研究授業前の若手と懇談

長らく更新が止まって申し訳ありませんでした。今後、過去の仕事から順次アップしていきたいと思います。

昨年末に、私立の中学校高等学校で、研究授業を控えた若手と懇談しました。

体育の若手は、前回授業を見せていただいた時に、授業規律について指摘した先生です。その後、規律をきちんとさせる場面と楽しく活動できる場面を意識してメリハリつけるようにしているそうです。当初は、指導規律をうるさく言うと、子どもたちが嫌な雰囲気になるのではと心配していたようですが、2、3時間目になれば慣れてくれると話してくれました。授業が楽しいことは大切ですが、それ以上に安心安全が大切であることを再度お伝えしました。嫌な雰囲気になるかどうかについては、指導の仕方一つだと思います。「この列、整列が遅い」ではなく「この列、整列が速い」と、できていないことを叱るのではなくできていることをほめるとよいでしょう。用具の片づけが終わったら、「ありがとう」と声をかけるようにします。子どもを認め、ほめて伸ばす姿勢で接することをお願いしました。
次の日に行う研究授業は保健で、ストレスの多様性と対応を考える内容です。日ごろから子どもに自分の考えを持たせてからグループ活動をしようとしているのですが、なかなか考えを持てないため、グループの時間を多くとらなければならないことを悩んでいました。子どもに考えを持たせてからグループ活動をせるのではなく、自分の考えを持たせるためにグループ活動をすると発想を変えるとよいことを伝えました。友だちの話を聞いた後で、自分の考えをまとめる時間をつくればよいのです。グループの活動を早めに一旦止めて、どんな意見が出たかを全体で聞き合い、考えを共有した上で焦点化し、再度グループに戻すか、個人で考える時間を取ることで考えが深まります。
授業の最後に、リフレーミングすることでストレッサーをポジティブにとらえる場面をつくることが計画されていました。ポジティブにとらえることを結論とするのではなく、多様な捉え方ができることに気づかせることをねらいにしてほしいと伝えました。自分にとってストレスにならないことでも他の人にとっては大きなストレスになることがあります。自分が意識していなくても他者にストレスを与えることがあることに子どもたちが気づいてくれることを願います。
急に指導案の内容を変えることは難しいと思いますが、このこと意識して授業を組み立ててくれればと思いました。

高等学校の数学担当の若手からは、ファシリテーションの研修を受けて自分の発問が子どもたちとって答えにくいものになっていたという言葉が聞かれました。とてもよい気づきだと思います。私からは、せっかくスキルを身につけても、教科の本質をしっかり踏まえ、授業で目指すものを明確にしなければ、それを活かすことが難しいことを伝えました。
研究授業は、統計の仮説検定を扱う場面ですが、その必然性を感じられるシチュエーションをつくることをお願いしました。単に天下りで理論を学び計算するのではなく、その考え方が必要な背景がわかるようにすることが数学を学ぶリアリティにつながります。子どもたちが必要性に気づけるような課題を考えることが教材研究です。日ごろからこのことを意識することをお願いしました。

中学校の社会科担当の若手からは、研究授業の相談の前に、生徒指導、学級経営にかかわる相談を受けました。
担任をしている3年生の生徒のことです。過去に友人がいじめの被害者になったことがあったようです。その事件はすでに解決しているのですが、そのことが引っかかっていて、このまま一貫の高等学校に進学したものかどうか悩んでいるのです。この生徒とは関係がつくれているようなので、人間関係や環境がどうであるか以前に、まず自分がどうありたいのか、どのような高校生活(人生?)を送りたいのかを軸にして、会話をすることをアドバイスしました。「あなたがなりたい自分になるのを応援する」というスタンスで接するようにお願いしました。また、保護者とも信頼関係は築けているようで、一部の先生に対する不満が話されたようです。ただ、それに対して学校側にどうしてほしいかという要望めいたものはおっしゃらないので、どう返したらよいのか対応に困っているようでした。相手の要求に対してどう答えるかという発想ではなく、「お子さんのために一番よい方法を一緒に考えさせてください」と、保護者と同じ側に立とうとしていること伝えるようにアドバイスしました。
これに関連して、安心安全な学級をつくるということについてお話させていただきました。この先生は規律ある学級づくりを大切にしています。安全な学級という意味でも、とてもよいのですが、これだけでは足りません。自分が認められている、この学級に居場所があるという、安心な学級にすることも必要です。これは授業を例にするとわかりやすいのですが、「間違えても馬鹿にされたり、笑われたりせず、安心して失敗できる」「わかっている子どもではなく、困っている子どもが活躍できる」、そういう学級にするということです。このことを意識するようにお願いしました。
研究授業では、実際の政党の政策を知って、それをもとに考える授業を構想しているそうです。私からは、まず政党の定義と、その発生の理由をきちんと押さえておくことをアドバイスしました。議会制と政党の関連を意識することで、政党と政策の関係、その意味がわかってくると思います。また、一般的に子どもたちに課題を与えて考えさせる場面では、とりあえずの考えを持つとそこからなかなか深まらないので、時間を多く与えてもあまり意味はありません。早めに活動を止めて、その時点での考えを全体で共有し焦点化した後で、再度取り組ませると考えが深まります。このことも頭の片隅に置いて授業するようにお願いしました。

中学校の国語担当の先生からは、漢字学習について相談を受けました。漢字を覚えて、読み書きをするという従来のやり方でよいのか悩んでいるということです。惰性で続けるのではなく、立ち止まって疑問を持つことはとてもよいことです。お話をしているうちに、子どもたちに学習すべきだと思う漢字や熟語を集めさせてそこから小テストの問題をつくる、その作業をグループで行い解き合うといったアイデアが出てきました。一人一台のタブレット環境を活かした子どもたちの学びのあり方を見つけていってほしいと思います。
研究授業では、百人一首の世界を小学生に伝える動画を制作する構想を考えていました。なかなか意欲的な取り組みですが、この活動が国語として何をねらっていくのかが問われると思います。小学生が、「歌の意味や情景がわかる」「言葉の意味がわかる」といった条件を課題に付けるといったやり方もあります。もう一歩進んで、「何を大切にする」「小学生に伝えるためには何が条件になる」といったことを子どもたちと一緒になって考えるといった取り組み方もあると思います。この先生がどのような取り組みしていくかが楽しみです。

高校の社会科の授業では意欲的な取り組みがなされています。
衆議院総選挙に合わせ、「学級内総選挙」と銘打って、政党ごとに担当者を決め、選挙活動をさせるというものです。この活動のために、実際の候補者からビラをもらってきた生徒もいたそうです。教室内だけの活動でなく、実際の社会と子どもたちをつなぐ面白い試みでした。
また、冷戦をマクロでとらえるという授業に続いて、ミクロにとらえるという授業が行われていました。冷静時代の東ドイツの住民の手記をもとに当時の様子を伝える作品をつくるというものです。伝える手段としては、文字、絵、音楽と子どもたちに自由に選ばせます。ただし作品には必ず自身で解説をつけることが条件です。「一人の男の人生を語ることで、時代の変化を表現した詩」「ドイツらしさを表す行進曲から始まり、ベルリンの壁ができた時代を象徴する暗い曲に変わり、最後には最初のメロディーが明るい曲調に変化し未来への希望を表わすという音楽」と私の想像をはるかに超える作品も見られました。作品を学校全体で見合うことで、互いの深い学びにつながっていくと思います。次は、ここから一歩進んで、教師が与えるのではなく子どもたち自身でテーマや課題を見つけるようになることを目指してほしいと思います。

3年生の主任からは、子どもたちの様子を報告していただきました。
これまでと違って、進路が決まっても一生懸命宿題や試験勉強に取り組む姿が見られるようです。学習を一生続く学びとして捉えられています。女子にこの傾向が強いようです。その一方で、ランクの高い大学に行くことを目的として、従来型の知識中心の学習観にとらわれ、入試で結果が出せていないために苦しんでいる子どもも一定数いるようです。結果が出ないことが焦りにつながり、悪循環に陥るのではないかと心配です。この傾向は男子に多いようです。不安や焦りは先が見通せないことが大きな原因です。子ども同士で、この先の人生でどのようなことが想定されるか、それにどう対応するのかを考えさせることをアドバイスしました。希望の大学に入れなくても、その先に新しい未来を描けることに気づけば、不安や焦りも軽減されるのではないかと思います。

次年度開設する高校の新しいコースの入学者オリエンテーションについて相談を受けました。
附属の大学の留学生と触れ合う企画を立てているのですが、具体的にどのような活動をすればよいかに悩んでいました。
教師が積極的に指導して何かを教えるのではなく、これから何を目指し、どのように学んでいくのかを彼ら自身で考えるきっかけをつくれればよいと思いました。具体的には、留学生が何を目的に日本やこの大学に来たのか、そして将来どうありたいのかを聞き合うことをアドバイスしました。相手はいろいろな国から来た留学生です。言葉や文化も違い、うまくコミュニケーションをとれないかもしれません。そうであっても、教師があまり介入せずに自分たちでどうしたらよいかを考えさせるようにしたいものです。最終的に留学生との対話を通じて、3年後自分たちがどうありたいかを考え、そのために何を学ぶべきかに気づけることを目指したいところです。
教師はできるだけ指導せず、子どもを見守り観察することに徹するとよいと思います。子どもたちのよいところ、足りないところを見つけることで、今後どのように育てていけばよいかを考える材料とするのです。このようなことを話させていただきました。

この日は先生方の前向きなエネルギーをたくさん感じることができました。このエネルギーが学校全体に広がっていくことを期待します。
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