国語の公開授業から学ぶ(長文)

私立の中学校高等学校の3日間の公開授業研究を参観しました。各教科から数人ずつがテーマを決めて授業を公開し、教科を越えて互いに見合うというものです。延べ、50を超える授業が公開されました。中には、一人で何回も、何種類も公開される方もいらっしゃいます。中学校や高等学校で教科を越えてこれだけの規模で授業を見あうというのはなかなか目にしません。ごく一部の方を除いて、公開された先生の授業をわずかな時間でも見させていただくことができました。どの授業も、工夫や授業改善への取り組みが見られます。多くの先生方がこのような姿勢を見せてくださったことをとてもうれしく思いました。

全体的に、授業規律を意識できていない授業がまだ目につきました。子どもたちの顔が上がっていないのに話を始めたり、板書を写すことに専念しているのに説明をしたりといった場面が気になります。授業の工夫をしても、子どもがきちんと参加していなければムダになります。もちろん、しっかりと子どもたちが集中しているとても素晴らしい場面もたくさん見ることができました。
互いに授業を見合うことで、こういったとろも学び合ってもらえればと思います。

国語の授業では、子どもたちを活動的にする工夫が多く見られました。
中学2年生の国語で、枕草子の「瓜にかきたる稚児の顔」を題材にして、子どもたちに瓜に見立てた紙に顔を書かせるという授業がありました。子どもたちの体を動かして、当時の人の気持ちを考えるというものです。なかなか面白い試みだと思います。子どもたちは発表者をよい表情で見ています。ただ、見ている子どもたちの意見を聞く時間があまり取れなかったことが残念です。授業者がまとめたのですが、もう少し子どもの言葉を聞きたいところでした。
こういった新しいことに挑戦することはとても大切です。これをきっかけにして、授業をどんどん改善していってほしいと思います。国語の授業として何を目標にするのか、どこにつなげていくのか、評価はどうするのかといったことを意識することで、子どもたちのより深い学びを生み出すことができると思います。

別の枕草子の授業では、清少納言の感性についてまとめることが課題でした。感性という言葉は中学生にはちょっとわかりにくい言葉です。授業者が感性について説明しますが、一方的な説明では苦しい子どももいると思います。簡単な事例をもとに、「この人はどんな感性を持っている?」と全体で一度考えて発表させるとよかったのではないかと思います。
この課題はちょっと難しいと考えたのでしょう。授業者はペアで考えるように指示をします。よい判断だと思います。日ごろからこういった活動をしているのでしょう。子どもたちはすぐに後ろを向いて活動を始めます。子どもたちは、よく話し合っていました。しかし、中にはすぐに動きださない子どももいます。相手の子どもはしかたがないので、一人でノートに書き始めています。授業者はこの間、ヒントとなることをしゃべっていました。活動の始めは、全員が参加できているのかに注意を集中させることが必要です。上手く活動できていないペアを見つけて、かかわるよう働きかけることを意識するとよいでしょう。ペアは逃げられない関係なので、中学生や高校生では難しいことがあります。そういう時はグループの活用も視野に入れるとよいと思います。また、前後と言うのは子ども同士が対峙する形になりやすいので、隣同士で机をくっつけて寄り添うような形にするとよいでしょう。
全体での発表では、授業者が子どもの発表を「いいじゃないですか」と受容します。しかし、他の発表に対して、「いいですね、すばらしいですね」と評価が微妙に変わります。ここで気になるのは、何がよいのかという評価の基準です。子どもたちはそれを示されていません。何気ない場面なのですが、子どもたちからすれば、授業者が絶対基準(神様?)になってしまいます。授業者の考えを探る、答探しをすることにつながります。「先生はいいなと思ったんだけど、みんなはどう?どこがよかった?」と子どもたちに判断をさせる場面も必要だと思います。
他にも、ペアの活動の後グループにして意見を聞き合い、子どもたちに「なるほど」と納得したものを発表させるという方法もあります。どこを「なるほど」と思ったかを全体で共有することで、子どもたちの考えが深まっていくと思います。
子どもから出た言葉を引き取って、最後は授業者が黒板にまとめました。子どもたちからするとこれが正解だということになってしまいます。ペア活動の時間をもう少し減らして、全体での発表を増やしたかったところです。全体で考えを深めてから、子どもたち自身でまとめさせるのです。
授業者はペア活動を取り入れて子どもたちの活動量を増やそうとしています。次は、時間配分を工夫して、全体で考えを深める場面をつくることを意識するとよいと思います。

高校1年生の国語総合の授業では、資料を読み取る場面でグループを活用していました。子どもたちはワークシート使いながら作業をしています。全体的によくかかわり合っていますが、中にはしゃべらずにワークシートを回しているグループもあります。授業者がそういうグループに対してかかわるように指示することが必要です。授業者は机間指導をしながらいろいろな指示やアドバイスを追加で行いますが、子どもたちが一生懸命に活動している時には、こういった指示は雑音になってしまいます。時として、子どもたちの声に負けないようにより大きな声で話しますが、逆効果です。また、個別のグループと内容について話をするのですが、個人とだけの対話になってしまうこともあります。子どもも先生に聞けば確実なことがわかると思い、友だちではなく先生に個人的に質問するようになってしまいます。授業者がかかわることでかえって子どもたちを分断してしまうのです。個別の指導を減らし、全体を見て、必要な支援だけを行うようにすることが大切です。授業者はよい表情で机間指導をしていましたが、その表情で子どもたちを見守るようにすればよいと思います。
2枚目のワークシートを配って、まずは個人でやるように指示をしますが、個人でやることにあまりこだわらなくてもよいと思います。子どもたちは、自然に相談しながら作業をしていました。授業者は途中でどうしてもヒントや指示を追加したくなるようですが、子どもたちで相談できていればその必要はありません。子ども同士でなんとか解決するのを見守ることが大切です。どうしても子ども同士で解決できずに活動が止まっているようであれば、全体で困っていることを共有して、解決の見通しを持たせるようにすればよいのです。
グループ活動の時の子どもたちとのかかわり方について、意識するとよいと思います。

高校1年生の現代文の授業では、読解力をつけることを意識していました。この段落ではどこを手掛かりにして読むのかの視点を明確にしていました。このこと自体はよいのですが、なぜここを手掛かりにするのかというメタな視点を与えることが必要です。この文章にどういう特徴があるのかといった視点でまず見ることで、何を手掛かりにするといいのかを子どもたちに考えさせる場面があるとよいと思いました。子どもたちが読解力を獲得する過程をどうつくっていくかを意識することが大切です。
また、結論を授業者が板書するので、どうしても子どもたちはそれを写すことに意識が行ってしまいます。せっかくの授業者の解説に子どもたちが集中していないことが残念でした。授業者がまとめるのではなく、子どもに発言させ、考えをつなぎ、子どもたちの言葉でまとめることを意識してほしいと思います。

高校2年生の現代文の評論の授業は、詩の言葉の持つ意味について考えるものでした。授業者は穴埋め形式のワークシート使っていました。しゃべりが上手く、子どもたちを惹きつけることができていると思いました。「ミーハー」の意味の説明など、とても楽しく聞かせます。ただ、全体的に授業者が説明しすぎるように思いました。
グループで子どもたちに「くうねるあそぶ」といった、過去のCMのキャッチコピーをもとに、どんな人がどのような気持ちでこの商品を買おうと思うのかを考えさせます。子どもたちの興味を引く課題を工夫しています。子どもたちは、テンションも上げずに集中して話し合っています。ただ、子どもたちは時代背景がよくわからず、想像するしかありませんので、深く考えることにはつながりません。もう一工夫ほしいところでした。時代を表わす言葉とキャッチコピーをつなげるといった課題の方が、言葉の持つ力に気づきやすかったかもしれません。面白い課題ですので、さらに洗練したものになることを期待します。
子どもたちに考えさせたのですが、最後は授業者の解説になりました。子どもたちの活動を活かす場面をもう少しつくることができるとよかったでしょう。
評論の授業は子どもたちが興味を持てないことが多い中、子どもたちを惹きつける工夫はとても参考になるものでした。

高校3年生の現代文の授業は、テキストを授業者が範読していました。とても聞き取りやすいのですが、子どもたちにとってはちょっと長い文章だったのでしょう。集中力を失くしている子どもが、ちらほらいました。範読終了後、本文の内容について質問します。「ガレージの中でパソコンを組み立てていた青年が情報化社会をつくりだした」という一節に関連して、この青年が誰かを問いかけます。ここで授業者は、ちょっと集中力を失くしていた子どもを指名しました。その子どもは、ちょっと戸惑いながらも「ジョブス」と答えます。「偉いね、すごいね。会社の名前は?」「アップル」と対話します。授業者は、この子どもがIT関係に興味を持っていることを知っていて問いかけたようです。注意をするのではなく、活躍させて授業に引き込もうとするのはさすがでした。
授業者は「働く」「仕事」について考えようと課題を提示します。教科書からそのことについて触れられている個所を「3つ」拾うように指示します。しかし、「3つ」と限定することで答探しになってしまいます。数は指示せず、「いくつ見つかるかな?抜き出してみよう」といった指示の方がよかったように思います。
授業者は子どもの手がなかなか動かないことが気になったのでしょう、ヒントとなることを作業中にしゃべります。しかし、子どもたちは先生からの情報を処理しきれていないように思いました。授業者の方を向く子どももほとんどいません。ここは、途中で作業を止めて、どこで困っているのかを確認して進めるとよかったと思います。
授業者は知識も多く、たくさんのことを伝えたいと思っているようです。しかし、それだけでは子どもの興味や集中は続きません。子どもから言葉を引き出し、それを価値付けすることを意識すると、より子どもたちが集中すると思いました。

高校1年生の漢文の授業は、ワークシートを使って(訓読)漢文を書き下し文にする場面でした。子どもたちに解かせた後、授業者が解説をします。ここでの活動は知識の獲得と、使う訓練です。どうしても授業者がしゃべることが多くなります。しかし、子どもたちは授業者の説明にあまり集中せずに、板書を写すことを優先しています。大事な説明であれば、しっかりと顔を上げて聞かせることも重要です。一方的にしゃべるのではなく、確認をしたり、どう解答したかを問いかけたりして対話を心がけるとよいと思います。
教科書を開くように指示をしますが、ワークシートの始末などに時間がかかり、すぐに開けない子どもも多くいます。授業者は待ちきれずに説明を始めました。こういった場合は、子どもたちに早い行動をうながすことも必要でしょう。
教科書の問題を解くように指示をしますが、指示の途中で解き始める子どももいます。授業者が子どもたちの状態と関係なく授業を進めているように見えました。今、子どもにどうあってほしいかを意識して進めるとよいでしょう。

高校2年生の漢文の授業は、史記の導入の場面でした。授業者は子どもたちの興味を引くために、司馬遷の受けた屈辱的な刑や覇王別姫など、いろいろな話をします。ちょっと残念なのは、宿題なのでしょうか、一部の子どもが顔を上げずにノートに何かを書いていました。なかなか難しいところです。
教科書の本文に入る前に、登場人物と人間関係についての説明を行います。準備の時間がないため、ICT機器を使って視覚的にできなかったことを子どもたちに詫びていました。ふだんはこういったものを効果的に使っているのでしょう。
授業の進度が遅れているのか、秦の始皇帝の話やそれに関連して万里の長城といった話もするのですが、どうしてもテンポが速くなってしまいます。ノートにメモを取りながら聞くように指示していましたが、中には情報量が多すぎて処理できない子どももいるように見えました。
この日の課題は、グループで「鴻門之会」を読んでその筋書きがどういうものかを考えるというものです。グループにした後、書き下し文の読みの確認を互いにしてから始めるように指示をしました。続いて謝罪の場面であることを何度か説明しますが、グループになって、活動の指示も出ているので、すでに話し合いが始まっているグループもありました。ここは、まず子どもたちに活動させて、様子を見るとよかったと思います。
この授業に限らず、グループで活動する時間が増えているのでしょう。子どもたちは、慣れた様子で集中して取り組んでいます。受け身でいた時間が長かったので、余計にそうなのかもしれません。授業者は、子どもたちがよい状態で進んでいる時でも、つい追加の説明をしてしまいます。ちょっと我慢して、子どもたちの学習の状況を見守ってほしいと思いました。

3年生の古文の授業は、文法の復習場面でした。授業者は若手で、日ごろから意欲的にグループなどを活用した授業を行っています。グループごとに悩んだことを発表させ、「なむ」の識別に困っていることを共有します。そこで、子どもたちが持っている参考書に「なむ」の識別が載っていることを伝えます。答ではなく、自分で学習する方法を教えることはよいことです。この後、また子どもたちに戻して続けさせますが、すぐに子どもたちは動き出します。よい対応なのですが、すぐに授業者が方法を教えしたことが気になります。子どもたちにこういう時はどうすればいいのか、どうしているのかを聞く時間があってもよかったと思います。
しばらくして、先ほどの参考書の該当箇所を見つけられたかをたずねます。まだ途中の子どももいますが、見つけた子どもにどこにあったのかを答えさせました。指名した子どもは、助詞の「なむ」のページを発表します。授業者は、ハッキリと否定はしませんが、そこではなく識別の方法が書いてあるところを見つけたグループがあるかと問いかけます。ちょっと、先を急ぎ過ぎのような気もします。「そのページで係助詞と終助詞のなむについてわかるね。なむという言葉は終助詞だけだっけ?」とつないで、子どもたちから、それではまだ足りないことを出させたいところでした。
指名した子どもが識別を書いてあるページを発表すると、そこに書いてあると授業者が判断します。子どもたちに、「どう、そのページを見ればわかりそう?」と問いかけて、他の子どもとつなぐとよかったと思います。ページを開かせて、ポイントはどこかを子どもたちに問いかけます。「上の形」と答えが返ってきます。授業者はそれを受けて、「そうだね、上がどうかがポイントになりそうだね」と言って、また子どもたちに戻しました。
足場をそろえて、再度取り組ませるのはよいことですが、ちょっと授業者が引っぱりすぎだと思います。短い時間で小刻みに確認していくのですが、もう少し子どもたちにまかせてもよいでしょう。気づくまでに多少の時間差はあってもよいので、子どもたちだけで動けている時は待ってあげることも必要です。
再度取り組ませた後、「なむ」の識別を発表させます。「係助詞」と答がでたところで、その理由を確認します。子どもの解答に、「そうだね」と授業者が復唱して確認しました。すぐに続けて、「もう一つ特徴があったよね。○○のグループが何か話していたね」と問い返し、そのグループに発表させます。ここは他の子どもたちに、「どう?」「同じ理由?」「納得した?」「他の理由の人はいない?」とつなぎたいところでした。
子どもたちができるようになるための手段を意識し、スモールステップで足場をそろえることを大切にしています。子どもに答を言わせようともしていますが、最後は授業者がまとめています。すべての場面で行うのは時間的に無理かもしれませんが、大切なところは、子どもたちをもっとつないで、子どもたちの言葉でまとめたいところでした。
わずかな期間に、確実に授業力がアップしています。この日の授業についても、自分がしゃべりすぎたことを反省していました。日々工夫をしながら、子どもたちの姿をもとに改善を続けていることがよくわかります。これからの成長がとても楽しみです。

どの先生の授業も、工夫が感じられるものでした。子どもたちを意欲的にすることができている方が多かったと思います。グループを使うことにも多くの方が取り組まれています。しかし、グループを使う時の授業者のかかわり方については、まだよくわかっていない方もいらっしゃるようです。だからダメだというのではありません。まず、一歩を踏み出すことが大切です。日々取り組みながら、先生も学んでいけばよいのです。もちろん、かなり高いレベルに達している方もいらっしゃいますので、公開授業だけでなく、日ごろから互いに見合うことで多くのことを学び合えると思います。それぞれで工夫をされていますが、今後、教科としての方向性が見えてくるとよいと思います。

この続きは次回の日記で。
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