佐藤曉先生のお話から学ぶ

今年度第3回教師力アップセミナーは岡山大学大学院教授の佐藤曉先生のお話でした。今回は実践的な話ではなく、哲学の話でした。

先生のご著書を引用しながらのお話でしたが、障害のある子どもたちとのかかわり方だけでなく広く子どもとのかかわり方について深く考えさせられるものでした。哲学的なお話なので、聞く人によって感じること、解釈は異なるかもしれません。私なりの解釈でこの日のお話を振り返ってみたいと思います。ここに書いたことが佐藤先生の主張とは異なっているかもしれないことを最初にお断りしておきます。

私たちは、私たちの目線で子どもを見て、評価します。○○障害といった言葉で子どもたちを括ったりしますが、当の子どもたちはそのような捉えられ方をされたくないと思っているかもしれません。子どもを既成の枠でとらえるのではなく、一人ひとりの子どもに寄り添って、子どもの側から考える必要があります。

佐藤先生は、視線の向かわない領域という言葉を使われます。視線が向くところには、観察者の解釈が存在します。視線の向かわない、私たちが見ようとしていないところに大切なことがあるのではないかということと理解しました。
青い鳥を例に、「解釈学」「系譜学」「考古学」の視点についてお話をされます。

解釈学の視点では、青い鳥の物語は、青い鳥がもともと青かったという前提で記憶が再編されたと考えます。今の子どもたちの状況から、過去がそうであったと作り替えられるのです。「今、子どもが元気よく学校に通っている」だから「私の対応は正しかった」、「今、子どもが学校に行けていない」だから「私の対応は正しくなかった」というように考えるのです。現在の状況によって、同じ過去の事実でも、逆のものに変わってしまいます。
私自身の経験ですが、不登校の子どもの親で、私があの時とった対応がいけなかったと悩む方にたくさん出会いました。また、事例検討会などで、ある子どもが登校できるようになると、あの時の対応がよかったと成功事例として共有されますが、それと同じ対応をしたのに上手くいかなくて、自分の対応のどこが悪かったのかと悩む先生に出会ったこともあります。子どもは一人ひとり違うのですから、当然あり得ることです。それよりも、次にどうしていくといいのだろうかと考えることが大切なのですが、なかなかそこへ向かいませんでした。あたりまえですが、子どもとへの対応は個別性が重要になるのです。

系譜学の視点では、青い鳥がもともと青かったと思っているが、実はそうではなかったかもしれないと考えます。自分はずっと幸せだと思っていたが、本当はそうでなかったかもしれない。そう思い込んでいるだけかもしれないと考え、実際はどうだったのかを考えるのです。
私の経験ですが、「この子は教師に対して反抗的な子どもだ」というレッテルを貼られている子どもを受け持ったことがあります。以前からそうであったかのように言われていたのですが、本当にそうだったのかはわかりません。何かのきっかけで変わったのかもしれません。そういった情報をいったん捨てて、その子どもと付き合うことで、少しずつ気づけることがありました。その時学んだことは、いろいろな情報は大切だが、それだけで子どもをこうだと決めつけてはいけないということでした。

考古学の視点では、青い鳥はある時点で、もともと青かったことにされているが、そもそもそれ以前にはそのような観点はなかったと考えます。だから、青かったとも青くなかったも言うことはできないのです。エジソンやアインシュタインは実は発達障害だったということを言われますが、そもそもその当時にはそんな言葉はなかった。それを発達障害だったと言うこと自体あまり意味のあることではないのです。私たちは子どもの「困り感」に寄り添うという言葉を使います。しかし、子どもが困っているというのは、子どもたちを見ている私たちが勝手に思っていることなのかもしれません。当の子どもはそんなことは思ってもいなかったのに、そう見られることで困っていると思うようになるのかもしれません。
他者を理解するということは、他者にそうであれと支配することと紙一重です。自分の視点で相手を理解しようとするのではなく、相手が望むような理解をしようとすることが大切になります。他者は自分とは無関係に存在するということを意識しなければなりません。
私たちの意識が変わらないと、視線の向かわない領域は見えてこないということです。

最後に、フッサールの時間についての話と重度の障害を持っている子どもの話をされました。瞬間というのは、今この一瞬であるが、この今が成立するためには、その前の今が記憶されていることが必要になります。こういった今が過去になって維持されていくことの連続(過去把持)があるからこそ、時間が意識されていくということです。重度の障害者の中にはこの記憶を維持することができない方もいるそうです。そのため、常に今しかなく、時間がつくられていかないのです。時間をつくることで意味が生まれ、それが自我の形成につながっていきます。佐藤先生がかかわることで、時間を獲得された方の具体的な話を聞いて、今まで知らなかった、気づかなかった世界を知ることができました。
これが、学ぶということなのでしょう。

今回のセミナーは哲学ということでわかりにくい部分もあったかもしれませんが、経験に応じてそれぞれに考え、学ぶことがあったことと思います。ただ、佐藤先生との連絡調整がうまくいかず、当初案内していたものと内容が異なってしまったたことを、運営委員として深く反省しています。申し訳ありませんでした。
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