。
担任をはじめ、この学級にかかわる先生方がこのことに気づいてくだされば、この学級はよくなっていくと思います。特に、先生方が少し余裕を持って、一人ひとりの子どもをポジティブに評価することを心掛けてくだされば、大きく変化するに違いありません。当面意識してこの学級の変化を見続けようと思っています。
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